南ドイツの旅(第18回)
貨幣ぶらり旅(第142回)
クリクリンゲンからローテンブルクへは30分ほどで到着。チェックインを済ませ、すぐに出かけた。ローテンブルクは、今回の旅で、私が最も期待していた町。中世の面影をほぼ完璧に残しており、「中世の宝珠」と呼ばれているからだ。町の起源は9世紀ごろ。現在のロマンティック街道は古くからの交易路で、ドイツを縦断、南はブレンナー峠でアルプスを越え、イタリアに達していた。9~10世紀ころ、遠隔地商業が復活し始めると、多くの商人がこの交易路を往来するようになり、やがてローテンブルク伯の城のそばに住みつくようになったという。これがローテンブルクの起源である。今も残る城壁が出来た12世紀に、商人の町として大きな発展を遂げ、1274年に帝国自由都市となった。その後も繁栄を続けたが、17世紀に起きた三十年戦争での敗北から衰退し始め、近世に入っても産業発展の波に取り残された。しかしこれが幸いし、中世の街並みはそのまま残されたのである。第二次世界大戦で約4割焼失したが、現在見事に再現されている。

城壁に囲まれたローテンブルクの旧市街は、南北1.2km、東西1kmほどの小さな町なので、隅から隅まで回ることも可能である。まず、閉館時間のある施設から訪ねることにした。最初は「中世犯罪博物館」(写真)だ。「ここはヨーロッパ唯一の法と刑罰の歴史博物館で、四階にわたる2000平方メートルの展示場にて、19世紀にまで及ぶ1000年以上の法の歴史が独特の展示法で包括的に紹介されている」(「ローテンブルク(日本語版)」より)。中世の都市の秩序を守るために制定された法律と刑罰。残酷さのあまり恐怖を感じる刑罰もあれば、ほくそ笑んでしまうような刑罰もあり、なかなか面白い。以下、展示内容をご案内する。




この「中世犯罪博物館」は、旧ヨハネ騎士修道会の建物に入っている。入口には、パンの重さを偽って焼いたパン職人を水責めにするために使用した檻が置かれている(写真左)。建物の中に入り、受付(写真中左)でチケット(3.8ユーロ)を購入する。受付横の階段を降りると、中世の刑事裁判の手続きや刑の執行方法、拷問の道具などが展示・解説されている(写真中右・写真右 : 針の椅子、魔女裁判の頃の拷問道具)。
まず、当時の裁判手続等を展示解説からご紹介する。
① 訴訟手続きの開始
訴訟は、昔から被害者の申し立てにより起こされた。原告と被告が法廷で対立し、証拠をもとに判決が下され、有罪を言い渡されたものは罰金刑か賠償の義務を課された。人権と平和、即ち国家の秩序が安定するにつれ、悪い行いはこの秩序を乱す「犯罪」とみなされ、被害者の訴えの有無にかかわらず、取り調べを行いさらに犯人を罰することが許されるようになった。その場合、犯人の逮捕に至る程強力な容疑事実が必要とされた。
② 立証方法
審理における立証方法は二段階から成っていた。まず、一般的な証拠(目撃者の証言、又は検証による)をもとに犯行を証明する試みがなされた。次の段階で、犯人の確定に重点が置かれ、これは容疑者の自白で明らかになることが多かった。容疑者又は被告人が、犯人であると疑いの余地が無いにもかかわらず犯行を否認すると、容疑を認めるまで拷問がかけられた。しかしこの場合、まず専門家による書類の鑑定が義務付けられていた。
③ 判決に至るまで
立証審理終了後、訴訟書類は再度専門家により鑑定された。裁判官と参審員により法廷内で判決案が検討された後、最終判決が下され、文書化された後、当事者に通知された。これが公正であると認められると、有罪判決とそれに伴う刑罰が決められた。ここまで非公開に行われてきたすべての訴訟手続きが初めて公にされるにあたり、判決がいかにして公衆の面前で発表されるかが細かく決められ記録された。
④ 公開裁判
判決の公表は公開裁判で行われた。裁判官と当事者が、特別に造られた舞台の上で集まった市民を前に席に着くと、古い形式にのっとって、裁判が重々しく開始された。裁判官が訴え及び自白内容を読み上げた後、集められた証拠物件が公開された。自白内容は真意が確かめられ、復唱させられた。最後に判決が下され、参審員がその公正さを認めた。
⑤ 刑の執行
刑罰は、公開裁判の終了後、公衆の前で執行された。死刑台は郊外にあることが多かったので、集まった市民は死刑因と共に死刑台まで向かった。死刑因は刑の執行の直前に今一度話すことと、最後の祈りを捧げることが許され、それが終わると死刑執行人が刑を執行した。それに対して「身体刑」(内容的苦痛や障害を与える刑)はマルクト広場で行われることが多く、「名誉刑」は、社会的名声の侵害、即ち名誉棄損を目的として執行された。
次に、刑罰用の道具の中から、面白いと思われるものを数点ご紹介する。
① 汚名のマスク(写真左)


道徳上の誤りを犯した者は、このような辱めのマスクを付けたまま、二時間市場に立っていなければならないという(写真右 : 刑罰の様子)。
② 二輪首かせ(写真左 : ディスプレイ上段)


ガミガミ喧嘩し合う二人の女達を向かわせて、喧嘩を止めるまで首かせをさせて、公衆の前で笑いものにする(写真右 : 刑罰の様子)。
③ 断髪用ハサミ(写真左)


