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July 15, 2009

地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(長野県、新潟県)を入手

貨幣ぶらり旅(第167回)

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本日、地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(長野県[写真上]、新潟県[写真下])の引換に行って来た。市街まで出るのが面倒だったので、今回は自宅近くの金融機関だけで済ませた。A都市銀行、B地方銀行、C信用金庫、D信用金庫、郵便局の5か所である。銀行がオープンする10分前に、A銀行に到着。すると数人が列を作って並んでいた。尋ねてみると、皆さん記念コインの引き換えである。このシリーズが始まるまでは、このようなことはなかったので、少々驚いた。

午前9:00になるとシャッターが開き、一斉に中に入る。コインの引き換え専用の窓口が設けられていたので、両替票に記入し、現金と共に窓口で受け付けてもらう。今回は1人2枚までが厳守されていた。前回は1人1回10枚までだったので、今回はかなり厳しい。この支店には、各100枚ずつしか割り当てられていないため、今回は抑えられたようだ。ただし、2回並んでも良いとの事だったので、この支店では各4枚、計8枚を入手できた。次にB銀行へ行く。こちらは空いており、すぐに手続きしてくれたが、1回しか引き換え出来ないとの事だったので、各2枚、計4枚を入手。次に郵便局に行くが、すでに在庫が無く、引き換え終了との事。仕方がないので、少し離れていたが、C信金を訪ねる。窓口で確認すると、まだ在庫ありとの事。ここでも各2枚、計4枚をゲットする。最後にD信用金庫だ。ここも空いており、在庫ありとの事。各2枚、計4枚を入手した。記念コインとはいえ、500円硬貨に変わりはないので、500円玉貯金をしているつもりになれば、何枚交換しても良いのだが、これ以上コインを入手するためにウロウロする気になれなかったので、今回は各10枚、計20枚、10,000円分の引き換えで終了することにした。

今回の記念コイン引き換えで感じた事は、シリーズものの記念コインなので集めてみようという人が出てきたことである。コレクターが増えることは嬉しい事だが、どこまで裾野が広がるのか、今後に期待したいところである。

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ブルガリアの現行紙幣

ブルガリア・ルーマニアの旅(第31回)
貨幣ぶらり旅(第166回)

① 100レヴァ紙幣(2003年発行)

(表面)
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左側にブルガリアのフィクション作家「Aleko Konstantinov」(1863–1897)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側には彼の書いた「To Chicago and Back」の初版本と、ブルガリアの山で見られるトレッキングの様子と彼のサインの写しが描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「100лEBA」と「100」の表示が、そのすぐ右側には「CTOлEBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「100」の表示が見られる。余白部分には、「Aleko Konstantinov」の肖像の「透かし」が入っている。

(裏面)
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「Aleko Konstantinov」の人物画と彼の作品が描かれている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「100」、「CTOлEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「100」、「CTOлEBA」の表示が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Aleko Konstantinov : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Aleko_Konstantinov
ウィキペディア・フリー百科事典(To Chicago and Back : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/To_Chicago_and_Back


② 50レヴァ紙幣(1999年発行 : 2006年にも発行されている)

(表面)
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左側にブルガリアの詩人「Pencho Slaveykov」(1866 - 1912)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側には国立劇場と国立図書館が描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「50лEBA」と「50」の表示が、そのすぐ右側には「ПETдECET лEBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「50」の表示が見られる。余白部分には、「Pencho Slaveykov」の肖像の「透かし」が入っている。

(裏面)
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「Pencho Slaveykov」 の詩、叙事詩「A Song of Blood」や詩選集「Epic Songs」が描かれている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「50」、「ПETдECET лEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「50」と「ПETдECET лEBA」の表示が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Pencho Slaveykov : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Pencho_Slaveykov
ウィキペディア・フリー百科事典(国立劇場 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Vazov_National_Theatre


③ 20レヴァ紙幣(1999年発行 : 2007年にも発行されている)

(表面)
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左側にブルガリアの剛腕政治家「Stefan Stambolov」(1854 - 1895)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側には彼の書いた詩選集「Songs and Poems」と「To My Comrades」、そしてタルノヴォの「Edinstvo Committee」の印章が描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「20лEBA」と「20」の表示が、そのすぐ右側には「дBAдECET лEBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「20」の表示が見られる。余白部分には、「Stefan Stambolov 」の肖像の「透かし」が入っている。

(裏面)
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中央左に、ソフィアにあるイーグル橋とライオン橋の一部が、その右側には国会議事堂などが描かれている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「20」、「дBAдECET лEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「20」、「дBAдECET лEBA」の表示が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Stefan Stambolov : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Stefan_Stambolov
ウィキペディア・フリー百科事典(Lavov Most [Sofia's Lion Bridges] : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lavov_Most
ウィキペディア・フリー百科事典(Orlov Most [Sofia's Eagle Bridges] : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Orlov_most


④ 10レヴァ紙幣(1999年発行 : 2008年にも発行されている)

(表面)
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左側にブルガリアの教育者で、「Doctor Peter Beron」(1799 - 1871)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側にはサイと地球儀とクジラが描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「10лEBA」の表示が、そのすぐ右側には「дECETлEBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「10」の表示が見られる。余白部分には、「Doctor Peter Beron 」の肖像の「透かし」が入っている。
(裏面)
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「Doctor Peter Beron」が論文の中での描いた天体図と彼が使っていた望遠鏡がデザインされている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「10」、「дECETлEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「10」、「дECETлEBA」の表示が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Doctor Peter Beron : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Petar_Beron


⑤ 5レヴァ紙幣(1999年発行 : 2009年にも発行されている)

(表面)
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左側に1920年代のブルガリアのアーティスト、画家であり、前衛芸術時代のデザイナーである「Ivan Milev」(1897 -1927)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側には彼の描いた作品、「Art and the Crown of Thorns」が描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「5лEBA」の表示が、そのすぐ右側には「「ПET лEBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「5」の表示が見られる。余白部分には、「Aleko Konstantinov」の肖像の「透かし」が入っている。

(裏面)
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「Ivan Milev」の作品である「ブルガリアの聖母マリア」などが描かれている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「5」、「ПET лEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「5」と「ПET лEBA」の表示が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Ivan Milev : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Milev


⑥ 2レヴァ紙幣(2005年発行 : 1999年にも発行されている)

(表面)
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左側にブルガリアの牧師で、ブルガリアの精神を解放した先駆者でもあり、「スラブとブルガリアの歴史」(現代ブルガリア文字で書かれた最初の作品)の著者としても知られている「Pagisios of Hiliandar」(1722 - 1773)の肖像と彼の名前・生存年が、またすぐ右側には彼の居た「Atho山」にある「Zografouの僧院」の建物、院内の天井画と僧院の紋章が描かれている。左端には偽造防止のため、ホログラムで「2лEBA」の表示が、そのすぐ右側には「дBA」と印刷されている。右端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)が、右下には政府と銀行の責任者それぞれのサインと「2」の表示が見られる。余白部分には、「Pagisios of Hiliandar」の肖像の「透かし」が入っている。

(裏面)
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中央に、ブルガリアの支配者のリストと共に「スラブとブルガリアの歴史」の草案と3つの印章
が、その右側には、ブルガリアの紋章のデザインに使われている後ろ足で立ち上がったライオンが描かれている。左端には「Българската народна банка」(BULGARIAN NATIONAL BANK)と、「2」、「дBA лEBA」、余白部分に「透かし」、右端には「2」、「дBA лEBA」の表示と、ブルガリア帝国の紋章が見られる。

ウィキペディア・フリー百科事典(Pagisios of Hiliandar : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paisius_of_Hilendar
ウィキペディア・フリー百科事典(Zografou Monastery : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Zograf_Monastery
ウィキペディア・フリー百科事典(ブルガリア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(ブルガリアの紋章 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Coat_of_arms_of_Bulgaria

(※)紙幣以外の写真は、ご案内の「ウィキペディア・フリー百科事典」から転載した。

(その他参考HP)
ブルガリア中央銀行のHP
http://www.bnb.bg/bnb/home.nsf/fsWebIndex?OpenFrameset
ブルガリアの紙幣(Numismondo World Paper Money Picture Catalog)
http://www.numismondo.com/pm/bgr/index0009.html

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July 14, 2009

ブルガリアの現行コイン

ブルガリア・ルーマニアの旅(第30回)
貨幣ぶらり旅(第165回)

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今回は、ブルガリア・ルーマニアの旅で手に入れた貨幣の中から、ブルガリアのコインについてご紹介する。なお、個別のコインの写真については、ブルガリア中央銀行のHPから転載した。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

① 1レフ

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材質 : バイメタル(内側 : 白[銅・ニッケル・亜鉛]合金 ・ 外周 : 黄[銅・ニッケル・アルミ]合金)
発行年 : 2002年
重さ : 7g
直径 : 24.5mm
エッジ : 部分ギザ
デザイン : Petar Stoykov

(表面) : 「1レフ」["ЛЕВ" (lev)]と「2002」年の表示。2本の線が交わるグラフィック・デザイン(写真左)
(裏面) : 「聖イヴァン・リルスキー」(※)の肖像、並びに「聖イヴァン・リルスキー」["Св. Иван Рилски" (St. Ivan Rilski)]と「ブルガリア」["България" (Bulgaria)]の表示(写真中)

(※)聖イヴァン・リルスキー(写真右 : ウィキペディア・フリー百科事典(リラの僧院(John of Rila )より)は、現在「リラの僧院」の建つエリアを、隠遁の地として選んだ僧。彼の建てた小さな寺院が、やがて中世の宗教と文化の中心地になり、14世紀に現在ある僧院の形になったのである。

ウィキペディア・フリー百科事典(リラの僧院(John of Rila ) : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_of_Rila
2009年6月17日付当ブログ「世界遺産・リラの僧院」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2009/06/post-f1f8.html

② 50(20・10)ストティンキ

50502202102

材質 : 銅・ニッケル・亜鉛の合金
発行年 : 1999年
重さ : 5g
直径 : 22.5mm
エッジ : ギザ
色 : 白銀

(表面) : 「マダラの騎士」(※)がデザインされ、円周上部には「ブルガリア」["България" (Bulgaria)]の表示
(裏面) : 「50(20・10)ストティンキ」["стотинки" (stotinkas)]と「1999」年の表示。円周上部にはEU(European Union)の象徴である12個の星が並んでいる。


(※)「マダラの騎士」は、ブルガリアの北東部、シューメンから東へ約18kmの山中に位置するマダラの村にある切り立った断崖に刻まれた、巨大なレリーフの通称(写真 : ウィキペディア・フリー百科事典[マダラの騎士]より)。Madararidergruev_close騎馬姿の騎士が、猟犬を従え、ライオンに槍を突き刺している。中世ギリシャ語で彫られた碑文に第一次ブルガリア帝国歴代皇帝の名前が彫られていることから、8世紀頃に制作されたものとされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(マダラの騎士 : Madara Rider[Madara Horseman] : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Madara_Rider

③ 5(2・1ストティンカ : ※)ストティンキ

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材質 : 銅・ニッケル・アルミの合金
発行年 : 1999年
重さ : 3.5g(2.5g、1.8g)
直径 : 20mm(18mm、16mm)
エッジ : 平板
色 : 黄銅

(表面) : 「マダラの騎士」(※)がデザインされ、円周上部には「ブルガリア」["България" (Bulgaria)]の表示
(裏面) : 「50(20・10)ストティンキ」["стотинки" (stotinkas)]と「2000」年の表示。円周上部にはEU(European Union)の象徴である12個の星が並んでいる。

(※)通貨単位「レフ」は単数形で、「レヴァ」は複数形。補助通貨単位「ストティンカ」は単数形で、「ストティンキ」は複数形。

ブルガリア中央銀行のHP
http://www.bnb.bg/bnb/home.nsf/fsWebIndex?OpenFrameset

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July 13, 2009

ルーマニアの現行コイン

ブルガリア・ルーマニアの旅(第29回)
貨幣ぶらり旅(第164回)

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------------------------------------------------------------------------------------ルーマニアの現行通貨のデザインは、各コイン共通。
(表面 : 写真上) : 額面と単位
(裏面 : 写真下) : 外周に「ROMANIA☆☆☆☆年号☆☆☆☆」、中央に「ルーマニアの国章」(写真下右)のデザイン

