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April 29, 2009

エッフェル塔

ロンドン・パリの旅(第19回)

今回のロンドン・パリの旅、本日が観光出来る最終日だ。前回訪ねたかったのに行けなかった処と、どうしてももう一度訪ねたかった所を廻る予定で迎えたこの日、私のテンションは朝から高かった。

第五日目[3月30日(月)]

・午前6:00 : 起床
・午前6:30 : 朝食
・午前8:00 : ホテル出発
・午前8:10 : 「クール・サンテミリオン駅」到着
・午前8:30~午前9:00 : 地下鉄「クール・サンテミリオン駅」から「マドレーヌ駅」経由で「エコル・ミリテール駅」へ
・午前9:10 : 「エコル・ミリテール駅」に到着。徒歩で「アンヴァリッド」前まで行き、引き返して「エッフェル塔」へ
・午前9:20 : 「エッフェル塔」に到着
・午前9:50 : 徒歩で「シャイヨー宮」の前を通り「ギメ美術館」へ
・午前10:00~11:10 : 「ギメ美術館」で美術品の鑑賞
・午前11:20 : 徒歩で「バカラ・ギャラリー・ミユージアム」へ
・午前11:20~午後12:05 : 「バカラ・ギャラリー・ミユージアム」でガラス製品を鑑賞
・午後12:20~午後12:45 :「シャンゼリゼ大通り」の「マクドナルド」で昼食を取る
・午後12:50~1:10 : 地下鉄「ジョージⅤ駅」から「パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デユ・ルーブル駅」経由で「ポン・ヌフ駅」へ
・午後1:10~1:15 :「ポン・ヌフ駅」構内を写真撮影
・午後1:25~午後1:45 : 「モネード・パリ貨幣博物館」のショップに立ち寄る
・午後2:00午後2:15 : 「ノートルダム大聖堂」を見学
・午後2:25~午後2:45 : 「最高裁判所」内を見学
・午後2:50~午後3:10 : 「コンシェルジュリー」を見学
・午後3:15~午後3:30 : 「サント・シヤペル」を見学
・午後3:40~午後3:50 :地下鉄「シャトレ駅」から「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」へ
・午後3:55~午後5:30 : 「ルーブル美術館」で美術品の鑑賞
午後5:30~午後5:40 : 「ルーブル美術館」の「ピラミッド」周辺で写真撮影
・午後5:45~午後6:25 : レストラン「ひぐま」で夕食
・午後6:30 : 地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」へ
・午後6:50 : 「クール・サンテミリオン駅」に到着。徒歩でホテル「プルマン・パリ・ベルシー」ヘ
・午後7:00 : ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」に到着
・午後9:30 : 入浴、資料整理を済ませてベッドに入る


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いつもどおり、午前6:00に目覚め、午前6:30、オープンと同時に朝食会場に入る(写真左 : 朝食・写真右 : レストラン)。今日はツアーも1日フリータイムのため、他のメンバーの人たちも朝早くからレストランに来ていた。クロワツサンにスクランブルエッグなど、軽く済ませて部屋に戻った。

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午前8:00、本日の観光のためホテルを出た。昨日、ホテルに着いてから散策した元倉庫街を歩く。朝早いため、誰もいない(写真左)。静かなものである。しかし、このエリアを抜けて「クール・サンテミリオン駅」近くまでに来ると、急に人が増えた。この近くにマンションでもあるのだろう。通勤の人々で混雑し始めた。私は1日乗車券を買おうと思い、自動販売機ではなく、窓口の方に行ったのだが、誰もいない(写真右)。しばらくすると、私の後ろには数人の列が出来ていた。待つこと約15分、ようやく駅員が戻って来た。乗車券(5.8ユーロ)を購入し、ホームに向かう。

地下鉄「クール・サンテミリオン駅」から「マドレーヌ駅」経由で「エコル・ミリテール駅」へ。当初、「コンコルド駅」で下車するつもりだったのだが、降りることが出来なかったため、仕方なく「エコル・ミリテール駅」まで行ったのである。フランスの地下鉄は、路線、車両にもよるが、下車する時は自ら扉を開けなければならないことが多い。ボタンを押して開ける方式やノブを倒す方式など色々なタイプがある。この時私が乗っていた列車の場合は、これまで経験したことがないドアの凹みの内側のボタンを押す方式だったのだが、丁度その場所を私の前に立っていた男性が抑えていたので分からなかったのだ。すぐに尋ねれば良かったのだが、自分で探しているうちに列車が発車してしまったのだ。「コンコルド駅」→「フランクラン・デ・ローズベルト駅」→「イエナ駅」のルートで「ギメ美術館」に行く予定だったが、急遽予定を変更し、「エコル・ミリテール駅」まで行くことにしたのである。下車する駅を変更するとともに、最初に訪ねる場所も変更した。最初の目的地は「エッフェル塔」になったのだ。

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「エコル・ミリテール駅」で降りて、地上に出る。地図を見れば良かったのだが、前回歩いていたので自信を持って南東方向に歩きだした。しかし、どうも景色が違う。すると「アンヴァリッド」(写真)が見えてきたので、全く反対方向に歩いたことに気が付いた。ここまで来たのだから久しぶりに内部も見学しようかと思ったのだが、オープンは午前10:00から。1時間近く待たなければならないのであきらめ、来た道を戻った。ちなみに「アンヴァリッド」は、ルイ14世が傷病兵を収容させるために建てたものだが、現在はナポレオンの墓があることで知られている。

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今度は「エコル・ミリテール駅」から南西方向に歩く。「旧陸軍士官学校」(写真左)の前を横切ると、「シャン・ド・マルス公園」だ。そしてその先には「エッフェル塔」が立っている(写真中左)。公園を北西方向に進む。「エッフェル塔」が段々大きく、近づいてくる(写真中右・右・下段)。前回は展望台まで昇っていなかったので、そこまで行くつもりでエレベータ乗り場の列に並んだのだが、まだ30分ほど待たなければいけないとの事だったので、列を離れて「ギメ美術館」に行くことにした。ちなみに「エッフェル塔」だが、1889年、フランス革命100周年を記念して開催されたパリ万博の時に建てられた。設計者は鉄骨橋の専門家として知られる「ギュスタヴ・エッフェル」である。高さは320.75m。当初は20年という期間限定の建造物だったが、無線通信のアンテナとして塔が有用であることが分かり、急遽取り壊しは中止され、1921年にラジオ放送が開始されてからは、必要不可欠なものとなったという。

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列を離れ、セーヌ川に架かる「イエナ橋」を渡り、「シャイヨー宮」の前に出る(写真左)。「シャイヨー宮」は、1937年に開催されたパリ万博の時に建設された。双翼の建物に特徴があり、現在、海洋博物館や映画博物館などが入っている。振り返ると、西側から見た「エッフェル塔」だ(写真中左・中右)。東側から見たのとは違った姿を見せてくれている。「シャイヨー宮」の前に広がる「トロカデロ庭園」を横切り、北東方向に300mほど進むと「ギメ美術館」(写真右)に到着だ。


エッフェル塔のHP
http://www.tour-eiffel.fr
ウィキペディア・フリー百科事典(エッフェル塔)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94
アンヴァリッド・軍事博物館のHP
http://www.invalides.org
ウィキペディア・フリー百科事典(オテル・デ・ザンヴァリッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89

(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO.4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]


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April 28, 2009

オランジュリー美術館

ロンドン・パリの旅(第18回)

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約1時間45分、「オルセー美術館」での絵画鑑賞を終え、次に向かったのは「オランジュリー美術館」である。セーヌ川沿いを西に進み、「ソルフェリーノ橋」(写真左)を渡り、対岸のセーヌ川沿い、「チュイルリー公園」(写真中左)内を西に200mほど歩くと、「オランジュリー美術館」(写真中右・右)に到着だ。前回パリを訪れた時は、工事のため閉鎖されていたので、この美術館に入ることはできなかった。有名なモネの「睡蓮」は是非見たいと思っていたので、今回目的を果たす事が出来る。「オランジュリー美術館」は、皇帝ナポレオン三世が19世紀半ばに建てたオレンジの栽培温室が前身で、1927年に美術館としてオープン、2006年には現代的に改装され再オープンした。

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入口は西側、「コンコルド広場」のある方だ。入口前の広場からは、「コンコルド広場」の「オベリスク」(写真左)や「エッフェル塔」(写真中左)などが見える。ゲートをくぐり、セキュリティー・チェックを受ける。館内はガラス窓が大きくとってあり、外の光が差し込むので、明るくかつ気持ち良い(写真中右・右)。ここも「ミュージアム・パス」が使えるので、受付で見せるだけ。待たされることなく、展示室に入ることが出来た。

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受付から真っ直ぐ進んだところにある展示室(写真左)が、私の見たかったモネの「睡蓮」が展示されている「睡蓮の間」である。展示室は2部屋に分かれており、まず手前の部屋に入ると、楕円形の部屋の壁に、4枚の「睡蓮」の画 (写真中)が展示されている。さらに奥の部屋に進むと、こちらも楕円形の部屋の壁に、4枚の「睡蓮」の画 だ(写真右)。

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各部屋に展示されている作品名は、最初の部屋が「朝」(写真左 : 200×1275cm)、「雲」(写真中左 : 200×1275cm)、「緑の反映」(写真中右 : 200×850cm)、「日没」(写真右 : 200×600cm)の4点。、

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次の部屋が「樹々の反映」(写真下左 : 200×850cm)、「明るい朝、しだれ柳」(写真下中左 : 200×850cm)、「朝、しだれ柳」(写真下中右 : 200×1275cm)、「二本の柳」(写真下右 : 200×1700)の4点である。

これら8枚の画は連作で、この展示室に降り注ぐ自然光で見ることができる。先ほど少し触れたが、この美術館の前身はオレンジの栽培温室で、モネの設計に基づき改造された。当初、天井から外光が降り注ぎ、変化する光の中で「睡蓮」を鑑賞出来たと言う。しかし、寄贈されたヴァルター・ギョームのコレクションを展示するため2階に展示室が造られ、外光が入らなくなってしまった。前回訪れた際、工事中で閉鎖されていたとお話ししたが、この時に2階を取り壊して地下に展示室を造ると言う大改装を行い、再び外光を取り戻したのである。朝から何時間もいれば、光の変化とともに変わる「睡蓮」を見ることが出来るのであろう。

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次に、新しく出来た地下の展示室に向かった(写真)。ここには、ヴァルター・ギョームのコレクションが展示されている。美術館で入手した案内書によると、「このコレクションの大部分は、パリの大美術商ポール・ギョームによって収集され、彼の死後未亡人となったドメニカ・ヴアルターが後を継ぎ、1960年にフランス国に譲渡されました。1984年に一般公開されたこのコレクションには、フランス美術の2つの重要な時代が表現されているのを見ることが出来ます。印象派はとりわけルノワールとセザンヌの大変興味深い作品によって代表されます。近代美術の始まり、そして両大戦の時期を特徴づけるある種の古典主義への回帰は、モディリアニ、ルソー、ピカソ、マチス、ドラン、ユトリロ、スーチン等の傑作によって表されています」との事。

この美術館でも、フラッシュを使わなければ写真撮影が許されていたので、私が気になった作品を数点ご紹介する(作品名等は写真左から順)。


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・「Femme nue dans un paysage」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1883年]
・「Yuonne et Christine Lerolle au piano」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1897~1898年頃]
・「Portrait de deux fillettes」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1890~1892年]
・「Baigneuse assise s’essuyant une jambe」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1914年頃]

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・「Femme nue couchee(Gabrielle)」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1906~1907年]
・「セザンヌ夫人の肖像」(セザンヌ作)[1890年頃、油彩、カンヴァス、81×65cm]
・「Le Dejeuner sur l’herbe」(セザンヌ作)[1876~1877年]
・「La Barque et les baigneurs」(セザンヌ作)[1890年頃]

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・「ポール・ギョーム、ノヴォ・ピロタ」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年頃、油彩、カンヴァス、105×75cm]
・「赤毛の娘」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年、油彩、カンヴァス、40.5×36.5cm]
・「Femme au ruban de velours」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年頃]
・「Femme au chien」(マリー・ローランサン作)[1923年頃]

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・「Nu drape etendu」(アンリ・マティス作)[1923~1924年]
・「Nu sur fond rouge」(ピカソ作)[1925年]
・「Grande Nature morte」(ピカソ作)[1917~1918年]
・「タンバリンを持つ女」(ピカソ作)[1925年、油彩、カンヴァス、97×130cm]

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・「Eglise Saint-pierre」(モーリス・ユトリロ作)[1914年頃]
・「道化姿のクロード・ルノワール」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1909年、油彩、カンヴァス、120×77cm]
・「Arlequin a guitare」(アンドレ・ドラン作)[1924年]


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午後4:15 、「オランジュリー美術館」(写真左)での絵画鑑賞を十分に楽しみ、本日の予定はこれで終了である。まだ昼食を食べていなかったので、以前パリに来た時に気に入ったお店に行ってみることにした。「チュイルリー公園」(写真中左)の西側ゲート(写真中右)から「コンコルド広場」(写真右)に出る。北西の方向に「ブルボン宮」(写真下左)と「エッフェル塔」(写真下中左)が建つ。「オベリスク」(写真下中右)の間近まで行って写真を撮り、「シャンゼリゼ通り」の前に。ここからは「凱旋門」(写真下右)が見える。

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「旧海軍省」(写真左)の建物前を通って「コンコルド駅」から地下鉄に乗車。「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」で下車し、「アンドレ・マルロー広場」近くにある レストラン「ひぐま」(写真中左)に入る。久しぶりだったので、お店がなくなっているのではないかと心配したが、店内の雰囲気も全く変わっていない(写真中右)。ただ、前回非常に親切にしてくれた、日本人の男性店員はいなかった。当然のように海老チャーハン(8.5ユーロ・写真右)を注文、あわせて夕食用に中華丼をテイクアウトでオーダーする。3~40分で昼食を終えた後、 地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」に向かう。

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午後5:50頃、 「クール・サンテミリオン駅」に到着。ホームを出ると、パリなのに新しく開けた街の雰囲気がする。「かつてブドウ畑が広がり、ワイン倉庫の並ぶ「パリの中のいなか」だった。そこが近年、シラク大統領がパリ市長時代に取り組んだ計画により、一躍再開発に湧いている。ベルシー多目的総合体育館を皮切りに、全長数100mに及ぶ細長くスリムな新大蔵省や国立図書館など、新しいランドマークが次々とできた」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)という新しい街だったのだ。駅からは「ベルシー公園」(写真左)の横を歩き、4~5分で本日宿泊するホテル「プルマン・パリ・ベルシー」(写真中左・中右・右)に到着した。添乗員から連絡を入れてもらっているとは言うものの、分かってもらえるだろうかと思いつつ、ホテルのフロントに向かう。現地で契約している旅行代理店名と私の名前、ツアー添乗員の名前と、私だけが先に到着した理由を述べると、パスポートのチェックだけで部屋の鍵を渡してくれた。部屋は「201号室」と低層階だったので、丁度良かった。高層にある部屋は、窓から見る眺めは良いが、万が一停電でエレベーターなどが動かなくなった時のことを考えると大変なので、私は低層フロアの方が好きなのだ。室内は木の香りが漂いそうな雰囲気で、落ち着きもある(写真下段)。まだ外は明るかったので、散歩に出かけた。

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ホテルから北西に100m程歩くと、シネコン(写真左)やお店が並んでいる。先にお話しした通り、ここは元ワイン倉庫街だったので、その倉庫を改装して店舗にしているのだ。飲食店や土産物店、お菓子のお店(写真中左・中右)や美容院などもある。かつてワインを運ぶ貨車が通っていたのだろうか。石畳の中にレールが2本走っている(写真右)。日曜日の夕方だからであろうか。通りもお店も人で賑わいを見せている。3~40分 ホテル近辺を散策し、午後7:00にホテルに戻る。午後8:00、ホテルの部屋で食事、その後いつものように入浴、資料整理を済ませ午後9:30頃ベッドに入った。


オランジュリー美術館
http://www.musee-orangerie.fr/
ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」
http://www.pullman-hotels.com

(参考文献)
・「週刊・世界の美術館NO.23・オランジュリー美術館」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]

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April 24, 2009

オルセー美術館

ロンドン・パリの旅(第17回)

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「フランス国立貨幣博物館」を出て、次に向かったのは「オルセー美術館」である。ここからセーヌ川沿いを西に7~800m進めば、「オルセー美術館」だ。川沿いには、「ポン・ヌフ」から古本などを売る店が、何軒も続いている(写真左)。これがパリ名物「ブキニスト」である。「16世紀後半、ポン・ヌフで露天商が古本を売ったのが始まり」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)との事。「国立美術学校」(写真中左)の前を通り、「カルーゼル橋」の前に出る。対岸には「ルーブル美術館」(写真中右)だ。さらに300mほど歩くと、「オルセー美術館」に到着した(写真右)。本日この美術館を訪れたのは、明日、月曜日が休館日だからである。前回パリを訪れた際、「ルーブル美術館」に時間をかけ過ぎ、「オルセー美術館」での美術鑑賞が時間切れとなり、十分満足いくまで見ることが出来なかったので、今回はジックリ時間をかけて鑑賞したいと思っていた。

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入口前の広場には、馬やサイ、像などのオブジェがある(写真左)。美術館の入口の所まで来ると、長い行列が出来ていた(写真中左)。しかし私はミュージアム・パスを持っていたので、別の入り口から直ぐに入場することが出来た。セキュリティ・チェックを済ませて館内に入ると、目の前には駅の造りがそのまま残るホールが広がった(写真中右)。階段を下りて後ろ側を見上げると、ガイドブックなどによく出てくる時計が、金色に輝いている(写真右)。この「オルセー美術館」は、ご存知のように「1900年にオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎の建築をそのまま利用した美術館。1848年から1914年までの作品を展示し、ルーブル(古代~1857年)、国立近代美術館(1915年~)とともに、各時代をカバーする3代美術館のひとつとなっている」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)。展示は「0階(地上階)」と「2階(中階)」、「5階(上階)」の3フロア。「0階」から順番に上がっていくことにした。

