政府紙幣コレクション(その1)
10年ぐらい前から、日本が構造的デフレを抜け出すための政策として、「政府紙幣」の発行が叫ばれるようになった。ノーベル賞経済学賞受賞者で経済学者のスティグリッツや、米連邦準備制度理事会(FRB)議長のバーナンキなども「政府紙幣」の発行を支持している。また今月10日に、自民党の政府紙幣と無利子国債を検討する議員連盟(田村耕太郎会長)は、「政府紙幣」などの発行を政府に求める提言をまとめた。
こういった「政府紙幣」の話が出ると、前例を見るため、過去に発行された「政府紙幣」について触れることも多いが、中央銀行制度が出来た後に発行された「政府紙幣」は、補助単位の少額のものに過ぎず、現在提言されている「政府紙幣」を議論する場合の参考とするには無理がある。しかしコレクターの立場から、「政府紙幣」と称されるものを集めてみるのは面白い。そこで今回、一般に「政府紙幣」と言われるものを集めてみた。
なお、海外でも数多くの「政府紙幣」が発行されているが、ここでは国内のものだけを取り上げた。
※フランスの革命政府が発行した政府紙幣「アッシニア」については、当ブログ、2009年2月15日付「第6回おおさか大収集まつり」をご参照願いたい。
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2009/02/26-131b.html
① 「太政官札」


明治維新直後、財政補填と産業振興に充てるため政府が発行した紙幣で、十両、五両、一両、一分、一朱(写真左 : 表面・右 : 裏面)の5種類がある。明治元年(慶応4年 : 戊辰)5月から明治2年7月まで発行され、発行高は4,800万両にもなったが、当初の目的の一つである産業振興にはほとんど使われず、財政補填、特に軍事費として支出された。大政奉還後も「鳥羽伏見の戦い」や「戊辰戦争」など幕府軍との戦いが続いていたからである。経済の実力を遥かに超える紙幣が発行されたため、「太政官札」の価値は金百両に対し40両にまで下がったが、明治2年5月の布告で「金札5,000万両増発計画を3,250万両に制限すると同時に、通用期限13カ年を5カ年に短縮し、金札製造器械の焼棄を決め、明治2年冬から同5年までに新貨をもって金札を兌換し、この兌換にもれる金札があれば1カ月5朱(年6分)の利子をつけることにした」(図録日本の貨幣7―近代幣制の成立―より)ことから、相場は持ち直した。しかし、「太政官札」の信用が上がると、今度は偽札が出回り、流通が阻害されるようになった。
写真の「太政官札」は、明治元年(慶応4年 : 戊辰)に発行されたもので、通用期限は13年である。昨今の政府紙幣に関する解説の中に、紙幣の流通期限近くになると日銀券と交換しようとする動きが出たり、政府紙幣を受け取らなくなるのではないかといった内容のものを見かけたが、これは、「政府紙幣」→「太政官札」→「流通期限」というイメージから出てきたものなのであろう。
ところでこれらの「太政官札」は、明治2年5月の布告通り、新貨に兌換されたのであろうか。答えは「否」である。元々財源がなく、金札の価値、信用を回復させるための布告に過ぎず、結局新紙幣(※)との交換をはかり、再び「太政官札」を不換紙幣化して、先の正貨兌換の約束を反故にしたのである。なお、1カ月5朱(年6分)の利子をつけることは実施され、「金札引換公債証書」と交換された。
(※)「新紙幣」は、③で取り上げる「新紙幣」(「明治通宝」 : 通称「ゲルマン紙幣」)のこと。
・ウィキペディア・フリー百科事典(太政官札)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98%E6%9C%AD
② 「民部省札」