ウィキペディア・フリー百科事典(ルーマニア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2


① 50バニ

Nb50
材質 : 黄銅
色 : ライトイエロー
直径 : 23.75mm
エッジ : 文字「ROMANIA ☆ ROMANIA ☆」

② 10バニ
Nb10
材質 : 鉄にニッケルメッキ
色 : 白色
直径 : 20.5mm
エッジ : 部分ギザ

③ 5バニ
Nb05
材質 : 鉄に銅メッキ
色 : 赤色
直径 : 18.25mm
エッジ : ギザ

④ 1バン(※)
Nb01
材質 : 鉄に黄銅メッキ
色 : 黄色
直径 : 16.75mm
エッジ : 平板

(※)「バン」は単数形で、「バニ」は複数形。
(※※)コインの各写真は、ルーマニア中央銀行(現行コイン)のHPより。またルーマニアの国章は、ウィキペディア・フリー百科事典(ルーマニア)のHPより転載した。

ルーマニア中央銀行(現行コイン)のHP
http://www.bnro.ro/Coins-and-notes-in-circulation-1331.aspx

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July 12, 2009

ルーマニアの現行紙幣

ブルガリア・ルーマニアの旅(第28回)
貨幣ぶらり旅(第163回)

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1989年の体制転換直後、国営企業民営化の遅延、農地私有化に伴う混乱等のため、ルーマニア経済は大幅に悪化し経済成長もマイナス成長となったが、2000年以降経済は回復基調となり平均5~6%の経済成長を続けている。しかし、2000年から2002年にかけての消費者物価上昇率は、45.3%、34.5%、22.5%と高く、紙幣のゼロの数を減らすため、2005年7月1日、1万分の1のデノミを行ない、旧10000レイ(ROL)を新1レウ(RON)と定めた(写真 : 町の商店に掲示してあった新紙幣案内のポスター)。その後、高かったインフレ率は2007年に4.8%まで低下、マクロ経済も安定化の傾向にあったことから、2014年のユーロ導入を目標としていたが、2008年の米国サブプライム問題による最近のEU経済状況の悪化のため、ルーマニア経済にも悪影響が及び始めている。

デノミ後の新紙幣は、500RN、200RON、100RON、50RON、10RON、5RON、1RONの7種類。200RONのみ2006年発行、他は2005年の発行である。このため、現地で現行発行紙幣のパンフレットをもらって確認したにもかかわらず、200RONの入手が漏れてしまった。パンフレットには、当初発行した紙幣しか掲載されていなかったのだ。
紙幣のデザインは、透かし部分以外基本的には変わっておらず、単位が1万分の1になっただけである。もちろん偽造防止のための新技術が導入されているので、細かく異なっている点はある。

ウィキペディア・フリー百科事典(ルーマニアの経済)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88
ウィキペディア・フリー百科事典(ルーマニア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2
ルーマニア中央銀行(現行紙幣)のHP
http://www.bnro.ro/Coins-and-notes-in-circulation-1331.aspx
ルーマニア(紙幣)
http://www.polymernotes.org/country_pages/rou.htm


① 500新ルーマニア・レウ(RON)
(表面)
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右側には、詩聖と称えられ、ルーマニアの国民的詩人である「ミハイ・エミネスク」(1850-1889)の肖像画、中央には「ペンとインク壺」、左側透き部分に「砂時計」がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「500LEI」と「CINCISUTE」の文字が、肖像画の下には「Mihai Eminescu」のサインの複製が彫られている。

(裏面)
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「ミハイ・エミネスク」は、保守党 (ルーマニア, 1880-1918)の公報紙『ティンプル』(Timpul)の最初の編集長を務めたことから、左側に「ティンプル新聞」が、また彼はヤシの中央図書館の理事として活躍したこともあったので、中央に「ヤシの図書館」の建物が描かれている。右手透き部分は砂時計のデザイン。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「50」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「CINCISUTE LEI 500」の文字が見られる。さらに、図書館の建物の画の右側に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で書かれている。


ウィキペディア・フリー百科事典(ミハイ・エミネスク : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Mihai_Eminescu
ウィキペディア・フリー百科事典(ミハイ・エミネスク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%AF
ウィキペディア・フリー百科事典(ヤシ : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ia%C5%9Fi
ウィキペディア・フリー百科事典(ヤシ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7_(%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2)


② 200新ルーマニア・レウ(RON)
(表面)
Rous12f2Lucian_blaga

右側には、ルーマニアの哲学者であり、詩人で、劇作家でもある「Lucian Blaga」(1895-1961)の肖像画、中央には「ポピーの花」と「Blagaの詩集」、左側透き部分に「本の栞」がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「50LEI」と「CINCIZECI」の文字が、肖像画の下には「Aurel Vlaicu」のサインの複製が彫られている。

(裏面)
Rous12b2Thinker_hamangia

中央にオークの木と古い水車小屋、その左手にはルーマニアの新石器時代中期の作品である「Hamangiaの考える人」が描かれ、その背後には「虹」と紀元前5世紀頃、新石器時代後期に考案された「車輪」が見られる。右手透き部分には本の栞がデザインされている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「200」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「DOUA SUTE LEI 200」の文字が見られる。さらに、古い水車小屋の画の右側に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で書かれている。

ウィキペディア・フリー百科事典(Lucian Blaga : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lucian_Blaga
ウィキペディア・フリー百科事典(Hamangia culture : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hamangia_culture
ウィキペディア・フリー百科事典(新石器時代 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic
ウィキペディア・フリー百科事典(新石器時代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3


③ 100新ルーマニア・レウ(RON)

(表面)
Dsc037562Luca_caragiale

右側に、ルーマニアの脚本家であり、作家でもあり、短編小説家でもある「Ion Luca Caragiale」(1852-1912)の肖像画、中央には「スミレの花」、左側透き部分に劇場シンボルのひとつである、「シアターマスク」と「コメディーマスク」がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「100LEI」と「UNA SATA」の文字が、肖像画の下には「Ion Luca Caragiale」のサインの複製が彫られている。

(裏面)
Dsc037572Photo_3

中央にブカレストの旧国立劇場、その左手には劇作家の像が描かれ、右手透き部分には劇場シンボルのひとつである「シアターマスク」と「コメディーマスク」がデザインされている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「100」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「UNA SATA LEI 100」の文字が見られる。さらに、旧国立劇場の像の下に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で書かれている。

ウィキペディア・フリー百科事典(Ion Luca Caragiale : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ion_Luca_Caragiale
ルーマニア国立劇場
http://www.tnb.ro/


④ 50新ルーマニア・レウ(RON)

(表面)
Dsc037582
右側には、ルーマニアの技師であり、発明家でもあり、パイロットで航空技師でもある「アウレル・ブライク」(1882-1913)の肖像画、中央には「エーデルワイス(うすゆきそう)の花」と飛行機の「プロペラ」、左側透き部分に「山鷲」の頭部がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「50LEI」と「CINCIZECI」の文字が、肖像画の下には「Aurel Vlaicu」のサインの複製が彫られている。

(裏面)
Dsc037592Aurel_vlaicu

中央に山鷲の頭部、その左手には軽飛行機「ヴライク II」号と飛行機のエンジンが描かれ、右手透き部分にも山鷲の頭部がデザインされている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「50」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「CINCIZECI LEI 50」の文字が見られる。さらに、山鷲の頭部の画の下に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で書かれている。

ウィキペディア・フリー百科事典(Aurel Vlaicu : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Aurel_Vlaicu
ウィキペディア・フリー百科事典(アウレル・ヴライク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF


⑤ 10新ルーマニア・レウ(RON)

(表面)
Dsc037602NicolaegrigorescuRous9_window


右側には、ルーマニアの画家である「Nicolae Grigorescu 」(1838-1907)の肖像画、中央には「たちあおいの花」とパレットに絵筆、左側の透き部分にもパレットと絵筆がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「10LEI」と「ZECE」の文字が彫られている。
なお本紙幣は、2008年に透かし部分が改められているので留意願いたい(写真左部分 : 2008年発行・写真右部分 : 2005年当初発行)。

(裏面)
Dsc037612140pxgrigorescu03

中央に「Oltenia地方」の家、その左手には「Oltenia地方」の少女を描いた「Nicolae Grigorescu」の作品「Rodica」が、また右手透き部分にパレットと絵筆がデザインされている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「10」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「IZECE LEI 10」の文字が見られる。さらに、「Oltenia地方」の家の画の右手に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で横書きされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(Nicolae Grigorescu : ルーマニア語版)
http://ro.wikipedia.org/wiki/Nicolae_Grigorescu
ウィキペディア・フリー百科事典(Nicolae Grigorescu : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nicolae_Grigorescu
ウィキペディア・フリー百科事典(Oltenia region : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Oltenia


⑥ 5新ルーマニア・レウ(RON)

(表面)
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右側には、ルーマニアの作曲家である「ジョルジェ・エネスク」(1881-1955)の肖像画、中央には「カーネーション」とバイオリン、左側の透き部分に音符がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「5LEI」と「CINCI」の文字が彫られている。

(裏面)
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中央にジョルジェ・エネスクが定期演奏を行っていた「ルーマニア・アテネ音楽堂」の建物、その後ろには「楽譜」と「ピアノ」が、また右手透き部分に音符がデザインされている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「5」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「CINCI LEI 5」の文字が見られる。さらに、ピアノの画の右手に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で横書きされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(George Enescu : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Enescu
ウィキペディア・フリー百科事典(ジョルジェ・エネスク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%AF
アテネ音楽堂(英語版)
http://fge.org.ro/ateneul-roman/lang-pref/en/
ウィキペディア・フリー百科事典(アテネ音楽堂: 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Romanian_Athenaeum
2009.6.30付当ブログ「ブカレスト市街散策(1)」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2009/06/1-3e8b.html


⑦ 1新ルーマニア・レウ(RON)

(表面)
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右側には、ルーマニアの作家であり、歴史家でもあり、ジャーナリストでもある「Nicolae Iorga」 (1871-1940)の肖像画、中央には「りんどう」の花、左側の透き部分にワラキア公国の盾形紋章に用いられた「十字架を咥えるが鷲」がデザインされている。
紙幣の上部には、ルーマニアの盾型の紋章と「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字、「BNR」のマークが見られる。紙幣の下部には、政府と銀行の責任者それぞれのサイン、その下には「1」と「LEU」の文字が彫られている。

(裏面)
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中央に「Neagoe Basarab」(1512-1521)によって建てられた「Curtea de Argeş修道院大聖堂」、その左側には、コンスタンチン・ブルンコヴェアヌ時代(1688-1714)からワラキア公国の盾形紋章に用いられた「十字架を咥えるが鷲」が、また右手透き部分にも同じがデザイン施されている。
紙幣上部には、縦書きと横書きで「1」の数字、その右に「BANCA NAŢIONALĂ A ROMÂNIEI」の文字と「BNR」のロゴが、また紙幣下部には、「BNR」のマークと「UN LEU 1」の文字が見られる。さらに、「Curtea de Argeş修道院大聖堂」の画の右手に、「FALSIFICAREA ACESTOR BILETE SE PEDEPSESTE CONFORM LEGII」(偽造者は法律により罰せられる)と、非常に小さな文字で横書きされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(Nicolae Iorga : 英語版)
http://ro.wikipedia.org/wiki/Nicolae_Iorga
ウィキペディア・フリー百科事典(Curtea de Argeş Cathedral[monastery] : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Curtea_de_Arge%C5%9F_Cathedral
ウィキペディア・フリー百科事典(Curtea de Argeş : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Curtea_de_Arge%C5%9F
ウィキペディア・フリー百科事典(クルテア・デ・アルジェシュ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%83%A5
ウィキペディア・フリー百科事典(Wallachia : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Wallachia
ウィキペディア・フリー百科事典(ワラキア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%82%A2

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July 11, 2009

ブカレストからミュンヘン、フランクフルト経由で関空へ

ブルガリア・ルーマニアの旅(第27回)

本日は旅行の最終日。と言っても、観光は無い。ただひたすら、日本に向かって進むのみ。無事に帰れることを願うだけである。

第9日目[6月4日(水)~5日(木)](晴れ時々曇り)

午前3:30 起床
午前4:30 バスで空港に向かう
午前4:45 アンリ・コアンダ国際空港に到着
午前5:30 チェックイン手続き済ます
午前6:30 ルフトハンザ・ドイツ航空(LH-3425便)・ミュンヘン行きに搭乗
午前6:55 離陸
午前7:25~7:40 軽食
午前9:03(ミュンヘン時間・午前8:03、以下ミュンヘン時間)ミュンヘン空港に着陸
午前8:50~10:45 ビジネスクラス・ラウンジで過ごす
午前11:10 搭乗ゲートG30の前で待つ
午前11:45 ルフトハンザ・ドイツ航空(LH-971便)・フランクフルト行きに搭乗
午後12:00 離陸
午後12:54 フランクフルト空港に着陸
午後2:00 ルフトハンザ・ドイツ航空(LH-740便)・関空国際空港行きに搭乗
午後2:30 離陸
午後4:00~5:10 昼食
その後、しばらくして寝る
(6月5日)
午前7:50(日本時間・以下同じ) 目覚める
午前8:35 関西国際空港に着陸