この美術館では、フラッシュを使わなければ写真撮影が許されていたので、数多くの名画をカメラに収めてきた。皆さんご存知の作品ばかりなので、あえてコメントする必要はないであろう。私の気に入った作品をご紹介するので、お楽しみ頂ければと思う。


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① 「ヴィーナスの誕生」(アレクサンドル・カバネル作)[1863年、油彩、カンヴァス、130×225cm](左)
② 「泉」 (ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル作) [1820~1856年、油彩、カンヴァス、163×80cm](右)

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③ 「ルーアン大聖堂、正面から見た大扉、茶色のハーモニー」(クロード・モネ作) [1892年、油彩、カンヴァス、107×73cm](左・中左)
④ 「左向きの日傘の女」(クロード・モネ作)[1886年、油彩、カンヴァス、131×88cm](中右・右)

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⑤ 「落ち穂ひろい」(ジャン・フランソワ・ミレー作)[1863年、油彩、カンヴァス、130×225cm](左・中左)
⑥ 「母の肖像」(ジェームズ・アボツト・マクニール・ホイッスラー作)[1871年、油彩、カンヴァス、144.3×162.5cm](中右・右)

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⑦ 「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(エドゥアール・マネ作)[1872年、油彩、カンヴァス、55×38cm](左・中左・中右)
⑧ 「草上の昼食」(エドゥアール・マネ作)[1857年、油彩、カンヴァス、83.5×111cm](右)

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⑨ 「ムーラン・ド・ラギャレット」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1876年、油彩、カンヴァス、131×175cm](左・中左)
⑩ 「習作、日のあたる女の上半身」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1875~1876年、油彩、カンヴァス、81×65cm](中右・右)

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⑪ 「巨大な裸女」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1907年、油彩、カンヴァス、70×155cm](左・中左)
⑫ 「浴女たち」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1918~1919年、油彩、カンヴァス、110×160cm](中右・右)


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⑬ 「アルルの寝室」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889年、油彩、カンヴァス、57.5×74cm](左・中左)
⑭ 「午睡(または「昼寝」)」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889~1890年、油彩、カンヴァス、73×91cm](中右・右)

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⑮ 「自画像」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889年、油彩、カンヴァス、65×54.5cm](左・中左)
⑯ 「コートヴィルのわらぶきの家」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作)[1890年、油彩、カンヴァス、73×92cm](中右・右)

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⑰ 「オーヴェール・シュル・オワーズ教会、後陣」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1890年、油彩、カンヴァス、94×74.5cm](左・中左)
⑱ 「黄色いキリストのある自画像」(ポール・ゴーギャン作)[1890~1891年、油彩、カンヴァス、38×46cm](中右・右)

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⑲ 「タヒチの女たち」(ポール・ゴーギャン作) [18891、油彩、カンヴァス、69×91.5cm](左・中左)
⑳ 「夕方のそよ風」(アンリ・エドモン・ドラクロワ作)[1893~1894年、油彩、カンヴァス、116×165cm](中右・右)

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今回は絵画ばかり紹介したが、ご存知の通り「オルセー美術館」には、絵画以外にも彫刻(写真左 : 弓を引くヘラクレス)や装飾的な美術品(写真中・右 : セーブル焼の壺)など、魅力的な展示で満ちている。もっと美術品についての勉強をした上で、もう一度ここを訪れたいと思う。


オルセー美術館
http://www.musee-orsay.fr/fr/accueil.html
平成18年9月4日付当ブログ「パンテオン・オルセー美術館・・・」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/09/post_9f48.html
平成18年11月2日付当ブログ「オルセー美術館展」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/11/post_10b0.html

(参考文献)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ORSAY・オルセー見学ガイド(日本語版)」(フランソワ・ベイル編)
・「オルセー美術館展」(Weeklyぴあ編)[ぴあ刊]
・「西洋絵画の楽しみ方」(雪山行二監修)[池田書店刊]

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April 23, 2009

フランス国立貨幣博物館(モネー・ド・パリ貨幣博物館)

ロンドン・パリの旅(第16回)
貨幣ぶらり旅(第156回)

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「フランス国立陶磁器美術館」での鑑賞を終え、次に向かった先は「フランス国立貨幣博物館(以下「貨幣博物館」という)」である。地下鉄「ポン・ドゥ・セーブル駅」から「フランクラン・デ・ローズベルト駅」経由で約30分、「ルーブル・リヴォリ駅」に到着した。ホームに出ると、他の駅とは違った雰囲気である。ホームに古代エジプトや古代ギリシャ・ローマ等の彫刻、壁画が展示されているのだ(写真)。駅のミュージアムと言ってもよい。パリの地下鉄の駅には、これ以外にも「ポン・ヌフ駅」のコインのオブジェや「バスティーユ駅」の壁画など、ユニークな駅がある。

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階段を上り地上に出ると、丁度「ルーブル美術館」(写真左)の東側。「サン・ジェルマン・ローセロワ教会」(写真中左)の前を通り、「セーヌ川」の前に出た。前回パリを訪れた時の事を思い出す。「ポン・ヌフ」(写真中右)だ。川には遊覧船、対岸には「造幣局」(写真右)と「国立美術学校」(写真下左)の建物が見える。右手を見ると、「エッフェル塔」(写真下中左)。初めてではないのに、何故かワクワクする。「ポン・ヌフ」を渡り、右手に2~30m進むと「貨幣博物館」の入り口に到着だ(写真下中右・下右)。

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門をくぐって中に入ると、半円形の広場だ(写真左)。正面左手の扉から館内へ。最初の部屋は小型のホールになっており、ここでは貨幣以前の貨幣、つまり貨幣の機能を果たしたものが展示されている(写真中左)。例えば「子安貝」(写真中右)や「塩の塊」(写真右)、「線状の貴金属」(写真下左)、「布」(写真下中左)、「カタンガクロス」(写真下中右)、「斧」 (写真下右) などである。受付はこの部屋の向うにあった。前回訪れた時は、正面の入口から入ったように思うのだが、記憶違いか。

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受付で「ミュージアム・パス」を見せると、「ガイドブック」を貸してくれた。前回は「イヤホンガイド」を貸し出してくれたので尋ねてみるが、今は「ガイドブック」だけとの返事。英語版を借りると、前回購入したのと同じ「THE COIN & MEDAL MUSEUM」であった。これを持って展示室(写真)に向かう。展示室(頭の数字はRoomナンバー)は、次のようなパートに分けてコイン類を展示していた。

(1F)
1. ガリアの貨幣
2. ローマからメロヴィング朝
3. シャルルマーニュの改革
4. ドゥニエ貨の時代・最初のカペー王朝
5. 聖ルイの大トゥール貨
6. 市場経済の誕生
7. テストン貨の誕生
8. 「テストン貨」から「ルイ貨」ヘ
9. ルイ金貨・ルイ絶対君主時代
(2F)
10. 革命と帝国の時代
11. 19世紀
12. 現代
13. メカニカル・ホール

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またこれら以外に、1Fの別室では、ヨーロツパやアジア、南北アメリカ大陸、アフリカなど、地域別に分けて世界の現行コインが展示されている(写真左 : ヨーロツパ・右 : アジア)。

前回訪れた時と比べて、展示内容はほとんど変わっていないと思うのだが、この数年で得たコインに関する知識をバックに、前回以上に理解を深めようと思い、ジックリ時間をかけて見て廻ることにした。逐一説明していると、フランスの貨幣史を語ることになってしまうため、展示の中から印象に残ったもの7点をご紹介する。

①(Room1)Dsc09005Dsc09006Dsc07638


ケルト人・パリシィ族「スタテル金貨」(紀元前1世紀)[直径23mm・重さ6.87g]
ガリアに住んでいたケルト人のうち、セーヌ川付近に住みついていたパリシィ族(パリの名前の起源)の金貨。マケドニア王・フィリップ二世のスタテル金貨の影響を受けて造られたようだ。

②(Room6)Dsc07655
11世紀から14世紀の封建的貨幣製造地図。下部に書かれているマークは、当時最も普及していた貨幣の型とそのバリエーションが描かれており、地図上にあるマークでどのコインが流通していたかが分かる。

③(Room8)Dsc07673
外国コインとの交換のための手引書。17世紀に流通していたヨーロッパのコインの特徴(重さ、純度、価値など)と、法令について書かれた本で、コイン間の交換を行う時の手引書として使用された。----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

④(Room9)Dsc07606
幸運と財産の女神像と天秤式打刻機。かつてはこの場所で、コインの重さや品質などを計量器ではかり、検査をしていたとの事。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

⑤(room10)Dsc07623Dsc07621Dsc07620


1843年から1855年まで、貨幣彫版師の親方として活躍した「ジャック・ジャン・バール」の仕事机と仕事場の再現(写真左)。刻印(写真中)とこの刻印で作られたコイン(写真右)。

⑥(Room10)Dsc07609Dsc07619

アッシニア紙幣(写真左)とその印刷機(写真右)。アッシニア紙幣については、平成21年2月15日付当ブログ「第26回おおさか大収集祭り」で詳しくお話ししているので、御参照願いたい。

http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2009/02/26-131b.html

⑦(Room13)Dsc07641Dsc07642Dsc07643Dsc07644

ルイ14世の時代の天秤式打刻機(写真左・中左・中右)と百科全書による打刻機の機能説明(写真右)。職人がくぼみの中に座り、他の労働者が4人でアームの部分を回転させ、貨幣地板を挟んだ鋳型に力を伝え、コインを製造する。

約1時間で見学を終える。本日は日曜日なので、ミュージアム・ショツプはお休み。明日、ショップだけを訪ねることにして(月曜日は博物館が休み)、博物館を出た。


当ブログ・平成18年9月9日付「モネー・ド・パリ貨幣博物館」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/09/post_6b88.html
フランス国立貨幣博物館
http://www.monnaiedeparis.com/musee/index.htm
フランス造幣局
http://www.monnaiedeparis.com/
フランス中央銀行
http://www.banque-france.fr/

(参考文献)
・「THE COIN & MEDAL MUSEUM」
・「フランス国立貨幣博物館」(渋谷区立松濤美術館編・刊)

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April 22, 2009

フランス国立陶磁器美術館(セーブル美術館)

ロンドン・パリの旅(第15回)

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地下鉄「ポン・ドゥ・セーブル駅」から橋を渡り、徒歩で約10分。ついに「フランス国立陶磁器美術館(以下「セーブル美術館」という)」に到着した(写真)。やきものに興味を持って以来、どうしても訪れたかった美術館の一つであったのだ。憧れのヨーロッパ陶磁器と言えば、マイセン、ミントン、そしてこのセーブルだからである。もちろん、デルフト、ウェッジ・ウッド、リモージュ、ロイヤル・コペンハーゲン等も忘れてはならないのだが。

さて、館内の展示物についてお話しする前に、「セーブル美術館」ついて少し触れておく。「セーブル美術館」の創立は1824年で、当時は「陶磁器とガラス器の美術館」と呼ばれていた。創立者のアレクサンドル・ブロンニャールと館長のデジレ・レオクルーは、全世界の陶磁器の代表作例を蒐集しようと企て、これがベースとなり、現在10万点以上の陶磁器を所蔵している。1876年、美術館は、製造所と一緒に現在の場所に移転し、1934年には、国立セーブル陶磁製造所と美術館は分離された。

続いて、「セーブル陶磁」についてもお話ししておく。まず、押さえておかなければならないのが、18世紀になるまで、西欧諸国は磁器の製造方法を知らなかったと言うことだ。このため、日本や中国から輸入する磁器は非常に高価なもので、王侯貴族だけが手に入れられる品であった。しかし1709年、ついに西欧でも磁器が製造できるようになった。それがマイセンである。だがそのころのフランスでは、サン・クルーやシャンティ、メヌシーなどの小規模な工場で「軟質磁器」(磁土[カオリン]を使わず鉛釉で製造する)の製造が始まったに過ぎなかったので、フランス人は中国やマイセンなどから硬質磁器を買い続けていたようだ。このようなフランスであったが、日本の柿右衛門様式が最も流行していた1745年、ヴァンセンヌ製造所で製造した金彩仕上げがここの特産となった。この製造所が、非常に美しく純粋な金の装飾を常に生産するヨーロッパ唯一の工場で、以後ルイ15世様式などの作品を次々と世に送り出したのである。

このようなヴァンセンヌの軟質磁器は、世界中に喜んで迎えられ、中でも熱烈なファンであったルイ15世の愛人・ポンパドール夫人は、ルイ15世の住むベルサイユとパリの中間にあるセーブルに新しい建物を造り、1756年、ヴァンセンヌから軟質磁器の工場を移転させた。1769年には、フランス中部のリモージュで磁土(カオリン)が発見され、フランスでもセーブル製造所で、マイセンと同じような硬質磁器の製造が行われるようになったのである。ちなみに、優雅なピンク、いわゆる「ポンパドールのバラ色(ローズ)」は、セーブル製造所の時代に生まれた。

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前置きが長くなったが、以下、館内の様子をご案内する。正面入り口両脇には、高さが3mほどもある大きな壺が置かれている(写真左)。確認してこなかったことを後悔しているのだが、デルフトなのか青花なのか。館内に入ると、高い天井のロビーだ。ここに受付とブックショップがある(写真右)。パリでは美術館・博物館めぐりをするつもりだったので、あらかじめ日本で「パリ・ミュージアム・パス(2日券)」を購入していたおかげで(32ユーロ、日本での購入価格は5,000円)、ここではパスを見せるだけで入場できた。

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最初に正面右手の展示室に入る。この部屋には世界の陶磁器が展示されている(写真)。先にお話ししたように、「セーブル美術館」の創立当初から集められた世界の陶磁器の代表作品なのであろう。土器に始まり、古代ギリシャの赤絵式・黒絵式の陶器、イスラム陶器、唐三彩や青花、青磁などの中国の陶磁器、マヨリカやデルフト等の陶器、そして日本の染付や楽、薩摩などの陶磁器が展示されている。この部屋の展示を見ていると、個々の国、地域で生まれた作品の素晴らしさだけでなく、世界の陶磁器の歴史をも知ることが出来る。展示解説がすべてフランス語であったことは難点だが、事前にやきものの歴史について勉強していたので、少しは理解の役に立ったようだ。なおこの展示室では、セーブル焼は世界の陶磁器の一つとして扱われているにすぎない。

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次に向かった正面左手の部屋では、セーブル陶磁製造所でデザイン、製造、販売された陶磁器などに関する文書類が展示されている。貴重なドキュメントなのだろうが、書かれていることが読めず、猫に小判、豚に真珠状態だったので、早々と2Fの展示室に移動した。階段を上る途中、踊り場から多くの肖像画が見えた(写真)。この製造所にゆかりのある人々が描かれているようだ。2Fの広間に出る。ここはかつてオーナーの談話室であったようだ。このフロアも、ここを中心に左右の展示室に分かれており、セーブル焼は、右手の部屋に展示されている。そこで、まずこちらの部屋から鑑賞することにした。中に入ると、当然のことながらセーブルの陶磁器が豪華絢爛、数え切れないほど並んでいる。金彩を施した瑠璃色、グリーン、ポンパドール・ローズなど多色にわたる。また、花、鳥、果物、肖像画や当時の人々の生活が描かれるなど、デザインも非常に面白い。部屋の窓の下、壁沿いを見ると、セーブル陶磁器の歴史が分かるように展示されている。セーブルの陶磁器が好きな人には何時間いても楽しめるのではないだろうか。

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次に正面右手の部屋に入る。ここ部屋には、18~19世紀のヨーロッパの陶磁器が展示されていた。マイセン、ウェッジ・ウッド、ミントン等のヨーロッパ陶磁器が並ぶ。さらにその奥の部屋には、デルフト(写真)やナブール焼のコーナーが設けられている。どれも素晴らしいものばかりなのだが、所々に空のショーケースが置かれ、その周りが資材置き場のようになっていた。特別展示などに使用されるスペースのようだが、現在は未使用。もう少し整理しておいて貰わないと、一流品の展示に心を満たされていたのが台なしになってしまう。

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※作品(すべてセーブル陶磁)の写真は「フランス国立陶磁器美術館のHP」と参考文献に揚げた「セーブル陶磁名品展」から。作品名等については、左から順に次の通り。

(写真上段)
・「心の友と呼ばれるポンパドール夫人像」(軟質磁器素焼 : ヴァンセンヌ製造所) [1755年]
・「ポプリ香壺・ポンパドールの壺」(軟質磁器 : ヴァンセンヌ製造所) [1756年]
・「蓋付き砂糖壺」(軟質磁器: セーブル製造所) [1761年]
・「ブロアの水差し型花瓶」(ロート・ヴォー磁器 : セーブル製造所)[1887年]
(写真下段)
・「絵画風文様壺」(軟質磁器 : セーブル製造所)[1767年]
・「ド・ロアン公の平皿」(軟質磁器 : セーブル製造所)[1771年]
・「タレイランのテリーヌと皿」(軟質磁器 : セーブル製造所)[1798年]
・「金の縁飾り皿」(硬質磁器 : セーブル製造所)[1810年]


