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January 31, 2009

観光列車「レザー・ルージユ」

チュニジア一周の旅(第7回)

旅の四日目。この日の行動は、次の通り。

6:15 起床
6:35~8:00 ホテルのレストランで朝食/食後ホテル内散策
8:30 4WDでホテル出発
9:43 「メトラウイ」の駅に到着
9:55 観光列車「レザー・ルージユ」に乗車
11:40 列車出発
12:28~12:30 セルジャ峡谷で写真撮影のため停車
12:40~12:55 終点タベディット駅で先頭車両の入れ替え
13:45 「メトラウイ」の駅に戻る 
13:50 4WDで駅を出発
14:55~15:15 宿泊しているホテルのレストランで昼食
15:20 4WDで再びホテルを出発
15:58~16:25 シェビカ観光・「シェビカの滝」/その後4WDで移動
16:43~16:50 タメルザ峡谷・「グランド・カスケード」/その後4WDで移動
17:07~17:20 ミデス観光・「グランド・キャニオン」/その後4WDでホテルへ
17:30 ホテル到着
17:30~18:45 入浴・資料整理
18:45~19:15 仮眠
19:15~19:45 雷雨・停電
19:45~20:50 ホテルのレストランで夕食
21:20 就寝

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本日は、観光列車「レザー・ルージュ」で「セルジャ峡谷」を見た後、4WDで「シェビカの滝」、タメルザ峡谷の「グランド・カスケード」、ミデスの「グランド・キャニオン」を廻る予定だ。朝目覚めて、部屋の窓から外を見ると、遺跡が広がっていた。どうやらここも、大洪水で流された村の廃墟のようである(写真 : 廃墟の様子)。このホテルの位置は、廃墟のある場所よりもかなり高いところにあるので、もし大雨が降ってもこのホテルは大丈夫であろうと、自分自身に言い聞かせていた。

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朝食はホテルのレストランで取る。ブッフェ形式(写真左)だが、トマトにチーズ、スクランブルエッグにパンぐらいしか置いていない(写真中左)。これらにコーヒーとオレンジジュースを付け、30分ほどで食事を済ませた(写真中右)。私が食事をしている時、昨夜お話しをした女性がやってきたので、軽く挨拶をする。食後、プールサイドを散歩し(写真右)、部屋に戻った。部屋でノンビリしていると、集合時間が近づいたので、ロビーに向かう。

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ホテルのエントランスに出ると、4WDが3台並んで待っていた(写真左 : ホテル入口・写真右 : 4WD)。私は2台目の車に乗る。他のツアーメンバーの男性3人と一緒である。運転手は「デナリ」さん。あまり好きではないのだが、助手席に座らされた。荒れた道を走ると聞いていたので、シッカリとシートベルトを締める。大きめのダウンジャケットを着ていたので、少々窮屈だが仕方がない。4WDは、観光列車「レザー・ルージュ」が出る「メトラウイ」の駅に向けて走り出した。メトラウイは、ホテルのあるタメルザから東に約50kmのところにある。我々はラディエフとムラレスの町を通り抜け、メトラウイに行く。走り出してからしばらくの間、運転手のデナリさんは黙っていたので、隣の助手席に座っていたこともあり、話しかけてみた。

最初フランス語で、「英語は話せますか?」
「少しだけネ」(実は流暢に話せる)
「そうですか」
以後、英語で話す事にした。
「メトラウイの駅まで、どれくらいかかりますか」
「1時間ぐらいかな」
「そうですか。ところで、今日はホテルに宿泊していたのですか」
「いいや。トズールに住んでいるので、朝、そちらから来たんです」
「結構離れていますよネ」
「65kmぐらいだネ。だから朝出ても十分間に合うんだ」
「そうですか。この国の最高時速は何キロですか」
「100km/h」
「概ね、日本と変わらないですネ。この車は、あなたのものですか」
「いいや。会社のだヨ。朝、出勤して、会社の駐車場から皆さんを迎えに来たのさ」
「そうでしたか。ところで、ご家族は?」
「妻と子供が2人」
「お子さんは、男?それとも女?」
「2人とも男だヨ」
「おいくつですか」
すると急に笑顔になり、
「上が2才、下は8カ月。朝、会社に行こうとすると、「パパ行かないで」と言って抱きついて来るんだ。可愛いだろう」
「ええ。羨ましいですネ」
「あなたは何人いるの?」
「いや~。一人もいません。独身なんです」
「僕は38才だけど、あなたはいくつなの?」
「○○才」
「そうか」
「まだまだお子さんを増やす予定ですか」
「いや。これでおしまい」
「どうしてですか」
「これ以上増やすと、生活できなくなるからネ」
「確か6歳から16歳までの学費は無料だと聞いていますが、それでも厳しいですか」
「ああ。無理だネ」
「そうですか。お休みの日には、家族でドライブとかされるのですか」
「いいや。車が無いから出来ないヨ」
「運転のプロだから、当然車を持っているものだと思っていました」
「車は高いので、とても買えない」
「ではバイクですか」
「バイクも高いから持っていないヨ。自転車もネ」
「では家族でお散歩ですネ」
「そう、近くの公園に行ったりしているヨ」
「そういえば、トズールにお住まいでしたよネ」
「ああ」
「私たち、明日、トズールに行き、動植物園を訪ねる予定なんです。面白いところですか?」
「そうだネ。子供達を連れて行くけど、結構楽しいヨ。子供達は大喜びしているヨ」
「サソリや毒蛇など、砂漠の動物が多いと聞きましたが・・・」
「それも多いけど、ライオンやヒョウなどもいるヨ」
など、色々と雑談をしていると、採石場と長いベルトコンベアが見えてきた。

「これは何ですか」
「リン鉱石の採石場。ここで採られたリン鉱石は、ベルトコンベアに乗せられ、この先にあるリン鉱石の精製工場に運ばれているのです」

チュニジアのリン鉱石の採掘量は世界第四位で、そのすべてがこのメトラウイ周辺の山岳地帯から採掘されている。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「1886年、セルジャ近辺でリン鉱石の鉱脈をフランス軍の獣医だったフィリップ・トーマスが発見する。1896年に鉱脈の採掘が始まり、その3年後にメトラウイからスファックスへの鉄道路線が敷設された。1904年と翌年にラディエフとムラレスの路線が開通する(レザーメルージュはこの線路を走っている)。つまりメトラウイの町はリン鉱山の町として発展してきた」との事。だが現在、かつての繁栄は失われているという。

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まもなく「メトラウイ」の駅に到着した。4WDを降りて駅舎に向かう。駅は内外ともに、白とブルーに塗られている(写真左・中左)。本日は曇り空だが、もし晴れていればチュニジアンブルーが生えていたであろう。トイレも同じで、内部にはナブール焼のタイルが貼られている(写真中右)。駅全体は綺麗だか、レトロな雰囲気だ(写真右・下)。

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しばらくすると、列車がホームに入って来た(写真左・中左)。我々はステップを上がり、列車に乗り込んだ。このレザー・ルージュは、かつてのオスマン・トルコ時代の高官のお召列車だった。そのため、客車は一両毎に異なる。最初の客車には赤いビロード張りのイスが置かれている(写真中右)。次の客車には、黒い革張りの長椅子が置かれている(写真右)。続く車両には、バーが併設されている(写真中段左)。そして布張りの椅子が置かれている客車(写真中段中左)。少し安っぽく見える。次は個室の並ぶ客車だ。個室の中は、4人掛けの椅子が向かい合って並んでいる(写真中段中右)。扉や荷台(写真中段右)、照明(写真下段左)もレトロ。通路から見ると、○○エキスプレスと言った雰囲気である(写真下段右)。ツアーメンバーは、主に最初の赤いビロード張りのイスが置かれている客車に座ったようだが、私はこの個室に座ることにした。

当初、午前10:00に列車が出ると聞いていたのだが、線路に不具合が起きたため、約1時間遅れるとの事。仕方ないので、椅子の上で横になり、本を読んでいた。すると、数多くの外国人観光客が乗り込んできた。最初、私のいる個室に入ることをためらっていたのだが、私が「どうぞ」と言うと3組の老夫婦が入って来た。賑やかにお話ししているのだが、何語を話しているのか分からなかったので、問いかけてみた。

「私は日本から来ましたが、皆さんはどちらからいらしたのですか?」
すると一人の男性が
「デンマークから来ました。あなたが日本人であることはすぐに分かりましたヨ」
「そうですか。6人でご旅行ですか」
「いいえ、全部で21人です」
「どのくらいの期間、旅されるのですか」
「約4週間です。チュニジアを一周します。こちらは暖かいですしネ」
「そうですか。私も10名の団体に参加しており、チュニジアを一周しますが、たった10日間の予定です」
など雑談していたのだが、なかなか列車は走りださない。外は雨が降り始めたこともあり、部屋の窓ガラスは曇り始めた。結局、1時間半以上待たされ、ようやく列車は動き始めた。

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走り出してしばらくは街並みが続いたが、その後は礫砂漠。そして山岳地帯に入ると、切り立った断崖が続く。橋やトンネル、川に峡谷、雄大かつ自然の美しさを感じさせてくれると共に、日本では見たこともない景色に圧倒され、不思議な感覚になる(写真)。私は席を離れ、列車内を前に行ったり、後ろに行ったりしたのだが、いつの間にか満席になっていた。他の日本人ツアー客も乗っていた。また日本人と間違えてしまったのだが、韓国人のツアーの方もいた。先ほどのデンマーク人のグループの仲間の方も、どこかに居るのであろう。

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列車が走りだしてから4~50分たったころ、3つのトンネルが続き、それを抜けると停車した。ここで列車を降りて、写真撮影できるのだ。外に出ると、峡谷の雄大さに驚かされる。写真タイムはほんの2~3分だったが、素晴らしい景色をカメラに収めることが出来た(写真 上段)。再び列車は走り出し、5つのトンネルを抜けると、列車は停車した。ここが折り返し地点になる、リン鉱石の工場のある「セルジャ」だ(写真下左・下中左)。ここで動力車輌が、最後尾に付け替えられた(写真下中右・下右)。今度は最後尾の客車が先頭の客車になる。15分ほどで車両の入れ替え作業は終わり、今度はメトラウイに向けて走り出した。

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メトラウイに戻る列車は、早く感じた。来る時と同じコースだから早く走っているように思うのか、それとも出発までに1時間半以上待たされたからであろうか。メトラウイの駅に近づくと、子供達の歩く姿が目立つようになった(写真左)。学校が終わって、自宅に戻るところなのだろうか。午後1時半過ぎなので、今日の授業は午前中で終わったのか。子供達が手を振るので、こちらも手を振り返した。まもなくメトラウイの駅に到着した(写真中左)。大勢の客が列車から降りてくる(写真中右・右)。駆け出す女性たちが大勢いたので、その行き先を見るとトイレであった。すぐに行列が出来ていた。添乗員のアドバイスで、列車が到着するまでに車内でトイレを済ませていたのは正解である。我々はすぐに迎えに来ていた4WDに乗り、昼食のため宿泊していたホテルのレストランに向かった。列車の出発が遅れたため、すでに13:50分である。午後の観光は忙しくなりそうだ。

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ホテルには、朝来た道を戻る。再びリン鉱石の精製工場や採掘場、ベルトコンベアの側を走る(写真)。列車から見た子供達のことが気になったので、運転手のデナリさんに質問した。

「先ほど列車から見ていたら、大勢の子供達が歩いていましたが、今日の授業は午前中で終わりなのですか」
「いいや。これから学校に行くところだヨ」
「へぇ~」
「授業は午前8時に始まって12時に終わり、昼食を食べるため家に帰る。午後は2時から授業が始まり、午後4時に終了するんだヨ」
「そうだったのですか。給食やお弁当ではないのですネ」
「日本では家に帰らないの?」
「ええ」

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雑談をしているうちに、ホテルに到着。レザー・ルージユもそうだったが、帰りは早いように思えるのは気のせいだろうか。小雨が降るなか4WDを降りて、ホテルのレストラン「タメルザ・テラス」にかけ込んだ(写真左 : レストランの入口・写真右 : レストラン内部)。

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昼食のメニューは次の通り。
・サラダ(写真左)
・ケルクナ[チキン](写真中)
・ナツメヤシのムース(写真右)

我々が席に着いてしばらくすると、レザー・ルージュで一緒だった別の日本人の団体が入って来た。彼らはこのホテルには宿泊していないので、昼食だけのようだ。あまり時間が無かったので、我々は早めに昼食を終え、午後の観光に出かけた。

WIKIPEDIA(Lezard rouge)のHP
http://fr.wikipedia.org/wiki/L%C3%A9zard_rouge
Le Train Lezard RoureのHP
http://www.lezard-rouge.info/

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 30, 2009

チュニジアの紙幣(その1)

チャニジア一周の旅(番外編1-チュニジアの紙幣)
貨幣ぶらり旅(第147回)

今回は「チャニジア一周の旅(番外編)」として、チュニジアの現行紙幣についてお話しする。旅行ガイドブックによると、チュニジアで流通している紙幣は、5ディナール、10ディナールと20ディナール、30ディナールの4種類。しかし私がチュニジアを旅していてよく見かけた紙幣は、10ディナール(3種類)、20ディナール、30ディナールの計5種類で、5ディナールはコインしか見られなかった。今回は、銀行の窓口でお願いして、漸く手にすることが出来た「5ディナール紙幣」をご紹介する。

(表面)
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左側 : 第二次ポエニ戦争で活躍したカルタゴの英雄「ハンニバル将軍」の肖像と、オリーブの葉が描かれている。ご存知の通り「ハンニバル将軍」は、5万の兵と37頭の象を率い、アルプスを越えてローマに迫るという活躍を見せた。最後はザマの戦いで、スキピオの率いるローマ軍に敗れたが、歴史上で最も偉大な戦術家の一人として高く評価されている。

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右側 : 当時のカルタゴの軍港のデザイン。南側に細長い形の商業港、そしてそれと繋がる北側には円形の軍港、これらが古代カルタゴの繁栄を支えた二つの港だ(写真左)。この紙幣には、その軍港が描かれている。直径300m、220隻の船を係留することが出来、屋根も付いていた(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(ハンニバル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%AB

(裏面)
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中央に、1987と7の数字を取り入れた帆船が描かれている。チュニジアの街を歩いていると、必ずと言っていいほど「ハビブ・ブルギバ通り」や「11月7日通り」に出会う。ご存知の通りハビブ・ブルギバは、第二次世界大戦後チュニジアがフランスから独立した時の初代大統領である。その後を受け継いだのが二代目である現大統領ベン・アリ。このベン・アリの大統領就任の日が、1987年11月7日なのである。1987と7の数字は、ベン・アリ現大統領の就任した年・日を象徴しているのだ。

冒頭でふれたように、「5ディナール紙幣」は市中に出回っておらず、現在は「5ディナールコイン」が主流になっているようだ。我が国でも昭和57年に5百円硬貨が発行され、5百円紙幣(岩倉具視の肖像)にとって代わり始めた時期があった。この後半期には、主に流通しているのはコインで、紙幣を見ることはほとんど無かった。現在の「5ディナール紙幣」は、丁度この頃と同じような扱いになっているのであろう。


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January 29, 2009

スベイトラからタメルザへ

チュニジア一周の旅(第6回)

ケロアンからバスで約1時間半、スベイトラの街に到着した。「チュニジア一周の旅(準備編その4)」でお話ししたように、当時のビザンチン帝国のチュニジアの責任者であるグレゴリーがこの街を築いて首都としたが、その数ヶ月後にアラブ兵の襲撃を受けて侵略された。そのためスベイトラの遺跡は、チュニジアに残る一番新しいローマの遺跡と言われている。

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我々は遺跡見学の前に、遺跡から数百メートル北に位置する、「ホテル・スフェトゥラ」のレストランで昼食である。ホテルに行くには遺跡を通り越すので、バスの窓からは「凱旋門」(写真左)や「神殿群」(写真中左)が見えた。ホテルに到着後、食事が出てくるまでの間、ホテルの中を見て廻った。テラスの向こうにはプール(写真中右)があり、そこから「スベイトラ」の遺跡(写真右)が綺麗に見える。ホテルのフロントに行くと、全日本国民的美少女コンテストでグランプリを獲得した頃の「小田茜」に似た可愛い感じの女性いたので話しかけてみた。