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午前6:30の飛行機に乗るため、午前3:30にモーニングコールが鳴る。荷物の整理などは既に済ませているので、昨晩もらったランチボックスを朝食として頂くだけ。身支度を終え、午前4:30、バスでホテルを出発した(写真左)。早朝なので渋滞もなく、僅か15分ほどで空港に到着(写真中左)。手荷物だけなので、一番にバスを降り、一番にチェックインをすませ、他のメンバーの手続きが終わるのを待つ。午前5:30、全員の手続きが終わり、セキュリティ・チェックを通り、搭乗ゲート「3」前で待つ(写真中右)。午前6:30、搭乗開始。この路線はビジネスクラスではなかったので、座席は少々狭い。しかし、3列の真ん中が空席だったおかげで、気分的にはユッタリできた。午前7:30前頃、朝食が出る(写真右)。午前9:03(ミュンヘン時間・午前8:03、以下ミュンヘン時間)、ミュンヘン空港に到着。約1時間半の飛行である。

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次に乗るのは、午前11:45、ルフトハンザ・ドイツ航空(LH-971便)・フランクフルト行き。かなり時間があったので、ビジネスクラスのラウンジで過ごす(写真)。ヨーロッパの乗り継ぎ空港のラウンジは混雑していることが多いのだが、ここは空いていた。ハブ空港ではないからだろうか。約2時間ここで過ごし、フランクフルト行きに塔乗。フランクフルトには、約1時間で到着した。空港で待っている時間の方が長いのが少々不満だが、仕方がない。

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買い物などをして過ごし、午後2:00、ルフトハンザ・ドイツ航空(LH-740便)・関空国際空港行きに搭乗(写真左・中左)。そして午後2:30、離陸だ。午後4:00頃、昼食が出された。メニュー(和食を選択)は次の通り。(写真中右・右・下)
・前菜(鮭寿司、鰻寿司、厚焼き玉子、緑貝のマヨネーズ風味、生姜、野菜豆腐、もち米ご飯)
・付き出し(胡瓜と蛸のマリネ、海藻サラダ)
・おしのぎ(うどん)
・台の物(シーフードの取り合わせ、和風野菜、御飯)
・香の物
・とめ椀(お吸い物)
・デザート(ウッドラフゼリー、いちごとライムのコンポーネント)

食後しばらくして、眠り始める。最近はこのまま関空到着まで寝ることが多い。今回も同じであった。朝食も食べず、座席を元に戻さなければならない時間まで、グッスリと眠った。旅行に出掛ける時は、遠足に行く前の晩の幼稚園児のように興奮しているため、ガイドブックを読んだり、アテンダントを捕まえて話をしたりしているが、帰りは全く反対だ。歩き回った疲れと、時差ボケ、そして無事に旅を終えた安心感・満足感が重なり、とにかく寝ている。

翌日6月5日午前7:50頃(日本時間・以下同じ) 目覚め、大急ぎで洗面を済ませ、午前8:35、 関西国際空港に到着。飛行機を降りた後、今回も関空の中にあるお店で、好物の「とんかつ」を頂いた。ホッと一息。無事日本に帰って来ることが出来たことに感謝。今回も本当に楽しい旅であった。添乗員さん、現地のガイドさん、その他色々サポートして下さった皆さん、有難う。

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July 10, 2009

ブカレストの百貨店

ブルガリア・ルーマニアの旅(第26回)

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昼食を頂いたシナイアのレストランでトイレ休憩を取り、午後3:02、バスでブカレストに向け出発。午後3:45頃、道路で営業している蜂蜜売りの屋台の前で10分ほど止まり、皆さん買い物をする。瓶やペットボトルに詰めただけで、ラベルなどは貼られていない(写真左)。養蜂業の方が直に瓶詰めしたのであろう。それだけに、新鮮そのものか。蜂蜜の買い物を終え、さらにバスで20分ほど走ると、来る時にも立ち寄ったカルフールに到着。ここで約15分、トイレ休憩をとる。その後はホテルまで一直線だ。午後6:10頃、「アンリ・コアンダ国際空港」(写真中左)の横を過ぎる。暫くすると、「凱旋門」(写真中右)だ。そして「農民博物館」(写真右)、「国立自然史博物館」(写真下左)と続く。「勝利広場」からヴィクトリア通りを南に進み、「革命広場」を抜け、「クレツレスク教会」(写真下中左)の前に出る。この辺りから、少し渋滞する。窓の外を見ていると、面白い情景が目に飛び込んできた。いわゆる「レツカー移動」である。日本と異なり、こちらでは4本のロープをかけて、完全に持ち上げてトラックに載せてしまうのである(写真下中右・下右)。車に傷が付くことはないのだろうか。ヨーロッパの人は、車の傷に対しては日本人ほどうるさくないので、大丈夫なのかもしれない。

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その後、「軍人クラブ」(写真左)や「大学広場」(写真中左)の前を通り、午後6:30、3日前に宿泊したのと同じ「インターコンチネンタル・ホテル」に到着した。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いて、すぐに出かけることにした。最後のブカレスト観光がしたかったので、夕食を放棄し、単独行動することにした。午後6:45~8:20までの約1時間半、 ブカレスト市街散策である。ホテルを出て最初に向かったのは、「ヴィクトリア百貨店」(写真中右・右)である。4階建ての瀟洒な建物。地元では有名百貨店だ。最初に4Fまで上がり、階段で下りるようにするため、エレベーターに乗る。エレベーターの扉は自分の手で締めなければならない。エレベーターガールならぬ、エレベーターおばちゃんが乗っていたので、行きたいフロアを言うだけで済んだのは幸いであった。4Fはスポーツ用品、おもちゃ、子供服など、3Fは婦人物、2Fは紳士物、1Fは化粧品、貴金属、みやげ物等が売られている。こちらも他のヨーロッパ諸国の百貨店同様、日本の百貨店とはかなり異なる。イメージとしては、大阪・本町の問屋街のお店が集まったような雰囲気だ。

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次は、「ヴィクトリア百貨店」の東向にある「ロマルティザナ」(写真左)である。「ハンドメイドのテーブルクロスやブラウス、イコンのレプリカなど、ルーマニアの代表的なみやげ品がひととおり揃う」(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)お店との事だったので訪ねたのだが、午後6:00で閉店だった。残念。仕方ないので、「ルーマニア中央銀行」(写真中左)の前を通り、「ルーマニア・ラプソディ劇場前」(写真中右)からバルチェスク通りに抜けた。この間の道路は工事中のため、足場も景観も悪い(写真右)。

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バルチェスク通りに出てからは南に進み、「統一広場」の東側にある「ウニリャ百貨店」(写真左・中左)に向かった。建物の入り口付近に、マクドナルド(写真中右)があった。これで夕食の心配はなくなった。建物の中に入ると、かなり広い。「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」によると、「統一広場に面した、ブカレストを代表する百貨店。1999年に民営化し、みやげ物から日用品まで、何でも揃う」との事。しかし、百貨店というよりも、ショッピングセンターと行った方が良いような感じである。「DIVERTA」(写真右)という本屋があったので、自分の興味に会う本が無いか15分ほど見て廻るが、残念ながら欲しい書籍は無かった。迷子になりそうなほど広いスペースであったうえ、少々疲れてきたので、マクドナルドで夕食用のハンバーガーを買い、ホテルに戻ることにした。

ウィキペディア・フリー百科事典(ウニリャ百貨店 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Unirea_Shopping_Center
ウニリャ百貨店
http://www.unireashop.ro


バルチェスク通りを北に700~800mほど歩き、午後8:20頃ホテルに到着した。すると、ロビーで添乗員と出会った。皆さん食事が終わったところで、これからランチボックスを、私の部屋に届けようとしていたところだったとの事。明日の出発が午前4:30で、まだレストランが開いていないことから、朝食用にランチボックスが配られたのだ。部屋で夕食(ハンバーガー)を頂き、ついでにランチボックスのフルーツも食べる。食後、資料整理、入浴を済ませ、午後10:30にベッドに入った。

(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]

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July 09, 2009

「シナイア僧院」と夏の離宮「ペレシュ城」

ブルガリア・ルーマニアの旅(第25回)

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「ブラン城」を出てバスで約1時間、「シナイア僧院」(写真)に到着した。「ブラショフ」から南へ約70~75kmに位置する。「シナイアという名前は、中世のルーマニア貴族のミハイ・カンタクジーがつけた。彼は1695年にイスラエルへ巡礼の旅に出かけた。その時に聖書に登場するシナイ山に参詣し、帰国とともにシナイア修道院を建てた。修道院の名はやがて、町の名前として定着していった。その後、カロル一世(1866~1914)がこの地に夏の離宮を建て、シナイアはたちまち高級リゾートへの道を駆け登ることとなった」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)。このため、「宮殿風の小さな館がところどころに建ち並び、ルーマニアのほかの都市にはない町並みが見られる。貴族が建てた館は現在、宿泊客用のヴィラとして使われている。「カルパチアの真珠」の愛称をもち、ブカレストからも近いので夏は避暑地、冬はスキーリゾートとしてたくさんの観光客を引きつける」(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)。

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門を入ると、正面に赤と白の縞模様の鐘楼をもつ建物が見える(写真左)。19世紀半ばにドイツから招かれ、ルーマニア王国の最初の皇帝になったカロル一世が建てた教会だ。ミハイ・カンタクジノが建てた古い修道院は、新教会の正面、白い壁に囲まれた中にある(写真中左)。「17世紀末にカンタクジノを継いだブルンコヴェアヌ公がポーチを増築した以外、当時のまま保存されている」(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)との事。ちなみに、入口手前に屋根が付けられているのは、かつて女性がミサのために院内に入れなかったため、女性のために造られたものらしい。修道院の入口や院内の低い天井に描かれたフレスコ画は素晴らしい(写真中右・右)。正面のイコノスタシス(写真下左)、王門の左右には「キリスト」と「マリア」のイコンが飾られているが、ここではイコンの上に銀がかぶせられている点、これまでに見てきたものとは異なる。ロシアでは良く見られるスタイルではなかったであろうか。なお、王門の上に「最後の晩餐」は掲げられていない。その他、ドームや天井、壁に描かれたフレスコ画も美しい(写真下中左・下中右・下右)。

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新教会の入り口を見ると、扉の上にフレスコ画が描かれている(写真左)。中に入ると、正面には立派な黄金のイコノスタシスがある(写真中左)。ブルガリアで良く見たのと同じ、典型的な正教スタイルだ。こちらも古い修道院と同じく、王門の左右には銀をかぶせられた「キリスト」と「マリア」のイコンが飾られている。そして王門の上には、「最後の晩餐」のイコンが置かれていた(写真中右)。その他、ドームや天井、壁に描かれたフレスコ画は、多くの金が使われた豪華なものである(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(シナイア僧院 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Sinaia_Monastery


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午後12:15バスに集合。わずか3分で下車。そこから徒歩で4~5分。レストラン「エコノマット」で昼食を取る。外観は、ドイツの木組みの家の雰囲気を持つ建物。手前の庭も美しい(写真左)。レストラン内部は改装されて新しいのであろう。今風で明るく、清潔な感じだ(写真中左)。昼食のメニューは次の通り。
・「野菜スープ」(写真中右)
・「ポーク&フライドポテト」(写真右)
・「フルーツポンチ」(写真下)


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約1時間で食事を終え、この旅最後の観光となる「ペレシュ城」を訪ねた。レストランから徒歩で10分ほどの所にある。途中、レストランと同じような建物が並び美しい景観(写真左)。ルーマニアのほかの都市にはない町並み、「カルパチアの真珠」と言われるだけのことはある。斜面を上ると、ルーマニアで最も壮麗な城と称えられる「ペレシュ城」が現れた(写真中左・中右・右)。ルーマニアで最も長く王位に就いていた「カロル一世」が、ルーマニア王室の夏の離宮として建てた城で、1875年に着工、39年後の1914年に完成した。敷地面積は3,500㎡、ルネツサンス、バロック、ロココの各様式を取り入れたドイツ・ルネツサンス様式。建設総額は、およそ1,600万金ルーマニアレイ(現在の110~120億円程度)と言われている。ガイドの話では、すべて王の自己財産を投じて建てたと言っていたが、「旅名人ブックス ルーマニア」には「こうした王の奢侈の陰で、一般大衆は困窮をつのらせていた。その最も際立った例が、1907年に起きた、ワラキアとモルドヴァの農民による大蜂起であった。権力の遺産には、いつも民衆の涙と怒りが染み込んでいる」と書かれている。一般大衆から巻き上げて蓄えた財産を投じたのだろうか。ちなみに、城の前に立つ軍服の銅像が「カロル一世」である。

