シリア・ヨルダンの旅(第18回)
観光についてお話しする前に、ヨルダン(正式名称 : ヨルダン=ハシミテ王国)について簡単に触れておく。
1. 国土面積 : 92,300K㎡
2. 人口 : 約588万人(2009年)
3. 人口構成 : ほとんどがアラブ人で、僅かにアルメニア人がいる程度
4. 宗教 : イスラム教スンニ派(90%)、キリスト教(10%)
5. 言語 : アラビア語
6. 首長 : アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン
7. 通貨単位 : ヨルダンディナール(JD)=1,000フィルス(Fils)
8. 歴史 : シリア同様、この地域は世界的に歴史の古い土地であり、古代オリエント時代においてもメソポタミア、アッシリア、バビロニア、さらにギリシア・ローマ、ビザンチン帝国と支配者がめまぐるしく変わり、今のようにイスラム世界に入ってからも、ウマイヤ朝、アッバース朝、セルジューク朝、などの各王朝からモンゴル人のイル汗国、オスマン帝国と支配者は変わった(ウィキペディア・フリー百科事典(シリアの歴史)より)。第一次世界大戦中の1916年、英仏の間で結ばれたサイクス・ピコ協定により、イギリスの委託統治領となる。1946年、トランス・ヨルダン王国としてイギリスより独立。1950年、ヨルダン=ハシミテ王国に改称。
9. 経済 : ヨルダン経済を支えているのはリン鉱石と天然ガスで、リン鉱石は256万トン、天然ガスは9.6千兆ジュールを産出している。現在政府は、リン鉱石やカリ鉱石の輸出あるいは海外からの送金や外国からの支援に頼らない産業、例えばITや観光産業を奨励している。
10. GNI : 約195.3億米ドル(2008年)
11. 一人当たりGDP : 3,310米ドル(2008年)
ウィキペディア・フリー百科事典(ヨルダン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3
ウィキペディア・フリー百科事典(ヨルダン : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Jordan
ウィキペディア・フリー百科事典(ヨルダンの歴史)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
ウィキペディア・フリー百科事典(ヨルダンの歴史 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Jordan
地球の歩き方(ヨルダン)
http://www.arukikata.co.jp/country/meast/JO_general_1.html
外務省(ヨルダン・ハシェミット王国)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/jordan/index.html


国境で1時間半ほどかかったため、既に13:30を過ぎていた。我々はバスで「ジェラシュ」に向け出発。所々に砂漠らしき雰囲気の場所も見られたが、概ね緑の多い中を南に走る。午後から行くジェラシュの遺跡の前を通り過ぎ(写真左)、14:18、昼食会場であるレストラン「グリーン・ヴァレー」に到着した(写真右)。




入口を入ると正面に釜戸があり、4人の職人が「ナン」を焼いていた。我々が到着すると、パフォーマンスが始まった。生地を片手でクルクルと回し、釜戸の中に入れる。ナンが膨らみ、焦げ目が付くと出来上がりだ(写真)。ふっくらしたナンを皿に盛って手渡してくれる。このナンは、こちらの人々にとって、我々のお米のような存在だ。おかずを挟んだり、スープに漬けたりと、色々な食べ方があるようだ。
ウィキペディア・フリー百科事典(ナン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3




レストランの会場は、鉄パイプで作られた屋根の骨組の上に、すだれをかけただのシンプルな構造で、少々暗い感じだ(写真左)。しかし、色々な国の観光客で賑わっており、通路も人で一杯である。席についてしばらくすると、ナンをはじめ、ひよこ豆を潰して作ったペーストをベースにした前菜などが運ばれてきた。これらの料理は、シリアで頂いたのと同じである(写真中左)。メインはミツクスグリルだ。羊や鶏肉である(写真中右・右)。約一時間、楽しくお話をしながらの食事を終え、ヨルダン最初の観光地である「ジェラシュ」の遺跡に向かった。
ウィキペディア・フリー百科事典(ヒヨコマメ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A8%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%A1
ジェラシュの遺跡へは、バスでわずか4~5分。早速、観光開始だ。その前にジェラシュについて簡単に見ておこう。ヨルダンの首都アンマンから北へ約50Kmに位置する。紀元後106年に、トラヤヌス帝がヨルダン一帯を制圧し、ジェラシュはアラブ世界におけるローマの属州の一つになった。以後、農工業が栄え、交易でも潤ったことから、ジェラシュは富を蓄積し、約200年に及ぶ黄金期を経験した。その後海上輸送の発達やパルミラの滅亡などにより徐々に衰退するが、なおも繁栄は続いた。しかし7世紀になるとイスラムに征服され、8世紀の大地震によりジェラシュの町は崩壊するが、再建はされなかった。19世紀後半以降は移民や難民が入植し始め、新しいジェラシュの街が遺跡の東隣に作られ、1920年代からは遺跡の発掘が始まり、現在に至っている。20世紀後半には、パレスチナ難民を合わせてのジェラシュの人口は拡大した。パレスチナ難民の流入が多かったのは、1948年~1985年までヨルダン・パレスチナ連合としてハスポートも発行していたからとの事。
ウィキペディア・フリー百科事典(ジェラシュ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A5
ウィキペディア・フリー百科事典(ジェラシュ : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerash
ウィキペディア・フリー百科事典(デカポリス : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Decapolis
ウィキペディア・フリー百科事典(ガイウス・プリニウス・セクンドドゥス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9




