瀬戸蔵ミユージアム(上)
茶の湯ぶらり旅(第38回)
「本館」の鑑賞を終えてから、館外にある「復元古窯(ふくげんこよう)」(写真左)を見に行った。江戸時代(19世紀)の登窯(写真中左・中右 : 横から窯の中を覗く)と瀬戸や美濃で使われていた室町時代(16世紀)の大窯(写真右)が復元されている。これらの窯は単なるレプリカではなく、実際のやきもの作りに使われているという。窯の前に掲げられていた解説によると、「この窯は、瀬戸で使われていた古い窯を復元したもので、伝統的な築窯技術の記録保存も兼ねて作りました。大窯は、室町時代の昔田窯(むかしだよう : 瀬戸市穴田町)、妙土窯(岐阜県笠原町)をもとに推定。登窯は、江戸時代の瀬戸の小窯(古窯 : こがま)を復元しました」との事。
まだ見たいところもあったのだが、午後1:00を過ぎていたので「愛知県陶磁資料館」(写真左)を出て、「瀬戸蔵ミュージアム」(写真右)に行くことにした。資料館とミュージアムの間には公共交通機関がなかったので、ロビーに掲げられていたタクシー会社の電話番号に連絡を取り、本館入り口付近でタクシーが来るのを待った。タクシーは7~8分でやって来た。タクシーに乗ってしばらくは山の中。やがて街中に出るが、地方の街という規模だ。「瀬戸蔵ミュージアム」へは、約30分で到着。料金は2,500円超。もう少し安価で便利な乗り物があれば良いのだが、「愛知県陶磁資料館」のお客の少なさを勘案すると、それを期待するのは無理。地元の人は自家用車で来ているし・・・。
「瀬戸蔵ミュージアム」は、名鉄瀬戸線・尾張瀬戸駅から南東へ徒歩5分なので、ここだけに来るのであれば、それほど不自由はない。ミュージアムは4F建ての立派な建物。この建物は「瀬戸蔵」(写真左)言うらしい。館内に入ると、ロビーと焼き物などを売るお店が並んでいた。「瀬戸蔵セラミックプラザ」だ。ミュージアムは2Fと3Fにある。2Fの受付でチケット(大人1名・500円)を購入して中に入ると、いきなり駅舎だ。”せともの”の大量輸送を期待された瀬戸電(写真中左)と、その玄関口である尾張瀬戸駅(写真中右)、さらに駅に隣接していた集積所を再現した展示である。また左手には、瀬戸焼の最盛期、昭和30年代を象徴する工場(モロ : 写真右)や石炭窯が再現されている(写真下左)。ここには大勢の小学生が居て、ガイドの説明を聴いていた。社会見学なのだろうか。奥に進むと、紐でくくられた”せともの”が山積みされている。懐かしいせともの屋の店先を再現しているのだ(写真下中左)。その先には、「生産道具展示室」(写真下中右・下右)がある。「土をつくる、形をつくる、焼くというやきものづくりの普遍的な工程の中で、瀬戸で使われた新旧の道具」を紹介している。
その向かいは、「特別展示室」(写真左)だ。ここでは、企画展「瀬戸の絵皿」(写真右)が催されていた。江戸後期から明治期にかけて庶民向け食器のヒット商品であった、瀬戸の絵皿の様々なバリエーションを紹介している。以下展示解説に従い、展示内容をご紹介する。
1.瀬戸の絵皿が生まれた時代
江戸時代半ばの18世紀になると、肥前磁器が国内市場への転換を図ったことにより、磁器食器の国内への浸透が急速に進み、瀬戸の陶器生産は伸び悩みの状態に陥っていました。また、「寛政の改革(1783年)」により物価の凍結、地方産品価格の引き下げ、瀬戸物問屋の仕入れ値段の切り下げ通告など、窯屋の経営は一層厳しさを増していきました。こうした状況の中で、瀬戸では窯仲間の強化、ロクロー挺制、一子相続制といった生産者の拡大防止と生産制限という消極的な保護策が実施されました。その一方で肥前磁器や京焼などに刺激を受け、瀬戸の回生策として磁器製造技法の確立や付加価値の高い製品づくりを模索していた時期でもあり、その途上において陶胎染付など絵付けを施した製品が生産され、今回展示した絵皿類も生み出されたと考えられます。19世紀になり、瀬戸では磁器の製造に成功し、瀬戸の陶磁器類が国産物として尾張藩の庇護のもと全国展開が進んでいくことになります。
2.瀬戸の絵皿の文様
瀬戸の絵皿の文様は、草木文、吉祥文、風景、役者絵、判じ絵など様々なモチーフが描かれています。こうしたモチーフはどこから取り入れたのでしょうか。絵皿が登場した江戸時代後期の19世紀初めは化政紀とも言われ、寛政の改革の失敗の反動ともいえる現実的で享楽的な庶民文化が花開き、歌舞伎、川柳、狂歌がもてはやされ、浮世絵や滑稽本、読本、人情本などの出版物の一大ブーム、「おかげ参り」に代表される庶民の旅行が活発になり、江戸を中心とした情報が日本中を駆け巡った時期でもありました。また、当時の着物や浴衣、帯、櫛やかんざし、キセル、煙草入れに根付などの身の回りのもののデザインも絵皿のモチーフと通じていることからも瀬戸の陶工達もこうした流行の情報をキャッチし、庶民が好む絵柄を選んでいったのではないかと考えられます。
3.瀬戸の絵皿のバリエーション
①石皿