城の中には、王の執務室や会議室、レセプションホール、図書室など、160以上の部屋があり、そして各部屋には、超一流の絵画や彫刻などの美術品、陶磁器、金銀、宝飾品、中世の武器などが飾られている。これらの中から、印象に残った5点をご紹介する。

① 「玄関ホール」(写真)
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城の中央にある玄関ホール。3フロア吹き抜けで、天井部分はステンドグラスになっているため、照明なしでも明るい。壁や欄干はすべてドイツ産の樫の木で出来ており、デザインはすべて手彫り。素晴らしい装飾と、その美しさに圧倒される。

② 「武器の部屋」(写真)
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ドイツ・ネオ・ルネツサンス様式の部屋。壁下半分の部分は、こちらもドイツ産の樫の木出てきている。この部屋には、カロル一世の集めた甲冑や槍、刀剣などの武器4,000点以上展示されており、東ヨーロッパ一のコレクションと言われている。

③ 「カロル一世の書斎」(写真)
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ステンドグラスで飾られた窓のそばには、ドッシリとしたライティング・デスク。棚には陶磁器が並べられ、壁には「カロル一世」と「王妃エリザベータと娘」の肖像画がかけられている。

④ 「図書室」(写真)
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かつてここには一万冊以上の本が置かれていた。現在は、大半がブカレストの歴史博物館に保管されているとの事。本棚の下にある秘密のボタンを押すと、隠し扉が開く構造になっている。寝室に通じているという。秘密の通路というよりは、読書したあと眠くなった時に、直接寝室に行けるようにするため造られたものらしい。

⑤ 「オールド・ミュージック・ホール」(写真)
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かつての音楽室。オルガンやハープが見られる。王妃エリザベータの希望により、1905年から執筆室として使われるようになった。窓の美しいステンドグラスは、ルーマニア地方に伝わる妖精のお話しをテーマにしたもの。

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これら以外にも、イタリア・ネオ・ルネツサンス様式の「フィレンツェの間」(写真左)や、「劇場」(写真中左)、「リビングルーム」(写真中右)、「トルコの部屋」(写真右)など、素晴らしい部屋がいくつも続く。40分ほどの時間しかなかったので、ジックリ見ることが出来なかったのは残念であった。

午後2:20、城を出てバスの待っている駐車場に向かう。昼食を頂いたレストランでトイレ休憩を取り、午後3:02、バスでブカレストに向かった。

ペレシュ城(英語版)
http://www.peles.ro/
ウィキペディア・フリー百科事典(ペレシュ城)
http://en.wikipedia.org/wiki/Pele%C5%9F_Castle
シナイア情報(英語版)
http://www.montania.ro/en_Sinaia_info.htm


(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「Peles(英語版)」(Mihai Ion Pascu編 )[DEC刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]

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July 08, 2009

地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(長野県、新潟県)の引換について

地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(長野県、新潟県)の引換について

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平成21年6月15日に財務省から発表されたのでご存知のことと思うが、7月15日(水)に「地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(長野県、新潟県)」(写真左 : 長野県 ・ 写真右 : 新潟県 / 財務省のHPより)の引換えが始まる。引換取扱機関については、銀行(信託銀行、ゆうちょ銀行など)、信用金庫、信用組合、労働金庫、農業協同組合など多岐にわたるが、地域によっては取り扱いしない金融機関もあるので注意が必要だ。

各引換取扱機関の引換枚数及び引換開始時刻については、各店舗の店頭に、本日7月8日(水)から掲示される予定なので、確認しておく方が良いであろう。

財務省のHP(引換取扱機関)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk210615itiran.htm
財務省のHP(地方自治法施行60周年記念5百円バイカラー・クラッド貨幣(長野県、新潟県)の概要)
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/kk210615sankou.htm
造幣局のHP
http://www.mint.go.jp/topics/new/page56.html
当ブログ関連(地方自治法施行60周年記念貨幣・長野県と新潟県の図柄決定)
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2008/12/60-b964.html

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「吸血鬼ドラキュラ」ゆかりのブラン城

ブルガリア・ルーマニアの旅(第24回)

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「ブラン城」(写真)は「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなった城で、ブラショフから南西約30kmに位置する。この場所が、トランシルヴァニアとワラキアを結ぶ山道に面していたことから、オスマン・トルコ軍の攻撃を阻止するために建てられた。この城を建てたのは、ドラキュラ伯爵のモデルになったヴラド・ツェペシュ(ワラキア公ヴラド三世 : 串刺し公)ではなく、トランシルヴァニアのザクセン商人達で、1377年に完成したと言われている。14世紀末、ヴラド・ツェペシュの祖父にあたるワラキア公ヴラド一世がここを居城にしたことはあるようだが、ヴラド・ツェペシュ本人は住んだこともなく、この城と係わりは無いとの事。では何故、この城が「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルになったのであろうか。世界的に有名な小説「吸血鬼ドラキュラ」の作者であるアイルランド人のブラム・ストーカーがこの城を訪ねた際、雲っていたこともあり、非常に不気味に見えたため、この城をモデルにしたからだという。

ブラム・ストーカーにとって不気味に見えたお城だが、1920年、ブラショフ市の評議会は、ルーマニア国王フェルディナンド1世の王妃マリアに、1918年12月1日の大ルーマニア統一の実現への彼女の貢献に対する感謝のしるしとして、ブラン城を寄進したことから、以後1947年に手放すまで、王室の夏の離宮になった。王家の国外追放の後、共産主義政権によってルーマニアの国の財産に組み入れられ、一部を歴史と領主の美術品の博物館として公開していたが、1989年、共産主義政権が倒れたため、王家の遺産相続人の請求もあり、2006年、城は王家に返還された。その際所有者たちは、3年の間、博物館としての用途を変更できないという義務を負っていたが、今年その期限が切れるため、返還の問題が生じているという(※ asahi.comご参照)。現在、買い上げに関する優先権を持つ政府が買い取る方向で検討されているようだ。ちなみに、我々がこれから見学する城内では、ルーマニアの伝統的な家具およびタペストリーなどの装飾品を見ることが出来るが、返還問題の解決が見えていなかったため、2週間前まで、城内には何も展示されていなかったとの事。

(※)
2009年5月22日付・asahi.com(朝日新聞)(ドラキュラ城を「中世の学校」に 持ち主「印象変える」)
http://www.asahi.com/international/update/0522/TKY200905210385.html
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『ウィーン=玉川透】「吸血鬼ドラキュラの城」で世界的に知られるルーマニア・トランシルバニア地方のブラン城が6月から、中世の世界を体験できる「学校」に生まれ変わる。今月、城の管理権を政府から取り戻した持ち主側に「ドラキュラ色をぬぐい去りたい」との意向が強く、イメージが変わりそうだ。ブラン城は14世紀の建築とされ、ドラキュラ伝説のモデルとなったブラド公ゆかりの城として一躍有名になった。第2次大戦後、城は共産党政権に没収されたが、06年5月にかつての持ち主である元王家の子孫に返還。だが、すでに年間40万人を超える観光名所となっていることもあり、返還後も3年間は政府管理下で一般公開されてきた。現地からの報道によると、城の管理権は今月18日をもって完全に持ち主側に移行。持ち主の弁護士によると、今後は「中世の学校」と銘打って、訪れた子供たちが中世の歴史やイコン(聖像画)などの文化を学び、アーチェリーやフェンシングなど中世の武術を体験できる特別プログラムを開く計画という。 一方、ドラキュラについて持ち主側は「一切関係ない」と冷ややか。弁護士も「今後はドラキュラと城を結びつけた宣伝行為はなくなるだろう」と話しているという。』(写真 : [「吸血鬼ドラキュラの城」として知られるルーマニアのブラン城=ロイター]より)

現地ガイドによると、この記事は正しくないのではないかとの事であったが、真偽のほどは?


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前置きが長くなってしまったが、午前9:30前に城につながる道に設けられたゲートの前に到着。予約時間が午前9:30だったので、しばらく門の外で待つ(写真左)。周囲には、ドラキュラのお面など、ドラキュラに関するおみやげ物が数多く売られている(写真中左)。近くには小さなショッピング・モールがあり、おみやげ物店やホラーハウスなどが並ぶ(写真中右)。我々よりも予約時間の早い客で混雑したため、少し遅れて、午前9:45、ゲートの内に入った。緑に囲まれた坂道を150mほど上ると「ブラン城」(写真右)だ。

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さらに階段を上り(写真左)、城内に入る。城主の執務室(写真中左)、リビングルーム(写真中右)、ベッドルーム(写真右)と続く。面白いのは、秘密の階段(写真中段左)。 ここを上ると、音楽堂に出る(写真中段中左)。ピアノに書棚、暖炉、床には熊の皮が敷かれている。バルコニーに出ると、中庭を一望できる(写真中段中右・中段右)。その後もリビングルームやベッドルームなど、数多くの部屋が続く(下段左・下段中左・下段中右)。回廊を渡り、中庭に降りる。ここにある古井戸は、大理石で囲まれている(写真下段右)。

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一通り見て廻った後、30分ほど自由時間になったので、私は城の門の入り口脇にある「野外村落博物館」(写真)に向かった。ここには、ブラン地方の古い民家などが集められていた。午前10:45、に門の前で集合し、午前10:50、次の目的地である「シナイアの僧院」へ向かった。


(参考HP)
ウィキペディア・フリー百科事典(ブラン城)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%9F%8E
ウィキペディア・フリー百科事典(吸血鬼ドラキュラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9
ブラン城ミュージアム(英語版)
http://brancastlemuseum.ro/indexfrm_en.htm
ブラン城(英語版)
http://www.draculascastle.com

(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「Castle Bran(英語版)」(IOAN PRAOVEANU著)[C2 Design House Publishing刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]


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July 07, 2009

ロープストリートとカテリーナ門

ブルガリア・ルーマニアの旅(第23回)

第8日目[6月3日(水)](雨・曇り・晴れ)

午前6:30 起床
午前7:00~7:30 朝食
午前7:30~8:15 市街散策
午前8:15~8:25 部屋で準備
午前8:30 バスで出発
午前9:30~10:45 ブラン城観光
午前10:50 バスで出発
午前11:50~12:10 シナイア僧院観光
午後12:15 バスで出発
午後12:22~1:15 レストラン「Economat」で昼食
午後1:35~2:20 ペレシュ城観光
午後2:20 バス乗車(トイレから戻るのを待つ)
午後3:02 バス出発
午後3:45~3:55 道路で営業している蜂蜜売りの露天で止まり買い物
午後4:15~4:30 カルフールでトイレ休憩
午後6:30 インターコンチネンタル・ホテル着
午後6:45~8:20 ブカレスト市街散策
(ホテル→ヴィクトリア百貨店→ロマルティザナ前→ルーマニア中央銀行前→ルーマニア・ラプソディ劇場前→ウニリャ百貨店→マクドナルド→国立劇場前→ホテル
午後8:20~10:30 部屋で夕食(ハンバーガー)、資料整理、入浴
午後10:30就寝

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モーニングコールが鳴る前の午前6:30に目覚め、午前7:00、ホテルのレストランで朝食を頂く(写真左・中左)。食後、小雨が降っているなか、ブラショフの街に出かける。地図に記された観光ポイントのうち、まだ行っていない場所を訪ねるためである。最初に訪れたのは、街の中心部、「スファルトゥルイ広場」にあるレストランだ。昨晩、夕食を頂いたお店だが、夜で暗く、雨が激しく降っていたこともあり、レストランの外観がよくわからなかったので、どのようなお店であったのかを確認するため、再度訪ねたのである(写真中右・右・下左・下中左)。ショーウインドには、料理のメニューや踊りについて、写真が貼られていた(写真下中右・下右)。

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次に訪れたのは「ロープストリート」(写真)だ。広場から南西へ約200m、「Poarta Schei通り」と「Cerbului通り」をつなぐ細い道で、13世紀の初めに造られた。幅はわずか1.32mしかないので、同時に両方の壁に触れながら歩ける。東ヨーロッパで最も細い道との事。ちなみに、長さは83mもある。

