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February 27, 2009

無形文化遺産シンポジウム&ベトナム民俗芸能団公演

無形文化遺産シンポジウム&ベトナム民俗芸能団公演

先日(2月20日)、堺市が主催する「無形文化遺産シンポジウム&ベトナム民俗芸能団公演」に行って来た。会場は、「リーガロイヤルホテル堺」4階のロイヤルホールである。

全体は2部構成で、【第1部】の「無形文化遺産シンポジウム」のテーマは、「生きつづける文化―無形文化遺産の伝承と発展―」で、国立民族博物館名誉教授「藤井知昭」氏がコーディネーター、「大貫美佐子」(財)ユネスコ・アジア文化センター文化協力課長、「福岡正太」国立民族博物館文化資源研究センター准教授、「白庚甠」中国文学芸術界連合会書記処書記の3名が順に事例発表した。
【第2部】の「ベトナム民俗芸能団公演」は、「藤井知昭」氏が解説した後、文化庁が平成20年度国際民族芸能フェスティバルのために招聘した芸能団により、民間音楽、民族舞踏、民間劇などが演じられた。以下、それぞれについて簡単にお話しする。

【第1部 シンポジウム】
◎事例発表
(1) コミュニティから考える無形文化遺産条約とACCUの活動
発表者 : 大貫美佐子[(財)ユネスコ・アジア文化センター文化協力課長]

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ユネスコの「無形文化遺産保護に関する条約」は2006年に発効し、今年2月5日時点で107カ国が批准しているが、なかでもアフリカやアジア、中南米の強い関心が伺える。無形文化遺産の多くが発展途上国にあるので、国際支援体制が重要である。アジア地域で見ると、次のような問題が指摘されている。

① 識字人口と教育
② 大都市への人口流出
③ 師匠の高齢化
④ 貧困
⑤ 戦争で失われた人材の確保
⑥ どこまで観光で受け入れるか(観光化による悪影響)
⑦ コミュニティの崩壊

独立して間もない国や新しく経済発展してきた国の場合、外国のものを高くする傾向があるため、伝統文化がないがしろにされがちである。またコミュニティが崩壊し、うまく伝承できない。そこでどのようにしてコミュニティを復活させるか、優良事例を集めるため、同センターではインターネットで優良事例コンテストを行い、事例収集に努めた。しかし、第一回目は80%が日本からのもので、外国からの応募は少なかった。原因は、募集の際に使用した言語が日本語、英語、仏語の3カ国語だったことにあったという。第一回目の経験を踏まえ、先日第二回目の応募を行ったところ、今回はキューバやベネズエラ、シリアなど、幅広い国々からも事例が寄せられた。

これらの中から、入賞したインドとタイ、日本の3件について、同センターHPの映像を使って説明があった。

1.インド、クッティヤタム(伝承サンスクリット劇)
http://www.accu.or.jp/ich/jp/community/kutiyattam.html
2.タイ、ナン・ヤイ(大型影絵人形劇)
http://www.accu.or.jp/ich/jp/community/nangyai.html
3.日本、黒川能(蝋燭能)
http://www.accu.or.jp/ich/jp/community/rosokunoh.html

このように、事例を集める努力はしているが、コミュニティに専門家が育っておらず、また「無形文化遺産保護に関する条約」ですら知らないため、どのように掘り起こしていくかは今後の大きな課題である。

アジア太平洋無形文遺産データーベース
http://www.accu.or.jp/ich/jp/training/curriculum/curriculum_3.html#
(財)ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)
http://www.accu.or.jp/ich/jp/


(2) 芸能の伝承と映像記録の役割
発表者 : 福岡正太[国立民族博物館文化資源研究センター准教授]

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動きと音を記録できるビデオは、芸能の所作や進行、それに伴う言葉や音楽を記録するには最適のメディアであると考えられるが、これを芸能の伝承に役立てるには、様々な工夫が必要である。この点について、国立民族博物館によるカンボジアの大型影絵芝居「スバエク・トム」の映像記録を使い、説明があった。

・「スバエク・トム」は、ラーマーヤナを題材とする影絵芝居で、ウシの革(スバエク)に物語の一場面を彫り込んだものを用いる。演者は、ピン・ピアットと呼ばれる伝統的な音楽アンサンブルを伴奏に、スクリーンの裏と表の両側で演じ、舞踏的な体の動きも見せ所となるのだが、上演の要となるのは「語り」である。しかし、ポル・ポト時代に多くの演者が死亡し、要となる「語り」を受け継ぐ若者がいないのが現状だという。現在は亡くなったが、当時長老の「ティー・チアン」さんにインタビュー出来たことは貴重である。これらの映像を上映し、ビデオがどのように役立つのかを考えてみた。

<上映会の効用>
・芸を見つめ直す機会
・改めて芸能を振り返り、それが置かれている状況を考える機会
・園芸能に対して自分たちが何を出来るかを考えるきっかけ

<映像記録の可能性>
・単なる過去の記録としてではなく、芸能の伝承に資する資源として映像記録を生かす
・撮影・編集・公開までを、芸能の伝承プロセスの中に位置付けて考える

<問題点>
・無形文化財は人類共有の貴重な財産であり、無形文化財の保護は重要で、映像記録を残す事も有益だが、問題点もある。その一つが「秘伝」だ。大事なレパートリーや奥儀は、修業を積み、一定の条件を満たした者だけに伝えられるという「秘伝」は、その芸能を支える価値に由来するものだが、人類共有の遺産という大義名分により、芸能をになう人々の意向を無視して映像を公開した場合、その芸能を支える人々の社会秩序や価値観に大きな影響を与える可能性がある。

福岡正太・文化資源研究センター・准教授
http://www.minpaku.ac.jp/staff/fukuoka/
国立民族学博物館
http://www.minpaku.ac.jp/


(3) 無形文化遺産保存の中国の新しい取り組み
発表者 : 白庚甠[中国文学芸術界連合会書記処書記]

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21世紀に入ってから、中国は文化遺産、特に無形文化遺産保護の新しい時代を迎えた。それは主に工業化、都市化とグローバル化による中国文化に対する挑戦に応えるためである。無形文化遺産を主とする文化遺産を保護する目的は民族性を守り、文化の安全を確保し、文化的ソフトパワーを強めるところにある。この文化的ブームの主な象徴の現れは、中華人民共和国文化部が提案・実施した「中国民族民間文化保護プロジェクト」及び中国文連に所属する中国民間文芸家協会が主管する「中国民間文化遺産緊急補修プロジェクト」である。これらの事業を効果的に行うために、国家が核無院文化遺産指導部を立ち上げ、文化遺産保護に関する部際会議制度を作り、適切な措置を取った。目下、無形文化遺産の保護は全国において盛んに行われ、全民族の文化的自覚を呼び起こし、国際孔子学院ブーム、百家講壇ブーム、第四回儒学の復興、伝統祝日ブーム、文化遺産観光ブームなどを引き起こし、中華文化の復興を促進している。


◎パネルディスカッション
当初、事例発表者によるパネルディスカッションが予定されていたが、時間が無くなったため中止された。パネリストの意見がぶつかり合うところを期待していたので、少し残念であった。


【第2部 ベトナム民俗芸能団公演】
◎ベトナムの民間の様々な芸能や儀礼を元にして構成した、民俗音楽、民俗舞踊、民間劇など

今回招聘された民族芸能は、北ベトナムのハノイを中心に伝承されているもので、以下の4演目が演じられた。

① 「ハット・チェオ」(民衆オペラと考えると分かりやすい)
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ベトナムの伝統的な民族歌劇と称される芸能で、歌、演技などによって、悲恋物語などが展開されていく、中国京劇の影響の強い宮廷歌劇ともいえるハット・トゥオンも古くから演じられ、村祭りなどの折、村の広場でも演じられたと伝えられ、現在はハノイのチェオ劇場はじめ各地に専門集団が組織されて多彩な公演を行っている。

写真 : 男装して出家した女性僧に、女の人が恋し、口説いて行くお話し。

② 「サム」
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民謡を基にしながら都会化された叙情詩であり、一人しみじみと心情を歌うなどのスタイルが多い。二胡だけの弾き語りのように歌う形や、それに太鼓などの打楽器も加えた伴奏で歌われることも増えてきている。

写真 : ベトナムの軍人は、詩を作るのがたしなみ。6・8調のものを作って弾き語りをする。今回は親への思いを歌う。

③ 「クアンホー」
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バクニン地方の民謡であり、村の祭りなどの時などに青年男女が歌をかけ合う形で歌い合う歌垣ともいえる形態である。ベトナム戦争中に現代風にアレンジされ歌謡曲のように歌われ、全国的にも広がって行った。現在もバクニン地方の村々では、古くからの伝わる歌だけの掛け合いの形式や現代的な楽器を用いるなどの多様なスタイルで歌われている。

写真 : ベトナム戦争の頃、彼が出陣する際に、彼女が私を一人にしないでといった内容を謳ったもの。歌謡曲にもなったという。

④ 「チャウバン」
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シャーマン儀礼を基にして、再構成され芸能化されて、神がかりの際、少数民族の神の霊がシャーマンに入り込むなどの状況を歌と踊りで表現するなどの型で演じられることが多い。

写真 : 少数民族の女の神様が、絶世の美女や貴公子など、色々な姿に変身して行く内容。

藤井 知昭国立民族学博物館名誉教授
http://www.minpaku.ac.jp/staff/emeritus.html


今回シンポジウムに参加して感じたことは、次の3点である。
第一は、科学が発達した現在、無形文化財の保護はますます難しくなるのではないかということ。無形文化財に指定されるもの、特に芸能的なものの起源を探ると、自然への敬いや恐れなどから始まったもの、信仰的なものが多いのではないだろうか。科学により自然現象が解明されていく現代にあって、信仰する心が薄れ、自然消滅して行くのはやむを得ないことなのかもしれない。

第二は、資本主義経済が発達した現在、無形文化財となるものを守るには、それを守ることによる経済的メリットが無いと、伝承者も現れないのではないかということ。日本の例で見ても、歌舞伎や能などは、保護だけでなく、興行することにより収入が得られ、経済的に自立できる基盤があるから伝承者も出てくるのであって、経済的に成り立たないのであれば、ボランティア的継承者が一時的に現れても、長続きはしないのではないだろうか。

第三は、中国における少数民族の無形文化財保護について、政治的に難しいものがあるのではないかということ。中国の少数民族問題については良くわからないが、少数民族の文化を尊重・保護する一方、経済的にメリットを感じさせることで、政治的安定を図る意図があるのかもしれない。


大阪駐在ベトナム総領事館
http://www.kisweb.ne.jp/jva/ryoujikan.html

(参考)
・会場配布資料「無形文化遺産シンポジウム&ベトナム民俗芸能団公演~しおり~」

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February 26, 2009

チュニジアの紙幣(その4)

チャニジア一周の旅(番外編4-チュニジアの紙幣)
貨幣ぶらり旅(第152回)

今回はチュニジアの「10ディナール紙幣」と、現在は流通していない「1ディナール紙幣」2種類、並びに「1/2ディナール紙幣」をご紹介する。

平成21年2月11日付当ブログ「チュニジアの紙幣(その2)」でご案内した通り、「10ディナール」については現在3種類の紙幣が流通している。すでに2種類についてはご紹介しているので、今回は残りの1種類についてお話しする。

① 「10ディナール紙幣」(2005年から発行)
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(表面)
右側にフェニキアの王女「エリッサ」の肖像が、また中央にはカルタゴの中心にある「アビディン・モスク」が描かれている。

(裏面)
左側にドゥッガの「キャピトル」が、右側には衛星用パラボラ・アンテナの図が描かれている。

LOOKLEX Tunisia(ドゥッガ・キャピトル)のHP
http://looklex.com/tunisia/dougga02.htm

② 「1ディナール紙幣」(1980年から発行・1996年に通用停止)
※チュニジア中央銀行貨幣博物館のショップで入手(以下同じ)
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(表面)
右側にチュニジアの初代大統領「ハビブ・ブルギバ」の肖像が、また中央にはカルタゴの「ローマ劇場」が描かれている。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ・ローマ劇場)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage07.htm

(裏面)
7つの温泉からなるスパリゾートとして注目を浴びているコルブスの、湯治場施設の一部が描かれている。

LOOKLEX Tunisia(コルブス)のHP
http://lexicorient.com/tunisia/korbous.htm

③ 「1ディナール紙幣」(1973年から発行・1995年に通用停止)
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(表面)
ほぼ中央にチュニジアの初代大統領「ハビブ・ブルギバ」の肖像が、右手と下には色々な産業設備が描かれている。

(裏面)
中央に幾つかの手工業に携わる人物像が、その左右には産業設備が描かれている。

④ 「1/2ディナール紙幣」(1973年から発行・1995年に通用停止)
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(表面)
ほぼ中央にチュニジアの初代大統領「ハビブ・ブルギバ」の肖像が、その左右には農作業に従事する人々が描かれている。

(裏面)
中央にオリーブやナツメヤシの木、器に盛られたオレンジなどのフルーツが、左側には牧畜業の羊を、また右側には漁業の収穫物である魚が描かれている。

(参考文献)
・「NUMISMATIQUE ET HISTOIRE DE LA MONNAIE EN TUNISIE・TOMEⅢ」(BANQUE CENTRALE DE TUNISIE)
・「Standard Catalog of WORLD PAPER MONEY 2」(1368-1960)[Krause刊]

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February 25, 2009

チュニジアの紙幣(その3)

チャニジア一周の旅(番外編3-チュニジアの紙幣)
貨幣ぶらり旅(第150回)

今回は、チュニジアの20ディナール紙幣と30ディナール紙幣についてお話しする。

① 「20ディナール」(1992年9月21日から)
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(表面)
19世紀に活躍したエトウンシー(k.ettounsi)の騎馬姿が中央に、右手に下院議事堂の入り口、左手に「シディ・メルツ」モスクが描かれている。

(裏面)
5ディナール紙幣や10ディナール紙幣同様、「1987年11月7日」を記念した文字と鳩が中心に、そしてその背景には農業労働者、工場労働者、鉄道、高層ビルが描かれている。

② 「30ディナール」(1997年10月20日から)
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(表面)
右手に20世紀初期の詩人チェッビ(Abou el Kacem Chebbi)の肖像画、背景に高速道路のインターチェンジや遺跡の柱など、そして下部に大きなドーム状の建造物が描かれている。


(裏面)
水飲み用の給水塔で水を飲む羊の群れ、絨毯を織る女性、農耕地、水を飲む少女達が描かれている。

WIKIPEDIA(Abou el Kacem Chebbi)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Abou_el_Kacem_Chebbi

(参考文献)
・「NUMISMATIQUE ET HISTOIRE DE LA MONNAIE EN TUNISIE・TOMEⅢ」(BANQUE CENTRALE DE TUNISIE)
・「Standard Catalog of WORLD PAPER MONEY 2」(1368-1960)[Krause刊]

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February 24, 2009

チュニジアの現行コイン

チャニジア一周の旅(番外編-チュニジアのコイン)
貨幣ぶらり旅(第151回)

今回は、チュニジアの現行コイン。現在、市中で使われているコインは5ディナール、3種類の1ディナール、3種類の1/2ディナール、100ミリーム、50ミリーム、20ミリーム、10ミリーム、5ミリームの計12種類だが、5ミリームはほとんど見かけなかった。また、1/2ディナールのうち1種類は入手できなかった(表面にチュニジアの地図が描かれているもの : ③と同じデザイン)。以下、個別のコインについてご紹介する。おな、写真は左が「表面」、右が「裏面」である。

① 「5ディナール」(2002/1423)
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・表面 : チュニジアの国章、両脇に7つの実を付けたオリーブの枝
・裏面 : ハビブ・ブルギバ元大統領の左向き頭像
・初発行 : 2002年(イスラム暦1423年)
・材質 : 内側・ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)、外側 : 銅(銅92%、アルミニウム6%、ニッケル2%)
・重量 : 10g
・直径 : 29mm(内径19mm)
・エッジ : 10角形、6つのリーディッド(ギザ)と6つのプレーンが交互

② 「1ディナール」(1996/1416)
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・表面 : チュニジアの国章、両脇に7つの実を付けたオリーブの枝
・裏面 : オリーブを摘むチュニジアの民族衣装を身につけた若い娘の半身像を中心に、左側にはシュロの樹とトラクターのある風景、右側に小麦畑が描かれている。
・初発行 : 1996年(イスラム暦1416年)
・材質 :ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)
・重量 : 10g
・直径 : 28mm
・エッジ : プレーン

③ 「1ディナール」(1988)
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・表面 : チュニジアの地図
・裏面 : ②と同じ
・初発行 : 1988年
・材質 : ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)
・重量 : 10g
・直径 : 28mm
・エッジ : プレーン

④ 「1ディナール」(1976)
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・表面 : ハビブ・ブルギバ元大統領の左向き頭像
・裏面 : ②と同じ
・初発行 : 1976年
・材質 : ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)
・重量 : 10g
・直径 : 28mm
・エッジ : プレーン

⑤ 「1/2ディナール」(1966/1416)
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・表面 : チュニジアの国章、両脇に7つの実を付けたオリーブの枝
・裏面 : 相対するピンと指の伸びた2つの手、ひとつは「麦の穂」を指で挟み、もう一つは3つの「果実」を乗せている
・初発行 : 1996年(イスラム暦1416年)
・材質 : ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)
・重量 : 10g
・直径 : 24mm
・エッジ : プレーン

⑥ 「1/2ディナール」(1976)
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・表面 : ハビブ・ブルギバ元大統領の左向き頭像
・裏面 : ⑤と同じ
・初発行 : 1988
・材質 :ニッケル銅(銅75%、ニッケル25%)
・重量 : 8g
・直径 : 24mm
・エッジ :プレーン

⑦ 「100ミリーム」(1960/1380)
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・表面 : 国名
・裏面 : 額面
・初発行 : 1960/1380 (イスラム暦1380年)
・材質 : 亜鉛銅(銅69%、亜鉛31%)or(銅72%、亜鉛28%)
・重量 : 7.5g
・直径 : 27mm
・エッジ : リーディッド(ギザ)

⑧ 「50ミリーム」(1960/1380)
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・表面 : 国名
・裏面 : 額面
・初発行 : 1960/1380 (イスラム暦1380年)
・材質 : 亜鉛銅(銅69%、亜鉛31%)or(銅72%、亜鉛28%)
・重量 : 6.1g
・直径 : 25mm
・エッジ : リーディッド(ギザ)

⑨ 「20ミリーム」(1960/1380)
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・表面 : 国名
・裏面 : 額面
・初発行 : 1960/1380 (イスラム暦1380年)
・材質 : 亜鉛銅(銅69%、亜鉛31%)or(銅72%、亜鉛28%)
・重量 : 7.5g
・直径 : 22mm
・エッジ : リーディッド(ギザ)

⑩ 「10ミリーム」(1960/1380)
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・表面 : 国名
・裏面 : 額面
・初発行 : 1960/1380 (イスラム暦1380年)
・材質 : 亜鉛銅(銅69%、亜鉛31%)or(銅72%、亜鉛28%)
・重量 : 3.5g
・直径 : 19mm
・エッジ : リーディッド(ギザ)

⑪ 「5ミリーム」(1960)
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・表面 : オリーブの木
・裏面 : 額面
・初発行 : 1960
・材質 : アルミニウム(100%)
・重量 : 1.5g
・直径 : 23mm
・エッジ : リーディッド(ギザ)

(参考文献)
・「NUMISMATIQUE ET HISTOIRE DE LA MONNAIE EN TUNISIE・TOMEⅢ」(BANQUE CENTRALE DE TUNISIE)
・「世界コイン図鑑」(平石国雄・二橋瑛夫編・著)[日本専門図書出版刊]

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February 23, 2009

日本文化体験―和菓子作り―

茶の湯ぶらり旅(第41回)

堺・バークレー協会が主催する、「日本文化体験―和菓子作り―」に参加した。ご存知の通り、茶の湯はお茶をたてるだけではない。亭主のテーマに沿った、道具や花、お軸などが揃えられる。茶菓子もその一つだ。テーマに合う菓子を作ってもらうため、菓子職人に依頼する。請負った菓子職人は、依頼者の意向をくみとり創意工夫する。茶道初心者の私にとっては、菓子作りそのものの体験も、茶道を楽しむ上で役立つのではないかと思い、今回、この「和菓子作り体験」に参加したのである。

参加者は25名程度。講師は管理栄養士の橋本通子先生で、教えて頂いたのは「翡翠羹(ひすいかん)」と「こなし・若草」(※)の2点。それぞれの材料と調理方法は次の通り(会場で配布されたレシピより)。
※「こなし」とは、「熟す(こなす)」という意味。

Ⅰ.「 翡翠羹」(流し箱1個分)
① 材料
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・粉寒天(2g)
・水(300ml)
・グラニュー糖(90g)
・白こしあん(250g)
・葛粉(5g)と水(20ml)
・抹茶(小さじ1/2)とぬるま湯(大さじ1)

