「日東第一形勝」と賞賛された「対潮楼」からの海の眺め
日本ぶらり旅(第7回)[宮島・鞆の浦(7)]
「沼名前神社」は、古くから「鞆の祇園さん」とも呼ばれ親しまれている。京都・八坂神社の元社である歴史と格式を誇る神社で、平安時代につくられた法令「延喜式」にも記載されているという。鳥居(写真左)と山門(写真中)をくぐると、右手に「能生舞台」がある(写真右)。「この能舞台は豊臣秀吉が愛用し、伏見城内にあったものです。初代福山藩主水野勝成が、二代将軍徳川秀忠より譲り受けたと伝えられます。三代水野勝貞がこの社を寄進し、1738年(元文3)年この場所に設置されました。この能舞台は、それぞれの材料や番号や符号をつけた組み立て式で、戦場にも持ち運べるようになっています。正面の鏡板には松と竹を描き、桃山時代の能舞台の特徴をもつ貴重なものです。構造は一重切妻造り、桁行5.45m、梁間5.33m、屋根こけらぶき」(掲示解説文より)との事。
「能舞台」から参道に戻り、階段を上ると「沼名前神社」本殿があり(写真左)、右手奥にはお社が建っている(写真中左)。神社は少し高いところにあるので、ここから見る景色もなかなか良い(写真中右)。参拝を済ませ、再び町中に降りて行くと、朝一番に訪れた「小烏神社」の前に出た。これで鞆の浦のメイン観光ポイントを一回りしたことになる。しかし、まだ行きたいところが何箇所か漏れていたので、もう一度回り始めた。今度は海沿いの幹線道路を歩き、「鞆の浦観光情報センター」を訪れた。ここには「鞆鉄道ミニ資料館」がある(写真右)。鞆鉄道は明治43年11月創業の会社なので、古いバス乗り場の案内板やバスに関連するグッズなどが展示されていた。あわせて、アニメ映画「崖の上のポニョ」に関する写真や新聞記事も並べられていた。これは、鞆の浦が「崖の上のポニョ」の舞台になったからだという。実際、宮崎駿監督がこの地に滞在し、町を歩きながら「崖の上のポニョ」の構想を練ったようだ。しかし監督は、この地が舞台であるとは明言していないらしい。観光客を誘致する意味では、「崖の上のポニョ」の舞台というのは絶好の話であろうが、埋め立て・架橋を推進しようとする側にとっては、全国から注目されるのも迷惑になるということなのだろうか。監督がはっきり言わないのには、複雑な背景があるのかもしれない。
次に向かったのは、「対潮楼(たいちょうろう)・福禅寺」である。「鞆の浦観光情報センター」から海沿いの道を南に2~300m歩いた所にある。しかし、その途中に「福山市役所・鞆支所」があったので、埋め立て・架橋に関する資料をもらうため立ち寄った。カウンターや案内書置場には、いろいろな種類の観光案内が置かれていた。「手づくり鞆の浦マップ」などもあり、観光に力を入れている様子が見て取れた。所内をウロウロしていると、女子職員が声をかけてきたので、埋め立て・架橋に関する資料がほしい旨伝えると、奥の席に座っていた50歳代ぐらいの男性職員が、資料を片手に私の方にやって来た。この資料をどうぞと言って、内容を説明し始めた。資料は二種類。ひとつは「鞆地区道路港湾整備事業の概要」、もうひとつは「備後圏都市計画伝統的建造物群保存地区の決定(案)及び道路の廃止(案)について」だ。環境・景観に配慮した妥当な計画であることを熱心に説いていた。行政のトップである市長は、埋め立て・架橋推進派なのだから、その職員も当然推進しなければならないだろうから、反対派との間に挟まれて苦しいところか。そういえば、反対派住民の一人が、福山市は宮沢喜一元首相の地元で、その関連企業のために道路を造るのだと言っていたが、真実なのだろうか。いろいろな意見、噂が飛び交う中、推進か反対かを客観的に決めるのは難しいものである。よそ者である観光客の私が、うかつに反対の署名をするのは良くないと感じた。
ついでに訪れた「福山市役所・鞆支所」から、南に100mほど歩き、右手の小道を上ると、「対潮楼(たいちょうろう)・福禅寺」(写真左)に到着だ。岩の上に石垣わ積み、その上にそそり立つ。江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で、国の史跡に指定されている。お寺の入り口に掲げられた案内によると、「海岸山千手院福禅寺(かいがんざんせんじゅふくぜんじ)は、平安時代の天暦年間(950年頃)の創建と伝えられる真言宗の寺院です。本堂やそれに隣接する対潮楼は、江戸時代元禄年間(1690年代)に建立されました。客殿からの海の眺めはすばらしく、特に正徳元年(1711年)朝鮮通信使は、この景観を「日東第一形勝」と賞賛し、従事官李邦彦(イパンオン)はその書を残しました。また延享5年(1748年)には正使洪啓禧(ホンケヒ)は客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海(ホンキョンヘ)がその書を残しています。ここが文化交流の場になっていました」との事。「対潮楼」の構造は、単層入母屋造で、桁行約11.8m、梁間約10.9m、屋根は本瓦葺である。「対潮楼」へは、観音堂正面右手から入る。入場料は大人200円。90歳近い住職と、70歳代後半ぐらいの老人が2人で受付している。中に入ると、窓に並行して敷かれている、赤い毛氈(もうせん)の上に座るように言われた。ここから座って見る景色が一番良いとの事。正面には「弁天島」が見える。本日は天候にも恵まれ、その眺めは本当に美しい(写真中左)。朝鮮通信使が、「日東第一形勝」と賞賛したのも分かる。その場を立ち、窓の傍からそとを眺める。ここからの景観も素晴らしい。室内に目を移すと、「日東第一形勝」と彫られた板が掲げられていた(写真中右)。これは、朝鮮通信使が書いたものの写しであるとの事。窓の上に掲げられている「対潮楼」と彫られた板も同じである(写真右)。約30分、景色を楽しんだ後、再び「常夜燈」と「雁木」の見える港に出た。朝方と同じコースを歩き、「常夜燈」に向かう途中、先ほど通り過ぎた「太田家住宅」を訪ねることにした。
福山市 鞆の浦・仙酔島のHP
http://www.tomonoura.co.jp/
福山観光情報のHP
http://www.fukuyama-kanko.com/course/course007.html
鞆鉄道株式会社(トモテツバス)のHP
http://www.tomotetsu.co.jp/tomotetsu/index.html













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