フロントに居るのだから当然だろうと思いながら、
「ホテルのスタッフの方ですか」
「そうです」
「ここからはスベイトラの遺跡がよく見えますネ」
「ええ」
「私は日本から来た○○と言います。よろしく」(このフレーズだけアラビア語で話す)
「よくいらっしゃいました。アラビア語を話されるのですか」
「今、話した程度しか話せません」
「そうなんですか」
「失礼ですがお名前は?」
名札を指しながら「○○です」
「ところで、よろしければ・・・、私と一緒に写真をお願いしたいのですが」
「いいですヨ」

こちらの女性で、一緒に写真を撮りたいとお願いし、OKをもらえたのは、彼女が初めてである。ガイドのアデルが近くにいたのでシャッターを押してもらう。ちなみに、アデルに写真を取ってほしいとお願いした時、彼女の了解を得ているのかをしつこく尋ねられた。観光を始める前、警察官と政府関係施設、そして女性、特に若い女性の写真は撮ってはいけないと言われていたからである。もちろん了解を得ていたので、問題はない。その後、日本についての彼女の質問に答えるなど少しお話しして、私はレストランに戻った。

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昼食のメニューは次の通り。
・ツナサラダ(写真左)
・カムニーヤ(牛肉煮込み : 写真中)
・オレンジとバナナプリン(写真右)

ウィキペディア・フリー百科事典(小田茜)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E8%8C%9C

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食後、バスでスベイトラ遺跡まで移動。近くだったので3分ほどで遺跡に到着した。駐車場でバスを降り、チケット売り場やカフェ、土産物店の入る建物を通り抜け、幹線道路を渡った東側に遺跡の入り口がある。中に入ると遺跡群が広がる。50ヘクタールにも及ぶこの地に、最盛期には1万人以上の人が住んでいたという。我々はガイドに連れられ、「ビザンチン要塞」(写真左)→「大浴場」(写真中左)→「劇場」(写真中右)→「セルブス教会」(写真右)→「アントニウス・ピウスの門」(写真中段左)→「フォーラム」(写真中段中左)→「神殿群」(写真中段中右)→「ビタリス聖堂」(写真中段右 : 洗礼水盤)→「ジュクンダス礼拝堂」(写真下段左)→「ベラトール聖堂」(写真下段中左)→「オリーブ圧搾台の跡」(写真下段中右・同右)などを見学して廻った。これらの中から3か所をご案内する。

① 「フォーラムと神殿群」
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「アントニウス・ピウスの門」を潜ると「フォーラム(公共広場)」があり、その先には3つの神殿がそびえ立つ。左から順に、「ミネルバ」(知恵と工芸の女神 : 写真左)、「ジュピター」(天空の神 : 写真中)、「ジュノ」(家庭の女神 : 写真右)が祀られていたという。「ビザンチン時代、フォーラムの周囲は壁(要塞)で強化されたが、神殿群はその壁の一部として使われた」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)ようである。なお、ローマ神話の神々については、「チュニジア一周の旅(第4回)・ドゥッガ遺跡観光」を御参照願いたい。

神殿群の写真を撮っていると、「ジュノ」を祀っていた右端の神殿に、数人の若い男女がいたので話しかけてみた。
「何してるの」
「研究です」
「へぇ~。何の研究なの」
「建築です」
「大学生なの」
「そうです」
「何年生」
「2年です」
「専攻は」
「古代建築です」
「勉強になる」
「ええ。ローマ時代の構造物が綺麗に保存されているので、役に立ちます」
「僕は日本から来たんだけれど、君たちはどこから来たの」
「私たちはチュニジアです。ここから60kmほど離れたところにある大学から来ました」
「ギリシャやイタリアの遺跡などにも行ったことがあるの」
「いいえ。チュニジアの遺跡には行きましたが」
「昨日、ドゥッガの遺跡に行って来たヨ。これから他の遺跡にも行く予定なんだ」
「どちらを廻るのですか」
「え~と、チャニスから始まって、ドゥッガ、ケロアン、タメルザ、マトマタ、スファックス、スース・・・・、それにもちろんカルタゴにも行く予定」
「何日間の旅ですか」
「全部で11日間。でも実際に観光しているのは8~9日間かな」
「そうですか」
「ところで、写真を撮らせてもらえる」
「いいですヨ」
学生たちの写真を撮った後、
「一緒の写真を撮りましょうか」
「ありがとう。ではお願いします」
両手に花の状態で、写真を撮影してもらう。出来上がった写真を見ると、私の鼻の下が10cmほど伸びていた?

「ありがとう。ツアーの人たちが行ってしまったので、私も行かなければならないので。それでは頑張って研究してネ」
「ええ。よい旅を!」

眼がキラキラと輝き、希望にあふれる純粋な気持ちの若者に出会ったような気がした。男性3名、女性3名なので、カップルかとも思ったが、そうでもなさそう。う~ん、でも分からない。

② 「大浴場」
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現在はその原型をとどめていないが、2世紀ごろに完成し、4世紀頃に修復されたという。正面左手が夏用(写真左)で、右手は冬用(写真中)であったようだ。何箇所か、床に残るモザイクはオリジナル(写真右 : 風呂の下部分)。

③ 「ベラトール聖堂とジュクンダス礼拝堂」
「ベラトール聖堂は、4世紀初頭の建立。ローマ時代以前にあった宗教的建造物を土台に建てられた。隣にはジュクンダス礼拝堂と呼ばれるチャペルがあるが、これは5世紀まで洗礼堂として機能していた。後にバンダル人に処刑されたカトリックの司教ジュクンダスへ敬意を表し、チャペルに転用されたようだ」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。

LOOKLEX Tunisia(スベイトラ)のHP
http://looklex.com/tunisia/sbeitla.htm

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約1時間、スベイトラの遺跡を見学した後、本日宿泊する「タメルザ・パレス」に向かった。「チュニジア一周の旅(準備編その4)」でお話ししたように、タメルザはスベイトラから南西に約180km、アルジェリアとの国境に近い山岳オアシスに位置する。途中、チュニジアの北と南を分ける丁度中間に位置する町、「ガフサ」で休憩を取る。休憩場所に選んだのは、ガフサ唯一の五つ星リゾートホテル「ガフサ・パラス」(写真左)の隣に建つレストラン「Restaurant ORBATA」(写真中)だ。この町は、ローマ時代には「カプサ」と呼ばれ、かなり重要な町として栄えていたという。見どころは「ローマ時代のプール」(写真右 : LOOKLEX Tunisia(ガフサ・ローマ時代のプール)のHPより)。プールは天然の湧水で満たされているのだが、水温は30℃ぐらいようなので、温水プールと言ったところか。

ガフサ・パラスのHP
http://www.gafsapalace.com
LOOKLEX Tunisia(ガフサ・ローマ時代のプール)のHP
http://looklex.com/tunisia/gafsa01.htm

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休憩の後、再びタメルザに向け、バスは走りだした。1時間ほどで「ムラレス」の町に入った。この辺りには、リン鉱石の鉱脈が眠っている。明日、観光列車「レザー・ルージュ」で走る予定のセルジャ峡谷周辺も同じだ。ここから、乾燥した土や石ころの砂漠の中(写真左・中)を3~40分走ると、ホテルに到着した(写真右)。何もない砂漠の中、突然ホテルが現れる。よくこんな所にホテルを造ったものである。チュニジアでも高級な部類に属する4つ星ホテルなのだが、水やお湯などはキッチリと出てくれるのだろうかなど、色々と考えさせられた。しかしホテルに足を踏み入れると、立派な内装だったので、少し不安は解消された。添乗員がチェックインの手続きをしている間、我々にはウェルカムドリンクが出された。ミントティーだ。これまでのものとは異なり、ミントの葉が入っているので、更に良い香りがする。

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部屋は「505号室」。フロントから階段を下りて一旦プールサイドに出る(写真左)。そこから再び階段を降りると通路があり、その奥に部屋が並ぶ。私の部屋は通路の一番奥だ。チュニジア独特のデザインの扉(写真中左)。部屋に入ると、白い壁に赤を基調としたベッド(写真中右・右 : 部屋の様子)。ゴージャスな部屋ではないが、落ち着いた雰囲気である。当然なのだろうが、水も澄んでおり、お湯も出る。先ほどの懸念は、取り越し苦労であった。その後、入浴、資料整理を済ませ、30分ほど仮眠する。そして食事だ。再びプールサイドを通ってフロントヘ。その横奥にレストランがあるのだ。

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夕食のメニューは次の通り。
・野菜スープ(写真左)
・ファティマの指(写真中左)
・ローストビーフとライス(写真中右)
・レモン・タルト(写真右)

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夕食を終え、部屋に戻ろうとプールサイドを歩いていると、突然声をかけられた。

「日本人の方ですか」
振り向くと、小柄で可愛い感じの若い女性であった。

「ええ」
「お一人ですか」
「いいえ、ツアーに参加しています」
「では、ご旅行ですか」
「そうです。あなたは」
「私も同じです」
「お一人ですか」
「はい。○○○○(アフリカの国)から日本に戻る途中に立ち寄りました」
「○○○○? 観光ですか」
「いいえ。ジャイカで派遣されていました」
「そうなんですか。で、ご専門は?」
「卓球です」
「卓球? 卓球を指導していたのですか」
「はい。子供達に卓球を教えていました」
「そのようなスポーツの指導もジャイカにあるんですネ。何かの技術だけだと思っていました。何年いらしたのですか」
「2年です」
「どんなところなのですか。何もないのでは・・・」
「皆さんそうおっしゃいますし、私自身もそのように思っていたのですが、実は予想以上に都会なんですヨ。ビルも建っていますし」
「そうですか。それは失礼なことを聞いてしまいました」
「でも、最初は英語も出来ず、本当は不安でいっぱいだったんです。でも、今は言葉が出来なくても何とかなるので、どこに行っても平気になりました」
「それは逞しい。ところで、これから日本に戻って何をするつもりなんですか」
「介護士になりたいので、大学に行くつもりです」
「そうですか」
「日本では重労働の割に賃金が安いという問題もあり、介護士になる人が減っているので、貴重な人材ですネ」
「ありがとうございます」
「失礼ですが、言葉に訛りがあるようなのですが、どちらのご出身ですか」
「○○県です。よく他の人にも言われるんですよ」
「今日はどちらか観光に行かれましたか」
「ええ。レザー・ルージュに乗ってきました」
「私たちは、明日乗る予定です。見晴らしはどうでしたか」
「お天気もまずまずで、良かったですヨ」
「そうですか。お引き留めしてしまってごめんなさい」
「いいえ、久しぶりに日本人の方にお会い出来て、嬉しかったです」
「それでは日本でのご活躍を、頑張ってください。おやすみなさい」
「ありがとうございます。おやすみなさい」

アフリカの一国で、国際貢献してきた女性であった。まだ20歳ぐらい。彼女はこの経験を、今後どのように生かしていくのだろうか。楽しみである。

JICA-国際協力機構のHP
http://www.jica.go.jp/

彼女と別れて部屋に戻る。入浴も資料整理も済んでいたので、歯磨きだけ行い、すぐにベッドに入った。

タメルザ・パラス
http://www.tamerza-palace.com

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 28, 2009

ケロアン(カイラワン)遺跡観光

チュニジア一周の旅(第5回)

旅の三日目。この日の行動は、次の通り。

5:45 起床
6:00~6:30 ホテルのレストランで朝食
6:35~7:45 ケロアンのメディナ散策・「ビル・バルータ」訪問
8:05 ホテルからバスで「アグラブ朝の貯水池」へ移動
8:10~8:30 「アグラブ朝の貯水池」/その後バスで移動
8:40~9:00 「グランド・モスク」/その後バスで移動
9:05~9:25 「シディ・サハブ霊廟」/その後バスで移動
9:30~9:59 休憩を兼ね、絨毯の店「TIPIS CHERIF」を訪れる
10:05~10:30 メディナ散策・「ガリアーニ霊廟」訪問
10:35 メディナ「ショハダ門」側、「マルティール広場」前からバス乗車
12:10~12:55 ホテル・スベイトラで昼食/その後バスで移動
13:05~14:10 「スベイトラ(スフェトゥラ)遺跡」見学/その後バスで移動
15:35~15:54  ガフサの街にある、レストラン「ORBATA」で休憩/その後再びバス移動
17:20 タメルザのホテルに到着
17:45 入室
17:45~19:00 入浴・資料整理
19:00~19:28仮眠
19:30~20:45 ホテルのレストランで夕食
21:00 部屋に戻る
21:15 ベッドへ


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本日の午前中はケロアン観光の予定だが、「アグラブ朝の貯水池」や「グランド・モスク」、「シディ・サハブ霊廟」を訪ねる計画なので、メディナ散策にどの程度の時間が取れるのか分からなかったため、外の暗いうちからメディナ散策に出かけることにした。ホテルを出て南西方向、城壁沿いを歩く。人影は少ない。「チュニス広場」まで来ると、少し人は増え始めた(写真左)。「チュニス門」からメディナに入る(写真中左)。11月7日通りを南東に真っ直ぐ歩く。この通りは「ショハダ門」のある「マルティール広場」に通じている。ここはメイン通りだが、まだ開店準備を始めたばかりの店が数件見られる程度だ(写真中右)。とはいうものの、日本の商店街に比べれば、早くから準備をしている方である。通りの真ん中あたりまで来たところを左に曲がり、1~20mほど進むと「ビル・バルータ」がある(写真右)。小さな看板(写真下)が出ていたので間違いはないのだろうが、建物の中に入るのは少々不安である。向かいには飲食店がある。朝食を取っているのだろうか、多くの男たちで賑わっている。彼らに尋ねてみようとも思ったが、看板を信じて建物に入り、階段を上った。2Fに上がると、カフェの準備をしているおじさんが一人いたので、話しかけてみた。

「ここはビル・バルータですか」
「そうだヨ」
「井戸はどこにありますか」
「あなたの右手にあるヨ」
「この暗い部屋ですか」
「うん」
「見学させてもらってもいいですか」
「どうぞ」
「写真は撮ってもいいですか」
「いいヨ」

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ラクダはいないが、ガイドブックに載っていた場所である。暗かったので、ストロボを使って十数枚写真を撮り、帰ろうとしていたところ、別の男性が現れ、私に話しかけてきた。

「電気を点けるから、少し待っていて」
「はあ」
部屋全体が明るくなる。
「この木を押して回ると、水車が回転し、水が汲みあげられるんだ」
「へぇ~」
「回すから、見ててごらん」
と言いながら、木の棒を押し始める。すると水車が回り、水の流れる音がし始めた(写真左)。
「井戸の中を見てみるかい」
「ええ」
水車の横の蓋を開け、井戸の中をのぞかせてくれる(写真中)。
「深さは2mほどある。水車に付けられた幾つもの壺に水が入り、それに入って上がって来て、そこに入っていた水を別のカップで受けるんだ」
「水車に付いているのは、こんな小さな壺なんだ。ナブール焼ですか?」(写真右)
「そうだヨ」

ホテルに戻らなければならない時間が迫ってきたので、写真を数枚撮り、帰ろうとすると、入口から続く階段を指差し、再び話しかけてきた。

「ラクダは毎日、この階段を上って来るんだ」
先ほど彼が手で押して見せてくれた水汲みだが、もう少しするとラクダがやって来て、ラクダが木の棒を回すらしい。
「毎日同じラクダが来るのですか」
「いいや。一日交替で来るのだヨ」
「そうですか」