② 調理方法
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ア. 粉寒天は分量の水に浸し膨潤させ、火にかけ煮溶かす。中心まで泡が寄つたらグラニュー糖を加え、再沸騰させる。
イ. 白あんを小さくちぎっておき、ア.に加え、木ヘラでよく混ぜて溶かし、水溶きした葛を加えて、手早く混ぜ合わせ火を止める。
ウ. 抹茶をぬるま湯で溶かし、イ.に混ぜ合わせ、ぬらした流し箱に流しいれ、冷蔵庫で冷やして固める。
エ. 人数分に切り分ける。

③ ポイント
ア. 粉寒天と水を火にかけ沸騰させる時、泡が中心まで出るまで煮ること。
イ. 抹茶はよく溶かしておくこと。


Ⅱ.「こなし・若草」
① 材料(12個分)
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・白並あん(340g)
・もち粉(18g)
・薄力粉(24g)
・着色料(適宜)
・中あん[小豆並あん(1個15g : 15g×12個分=180g)]

② 調理方法
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ア. もち粉と薄力粉はふるいにかける。
イ. 白並あんに粉類を混ぜ合わせて20分蒸す。
ウ. 蒸しあがった生地を、ぬれ布巾を使ってよくこなす。
エ. 6等分に分け、1人2個分配る。
オ. 生地を半分に分け、好みで着色する。
カ. 中あんは12等分して丸める。
キ. 1つ分の生地で中あんを包あんする。最後はしっかり閉じて形を整える。
ク. 布巾や細工棒を使って形を整える。

③ ポイント
ア. よくこなすと、生地もやわらかくなります。
イ. 綴じ目は下にすること。

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「あん」が準備されていたので、本日の作業はそれほど難しくはない。後はどのような形のものを作るのか、創意工夫だけである。皆さんの作品も写真に撮らせて頂いたが、どれもきれいに仕上がっており、美味しそうである(写真)。作る楽しみ、食べる楽しみを味わうことが出来る半日であった。
ところで、堺・バークレー協会が主催する「日本文化体験―和菓子作り―」なので、参加者に外国人を想定していたのではないかと思うのだが、生徒は全員日本人であった。外国人の方には、なかなか情報が伝わらないのだろうか。次の「日本文化体験」に期待したい。


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February 22, 2009

パリ経由で関空へ

チュニジア一周の旅(第23回・最終回)

10日目~最終日[1月18日(日)~19日(月)]

5:40 起床
5:58~6:10 ホテルのレストランで朝食
6:45 バスでホテルを出発
6:55 チュニス・カルタゴ空港に到着、チェックイン
7:20 出国・セキュリティーチェック
7:30 ~8:30 ビジネスクラス空港ラウンジで休息
8:37 塔乗
8:52 飛行機始動
9:02 離陸
9:30 機内で朝食
11:05 パリ・シャルルドゴール空港に到着
11:35 セキュリティーチェック
12:05~12:45 ビジネスクラス空港ラウンジで休息
12:50~13:10 搭乗手続きし、バスで飛行機まで移動
13:10 塔乗
13:39 飛行機始動
13:53 離陸
14:55 機内で昼食
16:40 サンクトペテルブルク上空飛行
19:30 機内で軽食/その後寝る
(1月19日)
0:00(日本時間8:00・以下日本時間) 目覚める
8:40 着陸
9:00 入国・税関通過

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本日はいよいよ最終日、帰国の日である。朝早いのは慣れているので食欲はあるのだが、空港のラウンジと機内での食事を考え、朝食は少し控えめにした(写真左)。部屋に戻って身支度をし、忘れ物が無いか最終チェックを行い、ロビーに向かった。ホテルからバスに乗り、空港までは約10分と、非常に近い(写真中左 : 空港内)。日曜日でかつ朝も早く、渋滞に合わなかったからであろう。チェックイン、セキュリティーチェック、出国審査もスムースに進んだので、空港のお店(写真中右)を見てからビジネスクラスのラウンジに向かった。ラウンジの入口横に、どこかで見たことのあるモザイク画が飾られている。チュニスの「バルドー博物館」で見た、あの有名な「オデュッセイアとセイレーン」のコピーであった(写真右)。ラウンジ内は広々としており、お客もほとんどいない。ゆったり座れるソファーの席に付き(写真下左・下右 : 案内ボード)、軽く2度目の食事を頂いた。1時間ほど休憩し、ぼちぼちラウンジを出ようとしていたところ、添乗員があわててやって来て、「乗り遅れますヨ」の一言。まだ時間はあると思っていたのだが、添乗員が指定した集合時間を過ぎてしまっていたのだ。少し離れたところに搭乗口はあるのだが、そこから私を呼び出すため、走って来てくれたのである。申し訳ないと思いつつ、有難いとも思った。添乗員に連れられ、「50番」搭乗口に向かう。まだ大勢の人がいたので、ホッと一息である。

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離陸して30分程すると、機内食が出された。本日3度目の朝食である。ハム・チーズにフルーツとパン、ヨーグルトと言った簡単なものだったので、すべて頂いた(写真左)。旅の初めのころとは違い、食欲は旺盛である。2時間ほどでパリ・シャルルドゴール空港に到着。次の搭乗口が近かったので、セキュリティーチェックを済ませ、少し空港内のお店を見た後(写真中 : チョコレートのお店)、ビジネスクラスのラウンジに向かった。関空から来た時と同じく、ラウンジはほぼ満席である。しばらくウロウロしていると、一つのテーブルが空いたので、すぐにその席を確保した。ここではジュースとクッキーを頂く程度に留めた。同じツアーメンバーの女性がやってきたので、席をシェアーしてお話ししていた。1時間半超、ラウンジで過ごし、搭乗案内に合わせて席を立った。ゲートナンバーは「F49」(写真右)。そのまま機内に乗り込めると思っていたら、ここからバスで移動しなければならなかった。しばらくバスが来るのを待つ。風が吹いているので寒い。パリは、チュニジア程温かくはない。バスで5分ほど揺られ、塔乗飛行機の前に到着。タラップを上り、ようやく搭乗である。帰りの飛行機も、私の好きな真ん中の通路側の席「3G」だ。席に着いてから40分ほどで離陸。さらに1時間程すると昼食が出された。

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メニューは次の通り。
・オードブル(鴨フォアグラのテリーヌ、ジンジャーブレッド、サルタナレーズンと玉葱のマーマレード : 写真左)
・メイン(和風スペシャル : 鴨の照り焼き、御飯、味噌汁 : 写真中)
・デザート(シャーベット、クッキー、紅茶 : 写真右)

食後しばらくは日本の新聞などを読む。たった10日間程度のことなのだが、浦島太郎になったような気分だ。気になる相撲は、引退の噂が渦巻いていた「朝青龍」が全勝、一方期待の新大関「日馬富士」は2勝5敗、大関「琴光喜」に至っては1勝しかしていない。政治経済に目を向けると、明後日、オバマ氏はアメリカ合衆国の大統領に就任するのだが、株価は暴落、為替も円高が進んでいた。現地時間の19:30頃、軽食を頂き、その後は関空まで寝ることにした。日本時間の午前6:00頃に朝食が出るのだが、これを食べるために起きると、後で時差ボケが始まることが分かっていたので、朝食はパスした。到着間近のアナウンスで目覚め、準備を整えて着陸に備えた。午前8:40、無事に関空に着陸した。
これで今回の旅も終り。本当に楽しかった。次はどこに行こうかな?
ところで、入国を済ませた後、関空のレストランで朝食を頂いた。メニューはカツ丼。やはり日本食は美味い。とんかつも美味い。豚を食べないイスラム教徒はかわいそうである。


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February 21, 2009

チュニジア中央銀行貨幣博物館

チュニジア一周の旅(第22回)
貨幣ぶらり旅(第150回)

シディブサイドの観光を終え、チュニスに戻ってきたのは午後3:00 ころ。念願の貨幣博物館に行く時間は十分にある。ホテルの前でバスを降り、そのまままっ直ぐ貨幣博物館に向かった。昨日、場所を確認しているので、5~6分で到着。昨日私を引き止めた警官らしき人物が、今日も警備に当たっていた。
「こんにちは。貨幣博物館に来たヨ」
「今開いているヨ」
「では、行って来るネ」
「ではまた」

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貨幣博物館の前の階段を上り、ガラスの扉を開けると、中は少し暗くなっている。正面にディスプレイがあったので覗いてみると、金貨が輝いている。チュニジアの記念コインだ。コイン類は傾斜したディスプレイに展示されており、ディスプレイに付いている可動式のルーペで、ひとつひとつを拡大してみることが出来る(写真左・中左)。中央にある円形のディスプレイには、ローマ時代の地図と、それぞれの地域で発行されたコインが展示されている(写真中右・右)。コインコレクターの私にとっては、どれも魅力的な展示ばかりである。しばらくキョロキョロしていると、係員の男性がやって来た。

「こんにちは」
「こんにちは」
「英語は話せますか」
「話せません」
その後私が展示を見ていると、彼は私の後をついてくる。
「展示を見ているだけだから」と言うと、ついてくるのを止めた。
何故ついてきたのかは分からないのだが、何か心配でもあったのだろうか。

しばらくすると、また彼がやって来た。博物館の案内書が欲しかったので、
「貨幣博物館の本(案内書というフランス語を知らなかったので)はありますか」
「・・・・・」
「このぐらいの」と手で大きさを示すと、彼は分かったようで、奥の部屋に入り、パンフレットを持って来てくれた。
「フランス語だョ」
「大丈夫。辞書を使って読みますから。ところで、チュニジアのお金の本はありますか」
しばらく考えてから、
「こちらに」と言って、奥の方に案内してくれた。そこはショップで、別の男性がいた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「英語は話せますか」
「少しだけ」
「インターネツトで見たのですが、チュニジアのお金に関する本を販売されているようですネ」
「ええ。これです。フランス語版とアラビア語版しかないのですが・・・」

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書棚から分厚い本を取り出してきた。300ページほどの分厚さ。アート紙仕様。まるで美術書だ。しかしこれだけではない。あと2冊でて来たのだ。3分冊だ。第一分冊は「カルタゴ・ローマ時代」、第二分冊は「イスラム時代」、第三分冊は「近現代のチュニジアコイン」(写真)である。

「大丈夫です。辞書を使いながら読みますので。おいくらですか」
「一冊60ディナールです」
1ディナール=70円と考えると、1冊4,200円。日本であれば、1万円ぐらいするような本なので安い。だが手元には100ディナールぐらいしかない。
「日本円ではダメですか」
「日本円は・・・・ダメですネ。ドルかユーロならいいですヨ」
300~350ユーロ程持っていたので、
「ユーロだといくらになりますか」
「・・・・・。ちょっと待ってください」
私も計算してみた。1ユーロ=120円程度だったので、3冊まとめて100ユーロぐらいかなと思っていると、
「100ユーロでいいですヨ」との事。
「それでは頂きましょう。でも重くなりますネ」
「それほどでもないですヨ」
しかし、3冊で6kg以上あったので、決して軽いとは言えない。
「この博物館は昨年オープンしたそうですネ」
「ええ。昨年の11月にオープンしました」
「日本人は、私が第一号ですか」
「いいえ。二人目ですネ。来訪者ノートに、日本人の名前が書いてありましたから。本を買ったのは、あなたが最初です」
「そうですか」
「ところで、紙幣の印刷やコインの製造はどこで行っているのですか」
「チュニジアには印刷局や造幣局はありません。ドイツやフランス、イタリアなどに依頼しているのです」
「そうだったのですか」
など、しばらく雑談をした後、再び展示室に戻った。

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展示を見ながら写真を撮っていると、また私についてきた男の人が現れた。英語が通じないのは不便だが、片言のフランス語と身振り手振りで何とかなるものだ。彼に連れられ2Fに上がると、紙幣が展示されていた(写真 : 2Fから見た1Fの様子)。ここでも写真を撮り、しばらく見学した後、博物館を出ることにした。やはり3冊の本は重い。本日の夕食会場は、メディナにあるレストラン「ダル・ハムダ・パシャ」だったので、博物館を出た後、メディナを散策し、直接会場に行くつもりだったのだが、あまりにも本が重かったので、一度ホテルに戻ることにした。

チュニジア中央銀行
http://www.bct.gov.tn/bct/siteprod/francais/index1.jsp
貨幣博物館関連
http://www.tunisiaonlinenews.com/2008/11/29/new-state-of-the-art-%E2%80%9Cmoney-museum%E2%80%9D-retraces-2500-years-of-history/

どのようにしてこの本を持って帰るのか、それを考えなければならない。飛行機に乗る時、荷物を預けるのであれば、ビジネスクラスは30kgまでOKなので問題はないが、私は手荷物だけで旅行しているので、飛行機会社によっては7~8kgに制限されている場合もあるからだ。一旦カバンを空にして、必要なものとそうでないものを分け、何度も詰め直してみているうちに、外は暗くなってしまった。今更出かけるのも面倒になったので、入浴を済ませ、ツアーメンバーの人達と一緒にバスでレストランに出かけることにした。

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午後6:30にホテルを出てメディナを半周し、「カスバ広場」(写真左)でバスを降りる。ツアー初日、メディナの散策を終えた後、バスに乗った場所と同じだ。この広場以外に、バスを停められる場所が無いのであろう。ホテルから歩いた方が、かかる時間は少なく済むであろう。カスバ広場から東に100mほど進み、「ハムダ・パシャ・モスク」を左折、北へ2~30mでレストラン「ダル・ハムダ・パシャ」に到着した。工事中だったこともあるが、外観はさえない(写真中左・中右)。ここは元トルコ高官のお屋敷だと聞いていたので、大いに期待していたのだが、少々ガッカリである。だが、中に入ると違っていた。高い天井(写真右)に、スペイン・コルドバのメスキータを思い出させるような柱(写真下左)、壁にはレースのように繊細なデザイン(写真下中左)、そしてイスラム調のタイルの壁(写真下中右)、どれも素晴らしい。正面には3人の男性が座って、楽器を演奏している(写真下右)。中央の人は撥弦楽器ウードを、左の人はヴァイオリンを、そして右側の人はパーカッションのレクを弾いている。午前の観光で訪ねた「地中海アラブ音楽センター」に、数多くの楽器が展示されていたので、もう少しキッチリ見ておけばよかったと、少々後悔した。演奏を聞きながら食事を頂く。なんと優雅なひとときであろう。

夕食のメニューは、次の通り。
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・チュニジアンサラダ(写真左)
・小型のブルック(写真中左)
・ファティマの指(写真中右)
・肉団子(写真右)
・タジン(写真下左)
・メインディッシュ(モスリ : トマトベースの羊肉煮込み・写真下中左)
・デザート(アシダ : クリーム、アーモンドの粉が層になったデザート・写真下中右)
・ミントティー(写真下右)
・赤ワイン

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メインイディッシュが出た後、デザートが出るまでの時間を利用して、この建物の内部を見て回ることにした。階段を上ると、高い天井近くにある回廊に出る(写真左)。ここからツアーメンバーの姿を、真下に見ることが出来る(写真中左・中右)。この回廊の周りにも部屋がある(写真右)。現在は個室として使用されているようだ。1Fに戻り、正面左手の奥に進むと、特別室らしき部屋がある。こちらの壁や天井のデザインも美しい。やはり、元トルコ高官のお屋敷と言うだけのことはある(写真下左・下右)。

Dar Hamouda Pacha案内のHP
http://www.wcities.com/en/record/,358153/708/record.html

約1時間、ディナーを楽しんだ後、午後8:00過ぎにレストランを出た。来た道を戻り、「カスバ広場」からバスに乗ってホテルに戻った。まだ午後8:30ぐらいだったので、いつものように資料を整理し、加えて明日は帰国の日なので、荷物の最終チェックも行い、午後10:15頃、ベッドに入った。

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・「Monnaies Tunisiennes a travers l’histoire(Collection de la BCT)」(Banque Centrale de Tunisie)

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February 20, 2009

「願いを込め新春をいろどる―中国年画の世界―」展

「願いを込め新春をいろどる―中国年画の世界―」展

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先日、「願いを込め新春をいろどる―中国年画の世界―」展(写真左 : 同展チラシ)を見るため、「和泉市立いずみの国歴史館」(写真右)に行って来た。今回展示された「年画」は、同館に隣接する桃山学院大学が所蔵する3,000枚を超えるコレクションのうち、吉祥画、神仙画、風景画、故事画、劇中画、英雄画などのテーマ別に厳選した約120点である。これまで「年画」というものの存在を知らなかった私にとって、今回の展示は非常に斬新なものに映った。最初に私のような初心者の方のために、簡単にコメントする。

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「年画」とは、中国で春節(旧暦正月)に家の門扉や室内に貼る版画のことで、新年の除厄招福や長寿、出世など庶民生活の様々な願いが込められている。「年画」には吉祥画、神仙画、風景画、故事画、劇中画、英雄画などがあり、新年を迎えるために一年ごとに新しいものに貼り替えるもので、芸術品として室内に保存し飾っておくものではないとの事。「年画」は、「鳳翔(ほうしょう)」や「綿竹(めんちく)」、「楊柳青(ようりゅうせい)」、「桃花塢(とうかう)」など中国各地で製作されており、それぞれ図画に特徴がある。また、ベトナムにも同様のものが見られるようだ。

※写真は左から順に、「揺銭樹」(祥瑞吉利の年画の代表作)、「招財童子至(福の神)」、「芙蓉蓮餘」、「水滸伝一場面」。「招財童子至(福の神)」以外は本展案内チラシより。

「年画」の絵柄の中には、色々な植物や動物が描かれていて、それらは特別の意味を持っている。その中の幾つかをご紹介する。

① 植物
・梅 (早春、不老不死、永遠の栄、貴人)
・菊 (秋、不屈、不老長寿、天子の位)
・牡丹 (富と地位、花王、豪華、美女)
・芙蓉 (富貴花、栄華、美人、酔)

② 動物
・鹿 (長寿、長命、富裕、繁栄隆盛)
・金魚 (金玉、富余、幸運、典雅高貴)
・龍 (英雄、勇敢、権威、尊貴、幸福)

③ 器物
・金銭 富豪、財産、富裕、幸福
・宝珠 情熱、光明、熱狂、明敏
・剣 悪魔除去、軍事力、保身利器

水墨画や浮世絵、西洋絵画とも異なり、カラフルで少しマンガチックなところのある「年画」。美術品ではなく、人々の生活の中で使われる「生活用品」に位置づけられており、中国の生活文化を知るひとつの手掛かりになる。興味のある方は、ご覧になっては如何だろうか。本展は、2月22日(日)まで開催されている。

「和泉市立いずみの国歴史館」のHP
http://www.city.izumi.osaka.jp/sisetu/izumi.html

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February 19, 2009

シディ・ブ・サイド観光

チュニジア一周の旅(第21回)

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昼食を終え、午後1:00にバスで「シディ・ブ・サイド」に向け出発した。「ジディ・ブ・サイド」はチュニスの北東18kmに位置し、チュニジアンブルーのドアや窓枠と白い壁、そして青空が見事に調和しており、チュニジアで最も美しい街といわれている。「チュニジア一周の旅(準備編その10)」で見たように、「ジディ・ブ・サイド」という街の呼び名は、聖人ジディ・ブ・サイドの名前を由来とする。カルタゴとは2km程しか離れておらず、バスで5~6分走ると到着した。しかし、バスを降りてから、5~600m歩かなければならない。「シディ・ブ・サイド駅」(写真左)の踏切を渡り、北東に200mほど進むと「1987年11月7日広場」(写真中左)に出る。そこからオレンジの並木が続く「ハビブ・タムール通り」(写真中右)をさらに200mほど北に上ると、石畳の坂道だ。道の両側には、数多くのお店が出ている(写真右)。この街の名物である鳥籠が、あちらこちらの店先にぶら下げられていたのには驚いた(写真中段左)。しばらくすると、左手に「カフェ・ディ・ナット」(写真中段中左)が見える。ここを通り過ぎ、「ハディ・ザブルーク通り」へ(写真中段中右)。この通りには、白壁でチュニジアンブルーの窓や扉の家々が並んでいるので、散策には最高の雰囲気だ。さらに3~400m進むと、地中海が見える。その傍には、白壁でチュニジアンブルーの窓枠を持つ「アラブ地中海音楽の博物館」が建っている(写真中段右)。我々はシディ・ブ・サイドならではの景色を楽しみ、先ほど通り過ぎた「カフェ・ディ・ナット」を訪ねた。
※写真下段は、街で見かけた「チュニジアン・ドア」

LOOKLEX Tunisia(シディ・ブ・サイド)のHP
http://looklex.com/tunisia/sidi_bou_said.htm

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「カフェ・ディ・ナット」は、世界最古のカフェの一つといわれている。店内は赤と緑と白をモチーフとする柱に、ゴザを敷いた座席がある。「チュニジア一周の旅(準備編その10)」でお話しした通り、「ナット」とは「ゴザ」のこと。ガイドによると、柱の色には意味があるという。緑は「希望」、白は「平和」、そして赤は「意志(革命の血)」を表すとの事。ここでミントティを頂く。しばらくゴザの上に座り、アラブのムーリッシユスタイルの雰囲気を楽しむ。ここで30分程の自由時間になった。皆さん買い物に出かけたようだが、私は「ダル・エル・アンナビ」を訪ねることにした。
※写真上段は店内の様子、下段は店の外装と店から見た周囲の眺め