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最後は3Fである。階段を昇る途中にあった窓から外を見ると、かつて製造所であった建物が見える(写真)。3Fは企画展用のフロア。ここでは、「現代日本人陶芸家展」が開かれていた(開催期間 : 3月13日~6月15日)。4月10日付当ブログ「ロンドン・パリの旅(第8回)」の「テート・ギャラリー(その2 : テート・モダン)」でお話しした通り、私は現代アートに良い作品を見出す事が出来ない。美しく、かつ見ていて楽しくなるようなものであれば良いのだが、作品に込められた思想など難しいことを表現されても困るのだ。これは絵画だけでなく、陶芸についても同じなので、このフロアに展示された作品の中から気に入ったものを見出すことはできなかった。展示室を一回りして、1Fへと階段を降りた。

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1Fのショップでガイドブックを買うつもりだったのだが、1冊を除いてすべてフランス語で書かれたものばかり。しかも英語で書かれたものは、私が欲しいと思うような内容ではなかった。仕方ないので、写真が多くて文字の少ない「La ceramique a travers les ages」(5ユーロ)を購入した。丁度一時間。美術館での鑑賞を終え、外に出た(写真)。セーブルの陶磁器が展示されていた部屋だけはまだ見ていたかったが、次に予定している先に行くため、地下鉄「ポン・ドゥ・セーブル駅」に向かった。


フランス国立陶磁器美術館(セーブル美術館)[フランス語]
http://www.musee-ceramique-sevres.fr/
ミュゼあれこれ・「フランス国立陶磁器美術館(セーブル美術館)」[日本語]
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/backnumber/0701/museum.html
Paris Museum Pass(パリ・ミュージアム・パス)
http://www.parismuseumpass.com/

(参考文献)
・「セーブル陶磁名品展」(朝日新聞社編・刊)
・「世界やきもの史」(長谷部楽爾監修)[美術出版社刊]
・「憧れのヨーロッパ陶磁」(京都国立博物館編)[読売新聞社刊]
・「La ceramique a travers les ages」(Alain Prevet著)[セーブル美術館刊]

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April 20, 2009

シャンティからパリへ

ロンドン・パリの旅(第14回)

本日のツアーの予定は、午前7:30にホテルを出発し、1日かけて「モン・サン・ミツシェル」観光である。しかし私は、ひとりツアーを離れて、パリに向かうことにした。「モン・サン・ミツシェル」には行ったことがあり、またパリで行きたい所があったことも理由だが、最大の理由は時間が勿体ない事だ。往復で700km以上。時間にすると8時間以上バスに乗っていることになる。短い日程のツアーなので、往復の飛行機に乗っている時間なども差し引くと、観光の時間は非常に短くなってしまう。せっかく訪れたパリなのだから、自分の納得のいくように観光することにした。

第四日目[3月29日(日)]

・午前6:00 : 起床
・午前6:30 : 朝食
・午前7:45 : ホテル出発
・午前7:55 : 「シャンティ・グヴィユー駅」到着
・午前8:22~午前8:47 : RER高速郊外鉄道で「ガール・デ・ノール駅」(パリ北駅)へ
・午前9:10 : 地下鉄「ガール・デ・ノール駅」から「ストラスブール・サンドニ駅」経由で「ポン・ドゥ・セーブル駅」へ
・午前10:00 : 「ポン・ドゥ・セーブル駅」に到着。徒歩で「フランス国立陶磁器美術館(以下「セーブル美術館」という)」へ
・午前10:10~午前11:10 : セーブル美術館でやきものを鑑賞
・午前11:15 : 徒歩で「ポン・ドゥ・セーブル駅」に到着
・午前11:30 : 地下鉄「ポン・ドゥ・セーブル駅」から「フランクラン・デ・ローズベルト駅」経由で「ルーブル・リヴォリ駅」へ
・午前11:55 : 「ルーブル・リヴォリ駅」に到着。徒歩で「フランス国立貨幣博物館(以下「貨幣博物館」という)」へ
・午後00:10~午後1:00 : 「貨幣博物館」で貨幣等展示を鑑賞
・徒歩で「オルセー美術館」へ
・午後1:30~3:15 : 「オルセー美術館」で絵画等鑑賞
・徒歩で「オランジュリー美術館」へ
・午後3:40~午後4:15 : 「オランジュリー美術館」で絵画等鑑賞
・徒歩で「コンコルド広場」に出て、地下鉄「コンコルド駅」から「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」へ
・午後4:45~午後5:20 : レストラン「ひぐま」で昼食
・午後5:30 : 地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」へ
・午後5:50 : 「クール・サンテミリオン駅」に到着。徒歩でホテル「プルマン・パリ・ベルシー」ヘ
・午後6:00 : ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」に到着
・午後6:20~7:00 : ホテル近辺を散策
・午後8:00 : ホテルの部屋で食事
・午後9:30 : 入浴、資料整理を済ませてベッドに入る


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いつもどおり、午前6:00に目覚め、午前6:30、オープンと同時に朝食会場に入る。本日はツアーの出発時間が早いこともあり、他のメンバーの方も、大勢来ていた。フランスでは、必ずその日の朝、パンを焼くのだが、まだ準備が出来ていない様子。仕方がないのでコーヒーやシリアルを頂く。しばらくするとパンが焼けたとの事。クロワッサンなど、出来たてを頂戴する(写真)。午前7:00頃朝食を終え、ホテルのフロントに行く。ここには日本人の女性スタッフが一人いるので、細かいことも頼みやすい。本日行く予定にしている「セーブル美術館」だが、地下鉄の駅を降りてからの道順を確かめていなかったので、インターネットをお借りして調べた。やきものに関心があるので「セーブル美術館」に行くつもりだと彼女に話すと、彼女は日本にいた時、「リモージュ焼」の絵付けを教えていたとの事。90年代のバブルの頃に、東京で絵付け教室を開いていたと言う。盛況だったようだが、さらに勉強がしたくなり、フランスに来たらしい。当初は、パリで絵付けを教えながら自分も勉強しようと考えていたのだが、パリでは絵付けはボランティアにはなっても、お金を貰って教えるようなものではなかったため、仕方なく生活のためこのホテルに就職したという。しかし、ホテルでの仕事に取られる時間がドンドン増え、最近では勉強どころではない様子。なかなか大変なようだ。アラフォーぐらいの、感じの良い女性。健闘を祈りたい。

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午前7:30前、添乗員に私のカバンを手渡す。いくら小さなカバンだと言っても、観光で持ち歩くには邪魔になるので、バスに積み、本日宿泊するホテルまで運んでもらうことにしたのだ。部屋に戻り、窓からツアーのバスが出て行くのを見送る(写真左)。午前7:45、少し早いのだが、ホテルのリムジンで「シャンティ・グヴィユー駅」に行くことにした。ホテルから駅まで徒歩で4~50分。森の中の一本道を行くだけで良いらしいのだが、列車の本数が少ないため、万が一遅れると、一日のスケジュールが大きく狂ってしまうので、リムジンを使用することにしたのである。リムジン代は、15ユーロ。少々高いように思えるが、路線バスは無く、この時間だとタクシーも呼べないようなので仕方がない。ゴージャスな気分を味わいながら、朝日を浴びて森の中の一本道を進む。約10分で駅に到着した(写真右)。

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駅には誰もいない(写真左・中左)。乗車券を買うため、係員を探していると、一人のスタッフが奥の部屋から窓口に出てきた。「シャンティ・グヴィユー駅」から「ガール・デ・ノール駅」(パリ北駅)まで、急行・大人1枚で7.2ユーロ。列車の出発時間は午前8:22なので、時間が十分にあったことから、列車が何番線に来るのかを確かめた上、駅周辺で写真を撮ることにした。駅前の通りを過ぎて広い通りまで出ると、かなり台数の車が走っていた。道路の向こう側は、競馬場のある森だ(写真中右)。その向こう、と言っても4~5km先だが、昨日写真撮影した「シャンティ城」がある(写真右 : シャンティの町の案内地図)。列車の発車時刻10分ぐらい前になったので駅に戻ると、駅構内には十数人の観光客がいた(写真下左)。列車は定刻に発車。座席はガラ空き(写真下右)。オープンシートなので、私は2階建て列車の2階席に座った。しばらくすると、検札のため車掌がやって来た。日本の列車と変わるところはない。ただ、想像していたのと違っていたのは、乗客に黒人の方が多かったことである。これまで廻ったヨーロッパの国々の中で、最も多いのではないだろうか。

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急行列車だったので、約20分で「ガール・デ・ノール駅」(パリ北駅)に到着した(写真左・中左)。昨日、ロンドンから着いた時と同じ駅である。ここから地下鉄で、「ガール・デ・ノール駅」→「ストラスブール・サンドニ駅」経由→「ポン・ドゥ・セーブル駅」に向かう。約50分で「ポン・ドゥ・セーブル駅」に到着(写真中右)。ここまで来る人はほとんどおらず、車両ガラガラである(写真右)。ホームに降りると、自動販売機が目にとまった。日本の地下鉄には売店があるが、ここには、この自動販売機があるだけ。飲み物だけでなく、スナック菓子なども買えるが、マスクや爪切り、新聞などは無い(写真下左)。コインの投入口も日本のタイプとは異なり、コインを指定の場所に平面状に入れ、小さなレバーを押し上げて投入するようになっている(写真下右)。

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今朝インターネットで調べた案内では、ここから「セーブル美術館」まで、徒歩約10分だ。地下鉄の駅の階段を上り、地上に出る(写真左)。日本の地下鉄でも同じなのだが、初めての駅の場合、地上に出た場所がどこなのかが分からないことが多い。ここで方向を間違えると時間をロスするので、人に尋ねることにした。しかし日曜日の朝だからであろうか。人通りはほとんどない。ようやく出会った女性にフランス語で尋ねると、早口のフランス語で話されたため、聞き取れなかった。仕方ないので英語で説明してくれるようにお願いし、再度教えてもらった。南西方向に歩き、橋を渡ったすぐそばに美術館があるとの事。道を尋ねるフレーズは得意だったので、流暢なフランス語で話したのが失敗であった。相手も急いでいるのだろうから、最初から英語で話せばよかったと反省した次第である。教えられた通りの方向に200mほど歩くと、橋が見えてきた。橋の北東側に来ると、対岸に「セーブル美術館」が建っていたので、早足で橋を渡り、美術館へと急いだ(写真右)。

パリの地下鉄
http://www.paris.org/Metro/

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April 18, 2009

ロンドンからフランス・シャンティへ

ロンドン・パリの旅(第13回)

午前11:45、ホテルロビーに集合し、バスで「セント・パンクラス・インターナショナル駅」へ出発。私にとって、ツアーの皆さんとご一緒するのは、この時が初めてである。バスは「タワー・ヒル駅」の前を通り、「ロンドン塔」の横を走る。「ロンドン塔」の入り口付近に目をやると、私が訪れた時とは異なり、入口前の広場が大勢の人で埋め尽くされていた。やはり人気の観光ポイントだったのだ。この時改めてこのように感じた。

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バスは、約15分で駅に到着(写真左)。ここにはポーターがいないので、ツアーの皆さんは大きなスーツケースをゴロゴロと大きな音を響かせながら運ばなければならない。このような時、手荷物サイズのカバン一つだと楽である。この時まだ正午。我々が乗るパリ行きのユーロスターは、午後1:32発だったので、1時間以上待たなければならない。添乗員にカバンを預け、我々は駅構内を散策することにした。この駅は、昨年11月にオープンしたばかりで新しい(写真中左)。飲食店や花屋、ブティックなどの並ぶ1Fを通り抜け(写真中右)、階段で2Fに上がると、そこからはホームが見える。鉄骨アーチにガラス張りの屋根(写真右)。外の光が差し込むので、照明は不要だ。駅には、黄色い車体のユーロスターが停車している(写真下左・下中)。ガラス張りの壁があるため、列車の側によることはできないが、十分に楽しむことは出来る。ホームの壁側を見ると、レンガ造りでレトロな雰囲気。天井の構造との対照が面白い。また、ホームの端には男女が抱き合うオブジェが建っている。別れを惜しむ恋人たちであろうか(写真下右)。

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しばらく駅構内を散策した後、添乗員の待つ場所に戻った。ホームに入れるのは、列車が発車する20分前から。少し早目だったが、皆さん大きな荷物を持っていたので、入場口である9番ゲートの前に並んだ(写真左)。午後1:12、ゲートが開き、平坦なエスカレータでホームに向かう。我々の乗る列車は17号車。私のシート番号は54。同じツアーに一人で参加していた男性の方の横の席だ。日本の新幹線に比べ、座席はかなり狭い(写真右)。添乗員によると、軌道の幅が日本よりも狭いので仕方がないとのことだが、我々の乗った車両は「スタンダード・クラス(2等)」。割増料金(81.5ポンド : 15,000円程度)を払ってでも良いので、もう少しゆとりのある「ビジネス・プレミアム(1等車)」にして欲しかった。

午後1:32、列車は定刻に発車。しばらく走ると、列車はトンネルの中に入る。私の隣に座った男性の方は、70歳を超えているという元商社マン。何故か私に興味を持った様子で、色々と質問をしてくる。私もお話しするのが好きなので、質問にお答えしていると、2時間ぐらいはすぐに経ってしまった。私が一人で行動するのが好きなのは、旅行中に色々観察したいからなのだが、このようにお話しをしていると、十分に見ることはできない。お話しするのを断れば良いのだが、何となくズルズルとお話ししているうちにパリに着いてしまった。トンネルを抜けた後、色々面白い光景もあったのだろうが、十分に見ることが出来なかったことは残念である。

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午後4:47、「パリ北駅」に到着(写真左 : 駅ホーム・写真中・右 : 外から見た駅)。ロンドンとは1時間の時差があるため、乗車していた時間は2時間15分だ。午後5:00過ぎ、我々は駅に迎えに来ていたバスに乗り、本日宿泊する「シャンティ」の町に向かった。シャンティの町はパリから北へ約50km離れているので、ホテルまで1~2時間かかるのではないかと思っていたのだが、意外にスムースに進み、午後6:00頃にはシャンティの町に入った。

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予想より少々早く着いたので、添乗員がバスの運転手に相談。その結果、「シャンティ城」(写真)に寄ってくれることになった。「シャンティ城」に入れるのは午後5:00頃までだったので、外から写真を撮るだけだったが、それでも十分に楽しむことが出来た。「シャンティ城」は、16世紀に建てられ、18世紀、フランス革命で城の一部が破壊されたが、19世紀に修築された。ルネッサンス様式の、非常に美しいお城だ。内部は「グラン・シャトー」と「プチ・シャトー」に分かれており、「グラン・シャトー」内にある「コンデ美術館」は見ものとの事。この城の持ち主であったコンデ公が所有していた膨大な絵画のコレクションが展示されており、ピエロ・ディ・コジモの「美しきシモネッタ」やラファエロの作品など、有名な作品を見ることが出来る。明日の朝にでも訪ねようかとも思ったのだが、午前10:30オープンだと知り諦めることにした。あまりにも遅すぎるからだ。

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10分程の写真撮影タイムを終え、いよいよ本日宿泊するホテル「シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌ」(写真左 : ホテルゲート・中左・中右・右 : ホテルの建物)である。午後6:30頃に到着。「6ヘクタール(15エーカー)という広大なシャンティの森に囲まれた閑静な街の庭園の敷地に建つ、かの有名なロスチャイルド家がかつて所有したフランス最大のシャトーホテル」(同ホテル案内より)だけのことはあり、鳥のさえずり以外は何も聞こえない。

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建物に入ると、その歴史と豪華さを感じる。私の部屋は、正面玄関の真上。窓からは、先ほどバスで入って来た通路が見える(写真左)。部屋の内部は、朱色のベッドカバー、カーテン、カーペットだが、壁はクリーム色で全体をまとめており、落ち着いた雰囲気(写真中左・中右)。驚いたのはバス・トイレだ。ベッドルームより広いのである(写真右)。洗面台は普通の高さと低いものと2種類。バスには数多くの手すりが付いている。バスタブにはジャグジーが用意されており、風呂に泊まりに来たのと間違えそうな雰囲気だ。しかし良く考えると、このバス・トイレは、障害者対応なのであろう。車いすでも問題なく移動できるように広いスペースがとってあり、座ったままでも洗面出来るように低い洗面台があるのだ。


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夕食は、ホテルのレストランで午後7:45から。格式あるホテルのレストランなので、皆さんお洒落している。ツアーの皆さんと一緒に食事をするのは、これが最初で最後。単独行動ばかりしているためだ。

夕食のメニューは、次の通り。
・オリーブ・オイルとレモンの野菜マリネサラダ(写真左)
・牛肉グリル、じゃがいもとえんどう豆の蒸し煮を添えて、3種類(グリーン胡椒、ベルシー、ロックフォール)のソースから選ぶ(写真中)
・エキゾチック風味のフレッシュ・フルーツ(写真右)
・コーヒーまたは紅茶

約1時間15分食事を楽しみ、部屋に戻る。本日は移動時間が長く、午前中に歩いただけだったので、それほど疲れてはいなかったのだが、風呂で使ったジャグジーは非常に体を癒してくれた。いつものように資料整理を済ませ、午後10:00頃ベッドに入った。


ユーロスター
http://www.eurostar.com/dynamic/index.jsp
シャンティ城
http://www.chateaudechantilly.com/chateauchantilly/fr/index.html
シャンティ観光案内
http://www.chantilly-tourisme.com/
「シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌ」ホテル
http://www.chateaudemontvillargenne.com/index.htm


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April 17, 2009

タワー・ブリッジ

ロンドン・パリの旅(第12回)

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「ロンドン塔」を出た後、その足で「タワー・ブリッジ」(写真左)に向かった。「ロンドン塔」を北側に見ながら(写真中左)、テムズ川沿いを300mほど歩き、橋の下から階段を上ると「タワー・ブリッジ」(写真中右・右)である。橋の北側に建つタワーに、入り口がある。受付でチケット(6ポンド)を購入し、エレベーターでタワーの上に昇る。前回も簡単にお話ししたが、「タワー・ブリッジ」はテムズ川に架かる跳ね橋で、1894年に造られた。タワーはゴシック様式。大型船が通る時は、橋の中心部が八の時に開く構造になっている。高さ43mの塔と塔との間は、約268mのガラス張りの2本の歩道橋で繋がっており、ここを歩きながらロンドンの町の眺めを楽しむことが出来る。