身持ちの悪い堕落した子女の髪を切るのに用いた。中央では、裁判官の前で当時流行の髪型をした女子が切願している。その右は切られた髪、左は髪を切られた女子が運ばれているところ(写真右)。18世紀には出来るだけ長い髪が通常だったので、髪のない姿とは非常に困ったものであった。未婚の女性は長い髪をしていなければならず、結婚後、髪をくくってボンネットをかぶらなければならなかった。髪型によって女性が未婚であるか既婚であるか、服装によって裕福(その両親や夫が)であるかどうかが分かったという。
④ 水責め用檻(写真左)



この博物館の入り口のところでご紹介したように、パンの重さを偽って焼いたパン職人に課せられる刑罰に用いられた。檻に入れられ、水責めにされる(写真中 : 刑罰の様子・写真右 : 模型)。
⑤ ダイスとカードの輪(写真左)

ダイスやカードなどを使うゲームで、いかさまをした者の首にかけられ、公衆の面前でさらし者にされた(写真右)。
⑥ ロザリオ(写真左)


教会の懲戒罰。罪人は札を首からぶら下げ、教会の入り口や説教壇の下に立たされた(写真右)。
1)のろい・ののしり
初回=罰金
2回目=罰金+ロザリオをかけて教会の入り口に立つ
3回目=国外追放、漬神 : 断舌
2)ミサの間での居眠り。
ミサは日の出前から2~3時間続いた。ミサにしばしば欠けた人も同様に罰せられた。ミサに参加しているかどうかは簡単に調べられた。というのは各人の座席が決まっていたので、キリスト教徒として敬神的な日々を送る事が各市民の務めであった。
⑦ 車裂き(写真左)


役人に課せられた処刑法。死刑の宣告を受けた罪人は地面に横たえさせられ、手足をきつく縛られて、全身の骨がボロボロに砕けるまで、死刑執行人に車(輪)を投げつけられた(写真右)。
⑧ その他









・アルコール中毒者の樽かせ(写真左・中左 : 右側の図)
・おしゃべり好きな女性用の仮面と男性用のまぬけな仮面(写真中右・右・中段左)
・鉄の乙女(不道徳な女性と女の子を懲らしめる鉄製マント) (写真中段中左)
・貞操帯(夫の不在中、不貞にならないようにするためのベルト) (写真中段中右)
・スイス・ベルンの回転小屋(写真中段右)
・処刑椅子(死刑の宣告を受けた罪人は、処刑椅子に座り、斬首刀で首輪切られた)(写真下左)
最後に、面白い法令があったのでご紹介する。
① 棒法令


各々の町の路地は、通行の為、一定の広さを保たれていなければならなかった。したがって、路地に品物や薪を積んで置いたりする事は厳禁されていた。お上は定期的に役目を担った官吏に、規定の(通行用の)幅をもった棒(写真左)を与えて、路地を検閲して歩かせた(写真右)。この警察令の目的は、火事が発生した際、消火すべき消防車が十分通過しうる広さを取っておく事にあった。もしもこの令に違反した者があれば、書き付けられて罰金を取られた。
② 貨幣令



1637年5月30日、アウグスブルク市発布。旧ドイツ帝国は、1806年まで幾つかの小国から成り立っていた。殆どすべての国々は、それぞれ自国の貨幣を鋳造していた。インフレーションや貨幣に含まれている銀の割合が減って、貨幣の価値が下がったので、お互いに貨幣価値を新たに確定するか、或いは価値が薄れて劣等になった貨幣に用心するよう警告する事が必要となった(写真左 : 貨幣令・写真中 : 各国の貨幣・写真右 : フランドルの画家、クゥエンティン・マーシス作「金貸しとその妻」)。



この為に用いられたのが、天秤である。展示されていたのは、次の二種類。
1)貨幣調整秤(試金てんびん)(写真左・写真中 : 分銅)
1679年に使用された。各硬貨は、一定の重量があった。この秤で、その重量が検査された。もしも重量が規定の重量と一致しなかった場合は、硬貨が良くなかったのである。
2)大きな貨幣調整秤(写真右)
稼働装置付きの試金てんびん。18世紀後半のもの。
③ 債券類







その他に19世紀から20世紀初頭に発行された債券類が展示されていた。
1) 鉱山会社の株券(写真左・写真中左 : 株券譲渡裏書)
2) ウィーン市債(写真中右・写真下左 : 利札)
3) オーストリア赤十字債(写真下中)
4) オーストリア国債(写真右・写真下右 : 利札)
色々と興味を惹くものが多数展示されており、まだまだ見ていたかったのだが、ローテンブルクの町を隅々まで回りたかったので、あまりノンビリしてはいられない。1時間弱で見学を終え、博物館を出ることにした。
(参考文献・資料)
・「07~08地球の歩き方 南ドイツ」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「06~07地球の歩き方 ドイツ」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「図説ドイツ名景の旅」(谷克二著)[川出書房新社刊]
・「ロマッチック街道(日本語版)」(Kraichgau-Verlag GmbH刊)
・「ローテンブルク(日本語版)」(Wolfgang Kootz著)[Kraichgau- Verlag GmbH刊]
・「ローテンブルク市街地図(日本語版)」(ローテンブルク観光局)
・「中世犯罪博物館(日本語版)」(中世犯罪博物館)
・「ドイツものしり紀行」(紅山雪夫著)[新潮社刊]
・「ヨーロッパものしり紀行(城と中世都市)」(紅山雪夫著)[新潮社刊]
ローテンブルクの観光案内
http://www.rothenburg.de
中世犯罪博物館
http://www.kriminalmuseum.rothenburg.de