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続いて、「ロープストリート」にすぐ南西に位置する「シナゴーグ」(写真)である。19世紀の終わり頃、ブラショフには1,200人程のユダヤ人が住んでいた。その中の一人、オーストリア系の建築家「Leopold Baumhorn」の手により、1899年に着工され、1901年に完成したのがこの建物である。ネオローマン・ムーリッシュ様式をとる。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(ブラショフの教会 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/other-church.php


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「シナゴーグ」から南西に50mほど歩くと、一昨日通った「スケイ門」(写真左・中左)の前に出る。そして「スケイ門」のすぐ北にあるのが「カテリーナ門」(写真中右・右・下段)である。「カテリーナ」の名前は、かつて近くに女子修道院があったことに由来する。この門は、1559年、当地の行政官「Johannes Beckner」によって造られた。三層構造になっており、最上部の四隅に見える小さな塔は、教会の尖塔を思い出させる。アーチの上には「ブラショフの紋章」(写真下右)がはめ込まれている。中世の頃は、「スケイ地区」とつなぐメインゲートであり、城門は要塞的な機能も果たしていたとの事。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(エカテリーナ門とスケイ門 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/gates.php


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この辺りで午前8:00を過ぎていたので、ホテルに戻ることにした。あと2~3か所行きたい所があったのだが、残念である。「黒の教会」(写真左)、「スファルトゥルイ広場」(写真右)を通り、午前8:15頃、ホテルに到着。部屋で準備を整え、午後8:30、バスで「ブラン城」観光に出発した。


(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]

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July 06, 2009

世界遺産・ビエルタンの要塞教会

ブルガリア・ルーマニアの旅(第22回)

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午後1:20、バスでシギショアラを出発。ホップ畑の続く中、一直線の道路を走り抜ける。「ビエルタン」は、シギショアラから南西約27kmに位置する。30分ほどで到着。午後1:52、バスから降りて、入場口のある建物に入る(写真左)。階段を上り(写真中左)、踊り場に出た後さらに階段は続く(写真中右左)。こちらの階段は、シギショアラの「山上教会」に行くために昇った階段と同じで、屋根付きの木製である。階段が何段あったのかは、数えるのを忘れていたので分からないが、「山上教会」ほどではない。階段を上り表に出ると、正面に「要塞教会」(写真右)が現れた。

ここで「要塞教会」についての概要を知るため、現地で入手した「ビエルタン要塞教会(日本語版)」の解説文を引用する。「ビエルダンという町は、1283年の文書にその名がはじめて出ており、ザクセン人のトランシルバニアにおける最古の集落です。要塞の中の教会は、さらに昔からあったカトリック教会の場所に建てられました。最初はカトリック教会として使われたが、十六世紀初頭の宗教改革以降エヴァンゼル教会になりました。壮大なゴシック様式の建物ですが、説教台、北の門、財宝の置場などにルネッサンスやバロックの要素も見られます。この教会はトランシルバニアにおけるザクセン人の最大の教会のひとつで、1993年からUNESCO世界遺産に登録されています」。

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この「要塞教会」(写真左・中左)は、オスマン・トルコの侵略を防ぐため、三重の巨大な厚い壁に守られている。この地域に要塞教会は幾つもあるが、他で三重のものは無いようだ。教会内に入ると、正面に素晴らしい祭壇がある(写真中右)。この祭壇はトランシルバニアで最大級のもの。1483年~1513年の間に、ニユルンベルグやウィーンの師匠達によって制作され、28枚の絵が掲げられている。三部から成る開閉式で、閉じたままでは10枚、完全に開いた状態で18枚の絵を見る事が出来る。我々が訪れた時は祭壇が開かれていたので、中央に置かれたイエスの磔の彫像(写真右)と18枚の絵が見える。最上段中央(写真下左)には、十二使徒とキリストの磔の絵が、また祭壇左扉には「聖母マリアの出産」や「聖母マリアとジョセフの婚約」の絵(写真下中左)などが見られる。祭壇右扉には「受胎告知」や「イエスの生誕」など(写真下中右)、また最下段では「聖母マリアの家族」など(写真下右)の絵が描かれている。

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祭壇に向かって左手には、「財宝蔵」(写真左)がある。1515年に造られたもので、樫の木製の頑丈な扉(写真中左)が付けられ、表側には美しい彫り込みのデザインがなされている。注目すべきは、19種類のロック装置。うち4種類は鍵で動かし、残り15種類はレバーで動かすようになっているという(写真中右・右)。

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「財宝蔵」の手前、祭壇に向かった両側には、聖職者の座席がある。菩提樹の木に象牙などを嵌めこんで造られた、非常に美しいもの。祭壇に向かって右側に司教、神父などが、そして左側に他の聖職者が座る決まりになっていたとの事(写真左 : 祭壇に向かって右側)。教会の中央にある「説教台」も素晴らしい(写真中)。1523年に、ブラショフのユルリッヒ師匠により、一塊の石から彫られたもので、ルネッサンスの影響を受けたゴシック様式。説教台のカバーは、1754年に造られた。木造のバロック様式。教会西側のパイプオルガン(写真右)は、1869年、ウィーンのカール・ヘッセによって制作されたもので、350本のパイプを持つ。数回修復され、現在も良好な状態を保っているようだ。

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教会の建物を出て、公開されている一つの塔を覗くと、男女の人形が置かれていた。ここは「家族用監禁所」である(写真)。離婚希望のカップルが閉じ込められる部屋だ。ここにはベッド、テーブル、椅子、スプーンなどがそれぞれ一つしか無いため、カップルの二人はすべてを共有しなければならず、離婚を止めるまでこの部屋から出られなかったという。

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最後に、堡塁からビエルダンの村を眺めた。赤い屋根の集落と緑の丘陵は、中世の村がそのまま目の前に広がっているようで、非常に素晴らしい(写真)。

ウィキペディア・フリー百科事典(ビエルタン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3
ウィキペディア・フリー百科事典(ビエルタン : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Biertan
ビエルタン案内(英語版)
http://www.biertan.ro/


約1時間の見学を終え、午後2:45ブラショフに戻るためバスで出発した。午後4:10~4:32、来た時と同じガソリンスタンドで トイレ休憩を取り、午後5:45、ブラショフのホテルに到着した。一旦部屋に戻り、入浴と資料整理を済ませ、午後6:55、市街散策に出かける。本日の夕食は午後8:00から。時間は十分にあったので、昨日、スファルトゥルイ広場にあるインフォメーションセンターでもらった地図に書かれている観光ポイントのうち、まだ廻っていない場所と、ブラショフ最大のデパート「スター百貨店」を訪ねることにした。

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最初に訪れたのは「スター百貨店」(写真)。全部で4フロアあったので、最上階から順に各フロアを廻りながら下りてきた。ここも、他のヨーロッパの国々の百貨店と同じような雰囲気。日本の百貨店とは大きく異なり、どちらかと言えば単独で建つ(複合型ではない)大型スーパーと言った感じである。4Fはスポーツ用品、おもちゃ、雑貨、書籍など、3Fは紳士物で、2Fが婦人物、1Fは文具、書籍、宝石・貴金属などの売り場だ。ここでの買い物は、書籍売り場で購入した「ルーマニア語―英語」の辞書1冊。普段使うことはないが、例えばこのブログを書く時に、ルーマニア語の資料しかなかった場合などに役立つのだ。

スター百貨店
http://www.tourist-informator.info/en/tourist-information/brasov/services-shopping-magazinul_universal_star-197-brasov/presentation/


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「スター百貨店」を出ると、小雨が降り始めた。傘を持っていたので、そのまま「Nicolae Balcescu通り」を、南西方向に向かって歩きはじめた。石畳の道が一直線に続く。道の中央には、屋外カフェのテーブルと椅子が並び、洒落た雰囲気だ(写真左・中左)。500mほど歩いたところで右折し、50mほど北に進むと、スファルトゥルイ広場に出た。インフォメーションセンターでもらった地図に書かれている観光ポイントの中で、まだ行っていないポイントにも行こうと思っていたのだが、百貨店で予想外に時間を使ってしまった。出発時間が近づいていたので、「聖母被昇天教会」(写真中右)と「CASA MURESENILOR 博物館」(写真右)で写真を撮り、ホテルへ戻ることにした。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(聖母被昇天教会 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/other-church.php
CASA MURESENILOR 博物館(英語版)
http://www.museum.com/ja/museum/id=15063&show=1
http://www.muzeulmuresenilor.ro/mureseni_eng/index.html


午後7:50 、一旦部屋へ戻り、午後8:00、ロビーに集合。当初、レストランまで歩いて行く予定であったが、雷を伴う強い雨になったため、バスで行くことになった。徒歩で2~3分と場所に行くのに、バスだと一方通行等の規制があるため、約10分後の午後8:10 頃レストランに到着した。しかし、バスはレストランの前に泊まれないため、バスを降りてからレストランまでの100~150mを濡れながら歩かなければならなかった。レストランの名前は「CERBUL CARPATIN」。我々が宿泊しているホテル「アロー・パレス」の系列レストランだ。

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最初に通されたのは、レストランの地下にあるワインセラー。ワインの入った樽が寝かされている通路を抜け(写真左)、軽食の用意された部屋に出る。ここで音楽と踊りを楽しみながら、ワインのテイスティングである(写真中左・中右・右)。ワインは、赤2種類と白2種類。ここで30分ほど楽しんだ後、1Fのレストランに移動。ここでも、音楽と踊りを楽しみながら食事をとる。数多くの音楽と踊りが披露されたが、どれが何の踊りなのかということについては、サッパリわからない。写真だけはたくさん撮って来たので、ご紹介する(写真中段・下段)。

午後8:50~10:30までの約1時間半、夕食を楽しみ、バスでホテルに戻る。午後10:45、ホテルに到着。風呂で汗を流して、午後11:15ベッドに入る。

ホテル・アロー・パレス系列レストラン「Cerbul Carpatin」
http://www.aro-palace.ro/restaurante_cerbul_carpatin_en.htm


(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ビエルタン要塞教会(日本語版)」(S.C.DABI GRUP SRL Medias jud.Sibiu編)
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]


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July 05, 2009

世界遺産・シギショアラ観光

ブルガリア・ルーマニアの旅(第21回)

第7日目[6月2日(火)](晴時々曇り・夜雷雨)

午前7:00 起床
午前7:10~7:50 朝食
午前8:00~8:20 部屋で観光の準備
午前8:30 バスで出発
午前9:30~9:55 ガソリンスタンドでトイレ休憩
午前10:50 シギショアラ旧市街の駐車場でバス下車
午前10:57 時計塔の前に到着
午前11:00~11:55 自由行動
(山上教会→時計塔→インフオメーションセンター)
午後12:00~12:45 「カサ・ヴラド・ドラクル」で昼食
午後12:45~1:15 自由行動
(修道院付き教会→ヴラド・ツェペシュの胸像→「市民ホール」→「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」→「ギルドタワー(靴屋の塔)」)
午後1:20 バスで出発
午後1:35 バス下車
午後2:05~2:45 ビエルダンの要塞教会に入場観光
午後2:45 バス出発
午後4:10~4:32 トイレ休憩
午後5:45 ブラショフのホテルに到着
午後5:50~6:55 入浴・資料整理
午後6:55~7:50 市街散策(スター百貨店ほか)
午後7:50 ホテルの部屋へ
午後8:00 ロビーに集合
午後8:10 バスでレストランへ
午後8:20~8:50 レストラン「CERBUL CARPATIN」のワインセラーでテイスティング
午後8:50~10:30 同じレストランで夕食
午後10:45 ホテル着
午後11:15ベッドに入る。

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これから行く「シギショアラ」は、ブラショフから北西に約120kmの所にある、トランシルヴアニア地方のほぼ中央に位置する街である。町の歴史は古く、ローマ軍が進駐した記録も残っているようだが、1191年にハンガリーのクラウス王の命で、ザクセン人が入植したのが始まりとされている。手仕事と交易を基幹とする町づくりを行い、15~16世紀の最盛期には15~16ものギルド(職人組合)を持つ城塞都市であったという。現在は、中世の面影を色濃く残す町として、また、ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュの生誕の町として、観光客でにぎわっている。ちなみに、シギショアラはビールの名産地でもある。道路の左右に、多くのホップの畑(写真)が見られたのも頷ける。

ウィキペディア・フリー百科事典(シギショアラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%A9
ウィキペディア・フリー百科事典(シギショアラ歴史地区)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA
シギショアラ市街公式マップ(英語版)
http://www.romaniatourism.com/maps/sighisoara-map.html