LOOKLEX Tunisia(カフェ・ディ・ナット)のHP
http://looklex.com/tunisia/sidi_bou_said03.htm

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「ダル・エル・アンナビ」は、バスから歩いてきた「ハビブ・タムール通り」と石畳の坂道との境界辺りにある。ここは、「町の裕福層の個人邸を再装飾して一般に公開している。18世紀に建てられてから20世紀にかけての、シディ・ブ・サイドに住む家族の暮らしぶりを見ることが出来る」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より・写真上段)のだ。また屋上にはテラスがあり、ここからシディ・ブ・サイドの街並みやカルタゴ湾などを一望できる。お天気も良く、ここからの眺めを十分に楽しむことが出来た(写真下段)。

「ダル・エル・アンナビ」に関するHP
http://www.trivago.co.uk/sidi-bou-said-403731/museum--exhibition--gallery/casa-tradicional-de-dar-el-annabi-217976

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次に向かったのは、先ほど地中海と一緒に眺めた「アラブ地中海音楽の博物館(エネジュマエッザハラ宮殿)」である(写真左 : ゲート・中左 : 小路・中右 : 博物館)。この建物は、ドイツ系フランス人のロドルフ・デルロンジェ男爵の元邸宅。100年ぐらい前に建てられ、外装は白い壁とチュニジアンブルーの窓や扉と、街並みに合わしているが、内装はイスラム風に装飾されている。特に天井はスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿を真似たというだけのことはあり、非常に繊細かつ優雅な作りで、素晴らしいものである(写真右 : 「アラブ地中海音楽の博物館」のHPより )。展示物に目を向けると、楽器のコレクションや歴史的音楽家の写真、資料類が並んでいる。楽器に関しては、チュニジアのものだけでなく、オリエントや南アフリカからもたらされた弦楽器、ナブール焼に革を張っただけの太鼓など、色々珍しいものを見ることが出来る。また、広い中庭が2つあり、ここでは時々コンサートが催されるという。なお、建物内部の写真を取ることは禁じられている。お見せ出来ないのが残念である。約30分で「アラブ地中海音楽の博物館」の見学を終え、午後3:00過ぎ、バスに乗ってチュニスに向かった。

「アラブ地中海音楽の博物館」のHP
http://www.culture.tn/culture/HTML/institutions/cmam.htm
http://www.virtualmuseum.ca/Exhibitions/Instruments/Francais/cmam_c_txt01_fr.html

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 18, 2009

茶器を楽しむ―花生・茶碗・釜―

茶の湯ぶらり旅(第40回)

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本日(2月15日)から始まった「茶器を楽しむ―花生・茶碗・釜―」展を見るため、和泉市久保惣記念美術館に行って来た(写真)。今回展示されているのは、国宝や重要文化財を含む同美術館が所蔵の茶器の中から、茶の席で用いられる器物や書画など約80点である。どれも素晴らしいものばかりであるが、この中からさらに厳選し、5点をご紹介する。

和泉市久保惣記念美術館のHP
http://www.ikm-art.jp/tenrankai/index.html

① 「青磁鳳凰耳花生(銘 : 万声)・国宝」(中国・南宋)[高30.8、口径10.8~11.0、胴径14.1、底径11.7](写真左)

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本品は、釉薬と胎土及び器形の特徴から、南宋時代の龍泉窯で作られたと考えられている。宋時代には各地に青磁を焼く窯が存在し、それぞれに特徴のある青磁を生産していたが、龍泉窯は最も盛んな窯の一つであった。南宋時代から元時代にかけて、龍泉窯の青磁は大量に生産され、花生、香呂、碗、盤などの製品が日本にもたらされた。こうしたなかで、本器のように豊かな姿形や粉青色をとどめた釉調は、中国はもとより日本でも早くから賞玩されてきた。
「万声」という銘は、陽明文庫所蔵「千声」(重要文化財 : 写真中左)とともに江戸時代に名付けられたものである。なお、「千声」のほかに、大阪市立東洋陶磁美術館(写真中右)、五島美術館(写真右)にも同形品(いずれも重要文化財)が所蔵されている。

ウィキペディア・フリー百科事典(陽明文庫)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E6%96%87%E5%BA%AB
大阪市立東洋陶磁美術館のHP
http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/index_f.html
五島美術館のHP
http://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_05/02074_001.html

② 「黄瀬戸・立鼓(りゅうこ)花入(銘 : 旅枕)・重要文化財」(桃山)[高20.9、口径11.0]

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黄瀬戸とは、16世紀後半から美濃地方で焼成された黄色の釉薬のかかった陶磁をいう。最盛期には茶器以外に鉢や向付など食器が量産されるようになり、釉薬も安定して黄色味も深い。この花入は早い時期の作で、侘茶の席に適うような作風が見て取れる。鼓の胴を立てた姿になぞらえて立鼓と呼ばれ、旅寝の枕を連想されるところから旅枕の銘が付けられた。中央の茶褐色の斑点は釉掛けの際の指跡であり、類品にも同じ手法が認められる。

③ 「唐津・茶碗(銘 : 三宝)」(桃山)[径6.5~6.7]

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唐津では、16世紀から17世紀にかけて高麗茶碗を手本として茶碗がつくられた。後に奥高麗茶碗と呼ばれて人気が高い。高麗茶碗は朝鮮半島の南部で焼かれたもので、この時期の茶会記に拠ると侘茶席の薄茶茶碗にしばしば用いられる。この茶碗は広い見込み(内底部分)と、ゆったりした姿に陶工の非凡な轆轤技術がうかがえる。口縁の反りと見込みの鏡(浅いくぼみ)の形に朝鮮の熊川(こもがい)茶碗の影響が見られる。

④ 「尻張釜」(桃山)[高20.4、口径12.0、径28.2](辻与次郎作)

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茶釜は鋳造による鉄製で、室町時代に製作が活発になる。芦屋釜と天明釜が良く知られている。芦屋釜は九州福岡県の芦屋で、また天明釜は栃木県佐野市天明でそれぞれ製作され、製作地が釜の呼称となっている。有力な大名、商人、町衆、茶人たちが活躍し、京都、大阪、堺で茶の湯が流行する桃山時代になると、千利休好みを反映させた与次郎作の釜に代表されるように、京都で生産された京釜が主流になる。さらに江戸時代には江戸、金沢などの地にも釜師が移り活躍した。本品は、千利休好みを反映させた与次郎の作。

ウィキペディア・フリー百科事典(辻与次郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E4%B8%8E%E6%AC%A1%E9%83%8E

⑤ 「色絵・椿文中次」(江戸)[高6.3、径5.7](野々村仁清作)

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胴の中央に合口部分をもつ中次形の抹茶用器である。精選された白い胎土は薄く丁寧に轆轤形成され、合口部分もきっちりと深い。白釉の上には、赤、緑、淡藍、淡紫の上絵釉を用い、椿の折枝5本をほどよく散らして、金泥で輪郭線を引いている。当時京都で製作されていた古清水の釉色と比べると、白味が深いため、上絵の色調が映えて特有の華やかさをかもしだしている。中次の形は早くから金属器、木漆器に作例があり、合口の深さは密閉性を求めてなった形と言える。茶の湯において、当初は簡素な木漆器の中次が転用され、江戸時代に趣向が追求されて、本器のような作風も求められたという。

ウィキペディア・フリー百科事典(野々村仁清)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E3%80%85%E6%9D%91%E4%BB%81%E6%B8%85

これら以外にも、掛け物「熊野懐紙・藤原範光筆」(重要文化財)や「鉄釉・天目茶碗」、「信楽・肩衝茶入(銘 : 聚楽)」などの名品が展示されているので、一度ご覧になることをお薦めする。展示は3月29日(日)まで。

(※)展示品の写真は、同館発行の「絵はがき」より。また陽明文庫、大阪市立東洋陶磁美術館、五島美術館の館蔵品については、各HPより。

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February 17, 2009

カルタゴ博物館

チュニジア一周の旅(第20回)

約1時間の見学を終え、次は「ビュルサの丘」である。「チュニジア一周の旅(準備編その9)」でお話ししたように、ここはポエニ時代のカルタゴ市の中心があった場所だ。「ビュルサ」という名の由来には、物語があるという。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、フェニキアの王女「エリッサが、この地に都市を建設しようとした際、現地人から牛の皮(ビュルサ)1枚で覆える範囲の土地しか譲れないと言われた。彼女はそれならば、とその皮を切り裂き細長いひもを作り、そのひもで土地を囲い広い領土を獲得した」との事。

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受付を通って中に入ると、眺望の良い広場だ。ここからは「カルタゴの街」や先ほど訪れた「軍港跡」、「チュニス湾」などを見ることが出来る(写真左・中左・中右)。少し進むと、「ポエニ人の住居跡」がある(写真右・下左・下右)。近年の発掘で姿を表したものだ。当時この付近には、数階建ての住宅が集まっていたという。しかし、ローマ時代にフォーラムを造るため、埋め立てられてしまったのだ。「住宅地は1区画に何軒かの家が建てられ、区画の間を道路が直角に走っている。それぞれの家は道路に面しており、狭い通路を入ると中庭が設けられているが、まわりの部屋の通気や明かりとり、水槽に雨水を溜めるために造られていたものだという。中庭にモザイクを施した家も見られるが、ローマ時代のモザイクとは違った素朴なものである。大きな部屋のあるものは店舗や工房だったりと、当時のカルタゴの生活の様子を伝えてくれる」(「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」より)。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage.htm

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丘をひと歩きしてから、同じ敷地内にある「カルタゴ博物館」に向かった。博物館の建物は、1890年に建設されたアフリカ宣教会の神学校を改造したもので、外壁は純白。青い空をバックに、眩しく輝いていた(写真上段)。この博物館では、カルタゴ周辺から出土したローマのモザイクや神々の像、ポエニ時代の地中海交易品、生活用品、墓の埋葬品などが展示されている(写真中段)。特に私の興味を引いたのは、モザイク画とコインである。モザイク画はローマ時代のものなので図案がハッキリしており、生活の様子を表したものが多い(下段左・中左)。コインは、第一次ポエニ戦争の時代に使われていたものからローマ時代のものまでの十数種類が展示されていた(下段中右)。たま2Fにある、ローマ時代の街の復元模型も面白い(下段右)。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ博物館)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage05.htm
カルタゴ博物館のHP
http://www.inp.rnrt.tn/Museecarthage.htm
http://www.patrimoinedetunisie.com.tu/fr/musees/carthage.php

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約20分、博物館での鑑賞を終え、しばらく自由時間になったので、私は隣接する「サン・ルイ教会(アクロポリウム)」に行くことにした(写真左)。「サン・ルイ教会」は、「チュニジア一周の旅(準備編その9)」でお話しした通り、1890年、フランスによって建てられたもので、1270年、第8回十字軍遠征に参加し、チュニス包囲戦中に没したフランス国王「聖ルイ9世」に捧げられたものだ。受付で拝観料5ディナールを支払い、教会の中に入る。新しい教会なので、内部は明るく、カラフルな仕上がりである(写真中左・中右・右)。しかし、これまでヨーロッパの国々で見てきたロマネスクやゴシックの教会に比べると、物足りなさを感じてしまう。重厚さを欠いているのだろうか。10分ほどであったが、十分に教会内部を見せて頂き、集合場所のバスに戻った。

LOOKLEX Tunisia(サン・ルイ教会[アクロポリウム])のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage09.htm

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次は昼食である。会場は「シデイ・ブ・サイド」の港にあるレストラン、「ル・ピラツト」だ(写真左)。予約は正午から。15分ほど早く着いたので、少しの間、レストランの前にあるマリーナを散歩することになった。青空の下、何隻も並ぶ白いヨットが眩しい(写真中左・中右・右)。今日のお天気は、ヨットに乗って海に出たくなる陽気だ。しばらくブラブラして、正午少し前にレストランに入った。店内は非常に混雑していた。別の日本人ツアーと一緒になってしまったのだ。

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昼食のメニューは、次の通り。
・イカ入りサラダとファティマの指(写真左)
・白身魚のソテー(写真中左)
・プリン(写真中右)
・ミントティ(写真右)

レストラン、「ル・ピラツト」のHP
http://www.resto-tunisie.com/restaurant-le-pirate-sidi-bou-said,tunisie,490.html

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・「地図で読む世界の歴史・ローマ帝国」(クリス・スカー著)[河出書房新社]
・「カルタゴ興亡史・ある国家の一生」(松谷健二著)[中公文庫BIBLO]
・「ローマ人の物語3 ハンニバル戦記(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語4 ハンニバル戦記(中)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ビジュアル版・西洋建築史(デザインとスタイル)」(長尾重武ほか編著)[丸善]

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February 16, 2009

カルタゴの遺跡観光

チュニジア一周の旅(第19回)

9日目[1月17日(土)]

6:15 起床
6:25~6:55 ホテルのレストランで朝食
8:15~8:45 バルセロナ駅周辺散策
8:48 バスでホテルを出発
9:09~9:27 カルタゴ・トフェ(タニト神の聖域)見学/その後バスで移動
9:29~9:34 古代カルタゴの軍港前で写真撮影/その後バスで移動
9:38~10:20 「アントニヌスの共同浴場」見学/その後バスで移動
10:35~10:55 「ビュルサの丘」散策
10:55~11:17 「カルタゴ博物館」見学/その後徒歩で移動
11:20~11:32 「サン・ルイ教会(アクロポリウム)」入場/その後バスで移動
11:43~11:57 シディブ・サイドのマリーナを散策
11:57~13:00 レストラン「Le Pirate」で昼食/その後バスで移動
13:39~13:42 「アラブ地中海音楽の博物館」が見える丘から写真撮影/その後バスで移動
13:50~14:05 「カフェ・デ・ナツト」でお茶を頂く
14:05~14:25 「ダル・エル・アンナビ」見学/その後徒歩で移動
14:30~14:55 「アラブ地中海音楽の博物館」見学/その後バスで移動
15:07 ホテル前でバス下車/その後徒歩で移動
15:45~16:15 チュニジア中央銀行貨幣博物館
16:30 ホテルに戻る
16:30~18:15 入浴、荷物整理
18:30 バスで夕食会場のレストランへ移動
19:00~20:10 レストラン「ダル・ハムダ・パシャ」で夕食
20:35 ホテルに戻る
20:35~22:15 資料整理
22:15 就寝

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本日は近場のカルタゴとシディブ・サイドの観光なので、出発時間も午前8:45と遅く、ゆっくりできる。しかし、バルセロナ駅近辺を散策したかったので、いつもどおりに起きて朝食を採った。ツアーメンバーの方々はのんびりされているのだろう。レストランには誰も来ない。朝食はブツフェ形式だったので、好きなだけ食べることが出来る(写真)。旅行の初めのころとは異なり、食欲も回復していたので、何回もお代わりをした。中でもお気に入りは、ハチミツをタップリ使った甘い菓子である。歩き回っているので、エネルギー補給には最適である。30分ほどで食事を終え、部屋で身支度を整え、外が明るくなる午前8:00頃に外出した。

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宿泊しているホテル「アフリカ・エル・ムラディ」(写真左)は、チュニスの中心部のど真ん中にあるので、どこに行くのにも便利である。ホテルを出てハビブ・ブルギバ通りを西に150mほど進むと、目の前を緑色の市内路面電車が走って行った(写真中左)。これらの電車は、5つの路線に分かれて運行されており、その中心となるのが「リパブリック駅」と、これから私が行く「バルセロナ駅」なのである。電車の線路に沿って南に300~350mほど歩くと、黄色いバスの停まるターミナルに出た。市バスのステーションである(写真中右・右)。その南に「バルセロナ広場」(写真下左)が、さらに広場の向こうにはTGMと呼ばれる郊外電車の「チュニス駅」(写真下中左)がある。この日は土曜日だったのだが、朝早くから多くの人が電車から降りてくる(写真下中右・右)。皆さん郊外からチュニスに通勤しているのだろうか。銀行は土曜日と日曜日が休みと聞いていたが、一般商店は稼ぎ時なので休みではないのだろう。しばらく人の動きを見ていたのだが、気が付くと出発時間まであと10分になっていた。遅れてはいけないので、早足でホテルに戻り、そのままバスに乗り込んだ。まだ2~3人しかバスに乗っておらず、セーフである。

最初に向かったのは、「カルタゴ」だ。「チュニジア一周の旅(準備編その9)」でお話しした通り、「カルタゴ」は、チュニスから北東へ12~13kmに位置する。紀元前のカルタゴは、海上貿易や農業を中心に大いに栄えたが、第一次~第三次ポエニ戦争でローマに敗れ、街は徹底的に破壊された歴史を持つ。ローマ軍は廃墟には塩を蒔き、人も住めず、作物も出来ないようにしたが、150年以上の時を経た紀元前29年、古代ローマ帝国のオクタビアヌス・アウグトゥス帝は、この地を植民都市として復興させ、2世紀には巨大建造物が造られた。我々がこれから見に行く遺跡は、この時代のものなのである。

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バスが走った道は、観光初日に通ったのと同じ道である。左手に「チュニス湖」(写真)、右手に「地中海」を見ながら、TGM(郊外鉄道)と並行して走る。約20分でカルタゴに到着。最初に訪れたのは「トフェ(タニト神の聖域)」だ。ここを訪れるとは思っていなかったので、非常に嬉しい。先にお話しした通り、ここに残る遺跡の多くはローマ時代のものなのだが、この「トフェ」はローマ時代以前、古代カルタゴ時代の面影を残す数少ない遺跡なのである。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「今では殺風景な場所だが、ポエニ時代には墓場と火の神といわれているバール・ハモン神(フエニキアの古代宗教神)と、天と豊穣の女神タニト神(カルタゴの守護神)というふたつの最高神が祀られていた」との事。

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受付(写真左)でカメラ券(1ディナール)を購入し、通路をまっ直ぐ進むと(写真中左)、左手に墓石のようなものが見えてきた(写真中右)。右手の石垣の下では、現在発掘作業が続けられている(写真右)。その手前には、「タニト」を彫った石柱が立つ(写真中段左・中左)。さらに奥に進み、階段を降りたところにも墓石らしきものが数多く並んでいた(写真中段中右・右・下段)。ここが観光ガイドブックなどで「トフェ」として紹介されている場所だ。「トフェ」とは、「もともとは、乳児を火に投じる儀式が行われていたエルサレム近くの谷の名(聖書に登場)。1920年代以降、このカルタゴの聖域を呼ぶのに用いられている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。そしてこの地でも、子供を生贄に捧げる儀式が行われたという。都市の繁栄や戦勝を祈願してのことらしい。実際、この遺跡からは2万を超える骨壺が発見され、多くの黒こげになった人骨が出てきているうえ、「子供を抱いた僧侶」の石碑も見つかっているのだ。しかし、「幼児死亡率が高い古代では、幼くして死亡した子供を供養の意味で火葬し、神に捧げたのではないかという説もある」(前掲書より)との事。我々のガイドは、後者の説が正しいのではないかと考えていると言っていた。ただし、ローマがこの町を破壊し尽くしているので、資料らしきものもないので、正確なことは分からないようだ。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ・トフェ)のHP
http://lexicorient.com/tunisia/carthage02.htm

Dsc04530Dsc04535「トフェ」の次は、東に3~400mのところにある「古代カルタゴの港跡」を訪ねた。ここも来れないと思っていた場所だったので、非常に嬉しい。古代カルタゴ時代の軍港が目の前に広がっているのだが、残念ながらただの溜池としか思えない(写真左)。かつての商業港は我々の後ろ側にあるようだが、ここからは見えない。軍港の向こう側では、青空を背景に「サン・ルイ教会」が白く輝いている(写真右)。この軍港近辺は高級住宅街で、国が補助金を出して開発を制限しているとの事。どおりで、大きな家々が並んでいる訳だ。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴの港)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage01.htm

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5分ほどで写真撮影を済ませ、「アントニヌスの共同浴場」に向かった。3~4分で到着。「ゲート」(写真左)を潜ると受付の前に広場があり(写真中左)、この一角にカルタゴの都市全景図と、先ほど見た港の当時の様子を描いた図が掲示されていた(写真中右・右)。港の図を見ると、「チュニジア一周の旅(準備編その9)」でお話しした「海と港をつなぐ運河の入り口は、ローマ軍が築いた堤防によって、今や完全に封鎖されている。カルタゴ側が開いたもう一つの運河も、その前面の海上を常時ローマの軍艦がパトロールするようになって以後は、役立たずになっていた」(ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)」より)のとは様子が異なっていたので、ガイドに当時の状況について尋ねると、もう一つの運河を開いた事実はないとの回答。「ローマ人の物語5」の著者である塩野七生氏も、史実を確認して書いておられるであろうから、学説の違いなのかもしれない。だが、それ以上のことは分からなかった。

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受付を通ると、一直線の道が続く(写真左)。道の脇には石碑が並んでおり、中には「タニト」を彫ったものもある(写真中左)。突き当りの右手には、発掘中のような大きな穴があった。カルタゴ人の共同墓地で、掘られた穴の真ん中に墓石が置かれていたという。穴を掘ったのは、死後も立ったり座ったりしなければならないので、高さが必要だからという理由からだ(写真中右・右)。

