大阪商業大学・商業史博物館
貨幣ぶらり旅(第45回)
先日、大阪商業大学・商業史博物館を訪れた。正門から構内に入り、100mぐらい進んだところを左に曲がると商業史博物館がある。現在校舎新築の工事が行われていたため、少し分かりにくかったが、チョッと古そうな感じの木造の建物だ。
中に入ると1Fの受付は閉じられ、2Fに事務所兼受付がある。入館名簿に名前を書き、見学を始めた。2Fは商業史資料室で近世大阪の商業がテーマ、一方3Fは郷土資料室になっており、河内の稲作と民具、河内木綿について展示されていた。
今回見学に来た目的はズバリ「貨幣」である。2Fの商業史資料室には、江戸時代の大阪の商業について展示されており、商売の媒介役である「お金」に関するものも多い。
そのなかで強く印象に残る展示があったので、簡単にお話する。
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江戸時代には、ご存知のとおり「江戸の金使い、大阪の銀使い」と言われていて、大阪での取引は銀が主役であった。銀は主に秤で重さを測って使う秤量貨幣であった。具体的には、丁銀、豆板銀、露銀である。ただ、同じ銀でも享保、元文、文政、天保など時代によって銀の含有量が異なっていたので、重さで比べるだけでは済まなかったようだ。しかし、その都度計量するのも面倒なので、包封して包み銀として使用していた。“包み銀”は包封した後、銀の重量、包封者を書くことで、計数貨幣と同じ効力を持った。包封は原則として丁銀、豆板銀などを鋳造する「大黒常是」の特権で、「常是包」と呼ばれていた。しかし、両替商仲間においては古くから両替店の封緘をした包封銀が包封したまま通用する慣わしであった。これらは本両替包、仲間包、通り包などと呼ばれていた。
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では、包封した“包み銀”がそのまま流通する場合、本当に中に銀が入っているのか疑ってしまうのだが、実際はどうだったのか。石を包んで本物そっくりの封緘をしたものが流通する恐れは無かったのだろうか。
同博物館の説明によると、「両替屋の貨幣に対する教育は元服以下の子供たちに金銀包を包ますのが習慣とあるから、状態の良い貨幣を絶えず見せたり、包み方に修練を積めば、不自然な包み方・おかしな貨幣は一発に見抜く力を保有していた。」そうだ。また、「貨幣の従事者は一目見て包み銀の良し悪しを判断する能力は十分に持ち合わせている。これは習慣が形成した力である。」とも言う。
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現在でもベテランの貨幣商の方であれば、贋のコインを一発で見抜いてしまうので、いつも驚かされる。1種類1枚しか買うことが出来ない私のようなコレクターは、博物館やコインの即売会で展示されているコインを数多く見て修行(?)するしかないようだ。
その他詳しくは大阪商業大学・商業史博物館HPをご参照。
http://moch.daishodai.ac.jp/index1.shtml
*写真は丁銀、豆板銀、露銀の順。写真では同じ大きさに見えるのでコメントすると、丁銀は100~180g位の重さで、長さは8~10cm程度。豆板銀は直径の1~1.5cm位で重さは12~13gより軽いものが多く、豆板銀中で極小のものを、露銀(つゆぎん)と言う。小さくて草の葉の上の露に似ている事から、このように呼ばれる。日本貨幣商協同組合では、量目1g以下のものを露銀としている。
包み銀のイメージについては、日銀のHPをご参照。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_15.htm


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