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午前10:50、バスはシギショアラの街の城壁の外、南西側の駐車場に停車した。ここから城壁内まで、歩いて行く。なだらかな坂道を歩くこと7~8分、西側のギルドタワー(鋳掛屋の塔 : 写真左)をくぐり、時計塔の見える広場に着いた(写真中左)。ここで解散し、午前11:55まで自由時間となった。まず、最初に訪ねたのは、街の南端にある「山上教会」である。屋根のある木造階段を上る(写真中右・右)。175段あるので、駆けのぼると少々息が切れる。山上に出ると、シギショアラで最初に造られたドイツ語学校の校舎がある。その前を通り過ぎ、十数段の階段を上ると教会だ。

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「山上教会」(写真左・中左)と呼ばれるだけのことはあり、429mの高さ位置する。聖ニコラスに献堂するため、1345年~1525年までの180年かけて造られたルーテル派の教会で、後期ゴシック様式の建物。かつてこの場所にはロマネスク様式の礼拝堂が建っていたようで、その一部として地下聖堂が残されている(写真中右・右)。1992年と2002年の二度にわたり、修復工事が行われた。堂内には数多くの壁画が残されている(写真下段)が、周辺の村々にある教会から集められたルーテル派の壁画もここに保管されているらしい(※)。

(※)かつてはザクセン人が多く住んだトランシルヴアニアだが、ベルリンの壁崩壊以降、不安定な情勢を嫌ってザクセン人はこぞってドイツへと移住した。現在はシギショアラでも住民の多くをルーマニア人が占めるようになってきている。廃屋化する教会も相次いでおり、どのように保存するかが問題になっている。シギショアラノ山上教会には周辺の村々から集められた装飾品が展示されている(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)。

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教会の見学を終えて歩いていると、あちらこちらから「こんにちわ」の声が聞こえた。ドイツ語学校の生徒達だ(写真左)。ちょうど授業が終わったところのようで、大勢の生徒達が私に注目していたので、私の覚えていた数少ないルーマニア語の中から、「ブーナ・ジーア(こんにちは)」と言って手を振ると、みんなも手を振ってくれた。彼らの写真を撮らしてもらい、「ムルツメスク(ありがとう)」、「ラ・レヴェデーレ(さようなら)」と言って先に進んだ。屋根つき階段の所まで戻ると、大勢の小学生がいた(写真右)。遠足のようである。「ブーナ・ジーア(こんにちは)」と声をかけるが、不思議そうな顔をして見つめられてしまった。恥ずかしいのか、変なおじさんと思ったのか・・・。

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階段を下りて、次に向かったのは「時計塔」(写真左・中左)である。「時計塔」は、14世紀にシギショアラが商工ギルドによる自治都市となったのを記念して建てられた街のシンボルであり、ランドマークでもある。かつては、壁に囲まれた旧市街の正門であった。高さは64m、下部の頑丈な基礎部分は、壁の厚さが2.35mもある。「1648年に据えられた大時計には、身の丈八十センチメートルのカラクリ人形がセットされている(写真中右・右)。定時になると表に現れて、ゆっくり回転するパフォーマンスを見せてくれる。菩提樹の木に彫られた七つの人形は、それぞれザクセン人の神々の性格が付与されている。平和の神はオリーブの小枝を抱き、正義の神は秤を持ち、また法の神は剣を振るうポーズを取る」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)との事。時計塔の内部は歴史博物館になっており、ローマ時代以前の生活用品に始まり、ルネツサンス時代の家具、17世紀のガラスコレクションや18世紀の外科手術用具などが展示されている。

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時計塔のテラスからは、旧市街地全体を見渡す事が出来る。先ほど上った「山上教会」(写真左)や「修道院付き教会」、「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」(写真中左)や「タルナヴァ・マーレ川」(写真中右)などが見える。面白いのは、欄干に表示されていた金属板だ。世界の都市のある方向を指す矢印と、その都市までの距離が彫られているのだ。例えば、「NEW-YORK 7,431km」、「PARIS 1,680km」、「TOKIO 8,890km」(写真右)などである。

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しばらく眺めを楽しんでいたが、インフォメーションセンターにも行きたかったので、急いで塔を降りる。「時計塔」下の石畳の道を下り、アーチを抜ける。振り返ると、観光ガイドブックなどに掲載されているシーンがあった(写真)。背景が青空でなかったのは残念だったが、それなりに気に入った写真が撮れた。カップルがいたので、どこから来たのかと尋ねると、フランス・パリからとの事。写真を撮ってあげ、挨拶をして別れた。ここから更に石畳の道を下り、2~300mほど行くと、広場の前にインフォメーションセンターがあった。ここで写真ガイド付きの地図(英語版)を貰い、約束の時間が近づいてきたので、急いで引き返した。ところで、ここで頂戴した地図は、ガソリンスタンドで購入した地図よりもはるかに詳しく書かれており、非常に役に立った。シギショアラに行かれた時は、是非この地図を入手することをお薦めする。

シギショアラ観光インフオメーション(英語版)
http://www.infosighisoara.com/


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本日の昼食会場は、「カサ・ヴラド・ドラクル」という名前のレストラン(写真左・中左)。黄色い壁が特徴的な外観。実はこの建物、ヴラド・ドラクルが1431年~1435年の4年間、ハンガリー王によって幽閉されていた家なのである。そしてドラキュラのモデルになった息子のヴラド・ツェペシュの生家でもあるのだ。建物の中に入る。階段を上った2Fがレストランである。店内には、ヴラド・ツェペシュの頭像や胸像、肖像画などが飾られている(写真中右・右・下左)。メニューはドラキュラ定食との事だったので、席に着いて楽しみに待つ。すると次のような料理が出された。
・ミートボールスープ(写真下中左)
・ビーフ赤ワインソース煮込(写真下中右)
・パンケーキ(写真下右)
どれも美味しく頂いたが、どこがドラキュラ定食だったのか? よく分からない。

カサ・ク・チェルブ(ヴラド・ドラクルの家)[昼食のレストラン] (英語版)
http://www.casacucerb.ro/indexEN.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(ヴラト・ツェペシュ : 串刺し公)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A5


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食後、午後1:15まで自由行動と言うことになったので、早めに食事を終え、まだ行っていない街の北側を散策することにした。レストランを出て、広場のすぐ東側に「修道院付き教会」(写真左)がある。13世紀に建てられたゴシック様式のルター派の教会。その北側には、ヴラド・ツェペシュの立派な胸像が立っている(写真中左)。続いて「市民ホール」だ。19世紀に建てられたバロック調のホール(写真中右)。いろいろなカルチャーイベントが催されているようだ。さらに北へ進み、路地を抜けると広場(写真右)に出る。ここには、「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」や「ギルドタワー(靴屋の塔)」がある。「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」(写真下左・下中左)は、フランシスコ女性修道院が崩された跡、1894年に建てられたカトリック教会。「ギルドタワー(靴屋の塔)」(写真下中右・下右)は、城塞に残る9つのタワーのうちの一つ。城塞の北の端に位置する。1603年に要塞化されるが、1606年に一部破壊され、1650年に修復、1676年に焼失するが、1681年に再建された。現存しているのは、この時のもの。ベースは六角形で、他のタワーに比べて低い。北端と南端の城壁には、防御用の小塔があったためとの事。

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集合の時間が近づいてきたので、約束の時間2分前にレストランの前に戻ると、すでに皆さん集まっていた。他の方たちは、どこにも行かなかったのだろうか。お土産物を買う時は集団で遅れてくるのに、観光だけの時は早く集まって私を待っている。いつもギャップがあるので、少々戸惑う。私がお土産に興味が無いのと同じように、皆さん自由観光にはあまり興味が無いのかもしれない。全員揃ったところで、来た道を戻る。レストランの2件西側に、建物の角に鹿の首を付けた建物があった。17世紀に建てられ、「鹿の家」(写真)と呼ばれているようだ。なかなか面白い。午後1:20、バスに乗り、次の目的地である「ビエルダン」に向かった。

(参考HP)
ウィキペディア・フリー百科事典(ルーテル教会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E6%95%99%E4%BC%9A
ウィキペディア・フリー百科事典(ドミニコ会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B3%E4%BC%9A

(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「SIGHISOARA(英語版)」(SCHUBERT & FRANZKE編・刊)
http://www.sighisoara.org.ro
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]


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July 04, 2009

第7回大阪コインショー

貨幣ぶらり旅(第162回)

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「第7回大阪コインショー」に行ってきた。会場は昨年と同じ、OMM(大阪マーチャンダイズ・マート)である。本日は初日。開場時間に合わせ、午後12:00頃に行くと、行列が出来ていた。「第7回大阪コインをショー」記念して、この会場限定で販売されるコインセット(写真)を求める人達が並んでいるのだ。当然、私もこの列に加わった。コインコレクターは年配者が多いと思っていたのだが、老若男女、合わせて200名前後の人がいた。このようなコインセットの販売により、コインコレクターが増えたのだと思い、嬉しく感じていたのだが、しばらく並んでいると、どうも様子がおかしい。並んでいる若者や女性の手には、同じ銀行の封筒に番号が振られている。そして彼らは10セットずつ購入しているのだ。10セットは、本日1回当たり1人が買えるMaxの数である。どうやら、コイン業者やブローカーのアルバイトで並んでいるようなのである。以前、何かに書かれていたのだが、財務省が発表している平成21年度の貨幣製造計画によると、50円及び5円が年間わずか100万枚となっていたことから、ミントセツトを購入して、数を確保しておこうという動機があるというのだ。今年のTICCで発行されたミントセツトの売り場に人が押しかける事態となったのも、同じ理由のようである。

財務省平成21年度の貨幣製造枚数
http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/kokko/21kaheikeikaku-henkou.htm


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私は例年のように2セット購入し、コイン業者のブースに行く前に、特別展示を見ることにした。今回のテーマは、「吉宗のお金~享保の改鋳~」である。展示物を見ると、大判小判に豆板銀、寛永通宝(写真上)や藩札のほか、古銭箱(写真中上)や古銭書(写真中下)などが並んでいる。この中で面白いと思ったのは、享保当時の「古銭書」と、それを基にして整理された「古銭箱」である。「第7回大阪コインショー」の案内書によると、「享保という時代は穴明銭蒐集家にとっても一大革命の時となりました。中国や安南、朝鮮から渡来していた銭貨、そして本邦上古のものを正確に分類、真贋の判別を行える古銭家が出現し、それを示す書籍が出版されるようになりました。その主たる人達は大阪が中心であり、京、尾張、江戸へと伝わっていきます。「銭を商う」いわゆる古銭を売買する商人が出現したのもこの時期だと伝わっています。好事家が競って珍、稀品を求めるようになり、当然のことながら贋物も大量に出現しました。この商人と蒐集家が並び立って今日の貨幣収集会の基礎を築いたのです」との事。また、「砂金一両包」(写真下)も目を引いた。同案内書によると、「この物の出自は西国のものですが、このようなものが三貨以外でも流通していたことを示す興味深いものと申せましょう」との事。

ジックリ展示を拝見した後、各コイン業者のブースを廻った。欲しいと思うコインが少なかったので、今回は、書籍の方が多くなってしまった。購入したのは、次の通り。

(書籍)
・「貨幣研究NO.4」(1975年・貨幣文化協会刊)
・「貨幣研究NO.6」(1976年・貨幣文化協会刊)
・「貨幣研究NO.8」(1976年・貨幣文化協会刊)
30年以上前に発行された雑誌だが、「マリアテレジアの貨幣発行」や「ローマ帝国とギリシャを起源とする貨幣とビザンツ貨幣発展の関連についての見解」、「フランス貨幣制度史」など、テーマが面白く、今後の研究にも役立つのではないかと思い購入した。
・「外国コイン研究NO.32」(外国コイン研究会刊)

(紙幣・コイン)
・「フィンランド・ユーロコインセット」
2007年銘から、ユーロ・コイン独自面に国名表示を実施したのだが、当面フィンランドに行く予定が無いため。ベルギーも欲しかったのだが、売り切れのため入手できなかった。
・「ブルガリア100レヴァ紙幣」
先日ブルガリアを旅した際、入手し忘れていたため。少々高くついた。
・「ルーマニア2,000レイ記念紙幣」
先日旅したルーマニアで、1999年に発行された記念紙幣だったので、面白いと思い購入した。

