世界遺産・シギショアラ観光
ブルガリア・ルーマニアの旅(第21回)
第7日目[6月2日(火)](晴時々曇り・夜雷雨)
午前7:00 起床
午前7:10~7:50 朝食
午前8:00~8:20 部屋で観光の準備
午前8:30 バスで出発
午前9:30~9:55 ガソリンスタンドでトイレ休憩
午前10:50 シギショアラ旧市街の駐車場でバス下車
午前10:57 時計塔の前に到着
午前11:00~11:55 自由行動
(山上教会→時計塔→インフオメーションセンター)
午後12:00~12:45 「カサ・ヴラド・ドラクル」で昼食
午後12:45~1:15 自由行動
(修道院付き教会→ヴラド・ツェペシュの胸像→「市民ホール」→「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」→「ギルドタワー(靴屋の塔)」)
午後1:20 バスで出発
午後1:35 バス下車
午後2:05~2:45 ビエルダンの要塞教会に入場観光
午後2:45 バス出発
午後4:10~4:32 トイレ休憩
午後5:45 ブラショフのホテルに到着
午後5:50~6:55 入浴・資料整理
午後6:55~7:50 市街散策(スター百貨店ほか)
午後7:50 ホテルの部屋へ
午後8:00 ロビーに集合
午後8:10 バスでレストランへ
午後8:20~8:50 レストラン「CERBUL CARPATIN」のワインセラーでテイスティング
午後8:50~10:30 同じレストランで夕食
午後10:45 ホテル着
午後11:15ベッドに入る。

これから行く「シギショアラ」は、ブラショフから北西に約120kmの所にある、トランシルヴアニア地方のほぼ中央に位置する街である。町の歴史は古く、ローマ軍が進駐した記録も残っているようだが、1191年にハンガリーのクラウス王の命で、ザクセン人が入植したのが始まりとされている。手仕事と交易を基幹とする町づくりを行い、15~16世紀の最盛期には15~16ものギルド(職人組合)を持つ城塞都市であったという。現在は、中世の面影を色濃く残す町として、また、ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュの生誕の町として、観光客でにぎわっている。ちなみに、シギショアラはビールの名産地でもある。道路の左右に、多くのホップの畑(写真)が見られたのも頷ける。
ウィキペディア・フリー百科事典(シギショアラ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%A9
ウィキペディア・フリー百科事典(シギショアラ歴史地区)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA
シギショアラ市街公式マップ(英語版)
http://www.romaniatourism.com/maps/sighisoara-map.html
午前10:50、バスはシギショアラの街の城壁の外、南西側の駐車場に停車した。ここから城壁内まで、歩いて行く。なだらかな坂道を歩くこと7~8分、西側のギルドタワー(鋳掛屋の塔 : 写真左)をくぐり、時計塔の見える広場に着いた(写真中左)。ここで解散し、午前11:55まで自由時間となった。まず、最初に訪ねたのは、街の南端にある「山上教会」である。屋根のある木造階段を上る(写真中右・右)。175段あるので、駆けのぼると少々息が切れる。山上に出ると、シギショアラで最初に造られたドイツ語学校の校舎がある。その前を通り過ぎ、十数段の階段を上ると教会だ。
「山上教会」(写真左・中左)と呼ばれるだけのことはあり、429mの高さ位置する。聖ニコラスに献堂するため、1345年~1525年までの180年かけて造られたルーテル派の教会で、後期ゴシック様式の建物。かつてこの場所にはロマネスク様式の礼拝堂が建っていたようで、その一部として地下聖堂が残されている(写真中右・右)。1992年と2002年の二度にわたり、修復工事が行われた。堂内には数多くの壁画が残されている(写真下段)が、周辺の村々にある教会から集められたルーテル派の壁画もここに保管されているらしい(※)。
(※)かつてはザクセン人が多く住んだトランシルヴアニアだが、ベルリンの壁崩壊以降、不安定な情勢を嫌ってザクセン人はこぞってドイツへと移住した。現在はシギショアラでも住民の多くをルーマニア人が占めるようになってきている。廃屋化する教会も相次いでおり、どのように保存するかが問題になっている。シギショアラノ山上教会には周辺の村々から集められた装飾品が展示されている(「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」より)。
教会の見学を終えて歩いていると、あちらこちらから「こんにちわ」の声が聞こえた。ドイツ語学校の生徒達だ(写真左)。ちょうど授業が終わったところのようで、大勢の生徒達が私に注目していたので、私の覚えていた数少ないルーマニア語の中から、「ブーナ・ジーア(こんにちは)」と言って手を振ると、みんなも手を振ってくれた。彼らの写真を撮らしてもらい、「ムルツメスク(ありがとう)」、「ラ・レヴェデーレ(さようなら)」と言って先に進んだ。屋根つき階段の所まで戻ると、大勢の小学生がいた(写真右)。遠足のようである。「ブーナ・ジーア(こんにちは)」と声をかけるが、不思議そうな顔をして見つめられてしまった。恥ずかしいのか、変なおじさんと思ったのか・・・。
階段を下りて、次に向かったのは「時計塔」(写真左・中左)である。「時計塔」は、14世紀にシギショアラが商工ギルドによる自治都市となったのを記念して建てられた街のシンボルであり、ランドマークでもある。かつては、壁に囲まれた旧市街の正門であった。高さは64m、下部の頑丈な基礎部分は、壁の厚さが2.35mもある。「1648年に据えられた大時計には、身の丈八十センチメートルのカラクリ人形がセットされている(写真中右・右)。定時になると表に現れて、ゆっくり回転するパフォーマンスを見せてくれる。菩提樹の木に彫られた七つの人形は、それぞれザクセン人の神々の性格が付与されている。平和の神はオリーブの小枝を抱き、正義の神は秤を持ち、また法の神は剣を振るうポーズを取る」(「旅名人ブックス ルーマニア」より)との事。時計塔の内部は歴史博物館になっており、ローマ時代以前の生活用品に始まり、ルネツサンス時代の家具、17世紀のガラスコレクションや18世紀の外科手術用具などが展示されている。
時計塔のテラスからは、旧市街地全体を見渡す事が出来る。先ほど上った「山上教会」(写真左)や「修道院付き教会」、「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」(写真中左)や「タルナヴァ・マーレ川」(写真中右)などが見える。面白いのは、欄干に表示されていた金属板だ。世界の都市のある方向を指す矢印と、その都市までの距離が彫られているのだ。例えば、「NEW-YORK 7,431km」、「PARIS 1,680km」、「TOKIO 8,890km」(写真右)などである。