すると、彼は部屋の隅に置かれていた皿を指差し、

「ラクダに餌代を置いて行ってくれないか?」
チップかと思い、1ディナール入れてあげると、次は彼が自分自身を指差し、
「私にも」

彼にも1ディナールを渡し、
「ありがとう。ではホテルに戻る時間が迫っているので、帰るネ」

少し物足りなさそうな顔をしながら、
「お茶を飲んでいかないか」
「時間が無いから。さようなら」
「そうか」

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ここを訪れる時間は無いと思っていたので、ラクダはいなかったが、十分に楽しむことが出来た。ここはバロウタの井戸と呼ばれ、7世紀に掘られた井戸である。1676年に、モハメド・ベイがこの井戸を囲むようにこの建物を建てた。モスクのような外観を有する。先程ご紹介したように、本来であれば2Fの井戸のある場所にラクダがいるのだが、朝早かったので、まだ出勤時間ではなかったようだ。この水をくみ上げる技術は、アンダルシア人が伝えたもので、3世紀にわたって使われているという。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「この井戸はメッカへ通じているという伝説があり、水を飲むと御利益がある」との事。私はお腹を壊してはいけないので飲まなかったが、飲むとどのような御利益があるのだろうか。「ビル・バルータ」を出た後、時間が無かったので「ショハダ門」のある「マルティール広場」まで歩き(写真)、急いで11月7日通りを引き返してホテルに戻った。

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午前中の観光は、「アグラブ朝の貯水池」から始まった。ホテルから北西方向にバスで5分(写真左 : 貯水池入口)。建物の3Fから「貯水池」を見る。全部で3つ(写真中)見えるが、うち一つだけがオリジナル(写真右)。もちろん修復されているが、現在も使われている。残りの二つは、後から作り直したもの。こちらも現役だ。「水はケロアンの西36kmにある丘の上から水道によって運ばれ、最初に小型の上水用貯水池へ、そこから直径128m、深さ5m、容積5万㎥の大型貯水池に流れていく仕組みだった」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。どのように配置されていたかは分からなかった。

TTC TUNISIAN TRAVEL CLUB(アグラブ朝の貯水池)のHP
http://www.tunisiantravelclub.com/site/info_villes.php

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続いて訪れたのは「グランド・モスク」だ。「チュニジア一周の旅(準備編その3)」で見たとおり、アフリカ最古のグランド・モスクである。入口の門を入ると、一面に大理石が敷き詰められた中庭(写真左)、そしてその周りには約500本の柱の回廊(写真中左)。中庭の石畳は、中央の溝に向かって傾斜している(写真中右)。溝の下には貯水槽があるのだ。モスクに降った雨水がすべて溝に集まり、蓄えられていく仕組みになっている。近くには井戸がある。貯水槽に溜まった水を汲み上げるのに使う。何世紀にもわたり、何百万人もの巡礼者が使っているうちに、石の囲いに釣瓶の紐の跡が深く刻まれていたのが印象的であった(写真右)。また反対側には階段の付いた白い三角形のモニュメントのようなものがある。これは日時計で、アザーンを流す時を告げるのに使われたという(写真下左)。回廊の柱は、ローマ遺跡から流用されたもの。色々な様式の柱を見ることが出来る。イスラム教徒ではない我々は、これ以上中に入ることはできないが、外からミフラーブ(メッカの方向を示す壁のくぼみ)を見ることは出来る(写真下中)。「アグラブ朝はアッバース朝から独立を許されたのだが、その証拠としてミフラーブにはバグダッドより贈られたタイル画がある」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)との事であったが、ガイドの話によると、ここで見られるのはレプリカで、本物は博物館にあると言っていた(写真下右)。

グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)
http://tunez2.blogspot.com/2007/06/kairouan.html

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「グランド・モスク」の次に訪れたのは、「シディ・サハブ霊廟」である(写真左)。「チュニジア一周の旅(準備編その3)」でお話ししたように、ムハンマドの同志で聖者、アブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っており、マグレブ(チュニジア、アルジェリア、モロッコを含む北アフリカの総称)で最も美しい霊廟と言われている。また彼が預言者ムハンマドの髭と共に埋葬されたため、「床屋のモスク」とも呼ばれている。ここが「グランド・モスク」と異なるのは、モスクがあるだけでなく、聖人が眠っているうえ、「メデルッサ」(イスラムの高等教育施設・学校)もあるところだ。中に入ると、ナブール焼のタイルにアラベスク文様などが非常に美しい(写真中左)。刺繍のように細やかな装飾は、スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿にも劣らない素晴らしさだ(写真中右)。部屋の途中には庭らしきスペースがある。天国にはこのような庭があるので、それをイメージしているという(写真右)。宇治の平等院などが極楽浄土をイメージしていたのに近い考え方であろうか。非常に興味深い。

シディ・サハブ霊廟
http://lexicorient.com/tunisia/kairouan12.htm

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「シディ・サハブ霊廟」の見学を終えた後、休憩を兼ねて、近くにあった絨毯店を訪ねることになった。店の名前は「TAPIS CHERIF」(写真左)。絨毯を織っている様子を見せてくれるのだが、絨毯の販売がメインである。入口を入ると、2人の年配女性がデモンストレーションをしてくれた。奥の女性は「アラビツクスタイル」(写真中左)で、手前の女性は「ベルベルスタイル」で織っている。普通は表側から織るのだが、手前の女性は裏側から織っていた(写真中右)。ここの絨毯は毛織のものがメインとの事。しばらく女性達が絨毯を織るのを見学した後、奥の部屋に連れて行かれた。部屋の周りに並ぶ椅子に座る。すぐにミントティーが出された。すると、「アリジーム」と名乗る男が現れ、絨毯の解説を始めた(写真右)。見る見るうちに、床は絨毯で敷き詰められていった(写真下左)。私はトルコでカイセリ産の絹の絨毯を買って以来、まったく買うつもりはなかったので、部屋を抜け出し、店に並ぶ商品を眺めていた(写真下右)。すると、別の男性が追いかけて来て、他の商品を薦めはじめた。しかし、まったく買うつもりは無かったのでお断りすると、予想外にすんなり引き下がってくれた。添乗員から、エジプトやモロッコに比べ、かなりアッサリしていると聞いていたが、本当にそのとおりであった。

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絨毯を買う方がいたので、予想外に長い休憩となったが、皆さん揃ったところで「メディナ」に向かった。バスが着いたのは、私が朝訪れた「チュニス広場」である(写真左)。あのひっそりしていた広場が、今では人と車で大混雑。凄い活気だ。バスを降りて、「チュニス門」を潜ると(写真右)、11月7日通りはお店で狭くなっている。行きかう人とぶつからないように注意しなければならない。通りの反対側にある「マルティール広場」の近くまで来た時、10分程の自由時間となった。絨毯店で時間を使い過ぎたためか、短い自由時間になってしまった。朝方、「ビル・バルータ」を訪ねていたのは正解である。皆さんは買い物のようだが、私は「マルティール広場」から北へ2~30m程の所に建つ「ガリアーニ霊廟」を訪れることにした。「ここは、イスラム教徒でなくても内部に入れる貴重な場所」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)だけに、是非とも行ってみたい所なのだ。

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地図を見ながら歩いていると、一人の男性が声をかけてきた。チップ狙いかと思いつつ、返事をした。

「ガリアーニ霊廟に行くのですか」
「ええ」
「ではご案内しましょう」
「はあ」
明らかにチップ狙いである。
「すぐそこにありますヨ」
「そうですか」
「ここが入口です。近いでしょ」
「ええ」
「中をご案内します」
「ありがとう」
仕方がないが、付き合うことにした。
「ここが中庭。モスクにはここから入ります(写真左)。これはミフラーブです(写真中左)」

そしてガラスケースに入った棺を指差しながら
「これがハフシド朝皇帝ムーレイ・ハッサンの眠る棺です」(写真中右)
「写真を撮っても良いのでしょうか」
「大丈夫です」

美しいタイル画(写真右)などの写真を数枚撮リ終えると、彼の手が私の前に差し出された。
来た! チップだと思っていると、
「いくらでも結構です」
「わかりました」

いつもお金は6か所ぐらいに分けて入れているのだが、その一つに手を入れてコインを取り出すと、0.5ディナールだったので、それをそのまま渡すと、まだ私のポケットの方を見ている。仕方ないのでもう一枚取り出すと、0.1ディナールだったのでそれを渡そうとすると、
「もう少し」
と言うので、0.1ディナールを渡さずに
「もう帰る」と言って歩きだすと、急にニコヤカになり、握手をして彼はモスクを出て行ってしまった。

私が地図を持って歩いていたから声をかけられたのだろうが、無料で入れる霊廟まで案内して小遣い稼ぎ(もしかしたら生計をたてているのかも)をしているのは明らかだ。目くじらを立てるような金額ではないのだが、お金に関しては現地の感覚に馴染めない。

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「ガリアーニ霊廟」の次に「3つの扉のモスク」に行こうと思ったのだが、段々と道が細くなってきたうえ、城壁に青い窓枠の家が続いており、迷路に迷い込むような感じがしたので、約束の時間までに戻れなくなってはいけないと思い、ここを訪ねるのは断念した。その後、集合場所である「マルティール広場」に戻り、バスで次の目的地である「スベイトラ」に向かった(写真 : すべてメディナに出ていたお店)。


ケロアン観光案内
http://wwwtourismtunisia.com/togo/kairouan/kairouan.html

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 26, 2009

ドゥッガ遺跡観光

チュニジア一周の旅(第4回)

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「バルドー博物館」の後は昼食である。チュニスから北東方向に向かう。左手にはチュニス湖(写真左)、右手には地中海(写真中左)が見え、道路はTGM(郊外鉄道)と並行して走る。30分ほどでレストランに到着した。店の名前は「VICTOIRE」(写真中右)。白い壁にブルーの窓と、チュニジアらしい建物である(写真右)。

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昼食のメニューは次の通り。

・サラダ(写真左)
・メイン・シーフードのトマト煮込み(写真中左)
・デザート・プリン(写真中右)
・ミントティー(写真右)

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食事の間、雨が降っていたのだが、我々が食事を終える頃には小雨になっていた。昼食後、来た道を戻り、「ドゥッガ」に向かった。約2時間半でドゥッガに到着。「チュニジア一周の旅(準備編その2)」でお話ししたとおり、ドゥッガはチュニスから南西へ105km、標高600mの丘の上に位置する。ローマ時代の都市遺跡が有名で、アフリカのローマ遺跡の中では、規模、保存状態とも最も良い遺跡の一つだ。城壁のような岩の横を通り過ぎると、チケット売り場(写真左)がある。そこから5~60mほど進むと駐車場があり、目の前には「劇場」が広がっていた(写真右)。

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「劇場」の大きさと美しさに魅かれたためであろうか、私は全員が揃うまで待てず、いつの間にか吸い込まれるように「劇場」の中にいた。遺跡では、「劇場」から始まり、「風の広場」→「キャピトル」→「フォルム」(写真左)→「住居跡」(写真中)→「リキニアの浴場」→「公共トイレ」(写真右)→「トリフォリウムの家」などを訪れた。今回は、この中から5か所についてご案内する。

① 「劇場」(写真左)
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オリジナルはドゥッガの指導者の一族のひとり、マルクス・クアドルトゥスによって建てられた。観客席は山の斜面を利用して造られており、観客席に対面する柱の前に舞台がある(写真中左)。ご存知の通り、この舞台があるのがギリシャ時代の劇場と異なる点だ。舞台の中心部で手を叩くと、劇場全体に響く。舞台下の左右には、観客の出入りする通路がみられる(写真中右)。ガイドブックなどによると、観客席は19段あると書かれているが、実際に数えてみると25段くらいありそうである(写真右)。どれが観客席で、どれが通路か分からないからなのだろうが。観客席の高さは15m、そこからの見晴らしは間違いなく良い(写真下左・写真下右 : 「劇場」の北側)。天候に恵まれたおかげで、青空を背景に綺麗な写真を撮ることも出来た。

② 「風の広場」
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「劇場」から南西方向に石畳の道を下って行くと、「風の広場」(写真左)がある。広場に行く途中、道路の脇を見ると排水溝へ通じる横穴が(写真中左)、また道路の下には空洞が見られた(写真中右)。下水道が整えられていた様子がうかがえる。一方、路面には馬車の轍が残っていた(写真右)。この道はメイン通りで、馬車が行きかっていたのであろう。100mほどで広場に到着。「風の広場」と呼ばれているのは、この広場の西寄りにある舗席に12種類の風の名前が彫られたからとの事(写真下左 : アフリカの風)。「広場の北端には、180~190年に建てられたマーキュリー神殿、東には2世紀のアウグスタン・ピエティ神殿、南側にはマーケットがそれぞれ面している」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事だったが、良く分からなかった(写真下右 : マーケット跡)。

③ 「キャピトル」
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「チュニジア一周の旅(準備編その2)」で見たとおり、神殿(写真左)には「ミネルバ」(知恵と工芸の女神、「ユピテル」(ジュピター・天空の神)、「ユノー」(ジュノ・家庭の女神)の3神が祀られ、マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの2人に捧げられたという。柱廊玄関は高さ8mあり、それを支えるのはコリント式の円柱だ(写真中)。内部の壁にある3つの壁がんのうち、中央には高さ約6mのジュピター像があったとの事(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(ローマ神話)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%A5%9E%E8%A9%B1
ウィキペディア・フリー百科事典(ミネルバ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A1
ウィキペディア・フリー百科事典(ジュピター)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%94%E3%83%86%E3%83%AB
ウィキペディア・フリー百科事典(ジュノ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC

④ 「リキニアの浴場」
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「キャピトル」から「ローマ人の住宅」を抜け、南東に250~300m進んだところに、「リキニアの浴場」がある。石造りのゲートをくぐると浴場跡だ(写真左)。ここは冬用の浴場で、傍には「パラエストラ(運動場)」もある(写真中左)。残念だったのは、冷浴室など一部が修復工事中だったため、工事用の仕切り板の隙間からしか見ることが出来なかったことだ。内部には、円柱や頭部の欠けた彫刻(写真中右)、床にはモザイク(写真右)があった。比較的良い状態に保たれているようである。ちなみに、傍まで行くことは出来なかったが、ここから「リビコ・プュニック廟(アテバンの霊廟)」(写真下)を見ることが出来た。

⑤ 「トリフォリウムの家」(写真左 : 遺跡・写真中左 : 当時の想像図)
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トリフォリウム(クローバーの意味)と呼ばれるこの家、実はローマ時代の売春宿である。小部屋の一つに「クローバーの葉」の形(写真中右)があったことから、このように名付けられたようだ。かつてはペニスのレリーフ(写真右 : ドゥッガに関するHPより)も彫られていたようだが、現在はない。なお、「クローバーの葉」の形の横に彫られている「ハーケンクロイツ」は、「ナチス・ドイツ」ではなく「幸運の印」を意味する。かつて西洋では「幸運の印」だったが、「ナチス・ドイツ」が用いるようになってからは幸運のシンボルではなくなったという。

ドゥッガに関するHP(Brothel : 売春宿)
http://i-cias.com/tunisia/dougga06.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(ハーケンクロイツ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%84

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約1時間、ドゥッガの遺跡観光を終え、我々は本日宿泊するケロアンのホテル「ラ・カスバ」に向け、バスで出発した。途中、「HOTEL ZAMA」(写真左)で休憩をとり、2時間半ほどでケロアンのホテルに到着した(写真中左)。すでに午後7時を過ぎていたので、添乗員の判断で、荷物を持ったままホテルのレストランに向かうことに。食事はブッフェ形式だったので、すぐに食べることが出来た(写真中右)。その間、添乗員がチェックインの手続きをしていてくれるのだから有難い。料理はヨーロッパのホテルでも出るようなメニューの他に、チュニジアらしいものもあった。料理の並ぶコーナーの一角で、料理人が揚げ物をしていた。覗いてみると、茄子など野菜を天婦羅にしていたので、早速2~3種類揚げてもらうことに(写真右)。揚げたては美味しいが、天つゆと大根おろしが欲しかった。時差ボケと疲れのため、あまり食べることはできなかったが、甘いスイーツだけは別腹。これで十分にエネルギーを補給することが出来た(写真中段 : ブッフェコーナーの料理・写真下段 : 私の食べた料理)。

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約1時間で食事を終え、部屋に入る。「312号室」(写真左)。木の扉を開けると、青を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋。壁には青地のタイルが貼られ、ベッドカバーもブルー(写真中左)。バス・トイレは緑地のタイル(写真中右)で、ベッドルームとは異なった雰囲気だ。ベッドの横にある小テーブルを見ると、何やらシールらしきものが貼ってある。よく見ると、「メツカ」の方向を示していた(写真右)。お祈りする方向が分かるようにしてあるのだ。さすがイスラム教の国だけのことはある。その後、資料整理を済ませ、入浴し、午後10時半頃にベッドに入った。