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エレベーターを降りると、橋が出来るまでのお話しを、スクリーンに映し出していた(写真左)。少し映像を見た後、東側の歩道橋を北から南に進む(写真中左)。通路の左手からは、外の景色を眺めることが出来る(写真中右)。こちら側には、観光ポイントとして紹介されているところは無いのだが、宿泊しているホテルが見える(写真右)。通路の右手には、この橋に関わる出来事などの展示がなされていた。例えば、フランス人パイロットのフランク・マクリーンが跳ね橋と桁橋の間を飛行した話や、第一次世界大戦の時、「タワー・ブリッジ」に対空砲が配置され、ロンドンを空襲するドイツの飛行船に備えたといったことなどである。南の塔に着くと、ここでも映像が流されていた。跳ね橋が水力で動かされる仕組みについて説明していた(写真下左・下右)。

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今度は西側の歩道橋を南から北へ進む(写真左)。左手には、今朝歩いた「ロンドン・ブリッジ」が見える(写真中左)。「ロンドン・ブリッジ」の左側には、「シティ・ホール」や「ロンドン・アイ」が(写真中右)、また右側には「セントポール寺院」や「シティ」の金融街に建つ高層ビルなども見える(写真右)。その手前には、先ほど訪れた「ロンドン塔」だ(写真下左・下右 : 南側の歩道橋)。こちら側からは、昨日、一昨日に訪ねた場所が見えたので、その眺めは一段と楽しいものであった。こちらの歩道橋では、「橋の種類とテクノロジー」をテーマに展示が行われていた。例えば、橋の種類は主に、桁橋、アーチ橋、吊り橋/斜張橋、カンチレバー橋、可動橋の5つに分けられることや、それぞれについて、世界の中からそれらを代表する橋を紹介するなどである。日本の橋では、「明石大橋」が挙げられていた。

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約20分、橋の上、ガラス張りの歩道橋から眺めを楽しみ、南側の塔を階段で下り、橋の外に出た。ここから真っ直ぐホテルに戻ろうと思っていたのだが、塔の出口にいたスタッフの女性が、橋の歴史館「タワー・ブリッジ・エクスペリエンス」を訪ねてみてはどうかと声をかけてきた。親切に場所を教えてくれたので、そこに行くつもりで歩いていたのだが、橋の途中で写真を撮っていると、先ほどの女性がわざわざ私の所までやって来て、「タワー・ブリッジ・エクスペリエンス」まで案内してくれると言うのだ。私が迷っていると思ったのだろうか。彼女の後を付いて行き、橋の南側にある階段を降りた。丁度橋桁の下に、「Engine Rooms」と「Gift Shop」の表示が出ている(写真左)。ここが橋の歴史館だ。案内してもらわないと、分からなかったかもしれない。彼女にお礼を言い、館内に向かった。入館料は「タワー・ブリッジ」の料金に含まれていたので、先ほどのチケットを見せるだけでOK。ここには、かつて橋を開く動力として使われていた蒸気エンジンなどが展示されている(写真中左・中右・右)。10分ほどの短い時間ではあったが、非常に面白いものを見ることが出来た。ここの見学を終え、再び橋を歩いて、午後11:00頃ホテルに戻った。


タワー・ブリッジ
http://www.towerbridge.org.uk/TowerBridge/English

(参考文献)
・「The Tower Bridge Experience 記念ガイドブック(日本語版)」(Corporation of London刊)
・「Tower Bridge Exhibition」(City of London Corporation刊)

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April 16, 2009

ロンドン塔

ロンドン・パリの旅(第11回)
貨幣ぶらり旅(第155回)

第三日目[3月28日(土)]

・午前6:00 : 起床
・午前6:30 : 朝食
・午前7:50 : 外出
・徒歩で「タワー・ブリッジ」を渡り、「トゥーリィー通り」を北西へ
・「ロンドン・ブリッジ駅」を通り、「ロンドン・ブリッジ」を渡る
・「ロンドン大火記念碑」の前を通り、「ロゥアー・テムズ・ヴィワード通り」を南東へ
・午前9:00 : 「ロンドン塔」に入場・見学
・午前10:00頃 : 「ロンドン塔」を出て、「タワー・ブリッジ」へ
・午前10:10頃 : 「タワー・ブリッジ」に入場・見学
・午前10:35 : 「タワー・ブリッジ」を出て、「タワー・ブリッジ・エクスペリエンス」へ
・午前10:40頃 : 「タワー・ブリッジ・エクスペリエンス」に入場・見学
・午前10:50頃 : 「タワー・ブリッジ・エクスペリエンス」を出る
・午前11:00 : ホテルに戻る
・午前11:45 : ホテルロビーに集合し、バスで「セント・パンクラス・インターナショナル駅」へ
・午前12:00頃 : 「セント・パンクラス・インターナショナル駅」に到着
・午後1:10頃 : ユーロスターに乗車
・午後1:32 : ユーロスター、パリに向け出発
・午後4:50 : 「ガール・デ・ノール駅」(パリ北駅)に到着
・午後5:00頃 : バスで「シャンティ」に向かう
・午後6:00過ぎ : 「シャンティ城」で写真撮影
・午後6:30頃 : シャンティのホテル「シャトー・ド・モンヴィラルジェンヌ」に到着
・午後7:45~午後9:00頃 : ホテルのレストランで夕食
・午後10:00過ぎ : 入浴後、就寝


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本日は、出発時間が午前11:45と遅かったので、それまでの間、市内観光をすることが出来る。ホテルから近いという理由で残しておいた「ロンドン塔」と「ロンドン・ブリッジ」、「タワー・ブリッジ」を訪ねることにした。ホテルのレストランが開くのを待って、いつものように朝食を頂き(写真)、午前8:00前にホテルを出た。

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外は小雨で風が強く、少々肌寒い。傘をさすと、飛ばされそうになる。そのためなのか、それともイギリスの人は少々の雨であれば傘をささないのか、理由は分からないが、歩いている人々は誰も傘をさしていない。ホテルの側にある道路脇の階段を上ると、「タワー・ブリッジ」の北の端側に出た。橋を歩いて、テムズ川を渡る。橋の上は一段と風が強いので、傘が裏返ってしまった。ホテル側から眺めているのとは異なり、橋の上から見ると迫力がある(写真左・写真右 : 橋の上から見た「シティ」方面)。この橋の上部には、ガラス張りの歩道橋があり、ロンドンの街を眺めることが出来るのだが、午前10:00から営業なので、午前9:00オープンの「ロンドン塔」を見た後に訪ねる予定にしている。詳しくはその時にお話しするつもりだが、この橋は1894年に完成、ゴシック様式の塔に挟まれた部分が「跳ね橋」になっており、塔と塔との間は268.2m、塔の高さは約43mある。

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橋を渡って西に曲がり、「トゥレイ通り」を真っ直ぐに進む。右手に「ロンドン・シティー・ホール」や「タワー・ブリッジ」が見える(写真左)。こちらから見る「タワー・ブリッジ」もなかなか良い(写真中左)。500mほど歩くと、「ロンドン・ブリッジ駅」(写真中右)である。ここには鉄道の駅と地下鉄の駅があるのだが、本日は土曜日の朝だからであろう。昨日の朝とは異なり人影はまばらだ。ここから階段を上り、「ロンドン・ブリッジ」(写真右)に出た。これと言って特徴のある橋ではないが、橋の南側には、「サザーク寺院」(写真下左)が建つ。橋の途中、東側には「タワー・ブリッジ」(写真下中左)が見える。どこに居ても目立つ存在である。橋の北側まで来ると、「ロンドン大火記念碑」(写真下中右)がそびえる。この碑は、1666年に起きたロンドンの大火を記念して建てられたもので、クリストファー・ワーレン卿によりデザインされた(写真下右)。大火は3日間続き、13,000件の家屋、436エーカーを燃え尽くしたという。ここからは「Lower Thames Byward St.」を東に歩き、「ロンドン塔」に向かった。

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「ロンドン塔」の前まで来ると、オープンを待つ人々で賑わっていたが、混雑しているわけではない(写真左)。塔の入場口から北に100mほど離れたところにあるチケット売り場(写真中左)で入場券(17ポンド)を購入し、再び入場口に戻る。十数人の列の後ろに並び、開門を待つ。「ロンドン塔」は、1078年にウィリアム征服王がホワイト・タワーを築いたのが始まりで、以後500年にわたり歴代の王の居城とされた。しかし、その後は罪人の牢獄として使われるようになり、ここで王族も幽閉、処刑されたという。ここまではどのガイドブックにも書かれている事だが、13世紀の終わり頃から19世紀の初めころまで、この「ロンドン塔」内に「王立造幣局」があったことはあまり知られていない。イギリスのコインの歴史は2000年前に始まるが、造幣所が造られたのは7世紀半ばで、「ロンドン塔」に集約されるまでは、70か所以上の造幣所に分かれていたようだ。開門と同時に中に入る。「ミドル・タワー」(写真中右)をくぐると、「ウォーター・レーン」だ。エドワード一世により、1275年から1285年にかけて埋め立てて造られたエリアで、そこから左手に延びる通りが「ミント・ストリート」(写真右)だ。1810年まで、ここでイギリスの硬貨が鋳造されていたのである。現在は「ヨーマン・ウォーダー」とその家族が住んでいるため、内部の見学は出来ない。

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「ウォーター・レーン」(写真左)を真っ直ぐ進み、「セント・トーマス・タワー」(写真中左)から城壁に上る。このタワーは、1275年から1279年にかけてエドワード一世によって建てられた。ここには寝室のあるホール(写真中右)と、小礼拝堂(写真右)がある。通路でつながる「ウェイクフィールド・タワー」には「謁見の間」(写真下左)だ。外に出て城壁を歩き、「ランタン・タワー」(写真下中左)に入る。ここは、ヘンリー三世妃の住居の一部として建てられたが、1774年の火災で焼失した。現在の建物は19世紀に再建されたもので、内部には中世の宮殿で使われた品々が展示されている(写真下中右)。この中で私の目を引いたのは、エドワード一世時代のコインだ(写真下右)。エドワード一世時代初期に造られた2種類の大型4ペンス銀貨と、小型の1ペニィー銀貨、さらに小さい1/4ペニー銀貨の計4種類が並べられていた。これらはすべて、エドワード一世の正面頭像のデザインで、この「ロンドン塔」の造幣所で造られたコインである。

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再び外に出て、城壁の上を歩く。右手の川側には「タワー・ブリッジ」が見える(写真左)。続いて「ソルト・タワー」(写真中左)だ。平時には貯蔵庫として使用されていたと言う。城壁の上を歩き、次は「ブロード・アロー・タワー」(写真中右)である。王室の礼服や貴重な調度が、ここに保管されたようだ。現在は「要塞」というテーマで、兵士の装備品などが展示されている(写真右)。木造で足場が補強されている城壁の上を、歩いて北側に進む(写真下左)。右手には、私達が宿泊しているホテル「ザ・タワー」(写真下中左)が見える。次に入ったのは「マーティン・タワー」(写真下中右)だ。1669年から1841年まで、ここで「クラウン・ジュエリー」が保管されていたようだ。現在は「王冠とダイヤモンド展」が行われており、イギリス王室の王冠や最も有名な宝石にまつわる物語が紹介されていた。名前を聞くのを忘れていたのだが、ここを警備していた制服を着た女性職員の方の写真を撮らせて頂いた。なかなか親切でキュートなレディであった(写真下右)。

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ここから城壁を降りて、現在「クラウン・ジュエリー」が保管されている「ウォータールー兵舎」(写真左)に向かった。ここに「展示されている宝石をちりばめた金銀の宝器のほとんどは君主の戴冠式で使用されるもので、総称して即位の宝器と呼ばれている。戴冠式は、承認の儀、塗油の儀、叙任の儀を執り行うもので、このため、即位の宝器には、行進で君主の御前を運ばれる御剣と職杖のほか、宝珠と笏、トランペット、チュニカが含まれる。聖油で君主に塗油を行うのに使われる戴冠式用の聖別スプーンまである」(「体験ツアー Tower of London(日本語版)」より)との事(写真中左 : 聖エドワードの王冠・「ロンドン塔」のHPより)。
ところでこの建物、名前の通り「兵舎」で、もともとは1,000人ほどいた兵士の住居を提供するために造られた。数は少ないが、現在も兵士がおり(写真中右・右)、「クラウン・ジュエリー」の保全は今なお、旧軍人の常駐司令官に委任されているとの事。

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次に「ロンドン塔」のメインである「ホワイト・タワー」(写真左)に向かった。入口まで来ると、少し様子がおかしい。よく見ると、4月3日から始まる「Henry Ⅷ : Dressed to Kill-an introduction展」準備のため、入館できないとの事。「ホワイト・タワー」は、「ロンドン塔」のメインで、その建物だけでなく「ロイヤル・アーマリーズ」の素晴らしい展示物を紹介する国立博物館でもあるため、クローズされていたことは大変残念であった。仕方ないので、「ウォータールー兵舎」前の広場を横切り、「ビーチャム・タワー」を訪れた。ここは牢獄として使われた塔である。「ロンドン塔は監獄として建てられたわけではない。だから、監房として作られた部屋は無かった。囚人たちはどこにでも押し込められた。タワー・グリーンの西に位置するビーチャム・タワーは、ヘンリー三世とエドワード一世がホワイト・タワーを囲むように建てた内側の防壁の一部である。だが、その名は、14世紀末にここに投獄されたウォーリック伯トマス・ビーチャムに由来する。ビーチャム・タワーはその歴史を通じて継続的に牢獄として使用され(写真中左)、壁には囚人達が刻んだ数多くのグラフィティが残っている」(「体験ツアー Tower of London(日本語版)」より・写真中右 : 「Thomas Bawdewin」のグラフィティ・写真右 : 「Thomas Peverel」のグラフィティ)。

「Henry Ⅷ : Dressed to Kill-an introduction展」
http://www.hrp.org.uk/TowerofLondon/stories/palacehighlights/HenryVIIIDressedtoKill/Introduction.aspx


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「ビーチャム・タワー」を出て左右を見ると、きれいな緑が広がっている。「タワー・グリーン」(写真左)と呼ばれる、美しい緑の芝生のエリアだ。平和な雰囲気を漂わせる広場だが、実はここで十人が斬首刑になったのである。うち2人はイングランドの王妃で、もう一人は女王であったと言う。「それぞれ特別な処刑台と断頭台が用意されたこの三人の実際の処刑場所は異なるが、いずれも互いに数ヤード内という距離で行われ、現在処刑場のあるメモリアルが置かれている場所に近い。このメモリアルは、此処または付近で処刑された男女七人にも追悼を捧げるものだ」(「体験ツアー Tower of London(日本語版)」より・写真右 : 処刑場跡とメモリアル)。

約1時間と短い時間であったが、「ロンドン塔」の見学を終え、「タワー・ブリッジ」に向かった。

ロンドン塔
http://www.hrp.org.uk/toweroflondon/
ロンドン・ブリッジ博物館
http://www.oldlondonbridge.com/index.shtml
王立造幣局
http://www.royalmint.com/

(参考文献)
・「体験ツアー Tower of London(日本語版)」(Brett Doiman著)[Historic Royal Palaces刊]

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April 13, 2009

100兆ジンバブエ・ドル紙幣

100兆ジンバブエ・ドル紙幣

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昨年12月18日付当ブログで取り上げた「ジンバブエ(ZW)・ドル紙幣」。当時最高額面のものとして「一千億ZWドル紙幣」をご紹介したが、その時点では既にデノミが実施され、「一千億ZWドル」が「新10ZWドル」になっていた。その後もインフレは収まらず、ジンバブエ政府が「新5億ZWドル紙幣」と「新2億ZWドル紙幣」の発行を決めたこともお伝えした。しかし驚くことに、その後さらにハイパーインフレが進行したため、100兆ZWドル紙幣まで発行されたと言うのだ。今回ご紹介する最初の紙幣はこれだ。(写真 : 100兆ZWドル紙幣の表と裏)

当ブログ・平成20年12月18日付「一千億ジンバブエ・ドル紙幣」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2008/12/zw-a348.html


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ところが、話はここで終わらない。今年2月に1兆ZWドルを1ZWドルにするデノミを行ったのである。これでは紙幣を発行する意味がないのではないかと思っていたら、同月、ジンバブエ政府は、公務員に対して米ドルによって給与を支払うと発表。これによりジンバブエ・ドルは全く流通しなくなったという。今回ご紹介するもう一つの紙幣は、このデノミ実施後のものである(写真上2枚 : 10兆ZWドル紙幣は2月のデノミ実地前のもので、デノミ実地後の10ZWドルに等しい・写真下2枚 : 新10ZWドル紙幣の表と裏)。

これらの紙幣は、「ネットのコイン屋さん・アイコインズ」の「4月の闇市」で入手することが出来た。インフレ紙幣を収集している私としては、見逃せない品であった。購入したのは、昨年8月に実施されたデノミ以降に発行された紙幣が、100万ZWドル、1千万ZWドル、5千万ZWドル、1億ZWドル、5億ZWドル、50億ZWドル、100億ZWドル、200億ZWドル、500億ZWドル、10兆ZWドル、20兆ZWドル、50兆ZWドル、100兆ZWドルの13種(2億ZWドル、10億ZWドルと100万ZWドル未満の11種類は未入手)と、今年2月のデノミ実施以降に発行された 1ZWドル、5ZWドル、10ZWドル、20ZWドル、50ZWドル5種(100ZWドルと500ZWドルは未入手)の計18種である。