皿の縁が鍔(つば)のように突き出た厚手の皿で、この形状は割れにくく、持ち運びが便利という実用を重視したものだと言われています。石皿には見込みに絵が描かれているものがあり、青色の呉須と茶色の鉄系顔料の二色が必ず使用されています。描かれている文様は、柳、菊、桜などの草木文をはじめとして松竹梅、鶴亀、宝珠などの縁起の良いものや言葉遊びの判じ絵など多岐にわたります。
②行燈皿

行燈の台に置き、その燈火から落ちる油を受けたり、油注ぎを置く台として使用される皿で、別名「油皿」とも呼ばれます。この皿には高台が無く、こぼれた油が外に漏れないように皿の縁が立ち上がった形状になっているのが特徴です。行燈皿には、茶系の鉄系顔料で描かれているものが多く、その絵は行燈の灯でほのかに照らし出されることを考え、落ち着いた雰囲気のものが主流となっています。
③馬の目皿

皿の内面に茶色の鉄系顔料で渦巻き文様が数個描かれているもので、この渦巻き文様が「馬の目玉」のように見えることから後にこの名前がついたと言われています。馬の目皿は、一見単調に見えますが、渦巻き文様だけでも千差万別で、その数も3個から10個までと様々です。また、他の絵皿と同様に見込みに絵が描かれているものもあります。
④絵高麗

一般的に言われる絵高麗は中国磁州窯製の白化粧した鉄絵皿などを指しますが、瀬戸ではこの皿のように白化粧した素地に鉄系顔料と瀬戸地方独特の赤楽と呼ばれる顔料を用いて、安南手の獣禽文の絵皿などを真似たものをいいます。高麗手とも呼ばれ、文政5年(1822)に下品野村の加藤定蔵が作りだしたと言われています。
⑤鉄絵皿

今回の展示では、石皿・馬の目皿・行燈皿・絵高麗に属さないものを鉄絵皿としてまとめました。茶色の鉄系顔料で絵が描かれており、絵柄は行燈皿とほぼ同じ題材が用いられています。また、皿の裏面に描かれる独楽(こま)線も絵高麗と共通の形式のものが見られます。
(参考文献)
・「瀬戸蔵―施設のご案内」(瀬戸蔵)
・「瀬戸蔵ミュージアム・展示案内」(瀬戸蔵ミュージアム)
愛知県陶磁資料館のHP
http://www.pref.aichi.jp/touji
瀬戸蔵ミユージアムのHP
http://www.city.seto.aichi.jp/sosiki/setogura/002492.html


















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