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この墓に沿うように右折すると、「アントニヌスの共同浴場」(写真左)である。ここでガイドから注意があった。左手に「大統領官邸」があるので、絶対にカメラを向けないようにとの事である。以前にもお話しした通り、政府関係施設や警官などの写真を撮ることは法律で禁じられているのだ。共同浴場を正面から見ると、非常に広い。「チュニジア一周の旅(準備編その9)」で見たように、海をバックとし、左右対称に造られた約3.5ヘクタールの広大な公共浴場なのだ。遺跡に入る手前に、共同浴場の想像図と再現模型が展示されていた(写真中左・中右・右)。建物は2F建てで、正面中央に「温浴風呂」、続いて「冷浴室」、そしてその奥には「プール」があったようだ。建物の右サイドを見ると、「温浴室」と「マッサージルーム」があり、その奥には「オイルを塗る部屋」と「トレーニングジム」が並ぶ。建物の左サイドも同じ構造だが、左右を夏冬に分けて使用していたとの事。この施設で使用する水は、カルタゴから南に約75km離れた「ザグーアン」という町から引いていた。しかし町と町の間には山などがあったため、水道橋は大回りして造らなければならなかったので、その長さは132kmもあったという。なお、この風呂は「共同」浴場と呼ばれているが、一般庶民のものではなく、金持ちだけが利用できたようだ。

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共同浴場の構造を見ると、アーチの上に床をつくることで、石の重みを均等に分散させていたようだ(写真左・中左)。これらに使われた石は、前回お話しした「エル・ハウリア」の石切り場から運ばれてきたものである。下から見上げると、円柱がある(写真中右)。高さ12.5m。先ほど模型で見たように、この柱の上にドーム状の屋根が乗っていたのだから、天井の高さは28~30m程度あったと考えられている。倒れている柱を見ると、柱の接続部分に鉄のジョイントが入っていたのが分かる(写真右・下左・下中左)。先ほど見た共同浴場の想像図や再現模型を思い出しながら遺跡を歩いたのだが、イメージするのはなかなか難しい(写真下中右・右)。

LOOKLEX Tunisia(カルタゴ・アントニヌスの共同浴場)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage03.htm
LOOKLEX Tunisia(カルタゴ)のHP
http://looklex.com/tunisia/carthage.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・「地図で読む世界の歴史・ローマ帝国」(クリス・スカー著)[河出書房新社]
・「カルタゴ興亡史・ある国家の一生」(松谷健二著)[中公文庫BIBLO]
・「ローマ人の物語3 ハンニバル戦記(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語4 ハンニバル戦記(中)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず(上)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)」(塩野七生著)[新潮文庫]
・「ビジュアル版・西洋建築史(デザインとスタイル)」(長尾重武ほか編著)[丸善]

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February 15, 2009

第26回おおさか大収集まつり

貨幣ぶらり旅(第149回)

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本日(13日)から開催の「第26回おおさか大収集まつり」に行ってきた。会場は例年同様、大阪心斎橋・御堂筋ビル9F展示ホールだ。主催は日本郵便切手商協同組合と日本貨幣商協同組合の協賛である。出展社数は38社。初日ということもあり、会場は非常に混雑していた。色々な貨幣が展示されている中で、今回入手したのは「アッシニア紙幣」4枚と、「スロバキアのユーロコインセット」(写真)である。この中から、今回は「アッシニア紙幣」についてお話ししたいと思う。なお、後者については平成20年9月22日付貨幣ぶらり旅(第141回)「16番目のユーロ導入国のコイン」をご覧頂きたい。

今回入手した「アッシニア紙幣」は、次の4種類(写真 : 上から番号順)。
① 「5リーブル」[1792年第一回(4月30日)発行]
② 「25リーブル」[1792年第三回(10月24日)発行]
③ 「50リーブル」[1792年(12月14日)発行・フランス共和国]
④ 「10スー」[1793年(5月23日)発行・](1リーブル=20スー=240ドルニエ)


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(※)厚手の白透かし入り用紙に、凸版一色刷り。一枚の紙に2×5枚を印刷し、ハサミで切り離して使用していたため、寸法は不揃いである。偽造防止のため、紋章などの空押しエンボス加工が施されている。
(※※)「アッシニア」(assigner)=「金を支払いに充てる」の意味


アッシニア紙幣は、フランス革命後の「革命政府」が発行した政府紙幣である。ルイ16世時代に戦費調達などの目的で借入れた資金を返済するため、1789年12月、没収した教会の土地を担保に、年利5%の「利付国庫債券」(10,000リーブル券)を4億リーブル発行。その後、1790年4月に4億リーブル、同年9月には8億リーブルの債券を新たに発行する。一方、1790年10月から没収した土地の売却を始め、1991年11月までに15億リーブルが公募入札方式で売却された。債券発行によって得た資金で借入金を返済し、土地売却代金で債券を償還させる計画であったが、やがてそれにとどまらず、財政赤字の穴埋めのために発行されるようになった。また、当初は利付債券だったが、後に無利子化して強制通用力を持たせたことから、事実上紙幣化(アッシニア紙幣)した。

1791年6月に、革命政府は財政赤字を補てんするため、アッシニア紙幣を6億リーブル発行。その後も革命政府は、財政規律を無視して紙幣を発行したため、土地売却による償却が追いつかなくなり、アッシニア紙幣は土地という裏付けを失った「不換紙幣」になった。

ところで、当時はアッシニア紙幣だけでなく、鋳造硬貨も流通していた。土地を裏付けに発行されたアッシニア紙幣だが、発行当初から鋳造硬貨に対する交換比率は5%程度割り引かれていたという。これはすぐに90%に低下したが、1791年11月頃はまだ82%を維持していた。しかし1792年4月にオーストリアと、また同年7月にはプロシアとも戦争を始めると、戦費調達のためアッシニア紙幣の流通量は20億リーブルにもなり、鋳造硬貨に対する交換比率は1792年6月時点で57%、1793年8月には発行残高が37億リーブル、交換比率は22%にまで低下した。そこで1793年6月に物価統制を目的とした穀物に対する最高価格令を施行。さらに同年9月、すべての商品に最高価格を設定したことで、一時的に紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が50%程度に回復した。だが恐怖政治を行ったジャコバン派のロベスピエールが処刑されると、最高価格令が放棄されたことから、強烈なインフレに見舞われ、紙幣価値の破局を招いた。アッシニア紙幣の発行残高は、1795年12月21日に292億リーブルとなり、その翌日、総裁政府は紙幣の発行限度を400億リーブルと定め、この上限に達した1796年2月19日には、アッシニア紙幣の原版・印刷機械を、バンドーム宮殿で公開廃棄処分した。しかしそれでもインフレは収まらず、アッシニア紙幣の価値は下落、同年の夏には、名目価値が1,000分の1になった。

ちなみに、大量に流通する紙幣の中には、イギリスの経済戦略の一環として、同国に亡命していたフランス旧王室の人々に製造させ、流通に置いた偽造通貨もかなり含まれていたようだ。

最後に、この紙幣が発行されていた時代について、年表形式にまとめてみた。今回入手した紙幣の発行された時期と併せて見て頂ければ面白いと思う。


(1789年)
5月5日 ヴェルサイユで三部会が開かれるが、議決方法で特権身分と第三身分とが対立
6月 テニスコートの誓い
7月14日 バスティーユ牢獄を襲撃
8月4日 封建的特権の廃止
同月26日 人権宣言
10月 女性を先頭にしたパリの民衆がヴェルサイユで行進し、改革に否定的な王家をパリに移転させる
11月 教会財産を没収し、国有化する
12月19日 革命政府が一般市民から献納金を求めるが、十分に集まらなかったため、革命により没収した教会の土地を担保に、年利5%の「利付国庫債券」(10,000リーブル券)を4億リーブル発行する(当初から紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が95%、すぐに90%になる)

(1790年) 
教会財産を没収、ギルドを廃止して営業の自由を確立
4月 年利3%の利付債券(2百、3百、1千リーブル券の三種類)を4億リーブル発行し、強制通用力を付与(「受け取らなければ死刑に処する」というもの)する
9月 最低額面を小口化(50リーブルへ) した無利子の債券を8億リーブル発行する
10月 既発の利付債券も無利子にする(事実上アッシニア紙幣の登場)
同月 国有地の売却始まる

(1791年)
6月 ルイ16世は王妃マリ・アントワネットの実家のオーストリアに逃亡を試みるが失敗する(ヴァレンヌ逃亡事件)
同月 アッシニア紙幣を6億リーブル発行する
同月 最低額面の小口化を進める(5リーブルへ)
9月 一院制の立憲君主政を定める
11月紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が82%に低下

(1792年)
最低額面の小口化を進める(0.5リーブル[=10スー]へ)
4月20日 オーストリアと開戦
7月 プロシアに宣戦
同月30日「アッシニア紙幣①」発行
6月 紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が57%に低下
8月 王権停止
10月24日「アッシニア紙幣②」発行
12月14日「アッシニア紙幣③」発行

(1793年)
1月 ルイ16世が処刑される
5月23日「アッシニア紙幣④」発行
6月 封建地代の無償廃止・亡命貴族らから没収した土地(国有財産)の競売・物価統制を目的とした穀物に対する最高価格令の施行
8月 アッシニア紙幣の発行残高が37億リーブルに達し、紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が22%に低下する
9月末 すべての商品に最高価格を設定したおかげで、一時的に紙幣の鋳造硬貨に対する交換比率が50%程度に回復する
10月 マリ・アントワネットが処刑される

(1794年)
7月 ロベスピエールがテルミドールのクーデターで権力を失い処刑され、穏健共和派が有力となる
12月24日 最高価格令廃止・金属貨幣売買の禁令を解く

(1795年)
総裁政府樹立
紙幣と硬貨の交換比率が0.5%にまで低下する(1795年末には月間50億リーブルも発行される)
6月 インフレ率が80%に達する
12月21日 アッシニア紙幣の発行残高が292億リーブルになる
12月22日 紙幣の発行限度を400億リーブルとする

(1796年) 
2月19日 発行上限に達したため、アッシニア紙幣の原版・印刷機械を、バンドーム宮殿で公開にて廃棄処分する。しかし夏場には、名目価値の1,000分の1になる


(参考文献)
・「国債の歴史」(富田俊基著)[東洋経済新報社刊]
・「マネー・その歴史と展開」(ジョン・K・ガルブレイス著)[TBSブリタニカ刊]
・「西洋貨幣史・下」(久光重平著)[国書刊行会刊]
・「お札の文化史」(植村峻著)[NTT出版刊]
・「詳説世界史」(佐藤次高ほか著)[山川出版社刊]
・「Standard Catalog of WORLD PAPER MONEY 2」(1368-1960)[Krause刊]

ウィキペディア・フリー百科事典(アッシニア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(フランス革命)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD
ウィキペディア・フリー百科事典(ルイ16世)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A416%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)
ウィキペディア・フリー百科事典(マリ・アントワネット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
日本貨幣商組合(第26回おおさか大収集まつり)のHP
http://www.jnda.or.jp/event/midou26.html
日本郵便切手商協同組合(第26回おおさか大収集まつり)のHP
http://www.jsda-tokyo.jp/event2.htm

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February 14, 2009

ケルクアンのフェニキア遺跡

チュニジア一周の旅(第18回)

正午を少し過ぎた頃、ケルクアンのフェニキア遺跡に到着した。「チュニジア一周の旅(準備編その8)」でもお話しした通り、この遺跡は古代ポエニ時代のもので、純粋なフェニキアの遺跡としては唯一と言われている。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「フェニキア人(ポエニ人)の街は破壊され、その上にローマ、ビザンチン等の都市に造りかえられるのが通例だが、ケルクアンで見られるのは、ポエニ時代のままほっておかれた遺構だ。フェニキア人の純粋な街の遺構として世界に類を見ない。ローマ都市遺跡のような目を見張る巨大な建造物は無いものの。ローマ以前、紀元前6~2世紀に生きた古代人の文明の高さを感じることができる。1985年世界遺産に登録された」との事。

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遺跡への入り口(写真左)を通ると、左手にショップ(写真中左)が、右手に博物館がある。我々は最初に遺跡を見るため、真っ直ぐ進んだ(写真中右)。すると右手に、カルタゴの豊穣の神「タニト」をかたどった植木があった(写真右)。左手に地中海を見ながら右に曲がると、比較的整然と仕切られた低い石垣が続く。この辺りは「居住エリア」だ(写真下左)。その中いくつかは、床にモザイクが施されている(写真下中左)。以前にもお話しした通り、この時代のモザイクは非常にシンプル。白、黒、茶のモザイクが敷き詰められているだけという感じである(写真下中右)。これらモザイクの床を良く見ていると、その中の一つに、白く「タニト」が描かれているものがあった(写真下右)。このような場所にも「タニト」信仰が見られるのだ。

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南側に進むと、職人通りだ。一軒一軒の住宅跡をよく見ると、下水の整備されていた様子が良く分かる(写真左・中左)。また家々には、小さいながらも風呂が備えられている(写真中右・右)。これは、この地が紫貝の染色(ティール : 古代紫)で栄えたことと関係があるようだ。「製造過程で貝をわざと腐らせるので、腐臭がひどく、それらを洗うため海がかなり汚染されたらしい。海がすぐそばにあるにもかかわらず、各家庭に浴室が付いていたのはそんな理由からではないかという説もある」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事。なお、浴槽は「テラコッタ製」との事。

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東側へ歩いて行くと、地中海が見えた。手前には公衆浴場跡と神殿の跡がある(写真)。規模はそれほど大きくはない。しかし紀元前4世紀に、住宅や神殿、公衆浴場、工房などがある街を、約400m四方のスペースにコンパクトにまとめ上げたことは驚きに値する。ところで、この遺跡で使われた石はどこから来たのか。ケルクアンから北へ7~8km離れたボン岬の先端に位置する街、「エル・ハワリア」で採石されたものだという。「エル・ハワリア」の採石場については、後ほどお話しする。

LOOKLEX Tunisia(ケルクアン)のHP
http://looklex.com/tunisia/kerkouane.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(テラコッタ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%BF
Wikipedia・The Free Encyclopedia(Tanit)

http://en.wikipedia.org/wiki/Tanit

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約30分で遺跡の見学を終え、次は「博物館」(写真左・中左 : 中庭)である。この博物館には、「ネクロポリスから出土した埋葬品の美しい装飾品の数々、生活用品、彫刻の像などが展示されているが、一番の目玉は考古学界でも注目された木製(糸杉)の棺。これは豊穣と生殖の女神、アシュタルテを表しているといわれ、ポエニ時代の遺品で現代まで残っているものの中で、「木製」のものは世界でも他に例がないとされる」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)との事(写真中右・右・下段はその他の展示品)。

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博物館の見学は約20分。時計の針は午後1:00を指していた。次は昼食である。昼食会場のレストランがあるのは、先ほど採石場の話で少し触れた「エル・ハワリア」だ。ケルクアンからバスで、約30分で到着。レストランは採石場の隣、岬の先端と思わせるような場所にある。白い壁とチュニジアンブルーの入り口(写真左・中左)、内部は木製の柱に天井。席に目を移すと、ブルーのテーブルカバーに白のクロス(写真中右)。海辺のレストランに相応しい雰囲気だ。窓からは地中海が見える(写真右)。

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昼食のメニューは、次の通り。
・魚のスープ(写真左)
・ミツクスサラダ(写真中左)
・海老入りオジャ(写真中右)
・みかん(写真右)

「Restaurant La Daurado」のHP
http://www.la-daurade.com

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食後、10分ほどの自由時間。我々は採石場(「グロツト」と呼ばれている)の方に向かった。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「ここの石材は人気があったようで、6世紀ローマ時代のカルタゴ都市建設の時には大勢の奴隷が石を切り出していたという。またローマ人たちは表面の石より崖にあるものの方が質が高いとみなし、崖までトンネルを掘って石を切った。この周辺にはそれを物語るように切り出した穴の後は全部で97もある。ガル・エル・ケビールと呼ばれている切り出し穴は、その中でも一番大きいといわれている。切られた石は洞窟の中を引きずられ船でカルタゴまで運ばれた」との事。残念ながら、現在グロットは閉鎖中であった。崩落事故があったので危険だからという訳だ。仕方がないので、エントランス越しに写真を取るに留めた(写真上段)。ただここでの楽しみは、このグロットだけではない。ここから見る地中海の眺めも素晴らしいのだ。天候に恵まれたおかげで、青い空と碧い海が美しい。しばらくの間、何もかも忘れて「ボ~」と景色を眺めていた(写真下段)。

LOOKLEX Tunisia(エル・ハワリア)のHP
http://looklex.com/tunisia/haouaria.htm
http://looklex.com/tunisia/haouaria01.htm

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午後2:30頃、バスでエル・ハワリアを出発。本日宿泊するチュニスは、ここから南西に160~170km離れている。バスの中から、通り過ぎるモスクのミナレットの写真を撮る(写真)。色々なデザインのものがあるので面白い。チュニスに近づくころ、大規模な住宅建設現場があった。日本のものとは少し違う形のレンガが使われていたのだが、そういえばトズール  などで見た「日干しレンガ」は、どの地域で使われているのかが気になったので、ガイドに尋ねてみた。すると、トズールとネフタ、そしてケロアンの一部で使われているだけだという答え。意外に使用されている地域は狭いのだと思った。

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エル・ハワリアを出てから約2時間で、本日宿泊するホテル「アフリカ・エル・ムラディ」に到着した(写真左 : ロビー)。旅の初日に泊まった同じチュニスの「コングレス・ホテル」に比べ、遥かに立地条件は良い。チュニス中心街のど真ん中にあるのだ。部屋に入ると、普通のサイズだ(写真中左・中右・右)。もちろんビジネスホテルではないのでそれなりに広いのだが、昨日泊まった「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」に比べれば小さい。しかし私にはこのサイズの方が落ち着く。部屋のカラーもブラウン系で良い雰囲気だ。私は水回りのチェックだけ済ませ、すぐに外出した。

アフリカ・エル・ムラディ
http://www.elmouradi.com/cr2.resa/ui/aba/Hotel_Detail.aspx?id=722&fromdate=12/01/2009&todate=15/01/2009&user=869&curr=1&ilng=1

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最初に訪ねたのは、「モハメド5世通り」にある観光局・インフォメーションセンターだ(写真左・中)。いつもは行く先々のインフォメーションセンターを訪れ、無料の地図やパンフレツトを貰うのだが、時間が無かったこともあり、今回はここが初めてである。

扉を開けようとするが開かない。扉を押したり引いたりしていると、男性が出てきて扉を開けてくれた。私の開け方が下手だったのか。
「ここはインフォメーションセンターですか」
「そうだヨ。奥に入って」

言われた通り奥に進むとカウンターがあり、女性が一人いた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「無料の地図と観光案内はありますか」
「はい。フランス語、それとも英語?」
「私は日本人なので、日本語があれば嬉しいのですが」
笑いながら「無いわヨ」
「では英語版を」
「はい、これがチュニスの地図。そしてこれがチュニスの案内書」
「他の場所のものはないですか」
「チョッと待ってネ。え~と、これがケロアン、そしてこれがスース。ハマメットもあるワ。あとグレート・サウス。トズールやドゥーズ、タメルザやマトマタなどが載っているのヨ」(写真右 : 頂戴した案内書や地図)
「たくさん有難うございます」
「チュニジア全体の地図もあるの。はい、これ」
「本当に有難うございます。嬉しいです」
「チュニジアは初めて?」
「はい。色々な時代の遺跡などが見れるうえ、砂漠や地中海沿いの温暖なリゾートもあり、非常に楽しいところですネ」
「ありがとう。何日間で来られたの?」
「たった11日間です。飛行機に乗っている時間を除くと、8日間になりますが・・・」
など、しばらく雑談してから外に出た。

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次は、明日訪ねる予定の「貨幣博物館」である。午後4:30で閉館のため、本日見ることはできないが、場所の確認をしておけば、明日あまり時間が無くても迷わずに行けるだろうと考え、下見をしておくことにしたのだ。観光局のある同じ通り、「モハメド5世通り」を北に歩いて行く。「Banque」の文字が見えたので、この辺りだろうと勝手に決めて中に入ってみた。
下手なフランス語で、出てきた男性社員に尋ねた。
「貨幣博物館はここですか?」
「貨幣博物館????」
「違います」
「貨幣博物館はどこですか?」
すると他の人に尋ねてくれて、
「貨幣博物館はもっと北の方です。英語は話せますか?」
「ええ」(何だ。英語が話せるのか。最初から英語で訪ねれば良かったと思いながら)
「3件隣の建物です」
「ああ、そうだったのですか。有難うございます。ところでここはチュニジア中央銀行ですか」
「いいえ。Banque Tuniso Koweitienneです」(写真左)
「ごめんなさい。間違えました。ご迷惑おかけしました」
最後にアラビア語で
「ありがとう。さようなら」と言うと、
いつの間にか人が集まっており、6~7人の人から
「さようなら」と声をかけられた。
高層の立派なビルだったので、勝手に決め付けていたようだ。隣の建物を見ると、広い敷地に低層のビル。これがチュニジア中央銀行だ(写真中左)。一等地の広い敷地に低層の建物という構造は、日本銀行と同じである。その隣にあるのが「貨幣博物館」(写真中右・右)。中央銀行と同じ色の建物だ。すでに午後5:00を過ぎていたので、当然閉館されていたが、入口に示されていた開館の曜日と時間を確認し、博物館の写真を撮っていた。すると、警察官らしき人が、フランス語で話しかけてきた。
「写真はダメだヨ」
「エ! 博物館の写真を撮っていたのですが・・・」
(チュニジアで警察官の写真を撮ることは禁じられている。彼は自分が移されたのだと思ったのではないだろうか)
近づいてきて、
「フ~ン。あなたは日本人」
「ええ、そうです」
「それならいいか」
(意味が分からなかったが、許してくれるのならいいかと思い)
「博物館は閉まっているのですネ」
「朝9:30から、午後4:30までだネ。明日また来ればいいヨ」
「そうですネ。明日の午後に来ます。有難う。さようなら」
「また明日」