オープンから約3時間、楽しい時を過ごす事が出来た。
「第7回大阪コインショー」は7月5日(日)の午後4:00(入場は午後3:00まで)まで。本日4日(土)は、午後1:30から関西古泉研究会の吉田昭二氏による、展示品の説明会が行われる。コレクターだけでなく、歴史に興味のある方にもお薦めしたい。また今年も「造幣博物館」が特別開館しているので、そちらも訪ねてみてはいかがだろうか。4月にリニューアルしているので、かって行ったことのある方でも、何か新しい発見があるかもしれない。

貨幣商組合(第7回大阪コインショー)のHP
http://www.jnda.or.jp/event/7omm.html
造幣局(特別開館)のHP
http://www.mint.go.jp/plant/special/090608.html

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July 03, 2009

ブラショフ市街観光(2)

ブルガリア・ルーマニアの旅(第20回)

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午後3:50~5:10までの間、 部屋で入浴し、しばらくベッドの上で横になった。インフォメーションセンターでもらった地図を見ていると、日本で買ったガイドブックには載っていない面白そうな場所が何箇所も紹介されていたので、これらを廻るため、午後5:15、再びブラショフ市街観光に出かけた。ホテルから道路を挟んで北側にある、「ブラショフ・シティーホール」(写真左・中)に向かう。1897~1898年にかけて造られたネオクラシック様式の建物で、その前にはローマの建国の神話に登場する「ロムルスとレムス」の像(写真右)が立っている。

ウィキペディア・フリー百科事典(ロムルスとレムス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%B9


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「シティーホール」の隣に建つ「ルーマニア郵便局」(写真左)との間の道を抜け、坂道である「Colonel Ion Buzoianu通り」を上る(写真中左)。途中から「Maior Ion Cranta通り」に入り、さらに坂道を歩いていたが、地図を見ると近道があったので、少し戻ることになったが、そちらの道を進む。距離は近くなるのだが、想像以上の坂道(写真中右)。もう一方の道は、距離はあるが、きっとなだらかなのであろう。石畳の凸凹道を、息を切らしながら登る。急な坂道だけに、見晴らしは良い(写真右)。

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近道を選んだおかげで、200m程も歩くと目標としている建物が見えてきた。「城塞」である(写真左・中左)。1524年に建てられたもので、4つの塔を持つ木製の城。現在は、中世のサロンやトランシルヴァニアのサロン、ワインキャビネットを持つレストランなど、観光客向けの複合施設になっている。城門をくぐり中に入ると、石畳の広場に大砲が置かれていた(写真中右)。建物の壁は白く、井戸のある中庭の壁には、槍や剣などが見える(写真右)。観光客は、私以外に一組の若いカップルが居ただけで、非常に静か。しばらくすると、厨房から従業員らしき人が出てきた。夕方にでも観光客を迎え入れるのか、忙しそうにしている。

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10~15分ほどで見学を終え、来た道を戻る。本日も良く歩いて疲れていたので、下りの坂道も結構きつい。「シティーホール」の前に戻り、道路を渡った南側に建つ「民族博物館」(写真)に向かった。本日は休館日なので、残念ながら中を見ることはできない。「館内には、ルーマニア各地の民族衣装をまとった等身大の人形が立ち並ぶ。展示は織物が主で、20世紀初頭に作られた自動織機の実演も見ることが出来る」(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)との事。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(民族博物館 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/museums/ethnographic-museum.php
民族博物館(英語版)
http://www.etnobrasov.ro/index_en.htm


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次は、宿泊しているホテルの南側、私の部屋からも見えていた「フランシスコ修道院」(写真)である。つい最近改装されたのだろうか。鐘楼の屋根の銅板は光っており、壁も塗りたてのようなクリーム色である。古いゴシックス様式の正門とバロック様式の装飾は必見のようだが、良く分からなかった。

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ここから西に進むと、正面に教会が見える。ここで偶然、ツアーメンバーの一人の女性と出会った。どこに行けば良いのか分からない様子だったので、一緒に行動することにした。正面の教会は、「ローマ・カトリック教会」(写真左・中左)だ。ここには、かつてバシリカ様式の修道院が建っていた。1776年~1782年に造られた、バロック様式を代表する教会。内部のステンドグラスは、質素だが美しい(写真中右・右)。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(聖ニコラエ教会、フランシスコ修道院、ローマ・カトリック教会、聖母被昇天正教教会、シナゴーグ、ほか : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/other-church.php


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教会を出た後、「スファルトゥルイ広場」の前を過ぎ、「George Baritiu通り」を南西方向に500mほど歩く。そこを右折し、川沿いの「Dupa Zidun通り」を約100m進むと、左手上に「黒い塔」(写真)が見えた。名前とは全く違い、明るい感じの塔である。15世紀、「白い塔」と一緒に建てられた、見張り用の塔。1559年、火攻めに遭って黒く焦げたことから、「黒い塔」と呼ばれるようになった。2001年からは、中世の武器を展示し、観光客に公開している。

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続いて、「白い塔」(写真左)である。先ほどの「黒い塔」と同時期に建てられた、ブラショフで最も高い位置にある要塞。1689年、大火に遭い焼失、1723年に再建されたとの事。「黒い塔」とは200m程しか離れておらず、「運河門」(写真中左)の手前にある橋を渡り、階段を上れば、塔の傍まで行くことが出来る。しかし急な階段(写真中右)を100段以上登らなければならないので、一瞬ためらったが、結局上まで行くことにした。一緒に来ていた女性はギブアップ。来た道を帰り、ホテルに戻ることになった。私は一人で息を切らしながら階段を昇る。かなり疲れていたので、厳しいものとなったが、約150段の階段を昇り切り、「白い塔」の傍まで行くことが出来た。反対側から見ると、円柱を半分に切ったような形をしていることが分かった(写真右)。中に入ることはできなかったが、塔の前にある踊り場から、ブラショフの街が一望できる。素晴らしい眺めだ(写真下段)。ドイツの香りを持つ町だと聞いていたが、その雰囲気は十分にある。ドイツには何度か行ったが、ここと同じ城塞都市である「ローテンブルク」などと雰囲気が似ているのではないかと感じた。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(白い塔・黒い塔 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/towers.php


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ここで景色を眺めていると、教会の鐘が鳴りはじめた。午後7:00を知らせているのだ。午後7:30までにはホテルに戻らなければならなかったので、階段を降りることにした(写真左)。途中、中学生ぐらいの数人の子供達とすれ違った。元気よく駆け足で階段を上って行った。「運河門」をくぐり、川沿いの道を北に進むと(写真中左・中右・右)、ホテルの前に続く「Eroilor通り」に出たので、東に300~350m歩くと、ホテルに到着した。まだ15分ほど時間があったので、一旦部屋に戻り、午後7:25、ホテルロビーに集合して、夕食会場に向かった。

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レストランは、ブルーで統一した、非常に明るい雰囲気だ(写真左)。メニューは次の通り。
・チーズのフライ、トマト添え(写真中左)
・タラのフライ(写真中右)
・ケーキ(写真右)

約1時間半、夕食を楽しみ、午後9:10に解散。午後9:15、 部屋に戻って資料整理を行い、もう一度風呂に入る。午後10:00にベッドに入った。


(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]

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July 02, 2009

ブラショフ市街観光(1)

ブルガリア・ルーマニアの旅(第19回)

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午前9:30、バスでブラショフに向け出発。「ヘラストラウ公園」(写真左)の東側を通り、「アンリ・コアンダ国際空港」(写真中左)の横を抜け、午前10:40頃には、「プロイエシュテ」の街に入る。ここは、プラヴォ県の県庁所在地であり、ルーマニア最大の石油精製所のある工業都市として知られている(写真中右)。この街から10分ほど走った所にあるスーパー、カルフールでトイレ休憩を取り、午前11:12、再びブラショフを目指し、北に走りはじめた。午後12:07、周囲は山。トランシルヴァニア・アルプスである。ひとつの山の頂上に、十字架が見えた(写真右)。ファガラッシュ山だ。第二次世界大戦の戦没者を慰霊するために建てられた十字架のようだ。街に入ると、多くの子供達の姿が見られた。ルーマニアでは、本日6月1日が「子供の日」なので、子供達が遊びに出ているのだ。

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午後1:00頃、ブラショフの街に入り、午後1:07、昼食会場であるレストラン「ROATA NOROCULUI」に到着。オレンジ色の派手なレストラン(写真左・中左)。メニューは次の通り。
・サラダ(写真中右)
・ザワークラウトとサルマーレ(ロールキャベツ : 写真右)
・パパナッシュ(トウモロコシの粉で作ったドーナツ状のものに、サワークリームと杏子ジャムがかかっている : 写真下)

約1時間で食事を終え、バスで最初の観光場所である「聖ニコラエ教会」に向かった。ブラショフは、ルーマニア第二の都市で、中世の街並みを残す美しい古都でもある。「古代ダキア人が住んでいた伝説の地に十三世紀初頭、ゲルマン系のチュートン騎士団が町を建設した。「クロシュタット」の名が与えられ、ザクセン系のドイツ人商人が移り住む。三つの公国の接点にあった地の利に恵まれたこともあり、町はみるみる発展し、中世の貿易センターの中核に躍り出た。ザクセン人は次々に優美な教会や住居を建てていった。それらは現在も残る強固な城壁に守られていた。一方、ルーマニア人は城壁の外、スケイ地区に住まわされた。当時、彼らは城壁内に入ることを許されなかった」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)との事。

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5~6分で到着。「統一広場」でバスを降りる。「聖ニコラエ教会」(写真)は、スケイ地区に建つ。教会は1495年に建てられたが、当時は小さな木造建築であった。しかし、1495年に石造りに変えられ、さらに1739年に大幅拡張され、現在の姿になったのである。ゴシック様式、ルネツサンス様式、バロック様式の各様式が見られ、全体としてはビザンチン様式の影響を受けているという。

ウィキペディア・フリー百科事典(聖ニコラエ教会 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/St._Nicholas_Church,_Bra%C5%9Fov
ブラショフ観光情報ウエブサイト(聖ニコラエ教会、フランシスコ修道院、ローマ・カトリック教会、聖母被昇天正教教会、シナゴーグ、ほか : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/other-church.php


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ここからバスに乗って次の観光ポイントに移動する予定だが、小さな町だったので、ノンビリ歩いて観光したかったので、ここでツアーを離れ、自由行動をとることにした。「Prundului通り」を北東方向にまっ直ぐ進む。600~700mほど歩くと、「スケイ門」(写真)の前に出た。先ほども少し触れたが、ここから城内になるのだ。1827年~1828年にかけて造られたゲートで、3つのアーチから成る。両端の小さなアーチは通行人用で、中央の大きなアーチは車両用だ。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(エカテリーナ門とスケイ門 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/gates.php


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ゲートをくぐり、最初に向かったのは「要塞博物館」である。本日は月曜日なので、美術館・博物館は休みなのだが、もしかして開いているかもしれないという淡い期待のもと訪ねてみた。16世紀の要塞跡が博物館になっているのだが、中世の武器や中世ギルドの遺品の他、貨幣も展示されているということだったので、是非とも見たかったのである。ゲートの南側、城壁沿い(写真左)を300mほど歩くと、博物館の前に到着(写真中・右)。しかし、やはり博物館の扉は閉じられていた。残念。

ウィキペディア・フリー百科事典(要塞博物館 : ルーマニア語版)
http://ro.wikipedia.org/wiki/Bastionul_%C5%A2es%C4%83torilor_din_Bra%C5%9Fov

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来た道を引き返し、「Prundului通り」から続く「Poarta Schei通り」を北東に100mほど進む。すると鐘楼が見えてきた。「黒の教会」(写真)だ。高さ65mのトランシルヴァニア最大の後期ゴシック教会。14世紀後半から15世紀初頭に約80年かけて建立された。16世紀末にオスマン・トルコの攻撃を受け、この時の火災により壁が煤けて黒くなったことから、「黒」の教会の名前が付けられたという。現在もドイツ・ルター派の教会として使われている。教会の内部には、1839年にベルリンで作られた4,200本のパイプを持つルーマニア最大級のパイプオルガンがある。「名匠ブッシュホルツが製作したオルガンで、オリジナルの状態で今に残るのはこれ一台きり。その音色の良さもあって、ここでは、1891年以来毎週三回、オルガン・リサイタルが開かれている」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)との事。ガイドブックによると、日曜日が休みで、平日は午後3:30まで開いているはずだったが、この日はすでに閉まっていた。本日は「子供の日」で祝日だからであろうか。こちらも残念。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(黒の教会 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/black-church.php
ウィキペディア・フリー百科事典(黒の教会 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Biserica_Neagr%C4%83