1ZWドル=0.417円(4月9日現在)との事なので、今回購入した紙幣を日本円に換算すると、前者が約75円、後者は約36円の、合計で約111円だ(ちなみに購入価格は10,000円)。桁数に目がくらんでしまうが、円換算すると大した金額ではない。しかしこのように計算してみると、ハイパーインフレがいかに恐ろしいかが良く分かる。経済がここまで破壊されてしまうと、紙幣は貨幣の3つの機能(「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」)を、まったく果たさなくなってしまうのだ。

ところで、一つ気になることがある。それは、1枚の紙幣の印刷代の方が紙幣の価値より高いのではないかということである。日本の紙幣の場合、1枚当たりのコストが十数円と言われているので、「ジンバブエ・ドル」も同じだと仮定するならば、20ZWドル紙幣(日本円換算で約8円)では採算割れである。通常、紙幣を発行するとシニョリツジ(貨幣発行差益 : 通貨の額面と発行費用との差額)が生まれるのだが、ジンバブエの場合は、50ZWドル紙幣以上でないと採算が取れないのだ。しかもインフレが進行しているので、明日になれば50ZWドル紙幣でもシニョリツジが生まれるか否かは分からない。ジンバブエには紙幣を印刷する能力がないので、ドイツの印刷会社に外注しているようだが、すぐ無価値になる紙幣を造るために、外貨を無駄遣いしている時ではないように思うのだが・・・・。

※「ジンバブエ・ドル紙幣」については、ジンバブエ中央銀行のサイトにアクセスできないため、その他のネット上の情報でしか知ることが出来ない。ゆえに、情報の正確性については担保出来ないが、以下のサイトを参考にしたことを申し添えておく。

ウィキペディア・フリー百科事典(ジンバブエ・ドル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%96%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AB
ジンバブエ・ドルの外国為替レート(対円)
http://ja.exchange-rates.org/Rate/ZWD/JPY
ネットのコイン屋さん・アイコインズ
http://www.rakuten.co.jp/icoins/791369/

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April 12, 2009

ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ロンドン・パリの旅(第10回)

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「ナショナル・ギャラリー」に到着。コリント式列柱とドーム型の屋根が特徴だ(写真左・中左・中右)。その北には、新古典主義建築の「セント・マーチンズ・インザ・フィールズ教会」(写真右)が見える。また、ギャラリー入口の前には、「トラファルガー・スクエア」(写真下左・下中左)だ。多くの人達が、ノンビリと過ぎゆく時間を楽しんでいる。色々なパフォーマンスも行われていた。「ナショナル・ギャラリー」入口の階段の前では、一人の男性が、数人の観客を引き入れてパフォーマンスを行っている。周りは黒山(?)の人だかりだ(下中右)。しばらくそのパフォーマンスを見た後、「ナショナル・ギャラリー」に入った(写真下右)。

ご存知の通り「ナショナル・ギャラリー」は、ヨーロッパ絵画の巨匠の大作が揃う国立の絵画館。13~20世紀の各時代を代表する名作を年代ごとに展示しており、ダ・ビンチやレンブラント、モネ、ルノワール、ターナーなどの作品を見ることが出来る。ここも特別展を除き、入館料は無料だ。受付で「フロア案内」をもらう。各国語版が用意されているのだが、日本語版だけが品切れ。来館する人が少ないので、あまり在庫を持たないからなのか、それとも日本人来館者が多すぎて、すぐに在庫切れになったからなのであろうか。

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「フロア案内」を見ると、「Level 2(3Fに該当する)」に名画が揃っている(写真)。急いで「Level 2」に上がり、「Room 30」から順に29→15→17a→17→16→9→8→7→6→4→2→5→11→12→14→10→51→52→53→54
→55→56→59→58→63→64→65→66→60→19→20→21→18→22→23→24→25→28
→31→32→33→34→41→42→43→44→45→46→40→35→36→37→38→39と、閉鎖されていない展示室の全てを廻った。好き嫌いとは別に、ほとんどがよく知られた名画なので、見ていても飽きず、楽しく鑑賞することが出来た。

「Room52~66」は13~15世紀、「Room2~14」は16世紀、「Room15~32と37」は17世紀、「Room33~46、除く37」は18~20世紀の名作が展示されている。ジックリと鑑賞させてもらった。これらの中から有名な16点を選んだので、お楽しみ頂きたい。なお絵画の写真は、すべて「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」のHPから。

① 13~15世紀( Room52~66)
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・「アルノルフィニ夫妻」(ヤン・ファン・エイク)[1434年・オーク・油彩 : 82.2×60.0cm](写真左・Room56)
・「サンロマーノの戦い」(ウツチェロ)[1438~1440年頃・クルミ・ポプラ・テンペラ : 181.6×320.0cm](写真右・Room55) ------------------------------------------------------------------------------------------

② 17世紀(Room15~32と37)
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------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------・「鏡を見るヴィーナス」(ベラスケス)[ 1647~1651年・カンヴァス・油彩 : 122.5×177.0cm](写真左・Room30)
・「水浴する女」(レンブラント)[1654年・カンヴァス・油彩 : 122.5×177.0cm](写真中)
・「ヴァージナルの前に立つ女」(フェルメール)[1670~1672年頃・カンヴァス・油彩 : 51.7×45.2cm](写真右・Room25)

③ 18~20世紀(Room33~46、除く37)
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------------------------------------------------------------・「アンドルーズ夫妻」(ゲインズバラ)[1750年頃・カンヴァス・油彩 : 69.8×119.4cm](写真左・Room35)
・「イザベル・デ・ポルセール」(ゴヤ)[1805年以前・カンヴァス・油彩 : 82.0×54.6cm](写真中左・Rom39)
・「雨・蒸気・速度」(ターナー)[1844年以前・カンヴァス・油彩 : 91.0×121.8cm](写真中右・Room34)
・「座るモワテシエ夫人」(アングル)[1856年・カンヴァス・油彩 : 120.0×92.1cm](写真右・Room33)

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-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------・「チュイルリー公園の音楽会」(マネ)[1862年・カンヴァス・油彩 : 76.2×118.1cm](写真左・Room43)
・「エヴァ・ゴンザレスの肖像」(マネ)[1870年・カンヴァス・油彩 : 191.1×133.4cm](写真中左・Room43)
・「雨傘」(ルノワール)[1881~1886年頃・カンヴァス・油彩 : 180.3×114.9cm](写真中右・Room43)
・「アニエールの水浴」(スーラ)[1884年・カンヴァス・油彩 : 201.0×300.0cm] (写真右・Room44)

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-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------・「ひまわり」(ゴッホ)[1888年・カンヴァス・油彩 : 92.1×73.0cm](写真左・Room45)
・「大水浴」(セザンヌ)[1894~1905年頃・カンヴァス・油彩 : 127.2×196.1cm](写真中・Room45)
・「髪を梳(す)いてもらう女」(ドガ)[1896年頃・カンヴァス・油彩 : 114.3×146.7cm](写真右・Room46)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー
http://www.nationalgallery.org.uk/

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」で絵画鑑賞を楽しんだ後、「ヴィクトリア&アルバート美術館」に行く予定にしていたのだが、かなり足が疲れてきたので、予定を変更してホテルに戻ることにした。本日は金曜日なので、同美術館は午後10:00までオープンしており、鑑賞するチャンスだったのだが、明日以降の観光の事を考えると無理は出来ない。残念だったが、ギャラリー前の「トラファルガー・スクエア」を横切り、地下鉄「チャーリング・クロス駅」から「エンバークメント駅」経由で「タワー・ヒル駅」に行き、昨日同様、徒歩でホテルに向かった。途中、ホテルの隣にあるサンドイッチ店で、夕食用に野菜サンドとコーラを買う。午後7:00頃ホテルに戻り、部屋でサンドイッチを頂く。疲れていたので、早々に入浴、午後9:30頃ベッドに入った。

ヴィクトリア&アルバート美術館
http://www.vam.ac.uk/

(参考文献)
・「週刊・世界の美術館 ロンドン・ナショナルギャラリー①」(講談社)
・「週刊・世界の美術館 ロンドン・ナショナルギャラリー②」(講談社)
・「ターナー展」(国立西洋美術館編)[日本経済新聞社刊]

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April 11, 2009

バッキンガム宮殿

ロンドン・パリの旅(第9回)

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「テート・モダン」(写真左)を出て、次に目指したのは「バッキンガム宮殿」である。当初、「ブラックフライヤー駅」から地下鉄で「ヴィクトリア駅」まで行く予定にしていたのだが、「ブラックフライヤー駅」が工事のため閉鎖されていることが分かったので、急遽予定を変更して、地下鉄「マンション・ハウス駅」に向かった。「ミレニアム・ブリッジ」(写真中左)を渡り対岸に進む。正面には、昨日見た「セントポール大聖堂」(写真中右・右)が建つ。どうやらこちら側が正面で、観光ガイドブックなどに紹介されている写真も、こちら側から撮ったもののようである。昨日見たのは裏側だったのだ。こちら側から見たおかげで、大聖堂がイギリス・バロックの代表作であるという印象を強く持つことが出来た。本日は、まだ大聖堂に入ることが出来る時間だったが、他に行きたいところもあったので、次にロンドンに来た時に訪ねることにして、「マンション・ハウス駅」へと急いだ。

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ここから地下鉄に乗り、「ヴィクトリア駅」で下車。北に500mほど歩くと、「バッキンガム宮殿」がある。王室が、戴冠式や公式訪問、ロイヤル・ウェディング、議会開会式、公式行事などの際に使う公用車(馬車および自動車)などが保管されている「ロイヤル・ミューズ」(写真左)の前を通り、100mほどで「バッキンガム宮殿」(写真中左・中右・右)の正面に出た。「バッキンガム宮殿」は、エリザベス女王のロンドンの公邸および執務の場であると同時に、王室庁の事務本部でもある。1837年にヴィクトリア女王が移り住んで以来、歴代王室の宮殿になっている。元はバッキンガム侯爵の邸宅で、建築家ジョン・ナッシュ卿が壮麗な宮殿に改築した。内部は夏場の限られた時期にしか公開されていないので、本日は見ることが出来ない。そのため、多くの人々で宮殿の前は混雑していた。記念写真を撮る人、柵越しに宮殿を覗き込む人など色々だ。

THE ROYAL COLLECTION (ロイヤル・ミューズ)
http://www.royalcollection.org.uk/default.asp?action=article&ID=445
THE ROYAL COLLECTION (Royal Mews)
http://www.royalcollection.org.uk/default.asp?action=article&ID=31
THE ROYAL COLLECTION(バッキンガム宮殿)
http://www.royalcollection.org.uk/default.asp?action=article&ID=439
ウィキペディア・フリー百科事典(バッキンガム宮殿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%A0%E5%AE%AE%E6%AE%BF
The British Monarchy
http://www.royal.gov.uk/


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宮殿の外からの見学を済ませた後、宮殿の北側にある「グリーン・パーク」(写真左・中左)の小路を歩き、地下鉄「ハイド・パーク駅」に到着。ここから地下鉄で「ピカデリー・サーカス駅」(写真中右 : 駅の上、ピカデリー・サーカス広場にある「エロスの像」)まで行き、昼食のため「ロンドン三越」に向かった。ここに、日本食のレストランがあると聞いていたからである。頭の中には、天丼が浮かんでいた。お店に着いて扉を潜ると、何かおかしな雰囲気。閉店しているようだ。店員に尋ねると、午後2:00でランチタイム終了との事。私の時計では、現在午後2:02。少し多めに見てほしいと言うのだが、従業員の休憩時間のこともあるのだろう。無理であるとの返事。これを聞いた時、頭の中から天丼は消え去り、ハンバーガーに代わっていた。「レストラン三越」は、「ロンドン三越」の地下にある。階段を上り、「ロンドン三越」の扉の前に来ると、何か騒がしい。三越の前の道路の南側が、警官により封鎖されていたのだ(写真右)。三越の店員さんも出てきていたので、何があったのか訊ねるが、良く分からないとの事。彼女に、2分遅かったため「レストラン三越」で食事が出来なかったことを話すと、日本食が食べたいのなら、近くに「ジャパン・センター」があると教えてくれた。さっそく、そのお店に向かった。

「ジャパン・センター」は、「ピカデリー通り」に面しており、地下鉄「ピカデリー・サーカス駅」から西に50mぐらいのところにある。店内には日本人だけでなく、青目の人も大勢いる。しかも大半が女性だ。テイクアウト用の寿司や弁当が多数並べられている。店の一角には、購入した商品をその場で食べられるように、椅子とテーブルが用意されていた。3テーブル、10~12席しかないのだが、皆さん相席で、上手く回転している。私は「天丼と焼うどん」の弁当を購入し、1つ空いていた席に座って昼食を頂いた。私の前には2人連れのおばさん達が座っていた。その一人が、鞄から器具を取り出した。お医者さんに行った時、喉の奥を見るために使う「ヘラ」のような形をしたものを2つ。何をするのかと見ていたら、2枚の「ヘラ」のようなものを組み立てているのだ。すると、組み合わされた2枚の「ヘラ」状のものが、「パンはさみ」のようになっていた。なんと、お箸の代わりなのである。それを見て、思わず話しかけてしまった。

「おもしろいですネ。お箸の代わりですか」
「ええ。便利だから、いつも持ち歩いているの」
「日本食は良く食べるのですか」
「大好きヨ。特にお寿司がネ」
「そうですか。お箸を使うのは苦手ですか」
「そうネ。使えなくはないが、上手とはいえないワ。お寿司の時は手で食べるの(本日は焼そば入りの弁当を食べていた)」
すると、私の隣に座っていた若い女性が、会話に参加してきた。
「お箸の使い方は難しいですネ。日本の子供達も、最初は苦労してるもの」
「そうですネ。でも、あなたは上手にお箸を使いますネ」
「私も日本食が大好きなので、お箸の使い方を練習したの。(向かいのおばさんが持っていた組み立てた箸を見ながら)でも最初からこれを知っていたら、練習しなかったかもしれないですネ」
「日本には行ったことはあるのですか」
「いいえ。ないです」
「私は日本から観光出来ましたが、皆さんはどちらから来られたのですか」
するとおばさん達が
「この近くに住んでいるのヨ」
若い女性は
「研究のため、ロンドンに数日滞在しているの。生まれはイタリアで、現在はフランスに住んでいるのヨ」
「じゃあ、イタリア人ですか」
「そうね」
「何の研究をされているのですか」
「美術評論をしているので、ロンドンの美術館を見るために来たの」
「へぇ~」
「ナショナル・ギャラリーで開催されている、ピカソの特別展を見ると良いわヨ」
「ハァ。ピカソはあまり好きではないので・・・」
「そうなの。でも、素晴らしい作品が多いわヨ」
「ありがとうございます。この後ナショナル・ギャラリーに行くつもりだったので、考えてみます」
「ところで、日本の美術についてはどのように感じられますか」
「あまり見たことがないので・・・・」
「今回、ロンドンの次にパリに行くので、東洋ギメ博物館に行こうと思っているのですが、そこに行かれたことはありますか」
「あります。日本や中国、その他アジアの絵画や彫刻、やきものなどが展示されていました」
「ところでゴッホについてですが・・・」
「ゴッホ????」
「ええ。ゴッホです」
「??????」
「ビィンセント・ファン・ゴツホです。ひまわり等の作品を残している・・・」
「ああ! ゴッのことですか」
ゴッと強く発音し、ホの音は聞こえない。綴りはGoghなので、hを発音しないからなのか。
「ゴッ?」
「そう」
「日本ではゴッホと言っているので、当然通じると思っていたのですが、発音が違うのですネ」
「そうみたいネ」
「そのゴッですが、日本の浮世絵を真似た作品を何点か残し、またその影響を受けたことについて、どのように考えられますか」
「浮世絵について詳しくは知らないけれど、色使いなどに影響を受けたと聞いているワ。きっと新しい技法を取り入れようと前向きだったのネ」

など雑談していると、午後3:00近くになってしまった。1時間近くこのお店にいたことになる。
「パリには何時から行くの」
「明日から3日間」
「残念。まだ私はロンドンにいるワ。次にパリに来る機会があれば、連絡下さい。パリを案内するワ」
「ありがとうございます。年内にもう一度来たいと思っているので、その時は連絡します」
メールアドレスを交換し、彼女と別れた。

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ゆっくり休んだので、疲れた足も十分回復。お店を出て、「ナショナル・ギャラリー」に向かった。「ロンドン三越」の前、「ロゥアー・レジェント通り」を南に進む。先ほどの封鎖は解除されていたので、まっ直ぐ「ウォーター広場」(写真左・中左)まで行くことが出来た。ここから東に3~400m歩くと、「ナショナル・ギャラリー」(写真中右 : 特別展会場[セインズベリーウイング]・右 : 常設展会場)に到着だ。

ロンドン三越
http://www.london-mitsukoshi.co.uk/top.htm
レストラン三越
http://www.mitsukoshi-restaurant.co.uk/
ジャパン・センター
http://www.japancentre.com/
ナショナル・ギャラリー(ピカソ展)
http://www.nationalgallery.org.uk/exhibitions/picasso/default.htm

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April 10, 2009

テート・ギャラリー(その2 : テート・モダン)

ロンドン・パリの旅(第8回)

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まだまだ時間をかけて見たかったのだが、他にも回りたい場所があったので、午前11:00頃「テート・ブリテン」を出て、道路を横切ったほぼ正面にあるテムズ川のボート乗り場に向かった。午前11:10に、ここから「テート・モダン」行きの船が出るのだ。桟橋を歩き(写真左)、船着場へ。待っているお客は数人しかいない(写真中左)。しばらくすると、船がやって来た(写真中右)。船から降りてきた客も数人と少ない。乗船券は、船の中で購入するらしい。一番前の席に座って2~3分すると、船は動き出し(写真右 : 船内の様子)、女性のクルーが、乗船券の販売を始めた。