何か良く分からなかったが、とりあえずOK。明日の観光はカルタゴとシディ・ブ・サイド。
何時頃に戻れるのか考えながら、その場を離れた。

「Banque Tuniso Koweitienne」のHP
http://www.btknet.com/site/fr/home.php?id_article=1
チュニジア中央銀行
http://www.bct.gov.tn/bct/siteprod/francais/index1.jsp
貨幣博物館関連
http://www.tunisiaonlinenews.com/2008/11/29/new-state-of-the-art-%E2%80%9Cmoney-museum%E2%80%9D-retraces-2500-years-of-history/

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まだ外は明るいので、もう少し観光しようとも思ったのだが、資料整理もしたかったので、そのままホテルに戻った(写真 : 貨幣博物館からホテルへの道中)。夕食はホテルのレストランで午後7:00から。時間が十分にあったので、入浴、資料整理を済ませ、午後7:00前にレストランに向かう。

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夕食のメニューは、次の通り。
・野菜スープ(写真左)
・シーフードサラダ(写真中左)
・ビーフステーキ(写真中右)
・シュー・クリーム(写真右)

約1時間半で夕食を終え、午後9:15頃、ベッドに入った。

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 13, 2009

ナブールの陶器工房

チュニジア一周の旅(第17回)

8日目[1月16日(金)]

6:40 起床
6:45~7:30 ホテルのレストランで朝食
8:00~8:40 ホテル内及びプライベートビーチ散策
9:02 バスでホテルを出発
9:15 ハマメット中心街を通過
9:37~9:55 陶器店「Poterie Artistique」訪問、ナブール焼作り見学、ショッピング/その後バスで移動
10:03~10:38 ナブール中心街散策/その後バスで移動
11:37 ケリビアの街に入る
11:40~11:44 ケリビアの要塞の写真撮影/その後バスで移動
12:08~12:35 ケルクアンの遺跡見学
12:35~13:00 ケルクアン博物館/その後バスで移動
13:26~14:26 エル・ハワリアの「Restaurant La Daurade」で昼食、石切り場周辺散策
14:28 バスで出発
16:15 チュニスの街が見え始める
16:25 ホテル「アフリカ・エル・ムラディ」に到着
16:45 入室
16:53 チュニス市街散策
17:05 インフォメーションセンターで地図やチュニジア各地の観光案内書をもらう
17:10 チュニジア中央銀行貨幣博物館の所在を確認
17:30~18:55 入浴・資料整理
19:00~20:30 ホテルのレストランで夕食
21:15 就寝

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本日はナブール、ケルクアンを訪ねた後、6日ぶりにチュニスに戻る予定だ。このホテルの周囲には他のリゾートホテルが並んでいるだけなので、朝早くから出歩きたいと思う場所も無かったことから、ゆっくり朝食(写真上段)を頂き、その後ホテル内やビーチを散歩(写真下段)した。ビーチが東向きだったので、日の出を見ることが出来たはずだが、気が付いた時には既に日が昇っていた。残念!  

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ところでこのホテルには、ギネスブックに載っている部屋があるという。プレデンシャル・スイートルームだ(写真 : 「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」のHPより)。一部屋だけだが、広さは1,542㎡で、室内にはハマムと2つのプールがあるとの事。気になるお値段だが、一泊8,000ディナール。1ディナール=70円で計算すると、日本円で約560,000円だ。超豪華な部屋だが、円高のおかげで目が飛び出すほど高い価格ではない。私は遠慮しておくが・・・・。

「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」のHP
http://www.hasdrubal-hotel.com/french/index.asp

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午前9:00にホテルを出て、最初の目的地である「ナブール」に向かった。「チュニジア一周の旅(準備編その8)」でお話しした通り、ナブールは陶器の名産地として知られている。やきものについては非常に関心があるので、訪ねるのを楽しみにしていた街のひとつだ。約30分でナブールの陶器店、「Poterie Artistique」に到着(写真左)。店の正面は、白い壁とチュニジアンブルーの窓枠、そしてナブール焼の唐草模様のタイルで装飾されており、チュニジアの建物のイメージにピツタリ当てはまる(写真中左)。店内には、色鮮やかなデザインのナブール焼の壺や皿、装飾用のタイルなどが陳列されている(写真中右)。最初に案内されたのは、ナブール焼の製作場。陶工による陶器製作の実演である(写真右・下段)。しかし、電気で回す轆轤を使って普通に花瓶を作るだけだったので、少々期待外れ。それを見せた後は、お店に案内された。商品の販売である。私は知りたいことがあったので、製作場に戻って陶工に質問することにした。

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最初フランス語で、
「ありがとう。質問があります。英語は話せますか」と尋ねると、
「英語は全く分からないです」
「・・・・・。ちょっと待っていてください」
お店に戻って、英語の話せる人を探して連れてくる。
「質問があるので、教えてください」
「いいですヨ」
「どのような手順で焼くのですか」
「先ほどお見せしたようにして出来上がったものを数日かけて乾燥させます。そして、こちらにある電気の窯で素焼きします」(写真左 : 電気窯・右 : 窯の内部)
「何度くらいで焼くのですか」
「1,200度ぐらいです」
「その後は」
「焼きあがったものに彩色し、釉薬をかけて再び焼きます。今度は960~1,080度です」
「どれくらいの時間、焼くのですか」
「約6日間焼き続けます」
「材料になる粘土はどこから持ってくるのですか」
「ナブール産です」
と話していると、英語を話せるのは彼だけだったようで、お店の方から呼び出しがあったため、これ以上の質問はできなかった。

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その後、お店に並べられている商品を見る(写真左・中左・中右)。「ファティマの手」を描いたタイル(写真右)はチュニジア独特のデザインなので、1枚購入しても良いと思ったのだが、サイズがA3ぐらいもあり、手荷物だけで旅している私には大き過ぎた。そこでもっと小さいサイズは無いのかと尋ねるが、A3サイズのものしか作っていないとの事だったので、購入するのは諦めた。25~30分ほどであったが、やきものに興味のある私にとっては、非常に有益かつ楽しいひと時であった。

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陶器店を出て次に向かったのは、ナブールの中心街である。バスで5~6分、「ハビブ・タムール通り」にある「オレンジのモニュメント」(写真左)の前で下車する。今日は金曜日。ちょうど「金曜マーケット」が開かれていたので、これを見に行くのである。マーケットは午前中だけ。ここではナブール焼は当然、日用雑貨、香水、衣料、革製品、食料品なども売られている。かつては同じ場所で「ラクダのマーケット」も開かれていたようだが、現在は衛生上の理由で、別の場所で開かれるようになったという。「オレンジのモニュメント」から東へ200mほど歩くと、ゲートがある(写真中左)。この先がスークで、数多くのお店が並んでいるのだ。ゲート口で解散し、30分後にバスに集合することになった。買い物には関心が無かったので、最初に「グランド・モスク」に向かった(写真中右・右)。残念ながら、中には入れない。仕方がないのでマーケットを見て歩いていたのだが(写真下左・下中左・下中右)、途中で「ナブール博物館」があることを思い出した。この博物館では、「ケルクアン、ケリビアからの紀元前7~4世紀のカルタゴ時代の出土品」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)が展示され、その他に「タニト女神像、ローマ時代のオイルランプやナブールの陶芸、セラミック関係の展示もある」(同前)のだ。大急ぎで引き返し、博物館の場所を探すのだが分からない。近くにあるお店の人、警察官などに尋ねても良く分からない。自分がどこにいるのかさえ分かれば簡単なので地図を見せるのだが、それでもわからない。日本語で書かれた地図(英語併記)なので無理があったのだろう。仕方がないので、自分の居場所を確認するため、地図を見ながら少し歩いてみた。ようやく場所が分かったのだが、残り時間はあと僅か。残念だが、博物館に行くことは諦めざるを得なかった。事前準備が不十分だと、このようなことになってしまうのだ。スークとグランド・モスクは見ることが出来たが、博物館と「サマラ・モスク」(写真下右)は見逃がしてしまった。

LOOKLEX Tunisia(ナブール)のHP
http://looklex.com/tunisia/nabeul.htm
「ナブール博物館」のHP
http://www.inp.rnrt.tn/Museenabeul.htm
http://www.patrimoinedetunisie.com.tn/fr/musees/nabeul.php

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午前10:30過ぎ、次の目的地である「ケルクアン」に向け、ナブールの街を出発。右手に地中海を見ながら1時間ほど走ったところで、バスは停車した。ここから「ケリビアの城塞」(写真)が見えるので、写真撮影するためである。「ケリビア」は、ナブールから北へ約60kmのところに位置し、チュニジア有数の歴史ある港町なのだ。「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」によると、「ケリビアは、カエサルによって築かれた歴史ある町で、ローマ時代はクルビアと呼ばれていた。農業と漁業の町で、ケリビアの港は、サバやイワシなどの漁で知られる。港を見下ろすように立つ150mの城砦は、6世紀、ビザンチン時代に築かれたもので、現在はイスラム博物館に改装され、公開されている」との事。我々は写真撮影を済ませた後、15分ほどで目的地である「ケルクアン」に到着した。

LOOKLEX Tunisia(ケリビア)のHP
http://looklex.com/tunisia/kelibia.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 12, 2009

ハマメットの豪華リゾートホテル

チュニジア一周の旅(第16回)

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昼食を済ませ、午後3時ごろ「ポート・エル・カンタウイ」の街を出る。これから向かう「ハマメット」は、北へ約70kmのところに位置する。15分ほど一般道を走った後、有料道路に乗る。初めてチュニジアの有料道路の料金所を見るが、日本とほぼ同じシステムのようだ(写真左・中左)。しばらくすると、「塩湖」のような景色が続き(写真中右)、これを過ぎるとオリーブの木が見え始めた(写真右)。

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午後4時前、ハマメットの街に入る。しかし、我々の泊まるホテルは、この街には無い。「チュニジア一周の旅(準備編その7)」でお話ししたように、ホテルがあるのはハマメットから西に数キロメートル離れた「ヤスミン・ハマメット」で、フランスの植民地時代である1920年代に、ヨーロッパ人がリゾート地として開発した場所だ。チュニジアのトツプリゾートの一つで、50にものぼる大型リゾートホテルが建ち並んでいる。しばらくすると、「CARTHAGE LAND」と書かれたテーマパークのような施設が見えた(写真左)。象に乗った軍隊の像もある。ハンニバルをイメージしているのか(写真中)。ここから数分で、本日宿泊するホテル「ハズドゥルバル・タラサ&スパ」に到着した(写真右)。チュニジアを代表する5つ星の最高級ホテルである。

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添乗員がチェックインしている間、ロビーや入口近辺を見て回った。外装は、白とチュニジアンブルーが使われており、リゾート気分を盛り上げてくれる(写真左)。大理石で飾ったエントランスも素晴らしい(写真中左)。ロビーは木目調で、落ち着いた雰囲気を醸し出している(写真中右・右)。

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鍵を受け取り、部屋に向かう。扉を開けると、広い部屋が待っていた。とにかく広い。これまで宿泊した中で、一番広い。何平米あるのだろうか(写真上段)。ベッドからトイレやテーブル、洋服タンスに行くのが遠い。一人で使うには広すぎるのだ。バス(写真下左・下中左)、トイレは当然分かれており、トイレの便器には、花びらが浮かべられている(写真下中右)。ベランダに出ると、プールとナツメヤシの木々が見え、マリンリゾートの演出がなされていた(写真右)。

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30分ほどで荷物を整理し、ホテルのプライベートビーチに向かう。プールの間に巡らされた通路を2~3分歩くと、ビーチに出た。いくら温かいと言っても、まだ冬である。風が吹くと、ダウンジャケットを着ていて丁度良いくらいだ。幸いビーチには誰もおらず、打ち寄せる波を見ながら、しばらく「ボ~」としていた(写真)。

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30分ほどビーチを楽しんだ後、夕日が沈み始めたので、ビーチを離れることにした(写真左・中左)。途中、大きな温度計があったので気温を見ると、たった11度しかない(写真中右)。やはり夕方になると冷え込むのだ。ビーチからプールサイドを通り、ロビーを抜けて、ホテルの敷地の外に出てみた。何かないかと思ったのだが、一直線の道路に並ぶのはリゾートホテルだけである。先ほどのテーマパークまでは遠かったので、そこまで行くのは諦め、道路からホテルの全景(写真右)を撮影していると、遠く離れたところから車が猛スピードで近付いてきた。よく見るとタクシーである。どうやら私をお客と間違えたようだ。

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部屋に戻ってから、入浴、資料整理を済ませ、午後7:00前に本日の夕食会場であるホテルのレストランに向かった。白いテーブルクロスと木目調の部屋。落ち着いた雰囲気が素敵である(写真)。

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夕食のメニューは、次の通り。
・前菜の盛り合わせ(写真左)
・パンプキン・スープ(写真中左)
・白身魚(シイラ鯛)のソテー(写真中右)
・フルーツとアイスクリーム(写真右)
・ミントティー(写真下)

私がビーチを散歩している間、プールやタラソテラピーに行っていた方もいた。このホテル自慢の施設の一つに、タラソテラピーセンターがある。5,000㎡もの広さだという。ちなみにチュニジアは、世界第二位のタラソ王国なのだ。

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約2時間、夕食をゆっくり楽しみ、午後9:00ころ解散になった。部屋に戻ると、ベッドカバーが外され、花びらを使ったデコレーションがなされていた(写真)。午後9:30頃、ベッドに入った。

ハズドゥルバル・タラサ&スパ
http://www.hasdrubal-hotel.com/french/index.asp

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 11, 2009

チュニジアの紙幣(その2)

チャニジア一周の旅(番外編2-チュニジアの紙幣)
貨幣ぶらり旅(第148回)

今回は、チュニジアの10ディナール紙幣についてお話しする。「チュニジアの紙幣(その1)」で見たように、チュニジアでは3種類の10ディナール紙幣が流通しているが、その中からデザインが同じで色違いの2種類をご紹介する。

一つは、1994年11月8日から発行、主に青緑色を使って印刷された紙幣(写真①・③)。もう一つは、2005年7月11日から発行、主に褐色を使って印刷された紙幣である(写真②・④)。流通に置かれてから、多少の年月を経過しているため、手にできる紙幣は、どれもくたびれたものばかりであった。グレードでいえば「F」以下か。


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(表面)
左側にアラブの歴史家、社会学者、哲学者である「イブン=ハルドゥーン」の横顔が、また右側には、チュニジアの街が描かれている。


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(裏面)
1956年のチュニジア独立以来続いてきたハビブ・ブルギバ大統領政権が、無血革命により現在のベン・アリ大統領に交代した「1987年11月7日」を記念し、背表紙と表紙にその日付を取り込んだ書籍のデザインをお札の中心に描いている。背景には、産業、農業、モスクなどがデザインされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(イブン=ハルドゥーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3

(参考文献)
・「NUMISMATIQUE ET HISTOIRE DE LA MONNAIE EN TUNISIE・TOMEⅢ」(BANQUE CENTRALE DE TUNISIE)

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February 10, 2009

スースのメディナ観光

チュニジア一周の旅(第15回)

「チュニジア一周の旅(準備編その7)」でお話しした通り、スースはエル・ジェムから北へ約60kmに位置し、「サヘルの真珠」と称される国を代表する観光地で、チュニス、スファックスに次ぐチュニジア第三の都市でもある。

LOOKLEX Tunisia(スース)のHP
http://looklex.com/tunisia/jem.htm

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バスはスースの「メディナ」西側にある「ガルビ門」の前で停車(写真左)。我々はここでバスを降りて、「メディナ」へ向かった。「スース考古学博物館」の入る「カスバ」の東側を通り(写真中左)、突き当りを塀沿いに東に進む。「メディナ」の南門に当たる「カブリ門」から北に延びる道を歩く。ここは「メディナ」のメイン通り。多くのお店が並び、人で大賑わいだ(写真中右・写真右・写真下左 : 器に盛られたカラフルな香辛料)。6~700mほど進むと、広場に出た(写真下中左)。右手に「グランド・モスク」(写真下中右)、左手に「リバト」(写真下右 : ※)が見える。ここで30分ほど自由時間になったので、「グランド・モスク」に行くと、チケットが必要との事。モスクの入り口で買い求めるのだと思っていたのだが、広場の中心にチケット売り場があるという。仕方がないので、チケット売り場まで戻り、「グランド・モスク」と「リバト」のチケットを購入した。「グランド・モスク」は3ディナール、「リバト」は4ディナールである。カメラ券について尋ねると、「グランド・モスク」は無料、「リバト」は入口で1ディナール支払ってほしいとの事。チケットと一緒に、まとめて買うことはできないのだ。

(※)「リバト」とは、8~10世紀に最前線に築かれた砦のこと。

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チケットを持って、再び「グランド・モスク」(写真)を訪ねた。「チュニジア一周の旅(準備編その7)」で見たように、「グランド・モスク」はスース観光最大の目玉である。オリジナルはアグラブ朝時代、851年にアブル・アバス帝によって建てられ、隣のリバトとともに当時は港や兵器庫を守る要塞の役割を果たしていた事、そのため通常はメディナの中心にあるはずのグランド・モスクが、メディナの端に位置している事は、その時お話しした通りである。私はイスラム教徒ではないので、モスク内は中庭しか見ることが出来ない。しかし、それだけでも十分に見る価値はある。ケロアンの「グレート・モスク」を真似て作られたというだけのことはあり、雰囲気は似ている。しかし、むしろチュニスの「グランド・モスク」の方に似ているようにも思えた。

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私が見学している間、一組の子連れの夫婦が入ってきただけ。スース観光最大の目玉と言われている割に寂しい。我々のツアーからも、私以外誰も来ていないのは何故か。「メディナ」の北東角に「スーラ・ショッピング・センター」(写真)があるので、皆さん買い物に夢中になっているのだろうか。

LOOKLEX Tunisia(スース/グランド・モスク)のHP
http://looklex.com/tunisia/sousse02.htm

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続いて「リバト」(写真)を訪ねた。ここにある塔には上りたかったので、非常に嬉しい。当初、時間が無いのではないかと心配していたのだが、十分に時間はあった。早速「リバト」に設けられた塔へ向かった。高さ約38m、狭く急な階段を上る。展望場に出ると、我々のツアーメンバーの一人が既に来ていた。

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周りを見ると、抜群の見晴らしだ。見張り台として使われていただけのことはある。北側に新市街(写真左)、東側に港(写真中左)、南側には「メディナ」全体(写真中右)、さらにその向こうに「カスバ」(写真右)を見る事が出来る。「チュニジア一周の旅(準備編その7)」でお話した通り、アラブ人は海からの侵入者に警戒していたと言われているが、ここから見ていれば侵入者を早期発見出来たのではないだろうか。また下を見ると、ほぼ真四角に造られたリバトがある。

LOOKLEX Tunisia(スース・リバト)のHP
http://looklex.com/tunisia/sousse03.htm

約1時間で、スースの「メディナ」の見学は終了。「グランド・モスク」や「リバト」に入ることが出来たので満足なのだが、欲を言えば「カスバ」の中にある「スース考古学博物館」に行きたかった。チュニスの「バルドー博物館」に次ぐ大きな博物館で、内容も充実していると言われているからだ。特に3~4世紀にかけてのローマ帝国時代のモザイクコレクションは秀逸で、海をテーマにしたものが多いのが特徴だという。すぐ横を通りながら、立ち寄ることが出来なかったのは残念である。次に行く機会があれば、ぜひ訪れたいと思う。

LOOKLEX Tunisia(スース・考古学博物館)のHP
http://looklex.com/tunisia/sousse06.htm

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スースの観光を終え、次に我々が向かったのは「ポート・エル・カンタウイ」である。この地は、旅行会社が事前に配布してくれた行程表に載っておらず、予想外で嬉しかった。ポート・エル・カンタウイは、スースから北に約7~8kmのところに位置する。1970年代に後半に出来たリゾート地だ。約10分で到着。ここで昼食を取るのだが、レストランまではバスを降りて少し歩かなければならない。しかしお天気も良く、海辺で見晴らしも良いことから、のんびり歩くには最高である。少し進むと、遊園地(写真左)や動物園(写真中左)がある。その先には、ショッピング・センターだ(写真中右)。その横にあるゲートをくぐって、さらに真っ直ぐ進むと、マリーナが見えてきた(写真右)。

