備前焼の町を訪ねて(その1)
茶の湯ぶらり旅(第32回)
備前焼について知るため、「岡山県備前陶芸美術館」に行って来た(写真左)。山陽新幹線「岡山駅」で「赤穂線」に乗り換え、各駅停車で約30分、「伊部(いんべ)駅」で下車(写真中)。駅前に、「岡山県備前陶芸美術館」がある。正面入り口を入ると、右手が受付だ(写真左)。入場料は大人500円。4フロアーにわたり展示されており、1Fでは備前焼の歴史や製作工程、窯変などに関するパネル展示とともに、現代陶芸作家の作品が並べられている。2Fでは「古備前名品展」、3Fは「人間国宝代表作品展」、4Fは「物故作家代表作品展」が催されていた。
まず展示パネルの解説に基づき、備前焼の歴史についてお話しする。
① 須恵器から六古窯へ ~備前焼のルーツの時代~
縄文・弥生土器の時代を経て、5世紀頃の日本には、器の新時代が訪れます。轆轤、窯、一層の高温焼成という新技術を携えた「須惠器」の渡来です。瞬く間に日本各地に須恵器の窯が広がり、この備前の地でも盛んに焼かれました。続く奈良時代には、東海の猿投(さなげ)とともに備前の須恵器などが、より白く、固く、緑色自然釉を美しくまとったものを生み、日本の二大勢力をなしました。これが備前焼のルーツです。
その後、律令制の崩壊とともに、器は祭器や一部の貴族だけのものでなく、庶民の暮らしの道具として需要が拡大していきます。そうなると、全国各地の窯は、一般向けの商品として焼くことができるように窯が大きくなり、全国に幾つかの産地というものが誕生しました。今、古代・中世の窯で、現代にまで続いている6か所の産地は、「六古窯」と呼ばれています。瀬戸・常滑・信楽・越前・丹波そして備前です。この中で、備前だけが実は異色です。
② 備前窯、唯一無二 ~無釉・焼き締めの一千年~
他の六古窯と備前窯はどのように違うのか?
それは、備前焼だけが須恵器の技術を純粋に発展させ、あくまでも無釉で、窯の構造も、焼成技法も大きく異なり、独特の焼き物となったということなのです。そして驚くべきは、一千年を経た今も、日本全国唯一無二の歴史を連綿と重ね、庶民の生活と絶え間なく係わり続けていることです。
他の産地が釉薬を使った時代も、備前は「無釉、焼き締め」一筋に、丈夫さや使いやすさなどを追求しました。その精進の結果、備前の焼き物は、各地各層から絶対的な信頼を獲得してゆきました。やがて三つの大きな共同窯が築かれ、松割木で50~60日も焼成に時間をかける、現代備前焼の基礎が確立されています。
③ 諸国で大備前焼時代 ~水甕(みずがめ)・擂鉢(すりばち)・福岡の市は花盛り~
南北朝時代から室町時代にかけて、備前焼は全国シェア拡大に向けて大進撃を開始しました。そのころの都市に住む人の台所では、備前焼なしでは成り立たなかったのです。それはまず水甕。「備前の水甕、水かくさらん」と言われました。無釉で厚みがあるため、外気温の影響を受けず、また浸透性があるのも水が腐らない理由だと言います。
次の擂鉢、「備前の擂鉢、投げても割れぬ」という言葉の通り、強く、固いために、使い込んでも目が減らない極上品であったようです。多量生産に向くよう、重ね焼きしても溶着しない口縁部の工夫も、備前が完成しました。備前焼が日本中で使われたことは、各地の出土品や絵巻などでも知ることが出来ます。当時西国筋で最大の都市であった備前・福岡(九州の福岡の地名のルーツです)のマーケットにも、備前焼が商品として、また他の商品を入れる器として登場しています。昭和52年に、小豆島沖の海底から引き揚げられた300点以上にのぼる多数の備前焼は、船荷として遠方へ輸送されたことを物語っています。ところが備前焼に新風が・・・・。
④ 茶陶備前 ~桃山の美意識が見出した枯淡の美~
室町末期から桃山時代。この時代は日本の歴史の中では、不思議で何かの始まりを告げる新しい時代でした。新しい世界との交流の中で、新しい世界観や美意識が確立された、魅力的な時代です。茶の湯の中で、備前が第一に取り上げられた時代でもあります。「わび・さび」という茶道の感性の中で、ひたすら実用品に徹した備前焼が、一躍茶道具として認められています。特に利休や秀吉は、こよなく備前焼を愛しました。使うことに徹した姿勢が、心象芸術としての洗練も自然に高めていったのです。
中国遠征途中の秀吉は、籠城に役立つ備前焼の恐ろしさを知っていたこともあって、手中に収めるべく、この地に立ち寄り、備前焼の保護を図り、燃料・原土の無料政策を打ち出しています。また名高い北野茶会では、自分自身が亭主となった茶室に、備前焼の水指しと花入れを使っています。
⑤ 江戸、新感覚 ~多才に、カラフルに、江戸時代の備前焼~
江戸時代になると、日本陶芸史がまた大きく塗り替えられます。磁器の登場です。茶人たちの好みも、より端正で、工芸的なものへと移ってゆきます。美濃や伊賀など、桃山時代をリードしてきた個性的な窯は衰退しますが、備前はここでも必死に持ちこたえるべく精進します。暮らしの中の器という自負と、新時代に適応した新しい造形美の追求で生き抜いてゆきます。
備前焼の新時代に適応した新しい造形美は、「伊部手」、「細工もの」、「白備前」などです。「伊部手」は工芸美を意識したシャープな様式、「細工もの」は福の神や人物、鳥獣などで、置物や香炉として造られました。白備前や青備前は、焼成技術で改革を加え、また岩絵具を施した色絵備前などもありました。新感覚をものにした備前焼は、山陽道を旅する人にも大人気。池田藩は大いに奨励し、窯元六姓(かまもとろくせい : 木村・森・頓宮(とんぐう)・寺見・大饗(おおあえ)・金重)を定め、備前焼の保護育成を行いました。
⑥ そして今、備前は ~五人の人間国宝とそれに続く大きな可能性~
藩の保護のなくなった近代になって、備前の地に個人窯が出現し始めました。現代備前のスタートです。窯元六姓の家に生まれ、桃山期の備前を復興し、現代備前の基礎を築き、「備前焼中興の祖」と称される金重陶陽、文学を志して上京した後、この地に帰り、豊かな感性が生かされた作品を制作した藤原啓。巧みな轆轤技術で、繊細な作品を作り続けた山本陶秀。そして、親子二代の人間国宝の認定を受けた藤原雄。現在精力的な製作活動を続けている伊勢崎淳。備前焼はこの5人の人間国宝に続く多くの作家の活躍によって、今なお唯一「無釉、焼き締め陶」として、国際的にも高い評価を得ています。日本の焼き物の中で、ただ一つだけ日本の歴史の黎明期から今日までを共に歩み続けてきたのが備前焼である。
岡山県備前陶芸美術館のHP
http://www.touyuukai.jp/bijyutu.html





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