「大人1人、お願いします」
「トラベルカードはお持ちですか」
「いいえ。持っていません」
「では、5ポンドです」
次に、隣に座っていた女性のところで、
「大人2枚下さい」
「トラベルカードはお持ちですか」
「はい」と言ってカードを提示する。
「では1人、3.35ポンドです」

「トラベルカード」をどこで入手したのかを訪ねるため、隣の女性に声をかけた。
「トラベルカードはどこで買われたのですか」
「空港」
「どこで買えるのでしょうか」
「・・・・。わからないワ。他どこで売っているのか」
「ありがとうございました」

私は隣にいた女性をイギリス人だと思っていたのだが、その友達らしき女性との会話を耳にし、彼女達がドイツ人であることが分かった。

「ドイツの方ですか」
「ええ、そうヨ」
「私は日本から観光出来ました。ドイツはどちらの方ですか」
「北ドイツ。来たことはありますか」
「ええ。ハンザ同盟に興味を持っていた頃、北ドイツを廻りました。ブレーメン、ハーメルン、ツェレ、ハンブルク・・・・・え~と」
「ハンザ同盟なら、リューベックもそうネ」
「ああ。そうです。リューベックも訪ねました。ところで先ほどは失礼しました。あなた方のことをイギリス人だと思っていたので、トラベルカードのことをお尋ねしたのです」
「私たちはドイツからの観光客なの。だから詳しいことは分からないワ」
などと話していると、正面に「ウエスト・ミンスター宮殿」や「ビッグ・ベン」が見え始めた。私も彼女達も、船内を右に行ったり左に行ったりと、忙しく写真を撮り始めた。

テート・ボート
http://www.tate.org.uk/tatetotate/
Transport for London(Travelcards and passes)
http://www.tfl.gov.uk/tickets/faresandtickets/10628.aspx


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最初に見えてきたのが、「ランベス・ブリツジ」である(写真左)。その向こうには「ウエスト・ミンスター宮殿」が美しい姿を見せている。橋の右手に建つのは「庭園史博物館」のようだ(写真中左)。そして橋をくぐると、目の前に「ウエスト・ミンスター宮殿」と「ビッグ・ベン」だ(写真中右・右・中段左)。これで、すべての角度から見たことになる。次に架かる橋は、朝方歩いた「ウエスト・ミンスター・ブリッジ」である(中段中左)。これをくぐると、右手に「ロンドン水族館」と大観覧車「ロンドン・アイ」が並ぶ(中段中右)。続いて「ジュビリー・ブリッジ」(中段右)。左手には「チャリング・クロス駅」(下段左)が、また右手には「ロイヤル・フェスティバルホール」(下段中左)が建つ。これを過ぎると、次は「ウォーター・ルー・ブリッジ」である(下段中右)。そしていよいよ「テート・モダン」の手前に架かる、「ブラック・フライアーズ・ブリツジ」(下段右)だ。

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午前11:28、我々は予定通り「テート・モダン」の前にある船着場に到着した(写真左)。ドイツ人の女性2人と別れの挨拶をして、私はボートを最後に降りた。船着場からは「テート・モダン」のそびえ立つ姿が見える(写真中左)。桟橋をブラブラ歩き(写真中右)、陸に上がると、中・高生ぐらいの人達が大勢いた。「シェイクスピア・グローブ座」(写真右)の前だ。ここの見学を終えて、出てきたばかりなのだろうか。彼らの前を通り過ぎ、「テート・モダン」に向かった。

Shakespeare's Globe Theatre & Exhibition
http://www.shakespeares-globe.org/


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船着場から2~300mで「テート・モダン」の前に到着(写真左)。ご存知の通り「テート・モダン」は、旧火力発電所の建物を改装して使われている。前回お話ししたように、「テート・ブリテン」のコレクションが増え続けたため、2000年に新館としてここがオープンしたのである。入口(写真中左)を通り抜けると、大エントランスホールだ(写真中右・右)。火力発電所の時、ここには発電機が置かれ、巨大なタービン・ホールとして使われていた。

テート・モダン
http://www.tate.org.uk/modern/
ウィキペディア・フリー百科事典(テート・モダン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3


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ここも常設展だけであれば、入場料は無料。受付で館内の地図を貰い、常設展会場である3Fと5Fを訪ねた。残念ながら、どちらのフロアーにも私の気に入る絵は無かった。ピカソやキリコ、ミロにダリなど、有名な画家の作品もあるのだが、私の好みには合わない。「テート・モダン」に展示されている美術品が、近現代のアートだからであろう。「キュビズム」や「シュルレアリズム」などの絵は、どうも好きになれない。まして現代アートになると、その芸術性を感じることすら出来ないのだ。写実に近く、優しい雰囲気で、美しいものが好きな私には、現代アートが訴えかけてくるものを掴むことが出来ない。勉強不足でレベルが低いだけなのかもしれないのだが・・・・。しかし、国内外の美術館を廻って数多くの名画を見たおかげで、最近、自分の好みが分かるようになってきた。画家で言えば、「ラファエロ」や「ルノワール」、「ムリーリョ」である。どの画家の作品も、優しく、美しく、見ているだけで心が落ち着くような感じがするからだ。もちろん、他の画家の作品でも、個別に気に入ったものはある。
せっかく訪れた「テート・モダン」であったが、好みの作品に出合えなかったこともあり、30分程度の短い時間の鑑賞に終わった。

※写真(テート・モダンのHPより)左から順に
・「月光の中の女たちと鳥」(ミロ作)[1949年・カンヴァス・油彩 : 81.3×66cm]
・「スタジオ」(ピカソ作)[1955年・カンヴァス・油彩 : 80.9×64.9cm]
・「画家の家族」(キリコ作)[1926年・カンヴァス・油彩 : 146.4×114.9cm]
・「ネックレスを身に付けた裸婦」(ピカソ作)[1968年・カンヴァス・油彩 : 113.5×161.7cm]


ウィキペディア・フリー百科事典(パブロ・ピカソ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AB%E3%82%BD

ウィキペディア・フリー百科事典(ジョルジョ・デ・キリコ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3

ウィキペディア・フリー百科事典(ジョアン・ミロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AD

ウィキペディア・フリー百科事典(ラファエロ・サンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3

ウィキペディア・フリー百科事典(ピエール=オーギュスト・ルノワール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB

ウィキペディア・フリー百科事典(バルトロメ・エステバン・ムリーリョ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A7


(参考文献)
・「週刊・世界の美術館 テイト・ギャラリー」(講談社編・刊)
・「ターナー展」(国立西洋美術館編)[日本経済新聞社刊]
・「西洋絵画の楽しみ方完全ガイド」(雪山行二監修)[池田書店刊]
・「巨匠に教わる絵画の見方」(早坂優子著)[視覚デザイン研究所刊]

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April 09, 2009

テート・ギャラリー(その1 : テート・ブリテン)

ロンドン・パリの旅(第7回)

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開館時間である午前10:00になる少し前、「テート・ブリテン」に到着した(写真左)。ご存知の通り「テート・ギャラリー」は、実業家ヘンリー・テートのコレクションをベースに、1897年、ロンドン・ナショナルギャラリーの分館としてオープンした。1955年からは独立して「テート・ギャラリー」となったが、その後もコレクションが増え続けたことから、2000年に新館である「テート・モダン」を開館、自らも新装し、2001年に「テート・ブリテン」として再オープンした。「テート・モダン」が国内外の近現代のアートを展示するのに対し、「テート・ブリテン」は、1500年代、チューダ朝以降現代までの絵画を中心としたイギリス美術を時代順に展示する。特に、ラファエル前派などのヴィクトリア朝時代の名品や、ターナーな作品群は必見である。

先ほど訪れた南側の入り口には、十人前後の人達が待っていた。なぜか年寄りと幼児が多い。可愛い女の子を抱っこしていたおばあさんに話しかけてみた。
「私は日本から来ました。あなたはイギリスの方ですか?」
「そうよ」
「イギリスはどちらの方ですか?」
「この近くに住んでいるの。よくこの美術館には来るのヨ」
「お子さんはいくつですか?」
おばあさんが「いくつかな~」と言いながら、女の子の方を見る。
すると女の子は指を3本立てた。
おばあさんは「3歳ネ」と言って私の方を見た。
「この子は私の孫なの。息子夫婦は働きに出ているので、いつもお世話しているのヨ」
「そうですか。大変ですネ。でも楽しいですか」
「ええ、そうネ。いつも一緒ヨ」
女の子はものおじする様子もなく、ニコニコと私の方を見ている。その向こうにはおじいさんらしき人がいたので、
「あちらの方はおじいさんですか?」
「そうです」と言うと、私の方を指して
「おじいさん。こちらの方、日本からいらしたそうです」
するとおじいさんがやって来て、
「それは、それは。ようこそいらっしゃいました」と言いながら握手を求めてきた。
手を握ると、ゴツゴツしていて力強い。小柄な私よりも、さらに小柄なおじいさんだが、パワーがある。何をしていた人なのだろうか。
おじいさんはニコニコしながら、さらに話しかけてきた。
「孫とおばあさんの3人で、ここに来るのが楽しみなのです。テレビを見るのも好きで、毎日、日本の放送も見ています。先日、京都の特集をしていました。素晴らしいところですネ」
「日本には来られたことはありますか」
「一度もありません。一度行ってみたいです」
などと、雑談していると時間が経つのは早く、すぐに開館時間になった。
彼らは、現在開催されている特別展「Van Dyck」展(写真中)を見るため、チケット売り場に並びに行った。私は常設展だけを見るつもりだったので、無料。目的の「ラファエル前派」を展示している「Room14」、「Room15」に直行した(写真右)。

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「ラファエル前派」は、ルネッサンスの巨匠ラファエロを範とするロイヤル・アカデミーに反発し、ラファエロ以前、初期ルネッサンスの「自然に忠実な芸術」への回帰を訴えた美術家らによって結成された。19世紀後半の西洋美術において、印象派と並ぶ一大運動であった象徴主義美術の先駆と言われている。彼らの絵画の特徴は、細かい部分まで丁寧に描かれていること、目も眩むほど鮮やかな色使いがなされていることだ。「ラファエル前派」の作品を見た後に向かったのは、イギリス・ロマン主義の大画家「ターナー」の作品が集められている「Room17 ターナー・ギャラリー」である(写真)。ご存知の通り「ターナー」は、イギリス・ロマン主義の画家で、イギリス最大の画家とも言われている。彼の作品には風景画が多いが、その主役は景色ではなく、大自然のエネルギーだという人もいる。作品の中には、私が見て何が描かれているのが分からないものもあるのだが、彼は私と同じような事を言った人に対し、大切なのは印象を呼び起こす事だと応じたとか。それでもわからないものは分からない?

「ラファエル前派」の作品の中から、私が興味を持って見た「プロセルピナ」と「オフィーリア」、「黄金の階段」、「両親の家のキリスト」の4点と、「ターナー」の「グリゾン地方の雪崩」の計5点をご紹介する。

① 「プロセルピナ」(ロセッティ作)[ 1874年・カンヴァス・油彩 : 125.1×61cm](写真)

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柘榴(ザクロ)の実を食べる「プロセルピナ」が描かれている。「プロセルピナ」は、ローマ神話に登場する春の女神。ユピテルと豊穣の女神ケレスの娘で、冥界の王プルートに見初められ、地下の冥界へ連れ去られた。プロセルピナは冥界の柘榴の実を食べたことで地上に戻る機会を失ってしまったが、ユピテルにより1年のうち半分は地上に戻ることが許されたという。この「プロセルピナ」はなかなかの美人だが、当時一般に美人とされた、ラファエロが描く小顔で丸顔の幼さが残る健康的な女性ではない。少し痩せ気味で、現在の美人に近いように思える。影ある雰囲気ながら、不思議な色気も持ち合わせており、私にとっては最も気になる作品であった。


② 「オフィーリア」(ミレイ作)[1851~1852年・カンヴァス・油彩 : 76.2×111.8cm](写真)

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死を目前にして祈りの歌を口ずさむ「オフィーリア」が描かれている。ご存知の通り、文豪シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の一場面だ。この作品は、ラファエル前派を代表する傑作と言われている。実際にこの場を目撃して描いたように思わせる描写力には脱帽。

③ 「黄金の階段」(バーン・ジョーンズ作)[1880年・・カンヴァス・油彩 : 269.2×116.8cm](写真)

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古代風の衣装を身に着け、楽器を手にした若い女性達が螺旋階段を下りてくる。バーン・ジョーンズは、絵画を音楽的に表現することを試みている。画中の女性達の容貌は、後期ラファエル前派の画家たちが傾倒したボッティチェリの「春」に登場する女神を思わせる。

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④ 「両親の家のキリスト」(ミレイ作)[1849~1850年・・カンヴァス・油彩 : 86.4×139.7cm](写真)

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聖家族を、貧しい大工の家として描いた作品。中央の手のひらに釘で傷を負った少年がイエス、右端の傷口を洗うための水を運ぶ少年が洗礼者ヨハネを表す。

⑤ 「グリゾン地方の雪崩」(ターナー作)[1810年・カンヴァス・油彩 : 90×120cm](写真)

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この作品は、天災の情景をターナーが持てる限りの技術を駆使して表現した、最初の油彩である。1808年12月に、グリゾン州セルヴァで雪崩が起きている。スイス滞在中であったターナーは、このことを知ってこの作品を描いたのではないかと言われている。

※絵画の写真は「テート・ブリテン」のHPより

テート・ブリテン
http://www.tate.org.uk/britain/
ウィキペディア・フリー百科事典(テート・ブリテン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3
ウィキペディア・フリー百科事典(ラファエル前派)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%89%8D%E6%B4%BE
ウィキペディア・フリー百科事典(プロセルピナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%8A
ウィキペディア・フリー百科事典(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
ウィキペディア・フリー百科事典(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー)
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ウィキペディア・フリー百科事典(テート・ギャラリー)
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(参考文献)
・「週刊・世界の美術館 テイト・ギャラリー」(講談社編・刊)
・「ターナー展」(国立西洋美術館編)[日本経済新聞社刊]

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April 08, 2009

英語でブログを書こうかな

前回で、投稿数が1,000本になった。好きな事を書き綴っていただけだが、これだけ長く続けることが出来るとは思っていなかった。三日坊主の私にしては上出来である。

誰かに添削してもらっているわけではないので、文章力には未だ疑問符が付くが、文章を書くことに抵抗はなくなった。野球でも守備力アップのため1,000本ノツクで鍛えるように、文章も1,000本書けば慣れるのであろう。

ところで、せっかく1,000本になったのだから、これを機に新しい試みを始めたいと思っている。それは英語でブログを書くことだ。海外旅行に出かけ、メールアドレスを交換した人の数は10人を超えた。ついでに、ブログのアドレスも伝えてきた。「日本語で書いているので読むのは難しいかもしれないが、写真もたくさん載せているので、時間がある時にでも見て」と言っておいたので、アクセスしてくれているかもしれない。しかし英語で書かれていれば、彼らは確実に読むことが出来るので、アクセスしてくれる機会は増えるし、また彼らだけでなく世界に広く情報発信も出来る。

心配なのは、私の英語力である。会話の時は文法的に間違っていても通じれば良いと割り切っているので問題はないが、文章にする場合は間違いがはっきり残るので少々恥ずかしい。しかし、これも慣れれば心配するほどのことではないのかもしれない。間違っていても良いので、適当な周期で投稿しようと思う。何十年先になるか分からないが、1,000本書く頃には英語で文章を書くのにも抵抗がなくなっているかもしれない・・・・。

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ロンドン・ウエストミンスター地区

ロンドン・パリの旅(第6回)

ロンドン・パリの旅、第2日目はロンドン中心部にある観光名所と美術館・博物館を回る計画だ。ツアーの予定では、午前中にコッツウォルズ地方のバートン・オン・ザ・ウォーターを、また午後から世界遺産であるストーンヘンジの巨石遺跡群の観光をすることになっていたのだが、私はロンドン市内を一人で歩きたかったので、ツアーには参加しなかった。

第二日目[3月27日(金)]

・午前6:00 : 起床
・午前6:30 : 朝食
・午前8:00 : 外出
・地下鉄「タワー・ヒル駅」から「ウエストミンスター駅」へ
・「ウエストミンスター駅」から徒歩で、「ウエストミンスターブリッジ」→「ビッグ・ベ
ン」・「ウエストミンスター宮殿(国会議事堂)」→「セント・マーガレット教会」→「ウエストミンスター寺院」→「ヴィクトリア・タワー・ガーデン」→「テート・ブリテン」→「テート・ブリテン周辺」→「ホテル・シティ・イン」→「テート・ブリテン」へ
・午前11:10 : 「テート・ブリテン」で鑑賞後、テムズ川のボート乗り場から「テート・ボート」に乗り、「テート・モダン」ヘ
・午前11:30 : 「テート・モダン」前の船着場に到着
・徒歩で「テート・モダン」ヘ
・「テート・モダン」で鑑賞後、徒歩でテムズ川に架かる「ミレニアム・ブリツジ」を渡り、「セントポール大聖堂」へ
・「セントポール大聖堂」から徒歩で地下鉄「マンション・ハウス駅」へ
・「マンション・ハウス駅」から「ヴィクトリア駅」へ
・「ヴィクトリア駅」から徒歩で「ロイヤル・ミューズ」→「バッキンガム宮殿」→「グリーンパーク」を訪ね、「ハイド・パーク・コルネール駅」へ
・地下鉄「ハイド・パーク・コルネール駅」から「ピカデリー・サーカス駅」へ
・午後2:05 : 「ピカデリー・サーカス駅」から徒歩で「三越」へ
・「三越」から「ジャパンセンター」へ徒歩で移動し、昼食を取る
・午後3:00 : 昼食を終え、「ナショナルギャラリー」ヘ
・「ナショナルギャラリー」で鑑賞後、地下鉄「チャーリング・クロス駅」へ
・「チャーリング・クロス駅」から「エンバークメント駅」経由で「タワー・ヒル駅」へ
・午後7:00頃 : 「タワー・ヒル駅」から徒歩で「ザ・タワー」ホテルに到着
・部屋でサンドイッチを頂き、入浴後、午後9:30頃寝る