ドゥッガに関するHP
http://i-cias.com/tunisia/dougga.htm
ホテル「ラ・カスバ」のHP
http://www.goldenyasmin.com/la-kasbah/fr/index.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 23, 2009

「バルドー博物館」のモザイクコレクション

チュニジア一周の旅(第3回)

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「バルドー博物館」については「チュニジア一周の旅(準備編その1)」でお話しした通り、ローマのモザイクコレクションで世界に知られており、オスマン帝国時代にチュニジアを統治していた地方長官「ベイ」の宮殿が博物館になっているため、オスマントルコ様式の天井装飾など(写真左・写真右 :「スースの間」の天井)、その内装も素晴らしい。

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博物館内は3フロアーに分かれており、1Fには「古代カルタゴの間」や「初期キリスト教の間」(写真左)など、また2Fには「カルタゴの間」(写真中左 : 3Fの吹き抜けから撮影)や「スースの間」(写真中右)、「アルティブロスの間」などが、さらに3Fには2Fからの吹き抜けや「アコーラの間」(写真右)などがある。館内に展示されているモザイクはカルタゴ、エル・ジェム、スース、ドゥッガなど各地のローマ遺跡から収集されたもの。どれも魅力あるものばかりだが、その中から5点ご紹介する。

① 「母なる教会」(第Ⅴ室 : 初期キリスト教の間)
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「教会堂の内部を表したキリスト教との墓碑モザイク。祭壇には蝋燭の火が灯り、床には信者の象徴である6羽の鳩が描かれている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。「FCCLESIA MAIF VALENIIAIN PACAE」は、「FCCLESIA 」=「教会」、「MAIF」=「母」、「VALENIIAIN」=「(人の名前)」 「PACAE」=「平和」を意味する。

② 「ユリウス卿のモザイク」(第Ⅹ室 : スースの間)
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「ローマ時代には、上層市民がラティフンディア(大農園)を所有し、奴隷を労働力としてオリーブや葡萄を生産していた。このモザイクも三段構成の中心に大邸宅を配し、大農園主ユリウスとその妻の日常生活(上段に女神に農園の産物を捧げる場面、下段に巻物を召使から受け取る場面と侍女から首飾りを受け取り身支度する場面)が描かれている。四隅には、バラの開花(春)、麦の刈入れ(夏)、葡萄搾り(秋)、オリーブの収穫(冬)の場面があり、季節の移りゆきに従った人間の営みが絵物語のように描かれている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。

③ 「ネプチューンの勝利」(第ⅩⅠ室 : ドゥッガの間)
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「海馬の戦車に乗ったネプチューンの勝利の姿を描いた作品。法螺貝を持ったトリトン(ネプチューンの息子)とネレイス(海のニンフ)を脇に従えている。この海の場面を取り囲むように、美しい四季の擬人像(バラ、麦、葡萄、オリーブ)が四隅に配され、側面にはその労働場面が描かれる。海神と大地のテーマの組み合わせは珍しい。これは、当時の地中海交易での繁栄と「ローマの穀倉」といわれたアフリカの大地の豊穣への願いが込められている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。

④ 「オデュッセイアとセイレーン」(第ⅩⅩⅤⅡ室 : ユリシーズの間)
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「ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公の冒険譚の一場面、地中海公開の最大の難所、セイレーンの島、セイレーンの美しい歌声に惑わされ、粉の岩礁を通過出来た船はない。オデュッセイアは、その歌声を聞かせまいと船乗りたちの耳をロウで塞ぐ。しかし、好奇心の強いオデャッセイアは帆柱に身を縛り付け、その歌声を聴こうと試みる。私たちの想像するセイレーンとは人魚のことであるが、この叙事詩が書かれたギリシャ時代に描かれた姿は波間を飛び交う女鳥人である。それゆえに、美しいセイレーンたちの下半身は鳥になっているのがおもしろい」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。

ウィキペデイア・フリー百科事典(オデュッセイア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%A2
ウィキペデイア・フリー百科事典(セイレーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3

⑤ 「ヴゥルギリウスの肖像」(第ⅩⅤ室 : ヴェルギリウスの間)
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「巻物を持った歴史の女神クリオと、仮面を持った悲劇の女神メロポレメからインスピレーションを受けながら叙事詩「アエネーイス」を執筆する作家の像。世界で最古のヴェリギリウスの肖像画とされる」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。足元の部分には影も描くなど、細密な描写のモザイクである。ちなみにガイドは、これは世界一素晴らしいモザイクであると言っていた。

ウィキペデイア・フリー百科事典(ヴェルギリウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9


バルドー博物館に関するHP
http://www.informatique-tunisie.com/museebardo/index.htm
http://www.tripadvisor.fr/Attraction_Review-g293758-d472648-Reviews-Bardo_Museum_Le_Musee_National_du_Bardo-Tunis.html

(参考文献)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・「The Bardo of Tunisia」-CDROM- (DIAMANT)

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January 22, 2009

チュニス市内観光

チュニジア一周の旅(第2回)

2日目[1月10日(土)(天気 : 晴れ時々曇り)

5:45 起床
6:00~7:15 ホテルのレストランで朝食/その後ホテルの前で写真撮影
8:00~8:10 街の中心までバスで移動
8:10~8:20 ハビブ・ブルギバ通り、フランス通りを歩いて中央市場へ
8:20~8:27 中央市場
8:30~8:47 フランス門(バブ・ブハル)からメディナ散策
8:47~9:00 グランド・モスク
9:00~9:25 メディナ散策/その後バスで移動
9:45~11:15 バルドー美術館
11:50~13:05 レストラン「VICTORIRE」で昼食/その後バスで移動
15:20~16:25 「ドゥッガの遺跡」見学/その後バスで移動
17:25~17:35 「HOTEL ZAMA」で休憩/その後再びバス移動
19:15 ホテル着後、そのままホテルのレストランへ
19:20~20:30 ホテルのレストランで夕食
20:35 部屋に入る
22:30 入浴・資料整理の後ベッドに入る

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朝食のレストランは午前6:00からオープンとの事だったので、6:00ジャストに行く。扉は開いており、料理も準備されていたが、誰もいない。ブュッフェ形式だったので、皿に盛り付けていると、男性が出てきた。アラビヤ語で挨拶すると、急にニコニコ顔になり挨拶を返してくれた。料理はサラダやチーズ、パンなどは他の国と変わらないが(写真左・中左・中右)、メインにあたる料理(写真右)と菓子類(写真下左)にはチュニジアらしさが出ていた。特にチュニジアの菓子である「Samsa」(写真下中)と「Baklaoua」(写真下右)は、蜂蜜タップリで非常に甘く、食欲不振の私にとって非常に有難いエネルギー補給源になった。

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食事を終え、一度部屋に戻る。しばらくすると夜が明けてきたので、日の出やホテル周辺の写真を撮るために外出した(写真左)。昨夜は暗くてよく分からなかったが、明るくなってから見ると、結構大きなホテルであることが分かった(写真中左)。ホテルの前には公園があり(写真中右)、近くには「STB BANK」の建物が見える(写真右)。また反対側には「アフリカ開発銀行」がある(写真下)。「チュニジア中央銀行貨幣博物館」も近くにあるはずなので、その所在を確認したかったのだが、時間が無かったので断念した。

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午前中の観光は、チュニスの「中央市場」と「メディナ」、そして「バルドー博物館」である。ホテルからバスで出て、モハメツド5世通りを南に進み、「時計塔」(写真左)を右折、ハビブ・ブルギバ通りを西に数分走ったところでバスは停車。ここで我々はバスを降りる。通りには街路樹の緑が続き美しい。新市街のメインストリートである。脇の歩道には、カフェの椅子とテーブルが並ぶ(写真中左)。朝早いので空いているが、夕方になると人で賑わうようだ。通りを挟んだ反対側には、「国立劇場」がある(写真中右)。1902年に建てられた劇場で、オペラなどが催されているという。ここから西に100mほど歩くと、「独立広場」だ。右手には「大聖堂」が建つ(写真右)。これはフランスが統治する前の1810年に建てられたもの。この辺りは新市街で、フランス統治時代に発達しただけのことはあり、当時の建物などからパリを思い出させるような雰囲気がある。

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「大聖堂」から西に続くフランス通りに出て、南に200mほど歩くと、「中央市場」だ。内部は広々としているにもかかわらず、人で賑わい混雑している。魚や肉(写真左・中左・中右)、野菜に果物(写真右・下左)、スパイスや菓子・花など(写真下中左)、日常必要となるものすべてが売られていると言った感じである。ナツメヤシの実である「デイツ」(写真下中右)や柑橘類の「ベルガモツト」(写真下右)など、チュニジアらしいものも見られる。特に驚くのは肉屋。店頭に肉がぶら下げられているだけでなく、牛や羊の顔も並べられているのだ。横浜や神戸の中華街で丸焼きにされた豚の顔が並べられているのはご存知の通りだが、生の牛や羊の顔が吊り下げられているのは日本で見ることはできない。ちなみに政教分離の国ではあるが、イスラム教徒が大半なので、豚肉は売られていない。豚は不浄の生き物だからというのが理由らしいが、豚カツの美味さを知らない彼らはかわいそうである。

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「中央市場」の次は、再びフランス通りに戻り、「フランス門(バブ・ブハル)」の前に出た(写真左)。この門はメデイナ(旧市街)に入るためのメインゲートで、紀元13世紀頃に造られた。当時はこの門から両脇に城壁が伸びてメディナを囲んでいたようだが、フランス統治時代の19世紀に崩されたらしい。かつてはこの門からチュニス湾までが見渡せたとの事。この門の西側「ビクトワール広場」(写真右)には、農産物やミネラルなど多くの産物が集められたという。チュニスは東地中海の交易拠点の一つであり、ここに集められたものがヨーロツパに流されたようだ。ゆえに、19世紀のフランス統治時代、ここに集められたものの取引額の20%がコミツションとして取られていたとの事。

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ここからメディナ内のジャマー・エズ・ジトゥナ通りを西に進む。狭い通路の壁や天井から、カバン・靴などの革製品、真鍮の皿細工、陶器や絨毯、ラクダのぬいぐるみなどが吊下げられている。朝から多くの人が行き来し、活気溢れる商店街といった雰囲気である。 (写真 : メディナの様子)。

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メディナの中央辺りに来ると、「グランド・モスク」がある。このモスクは、「チュニジア一周の旅(準備編その2)」でお話ししたとおり、「オリーブの木のモスク」を意味する「ジャマ・ジトゥーナ」とも呼ばれており、チュニスで一番の聖地とされ、古さでもケロアンのグランド・モスクに次いで国内2番目である。内部の見学は出来るが、イスラム教徒以外は中庭だけしか見ることができない。入場料は3ディナール。雲ひとつない青空ということもあるだろうが、中庭から見るモスクは非常に美しい。モスクのホールに使用されている200本近い柱のほとんどがカルタゴ遺跡のものを流用しているので、柱の一本一本を良く見ると、ドーリア式・イオニア式・コリント式など色々な種類の柱がみられる(写真 : モスクの様子)。

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「グランド・モスク」を見学した後、シェシーヤ(トルコ帽)の店が集まる通りを抜け(写真左)、「ハムダ・パシャ・モスク」(写真中)の横を通り、「首相官邸」の側にある「カスバ広場」(写真右)に出た。メディナ散策は、以上で終わり。ここからバスに乗り、「バルドー博物館」に向かった。

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January 21, 2009

パリ経由でチュニスへ

チュニジア一周の旅(第1回)

平成21年1月9日(金)から、チュニジア11日間の旅に出かけた。この日の行動は、次の通り。

初日[1月9日(金)](天気 : 曇り)

9:30 関西国際空港到着
9:45 チェックイン
10:00 出国手続き
10:10~11:50 ビジネスクラス空港ラウンジ「Premium Lounge生駒」に入る
12:00 パリ行きの飛行機(AF-291便)に塔乗
12:30 飛行機始動
12:50 離陸
13:35~14:45 機内で昼食
16:45 ウランバートル上空飛行
20:20 フィンランド上空飛行
23:35~00:00 機内で軽食
23:55 ハンブルク上空飛行
00:48(現地時間16:48・以下現地時間) 着陸態勢に入る
17:02 パリ・シャルルドゴール空港に着陸
17:15 ターミナル着(しばらく扉開かず、機内で待たされる)
17:30 「2E」のターミナルに降りる
18:10~20:00 ビジネスクラス空港ラウンジに入る
20:50 チュニス行きの飛行機(AF1684便)に搭乗
21:00 飛行機始動
21:15 離陸
21:30~22:15機内で軽食
23:20 チュニス・カルタゴ空港に着陸
23:27 入国手続き
23:55 空港の両替所で外貨両替を済ませ、迎えに来ていたバスで空港を出る
0:00 ホテルに到着
0:20 部屋に入る
1:30 入浴後ベッドへ

今回の旅で同行してくれる添乗員は、2年前にスペインに行った時と同じ添乗員だ。若いのに、経験豊富でベテランといった感じである。関空の団体受付で久しぶりにお会いし、少しお話しした後チケツトを受け取り、エールフランスのチェックインカウンターに向かう。ビジネスクラスの受付は空いており、すぐに手続きしてもらうことが出来た。そして出国だ。お正月の後だからであろうか、こちらも空いており、パスポートに「出国」の印を押してもらい、エールフランス指定のラウンジ「Premium Lounge生駒」に向かう。ラウンジでおにぎり等の軽食を頂いていると、私の名前を呼ぶ女性の声。顔を上げると、ニュージーランドでご一緒した方であった。お友達と一緒に参加との事。最初は驚いて一瞬声が出なかった。このようなこともあるのだ。

ラウンジでは、お茶を飲みながら「チュニジア」のガイドブックを読んで搭乗時間を待った。事前に下調べしていたが、細部にわたりチェックする意味でガイドブックを読み返していたのだ。搭乗時間が迫ってきたので、搭乗ゲート34番に向かう。ビジネスクラスの入り口は空いていたのですぐに通ることが出来たが、デッキから機内への入り口はエコノミークラスと同じだったので、結局通路で並ぶことになった。今回乗る「ボーイング777-300」にはファーストクラスがあるので、優先通路はファーストクラスだけだからである。このような場合は、最後に乗った方が待たされなくて良い。2~3分後、機内へ。座席は「3E」。真ん中の通路側、私の好きな場所である。

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離陸後30分ほどして昼食が出された。メニューは次の通り。

1.オードブル(写真左)
・フォアグラ、ハム、チキンのテリーヌ
・フレッシュサラダ

2.メインコース(写真中)
・牛すき焼き(牛フィレ肉・茸・にんじん・ご飯など)

3.デザート(写真右)
・パッションフルーツムース、チョコレートケーキ
・コーヒー

これら以外に、飲み物としてコーラやジュース、ワインなども頂く。私はアルコールに弱いので、ワインはほんの少しだけ頂戴した。「Cote de Beaune-Villages 2006 Joseph Drouhin」、ボルドー産の赤ワインで、香の良いソフトな舌触りだ。その他にブルゴーニユ産の赤ワインやラングドック産の白ワインもメニューに載っていたが、飲み過ぎると疲れるので、こちらは遠慮した。これらのワインは、2000年度ソムリエ世界チャンピオンで、アルコールのトップブランド「ルノートル」のチーフソムリエ、オリヴィエ・プシエ氏お薦めのものだという。

http://www.rollandeby.com


機内では、引き続き「チュニジア」のガイドブックを読んで過ごす。途中、目が疲れてきたので、アテンダントとお話しすることにした。帰りの飛行機ではほとんど寝ているのだが、行きの飛行機ではいつもこのように過ごしている。エミレーツ航空に乗ったときは、アラブ人は一人もおらず、インドネシア、トルコ、レユニオンなど色々な国のアテンダントが乗っていたが、今回お話ししたアテンダント3人は、皆フランス人であった。もちろん関空発なので、日本人のアテンダントもいるのだが、エミレーツ航空ほど国際色豊かではない。今回最もよくお話ししたのは、パリ市内、モンパルナスに住む「セシル」さんだ。24~25歳ぐらいのブロンド美人。アテンダント歴は3年で、日本に来るのは3回目との事。一昨日の飛行機で日本に来て、一日休暇、そして本日のフライトである。大阪の帝国ホテルに宿泊し、昨日は他のアテンダントと一緒に、京都・「金閣寺」、「銀閣寺」などを見て回ったという。次に日本に来たときは、大阪の街を歩きたいと言っていた。なかなか日本に来ることはできないようで、次はイギリス・ロンドン、その次はインド・ボンベイに飛ぶ予定との事。丁度暇な時間帯だったのだろうか。15~20分ほどお喋りをしたり、写真を撮ったりして楽しんだ。そういえば、写真を送る約束をしたのだが、まだメールを出していないことを思い出した。急がねば・・・。