周囲にはリゾートホテルやレストラン、ショップなどお洒落な建物が並ぶ。ヨーロッパのリゾートのような雰囲気である。私はダウンジャケットを着たまま歩いていたのだが、何人ものタンクトップやランニングに短パン姿の人達とすれ違った。それほど暖かいのだ。寒いヨーロッパから逃げ出してくるのには、ちょうど良いのかもしれない。我々が今晩泊まるホテルのあるハマメットは老舗のリゾート地だが、このリゾートに宿泊してみるのも面白いのではないだろうか。

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昼食会場であるレストランは、マリーナを半周ほどした一番奥にある。名前は「RISTORANTE NUOVA MARINA」だ(写真左)。店内は、白い壁と淡いピンクのテーブルクロスでまとめられた、明るく清潔感のある雰囲気である(写真中左)。壁には、色々な種類のモザイク画が飾られている(写真中右 : バルドー博物館で見た「オデュッセイアとセイレーン」の部分レプリカ)。窓からは地中海が見えた(写真右)。

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昼食のメニューは次の通り。
・シーフードサラダ(写真左)
・白身魚のフライ(写真中左)
・レモンシャーベット(写真中右)
・ミントティー(写真右)
これら以外に、オリーブ、タジン(写真下左)、ラディッシュ(写真下右)なども出された。

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午後2:15頃食事を終え、午後3:00までにバス乗り場に集合すれば良いことになったので、海岸やマリーナ、ショッピング・センターを見ながら、ブラブラとバスの待つ場所まで歩いた(写真)。

「RISTORANTE NUOVA MARINA」のHP
http://www.ladaurade.net/Marina/En/Index.htm
LOOKLEX Tunisia(ポート・エル・カンタウイ)のHP
http://looklex.com/tunisia/port_el_kantaoui.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 09, 2009

円形闘技場とエル・ジェム博物館

チュニジア一周の旅(第14回)

7日目[1月15日(木)]

6:10 起床
6:30~7:20 スファックス駅~メディナ内散策
7:30~7:45 ホテルのレストランで朝食
8:03 バスでホテルを出発
9:05 エル・ジェムの街に入る
9:10 バス下車
9:15~10:10 「エル・ジェム円形闘技場」観光/その後バスで移動
10:17~10:35 「エル・ジェム博物館」見学/その後バスで移動
11:20 スースの街に入る
11:30~12:35 メディナ散策、グランドモスク・リバト見学/その後バスで移動
12:55~13:10 ポート・エル・カンタウイでバス下車、レストランまで歩く
13:10~14:15 レストラン「NUOVA MARINA」で昼食
14:15~14:58 ポート・エル・カンタウイの街を散策/その後バスで移動
16:00ハマメットの「ハズドウルバル・タラサ&スパ」ホテルに到着
16:15 入室
16:45~17:30 ホテル内及びプライベートビーチ散策
17:45~19:00 入浴、資料整理
19:00~21:00 ホテルのレストランで夕食
21:30 就寝

本日は、スファックスからエル・ジェム、スースを経由して、ハマメットに行く予定だ。ホテルを出発する時間は午前8時だったので、スファックスを見る時間はあまりない。そこで外は暗かったが、朝食を食べずに外出した。

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最初に訪ねたのは、スファックス駅である(写真左)。ホテルを出て、ハビブ・ブルギバ通りを東に200mほどのところにある。朝早いのだが、駅構内には結構人がいる(写真中)。改札を通り、ホームに出ると、ここにも大勢の人がいた(写真右)。この鉄道は、チュニス、スースからガベス、トズールを結んでいる。

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続いてメディナの東側にある「シェルギ門」に向かった。まだ夜明け前なので暗いのだが、メディナの城壁はライトアップされていたので歩きやすい(写真左・中左)。写真を撮りながら城壁沿いを歩いていたのだが、いつの間にかメディナの北東の角まで来ていた(写真中右)。どこかで「シェルギ門」を見落としてしまったのである。仕方ないので城壁を西に進み、魚市場の前から「ジェブリ門」を通ってメディナに入った。西側はライトアップされていなかったので、月の明かりが頼りであった(写真右)。昨日賑わっていたメディナのスークだが、この時間はほとんど人はおらず、静まり返っている(写真中段左)。スークの南にある「グランド・モスク」に行くが、ここも静かだ。昨日と同じ場所からミナレット(写真中段中左)を眺めた後、モスクの入り口まで行くが、扉は閉まったままである(写真中段中右)。モスクの周囲(写真中段右)をひと回りした頃、時計は午前7:15を指していたので、急いでホテルに戻ることにした。昨日同様「ディワン門」(写真下段左)をくぐり、「スファックス博物館」(写真下段中左)の前を通り、ハビブ・ブルギバ通り(写真下段中右)を歩いてホテルに到着(写真下段右)。

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すぐにレストランに向かう。朝食はブッフェ形式だったので、ハム、卵、パンなどで簡単に済ませた(写真)。

LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax.htm

午前8:00にバスでホテルを出て、最初の観光予定地である「エル・ジェム」に向かった。スファックスから北へ約70km、ほぼ鉄道に絡みながら道路は続く。「チュニジア一周の旅(準備編その7)」でお話しした通り「エル・ジェム」は、ローマ帝国時代にオリーブ栽培で巨万の富を手にして一挙に繁栄した街だ。ここでの最大の見どころは、「円形闘技場(コロセウム)」である。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、「このコロセウムは2世紀ローマ帝国のゴルディアン皇帝のもと、工事が着工されたといわれている。しかしながら、政治的不安定、資金の不足のために完成にはいたらなかった。それでもチュニジアに25ほどあるコロセウムのうち最も保存状態が良く、本家であるローマよりも良いとされている」との事。

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ホテルを出て約1時間で「エル・ジェム」に到着した。「円形闘技場」そばの駐車場でバスを降りる。闘技場の壁が、目の前に迫る(写真左)。闘技場の壁に沿って100~150m歩くと、闘技場の入口が見えてきた。途中、色鮮やかな布、木彫りのラクダ、ナブール焼のタイル、ペンダントなどを売るお店が並び、人で賑わっている(写真中左)。入口の前にある広場は、まるでローマの劇場のような造りだ(写真中右)。受付(写真右)を通ると、目の前に闘技場の壁がそびえる。この闘技場は、エル・ジェムから東に30kmほど離れたところに位置するサラクタで採れる石灰岩で出来ている。闘技場の一部が崩れた状態になっているが、この崩れた場所にあった石は、15~16世紀頃、近くに住む人たちが建築材料として持ち去ったと言われている。

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入口を通り、最初に地下部分を見る。一直線の通路、その脇にはいくつもの部屋が並ぶ(写真左)。ここで猛獣や剣闘士、奴隷たちが控えていたのだ。当時は木製の扉があり、ロープで開閉していたとの事。猛獣はリフトで揚げられ、剣闘士は階段を上ったという。我々も階段を上り闘技場の広場に出ると、そこには5階建ての建物ほどの高さのある観客席が並ぶ(写真中左・中右)。最も高いところで36mあるのだ。これまでに見てきた闘技場や劇場の多くは、山の斜面を利用して造られていたが、この闘技場は平地に造られているので、高くしても崩れないように、壁など中心から外に広がるよう建築されている(写真右)。しかし素人の私には、実物を見ても分からなかった。残念!

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自由時間になってからもう一度闘技場内を回り、色々な角度から写真を撮る(写真上段・下段は解説図)。確かに保存状態は良い。イタリアのローマ、カプアに次ぐ3番目の大きさで、27,000~30,000人程度収容できるという。現在でも毎年夏には、ここでフェスティバルが行われているのだ。

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闘技場を出てバスに戻る途中、周辺に出ているお店(写真左・中左)を見ていると、ローマコインらしきものを売っている露店があった(写真中右・右)。色々な種類の銅貨のようだが、真贋の判定は出来ないので、購入は見送った。レプリカだと思って買っておけば良かったのかもしれないが・・・。

円形闘技場
LOOKLEX Tunisia(エル・ジエム)のHP
http://looklex.com/tunisia/jem.htm
http://i-cias.com/tunisia/jem.htm

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「円形闘技場」の見学を終え、次はスースの街に行く予定だったが、少し時間があったこと、また入場券が共通だったこともあり、ガイドの計らいで「エル・ジェム博物館」(写真左)に行くことになった。博物館は、闘技場から南へ600~650mぐらいのところにあったので、バスに乗ってから数分で到着した。ミフラーブのような小さな入口をくぐると、白壁に囲まれた中庭(写真中左)がある。館内は8室(写真中右・右・下段)に分かれており、展示物のほとんどがローマ時代のモザイク画である。モザイク画は、私にとって今回の旅のテーマの一つだったので、この博物館を訪ねることが出来たことは、非常に有難いとともに嬉しかった。ただ、カメラの調子が悪く、鮮明な写真を残す事が出来なかったことは残念である。


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この博物館のモザイク画を見ていると、チュニスの「バルドー博物館」やスファックスの「スファックス博物館」で見たモザイクと明らかに違う点があった。それは、魚介類や市民生活を描くモザイク画は非常に少なく、圧倒的に狩りや猛獣の格闘シーンを描くモザイク画が多いことだ。闘技場で催された戦いのイメージから描かれたものなのだろうか。なかでもライオンなどの肉食動物が、ガゼルのような草食動物を食い殺すシーンは迫力がある(写真)。

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ガイドの話によると、ライオンはチュニジアにもいたという。シチリア経由でローマにも運ばれたようだ。もう一つ気になったのは、人が描かれている場合、ほとんどの作品の顔がなかった事だ。これは偶像崇拝が禁じられているイスラム時代に削られたとの事。しかし、全般的に保存状態も良く、「バルドー博物館」や「スファックス博物館」に引けを取らない。約20分の鑑賞であったが、私にとっては非常に有益な時間であった。

WIKIPEDIA(Musee archeologique d'El Jem)のHP
http://fr.wikipedia.org/wiki/Mus%C3%A9e_arch%C3%A9ologique_d%27El_Jem

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]
・DVD・「THYSDRUS・El Jem」(Diamant informatique)

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February 08, 2009

スファックス博物館

チュニジア一周の旅(第13回)

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「スファックス博物館」に行くため、メディナの南側中央にある「ディワン門」(写真左)を出る。これまでにも見てきたように、スファックスのメディナの城壁は現在も完璧な形で残されており、この「ディワン門」の保存状態も良好である。この門を背に、「ヘディ・シャケル通り」を南に直進すると、「ヘディ・シャケル広場」(写真中左)に出る。ロータリーを挟んだ正面に、フランス風の時計台のあるたてものが見える(写真中右)。これはスファックス県の県庁で、この1Fに「スファックス博物館」が入っているのだ。ここには、スファックス地方(スファックスから南に10kmほどに位置する「Thyna」が中心)で発見されたカルタゴ、ローマ、ビザンチン時代の美術・工芸品が展示されている。なかでもローマ時代のモザイクのコレクションは素晴らしい(写真右)。県庁の建物に入り、左手の部屋が受付だ。女性が3人いる。フランス語で話しかけてみた。

「ここがスファックス博物館ですか」
「そうです」と一番年配の方が答えた。
「英語は話せますか」
すると別の若い女性が「私は話せます」と言って、前に出てきた。
ここからは彼女と英語で話す事にした。
「チケット1枚下さい」
「3ディナールです」
「写真も撮りたいのですが」
「では、別に1ディナール頂きます」
10ディナール紙幣を渡すと、
「あっ! お釣りがない。小銭はありませんか」
「ごめんなさい。ないです」
「そうですか・・・・」と言いながら、部屋を出て行ってしまった。
その間、受付のある部屋に展示されているモザイクを見ていると、彼女が戻ってきた。
「2Fで両替してもらったの」
「ではお釣りが貰えますネ」
「ええ」

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6ディナールを受け取り、そのまま展示を見ていた。私の眼は、一番興味のあるモザイクに向いた。バルドー美術館も素晴らしかったが、ここもなかなか良い作品が揃っている(写真)。カメラの調子がおかしくなっていたので、鮮明な写真を撮ることが出来なかったのは残念である。

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展示室はここだけだと思い、ゆっくり見ていると、先ほどの女性がやって来て、
「他の部屋の展示も見ないと、時間が無くなりますヨ」
「え! この部屋だけじゃなかったの?」
「他に3部屋あります」
「それじゃあ、急がなくては」
「ご案内しましょう。まずこちらです」
と言って、順番に部屋を案内してくれた(写真左・中左・中右 : 第2室、第3室、第4室)。こちらの部屋にも、見事なモザイクが数多く展示されている。動・植物や魚介類、狩猟や漁、日常生活、格闘シーンなどが描かれている。これらはバルドー美術館で見たのと同じく、ローマ時代のものであろう。その他、人物もデザインされている。これらはビザンチン時代のものか(写真右・下段)。

わずか30分ほどであったが、興味あるモザイクをたくさん見ることが出来、非常に満足であった。午後6:00、彼女が閉館のため、各部屋の扉を閉め始めた。
「県の職員さんですか」
「いいえ。アルバイトです」
「美術に興味があるんですか」
「ええ。学芸員の資格を取るため、大学に行っているの」
「そうなんだ。今回の旅でも、バルドー美術館などを訪れたけれど、素晴らしいものがたくさんありますネ」
「そうです。チュニジアからは多くの美術品が出てきています」
「私はモザイクに興味があるのですが、日本では解説書などが見つかりません。何かお薦めの書物はありますか」
すると、分厚いファイルノートを見せてくれた。
「これはスファックス博物館が所蔵するモザイクについて解説したマニュアルです。他の博物館のものも解説されているのヨ。フランス語で書かれていますけれど・・・」
「コピーするには分厚すぎますネ」
「そうね。では、何か分からないことがあったら、私に尋ねてください」
「ありがとう」

メールアドレスを交換して、博物館を出る。
「近くに住んでいるのですか」
「車で15~20分ぐらいのところです」
「あなたはどこに泊まっているの」
「メルキュール・スファックス」
「じゃあ、すぐそこネ」
「そうです。ここから100mぐらいですネ」
「ところで、日本はどちらから来られたのですか」
「関西国際空港のある大阪です。そういえば、スファックスはチュニジアの大阪と言われているのをご存じですか」
するとニコニコしながら、
「ええ。もちろん」
など、博物館を出た後もしばらく雑談して別れた。
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振り返ると、ライトアップされた博物館だ。金色の館に見える。

スファックス博物館のHP
http://www.patrimoinedetunisie.com.tn/eng/musees/archeo_sfax.php

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そこから真っ直ぐホテルに向かう(写真左)。ホテルのフロントで、「私は○○です。すでに添乗員がチェックインしていると思うのですが」と言うと、すぐに部屋の鍵と添乗員が作成した明日の予定が書かれたメモを渡してくれた。部屋は5F。エレベータを降りると丸いフロア(写真中左)があり、フロアを囲むように部屋がある(写真中右)。ホテルの全景を見た時、三角形のような形(写真右)をしていたので、面白いと思ったのだが、内部はこのような構造になっていたのだ。室内は広く、落ち着いた雰囲気(写真下左・下中左)。このホテルでも、ベッドの横に置かれた小型テーブルの上に、メッカの方向を示すシールが貼られていた(写真下中右)。ケロアンのホテルにもあったのを思い出す。部屋に入った時、まだ午後6:20分と、夕食まで時間があったので、疲れを取るため入浴し、午後7時前に夕食会場であるホテルのレストランに向かった(写真下右)。

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メニューは次の通り。
・野菜スープ(写真左)
・チキンの照り焼き(写真中)
・アイスクリーム(写真右)

チキンの照り焼きが、非常に美味しかった。味付けが日本風だったこともあるが、こちらの鶏はブロイラーではなく、外を元気に走り回っている地鳥なので、鶏そのものの味も良いのだと思う。ちなみに、一品目はツナ入りブリック(クレープに卵、パセリ、ツナなどを包んで揚げたもの)との選択。二品目はビーフ、三品目はアップルタルトとの選択である。

約1時間の食事を終え、ホテルのそばにあるスーパー「モノプリ」を訪ねた。ツアーメンバーのお話では、書籍類も安いとの事だったので、覗いてみることにしたのである。食料品に衣類、日用雑貨、おもちゃや文房具など、いろいろと売られている。食料品は安いが、衣類などはユニクロといい勝負、日用雑貨はダイソーに軍配が上がりそうだ。書籍類は品数が少なく欲しいものはなかったが、子供向けの図鑑などは日本の半額程度と、非常に安かったので驚いた。20分ほどスーパーを見て回るが、欲しいものはなかったので、そのままホテルに戻る。部屋で約1時間、本日の資料整理を行い、午後9半頃、ベッドに入った。

メルキュール・スファックス
http://www.accorhotels.com/gb/hotel-6294-mercure-sfax/index.shtml
LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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February 07, 2009

スターウォーズ・バー

チュニジア一周の旅(第12回)

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「穴居住宅」からホテル「シティ・ドリス(Hotel Sidi Driss)」へは、10分程度で到着した。このホテルも先ほど訪ねた穴居住宅と同じで、クレーターのような場所の壁面に穴が掘られ、そこが客室になっている(写真左)。ご存知の通り、このホテルは映画「スターウォーズ」が撮影されたことで有名だ。入口から中の広場を通り、突き当り右手辺りにある「バー」が使われたとの事で、そのバーは「スターウォーズ・バー」と呼ばれている。バー・カウンターの周りには、スターウォーズが撮影された時の様子や、関連する写真類が展示されている(写真中左・中右・右)。オフ・シーズンで、観光客が少なかったため、ゆっくり見学することが出来た。昼食会場のレストランは、別の穴にある(写真下)。外から見ると寒そうであったが、中に入ると、それほどでもない。

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メニューは次の通り。
・スープ・チョルバ(写真左)
・ブリック(クレープに卵、パセリ、ツナなどを包んで揚げたもの・写真中左)
・クスクス(写真中右)
・マクロード(写真右)

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食後にもう一度「スターウォーズ・バー」を訪ねると、今度は誰もいなかったので、カウンターの奥に入って写真を撮ってもらった(写真左)。また、ホテルの客室を覗いてみると、白い壁に白いシーツのかかったベッドが並んでいるだけの、非常にシンプルな部屋(写真中)。シャワーとトイレは共同使用だ。上から見た時、十数部屋しかないのではないかと思っていたのだが、実は35部屋もあるという。どこにそんなに隠れているのか(写真右 : 上から見た客室)。1時間20分ほどで、食事とホテルの見学を終え、我々は本日宿泊するホテルのあるスファックスの街に向かった。

ホテル「シディ・ドリス」(昼食会場)
http://www.rando-tunisie.net/Photos/Hotel-Sidi-Driss.htm

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スファックスの街は、マトマタから北東へ約180km離れている。スファックスの観光は予定されていないので、どこかに行くのであれば、到着から夕食までの時間を利用するしかない。何時頃に到着するのかが気になり始めた。バスは「穴居住宅」から移住させられた人たちが住む新しい街、「新マトマタ」を通り、ガベスの街に向かう。道路脇を見ていると、積み上げられたポリ容器が目につく(写真左)。ガイドに訪ねると、ガソリンを売っているのだという。隣国リビアから仕入れているらしい。ガソリンスタンドで買うよりも、かなり安いようだ。ガベスの街を通り、しばらく進むと踏切である。「ガベス―スファックス」間を走る貨物列車だ(写真中左・中右)。砂漠地方やジェルバ島で採れた原油を、ガベスで精製・製品化して、貨物で運ぶとの事。ところで、日本の踏切は「黄色と黒」が多いように思うが、こちらは「赤と白」である(写真右)。所変われば色も変わる?

