造幣博物館
貨幣ぶらり旅(第144回)
久しぶりに「造幣博物館」に行ってきた。造幣局の受付で「造幣博物館」に行きたい旨伝えると、博物館は移転したとの事。正門に向かって右手、塀沿いに進むと、博物館の入口を示す案内板が掲示されていた。受付で名前、住所等を記入し、博物館に入った。以前よりかなり明るい。しかし展示面積は狭くなっているように思えた(写真)。
以下、展示品の中から10点をご紹介する。
① 「天正長大判」(写真右側)

最初から量目を十両に整えて作られた天正大判より上下が長いので「長大判(ながおおばん)」と呼ばれており、長さ17.5cm、幅10.2cmもある世界最大級の金貨として知られていました。天正17(1589)年5月、京都聚楽第で宮家公卿・大名たちを招いて催した「太閤の金賦り(かねくばり)」の際に与えた金子(きんす)がこの長大判といわれています。
量目 : 43.65匁(約163.7g)
品位 : 金750/1000
(参考)当時の大判の価値は、古文書によると米40石(約6,000kg)、仮に1人1日3合(約450g)の米を食べるとすると、実に30年以上食べられる量がこの大判1枚で買えたという計算になります。
② 「天正菱大判」(前掲写真左側)
豊臣秀吉が足利将軍家お抱えの彫金師後藤家に命じて造らせた大判で、無銘大判に埋め金(うめきん)をして量目を調整し、上下の菱形の枠内に「桐」極印を打ち、量目(十両の文字)と製造責任者の署名と花押(サイン)を墨書きしたもので、この菱形の局印から「菱大判」と呼ばれ、現存数はわずか5~6枚といわれている希少品です。金の品位も高く太閤秀吉にふさわしく最も豪華な金貨といわれ、また、大判創始者として貨幣史にその名をとどめています。
両目 : 44.42匁(約166.6g)
品位 : 金740/1000
③ 「菊桐金錠(きくきりきんじょう)」(写真左側)

ナマコ型の金錠で、”菊”と”桐”の紋が打刻されていることから「菊桐金錠」と呼ばれています。展示品のみが現存する貴重なものです。
注 : 「金錠」とは地金としてではなく、貨幣の目的からつくられた金をいい、菊紋など極印のないものは未完成品といわれ、後の大判はこれをたたき延ばしてつくられたといわれています。
量目 : 43.7匁(約164g)
品位 : 約730/1000
④ 「竹流金(たけながしきん)」(前掲写真右側)
竹のような形の鋳型に流し込んで造られたと見られ、「竹流し金」と呼ばれています。表面の”菊”と”桐”の紋は左に展示しています「菊桐金錠」と同じもので、必要な量に切って使ったと見られ、桐の紋から豊臣秀吉による秤量金貨と推定されています。この「竹流金」と「菊桐金錠」は、昭和10(1935)年造幣局の横を流れる大川(旧淀川)から発見されており、展示品のみが現存する貴重なものです。
量目 : 26.2匁(約98.6g)
品位 : 金 約730/1000
⑤ 「富本銭」(写真)

「富本銭」は、和同開珎の発行(和銅元・708年)に遡ること25年前の天武12(683)年に鋳造されました。富本銭は、中央に「富本」の文字、孔(あな)の両側に7つの点があり、これは中国の陰陽五行思想の陽(日)と陰(月)と木・火・土・金・水の七曜を表し、天地の調和を示したものといわれており、「富本」とは「国を富ませる本」という意味で、貨幣そのもののことです。
◎展示の「富本銭の鋳棹」は、平成11(1999)年1月19日に奈良国立文化財研究所から発表された”奈良飛鳥池遺跡”から出土したものをモデルにしてつくられたレプリカです。
⑥ 「和同開珎」(写真)

慶雲5(708)年1月、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)から多量の自然銅(和銅=「にぎのあかがね」と呼ばれていた)が産出し、その銅を朝廷に献上したことにより年号を「和銅」と改元しました。政府は「催鋳銭司(鋳銭を統括する国の機関をいう)」を新設し、積極的に鋳銭事業をすすめることとし、和銅元(708)年5月に「銀銭」を、8月に「銅銭」を発行しました。
⑦ 「和同開珎の銭笵」[鋳型](写真)

近江(現在の滋賀県)が「和同開珎」の最初の鋳造地であったらしく、その後、山城(現在の京都府)、河内(現在の大阪府)、大和(現在の奈良県)、長門・周防(現在の山口県)などの鋳銭司で鋳造されました。鋳造法は、木枠の中に細かい土を入れ水分を含ませ、表面を平らにして、母銭で型を押して作られた砂型に、とかした金属を流し込んで鋳造したので、砂型は鋳造の都度亡くなりましたが、展示している和同開珎の銭笵(鋳型)は、千年以上もたった対象10(1921)年に、当時鋳銭場であった周防の鋳銭場跡から、粘土状に固まって出土した非常に貴重な銭笵(鋳型)です。わが国で銭の銭笵(鋳型)が残っているのは、和同開珎のみです。
⑧ 「琉球封印銭」(写真)

琉球王朝の(沖縄)の貨幣で、鳩目銭といわれるもので、大きさを大体揃えて造られ、紐に通して結び目に封をしたものが封印銭で、総体の目方を量って取引されていたといわれています。また、「奇鈔百円(きしょうひゃくえん)」には”此銭百文をつなぎ国王の封印をなして用う”とも記載されています。
注 : 鳩目銭とは、穴が丸い鳩の目に似た小型で脆弱なうえ、銭文もあるかなしか無文に近い、表裏も判断できない貨幣です。
貨幣制度が確立するまでにつくられた手彫りの試作品です。
⑩ 「手本銀板(てほんぎんばん)」(一円銀)(写真)

この2枚は、「龍」及び「菊桐」の手本として、一円銀貨大の銀円板に直接彫刻したものです。
「龍」の手本 加納夏雄刻
「菊桐」の手本 池田隆雄刻
注 : 手本とは、文字や絵を習うための模範とする文字や絵・型となる本などをいいます。
今回の「造幣博物館」の訪問だが、実はニュージーランド人と一緒であった。彼は日本語が全く分からないため、私が英語で説明してあげたのだが、これがなかなか難しい。例えば「江戸時代の初め」とか「明治維新のころ」といった説明では通じないので、「西暦○○年頃」とか「○○世紀半ば」といった表現に変えたり、「武田信玄・甲斐の国」ではなく、「当時の日本は統一されておらず、現在の東京にほど近い一つの国」などと説明しなければならず一苦労であった。展示解説文は日本語だけ、かつスタッフは英語が話せない。外国人の訪問はそれほど多くないので仕方がないが、せめて英語の解説ぐらいは併記しておいてもよいのではないかと思った。だが、海外の貨幣博物館も同じであったことを考えると、やむを得ないのか。なお、最初に見せてくれた「貨幣ができるまで」というビデオには、英語バージョンがあることをご案内しておく。
ちなみに、彼はニュージーランドの中学・高校で経済学・金融論を教える先生。日本で教えられる「政治・経済」の授業に比べ、かなり専門的に事も教えているようだ。今回の「造幣博物館」の見学は非常に有意義であったとの事。よかった!




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