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ところで、彼女の読んでいた新聞(確か「パリ新聞」?)によると、「マルセイユ」の気温がマイナス10℃で、「ニース」の空港が閉鎖されたとの事。地中海沿なので、フランスでは温かい地方というイメージがあっただけに、少々ショック。窓の外から地上を見ると、一面雪で、川が凍っているのが分かった(写真)。本日のパリは大丈夫だと言っていたが、この後も寒い日が続くのではないかと思うと、不安がよぎった。

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その後席に戻り、再び「チュニジア」のガイドブックを読む。しばらくすると、軽食が出された。この食事が一番ややこしい。日本時間では真夜中だが、現地時間では夕食に当たるからだ。メニューは次の通り。

1.オードブル
・コッパハム、フレッシュサラダ

2.メインコース
・子羊肉のロースト、マスタード添え
・プロヴァンス風トマト、南瓜、さやえんどう

3.デザート
・クリームクレープ

軽食の後、3~40分でパリ・「シャルル・ドゴール空港」に到着した。飛行機を降りて暫く歩くと少し広いところに出たので、ここで添乗員を待つことにした。他のメンバーとはここで初めて顔を合わす事になる。私を含めて男性5名、女性5名の計10名のグループだ。ビジネスクラスには、私を含めて4名が乗っていたようだ。全員が揃ったところで、乗り継ぎのゲートへ移動である。「チュニス・カルタゴ空港」行きのゲートへバスで移動。やはりパリは寒い。氷点下ではないらしいが、ダウンジャケツトを着てきたのは正解であった。

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ゲートのあるターミナルへ到着した後、少しの間空港内を見学し(写真)、ビジネスクラス空港ラウンジへ。ヨーロッパのハブ空港の一つというだけのことはあり、ラウンジ内の座席はほとんど埋まっている。同じツアーグループのひとりの男性が、近くのテーブルに着いていたのでので相席させてもらい、ようやく落ち着くことが出来た。彼は65歳ぐらいの紳士で、50カ国以上旅しているとの事。チュニジアを選んだのは、まだ行っていない国の一つだからだという。その時思ったのは、このような動機で旅すると、目的地に着いた時点で目標が達成されてしまうのだから、後は楽しくないのではないかということである。楽しみ方は人それぞれなので、何とも言えないのだろうが・・・。

Dsc00062「チュニス・カルタゴ空港」行きの搭乗時刻が迫ったので、ラウンジを出て、搭乗ゲート「F50」に向かった。搭乗機は「エアバスA-319」、座席は「3C」だ。離陸後30分ほどすると、軽食が出された。これが夕食である。体力を失わないようにと思い、これまで残さずに食べてきたが、疲れが出はじめたのか食欲が湧いてこない。ほんの少しだけ頂いて食事を終えた。考えてみれば日本時間の午前5:30なので、徹夜したのと同じ状態である。寝不足に弱い私としては、よく起きている方なのだ。食欲がないのも仕方がないであろう。
ちなみに、食事のメニューは次の通り。

・パスタ、チキン
・フルーツ
・チョコレートケーキ
・コーヒー、オレンジジュース

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2時間ほどの飛行で、「チュニス・カルタゴ空港」に到着(写真左 : 空港ターミナル外から)。入国手続きを終え、空港内で外貨両替を行う。すでに23:00を過ぎていたが、空港内の外貨両替所は数件開いていた。とりあえず10,000円をチュニジア・ディナールに両替。144.11デイナールが渡された。すべての種類のお札とコインが欲しかったのだが、時間が無かったので、向こうから渡された紙幣とコインをそのまま受け取った。全員が両替を済ませると、迎えに来ていたバスに乗り、ホテルに向かう。バスの運転手は「ラサード」さん、ガイドは「アデル」さんで、全行程、彼らがお世話をしてくれる。丁度、午前0:00に宿泊する「コングレス・ホテル(旧アブ・ナワス・チユニス)」に到着した(写真中左 : ホテルフロント)。添乗員がチェックインしている間、ホテルのフロントで小銭の両替をしてもらい、現在使われているコインを一揃い入手した。部屋に入ると、すぐにバスタブに湯を張り、疲れを癒した。明日の出発時刻が早かったので急いで寝るが、時計の針は既に1:30を指していた(写真中右・右 : 部屋の様子)。

(参考HP)
エールフランス
http://www.airfrance.co.jp/
チュニジア国
http://www.ministeres.tn/
チュニジア政府観光局
http://www.tourismtunisia.com/
チュニジア大使館
http://www.tunisia.or.jp
コングレス・ホテル(旧アブ・ナワス・チユニス)
http://www.abounawas.com

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January 19, 2009

楽しかったチュニジアの旅

楽しかったチュニジアの旅

本日、午前中にチュニジアから帰国した。1月9日から11日間、概ね天候にも恵まれ、期待以上に楽しい旅であった。事前に出来る限りの下調べをしていたおかげで、かなり納得のいく観光が出来た上、今回の旅では行けないと思っていなかった場所も訪ねることが出来たので、楽しみは倍加した。本当に楽しい事ばかりだったので、何が一番良かったかと尋ねられると困ってしまうのだが、3点だけご紹介する。

第一は、「チュニジア中央銀行貨幣博物館」である。ここはツアーの行程外の場所であり、フリーの時間も十分にはなさそうであったため、訪れることはできないのではないかと思っていたのだが、観光最終日のフリータイムを利用して訪ねることが出来た。昨年11月にオープンしたばかりで、カルタゴ時代から現在までのコインや紙幣が展示されている。短い時間ではあったが、十分に楽しむことが出来た。また、この博物館が保有するコイン・紙幣の全種類を掲載した書籍3冊も入手し、大満足である。

第二は、「モザイク」だ。「チュニジア一周の旅(準備編)」でも見てきたとおり、チュニジアには多くのモザイクが残されている。カルタゴ時代、ローマ時代、初期キリスト教時代と、それぞれに特徴を持つモザイク。これらが一堂に集められているのが「バルドー博物館」だ。ここを見るだけでも十分にモザイクを堪能できるが、それ以外に「エル・ジエム博物館」や「スファックス博物館」、「カルタゴ博物館」のモザイクも見事。どれもローマ時代のモザイクを中心に展示している。もちろん博物館だけではない。各遺跡にもモザイクは残されているので、モザイク好きには最高の環境である。

第三は、「タメルザ峡谷」。「チュニジア一周の旅(準備編その4)」で見た、シェビカ、タメルザ、ミデス。1969年に起きた大洪水のため周辺一帯が水に浸かり、ここにあった村には住むことが出来なくなってしまった。この廃墟が観光ポイント。幸か不幸か、ここを訪れた時の天候は大雨。水溜りの出来る泥道を4WDで走る。車を降りて観光する時間はあまりなく、早々に引き揚げたのだが、地元の運転手の話によると、もう数十分戻るのが遅かったら帰れなかったであろうとのこと。アルジェリアの国境に近いこの地。アルジェリアの山に降った雨は、すべてチュニジア側に流れてくる。山には木が生えていないので、泥水が一気に流れてきて川になるのだ。帰り道、運転手が指さす方を見ると、来る時には無かった川が出来始めていた。廃墟になった理由が、肌を通じて感じられる一瞬であった。

これら以外にも、遺跡やモスクなどの見学、チュニジア料理、地元の人たちとのコミュニケーションなど、数えることが出来ないほど楽しい体験ができた。これらについては、明日以降、このブログに書き綴りたいと思う。まだ時差ボケ状態なので、本日はここまで。

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January 18, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その11)

チュニジア一周の旅(準備編その11)

従来も、旅行に出かける前に色々な資料に目を通していたが、今回は一歩進めて、読んだ資料をもとに文章化することを試みた。すると、今まで以上に理解が進んだことに驚くとともに、書き終えた時点で、既に旅行に行って来たような気分になってしまった。十数年前では難しかったことだが、現在はインターネットのおかげで、かなりの情報を入手することが出来る。さらに、非常に便利なグーグル・アースやグーグル・マツプを利用すると、書籍に掲載されていた大雑把な地図では分からないような道筋も詳しく分かるので、現地でどのような行動をとるのかも決めやすい。また、場所によっては空から遺跡などを見ることも出来てしまう。このような作業を繰り返していると、実際に行って来た気分になってしまうのもやむを得ないのであろう。

しかし、このような時代になると、旅の意義を考え直さなければならないのではないだろうか。百聞は一見にしかずというように、実際に行ってみることは重要だと思う。しかし、単純に書籍などに書かれていたこと、載っていた写真の確認で終わってしまうのであれば、あまり意味がないのではないだろうか。ではどのようにすれば良いのか。やはり積極的に動くことだろう。ツアーに付いて行く、ガイドブックに書いてあった場所を訪ねるというだけでなく、現地の人とコミュニケーションをとったり、自分の趣味を生かしてガイドブックに書かれていないような場所を訪ねてみるのも面白い。自分の興味に応じて、自分から行動することだ。

では自分の興味に応じて、自分から行動するためには、どうすれば良いのだろうか。一番良い方法は、テーマを決めてそれに関連する知識を増やすことだと思う。例えば、世界史や建築、美術の知識だ。今回のチュニジアのように、支配者が次々と変わり、色々な文化が融合している場合、フェニキア、ローマ、アラブなどについて知っていれば、観光名所を周ってガイドの説明を聞いても、何となく聞き過ごすのではなく、楽しくかつ新たな発見をすることが出来るであろう。受験勉強ではないのだから、人の名前や年号など正確に覚えている必要はない。むしろ全体像を掴み、見たり聞いたりした事を受け入れられるような引出し作りをすることが重要なのではないだろうか。

今回の旅。どの程度楽しいものになるかは、自分自身にかかっている。とはいうものの、あまり堅苦しく考えなくても良い。観光なのだから、楽しまなくては意味がない。マイペースで、ひとつひとつ新たな発見と喜びを積み重ねていきたいと思う。

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January 16, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その10)

チュニジア一周の旅(準備編その10)

16. シディ・ブ・サイド

カルタゴから北へ2~3km、チュニジアンブルーと真っ白な壁の映える町、チュニジアで最も美しいと言われる町、それが「シディ・ブ・サイド」だ。岬の最も高台にある。
この街の名前「シディ・ブ・サイド」は、シディ・ブ・サイドというムスリム名を持つ聖人の名前から名付けられたようだ。「フランス王、サン・ルイがベルベルのプリンセスと再婚しイスラム教に改宗、後のムスリム名をジディ・ブ・サイドと名乗り余生を過ごしたという伝説も語り継がれているが、真偽のほどは定かではない。1270年、フランス王ルイ9世がこの地にやってきて、疫病で死んだのは事実だという。カフェ・ディ・ナットの裏には聖人シディ・ブ・サイドの墓がある」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)との事。

LOOKLEX Tunisia(シディ・ブ・サイド)のHP
http://looklex.com/tunisia/sidi_bou_said.htm
ウィキペディア(ルイ9世(フランス王))のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A49%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

ここでは町を散策し、「アラブ地中海音楽の博物館」と「カフェ・ディ・ナット」を訪ねる予定だ。

① 「アラブ地中海音楽の博物館」(写真左 : アラブ地中海音楽の博物館のHPより)

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「1987年11月7日広場」から北へ、オレンジ並木の続く「ハビブ・タムール通り」(写真中: 前掲HPより)を上って行き、「シディ・ブ・サイド広場」の手前を右手に進むと、「アラブ地中海音楽の博物館」がある。この建物は、「ルドルフ・エルランジェ男爵」(1872~1932)の元邸宅で、「エネジュマエッザハラ宮殿」と呼ばれている。「ルドルフ・エルランジェ男爵」はドイツ系フランス人で、アラブ音楽に魅せられたことからここに居を構え、画家・音楽学者として四半世紀余りを暮らした。彼が執筆した「アラブ音楽」全6巻は、現在でも貴重な資料とされているようだ。
博物館内には、楽器のコレクション、歴史的音楽家の写真、図書室や男爵によってデザインされたモーリッシュスタイルの部屋(写真右 : 前掲HPより)が、当時のまま残っていると言う。また、地中海を見下ろす広い庭園も素晴らしいようだ。

アラブ地中海音楽の博物館のHP
http://www.culture.tn/html/institutions/cmam.htm
WIKIPEDIA(Rodolphe d’Erlanger・ルドルフ・エルランジェ男爵)のHP
http://fr.wikipedia.org/wiki/Rodolphe_d'Erlanger
チュニジアの音楽のHP
http://www.arab-music.com/essay/essay08.html


② 「カフェ・ディ・ナット」

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「アラブ地中海音楽の博物館」に行く際、「シディ・ブ・サイド広場」の手前を右に曲がったが、そこを曲がらず真っ直ぐ進み、坂を上りきったところに、世界最古のカフェの一つといわれる「カフェ・ディ・ナット」がある。外観は、白い壁とチュニジアンブルーの柱で、街に調和している(写真左 : LOOKLEX Tunisia(シディ・ブ・サイド)のHPより)。店内は、「ゴザ」が敷かれた座敷風だ(写真右 : 前掲HPより)。「ナット」とは「ゴザ」のこと。「チュニジアの昔ながらのカフェで、赤と緑の色がモチーフ。これはかつての聖人の墓に通じる「控えの間」を表していた」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。我々はここでティータイム。トルココーヒーか松の実の紅茶がお薦めらしい。また、シディ・ブ・サイドの名物の一つに、「バンベローニ」と呼ばれる薄くてフワッとしたドーナツがあるようなので、これも一緒に頂くことにしようかナ。

ウィキペディア(松の実)のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E3%81%AE%E5%AE%9F


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町の散策時に、どのコースを行くのかは不明だが、メインの通りは4~500mしかないので、概ねこの辺りを歩くのではないだろうか。出来れば「シディ・ブ・サイド広場」の手前にある、「ダル・エル・アンナビ」を訪れたい。街の富裕層の邸宅を改装し、18~20世紀のシディ・ブ・サイドに住む家族の暮らしぶりを、マネキンなども使い再現しているという(写真左・中 : 前掲HPより)。ジャスミンやブーゲンビリアなどが咲く中庭も美しいようだ(写真右 : 前掲HPより。

trivago(ダル・エル・アンナビ)のHP
http://www.trivago.co.uk/sidi-bou-said-403731/museum--exhibition--gallery/casa-tradicional-de-dar-el-annabi-217976


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シディ・ブ・サイドの観光を終えたらチュニスに戻り、「メデイナ」内にある伝統的チュニジア風レストラン「ハムダパシャ」で夕食の予定である。レストランの建物は、元トルコの高官のお屋敷だったとの事(写真 : Medina PORTAL(Dar Hamouda Pacha)のHPより)。スケジール表には、民俗音楽マルーフを聞きながらチュニジアワインとともに楽しむと書かれていたので、どのような雰囲気になるのか期待したい。

Medina PORTAL(Dar Hamouda Pacha)のHP
http://www.medinaportal.net/tunisia/pages/poc.php?ID_AxisName=1&ID_POC=796&ID_Lang=1


(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 14, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その9)

チュニジア一周の旅(準備編その9)

第9日目のスケジュールは、チュニスからカルタゴに向かい、カルタゴ遺跡を見学した後、ジディ・ブ・サイドに行って同地を観光、その後チュニスに戻ってメディナのレストランで夕食を採るというもの。まずはカルタゴへ。