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2時間ほど走ったところで、休憩のためCAFÉとPIZZERIA の店「FLAMINGO」に立ち寄る(写真左)。15分ほど休んだ後、再びスファックスに向かった。しばらくすると、右手に地中海が見え始めた(写真中左)。この先にはシチリア島があるという。午後4:00前、スファックスの街に入り、メディナのカスバ前あたりに近づいた(写真中右)。ここは私の行きたい場所。しかし午後4:30でクローズされる。そこでチェックイン前であったが、ここでバスを降ろしてもらった。ここに行きたいということは、旅に出る前に添乗員に相談していたのだ。降りた場所がカスバのすぐ近くだったので、午後4:00頃入場することが出来た(写真右)。入口でチケット(3ディナール)と写真券(1ディナール)を購入する。最初に、スファックスの全景が一望できるという屋上にのぼった。カスバは、見張り台として建てられているので、見晴らしは良い。特に南側の街の様子が良く分かる(写真下段 : 屋上からの眺め)。ちなみに「カスバ」とは、アラブ・イスラム都市で支配者が住んでいた城塞のことであり、「チュニジア一周の旅(第4回)」でお話ししたケロアンで宿泊したホテルも、もとはカスバである。また明日訪ねる予定の、スースのメディナのカスバは、現在博物館として利用されている。このスファックスのカスバも、イスラム建築の博物館などが併設されている。屋上からの眺めを楽しんだ後、この博物館に入った。

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建物の内部は、シンプルな造りである(写真左)。中には、チュニジアにあるイスラム建築の写真や構造図等が展示されている。チュニジアにあるモスクやミナレット、カスバ、リバト、ミフラーブ(写真中左・中右・右)などを比較して見ることができるので、非常に興味深い。多数の写真・解説文をカメラに収めてきたので、これらをしっかり検討すれば、今後モスクなどを見た時に、これまでとは違った見方が出来るのではないだろうかと、密かに期待している。その他にはドアノブなどの鉄製の作品や、城壁の構造などの展示もなされていた。午後4:30になると、私がまだ残っているにもかかわらず、係りの人達は扉を締め始めた。大声で呼びかけると、「まだ居たのか、ゴメンゴメン」の一言。30分ほどであったが、楽しく過ごす事が出来た。夕食は午後7:30から。それまでにホテルに行けば良いので、そのままメディナを散策することにした。

LOOKLEX Tunisia(スファックスのカスバ)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax03.htm

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カスバを出て、最初に目指したのは「グランド・モスク」である。通路の両側には露店が出ており、衣類が積み上げられている(写真左)。こんな陳列方法で売れるのだろうか。日本との違いを感じる。日用雑貨のお店が続く中、一見の本屋を見つけた。本が好きな私は、すぐに中に入った。するとアラブ・イスラムノイメージにピッタリの老人がいる。

まずはアラビア語で
「こんにちは。私は日本から来ました」と言うと、
「こんにちは。○×△□・・・・」
とアラビア語で話しかけてきたので。
フランス語で
「アラビアは話せません。フランス語はほんの少しだけ分かります。英語は話せますか」
するとフランス語で
「英語は話せないヨ」
仕方ないので、知っているだけのフランス語で話す事を試みることにした。
まず、本棚にあった綺麗なデザインの本を指差しながら、
「あれは何ですか」
「コーランだヨ」
「大きいですネ。しかも6冊もある」
「小さいのもあるヨ」
「見せてください」
すると3~4種類のコーランを取り出して
「これはどう?」
中を見せてもらうと、アラビア文字が並んで非常に美しい。また別のページには、イスラム文様だけが描かれている。こちらはさらに綺麗だ。しかし少々大きかったので、
「もっと小さいのはないですか」
「あるヨ」
と言って、奥からポケットサイズのコーランを数冊持ってきた。
「これなら小さいだろう」
厚手のキーホルダーのような形で、横にチャックが付いている(写真中左)。
「ええ。中を見ても良いですか」
「どうぞ」
チャックを開けると、コーランが出てきた。当然アラビア文字なので、何が書かれているかは分からないのだが、美しさは変わらない(写真中右・右)。以前からコーランを手に入れたかったので、
「これはいくらですか」
「2.5ディナールだヨ」
2.5ディナールはその時の為替レート、1ディナール=約70円で考えると、わすが175円。こちらの物価水準からすれば安いのか否かは分からなかったが、私の感覚では安いと思ったので、値引き交渉もせず
「これを1冊下さい」
「こちらです」
「ところで、写真を撮らせて頂けませんか」
「写真はダメだヨ」

ガイドのアデルさんが、写真を取られると魂を抜かれると思っている人がいると言っていたが、彼もその一人なのだろうか。残念だが仕方がない。
アラビア語で「ありがとう。さようなら」と言って店を出ると、
笑顔で「ありがとう。さようなら」と返してくれた。

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東方向に2~3分歩くと、「グランド・モスク」(写真左)が見えてきた。モスクのそばまで行くが、入口が見つからない。仕方ないので、先に「シェディド門」(写真中左)からメディナの外に出で、すぐ北側にある「魚市場(スーク・エル・ホウタ)」を訪ねた。「チュニジア一周の旅(準備編その7)」でお話ししたように、スファックスはチュニジア第二の都市であり、商工業の中心地でもあることから「チュニジアの大阪」と言われ、またガベス湾に面した港町でもあり、マグロ漁など漁業も盛んである。このような町の「魚市場」だけに、期待は大きい。市場の中はかなり広く、売られているのは魚だけではない。肉や野菜もある(写真中右)。市場の中央部に入ると、テーブルが部屋全体に輪のように広がる(写真右)。しかも二重になっている。真上から見ると、二重丸のようになっているのではないだろうか。ここが魚市場だ。朝方水揚げされた新鮮な魚介類がここで売られる。今は数件のお店が出ているだけなので、少々寂しい(写真下左)。夕方だから仕方がない。しかし中央部の魚市場を囲むお店は賑わっている。先ほどの肉や野菜を売るお店以外に、衣類や日用雑貨を売るお店もある(写真下中左)。夕方なので、地元の買い物客が大勢来ているのだ。市場の北側に出ると、新市街が見える(写真下中右)。また西側には、バスステーションがある。2輌つなぎの砂埃にまみれたバスが停まっている(写真下右)。バスは人で一杯の様子。買い物帰りの客で混雑しているのか。

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「魚市場」を出て、再びメディナに入る。今度は「ジェブリ門」(写真左)を潜り、スークの見学である。先ほど見た「グレート・モスク」のちょうど北側に位置する。狭い通りの両側にお店が並び、床から店の天井を超える高さにまで商品を陳列している。靴、カバン、布、衣類、木製品、貴金属など。その間を多くの人が行き来している。何かすごい活気を感じさせてくれるのだ(写真中左・中右・右)。時計を見ると、午後5:15を指していた。「スファックス博物館」が午後6:00に閉館されることを思い出し、急いでそちらに向かった。

LOOKLEX Tunisia(スファックスのメディナ)のHP
http://looklex.com/panorama/sfax01-frame-tun.htm
LOOKLEX Tunisia(スファックス)のHP
http://looklex.com/tunisia/sfax.htm

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 05, 2009

ラクダに乗ってサハラ砂漠観光

チュニジア一周の旅(第11回)

6日目[1月14日(水)]

5:30 起床
5:45~6:00 ホテルのレストランで朝食
7:00~7:05 バスでラクダ乗り場まで移動
7:15~8:12 ラクダに乗って砂漠観光
8:15~8:23 ラクダ乗り場からバスでホテルへ
8:40~9:15 ホテルのレストランでお茶を飲む
9:32 バスでホテルを出発
10:40~11:00 タマズレットの「Café Portail Sahara」で休憩/その後バスで移動
11:12~11:37 マトマタの「穴居住宅」観光/その後バスで移動
11:45~13:08 「Hotel Sidi Driss」のレストランで昼食・ホテル内観光/その後バスで移動
14:55~15:10 「Café Pizzeria Flamingo」で休憩/その後バスで移動
15:56 バス下車
15:58~16:30 スファックスのカスバ見学/その後徒歩で移動
16:35~17:20 魚市場見学/その後メディナ内を徒歩で見学・移動
17:20~18:00 「スファックス博物館」見学/その後徒歩で移動
18:20~19:00 ホテルに到着後入浴
19:00~20:00 ホテルのレストランで夕食
20:00~20:20 「モノプリ・スーパー」見学
20:20~21:25 資料整理
21:25 就寝

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今日は、ラクダに乗って見る、夜明けのサハラ砂漠観光で始まる。スケジュール的には、砂漠観光から戻ってから朝食を取れるようになっていたが、私はいつもどおり、先に朝食を頂いた。レストランは午前5:00にオープンする。夜明けのサハラ砂漠観光に合わせているのだろう。しかし、夏場ではないこの時期の夜明けは午前7:00ぐらい。このように早くからオープンする必要はないように思えるのだが。朝食はブッフェ形式。料理を採りに行くと、何か寂しい(写真左・中左・中右)。まだ準備が不十分のようだ。何度食べても良いとの事だったので、軽く食事を済ませ、観光から帰って来て、もう一度食べることにした(写真右)。もう少しメニューが増えていることを期待して。

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午前7:00に、予定通りバスでラクダ乗り場まで移動を始めた。ラクダ乗り場とは250~300mしか離れていないので、数分で到着。バスへの乗り降りを考えると、歩いた方が早かったのかもしれない。乗り場の建物(写真左・中左 : 建物内部)を通り抜けると、砂漠が広がっていた。空には月が出ている。雲一つないので、綺麗な朝日を拝むことが出来そうである。ラクダはまだ来ていない。しばらくすると、ラクダ使いに連れられ、数頭のラクダが集まって来た(写真中右)。どのラクダに乗るのかは、性別や体型等を見て、ラクダ使いが決める。ラクダにも個性があるようで、気性の荒いラクダ、オットリしたラクダ、小柄なラクダ、堂々としたラクダ、ヨダレばかり垂らしているラクダなど、見ていて面白い。一頭のラクダが、口輪を嵌められていた。ジャジャ馬(?)のようである。ツアーのメンバーの方々は、ラクダ使いの指示に従い、順番にラクダに乗り始めた。7番目ぐらいに私の番が来た。体は大きいが、一番オットリした感じのラクダである。背中の鞍に跨ると、ほとんど前傾させられることなく、スッと立ち上がった。いよいよスタートである。初めに乗った人たちは、すでに砂漠の中に出て行っていた(写真右)。ゆっくりだが彼らに追い付き、集団で砂漠観光である。丁度その頃、太陽が地平線から昇って来た(写真下左)。少し雲が出てきたが、日の出には影響はない。美しく輝く太陽。周りには何もないので、地平線に昇る太陽を見ることが出来る。なかなか経験できないことだけに、私はワクワクしていた。10~15分歩いたところでラクダを降り、記念撮影することになった。ラクダ使いやラクダ達と一緒に写真を撮る(写真下中左・下中右)。面白いと思ったのは、日の出を背にして写真を撮っている自分自身の影だ。長く、長く、砂の上に影が伸びている(写真下右)。今の生活の中では、見ることが出来ない。記念に砂漠の砂を集めていると、ラクダ使いの人がやって来て、
「そんなのはダメ、ダメ」
「え!」
「ここのを採らないと」
と言いながら、砂を深く掘りはじめた。昨晩、雨が降ったので、砂漠の表面の砂が固まっていたのだ。前腕の3分の2が見えなくなるぐらいまで掘ってから砂を掴み、目の前でサラサラと砂を流して見せてくれた。私も手を入れてみると、これまでに無かったような感触。これまでに触った砂の中で、一番細かいと思ったのは、モルジブ・バンドスアイランドのビーチの砂だったが、それよりもさらに細かい。雨が降れば、固まるはずである。私はフィルム・ケースを取り出し、それにこのサハラ砂漠の砂を詰めた。10分ほど楽しんだ後、ラクダ乗り場に戻ることになった。

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日は地平線を離れ、眩しい輝きを放っている。私の乗っているラクダは本当に大人しく、ユッタリと歩いてくれたが、他を見ると、急に走り出すラクダや声を荒げるラクダもいた。また、鞍から落ちそうな格好で乗っている人もいる。良いラクダに乗ることが出来たのは、ラッキーであった。約1時間でサハラ砂漠観光を終え、バスでホテルに戻った(写真 : サハラ砂漠観光中のラクダ他)。

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ホテルに戻ってから、しばらくプールサイドなどを歩いた後(写真左)、再びレストランで軽く食事を頂いた。メニューはほとんど増えていなかったので、少々期待外れであった。本日はこの後、「マトマタ」の「穴居住宅」を観光し、その後「スファックス」に向かう予定である。午前9:30頃、ホテルバスで出て、東に走る。「スファックス」へ約100kmだ。道の両側には礫砂漠が続き、その向こうには地平線が見える(写真中左)。この辺りはもともと砂岩と花崗岩からなるが、最高気温80度、最低気温は氷点下という激しい気温差から、岩は崩れて礫になり、さらにそれが崩れて砂になるのだという。砂漠というと、先ほどラクダに乗って観光したような砂丘地帯を想像するが、サハラ砂漠では実際の砂丘は約7分の1に過ぎず、残りは岩砂漠や礫砂漠だという。1時間ほど走ると、所々にヤシの木が見え始める。オアシスと言うほどの規模ではないが、砂漠の民にとっては休息地になるのだろう。しばらくすると、「タメズレツト」の街に入った。あと7~8kmで「マトマタ」だが、ここで休憩することになった。添乗員の話によると、「アーモンドティー」や「マルガト」という15cmぐらいの長さがある菓子が、この辺りの名物との事。「Café Portail Sahara」(写真中右・右 : 店内)というお店に入ると、水煙草をふかしている方がいた。絵になるので、本人の了解を得て写真を撮らせてもう(写真下左)。「Cafe」の隣には、「Boutique Touarge」という土産物店がある。ここでは「ファティマの手」をデザインしたタイル(写真下中左)や、ナブール焼の食器類(写真下中右)、砂漠のバラ(写真下右)などが売られていた。

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お店の屋上に上がれるとの事だったので、急いで外の階段を昇り、屋上から周りを見渡してみた。周囲にはレンガ造りの家が建っている(写真左)。ある家では、囲い込みの中で羊を飼っていた(写真中左)。周囲は礫砂漠。厳しい環境である。砂漠には緑が見えるが、棘のある草花だ(写真中右)。ラクダはこれらを餌にするというから驚きである。しばらくすると、羊飼いが羊の群れを連れてやって来た(写真右)。珍しい光景なので、買い物に夢中になっていたツアーメンバーの方々も、写真を撮るため外に出てきていた。約20分の休憩の後、マトマタの「穴居住宅」に向かった。

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バスで7~8分走ると、横穴式の「穴居住宅」が見え始めた(写真左・中左)。この辺りは標高800mぐらい。「穴居住宅」は何軒もあるのだが、そのうちの一件にお邪魔した。ガイドの話によると、マトマタの人口は2~3,000人と推定されているとの事。だが、役所もなく、人口管理されていないので、本当のところは分からないようだ。私が穴を掘り、家を作って住人になっても、きっと分からないであろう。でも、とても私が暮らせるような環境ではなさそうだ。お邪魔したお家の入り口にはテントが張られ、その向こうにはラクダが繋がれている(写真中右)。出入り口の傍には、井戸があった。降った雨水が溜まるように、溝と繋がっている(写真右)。その隣には石窯だ(写真中段左)。玄関口の上には、魚と「ファティマの手」が描かれている(写真中段中左)。中に入ると、幾つもの横穴式の部屋を見ることが出来る(写真中段中右)。すると、ここの家の住人が3名現れた。おばあさんと娘、そして娘の息子である。おばあさんの名は「ジィーナ」、娘さんは「ファティマ」、そしてその息子は「ザーバ」との事。ジィーナさんは、パンを焼くための粉ひきの様子(写真中段右)を見せてくれ、我々にも体験させてくれた。さらにその粉を使って焼いたパンの試食である。オリーブオイルに漬けて食べる。アッサリした味だ。続いてファティマさんが、各部屋を案内してくれた(写真下段 : 各部屋の様子)。

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最後は、「穴居住宅」の横にある階段を上り、上から下を眺めた。下から見ていた以上に深い穴だ。下からジーナさんが見上げている(写真)。20分ほどで見学を終え、昼食会場であるホテル「シティ・ドリス(Hotel Sidi Driss)」に向かった。

ベルベル人の穴居式住宅
http://fr.wikipedia.org/wiki/Troglodyte

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 04, 2009

「ショット・エル・ジョリド(大塩湖)」を横切りドゥーズへ

チュニジア一周の旅(第10回)

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動物園を出て、次に向かったのはトズールの中心街だ。バスで約10分、メディナの西側にある「ル・リパブリツク広場」で降りた。市場を左手に見ながら、メディナを東に進む。一直線に続く壁。壁の中央には、日干しレンガを使ったデザインが施されている(写真左)。100mほど歩いて左折すると、日干しレンガで造られたゲートだ。壁にはチュニジアの絨毯を掛け、床にはナブール焼のやきものなどを陳列して販売している(写真中左・中右・右)。

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周りを見ると、建築物すべてに日干しレンガが使われている。この辺りが、観光スポット「ウルド・エル・ハデフ地区」だ(写真上段)。14世紀に建造された地区だが、現存する街並みは復元されたものだ。樹木が少ないこの地方では、木材は非常に高価である。材木として使うのはもちろん、やきものを焼くために木を使うのも贅沢なことから、木を使わないこの日干しレンガが考え出された。砂と粘土を混ぜ合わせ、適当な大きさに切り揃え、乾燥させるだけだ。この日干しレンガの街並みは美しいが、これをさらに魅力的にしているのが、壁に施された幾何学模様のデザインである(写真下段)。レンガを凹凸に組み合わせ作られるのだ。ちなみに、これと「同じような幾何学模様は、トズールを中心とするシェリド地方のカーペットのデザインにも使われている」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」)との事。

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10分ほどで「ウルド・エル・ハデフ地区」を通り抜け、再び「ル・リパブリツク広場」に戻ってきた。ここで約20分、自由時間になったので、市場を訪れることにした。市場も日干しレンガで造られている(写真左)。市場の中では、野菜・果物、魚介類に肉などが売られている(写真中左・中右・右)。以前お話しした、チュニスの中央市場と同じような雰囲気だ。ここで驚いたのは、やはり肉屋である。店頭に牛や羊の生首が陳列されているのはチュニスの中央市場でも見たが、ここではラクダの首も並べられているのだ(写真下段)。

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市場の中をひと回りした後、「ハビブ・ブルギバ通り」を北に向かった。銀行を探すためである。なかなか銀行を訪ねる時間が無かったので、チャンスである。先日ご紹介した、「ハンニバル将軍」がデザインされている5ディナール紙幣が欲しかったのだ。幸い直ぐに見つけることが出来た。入ったのは「STB・BANK」である(写真左・中)。面白いと思ったのは、表に出ていた営業時間の看板だ(写真右)。夏と冬、そしてラマダンの時期によって営業時間が異なるのである。冬が8:05~16:15、夏は7:30~13:00、ラマダンの時は8:30~12:30となっていた。気候と習慣に合わせて営業時間が定められているのだろう。日本とは随分異なる。無事に目的の紙幣を入手できたことは、以前お話しした通りである。

STB BANKのHP
http://www.stb.com.tn/Pages/Default.aspx

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銀行を出た時、自由時間も残り少なくなっていたので、「ハビブ・ブルギバ通り」が「ファルハット・ハシェド・ド・ラ・リベルテ通り」に突き当たるところまで歩いて、引き返すことにした。この通りに並ぶ建物も、日干しレンガで造られており、その壁には幾何学模様のデザインが施されている。モスクのミナレットも同じだ(写真)。

LOOKLEX Tunisia(トズール)のHP
http://looklex.com/tunisia/tozeur.htm

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トズール中心部の観光を終え、次に向かったのは昼食会場である「Chak Wak公園」だ。10分ほどで到着。駐車場の前には、数体の恐竜の像が並んでいる(写真)。ここはアミューズメント・パークで、我々が利用するのは、この中にあるレストランなのである。

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昼食のメニューは次の通り。
・ツナ・フレーク(写真左)
・オリーブとパン(写真中左)
・スープ・チョルバ(写真中右)
・タジン(写真右)
・ピッツア・ベルベル(写真下左)
・シャクシユーカ(写真下中)
・ミントティー(写真下右)

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食後、レストランの裏にあるナツメヤシのオアシスを散策した(写真左)。ヤシの木には、たくさんの実(デーツ)が成っている(写真中)。少し歩くと、垣根が見えてきた(写真右)。アミューズメント・パークは、この垣根の向こう側にあるようだ。20分ほどブラブラした後、バスに乗り、次の観光予定地である「ショット・エル・ジョリド」に向かった。

Le Parc Chak WakのHP
http://tozeurinfo.weebly.com/le-parc-chak-wak.html

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「チュニジア一周の旅(準備編その5)」でお話ししたように、「ショット・エル・ジョリド」は、長さ約250km、幅約20km、面積が約5,000k㎡という大塩湖だ。この広さは「福岡県」の面積(約4,971k㎡)に相当する。トズールの街からDegacheの街を通り、Mahassenの街を抜けると、「ショット・エル・ジョリド」に入る。湖の入り口近辺は、まだ塩分濃度が低いのであろう。緑が見られるが(写真左)、奥に入るに従い緑は無くなり、白く塩を吹いた景色が続くようになる(写真中左)。しかし昨日の雨のため、想像していたほど銀世界というわけではない。この道路の全長は96km、うち湖を横切る一直線の部分は約55kmある(写真中右)。我々は湖に入って15分ほど走ったところで、休憩することにした。ここにはみやげもの店が並び(写真右)、トイレもある(写真下左)。添乗員の話だと、トイレは異常に臭いとの事だったので、ここでの利用は遠慮した。道路の両脇には塩を集めて山が造られており(写真下中左)、山の頂にはチュニジアの国旗などが掲げられている(写真下中右)。15分ほど大塩湖を楽しんだ後、本日宿泊するドゥーズの街に向け、バスは出発した。まだまだ湖は続く(写真下右)。昨日の雨のおかげで湖らしい景色を見ることが出来るのだが、こうなると逆に塩で真っ白な湖が見たくなる。30分ほどで湖を抜け、さらに15分ほど走るとケビリの街だ。人口は5万人ぐらいで、我々がこれから行く人口約1万人の街ドゥーズに比べると大きい。ちなみにチュニジアの人口分布をみると、この近辺を含む内陸部には全人口の20%しか住んでおらず、残りの80%は北の海岸部に集中しているとの事。やはり温暖で、緑の多いところが良いのだ。