① ホテルから「ウエストミンスター駅」へ

Dsc06046Dsc06085Dsc06051Dsc06107

午前6:00頃に目覚める。窓の外には「ロンドン塔」の一部が見える(写真左)。天気は曇りの様子。朝食会場は中二階と1Fの2カ所にあるとの事だったが、1Fの会場は午前7:00からオープンだったので、午前6:30にオープンする中二階の朝食会場に向かった。こちらはイングリツシュ・ヴァイキング式で、私はベーコン・エッグにシリアル、クロワッサン、ヨーグルト、コーヒーなどを頂く(写真中左)。30分ほどで食事を終え、午前8:00にホテルを出る。目の前には、「タワー・ブリッジ」(写真中右)がそびえている。昨夜、ライトアップされていた時とは違った姿を見せてくれている。昨日、薄暗い中歩いた細い道を通り、地下鉄「タワー・ヒル駅」に向かう。平日だったので、通勤の人達が多く歩いていた。細い道を抜けると、左手には「ロンドン塔」(写真右)が見える。「タワー・ヒル駅」から地下鉄で約10分、「ウエストミンスター駅」に到着した。


② ウエストミンスター宮殿

Dsc06109Dsc06114

地下鉄「ウエストミンスター駅」から表に出ると、正面に「ビッグ・ベン」が現れた(写真左)。その傍には「ウエストミンスター宮殿(国会議事堂)」だ(写真右)。写真では良く見る景色だが、実物を見ると、また違った雰囲気を感じることが出来る。ご存知の通り、「ウエストミンスター宮殿」は議会制度発祥の地であるイギリスのシンボルである。11世紀半ば、懺悔王の名で知られるエドワード王の時代に「王宮兼議会場」として造られたが、1834年、13世紀から中央裁判所として利用された「ウエストミンスター・ホール」以外すべてに焼失したため、1870年に再建された。ゴシック建築だが、「ゴシック・リヴァイヴァル(イギリス以外では「ネオ・ゴシック」と呼ばれている)」の代表作と言われている。

Dsc06132Dsc06113Dsc06154


最初に「ウエストミンスターブリッジ」を途中まで渡って振り返り、「ビッグ・ベン」と「ウエストミンスター宮殿」を眺める(写真左)。テムズ川の西岸に面して南北に延びる宮殿。全長は約280m。外観はテムズ川対岸からの眺めを重視して構成されているというだけのことはあり、「議事堂にふさわしい威厳を与えるため、川に面する長大なファサードを左右対称とし、その両端部を突出させて全体の安定」をはかっている(図説・西洋建築の歴史より)。北側には下院議場、南側にはロイヤル・ギャラリーと上院議場が配され、中心になる部分は中央ロビーだ。対岸には、「ロンドン水族館」や「ロンドン・アイ」と呼ばれる観覧車が見える(写真中)。橋を戻り、「ビッグ・ベン」の前を通り、今度は「ウエストミンスター宮殿」の西側に回った。こちらの通りは通勤者が波のように押し寄せてくる。地下鉄が到着する毎なのだろう。周期的に集団になった人たちが通るのである。写真を撮っていると、通勤者の一人から、「気を付けてね」と優しく注意された。また、宮殿に出入りする車の通り口の前で写真を撮っている時、後ろから車が来ていたのに気が付かなかったため、守衛に「邪魔するな!」と怒鳴られてしまった(写真右下)。失敗である。

ウエストミンスター宮殿
http://www.parliament.uk/about/history/building.cfm
ウィキペディア・フリー百科事典(ウエストミンスター宮殿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%AE%AE%E6%AE%BF
ビッグ・ベン
http://www.bigben.parliament.uk/home
ウィキペディア・フリー百科事典(ビッグ・ベン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3


③ 「ウエストミンスター寺院」と「セント・マーガレット教会」

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「ウエストミンスター宮殿」から更に50mほど西に進むと、「ウエストミンスター寺院」(写真)と「セント・マーガレット教会」がある。「ウエストミンスター寺院」は「エドワード王により1065年に修道院として建立された。その後13世紀後半、ヘンリ3世がフランスの大聖堂を模して大改築を施し、王家ゆかりの聖堂としての地位を確立した。現在の建物の基礎は、この時築かれたものである」(「週刊・世界遺産: ウエストミンスター宮殿」より)。イギリスで最高の格式を誇り、歴代国王の戴冠式が行われている。ゴシック建築。内部が見られる午前9:30までに、また1時間近くあったので外からの見学で済ませたが、寺院内には、エドワード王や歴代の王族、著名人の墓や記念碑がある。

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寺院の北隣に建つ「セント・マーガレット教会」(写真)は、一般信者が礼拝する場として設けられた。11世紀の半ばに建てられたが、現在の建物は1523年に再建されたもので、以後現在まで何度か修復されている。こちらも時間が早かったので、外からの見学だけで済ませた。

ウエストミンスター寺院
http://www.westminster-abbey.org/
ウィキペディア・フリー百科事典(ウエストミンスター寺院)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%AF%BA%E9%99%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(セント・マーガレット教会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A_(%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC)


④ 「ヴィクトリア・タワー・ガーデン」から「テート・ブリテン」へ

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「ウエストミンスター宮殿」から「セント・マーガレット教会」、「ウエストミンスター寺院」と廻った後は、宮殿の南側にある「ヴィクトリア・タワー・ガーデン」である。こちらもテムズ川沿い、南北に延びる。緑豊かで、宮殿の「ヴィクトリア・タワー」が良く見える(写真左)。ガーデン内を散歩する人はチラホラ。少々肌寒い気温ではあったが、ノンビリ散歩するのには丁度良い。次の目的地である「テート・ブリテン」がオープンするのは午前10:00。まだ30分以上あったので、ブラブラと歩いたのだが、10分ほどで「テート・ブリテン」に到着(写真中左)。南側の入り口が開いているようだったので、そちら側に回る。しかし、扉は開いていたのだが、職員が出入りしていただけで、お客は入れない。仕方がないので、周囲を散策することにした。すると「テート・ブリテン」の南側に、私にとってイングランドらしいイメージの建物が並んでいた(写真中右)。集合住宅なのだろうか。私の持っている地図には載っていなかったが、いい雰囲気である。しばらく歩いていると、肌寒かったこともあり、トイレに行きたくなった。飲食店を探すが、周りには無い。少々焦り始めた頃、14~5階建ての近代的なビルが目に飛び込んできた。ホテルである(写真右)。フロントでトイレを貸してほしいとお願いするのも恥ずかしかったので、客を装い、堂々と挨拶しながらトイレを借りた。ホッと一息である。時計を見ると、午前10:00に10分程前になっていた。ホテルを出て、再び「テート・ブリテン」に向かった。


(参考文献)
・「図説・西洋建築の歴史」(佐藤達生著)[河出書房新社刊]
・「ビジュアル版・西洋建築史」(長尾重武ほか編・著)[丸善刊]
・「週刊・世界遺産 : ウエストミンスター宮殿」(講談社編・刊)
・「JAL GUIDE LONDON・2009/2010」(日本航空編・刊)

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April 07, 2009

大英博物館のロゼッタ・ストーン

ロンドン・パリの旅(第5回)

「大英博物館」のRoom68でコイン・紙幣類の展示を見た後、世界一と言われる古代コレクションを見るため、館内をブラブラ歩きはじめた。本日は木曜日なので、いつもの閉館時間である午後5:30よりも遅い午後8:30まで開いている。「古代ギリシャ・ローマ」のものをはじめ魅力的な展示は数多く、まだまだ見ていたかったのだが、まだホテルの場所も確認していないうえ、長旅の疲れや時差ボケもあったので、現在開催されている特別展「SHAH’ABBAS・THE REMAKING OF IRAN」と、「エジプト」のコーナーを見て帰ることにした。

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特別展「SHAH’ABBAS・THE REMAKING OF IRAN」では、17世紀、イラン・サファビー朝の王「シャー・アッバス」が、交易を通じてヨーロッパの国々と良好な関係を持ち、芸術の黄金期を築いた時代の芸術作品が展示されている。ここではペルシャ陶器やコインなど、私の興味にマッチするものを見ることが出来た(写真)。

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次に1Fにある「エジプト」のコーナーに行くため、「ギリシャ・ローマ」のコーナーを通る。ここではギリシャの赤絵式や黒絵式の壺(写真左・中左)、またモザイクなどが展示されている(写真中右・右・下段)。モザイクは、1Fに通じる階段の壁にも掲示されていたので、楽しむことが出来た。キプロスやチュニジアを旅して以来、モザイクに興味を持ち始めたので、私にとっては非常に興味深い展示だ。

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1Fの「エジプト」のコーナーに行くと、古代エジプトを思わせる雰囲気のある石像が多数展示されている(写真上段・右端は「ラムセス二世の胸像」)。時間の都合で十分に鑑賞しなかったため、詳しくご紹介できないのは残念だが、このコーナーで最も有名な展示である「ロゼッタ・ストーン」(写真下左)だけはジックリと見てきた。これについては中学・高校の教科書でも採りあげられており、知らない方はいないと思うが、ナポレオンのエジプト遠征中に、アレクサンドリア東方のロゼッタ(ラシード)で発見された石碑である。上段に神聖文字(写真下中左)、中段に民用文字(写真下中右)、下段にギリシャ文字(写真下右)の3種で書かれており、フランスのシャンポリオン(1790~1832)は、このギリシャ文字を手がかりに、神聖文字の解読に成功した。

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午後6:15頃、「大英博物館」を出て、徒歩で来た道を戻り、地下鉄「ホルボーン駅」から「リバプール・ストリート駅」で乗り換え、午後6:30過ぎに「タワー・ヒル駅」に到着。地上に出ると広場があり、真正面に「ロンドン塔」(写真左)が見える。夕方なので少し薄暗いが、その姿はハッキリわかる。2~3分眺めた後、地図を見ながらホテルに向かった。地下道をくぐり、高架された道路の下にある細い道を歩く。本当にこの道で正しいのだろうかと少々不安になるが、自分の方向感覚を信じて真っ直ぐ進む。2~300mほど歩くと、「THE TOWER」の表示が目に入った。ホテルに到着だ。しかし入口がどこか分からなかったので、さらに進むと、目の前に美しくライトアップされた「タワー・ブリッジ」(写真中左・中右)が現れた。ホテルの入り口を捜すのを忘れ、写真を撮るのに夢中になった。何枚も写真を撮りながら歩いていると、いつの間にかホテルの入り口の前にいた(写真右)。

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ロビーに入ると、添乗員がいた。ツアーの人達に食事のできる場所を案内していたとの事。フロントに預けてくれていたキーなどを受け取り、部屋に向かった。部屋は4F。なかなか落ち着いた雰囲気の部屋だ(写真)。美しくライトアップされた「タワー・ブリッジ」が見えることを期待して、カーテンを開けて窓の外を見るが、残念なことに反対方向の部屋で、「ロンドン塔」の一部が見えるだけであった。時差ボケと歩き疲れのため早く寝たかったので、夕食として関空のラウンジでもらった「おにぎり(梅干し入り)」2個を食べ、風呂で体を休め、午後10:00頃ベッドに入った。


大英博物館
http://www.britishmuseum.org/
大英博物館(特別展「SHAH’ABBAS・THE REMAKING OF IRAN」)
http://www.britishmuseum.org/whats_on/all_current_exhibitions/shah_abbas.aspx
大英博物館(ロゼッタ・ストーン)
http://www.britishmuseum.org/explore/galleries/ancient_egypt/room_4_egyptian_sculpture.aspx
ウィキペディア・フリー百科事典(大英博物館)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8
ウィキペディア・フリー百科事典(ロゼッタ・ストーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3
ウィキペディア・フリー百科事典(ジャン・フランソワ・シャンポリオン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3
THE TOWER HOTELのHP
http://www.guoman.com/the-tower/

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April 06, 2009

大英博物館(Room68・世界の貨幣展示)

ロンドン・パリの旅(第4回)
貨幣ぶらり旅(第154回)

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「ホルボーン駅」で下車。北西方向に3~400m歩くと「大英博物館」がある。1759年に開館された世界最古の公立博物館だ。医師で博物学者であるハンス・スローン卿の膨大なコレクションがベースになっている。現在、コレクションは600万点を超えるという。建物を正面から見ると、イオニア式の列柱が横に並ぶ。ギリシャ神殿を思い出させるような建築物だ(写真左・中左・中右・右)。ロバート・スマークの手によるもので、イギリスの新古典主義、グリーク・リバイバルと呼ばれる建築様式である。

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ゲートをくぐり正面の扉から館内に進むと、ガラス張りの天井で覆われ、中央に円柱形の白い部屋がある巨大なドームに入る。「グレート・コート」だ(写真左)。ここには、閲覧室やインフオメーション・デスク、レストラン、ミユージアム・ショップなどが設けられている。私の一番の目的は「コイン・メダル」だったので、「Room68」に直行した。階段を上ったすぐ側の部屋がそれだ(写真中)。室内はコインやメダル、紙幣などの展示で一杯である(写真右)。内容を見ると、世界初のコインと言われているリディア・クロイソス王のエレクトラム貨から、現代の電子マネーに至るまで展示されている。以下、面白いと思った展示を7点をご紹介する。

第一は、貨幣の系列図だ。紀元前から紀元後500年ぐらいまでのコインが、古代ギリシャ・ローマ、その影響を受けた世界、インドや中国など、その関連が示されている(写真)。それぞれのコインの横に振られている番号に対応する解説は次の通り。
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Into the Greek world
リディアで作られるようになったコインは、紀元前6世紀から5世紀頃には小アジアで受け入れられ、やがて古代ギリシャ世界全体に広がった。
1-2 Electrum coins,Lydia,c.575BC
3-4 Silver coins,Lycia,c.500BC
5-6 Silver coins,Athens,c.450BC
7-8 Silver coins,Greek city of Thurium,South Italy,c.380BC

To the East and Africa
コインの製造は、ペルシャや中東・北アフリカのフェニキア交易都市にまで広がって行った。
9-10 Silver coins,Achaemenids,Asia Minor,c.500BC
11-12 Silver coins,Achaemenids,Afghanistan,4th century BC
13 Silver coins,Tyre,c.360-350BC
14 Electrum coin of Carthage,c.250BC

The Roman World
古代ローマ初期のコインは、古代ギリシャのコインを真似たものと、イタリア式銅貨の2タイプが存在した。これらはローマが領土を拡大し、また交易が広がることでその流通範囲を広めた。
15-16 Silver Greek-style coins,c.270BC
17 Cast bronze coins,c.250BC
18-22 Coins of the Roman Emperors:(18-19)Gold of Tiberius(AD14-37);(20-21)Bronze of Hadrian(AD117-138);(22)Gold solidus of Constantine(AD307-337)

Western Europe
ギリシャ・ローマやフェニキアスタイルのコインは、中央、北、西ヨーロッパにも広がりを見せた。
23-24 Gold coins of north-western Europe,copying Greek coins,c.200BC
25-26 Gold coins of southern England,c.80BC
27-30 Silver coins of king Epaticcus,southern England,c.20BC,and of Arsaoa in Spain,c.150-100BC showing Roman influence in design

After Alexander the Great
アレキサンダー大王が支配した時代にもたらされたギリシャ流のコインはインドでも使われ、彼の死後も王の肖像をデザインとしたコインが流通した。
31-32 Silver coins,Alexander the Great,336-323 BC
33-38 Silver coins of Iran:
(33-34)AntiochusⅢ,Greek king,223-187 BC;(35-36)MithradatesⅡ,Parthian king,123-88 BC;(37-38)Ardashir Ⅰ,AD 224-241,and KhusrauⅡ,AD 590-628,Sasanian kings.