15.カルタゴ

「カルタゴ」は、チュニスから北東へ12~13km程にある。ご存知の通りカルタゴは、海上貿易や農業を中心に大いに栄えたが、第一次~第三次ポエニ戦争でローマに敗れ、街は徹底的に破壊された。ローマ軍は廃墟には塩を蒔き、人も住めず、作物も出来ないようにしたという。しかし、150年以上の時を経て、紀元前29年、古代ローマ帝国のオクタビアヌス・アウグトゥス帝は、この地を植民都市として復興させた。そして2世紀には巨大建造物が造られ、ローマ、アレキサンドリアに続くローマ帝国第3の都市にまで成長した。だが7世紀に、マグレブ征服(アラブ化)の目的でウマイヤ朝から派遣された、総督ウクバ・イブン・ナーフィにより建設されたケロアンが北アフリカの中心となったため、カルタゴの町は衰退し、さらに、近郊にチュニスが開発されたことから、カルタゴは再び没落し、廃墟となったのである。 
現在は「チュニス郊外の住宅地として開発が進み、白い壁の大統領官邸や役所、外国の大使公邸や別荘なども集まる海岸沿いの高級住宅地へと変貌した。かつての栄華を物語る遺跡は家々の間に点在しており、そのほとんどがローマ時代のもの」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。
ちなみにラテン語の「カルタゴ」は、フェニキア語で新しい町を意味する「カルト・ハダシュト」に由来し、伝説によると、「カルタゴ」の町は、ディドン(放浪者)と呼ばれたフェニキアの王女エリッサにより、紀元前814年に建設されたと言われている。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage.htm

スゲジュール表によると、「カルタゴ博物館」、「アントニヌスの共同浴場」、「カルタゴ遺跡」を訪れることになっている。
※以下、特別にコメントしない限り、写真は「LOOKLEX Tunisia(カルタゴ)のHP」から。

① 「カルタゴ博物館」

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1890年に建設されたアフリカ宣教会の神学校を改造し、博物館として使用している。「周辺地域から出土されたローマ時代のモザイクや神々の像、ポエニ時代の地中海交易品、生活用品、墓の埋葬品(紀元前4~7世紀)など」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)が展示されている。だが、残念なことに、展示されている出土品の大半がローマ時代のもので、ポエニ時代のものは少ないようだ(写真 : 左から順に「ポエニ時代の守護神像」、「ポエニ時代の壺と像」、「ローマ時代のモザイク」・LOOKLEX Tunisia(カルタゴ博物館)のHPより)。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ博物館)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage05.htm

② 「アントニヌスの共同浴場」

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ローマのカラカラ、ディオクレティアヌスの浴場に次ぐ第3番目の規模。2世紀にローマ五賢帝の一人、アントニヌス・ピウスによって建設された。海をバックとし、左右対称に造られた約3.5ヘクタールの広大な公共浴場で、建物は2階建だったという。中心の建物は高さ20mの8本の柱に支えられていた。建物の2階には更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プールなど100を超える部屋があり、1階には薄暗い冷浴室があったとの事(写真左・中 : LOOKLEX Tunisia(アントニヌスの共同浴場)のHPより)。
ちなみに、浴室の構造と浴槽を温める仕組みについて理解が深まるよう、浴室・浴槽の絵図を掲載しておく(写真右・「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)」より)。

LOOKLEX Tunisia(アントニヌスの共同浴場)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage03.htm


以上の2か所以外は、「カルタゴ遺跡」観光となっているだけなので、どこを訪ねるのかは分からないのだが、「ビュルサの丘」、「サン・ルイ教会(アクロポリウム)」、「古代カルタゴの港」、「ローマ人住居」、「円形闘技場」、「ローマ劇場」なども訪れてみたい。

③ 「ビュルサの丘」

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誤解を招くといけないので事前にお断りしておくが、この丘の頂上に「カルタゴ博物館」があるので、この場所に来ることは間違いない。ただここからの眺め(写真左)をジックリ楽しむ時間があるのか否か、これが気になるところなのだ。さて、この「ビュルサノ丘」だが、「ここはポエニ時代のカルタゴの街があった場所で、ローマ時代のカルタゴでもバシリカやフォーラムなどがあった中心的な場所である。この丘からは眺望も良く、カルタゴの軍港、そしてチュニス湾の向こうにチュニスの街やザグアン、レサス、ブコルニンの山々を望むことが出来る」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)との事。なお、丘の斜面にはポエニ時代の住居跡が広がっているが、これらは博物館の庭から見学できるようだ(写真中・右)。

④ 「サン・ルイ教会(アクロポリウム)」

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「最初にこのビュルサの丘の上に礼拝堂が建てられたのが1840年。現在の大聖堂は、1890年フランスによって建てられたもので、1270年、第8回十字軍遠征に参加し、チュニス包囲戦中に没したフランス国王聖ルイ9世に捧げられている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。

⑤ 「古代カルタゴの港」

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「今ではただの池のようにしか見えないが、古代カルタゴの繁栄を支えた二つの港。南側の細長い形の潟が商業港、それと繋がる北側の円形の潟が軍港だった。商業港は縦500m、横300mの広さで、周囲には倉庫街と、エル・ハワリアから切り出された砂岩の岸壁が巡らされていた。一方、軍港は直径300m、220隻の船を係留することが出来、ロープなどで船を丘に引き上げる設備も整っていた。二重の防壁に囲まれていたため、直接海から侵入できない造りにもなっていた」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)ようだ(写真左 : 軍港・中 : ローマ時代の港の想像図・右 : 船を丘に引き上げる設備)。

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ところで、ご存知の通りこの港は、第三次ポエニ戦争の最後の結戦場となった場所である。「ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)」によると、「カルタゴを港の側から攻める準備は、すでに完了していた。海と港をつなぐ運河の入り口は、ローマ軍が築いた堤防によって、今や完全に封鎖されている。カルタゴ側が開いたもう一つの運河も、その前面の海上を常時ローマの軍艦がパトロールするようになって以後は、役立たずになっていた。陸側の城壁も、多くの個所で破られている。市内に貯蔵されていた食糧も、籠城3年目を迎えては底も見えていた」。そして紀元前146年、ローマ軍はカルタゴ壊滅のため進軍した。「海側からの進攻を開始したローマ軍に対し、防衛側はまず、外港の周囲に並ぶ倉庫や造船所に火を点けることで対抗した。その火の中で、市街戦が始まった。一軒ごとに、一道路ごとに、制圧しながら前進し敵を追い詰めていく市街戦が、六日と六夜つづいた。七日目、カルタゴ全市の征服は、神殿の並び建つビルサの炎上で完了した。神殿を包んで燃え上がる火の中に身を投げ、奴隷よりも死を選んだカルタゴ人も少なくなかった。降服勧告を拒否して戦った市民の、落城後の運命は決まっている。奴隷にされたカルタゴ市民は、子供まで入れて五万にのぼった」(前掲書より・港の図も同書より)。このような事を思い出しながら港を眺めると、どのような感情が湧き、景色が見えてくるのであろうか。中心部の「ビュルサの丘」から2~2.5km離れているので、ツアーで行くことは無理かもしれないが、ぜひ訪ねたいポイントである。

⑥ 「ローマ人住居」

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紀元前29年に新しい街づくりが始められるまで、100年以上見捨てられていたカルタゴだったが、2世紀には30万人の人口を持つローマ帝国第3の街にまで発展した。「3世紀初めに街の北西部に造られたローマ領時代の高級住宅地の跡がオデオン高原に残る遺構・ローマンヴィラで」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)、ゆるやかな斜面に住宅の跡が広がっている。「なかでも有名なのが「ヴォリエールの別荘」(villa de la voli・写真 : WIKIPEDIA(Site archeologique de Carthage)のHPより)と呼ばれる屋敷の跡。ここには列柱回廊と中庭、出土した彫刻、碁盤の目状に構成されている4世紀初頭の床モザイクのパネルが残っている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。

WIKIPEDIA(Site archeologique de Carthage)のHP
http://fr.wikipedia.org/wiki/Site_arch%C3%A9ologique_de_Carthage

⑦ 「円形闘技場」
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古代ローマ・ハドリアヌス帝時代に建設された闘技場で、156×128m、36,000人を収容できる巨大スケールのものであったようだ。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「11~12世紀にかけて、この地を訪れたアラブ人地理学者は「円柱で支えられたアーチの上にアーチが重ねられ、様々な彫刻が施されている」とこの闘技場についての記述を残している。しかし、数世紀にわたって石材が持ち出された結果、今では基部しか残っておらず、残念ながら往時の片鱗はあまり感じられない」との事。
ちなみに、円形闘技場の構造について理解が深まるよう、絵図を掲載しておく(写真右・「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)」より)。


⑧ 「ローマ劇場」

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「アウグストゥスの時代にあった小劇場を立て替えたものである。斜面を利用して造られ、下部の席は丘を掘って造られている。この劇場はウインストン・チャーチルが1943年将校達を前に演説を行った場所としても名高い」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)ようだ。現在は、毎年「カルタゴ国際フェスティバル」が開催されている。


International Carthage FestivalのHP
http://www.festival-carthage.com.tn/En/Presentation/Presentation.htm


カルタゴ遺跡観光の後は、昼食である。新鮮なシーフードを食べさせてもらえるようだが、魚? それとも貝類? シーフードパスタもあるらしい。想像するだけで、ヨダレが出てきそうだ。昼食後、北へ2~3kmのところにある、チュニジアンブルーと真っ白な壁の町、チュニジアで最も美しいと言われる「シディ・ブ・サイド」に向かう予定である。


(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・「地図で読む世界の歴史・ローマ帝国」(クリス・スカー著)[河出書房新社]
・「カルタゴ興亡史・ある国家の一生」(松谷健二著)[中公文庫BIBLO]
・「ローマ人の物語3 ハンニバル戦記(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語4 ハンニバル戦記(中)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ビジュアル版・西洋建築史(デザインとスタイル)」(長尾重武ほか編著)[丸善]


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January 12, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その8)

チュニジア一周の旅(準備編その8)

本日は、最初に「ナブール」に行って「陶器工房」を見学、続いて「ケルクアン」に向かい、「フェニキア遺跡」の観光。その後6日ぶりに「チュニス」へ戻る予定だ。

13.ナブール

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「ナブール」は、ハマメットから北東へ約15kmのところにある。ボン岬半島の中心都市であり、陶器の名産地としても知られている。この町の特産品である「ナブール焼」は、バビロニアを起源とし、ペルシャ、アラブ、地中海を経て伝えられた。また、17世紀にスペインを追われたアンダルシア人がここに定住したことから、マジョリカ焼の影響を受け、芸術性が高まったといわれている。このようなナブール焼を求めて、チュニジア各地から、また海外からも多くの人がやって来るとのこと。やきものについては非常に興味があるので、ジックリと見学したい(写真 : LOOKLEX Tunisia(ナブール)のHPより)。
なお、「ナブール」と愛知県の「瀬戸市」は姉妹都市である。

LOOKLEX Tunisia(ナブール)のHP
http://looklex.com/tunisia/nabeul.htm
瀬戸市国際センター(姉妹都市のご紹介)のHP
http://www.setocic.jp/jp/cities.html

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スケジュール表によると、「陶器工房」を訪ねるとなっているだけで、その工房がどの辺りにあるのかは不明である。従って、ナブールの中心部にある名所を見ることが出来るのか否かもわからない。しかし、もし街中を歩く時間があるのであれば、「11月7日広場」のロータリーの真ん中に置かれた巨大なナブール焼の植木鉢(写真左 : 前掲HPより)や、「サラマ・モスク」(写真中 : 前掲HPより)、「グランド・モスク」、「スーク」(写真右 : 前掲HPより)、「金曜マーケット」などを訪ねてみたいと思う。


14.ケルクアン

ナブールからボン岬半島沿いに北東へ約70km、古代ポエニ時代の都市遺跡で有名な「ケルクアン」の町がある。この地にフェニキア人ガ入植し始めたのが、紀元前8世紀。紀元前6世紀頃、原住民であるベルベル人とフェニキア人の文化を融合したポエニの町が誕生した。しかし、紀元前310年、シラクサの暴君アゴトクレスに攻められ、第一次ポエニ戦争で壊滅した。この当時、戦いに敗れた町は破壊され、その上にローマやビザンチン等の都市に造り替えられるのが通例だが、この町は再建されずに放置されたため、純粋なフェニキア人の遺跡として残ったのである。このように残された純粋なフェニキア人の遺跡は唯一のものであり、世界的にも貴重な遺跡ということから、1985年に世界文化遺産に指定された。
なお、ポエニ時代の地名は分かっていないため、現在の地名は近くを流れるケルクアン川から採られているようだ。

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ここでの観光はもちろん「フェニキア人都市の遺跡」(写真左 : LOOKLEX Tunisia(ケルクアン)のHPより)だ。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「ケルクアンの遺跡は30分あれば歩いて見て回れる広さ。神殿、工房、家々、公衆浴場などが約400m四方中にコンパクトに整然と並び、メインストリートの幅は約4mと広い。周りは幅約15mの二重の要塞によって囲まれていた」との事(写真中左 : 神殿跡・写真中右 : メインストリート・前掲HPより)。この遺跡は、居住エリアと工房や店のある職人たちのエリア、神殿、墓地で構成されている。居住エリアでは、浴室が面白い。「小さな形のものだが、排水設備など、職人の技術、生活水準の高さがうかがえる」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」・写真右 : 前掲HPより)という。また住宅中庭のモザイクも興味をひかれる。平成20年12月29日付当ブログ「チュニジア一周の旅(準備編その1)」でお話しした通り、この時代のモザイクは色石と大理石を組み合わせたシンプルなもので、このフェニキアのモザイクも例外ではない(写真下 : 前掲HPより)。

ところで、この町はどのような町であったのだろうか。「工房や店のある職人たちのエリア」があったことから分かるように、現在では「職人と商人の町」だったと考えられている。中でも当時貴重とされたカルタゴや母国フェニキアの古代紫ねティールで有名だった紫貝の染色で繁栄したと言う。

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ここでは、この遺跡を見て回るだけで十分に楽しめそうだが、観光後はチュニスに行くだけなので、出来れば遺跡の入り口にある「ケルクアン博物館」にも立ち寄りたい。ここには考古学会でも注目された、木製(糸杉)の棺があるのだ(写真 : 前掲HPより)。「これは豊穣と生殖の女神、アシュテタルテを表しているといわれ、ポエニ時代の遺品で現在まで残っているものの中で「木製」のものは世界でも例がないとされる」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。

LOOKLEX Tunisia(ケルクアン)のHP
http://looklex.com/tunisia/kerkouane.htm
ウィキペディア(貝紫色)のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E7%B4%AB%E8%89%B2
「貝紫とは」のHP
http://www.taniya.co.jp/2.htm
ウィキペディア(イトスギ)のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AE


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ケルクアンの観光を終えた後、6日ぶりに「チュニス」に戻る。ケルクアンから直線距離で南西約100km。この夜泊まるのは、前回利用した「コングレス・ホテル(旧アブナワス・チュニス)」ではなく、ホテル「アフリカ・エル・ムラディ」である。このホテルは、ハビブ・ブルギバ通りの中心に建つという最高のロケーションにある5つ星の最高級ホテルだ。設備も充実し、各国の要人やビジネスマンの利用が多いとようだ。落ち着いた雰囲気の部屋、明るいレストラン。美味しいものを食べ、ゆっくり体を休めることが出来そうである(写真 : 左から右へ : ホテル全景、フロント、客室、レストラン・アフリカ・エル・ムラディのHPより)。

アフリカ・エル・ムラディのHP
http://www.elmouradi.com/cr2.resa/ui/aba/Hotel_Detail.aspx?id=722&fromdate=12/01/2009&todate=15/01/2009&user=869&curr=1&ilng=1

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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January 09, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その7)

チュニジア一周の旅(準備編その7)

第7日目は、スファックスから「エル・ジェム」に行き、「円形闘技場」を見た後「スース」を訪ねる。昼食後、スースの街を観光してから「ハマメット」へ向かうというスケジュールである。