LOOKLEX Tunisia(ショット・エル・ジョリド)のHP
http://looklex.com/tunisia/chott_el_jerid.htm

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ケビリの街を通り、Jemnaの街を過ぎると、いよいよドゥーズである。街を歩く人々を見ていると、砂漠の民と言った感じの服装が増えてきたように思える。我々の泊まるホテルは、街の中心から南西に3kmほど離れたツーリスティックゾーンにある。ここにはラクダステーションがあるので、ラクダに乗って夜明けのサハラ砂漠観光をするのには、街の中心よりも都合が良いのだ。午後4時半頃、ホテル「エル・ムラディ・ドゥーズ」に到着した。サハラ砂漠の入り口に立つ4つ星の高級ホテルと言うだけのことはあり、豪華なロビーだ(写真左)。部屋は広く、シンプルで落ち着いた雰囲気(写真中左・中右)。いつものように入浴、資料整理を済ませ、ホテル内を散策することにした。これまでは夕食まで仮眠を取っていたが、ようやく時差ボケから解放されたようで、疲れも感じなくなっていた。ホテルのエントランス付近には、多くのナツメヤシが植えられており、チョットしたオアシスである。ホテルのゲートまで行くと、女性の警備員が立っていた。外に出ると、ラクダに乗った砂漠の民といった服装の人が通り過ぎて行く(写真右)。近くにラクダステーションがあるのだから当然かもしれないが、何か不思議な感じがした。

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午後7時から、ホテルのレストランで夕食を頂く。体調も戻り、食欲も湧いてきたので、ブッフェ形式は有難い。肉に野菜、パスタ、スープ、そしてデザートのケーキ類もたっぷり頂戴した(写真)。約1時間で夕食を終え、真っ直ぐ部屋に戻る。明日は早朝からラクダに乗ってサハラ砂漠観光である。お天気が良いことを祈りつつ、午後8時半頃にベッドに入った。

エル・ムラディ・ドゥーズ
http://www.elmouradi.com/cr2.resa/ui/aba/hotel_detail.aspx?user=869&id=700&ilng=1&curr=1


(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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February 02, 2009

トズール観光(コーラを飲むラクダ)

チュニジア一周の旅(第9回)

5日目[1月13日(火)]

5:45 起床
6:30~6:55 ホテルのレストランで朝食
7:45 部屋を出る
8:00 バスでホテルを出発
8:55 ムラレスの街を通過
9:25 メトラウイの街を通過
10:15 バス下車
10:26~11:20 ダル・シュライト博物館
11:23 バス出発
11:35~12:00 ル・パラディ動物園/その後バスで移動
12:11~12:45 メディナ散策/その後バスで移動
13:00~13:45 レストラン「Chak Wak」で昼食
13:45~14:05 レストランのオアシスを散策/その後バスで移動
14:37 ショット・エル・ジェリドに入る
14:50~15:05 休憩・写真撮影
15:47 ケビリの街を通過
16:15 ドゥーズの街に入る
16:25 ホテル「エル・ムラディ・ドゥーズ」に到着
16:40~17:45 入室、入浴、資料整理
17:45~18:05 ホテル周辺散策
19:00~20:00 ホテルのレストランで夕食
20:30 就寝

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本日は、トズールの「ダル・シュライト博物館」と「ル・パラディ動物園」を訪れ、「ショット・エル・ジェリド(大塩湖)」を通ってドゥーズに向かう予定だ。昨日の豪雨と雷が、嘘のように静かな朝。今日は晴れそうな感じだ。ホテルのレストランで、ブッフェ形式の朝食を頂く(写真左・中左・中右)。昨日同様、品数は少ない。サラダとパン、ジュースに紅茶と(写真右)、簡単に済ませて部屋に向かう。外が明るくなって来たので部屋の窓を覗くと、旧村の遺跡が見える(写真下左)。手前の通路のようなところには、水の流れた跡が残っている。きっと昨晩は、泥水がここを激しく流れていたのであろう。集合時間より少し早めに部屋を出て、ホテルの入り口近辺の写真を撮る。あらためて見てみると、この場所と調和のとれたデザインのホテルである(下中・下右)。

午前8:00に、バスでホテルを出発。最初の目的地であるトズールは、タメルザから南東へ約65kmある。「チュニジア一周の旅(準備編その5)」でお話ししたように、トズールは、かつて「ローマン・アフリカの果て」と呼ばれたアルジエリアの国境に近いオアシスの街で、チュニジアでも最高品質のナツメヤシの実(デーツ)が取れることで知られている。また、北と南を結ぶ要衝の地として重要視された街でもある。

添乗員の話によると、ナツメヤシはかなり日照りが続いても生息できることから、砂漠のオアシスを作り、一本の木が100~200kgもの実をつけるという。この実(デーツ)には糖分が多く含まれカロリーも高いことから、砂漠の民にとり栄養補給源として優れた食品になるようだ。ナツメヤシには雄株と雌株があり、男たちが木に登って、受粉させるという。実が成り始めると、中まで日が当たるように、実の束をほぐすらしい。これにより、全体が良く育つのだという。収穫は9月頃に行われる。デーツ以外に、オリーブの生産でも知られているようだ。チュニジアのオリーブ生産量は、イタリア、スペイン、ギリシャに次いで世界第4位との事(ウィキペディア・フリー百科事典に書かれていることと違っている)。栽培面積は150万ha、5,700万本近くあるようだ。

ウィキペディア・フリー百科事典(ナツメヤシ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%A1%E3%83%A4%E3%82%B7
ウィキペディア・フリー百科事典(オリーブ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96

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昨日、観光列車「レザー・ルージュ」に乗るため、4WDでメトラウイまで走ったが、本日も同じコースを走っている。舗装された道路の上に、礫がゴロゴロと転がっている(写真左・中左)。昨夜、この辺りは川になっていたのであろう。所々、まだ水が溜まったままになっている(写真中右)。ラディエフ、ムラレスの街を通り、約1時間半でメトラウイの街に入った。昨日は「メトラウイ駅」に行くため左折したが、本日はここを右折する。ここからトズールまでは25kmほどである。しばらく走っていると、雨が降り始めた。いやな予感。外れてほしいと思いながら窓の外を眺めていると、ラクダ注意の標識が出ていた(写真右)。日本では絶対に見ることはできない標識だけに面白い。タメルザを出てから約2時間、凱旋門のようなゲート(写真下)をくぐるとトズールの街である。さらにここから15分ほどで、最初の観光予定場所である「ダル・シュライト博物館」に到着した。この博物館は、「チュニジアの生活文化や歴史を分かりやすく紹介するためにテーマパークのように構成されて」(「地球の歩き方 08~09 チュニジア」より)おり、「千夜一夜のメディナ」と「チュニジア三千年の歴史」のパートに分かれている。我々が入場したのは前者だ。

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ナブール焼のタイルで装飾された門(写真左)をくぐり、トンネルのような通路(写真中左)を抜けると、中庭(写真中右)に出た。受付を通って部屋を抜け、階段を降りると(写真右)回廊のある広場だ(写真下左)。回廊の柱には、イスラム様式の繊細なレースのような彫りが施され(写真下中左・下中右)、壁はナブール焼のタイルで装飾されている(写真下右)。

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周囲には部屋があり、それぞれの部屋にはテーマごとの展示がなされている。例えば「結婚」をテーマにした部屋を見ると、わが国の戸籍簿のような台帳が展示されている(写真左)。また、手足を装飾する「ヘナ」の樹液によるペイントも面白い(写真中左・中右・右)。アラブでは結婚を決めてから60日間、女性は外部の人々に自分を見せることはできず、59日目に髪の毛以外のすべての体毛を剃り、ヘナペイントを手足に施して結婚式に臨む伝統があったという。他には、嫁入り用の道具も素晴らしい。衣装入れなど、螺鈿で細工されたケース類が見事である(写真下左・下右)。これらに用いられた貝類は、シリアを中心に、オリエント地方から持って来たとの事。

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当時の「服飾」を見ることが出来る部屋もある(写真左)。デザイン画も併せて展示されていたので、ファッションに興味を持つ方には面白いのではないだろうか(写真中左)。その他、コーラン学校(写真中右)、教授室(写真右)台所(写真下左)、寝室(写真下中左)、装身具(写真下中右)、武器(写真下右)なども見ることが出来る。

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そして生活に欠かせないものと言えば、「お金」だ。アラブ・イスラム時代に流通した金・銀貨が、百枚以上展示されている(写真)。フランス語の解説文を現在解読中のため、詳しくは別の機会にお話ししたいと思う。

ダル・シュライト博物館
http://www.darcherait.com.tn/html/musee.htm


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約1時間で館内の見学を終え、我々は次の目的地である「砂漠動植物園(パラディ動物園)」に向かった。「ダル・シュライト博物館」から南西に約1km、広大なナツメヤシのオアシスの中を走る(写真左・中左)。オアシスの広さは1,000haあり、20万本ものナツメヤシが植えられているという。10分ほどで動物園に到着。日干しレンガを積み上げて造った建物が入口だ(写真中右)。受付を通って園内に出ると、園内ガイドが現れた。名前は「ヘディ」さん。最初の檻にいた動物はラクダ(写真右)。そして山猫(写真下左)、耳の大きなキツネ(写真下中)、猪(写真下右)、猿と続く。

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ヘディさんは猿の前で立ち止まり、檻の中に入って行った。そして、
「誰か飴を持っていませんか?」
と尋ねた。すると添乗員が一つずつパックされた飴を、彼に差し出した。彼はそれを猿に渡す。猿は丁寧にパックを開けて、飴を口に入れた(写真左)。猿は飴を舐めるのではなく、噛み砕いて飲み込んだのであろう。もう一つ欲しいと言った顔つきである(写真中左)。へディさんは続けて、

「誰かタバコを持っていませんか?」
と言うと、ツアーメンバーの一人の男性が、彼にタバコを一本手渡した(写真中右)。当然、猿が吸うものだと思っていたら、ヘディさんが吸い始めた(写真右)。まんまと引っ掛かってしまった。

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さらに「鷹」、「みみずく」、「オオカミ」、「黒豚」、「ガゼル」、「クジャク」、「ライオン」、「ハリネズミ」と続き、別の「ラクダ」の檻の前にやって来た。このラクダが、名物のコーラを飲むラクダである。舌を出し、「ベロベロベロ」と鳴いている(写真左)。ヨダレが飛んで来そうだ。ヘディさんがペットボトル入りのコーラを持ってくると、元気に首を振り始めた。ペットボトルをラクダの口のところに持って行くと、ラクダはボトルを口にくわえ、一気にグビグヒと飲み始めた(写真中左)。最後の一滴まで飲んだようなのだが、ラクダは口からボトルを放さない(写真中右)。よほど美味しいのであろう。ヘディさんが空になったボトルを取り上げると、ラクダはもう一本欲しいのか、檻の窓から顔を突き出してきた(写真右)。

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ラクダのコーラ飲みの次は、砂漠ならではの生き物である、サソリとコブラを見せてくれた。ヘディさんは地面に棒で線を引き、
「猛毒を持っているので、ここから前には出ないでください」と言ったと思ったら、サソリを取り出した。地面を這うサソリ(写真左)。彼はそれをいとも簡単に手掴みした。もちろん刺されないように、尻尾の部分を持っている(写真中左)。最後はタバコの空き箱に、サソリを追い込んだ(写真中右)。次はコブラである。彼は棒にヒッかけてコブラを取り出した(写真右)。さすがに砂漠に生息する生きものだ。砂と同じ色をしている。写真を撮るため近づくと、「シャーシャー」と鳴きながら、カマ首を持ち上げた。猛毒を持っていると思うと怖い(写真下)。

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恐ろしいのはここまで。次はオオトカゲと毒を持たない蛇だ。ヘディさんは、突然私の頭の上と左腕に、オオトカゲを乗せてきた。爬虫類は苦手ではないので面白がっていると、今度は蛇を数匹、私の首に巻いてきた。ツアーメンバー、特に女性陣はドンびき。突然蛇に出逢った場合、毒を持っているか否か分からないので怖いが、このような場所で出される蛇は安全なので、添乗員(彼女も女性、怖かったかもしれないのにゴメンナサイ)にお願いして写真を数枚撮ってもらった(写真 : へディが2匹のオオトカゲを持っているところ)。たった30分の事であったが、大変楽しく過ごす事が出来た。

パラディ動物園
http://www.ciao.fr/Zoo_et_Jardin_du_Paradis_Tozeur_1014607

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]

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February 01, 2009

山岳オアシス(シェビカ・タメルザ・ミデス)

チュニジア一周の旅(第8回)

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昼食を終えて、「シェビカの滝」と「タメルザのグランド・カスケード」、「ミデスのグランド・キャニオン」の観光に出かけた。出かける時間が遅いので、あまり観光している時間はなさそうである。小降りだった雨は、だんだんと強くなり始めた。道路に水たまりが出来始めていたが(写真)、4WDなので心配無用だ。

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シェビカは、タメルザの南、約10kmのところに位置する。「チュニジア一周の旅(準備編その4)」でお話ししたように、シェビカの村は1969年の洪水で流されてしまったため、別の場所に新しい村が造られ、ここは廃墟となっている。しかし、観光ポイントはこの廃墟と、その向うに続くハイキングコースだ。ホテルを出て30分ほどで到着。カフェとみやげ物店の入る建物を抜け(写真左・中左)、滝を目指して進む。展望広場から下を見ると、ナツメヤシのオアシスがある(写真中右)。雨は一段と強く降り始めた。足を滑らせないように、ゆっくり階段を降りる。風が出てきたので、傘はあまり役に立たない。階段から続く細い道を進むと、道端にたくさんの「砂漠のバラ」が置かれていた(写真右)。普段は物売りがいるのだろうが、この雨で客も来ないと判断したのであろう。商品だけが残されているのだ。さらに真っ直ぐ進む。路の右手にはオアシス、左手には起伏のある岩山がそびえる(写真下左・下中左)。この岩山を登り、岩の間を抜けると、一大パノラマが広がるとの事だが、足場が悪いので、断念せざるを得ない。さらに真っ直ぐ歩いて、泥の階段を下ったところに「湧水の泉」(写真下中右)と「滝」(写真下右)がある。ここが谷底だ。雨がますます強くなって来たので、写真を撮り、すぐに引き返した。

LOOKLEX Tunisia(シェビカ)のHP
http://looklex.com/tunisia/chebika.htm

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次に向かったのは、タメルザの「グランド・カスケード(大滝)」だ。シェビカから北に5kmほど戻った処にある。ここの観光ポイントも、1969年の洪水で流されてしまった旧村の跡である。シェビカから20分ほどで到着。4WDを降りる。雨は全く弱まらない。土産物店の入る掘立小屋の間を通り(写真左)、坂道を下ると「グランド・カスケード(大滝)」に出る(写真中・右)。雨のおかげであろうか。滝の水は勢いよく流れている。しかしこれが「グランド・カスケード」とは、少々大袈裟ではないだろうか。雨脚が強く、時間も午後5時と暗くなる時間が近づいてきたので、大急ぎで最後の観光ポイントである「ミデスのグランド・キャニオン」に向かった。

LOOKLEX Tunisia(タメルザ)のHP
http://looklex.com/tunisia/tamerza.htm

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我々が宿泊しているホテルの前を通過し、西へ5kmほど走ると「ミデス」の街である。道路の一部が冠水しており、泥水の中を走らなければならない。約15分で到着。道路のコンディションが良くなかったので、距離の割に時間がかかってしまった。4WDを降りると、雷雨だ。雷が怖い私は、急いで土産物店の入るテントに逃げ込んだ。「地球の歩き方 08~09 チュニジア」によると、ミデスも「1969年の大雨で元のベルベルの村は流されてしまい廃墟となっているが、渓谷の上にへばりついたようにある旧村と谷の景色がドラマチックで、「イングリッシュ・ペイシェント」を含めいくつかの映画が撮影された」との事。テントの先には、険しい断崖の上にバルコニーオアシスが広がるのが見える。こちらは「ミデスのグランド・キャニオン」と呼んでも、看板に偽りはない(写真 : グランド・キャニオンの様子)。本当に雄大な景色が、目の前に広がっているのだ。谷間に降りることもできるようだが、雷雨だったので遠慮した。ツアーメンバーの方たちは、ここで「砂漠のバラ」や化石などを購入していた。15分ほど景色を眺めたり、買い物などを楽しんで、本日の観光は終了。4WDまでほんの少しの距離なのだが、あまりにも雨が激しく振るので、傘をさしていてもビショ濡れになってしまった。

LOOKLEX Tunisia(ミデス)のHP
http://looklex.com/tunisia/mides.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(イングリッシュ・ペイシェント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88

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ミデスからホテルまでは約5km。豪雨になってきたので、早く戻りたい気持ちでいっぱいになった。しばらく走ると、山の上に小さな建物が見えた。国境警察である。ここから西に1kmほどで、アルジェリアの国境なのだ。カメラを向けると、運転手のデナリに止められた。以前お話しした通り、警察や政府関係施設を写真に撮ることは、法律で禁じられているからである。周りは礫砂漠、アルジェリアとの国境がある山には、一本の木も生えていない。そのような中、4WDは走っている。すると、デナリが

「窓を開けて外を見てください」
「なにかあるのですか」
と言いながら窓を開けると
「来る時には無かった川が出来ているでしょう」(写真左・右 : 車の窓から見た泥の川の様子・これが一気に流れてくるのだから恐ろしい)
「本当だ!」
泥の川である。
「山に木が無いので、雨が降ると川になるのです。チュニジアに降った雨だけでなく、アルジェリア側に降った雨もこちら側に流れてくるのです」
「なるほど。それで1968年の豪雨で、村が流されてしまったのですネ」
「そうです。今日も、もう少し遅かったら、この道を通ることが出来なかったでしょうネ」
「ええ!それは大変。ラツキーだったですネ」
「この先を見てください。アスファルトで舗装された道を横切るように泥水が流れているでしょう。これがもっと広く、深くなるのです」

窓の外を見ていると、この辺りの村が流された理由を、肌で感じることが出来たように思えた。このような雷を伴う豪雨の中であったが、午後5時半頃、無事にホテルに戻ることが出来た。だが、彼らはこれから自宅のあるトズールまで戻ると言っていたので、無事に戻れるのか少々心配になった。

部屋に戻り、雨にぬれた体を温めるため直ぐに入浴し、その後資料整理を行った。夕食は午後7:30からの予定だったので、しばらく仮眠することにした。眠りから目覚めた時、外が騒がしかった。部屋は真っ暗である。どうやら停電のようだ。手探りで服を着て、荷物をまとめて部屋の外に出ると、廊下は非常用の自家発電機で、薄暗いながらもライトが点いていた。外が騒がしかったのは、ツアーのメンバーの方達が集まっていたからである。レストランも停電していたので、食事に行くか否か相談していた。外は、相変わらずの豪雨と雷である。ホテル以外、周囲に何もないことから、雷の中を外に出るのが怖かったので、私は部屋で寝ることにした。部屋の窓から外を見ると、真っ暗闇。全く何も見えない。この時、砂漠の民が月を崇めた理由が分かったような気がした。現代社会に生きている私たちは、普通に生活していればどこかに光が見えるものである。しかし、砂漠の真ん中では、何の明かりもない。そのような中で月の明かりは非常に有難いものだったのであろう。理屈ではなく、こちらも肌で感じることが出来たように思う。しばらくすると、ホテルのスタッフが灯を点したロウソクを持って来てくれた。部屋に燭台があったので、停電には慣れているのであろう。ロウソクの明かりで生活するのは、久しぶりのことである。ベッドに入りウトウトしていると、部屋の明かりが点き、まもなく電話のベルが鳴った。添乗員からである。レストランも照明が点いたので、食べに来たらどうかとの事。雷もかなりおさまっていたので、ツアーメンバーの男性と一緒にレストランに向かった。

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レストランには添乗員を含め7名が座っていた。2名の女性が夕食をパスしたとの事であった。メニューは次の通り。
・トマトセモリナスープ(写真左)
・トマトソースとソーセージ(写真中)
・魚フライ(美味しそうだったのですぐに食べてしまい、写真を撮り忘れてしまった。残念!)
・ナツメタルト(写真右)

夕食が終わる頃には雨も止み、雷鳴も遠ざかっていた。部屋に戻り、寝支度をして、午後9:20頃にベッドに入った。大変だったが、面白い経験の出来た一日であった。

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余談になるが、私の部屋は通路の一番奥(写真)だったので全く影響は無かったのだが、通路の出入り口に近い部屋は浸水したとの事。必ずしも近くて便利な方が良いというわけでもないようだ。

(参考文献)
・「チュニジア」(チュニジア政府観光局・チュニジア大使館観光文化部)
・「地球の歩き方 08~09 チュニジア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「素晴らしい世界の国々 ガイドシリーズ2 チュニジア」(ビッグボーイ編集部編)[楽天舎書房]


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