先にみた通り、「太政官札」は5種類発行されたが、概して額面が大きく、日常取引に支障を生じていた。この少額紙幣不足を補うために発行されたのが「民部省札」である。「太政官札」でも「一分」と「一朱」は発行されていたが、これらの少額札は発行された札全体の13%にすぎなかったのだ。太政官制が続いていたのに、「太政官札」ではなく「民部省札」という名称になったのは、当時「大蔵省」と「民部省」が合併したばかりで、通貨政策は「民部省」が担当していたからのようである。
「民部省札」は、二分、一分、二朱(写真左 : 表面・右 : 裏面)、一朱の4種類が発行された。当初は発行と同時に、同額面の「太政官札」を回収する予定であったが、廃藩置県にともなう行政費をはじめとする歳出増加に伴う「財政不足を補うため太政官札につけ加えて発行され、不換紙幣の流通に拍車をかける結果となった。だが、この札は太政官札の価値がかなり安定したのちに発行されたので、流通は比較的円滑」(図録日本の貨幣7―近代幣制の成立―より)だったとの事。
写真の「民部省札」は、明治2年(巳巳)に発行されたもの。「太政官札」とは異なり、「十三年限」といった通用年限は示されていない。
ところで、これらの「民部省札」も「太政官札」と性格が同一だったので、明治2年5月の布告の適用を受けることになるのだが、新貨に兌換されたのであろうか。答えは「否」。「太政官札」と同じく新紙幣または「金札引換公債証書」と交換されたのである。
・ウィキペディア・フリー百科事典(民部省札)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%83%A8%E7%9C%81%E6%9C%AD
③ 「新紙幣」(「明治通宝」 : 通称「ゲルマン紙幣」)


印刷の粗雑な「太政官札」や「民部省札」、「藩札」と交換して、紙幣を統一するために発行された紙幣で、ドイツに注文して製造した高級印刷の紙幣であることから、「ゲルマン紙幣」とも呼ばれている。100円、50円、10円、5円、2円、1円(写真左 : 表面・右 : 裏面)、半円、20銭、10銭の9種類。100円、50円、10円、5円の4種は明治4年12月から、残りの5種は明治5年2月から発行された。
「新紙幣」の製造高は1億4,944万円で、うち三分の二にあたる1億353万円はドイツで、残りの三分の一にあたる4,590万円はドイツ製の原盤を用いて日本で製造されたものである。①「太政官札」のところで述べたように、札の信用が上がるに伴い偽札が出回り、流通が阻害されるようになったことから、精緻な新札を作ろうとしたが、当時の日本には高度な印刷技術は無かった。そこで、当初政府の顧問的協力者であったロンドンのオリエンタル・バンクに製造を依頼する予定だったが、フランクフルトのドンドルフ・ナウマン社が証券印刷のエキスパートであり、また最近開発した印刷技術が偽造防止に最適であること、そして印刷技術の我が国への移転も見込めたことから、ドイツの会社に製造依頼することになったのである。
「新紙幣」は①精巧美麗であること、②政府の基礎が強固になり政府紙幣に対する信用が確定したこと、③国民が紙幣の使用に慣れたことなどもあって、不換紙幣であるにもかかわらず順調に流通した。しかし、しばらくすると次のような欠点が指摘された。
第一に、9券種あるにもかかわらず、すべて同一デザインで、かつ4つのサイズに集約されていたことから、額面の改ざんが行われる。
第二に、洋紙に印刷されていたため、傷みやすく、変色しやすい。
国産化により紙質は改善されたが、額面改ざんの問題は解決しなかったことから、明治14年に「改造紙幣」と呼ばれる紙幣が発行されることになった。
ところで最初にお話ししたように、この紙幣は「太政官札」などの旧札と交換して、紙幣を統一するために発行されたのだが、この目的は順調に進み、最終的には100%近い回収となり、明治11年頃には流通札が「新紙幣」一色になったという。
・ウィキペディア・フリー百科事典(明治通宝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E9%80%9A%E5%AE%9D
(ご参考 : 当ブログ)
・2006年4月25日付「ゲルマン紙幣」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/04/post_b98f.html
・2006年4月27日付「ゲルマン紙幣一億円」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/04/post_7b4d.html
(参考文献)
・「図録日本の貨幣7―近代幣制の成立―」(日本銀行調査局編)[東洋経済新報社刊]
・「日本貨幣カタログ」(日本貨幣商協同組合編・刊)
・「日本紙幣収集事典」(石原幸一郎編)[原点社刊]
・「詳説日本史」(石井進ほか著)[山川出版刊]
・「新編日本史図表」(坂本賞三ほか編)[第一学習社刊]