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人口約70万人のスファックス(写真 : LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHPより)は、チュニジア第二の都市で、チュニジア商工業の中心地でもあることから、「チュニジアの大阪」といった表現がピッタリ合うと言う。関西人としては、大阪の凋落が著しいことから、このような表現を聞くと、どの程度のものなのか興味をひかれる。この街は849年に造られた。12世紀半ばに、シチリアのノルマン人の侵略を受けたが、数年後にはアラブ人の手に取り戻すと言う歴史を持つ。
この街には観光客向けの店が少ないことから、のんびり散策できるようだ。しかし、「スファックス」観光はスケジュールに入っていないので、前日の夜か、この日の朝、観光するしかない。どの程度時間がとれるか分からないが、もし可能であれば次の場所を見てみたいと思う。

① 「グランド・モスク」(写真 : 前掲HPより)
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メディナの中心部に建つ。9世紀のアグラブ朝時代に建てられたが、10世紀に再建された。ファサードの壁がん、ミナレット等の装飾はファティマ朝の特徴をもち、シンプルなアグラビ朝や洗練されたハフシ朝時代のモスクとは違っているという。

② 「メディナの外壁と6つの門」
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この街のメディナが他の街のメディナと異なるのは、外壁がそのまま残っている事だ(写真 : 前掲HPより)。外壁には、「ディワン門」、「ガルビ門」、「ジェディド門」、「ジェブリ門」、「シェルギ門」、「カスバ門」の6つがある。新市街側にある最大の門が「ディワン門」である(写真 : 前掲HPより)。メディナの構造を知るためにも、一通り見て回りたいところだ。

③ 「スファックス考古学博物館」
宿泊しているホテルから、西に100m程の所、県庁の1Fにある。スファックス地方で発見されたカルタゴ、ローマ、ビザンチン時代の美術工芸品が展示されている。午後6:00まで開館しているので、午後5:30までに入館出来れば見ることも可能だ。間に合えば良いのだが・・・。

④ 「スーク・エル・ホウタ(魚市場)」
メディナの外、すぐ北側にある。建物のユニークさでも知られていると言う。大都会の巨大市場だけに、かなりの賑わいとの事。朝に行った方が、その賑わいを感じることが出来るのかもしれない。

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その他、「カスバ」の中にある「伝統建築博物館」や、「グランド・モスク」の東側そばにある「ダル・ジャウリ民族博物館」(写真 : 前掲HPより)も訪ねたいのだが、開館時間が午前9:30~午後4:30までなので、諦めざるを得ない。

LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax.htm


10.エル・ジェム(写真 : LOOKLEX Tunisia(エル・ジェム)のHPより)

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スファックスを出て、最初に訪れるのは「エル・ジェム」だ。スファックスから北西約70kmにある。ローマ時代、オリーブ栽培で巨万の富を手にして一挙に繁栄した街で、最大の見どころは「円形闘技場」である。これのサイズは、縦149m、横124m、高さ36m、アリーナの直径は65mで、収容人員は27,000人。イタリアのローマ、カプアに次いで3番目に大きいという。保存状態が良いため現在も使われており、毎年7月下旬~8月上旬に、音楽フェスティバルが催されている。ローマのコロセウムと比較してみたいので、細部までユックリ観察する時間があることを望みたい。
また、「円形闘技場」から南へ1km程離れたところに、「エル・ジェム博物館」がある。ローマ時代の精巧なモザイク画を見ることが出来るようなので、訪ねてみたいと思うのだが、時間がなさそうである。

LOOKLEX Tunisia(エル・ジェム)のHP
http://looklex.com/tunisia/jem.htm
ウィキペディア(エル・ジエム)のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A0
ウィキペディア(モザイク)のHP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%AF


11.スース

次は、エル・ジェムから北へ約60kmにあるスースだ。スースは、「サヘルの真珠」と称される国を代表する観光地で、チュニス、スファックスに次ぐチュニジア第三の都市でもある。街は「新市街」、「旧市街(メディナ)」、「ビーチエリア」、「港エリア」の4つに分けられる。中でも「ビーチエリア」は、美しい砂浜のビーチが一直線に続いており、夏のリゾート地として賑わうという。また、「旧市街(メディナ)」も世界遺産に指定されていることから、観光客が絶えることはないようだ。

この街は、紀元前9世紀頃、フェニキア人によって建設され、その後カルタゴ、ローマ、ビザンチンに引き継がれた。しかし、7世紀に受けたウクバ・イブン・ナーフィ率いるアラブ軍の攻撃以後、アラブ人の支配下に置かれた。この街の「メディナ」は、アラブ人に支配されていた時代に造られたものである。ここでの観光は、この「メディナ」の散策である。途中、「グランド・モスク」を訪ねる予定だ。

LOOKLEX Tunisia(スース)のHP
http://looklex.com/tunisia/sousse.htm

① 「グランド・モスク」(写真 : LOOKLEX Tunisia(スース)のHPより)

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「スース観光最大の目玉。オリジナルはアグラブ朝時代、851年にアブル・アバス帝によって建てられ、隣のリバトとともに当時は港や兵器庫を守る要塞の役割を果たしていた。そのため、通常メディナの中心にあるはずのグランド・モスクがメディナの端に位置するのである。厚く飾り気のない石造りの壁には、要塞に見られる銃眼の穴も施されていた。また、9世紀の完成時このモスクにはミナレットもなかった。すぐ北側にあるリバトの塔から祈りの呼びかけであるアザーンを流していたようだ。ミナレットが付けられたのは後の11世紀になってからである」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」)との事。ちなみに、私はイスラム教徒ではないので、モスク内は中庭にしか立ち入れないようだ。

② 要塞「リバト」(写真 : 前掲HPより)

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メディナを散策する時、ここを訪れるだけの時間があるのかは分からないのだが、出来ればこの「リバト」に上り、そこからの眺望を楽しみたいと考えている。「リバト」は、8世紀の末に造られた高い塔を持つ要塞である。「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」によると、「アラブ人は内陸戦には長けていたが、海からの侵入に弱く、警戒していた。そのような理由から、リバトは海岸沿いにいくつも造られ、防衛ラインを形成していた。ここのリバトはアグラブ朝の頃に造られ、当時の姿をそのまま残している」との事。この塔の高さは約38m。狭く急な螺旋階段を登らなければならないが、監視用に造られた塔だけのことはあり、見晴らし台からの眺めは素晴らしいという。眼下には「メディナ」全体が、また北側には「ビーチエリア」が広がる。想像しただけで、ワクワクする。

③ 「ダール・エシド博物館」
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建物自体は、928年に建てられたメディナで最も古い家のひとつ。寝室、リビング、キッチン、バス(写真 : 左から順に右へ・前掲HPより)など、19世紀の上流階級の住宅の様子を復元・公開している。

これら以外にも、「メディナ」の南西角に位置する「カスバ」と、その中にある「スース考古学博物館」を訪ねたい。しかし、時間が無いのは明らかなので、断念せざるをえないであろう。


12.ハマメット

観光の後は、スースから北へ約70km、ボン岬にあるチュニジア屈指のリゾート地「ハマメット」に向かう。「ハマメットの歴史は古く、ローマ時代の179年には地方総督ヒルヴイウス・ユリアヌスによって植民市が建設されていた。ププツトと呼ばれたローマジダイノ遺跡は、町の郊外にわずかに残っている。その後はヴアンダル、ビザンチン、アラブ、ノルマン、スペイン、マルタ騎士団などがこの地を代わる代わる占領した。アラブに再占領されてからはメディナやカスバが造られ、フランス植民地時代には鉄道や道路がもたらされた」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。ハマメットが現在のリゾートになったきっかけは、1920年代にルーマニアの大富豪ジョージ・セバスチャンがビーチの近くの丘に別荘を建てたことだという。その後ヨーロッパ人がリゾート地として開発し、多くの著名人たちに愛されてきたとの事。

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この日泊まるのは、「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」だ(写真 : ハズドゥルバル・タラサ&スパのHPより)。ハマメットの街とは数キロ離れた「ヤスミン・ハマメツト」にある。このエリアには、50にも及ぶ大型リゾートホテルが並ぶ。中でも、この日宿泊する「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」は、チュニジアを代表する5つ星の最高級ホテルで、各国の要人にも御用達しとの事。ハマメットの街から離れているので、周りにはメディナもカスバも無い。ここではビーチリゾートライフを満喫するのみ。タラソテラピーセンターが自慢らしいので、体をリフレッシュし、かつ美しくなるのも良い?

ハズドゥルバル・タラサ&スパのHP
http://www.hasdrubal-hotel.com/french/index.asp

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 07, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その6)

チュニジア一周の旅(準備編その6)

第6日目の予定は、早朝からラクダでサハラ砂漠を観光し、朝食後「マトマタ」に向かい、昼食の後、ベルベル人の穴居式住居を見学、そして「スファックス」に行くというもの。

ドゥーズは、広大なオリエンタルエルグ(砂丘)の北側の縁にあるサハラの入口の町。「フランス統治時代、第12外人部隊が駐屯していたという軍事的な意味合いが強い町であり、「ドゥーズ」という名もフランス語の12(DOUZE)という単語からついた」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)との事。かつては、遊牧民(ノマド : Nomades)と定住する人々(オアシスの人々 : Oasiens)が出逢う町、いろいろな砂漠の部族が集まっては散って行く砂漠の交差点であったという。現在はサハラ観光の中心地となっている。

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街の中心から南西に3kmほど進んだオアシスの端に、「ツーリスティックゾーン」がある。我々の泊まるホテルはこの一角にあり、ラクダ乗り場もこの近くにあるようだ。ラクダにはエジプトやトルコ、鳥取砂丘などで乗ったことがあるので、私にとって珍しい体験ではないが、朝焼けで辺り一面真っ赤に染まる光景をラクダの背から見ている自分を想像すると、今から興奮してしまう。非常に楽しみだ(写真 : 旅行会社案内より)。

ところで、ラクダに乗る場合、注意しなければならないことがある。ひとつはラクダに乗る時である。鳥取砂丘ではラクダの背の高さまで上れるステップが用意されていたので問題は無かったが、エジプトやトルコではいったんラクダを座らせ、お客が乗った後立ち上がるのだ。このラクダの立ち上がる時が要注意なのである。後ろ脚から立ち上がるので、前に振り落とされそうになるのだ。座席前に突き出た棒のような支えをシッカリ掴んで、踏ん張らなければならない。二つ目はラクダのヨダレである。ラクダはいつもヨダレを垂らしており、時々首を大きく左右に振るので、ラクダの顔をウッカリ覗き込んでいると、ヨダレでベタベタにされてしまうことがあるのだ。三つ目はラクダのオシッコ。ラクダの後ろ側にボ~と立っていると、突然しぶきのようなオシッコをするラクダ。スプレーのようにかかるので、あまり近づき過ぎない方が良い。

ドゥーズでは、「サハラ博物館」にも行ってみたいが、開館時間が午前9:30~午後4:30なので、立ち寄る時間はなさそうだ。

LOOKLEX Tunisia(ドゥーズ)のHP
http://looklex.com/tunisia/douz.htm

8.マトマタ

ドゥーズでの砂漠観光の次は、「マトマタ」である。ドゥーズから東へ約100kmにある町。12~13世紀頃、過激なアラブ・イスラムである「ベドウィン」や「ベニースライム」、「ベニー・ヒラール」に追われたチュニジアの先住民族のベルベル人が、この山岳地に逃れ、住み着いたのが町の始まりだと言われている。

① ホテル「シディ・ドリス」(写真 : ホテル「シディ・ドリス」(昼食会場)のHPより)

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到着後、まず昼食である。会場はホテル「シディ・ドリス」のレストランだ。このホテルは、後でお話しするベルベル人の穴居住宅だったところを改装したもの。メニューは「クスクス」と「ブリック」。チュニジアの代表的料理だけに楽しみである。
ところで、映画「スターウォーズ」ファンの方であればご存知だと思うが、この場所でスターウォーズのロケが行われたのだ。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「「スターウォーズ」シリーズの4本に出ていたチュニジアで最も有名なロケ地。スターウォーズファンの聖地とも称される。特徴的な穴居住宅を利用したホテルは「エピソード4新たなる希望」で、ラーズ家の住宅として登場(ダイニングでルークが青いミルクシェイクを飲むシーンなど)。なお、撮影で使われたホテル内のバーは「スターウォーズバー」と名付けられ営業している」との事。我々が昼食を取るレストランのあるホテルが撮影に使われたところなので、詳しく見てみたいと思う。ちなみに、私はスターウォーズの映画を見たことが無いので、チュニジア旅行から戻ったら、見てみようかと考えている。

ホテル「シディ・ドリス」(昼食会場)のHP
http://www.rando-tunisie.net/Photos/Hotel-Sidi-Driss.htm
Hotel Sidi Dress Photo・Declan McCllagh photographのHP
http://www.mccullagh.org/photo/1ds-4/hotel-sidi-driss

② 「ベルベル人の穴居住宅」(写真 : LOOKLEX Tunisia(マトマタ)のHPより)

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地面に月面クレーターのように開く穴。穴の側面には横穴が掘られ、そこが住居となっている。これが有名な「穴居住宅」だ。当初は外敵から身を隠すのが目的だったが、この土地の風土に合った夏に涼しく、冬暖かい住居だったことから、村にまで発展していったという。しかし、ここの住民の大半が、1961年にチュニジア政府の作った新マトマタに移住させられたので、現在ここは観光用の施設と言っても良いような状況になっている。先に昼食で訪れたホテル「シディ・ドリス」もその一つだ。

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住居の多くは2階建てになっており、1階は住居、2階は倉庫として使われることが多いようだ。住居部分は、寝室、台所などの部屋に分かれており、夏に涼しく、冬暖かいというから、穴居住宅といっても、結構快適な生活が出来るのではないだろうか(写真 : 前掲HPより)。住宅の入り口には、人間の手の紋章がみられるとの事。これは「ファティマの手」と呼ばれる魔除けや幸運を呼ぶとの意味があるらしい。「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」によると、「そもそもはフェニキア人が魔除けとして使い始めたという説があるが、マグレブ地方のイスラム化が進むとイスラム預言者ムハンマドの娘ファティマと、5本の指をイスラム五行(信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼)の象徴を絡ませてファティマの手とよばれているという。その手の横に描かれる魚も海の商人・フェニキア人の間ではシンボル的に使われており、それがファティマの手とともに魔除けのシンボルとして受け継がれてきたもの」との事。この「ファティマの手」も見逃せない。

LOOKLEX Tunisia(マトマタ)のHP
http://looklex.com/tunisia/matmata.htm
ベルベル人の穴居式住宅
http://fr.wikipedia.org/wiki/Troglodyte


9.スファックス

「ベルベル人の穴居住宅」の見学を終えた後は、地中海に面した町「スファックス」に向かう。マトマタから北東へ約200km。スファックスは、チュニジア第二の都市である。本日宿泊するのは、街の中心部にある4つ星ホテル「メルキュール・スファックス」だ。白を基調とした明るい雰囲気のホテル。ゆったりとくつろげそうである。また、
メディナとは200m程しか離れていないので、少しの時間を利用して観光することもできそうだ。スケジュール表にスファックス観光は予定されていないので、朝の時間の利用も考えたいと思う。

メルキュール・スファックス
http://www.accorhotels.com/gb/hotel-6294-mercure-sfax/index.shtml
LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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January 05, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その5)

チュニジア一周の旅(準備編その5)

5.トズール

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タメルザで二泊した後、第5日目は「トズール」、「ショット・エル・ジョリド」を経由し、「ドウーズ」に向かう予定だ。トズールは、タメルザの南東約50kmにある。かつて「ローマン・アフリカの果て」と呼ばれたアルジエリアの国境に近いオアシスの街。ナツメヤシの栽培で開けたこの街で採れる「デーツ」は最高の品質で、「光の指」と称されている(写真 : 「デーツ」を付けたナツメヤシ・「ウィキペディア・フリー百科事典」のHPより)。

※「ウィキペディア・フリー百科事典」によると、ナツメヤシは聖書の「生命の樹」のモデルで、その果実である「デーツ」(英語)の語源は、ギリシア語で「指」を意味する「ダクティロス(Dactylos)」とする説が有力。「デーツ」は柔らかくなったものや干したものをそのまま食べるか、あるいはジャムやゼリー、ハルヴァ、ジュース、菓子などに加工される。また、果糖を多量に含むため、水に浸したものを発酵させて酒や酢に醸造される。さらに、乾燥させて粉にした「デーツ」は、小麦とまぜて保存食にしたり、サハラ砂漠地帯ではラクダや馬、犬などの餌にもされるという。