しばらく眺めを楽しんでいたが、インフォメーションセンターにも行きたかったので、急いで塔を降りる。「時計塔」下の石畳の道を下り、アーチを抜ける。振り返ると、観光ガイドブックなどに掲載されているシーンがあった(写真)。背景が青空でなかったのは残念だったが、それなりに気に入った写真が撮れた。カップルがいたので、どこから来たのかと尋ねると、フランス・パリからとの事。写真を撮ってあげ、挨拶をして別れた。ここから更に石畳の道を下り、2~300mほど行くと、広場の前にインフォメーションセンターがあった。ここで写真ガイド付きの地図(英語版)を貰い、約束の時間が近づいてきたので、急いで引き返した。ところで、ここで頂戴した地図は、ガソリンスタンドで購入した地図よりもはるかに詳しく書かれており、非常に役に立った。シギショアラに行かれた時は、是非この地図を入手することをお薦めする。
シギショアラ観光インフオメーション(英語版)
http://www.infosighisoara.com/
本日の昼食会場は、「カサ・ヴラド・ドラクル」という名前のレストラン(写真左・中左)。黄色い壁が特徴的な外観。実はこの建物、ヴラド・ドラクルが1431年~1435年の4年間、ハンガリー王によって幽閉されていた家なのである。そしてドラキュラのモデルになった息子のヴラド・ツェペシュの生家でもあるのだ。建物の中に入る。階段を上った2Fがレストランである。店内には、ヴラド・ツェペシュの頭像や胸像、肖像画などが飾られている(写真中右・右・下左)。メニューはドラキュラ定食との事だったので、席に着いて楽しみに待つ。すると次のような料理が出された。
・ミートボールスープ(写真下中左)
・ビーフ赤ワインソース煮込(写真下中右)
・パンケーキ(写真下右)
どれも美味しく頂いたが、どこがドラキュラ定食だったのか? よく分からない。
カサ・ク・チェルブ(ヴラド・ドラクルの家)[昼食のレストラン] (英語版)
http://www.casacucerb.ro/indexEN.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(ヴラト・ツェペシュ : 串刺し公)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A5
食後、午後1:15まで自由行動と言うことになったので、早めに食事を終え、まだ行っていない街の北側を散策することにした。レストランを出て、広場のすぐ東側に「修道院付き教会」(写真左)がある。13世紀に建てられたゴシック様式のルター派の教会。その北側には、ヴラド・ツェペシュの立派な胸像が立っている(写真中左)。続いて「市民ホール」だ。19世紀に建てられたバロック調のホール(写真中右)。いろいろなカルチャーイベントが催されているようだ。さらに北へ進み、路地を抜けると広場(写真右)に出る。ここには、「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」や「ギルドタワー(靴屋の塔)」がある。「聖ヨセフ・ローマン・カトリック教会」(写真下左・下中左)は、フランシスコ女性修道院が崩された跡、1894年に建てられたカトリック教会。「ギルドタワー(靴屋の塔)」(写真下中右・下右)は、城塞に残る9つのタワーのうちの一つ。城塞の北の端に位置する。1603年に要塞化されるが、1606年に一部破壊され、1650年に修復、1676年に焼失するが、1681年に再建された。現存しているのは、この時のもの。ベースは六角形で、他のタワーに比べて低い。北端と南端の城壁には、防御用の小塔があったためとの事。
集合の時間が近づいてきたので、約束の時間2分前にレストランの前に戻ると、すでに皆さん集まっていた。他の方たちは、どこにも行かなかったのだろうか。お土産物を買う時は集団で遅れてくるのに、観光だけの時は早く集まって私を待っている。いつもギャップがあるので、少々戸惑う。私がお土産に興味が無いのと同じように、皆さん自由観光にはあまり興味が無いのかもしれない。全員揃ったところで、来た道を戻る。レストランの2件西側に、建物の角に鹿の首を付けた建物があった。17世紀に建てられ、「鹿の家」(写真)と呼ばれているようだ。なかなか面白い。午後1:20、バスに乗り、次の目的地である「ビエルダン」に向かった。
(参考HP)
ウィキペディア・フリー百科事典(ルーテル教会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E6%95%99%E4%BC%9A
ウィキペディア・フリー百科事典(ドミニコ会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B3%E4%BC%9A
(参考文献)
・「’09~’10地球の歩き方 ブルガリア・ルーマニア」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ルーマニア」(旅名人編集室編)[日経BP企画刊]
・「SIGHISOARA(英語版)」(SCHUBERT & FRANZKE編・刊)
http://www.sighisoara.org.ro
・「図説バルカンの歴史(ふくろうの本)」(柴宣弘著)[河出書房新社刊]











































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