India
インドのコイン製造は、パキスタンやアフガニスタン地方を通じて伝えられ、古代ギリシャ・ローマのコイン製造は、インドのコインのデザインや製造技術にも影響を与え続け、紀元後3世紀には、スリランカにまで及んだ。
39-41 Silver and copper coins,Mauryan empire,c.250BC
42-43 Silver coins,MenanderⅠ,Greek king of India,c.150BC
44 Copper coins,Sir Lanka,2nd century AD

Distant Roman influence
ローマのコインは、アラビアや東アフリカ、インドのコインにまで影響を与えた。
47-48 Gold and silver coins,king Endybis,Ethiopia,c.AD227-235
49-50 Indian gold coins copying a Roman gold denomination
(49)KanishkaⅠ,Kushan king,c.AD100-126;(50)Kumaragupta,Gupta king,AD415-450

China
当初、子安貝や農作業具の形をした銅が貨幣として用いられ、紀元前4世紀頃から円形のコインが使われはじめ、紀元前3世紀には円形がスタンダードになった。
51 Spade coins,Zhou kings,c.600BC
52 Knife coins Zhao State,c.500BC
53 Cowrie coins,Chu State,c.350BC
54 Round coins,Gong City,c.350BC
55 ‘Half ounce’coins,Qin emperor 221BC

The Chinese tradition
中国・漢の時代に造られたコインの形とサイズが基準とされ、韓国やヴェトナム、日本に広がって行った。
56-57 Bronze’five grain’coins
(56)Han dynasty,c.75BC;(57)Northern Wei dynasty,c.AD529
58 Bronze coins,Khotan,(Xinjiang),c.AD50,combining Chinese and Indian designs

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第二は、17世紀にスウェーデンで使用された「銅板マネー」だ(写真)。最大のものは、重さが20kg以上ある。しかし、あまりにも重かったため、すぐに使われなくなり、初期の紙幣の地域的普及を促進したという。
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第三は、世界最大の紙幣「大明通行寶鈔」である(写真)。紙幣の中央には、1,000個の硬貨が描かれている。重さにして約3.5kgとの事。先の「銅板マネー」同様、非常に重かったので、それに代えて紙幣の利用が考え出されたのは面白い。
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第四は、ヤップ島(現ミクロネシア連邦)の「石マネー」。展示されているものは直径80cmぐらいであったが、直径4mの大きさのものもあるという。19世紀に初めてヨーロッパ人がこの島を訪れた時には、このお金が支払いに使われていたようだ(写真)。
第五は、1950年代に収集されたリベリアの「キシ鉄マネー」だ(前出写真 : 中央の展示ケース左端の鉄棒)。リベリアでは、1950年代まで通貨として使われていた。棒の半分はハンマーで打って潰され、半分はねじられている。これによって品質を確認していたのだという。
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第六は、18世紀の中国・清で発行された真鍮のコインで製作された「コインの剣」である(写真 : 展示ケース中央上)。この剣は、悪霊と邪気を払うために使われ、支払い用ではなかった。
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第七は、3世紀にエジプトのヘルモポリス市で鋳造された「金の棒」だ(写真 : ショーケース中央)。この金の棒は管理のために造られたため、2つの刻印が押されている。ひとつは都市の名前で、もう一つは品質を検査した役人の名前である。

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その他にも古代ギリシャ・ローマのコインや、イスラム、アフリカ、アジアなど各地のお金が、年代順に展示されている(写真左・中左・中右・右)。またお金だけでなく、コインを造る道具や機械類(写真下左・下中左・下中右)、コインを計る天秤なども並ぶ(写真下右)。ジックリ見ていると、時間が経つのを忘れてしまいそうであった。
なお、展示されている個別のコイン類については、後掲「大英博物館のHP(Money・Room68)」で見ることが出来るので、興味のある方は御参照願いたい。


大英博物館
http://www.britishmuseum.org/
大英博物館フロアガイド
http://www.britishmuseum.org/visiting/floor_plans_and_galleries/ground_floor.aspx
大英博物館(コイン・メダル関連)
http://www.britishmuseum.org/explore/themes/money/introduction.aspx
大英博物館(Money・Room68)
http://www.britishmuseum.org/explore/galleries/themes/room_68_money.aspx
ウィキペディア・フリー百科事典(大英博物館)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8B%B1%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8


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April 05, 2009

金融街シティとセントポール大聖堂

ロンドン・パリの旅(第3回)

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「英国銀行貨幣博物館」(写真左)での見学を終え、次に「大英博物館」に向かう予定であったが、せっかくここまで来たのだからと思い、金融街シティの中心を散歩することにした。昨年の金融危機以後、ここで働く人たちも大きなダメージを受けたのだろうが、観光客である私の眼には、ごく普通のオフィス街に見えた。英国銀行の東側には、ミラーウオールの高層ビルが建つ。「証券取引所」だ(写真中左)。そしてその南側に建つ神殿風の建物は「王立取引所」である(写真中右)。国王の財政顧問トマス・グレジャム(「グレシャムの法則」で知られている)により設立され、1571年、エリザベス1世により王立とされた。建築様式は新古典主義建築。破風には、商業を象徴する商業の神と人々が彫られている(写真右)。柱はコリント様式で(写真下左)、入口天井は六角形と菱形が組み合わさった文様だ(写真下右)。

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この建物には、人が自由に出入りしていたので、私も中を覗いてみた。内部は広い空間になっており、真中にテーブルとイスが置かれてオープンカフェに、また周囲にはレストランの他、ブランドの店が並ぶ(写真左)。天井はガラス張りなので、室内は照明がなくても明るい(写真中左)。カフェで一休みしたいところだが、あまりノンビリしていられないため外に出た。「王立取引所」の前は三角形の広場になっている。真ん中に銅像(ワーテルローの戦いでナポレオンを破った英雄・ウェリントン将軍)が立ち、その向こう側の花壇には、黄色の「ラッパ水仙」が綺麗に咲いていた(写真中右・右)。


「王立取引所」(Royal Exchange)
http://www.theroyalexchange.com/

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ここから「シティ駅」に戻って、地下鉄で「ホルボーン駅」まで進み、直接「大英博物館」に行くことも考えたのだが、ついでに「セントポール大聖堂」が見たくなったので、西へ5~600mほど歩いた。数分で大聖堂の前に着いたが、すでに扉は閉まっていた。午後4:00までなのだ。仕方ないので、建物の外観を見学する。この大聖堂は、様々な国家行事が行われる世界最大級のキリスト教教会。604年に建設されたが、ロンドン大火などの災害に遭ったため何度か再建され、現在の建物は1675年から35年かけて建てられたもの。イギリス・バロックの代表作である(写真)。ドーム内には高さ約108mの螺旋階段や、共鳴効果で知られる「ささやきの回廊」、市内を一望する「石の回廊」などの見どころがあるようだが、今回は断念せざるを得なかった。

「セントポール大聖堂」を見た後、最寄りの「セントポール駅」から地下鉄に乗り、「ホルボーン駅」で下車。2~300mほど歩いて「大英博物館」に向かった。


「セントポール大聖堂」
http://www.stpauls.co.uk/
ウィキペディア・フリー百科事典(セントポール大聖堂)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82


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April 04, 2009

英国銀行貨幣博物館

ロンドン・パリの旅(第2回)
貨幣ぶらり旅(第153回)

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地下鉄「バンク駅」で下車。金融街「シティ」のど真ん中である。地図を見るが、「英国銀行」の場所が分からなかったので近くにいた男性に尋ねると、目の前の建物を指差し、「これが英国銀行だ」と教えてくれた。大きい建物だったので、入口がどこにあるのか分からなかった。勘に頼り、左回りに歩きはじめたのだが、なかなか見つからない。結局、ほぼ一周したところに入口はあった(写真)。右回りにすれば良かったのである。入口には、中学生か高校生ぐらいの男女が十数名固まっていた。見学を終え、これから帰るところであった。混雑が避けられると思うと、ホッと一安心だ。ガラスの扉を開けると、正面左にセキュリティー・チェックがある。金属製品を出し、カバンの中を見せ、探知機のゲートをくぐる。OKになったところで、次は受付である。入場料は無料。博物館について解説したペーパーが貰える。受付の方から何語が良いか尋ねられたので、あまり期待せずに日本語と回答すると、日本語のペーパーが手渡された。日本人の来訪者が多いのだろうか。少々驚いた。

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この博物館は、1988年11月16日に開館され、1694年に設立されて以来の英国銀行の歴史と中央銀行としての現在の役割を辿っている。受付右手にある最初の部屋に入ると、18世紀末期の銀行取引ホールが再建されている(写真左)。左手手前には英国銀行の建築史展示の一部として、再建の模様が展示され、左手奥には英国銀行における初期の銀行業務の様子が示されている(写真中左)。英国銀行設立以前には、ゴールドスミス(金匠)達が銀行類似業務を行っていたのだ。ゴールドスミスの手形は、預けたコインの領収書であったが、やがて紙幣の一形態として自由に流通するようになり、現代の紙幣の前駆となったのである。中央には、ポンド紙幣やコイン(写真中右)、またインフレ紙幣(写真右)が展示されていた。右手には博物館のショップがあり、プルーフコインをはじめ、貨幣関連商品が販売されている。

順路に従い左手奥の部屋に進むと、英国銀行設立にまつわる資料類が展示されている。例えば、スコツトランドの商人ウィリアム・パターソンが提案した、英国銀行設立条件提案書の原本や1694年にウィリアム三世が授与した認可状などである。この部屋から3つ先の部屋を見ると、英国がフランスと戦争を続けていた1793年から1815年までの英国銀行の様子が述べられている。戦時の銀行は、資金繰りにおいて重要な役割を果たすわけだが、ご多分にもれず、金の保有高が急激に減少し、1797年には、銀行振出手形に対する金の支払いは、制限されることになったのである。

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次に進むと、円形の広間(ロタンダ)に出る(写真左)。この博物館では2番目に大規模な部屋で、1930年代に建てられたもの。部屋の周囲には11のショーケースが置かれ、銀行の歴史を追い、重要なテーマや歴史について紹介している。また広間の中央横には、重さ13kgの金の延べ棒が置かれており、手で触り、その重さを感じることが出来るようになっている。もちろんセキュリティーは万全。持ち帰ることはできない。広間の奥にある部屋では、英国銀行の紙幣コレクションが展示されている。17世紀のシンプルな手書きの領収書から、最新技術を取り入れた工場で生産されている、技術的に高度な現在の紙幣までを見ることが出来るのだ(写真中左・中右・右)。

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円形の広間(ロタンダ)に戻り、順路に従って次の部屋に進むと、現代経済をテーマにした展示がなされている。例えば、インフレーションについて(写真左)や、銀行の本支店について(写真中左)、経済ショックについて(写真中右)などである。中でも、1971年に実施された1シリング12ペニー、1ポンド20シリングの通貨制度から、10進法の通貨制度に変更した「デシマリゼーション」に関する展示は興味を持って見ることが出来た(写真右)。

この博物館のショップには、ほとんど書籍類は置かれていなかったので、購入できたのは次の2種類。
・「Forgery-The Artful Crime」(Bank of England Museum刊)
・「Security by Design」(Bank of England Museum刊)
約1時間の見学であったが、非常に楽しく過ごす事が出来た。ロンドンに行かれた際は、是非、訪ねてみることをお薦めする。開館は、平日(月)~(金)の午前10:00~午後5:00まで。


(参考資料)
・「イングランド銀行博物館についての無料ガイド」(イングランド銀行刊)
・「Free Guide to The Bank OF England Museum」(Bank of England刊)

英国銀行貨幣博物館
http://www.bankofengland.co.uk/education/museum/index.htm
英国銀行貨幣博物館フロアガイド
http://www.bankofengland.co.uk/education/museum/floorplan/index.htm

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April 03, 2009

地方自治法記念貨幣(平成21年度前半発行分)の打ち初め式

地方自治法記念貨幣(平成21年度前半発行分)の打ち初め式

平成21年4月1日、造幣局は「地方自治法施行60周年記念貨幣(平成21年度前半発行分 : 長野県・新潟県)」の打初め式を、平成21年4月14日(火曜日)に実施すると発表した。詳細は造幣局のHPをご参照願いたい。

造幣局のHP
http://www.mint.go.jp/topics/new/page50.html
地方自治法施行60周年記念千円銀貨幣(長野県分)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk201205/nagano1.pdf
地方自治法施行60周年記念5百円バイカラー・クラッド貨幣(長野県分)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk201205/nagano2.pdf
地方自治法施行60周年記念千円銀貨幣(新潟県分)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk201205/niigata3.pdf
地方自治法施行60周年記念5百円バイカラー・クラッド貨幣(新潟県分)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk201205/niigata4.pdf

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April 02, 2009

ロンドンに到着

ロンドン・パリの旅(第1回)

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今回もツアーに参加し、ロンドン・パリに行ってきた。ただ、ツアーに参加したとは言うものの、ロンドン・ヒースロー空港に到着後、他の参加者が荷物が出てくるのを待っている間に、私はひとりツアーを離れ、ロンドン市内に出かけた。出来るだけ自分の足で街中を歩きたかったからである。最初に訪れたのはロンドン・シティー。本日(4月2日)自宅でテレビを見ていると、G20に対するデモの行われている様子が映されていた。私が訪ねた時は、賑わいはあるものの平穏な場所(写真)であったが、テレビで見るシティーは大変な様子。トラブルに巻き込まれず観光できたことは幸いであった。

第一日目[3月26日(木)]

・午前9:50 : 関西国際空港から「日本航空・JL-421便」でロンドンへ
・午後1:35 : ロンドン・ヒースロー空港に到着(日本との時差9時間)
・午後2:17 : ヒースロー・エキスプレスで「パディントン駅」へ
・午後2:32 : 「パディントン駅」到着
・徒歩で「ケンジントン・ガーデンズ」ヘ
・地下鉄「ランカスター駅」から「バンク駅」へ
・「バンク駅」から「バンク・オブ・イングランドの貨幣博物館」へ
・「バンク・オブ・イングランドの貨幣博物館」で鑑賞後、徒歩で移動
・「セント・ポール大聖堂」を外から見学
・地下鉄「セント・ポール駅」から「ホルボーン駅」へ
・「ホルボーン駅」から徒歩で「ブリティッシユ・ミュージアム」ヘ
・「ブリティッシユ・ミュージアム」で鑑賞後、「ホルボーン駅」へ
・地下鉄「ホルボーン駅」から「リバプール・ストリート駅」経由で「タワーヒル駅」へ
・午後7:00頃 : 「ザ・タワー」ホテルに到着
・午後9:00頃 : 入浴
・午後10:00頃 : ベッドに入る


① 関西国際空港から「日本航空・JL-421便」で ロンドン・ヒースロー空港へ

機種は「ボーイング777-200ER」。午前9:25頃に搭乗。エグゼクティブクラスの席は空席が目立つ。2~3年前までは、隣にもビジネスマンらしき人たちが座り、飛行機に乗っている間、色々とお話していたのだが、最近は並んでいる座席を独り占めしている状態だ。

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機内食は、定時に出されるものが一回、あとは希望する時間にメニューの中から好きなものを選んでオーダー出来る。定時に出された食事のメニューは次の通り。

(前菜 : 写真左)
・フォアグラミルフィユ仕立て
・スモークサーモンと帆立の冷製
・小海老のスパイシーソテー

(メイン : 写真中左)
・国産牛フィレステーキ、山椒風味のオニオンソース添え
・パン

(デザート : 写真中右)
・南高梅ゼリー
・日本茶

2度目の食事は、
・アルポルト片岡のシェフのビーフシチュー(写真右)
・ごはん
・きつねうどん
・アイスクリーム


② ヒースロー・エキスプレスで「パディントン駅」へ

ロンドン・ヒースロー空港のターミナル3に到着後、他の参加者がターンテーブルの前で荷物が出てくるのを待っている間、私はひとりツアーを離れ、ロンドン市内に出かけることにした。税関を通り、ターミナルの地下にあるヒースロー・エキスプレスの駅に向かう。
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少し慌てていたのだろうか。速足で歩いてたため、駅に向かう通路を通り越し、ターミナル1近くまで行ってしまった。途中で気がついたので引き返し、券売機で乗車券を購入(16.5ポンド)。ホームに入ると、すぐに列車が来た(写真左・中左・中右)。駅を出て暫くすると地上に出る。窓から外の景色を見ていると、何故かワクワクする。添乗員から、バスだと渋滞もありロンドンまで1時間以上かかると言われていたので、ヒースロー・エキスプレスを利用したのだが、たった15分でロンドン・「パディントン駅」到着した(写真右・下)。


ヒースロー空港
http://www.heathrowairport.com/portal/site/heathrow/menuitem.ff9ffbbb109c73feac81cb109328c1a0/?lang_code=ja
ヒースロー・エキスプレス
https://www.heathrowexpress.com/index.asp?SID={1A5DE62E-EB33-44A3-99B9-07DF12E8264D}


③ 「ケンジントン・パーク」から「バンク駅」へ

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「パディントン駅」から、次の目的地である「シティ駅」までは地下鉄を利用する。地下鉄の「パディントン駅」から「シティ駅」まで行くことも考えたのだが、「ケンジントン・ガーデンズ」も見てみたかったので、地下鉄「ランカスター・ゲート駅」まで歩いた。ガーデン内の道路には、予想外に多くの車が走っている。その脇を通る小道には、乗馬を楽しむ人、散歩やランニングをする人達が見える(写真)。少々風は強いが、日当たりも良いので、ここでノンビリしたい気分だったが、「バンク・オブ・イングランドの貨幣博物館」の閉館時間のことを考えると、長居はできない。少し迷いながらも、道行く人に尋ねながら「ランカスター・ゲート駅」に到着。Dsc05730Dsc05732

券売機で1日乗車券(5.6ポンド)を購入し、「バンク駅」に向かった(写真)。


地下鉄路線図
http://www.ryoko.info/rosen/train/data/london.html
http://www.tfl.gov.uk/assets/downloads/standard-tube-map.pdf
地下鉄(Transport for London)
http://www.tfl.gov.uk/modalpages/2625.aspx

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April 01, 2009

ロンドン・パリの旅から戻る

ロンドン・パリの旅

本日、ロンドン・パリの旅から戻った。大英博物館、デートブリテン、テートモダン、ナショナル・ギャラリー、東洋ギメ、バカラ・ギャラリー・ミュージアム、ルーブル、オルセー、オランジュリー、セーブルなどの美術館・博物館、またロンドン塔、タワーブリッジ、ウエストミンスター宮殿、ビッグ・ベン、バッキンガム宮殿、エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム寺院などの建築物を見て回り、大変楽しい時を過ごすことができた。

3月26日(木)に、関西国際空港からロンドンへ直行便で向かったのだが、今日は成田経由で戻ってきた。日本航空のロンドン直行便が、3月28日(土)で廃止になったからだ。「関空」行きに乗り継ぐため、「成田」で約4時間待つことに。日本で入国もせずに長時間待たされることは、何か割り切れない感じだが、ビジネスクラスの座席が2~3割しか埋まっていないのを見ると、不採算路線の廃止もやむを得ないのだろう。しかし、関空との直行便がなくなったのは寂しい。

いつもと違ったリズムだったので、少々眠い。今回の旅については、明日からお話したいと思う。時差ボケ解消のため、これから入浴して寝ることにする。

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