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トズールが栄えた理由は、ナツメヤシの栽培だけではない。北と南を結ぶ要衝の地として重要視された事も大きい。南からは「塩」、「金」、「象牙」などが、また北からは「衣服」、「生活雑貨」、「短刀」などが集まったようだ。トズールの街に入ると、日干しレンガを使った建物が並ぶと言う。壁には美しい幾何学模様がデザインされている(写真 : LOOKLEX Tunisia(トズール)のHPより)。この装飾技術は、8世紀頃のシリアやイラクをルーツとしており、10世紀にアラブ人がこの地にやって来た時に伝えられたようだ。このデザインは、この地方で織られる絨毯にも見られる。

LOOKLEX Tunisia(トズール)のHP
http://looklex.com/tunisia/tozeur.htm

ところでスケジュール表によれば、ここトズールでは「ダール・シュライト博物館」と「砂漠動植物園」を訪れる予定だ。

① 「ダール・シュライト博物館」(写真左 : LOOKLEX Tunisia(トズール/ダール・シュライト博物館)のHPより)

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チュニジアの生活・文化や歴史をわかりやすく紹介する私設博物館。チュニスにあるダルベンアブダラー邸を再現した造りになっており、「生活文化博物館」、「時代博物館」、「アラビアンナイト館」に分かれている。「生活文化博物館」は、「チュニジアの伝統的な屋敷を模した建物と中庭があり、その四方に広がる各部屋にはテーマ別に展示がある」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より・写真右 : ダール・シュライト博物館のHPより)との事。なお、ここではアラブ・イスラム時代の金貨・銀貨などが展示されているようなので、期待は大である。

ダール・シュライト博物館のHP
http://www.darcherait.com.tn/html/musee.htm
LOOKLEX Tunisia(トズール/ダール・シュライト博物館)のHP
http://looklex.com/tunisia/tozeur06.htm

② 「砂漠動植物園」

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トズールの街から西へ3km程離れたオアシスの中にある。小さな動物園だが、面白い動物たちがいるようである。砂漠に生息する蛇やトカゲ、サソリの他、ライオン、カゼルなどもいるという。特に面白そうなのが、コーラを飲むラクダ(写真左・LOOKLEX Tunisia(トズール/砂漠動植物園)のHPより)。我々の前でも見せてくれるのか? 当日のお楽しみだ。
また、手入れの行き届いた植物園には、様々な種類の木々が植えられている(写真右・前出HPより)。時期によっては、一面花が咲いていることもあるようだ。でも、我々が訪ねる時は冬なので、あまり期待できないかもしれない。

LOOKLEX Tunisia(トズール/砂漠動植物園)のHP
http://looklex.com/tunisia/tozeur10.htm

午前中だけの観光なので、これら以外にどれだけ見ることが出来るのか分からないが、出来ればトズールの中心部も見てみたい。そして可能であれば、「レンガ工房」に行きたいと考えている。街の建物に使われている日干しレンガは、トズールの特産品だ。最近は建築の外装以外の用途向けのものも数多く開発されていると言う。現在でも約20か所で作られているようなので、その中の一つでも良いから見学したい。

6.「ショット・エル・ジョリド」(写真 : LOOKLEX Tunisia(ショット・エル・ジョリド)のHPより)

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トズールの観光を終えた後、昼食を済ませ、「ショット・エル・ジョリド」を経由して「ドゥーズ」に向かう。「ショット・エル・ジョリド」は、長さ約250km、幅約20km、面積が約5,000k㎡という大塩湖だ。海抜0mで、かつては地中海と繋がっていたようだ。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「塩湖とはいっても、水をたたえた湖が出現するのは、冬の雨季の間だけで、1年のうちほとんどは、湿った大地と言った状態」との事。丁度雨季に当たるため、湖を見ることが出来そうである。トズールからショット・エル・ジョリドを横切る道路は「ケビリ」まで続いており、全長は96km、うち直線部分は55kmあると言うから、遥か彼方まで続く大地を目の当たりにすることが出来そうだ。想像するだけでもワクワクする。雨でないことを願う。

LOOKLEX Tunisia(ショット・エル・ジョリド)のHP
http://looklex.com/tunisia/chott_el_jerid.htm

7.「ドゥーズ」

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トズールからショット・エル・ジョリドを横切り東へ約120km、ここに「ドゥーズ」の街がある。この日はこの街にある「エル・ムラディ・ドゥーズ」に宿泊する予定だ。このホテルは、サハラ砂漠の入り口に立つ4つ星の高級ホテル。ロビー(写真左)、プール(写真中左)、客室(写真中右)などすべて豪華。夕食はこのホテルのレストラン(写真右)で頂く予定。どのような料理が出てくるのか楽しみである。

※写真はすべて、エル・ムラディ・ドゥーズのHPより

エル・ムラディ・ドゥーズのHP
http://www.elmouradi.com/cr2.resa/ui/aba/hotel_detail.aspx?user=869&id=700&ilng=1&curr=1


(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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January 02, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その4)

チュニジア一周の旅(準備編その4)

3.スベイトラ(スフェトラ)

ケロアンの南西約100kmの所にある。当時のビザンチン帝国のチュニジアの責任者であるグレゴリーが、自らを皇帝と名乗り、この地を首都とすべくこの町を築いた。スベイトラは、当時スフェトラと呼ばれており、オリーブオイルの産地で、これ目当ての侵略にさらされてきたという。この首都を築いて数ヶ月後、2万人を超えるアラブ兵の襲撃を受け、侵略されてしまった。「スベイトラからアラブの時代が始まった」といわれるのは、アラブが侵略した最初のビザンチンの都市がここだったからである。

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ここではねビザンチン時代のローマ遺跡を見る。見どころは、遺跡の中央にある「フォーラム(公共広場)」とその東にある「ビタリス聖堂の洗礼水盤」(写真左)、そして南に位置する「劇場」(写真中左)と「大浴場」(写真中右)である。「アントニウス・ピウスの門」(写真右)を潜ると「フォーラム」がある。正面には「神殿群」(写真中段)だ。向かって中央の神殿には「ジュピター」(写真下左)が、そして右側の神殿に「ジュノ」(写真下中)、左側の神殿に「ミネルヴァ」(写真下右)が祀られている。ドゥッガやその他の神殿と異なり、神々を個別に祀るところに特徴があるようだ。神殿の保存状態は比較的良いと言われているだけに、期待は大きい。

LOOKLEX Tunisia(スベイトラ)のHP
http://looklex.com/tunisia/sbeitla.htm

4.タメルザ

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「スベイトラ」での遺跡観光を終えた後、「タメルザ」に向かう。「スベイトラ」から南西に約180km、アルジェリアとの国境に近い山岳オアシスに位置する。山のオアシスは珍しい。この日は、「タメルザ・パラス」(写真 : タメルザ・パラスのHP)に宿泊する。切り立つ岩山の上、周囲の景色に溶け込んで立つ4つ星の高級ホテル。窓の外には、ベルベル人の旧村を含む「タメルザ峡谷」が広がるという。どのような景色を眺めることが出来るのか、楽しみである。

タメルザ・パラス
http://www.tamerza-palace.com

翌日の第四日目は、ホテルから4WDに乗り「メトラゥイ」に向かう。「メトラゥイ」から観光列車「レザー・ルージュ(赤いトカゲ)」に乗車し、「セルジャ」へ。その後再び「レザー・ルージュ」で「メトラゥイ」に戻り、そこから4WDでタメルザ峡谷の山岳オアシスの村、「シェビカ」と「ミデス」を訪れ、「タメルザ」のホテルに戻る予定だ。

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観光列車「レザー・ルージュ」(写真 : WIKIPEDIA(Lezard rouge)のHPより)は午前中に「メトラゥイ」の駅を出て、昼過ぎに再び「メトラゥイ」の駅に戻って来る、往復約1時間半のパノラマの旅だ。片道16km、往復32kmを走る。風光明媚な要所で列車が止まり、下車観光できるようなので、写真を取り損ねる心配はない。車両は、オスマン・トルコ時代の高官のお召列車だったので、内装は豪華。車両ごとに様子は異なるという。

WIKIPEDIA(Lezard rouge)のHP
http://fr.wikipedia.org/wiki/L%C3%A9zard_rouge
Le Train Lezard RoureのHP
http://www.lezard-rouge.info/

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「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」によると、「タメルザ、ミデス、シェビカは珍しいオアシス。滝と涸川の対岸にある旧村タメルザ、険しい断崖の上にバルコニーオアシスが広がるミデス、小川や滝を巡る遊歩道があるシェビカのこれらの山オアシスの村々は、1969年の大雨による大洪水で廃墟となり、遺跡のように佇む旧村が観光のポイントとなっている」との事(写真左 : タメルザ・写真中 : ミデス・写真右 : シェビカ)。4WDでの観光ということを考えると、かなりワイルドなところなのか。楽しみである。

LOOKLEX Tunisia(タメルザ)のHP
http://looklex.com/tunisia/tamerza.htm
LOOKLEX Tunisia(シェビカ)のHP
http://looklex.com/tunisia/chebika.htm
LOOKLEX Tunisia(ミデス)のHP
http://looklex.com/tunisia/mides.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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January 01, 2009

チュニジア一周の旅(準備編その3)

チュニジア一周の旅(準備編その3)

前回もお話しした通り、「ケロアン」は「ドゥッガ」の南東約150kmに位置し、周りをオリーブ畑に囲まれた内陸部の街である。「KAIROUAN」と綴られるためか、「ケロアン」ではなく、「カイルアン」とか「カイラワン」と紹介するガイドブックもある。「この街は、7世紀にマグレブ征服(イスラム化)の目的でウマイヤ朝から派遣された、総督ウクバ・イブン・ナーフィによって建設された、北アフリカにおけるイスラム発祥の地」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)である。この街が建設された後、アグラブ朝、ファーティマ朝、ズィーリ朝と続くが、各王朝の首都として栄えた。中でもアグラブ朝時代は、繁栄の絶頂期であったようだ。1057年のベドウィンの侵入により、街は破壊され衰退し、チュニスに首都が移されてしまった。

しかしこの街は、マグレブで最初のイスラム寺院「グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)」が建設されて以来、イスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ聖都とされている。ケロアンへの7回の巡礼は、メッカへの一度の巡礼に値すると言われているようだ。この日は第三日目で日曜日。スケジュール表によれば、ケロアンで訪れる先は「グランド・モスク」、「シディ・サハブ霊廟」、「アグラブ朝の貯水池」、「メディナ」の4か所。午前中目一杯観光する予定か。

① 「グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)」(写真左 : TunezのHPより)

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「640年、時の権力者ウクバ・イブン・ナーフィによって建立されたアフリカ最古のグランド・モスク。建立者の名にちなみ、シディ・ウクバ・モスクとも呼ばれている。現在ある建物の原型は、9世紀のアグラブ朝期に再建されたもの」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。モスクの内部に入ると、北側に高さ35mのミナレットが建つ(写真中左 : 同前)。これは11世紀に造られたもので、イスラム世界では最も古いと言われている。大理石が一面に敷き詰められた中庭(写真中右 : 同前)、そしてそれを取り囲む回廊(写真右 : 同前)も見事だという。回廊の柱は、ローマ・ビザンチンの遺跡から持ってこられたものらしい。中庭を挟んで、ミナレットの反対側に礼拝堂の入り口がある。アグラブ朝はアッバース朝から独立を許されたのだが、その証拠としてミフラーブ(メッカの方向を示すくぼみ)にはバグダッドより贈られたタイル画がみられる。

Tunez(グランド・モスク[シディ・ウクバ・モスク])のHP
http://tunez2.blogspot.com/2007/06/kairouan.html

② 「シディ・サハブ霊廟」(写真 : LOOKLEX TunisiaのHPより)

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「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「ムハンマドの同志で聖者、アブ・ザマ・エル・ベラウィが眠る霊廟。元々は7世紀に建てられたものだが、後の17世紀には巡礼者のための宿、モスクとミナレット、そして神学校などが付け加えられほぼ現在の姿に至る。マグレブで最も美しい霊廟といわれるが、壁、床、天井と至るところに見られる色鮮やかなアラベスク模様がそれを実感させてくれる」との事。また、「サハブとはアラビア語で友人を表すが、聖者は預言者の専属の床屋でもあったという」。彼が預言者ムハンマドの髭と共に埋葬されたため、この霊廟は「床屋のモスク」とも呼ばれている。

内部の装飾には、スペインのグラナダにある「アルハンブラ宮殿」と共通した特徴がみられるという。これは、アンダルシアの影響によるものだ。ハシフ朝の頃、レコンキスタにより、多くのアンダルシア人がチュニジアに逃れて来たためらしい。「アルハンブラ宮殿」も素晴らしかったので、是非、類似点や相違点などを見出し、比較してみたいと思う。楽しみである。

LOOKLEX Tunisia(シディ・サハブ霊廟)のHP
http://lexicorient.com/tunisia/kairouan12.htm

③ 「アグラブ朝の貯水池」(写真 : TTC TUNISIAN TRAVEL CLUBのHPより)

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「メディナ」から北へ約1kmの所にある。「9世紀、アグラブ朝時代に造られた中世世界では最高技術のもの」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)。当時14の貯水池があったようだが、現在は大小4つが残されている。この貯水池は、今もケロアン市民にとって重要な水甕。当時あった14の貯水池がどのように配置されていたのかは興味あるところだ。

TTC TUNISIAN TRAVEL CLUB(アグラブ朝の貯水池)のHP
http://www.tunisiantravelclub.com/site/info_villes.php

④ 「メディナ」

ケロアンは、チュニジアで最も有名な絨毯の産地。メディナ内にも、数多くの絨毯の店があるという。特に、メディナの南、「シディアビド・ガリアーニ霊廟」のそばにある「アラニ家の館」は必見のようだ。絨毯のお店だが、そこは「県知事の館として使われていた建物と言われ、内部の装飾は一見の価値がある。全部で14あると言う部屋には、壁や天井にエナメルや木技法のタイルや透かし彫り、柱や扉に見事な彫刻が施されている」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)からだ。

また、「マクルード」という菓子を積み上げたお店も多いようだ。ナツメヤシのあんをセモリナ粉の生地でくるんで揚げたチュニジアを代表する菓子との事。ケロアン生まれのケロアン名物。甘いもの好きの私には、楽しみな食べ物の一つだ。疲れを取るのにも甘いものは良いというので、間食にグッドか。でもメタポに注意?

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

今年のお正月は、昨年・一昨年の温かで穏やかな天候と異なり、寒さが身に沁みるように思います。今朝は、お雑煮とおせち料理を頂きましたが、数の子の塩抜きを忘れていたので、そのまま食べたところ、非常に塩辛く、一切れ食べただけで、結局残りは塩抜きすることにしました。中世のヨーロッパでは、肉を長期保存するために塩漬けにしていたと聞きますが、食べる時には塩を洗い落としただけだと言いますから、さぞ塩辛いものだったのではないでしょうか。こんなことを考えながら、のんびりお料理を頂きました。

おせち料理を食べ終えた頃、年賀状が届きました。今年の年賀状は、午前と午後の2回配達されたおかげで、12月30日の午後に投函したという方の年賀状も、本日受け取ることが出来ました。例年であれば元旦に届いた後、2日は配達されなかったので、3日まで待たなくてはいけないところですが、これも郵政民営化のおかげでしょうか。

ところで、毎年、年の初めに一年の目標を立てるのですが、今年は次の2点にしようかと考えています。

①お金をベースに、歴史と経済、旅を融合させた作品をつくるため、資料の整理を行う。
②フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語について、英語のレベルでいうと、現在はどれも中学1年程度の会話しか出来ないのですが、これを中学2年程度、つまり旅行をしていて、会話を楽しめる程度のレベルに引き上げる。

いつまで続けられるか、またどの程度達成できるかは分かりませんが、好きなこと、楽しいことは続けられるので、無理をせず、楽しみながら実行したいと考えています。年末にはどのような結果を書くことが出来るのか、自分自身に期待したいですネ。

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