バスを降りて最初に通るのが、遺跡の南端に位置する「凱旋門」だ(写真左)。この門は、紀元後129年に皇帝ハドリアヌスがこの地を訪れた記念に建てられたもの。約6カ月間の滞在であったようだ。3つの入り口があるが、中央はVIP用で、両脇に設けられている小さな入口は庶民が使用したという。材質は石灰石。アカンサスの模様が施されたコリント様式の柱だが、柱の上下にデザインされているのは珍しいと言えよう(写真中左・中右・右)。



門をくぐり5~6m程に進むと、左手にはヒポドローム(競馬場・戦車競技場)がある(写真左・中)。紀元後2世紀に造られたもので、長さ250m、幅は51mある。道路を挟んだ向かい側には、5世紀頃に建てられた「マリアノス教会」の跡地があり、ここでは床に残されたモザイクを見ることができる(写真右)。



我々は、さらに北に向って一直線の道を歩く(写真左)。右手には東の町が見える(写真中)。かつては黄金川が流れており、その対岸には西の町があったそうだ。3~400mほど進むと、「南の門」に到着した(写真右)。ここが遺跡の入り口になっており、入場券を購入して中に入る。この遺跡に巡らされていた城壁の長さは3,456mあり、城壁で囲まれた面積は8.47K㎡、人口は約10,000人であった。また城壁には、この南門を含めて6つの門があったとの事。




南門から50mほど北に、「フォーラム」がある。オヴァル広場とも呼ばれているように、楕円形の変わった形をした広場だ。広場を囲む列柱は保存状態が非常によく、三層の横石を載せたイオニア式の円柱が56本残っている(写真)。








「フォーラム」から、遺跡のメイン通りであるカルド・マキムス(幹線道路)が北に延びているのだが、我々は西側にある「南劇場」に向かった。階段となだらかな坂道を上る。左手には「ゼウス神殿」が見える(写真左)。もとはヘレニズム時代に建てられものだが、現在残されているのは2世紀に造られたものだという。南劇場は、神殿のすぐ南隣りにある。この劇場が「南」劇場と呼ばれているのは、町の北側に、これよりも小さな規模の劇場があるため。アーチ状のゲートから入り(写真中左)、通路を進むと、目の前に劇場の観客席が現れた(写真中右)。観客席は二層32段からなり、3,000人を収容することができる(写真右)。1953年に修復されており、現在もコンサート等で使用されているとの事。舞台の1F部分の壁には、列柱、壁がん、門などが、ほぼ完全な姿で残されている(写真下段)。








「南劇場」の次は、「アルテミス神殿」に向かう。先ほど見た「フォーラム」を、高い位置から眺めると、楕円形であることが良く分かる(写真左)。振り返ると、「南劇場」と「ゼウス神殿」が見える(写真中左)。しばらくすると、東の方でカルド・マキムス(幹線道路)と交差する「デキマヌスの道」に出た(写真中右)。列柱が並ぶ比較的細い道だが、カルド・マキムスとの交差点には「四面門」がある。その先には「オスマン時代の住居跡」だ(写真右)。「大聖堂」(写真下左)と「聖セオドア教会」(写真下中左)の前を通り50mほど歩くと、「アルテミス神殿」の礼拝堂である(写真下中右・右)。






アルテミス神殿は、町の守護神である女神アルテミスに捧げられた神殿。階段を昇り礼拝堂に入る(写真左)。かつて礼拝堂内部には大理石が貼られていたようだが、現在はすべて剥落していた。境内には、高さ13.25mあるコリント式の円柱が121本あったという(写真中左・中右)。柱の中心には鉛製の芯が入っている。これらの柱は、いつも風で揺れているとの事。目では確認できないため、ガイドは境内にある円柱と台の隙間にスプーンを指し込み、実際に揺れているところを見せてくれた(写真右)。礼拝堂を出て、我々は東側に進む。その先には階段があり、下の方に門が見える(写真下左)。これは「アルテミス神殿」の入り口なのだ。メイン通りであるカルド・マキムスから来ると、「アルテミス神殿」にはここから入るのである(写真下右)。我々は逆コースを歩んでいたことになる。この場所からもう一度神殿全体について振り返ると、入口から神殿玄関まで二段の大階段が続き、そこから建て61m、横120mの長方形のテメノス(聖域)に入る。礼拝堂はその先の、一段高くなった壇の上にある。メイン通りから来ると、このようになる。ちなみにアルテミス神殿は、数回に分けて建設されたが、主要部分は紀元後2世紀頃に完成したようだ。
ウィキペディア・フリー百科事典(アルテミス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B9