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「黒の教会」から10mほど北東に進むと、「スファルトゥルイ広場」(写真左・中左)に出た。広場ではイベントが行われており、非常に賑やか。ステージが設けられ、可愛い女の子が歌っている。歌唱コンクールのような雰囲気だ。「子供の日」のイベントなのであろう。この広場には、「歴史博物館」(写真中右)や「聖母被昇天教会」(写真右)がある。しかし、どちらも休みのため、中には入れない。仕方がないので、広場にある「インフォメーションセンター(歴史博物館と同じ建物)」でブラショフの地図をもらうことにした。地図は英語版があったのだが、ガイドブックは品切れとの事。仕方がないので、残っていたドイツ語版、スペイン語版、フランス語版の中から、比較的読めそうなフランス語版を頂いた。

ブラショフ観光情報ウエブサイト(歴史博物館 : 英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/museums/history-museum.php
ウィキペディア・フリー百科事典(スファルトゥルイ広場 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bra%C5%9Fov_Council_Square_(Pia%C5%A3a_Sfatului)


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博物館などで見学していると時間が遅くなると考えていたのだが、すべて休みだったので、行動計画を練り直すため、本日宿泊するホテル「アロー・パレス」(写真左)に向かった。午後3:45 、ホテルに到着。すでにツアーの他の人達はチェックインを済ませていた。フロントでツアー名と添乗員名、そして私の名前を伝えると、すぐに部屋の鍵を渡してくれた。部屋は6F。窓の外には「黒の教会」(写真中左)や「フランシスコ修道院」(写真中右)、「トゥンパ山に上るロープウェイ」(写真右)などが見える。この時ふと思ったのだが、ツアーの他の方達の話を聞いていると、私の泊まる部屋から見える景色は、いつも裏側が多い。ソフィア、プロブティフ、ブカレストも同じ。ヴェリコ・タルノヴォなどは、ただの裏山しか見えなかった。短い時間見ているだけなので、窓から見える景色にはそれほどこだわらないのだが、いつも一度ぐらいは良い景色の方に泊まっていることを考えると、今回は運が悪い。それとも老人夫婦を優先させているのか? ちなみに、部屋は茶色に統一されて落ち着いており、雰囲気も良かったので満足できるものであった(写真下段)。

ホテル「アロー・パレス」
http://www.aro-palace.ro/


(参考HP)
ウィキペディア・フリー百科事典(ブラショフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%95
ウィキペディア・フリー百科事典(ブラショフ : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bra%C5%9Fov
ウィキペディア・フリー百科事典(ブラショフ県)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%95%E7%9C%8C
ブラショフ観光インフオメーション(英語版)
http://www.brasovcity.ro/
ブラショフ観光情報ウエブサイト(英語版)
http://www.brasovtravelguide.ro/en/index.php

(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]

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July 01, 2009

ブカレスト市街散策(2)

ブルガリア・ルーマニアの旅(第18回)
貨幣ぶらり旅(第161回)

第6日目[6月1日(月)](晴)

この日の出発時間は午前9:30と遅めだったので、昨日行くことができなかった場所を見るため、ホテルでの朝食を放棄し、午前6:30頃から外出した。朝食の始まる時間を待ったり、宿泊先ホテルのレストラン以外の場所に夕食を食べに行くというのが、私にとって最も時間のロスと感じられるので、最近出かけた先々では、食事をツアーから離れてとることが増えた。

午前5:30 起床
午前5:45~6:30 部屋で食事(昨日購入したフライドチキンとポテト)
午前6:35~9:25 ブカレスト市街散策
(ホテル→地下鉄M2「Universitatii」→地下鉄M2「Aviatorilor」→ヘラストラウ公園→凱旋門→スタヴロポレオス教会→コメディ劇場→旧王宮跡→ルーマニア中央銀行→CEC BANK→ルーマニア中央銀行→ホテル)

午前9:30 バスでホテルを出発
午前10:50~11:10 カルフールでトイレ休憩
午前11:35頃 プラフォヴァ渓谷辺りを走る
午後1:07~2:10 ブラショフ市内のレストラン「ROATA NOROCULUI」で昼食
午後2:20 聖ニコラエ教会
午後2:35 ツアーを離れ、自由行動をとる
(聖ニコラエ教会→スケイ門→要塞博物館→黒の教会→スファルトゥルイ広場→インフォメーションセンター(歴史博物館と同じ建物)→ホテル)
午後3:45 「アロー・パレス」ホテルに到着
午後3:50~5:10 ホテルの部屋で休憩・入浴
午後5:15~7:10 ブラショフ市街観光
(ブラショフ・シティーホール前→ルーマニア郵便局前→要塞→国立美術館前→フランシスコ修道院→ローマ・カトリック教会→黒い塔→大運河と要塞→白い塔→george baritiu大学図書館前→ホテル)
午後7:25 ホテルロビーに集合
午後7:30~9:10 ホテルのレストランで夕食
午後9:15 部屋に戻り、資料整理と再入浴
午後10:00 就寝

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今朝はブカレスト市街するつもりだったので、午前5:30に起き、朝食として昨日購入したフライドチキンとポテトを部屋で頂き、午前6:30頃外出した。最初に目指したのは「凱旋門」である。昨日、他のツアーメンバーの方たちはここを訪れているのだが、私は別行動したので、ここには行っていない。歩くには少し遠いので、地下鉄を利用することにした。我々の宿泊している「インターコンチネンタルホテル」は、私のように街を歩き回るのが好きな者にとっては非常に立地が良い。「バルチェスク通り」を南に50mほど歩くと、地下鉄「Univesitatii駅」がある。階段を降りると、広いスペース(写真左)。地上の道路を横切ることが出来ないので、ここから四方好きな方向に出ることが出来るようになっている。乗車券は、自動改札機の横にあるボックスにいる駅員から購入(写真中左)。行先を言うだけで良い。私が観光客だと分かったのであろう。地下鉄路線マップも一緒にくれた。ホームに降りても、路線案内図があるので、行き先さえ決まっていれば、全く迷うことはない(写真中右・右)。私は「Pipera駅」方面行の列車に乗る。通勤時間帯なので、混雑しているが、肌が触れ合うほどではない。列車に揺られていて気が付いたのだが、通勤時間帯にもかかわらず、ネクタイに背広姿の人が一人もいないのだ。目立たないようにと思いネクタイに背広姿で来た私は、逆に目だってしまう。駅を出てオフィス街を歩いていても、ネクタイ姿の人を見かけることはない。後にこのことを地元のガイドに尋ねたところ、弁護士や銀行員などのエリート以外は背広にネクタイ姿で通勤することはほとんどないとの事。また、彼らエリートは地下鉄には乗らず、高級車で通勤するらしい。日本の常識で行動した私は、ルーマニアでは非常識だったようである。

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地下鉄「Univesitatii駅」から3つ目、「Aviatorilor駅」で下車。地上に出るが、そこがロータリー(写真左)だったので、どちらに「凱旋門」があるのか分からなかったことから、歩いている人に訪ねるが、あやふやな回答しか返ってこない。通勤しているだけでは、分からないのかもしれない。私なども、地元の名所に行ったことが無く、人に尋ねられても分からないことがあった。それと同じであろう。しかし、数人の人に訪ねたのだが、皆さん違う方角を教えてくれるのには参った。しばらく歩いていると、「ヘラストラウ公園」の傍を西に一直線に伸びる道路があり、その先に「凱旋門」が見えた(写真中左)。これでようやく進む方向が定まった。公園の南側の道を500~600mほど歩くと、ようやくたどり着いた(写真中右・右)。

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「凱旋門」(写真)は、「第一次世界大戦の勝利を記念して、1919年に建てられたもの。当初は、木造の漆喰塗のものだったが、1930年にルーマニアの彫刻家たちによって造り替えられ、現在のような姿になった」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)との事。フランス・パリの「凱旋門」以外にも、ヨーロッパ各地に「凱旋門」はあるが、ここのものはかなり立派な部類に入るのではないだろうか。かつて「バルカンの小パリ」と呼ばれていただけのことはある。「凱旋門」を一周しながら、写真撮影を行う。ここで気が付いたのは、自動車の運転が乱暴なことである。信号が青に変わり、横断歩道を渡っていると、スピードは落としているが、自動車は停止せずに向かって来るのだ。左折車なので、横断者がいなければそのまま進むことは出来るのだが、私が歩いているのに停車しないのである。日本では車が停止するのを確認してから渡るのだが、こちらでは車が停止するのを待っていたら、何時まで経っても道路を横断出来ない。こちらでは車は一時停止せずに、人が渡るのを見ているようなのだ。このような場所なので、「凱旋門」の下に行きたかったのだが、無理であった。パリの「凱旋門」の場合は地下道があるので、これを利用すれば安全に「凱旋門」の下に行くことが出来るが、こちらは地下道もないので、命を賭けてまで行く気にはならなかった。

ウィキペディア・フリー百科事典(凱旋門 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Arcul_de_Triumf


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「凱旋門」の見学を終えたので、来た道を戻り、地下鉄「Aviatorilor駅」から「Univesitatii駅」に戻った。当初、「スタヴロポレオス教会」などを観光するつもりだったが、もう一度「貨幣博物館」が一般公開されていないことを確認するため、「ルーマニア中央銀行」(写真左)に向かった。こちらの銀行は午前8:00頃から開いているので、総合受付に行き訊ねた。すると別館(写真右)で確認してほしいとの事。ここから南に100m程の所にある。そちらの窓口を訪ねるが、博物館のことはよく分からない様子。ただ、コレクション用のコインは、午前8:45から3番窓口で受け付けるとの事だったので、再度訪問することにした。

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30分以上時間があったので、すぐ南にある「スタヴロポレオス教会」(写真 : ウィキペディア・フリー百科事典(スタヴロポレオス教会 : 英語版)より)を訪れた。スタヴロポレオスとは「十字の町」の意味。この教会は、1724年にギリシャ人修道僧のイオアニキエ・ストゥラトニケアスが建てた、ルーマニア独特の後期ブルンコヴェアヌ様式(ワラキアで発展したビザンツ建築との混合様式)の建物で、ブカレストの最も古い教会のひとつである。まだ開いていなかったので、中に入ることはできなかったが、内部では美しいイコンやフレスコ画を見ることが出来るようだ。しかし、入口上部のフレスコ画は十分に楽しむことが出来た。

ウィキペディア・フリー百科事典(スタヴロポレオス教会 : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Stavropoleos_Monastery


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教会のすぐ傍には、「コメディ劇場」(写真)がある。風刺の効いたコメディを中心に上演されているとの事。入口横には、色々な公演のポスターが貼られていたが、見るからに楽しそうだ。

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午前8:45までには時間があったので、昨日訪れた「旧王宮跡」(写真)を訪ねた。今朝は露店も出ておらず、ヒッソリしていたので、かつてどのような建物が立っていたのか、しばらく想像に耽った。

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そして再び、「ルーマニア中央銀行」の別館に向かう。正門から入り、セキュリティチェックの所まで来ると、先ほど受け付けてくれた女性が3番窓口まで案内してくれた。窓口の女性と話をしようとするのだが、どうも英語が苦手らしい。電話で英語のできる人を呼ぶのでしばらく待ってほしいとの事。5分程すると若い男性がやって来た。最初に博物館の件を訊ねると、やはり現在は一般公開していないとの事。次にコレクション用のコインではなく、現行紙幣の未使用分が欲しいことを伝えると、ルーマニア・レウとの交換であればOKとの事。しかし、全種類の紙幣を交換するには、手持ちのレウが不足していたので、外貨両替をしてから再度訪ねるので、その旨窓口の女性に仕えてほしいと依頼した。外貨両替は、隣の銀行で行っているので、そこに行くと良いとの事。男性にお礼を言い、すぐに外貨両替に出かけた。隣にある銀行は、「CEC BANK」(写真左)。ここで200ユーロ(828レウ)を外貨両替し、これを持って「ルーマニア中央銀行」に引き返して、先ほどの窓口で新札に引き換えてもらった(写真中 : 50レウ紙幣表・写真右 : 同裏)。予想外に時間がかかり、すでに午前9:15であった。急ぎ足でホテルに戻り、定刻の午前9:30、バスでブラショフに向かった。


(参考HP)
ルーマニア中央銀行(英語版)
http://www.bnro.ro/Home.aspx
ルーマニア中央銀行貨幣博物館(英語版)
http://www.bnro.ro/Museum-2727.aspx
ウィキペディア・フリー百科事典(ブカレスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88
ウィキペディア・フリー百科事典(ブカレスト : 英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bucharest
ウィキペディア・フリー百科事典(ルーマニア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2

(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]

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