メイン通りであるカルド・マキムスに出た我々は、通りを南に向かった。4~50mほど歩くと、「ニンファエウム」があった(写真左・右上)。「ニンファエウム」については、パルミラやボスラにもあったが、ほとんど形を成していなかった。しかし、この「ニンファエウム」は素晴らしい。紀元後191年に建てられたもので、保存状態は非常に良い。壁がんが二層に重なっている凹状の壁は、かつては半円蓋の天井に覆われていた。現在は剥落して見られないが、当時は壁に大理石が貼られ、モザイクで飾られていたようだ。ニンファエウムの中央前に置かれている水盤は、ビザンチン時代に付け加えられたものだという(右中)。水は、ライオンの頭の像から注がれていたようだ(右下)。




ニンファエウムを離れ、我々は再びメイン通りであるカルド・マキムスを南に進んだ。この通り、両脇に合わせて240本の柱が並んでいる(写真左・中左)。しかし、かつては580本あったと言うから、現在は半分しか残っていないのだ。道の長さは約800m、道幅は8mで、道路の下には深さ1.5m、幅1mの下水が整備されているとの事。路面を見ると、マンホールの蓋があった。イルカと魚のデザインが施されており、可愛らしい(写真中右)。また、かつて数多くの馬車が行きかったのであろう。深い車輪の跡が残されていた(写真右)。




ニンファエウムから50mほど南に、先ほど見た「四面門」に通じる交差点に出た(写真左・中左・中右 : 四面門の写真はウィキペディア・フリー百科事典(ジェラシュ)より)。かつてはここに四つの大きな門があったと言う。パルミラでも「四面門」を見たが、イメージは違うようだ。一直線の石畳の道をさらに200~300m南へ歩くと、楕円形のフォーラムに戻って来た(写真右)。




フォーラムから南門を通り、凱旋門の前に停まっているバスまで戻る(写真左・中左)。まだ5~600mはある。日差しが強い中歩き続けたからであろうか。また午前中に歩いた疲れも重なっているのだろうか。よくしゃべるツアーメンバーの皆さんも、会話が途切れていた。16:55、ようやくバスに到着。1時間半超の遺跡観光を終え、我々は本日宿泊するアンマンのホテルに向け出発した。30分ほどで街中に出た。シリアと異なり、マクドナルドやバーガーキングなどのお店が数多く並んでいた(写真中右)。17:50、「ル・メリディアン・アンマン」に到着である(写真右)。








ホテルは欧米の一流ホテルと変わらず、豪華な感じである。部屋も広々としている中、落ち着いた雰囲気をも持ち合わせている上、設備も整っている(写真上段)。添乗員の話によると、ヨルダンはシリアのように石油資源を持たないため、早くから観光を重視し、外資も受け入れてきたので、それなりに充実しているのではないかとの事であった。夕食は19:30から。1時間ほどあったので、入浴と資料整理を済ませ、ホテルのレストランに向かった。このホテルもバイキング形式だったので、好きなものを選んで頂くことができた(写真下段)。よく歩いてお腹が減っていたので、欲張って色々なものを頂戴した。中でもデザートのケーキとアイスクリームは、非常に美味しかったことを思い出す。
1時間15分ほどで食事を終え、国境の両替所で入手できなかったヨルダンの紙幣とコインを手に入れるため、ホテルのフロントで両替を行った。当初コインは置いていないとの事だったが、コレクションしていることを話すと、ホテルのスタッフの方に問い合わせてくれ、私の欲しかったコインを揃えてくれた。親切なホテルの皆さんに感謝である。21:00頃部屋に戻り、再び資料整理と明日の準備を済ませ、22:20頃にベッドに入った。
ル・メリディアン・アンマン・ホテル
http://www.lemeridien-amman.com
・「地球の歩き方ヨルダン・シリア・レバノン 07~08」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド社刊]
・「芸術と歴史の国ヨルダン(日本語版)」(Francesca Casule著)[ BONECHI刊]
・「JERASH(英語版)」(Stefania Belloni著)[Plurigraf刊]