ヒヴァのイチャンカラ(その1)
ウズベキスタンの旅(第三回)
[第二日目 : 11月21日(土)](曇時々小雨)
4:00 起床
4:40~5:00 朝食
5:30 バスで空港へ
5:47 タシケント空港国内線ターミナルに到着
6:45 「ウズベキスタン航空HY-1051便」に搭乗
7:00 離陸
7:35~7:50 軽食
8:20 ウルゲンチの空港に到着
8:45 バス乗車
9:28 ホテル「アジア・ヒヴァ」に到着
9:20 入室
9:45~11:00 休息時間を利用して、一人でイチャンカラを観光する
タシュ・ダルヴァザー門(南門)→イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット→ジュマ・モスクとミナレット→カルタ・ミナル→キョフナ・アルク→ヒヴァ観光案内所→ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ→オタ・ダルヴァザ門(西門)→パフラヴァン・マフムド廟→タシュ・ダルヴァザー門(南門)→ホテル
11:00~11:40 部屋で休憩
11:40 グループで観光に出発
12:10 「イチャンカラ」入場
① オタ・ダルヴァザ門(西門)
② ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ
③ カルタ・ミナル
12:30~13:30 民家レストラン「ザイナップ」で昼食
13:30~13:50 トイレ
④ キョフナ・アルク
⑤ キョフナ・アルク内にあるアクシェイフ・ババ展望台
⑥ ジュマ・モスクとミナレット
⑦ イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット
⑧ パフラヴァン・マフムド廟
⑨ タシュ・ハウリ宮殿
15:45 グループ観光終了、その後一人で観光を続ける
バザール→バフチャ・ダルヴァザ門(北門)→エミール・トゥラ・メドレセ→ハサン・ムラド・クシベキ・モスク→ムサ・トゥラ・メドレセ→ユースフ・ユスルバシ・メドレセ→ドスト・アリムジャン・メドレセ→アラブ・ハーン・メドレセ→マトバナヴァイ・メドレセ→パルヴァン・ダルヴァザ門(東門)→アラクリ・ハーン・メドレセ→クトゥル・ムラド・イナック・メドレセ→アク・モスク→アブドゥーラ・ハーン・メドレセ→ジュマ・モスクのミナレット→お墓→シェルガジ・ハーン・メドレセ→クバイ・ヒッザ・メドレセ→ユーヌス・ハーン廟→ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレセ→タシュ・ダルヴァザー門(南門)
17:45 ホテルに戻る
18:20 バスで出発
18:30~19:50 レストラン「トザボール・パレス」で夕食
20:00 ホテルに戻る
20:05~20:30 入浴
20:35 就寝
本日は、タシケントから飛行機でウルゲンチに向かい、そこからバスでヒヴァに行く予定。午前7:00にタシケントを立つ飛行機に乗るため、午前4:00に起きる。朝食はホテルのロビー横にあるバーカウンターのような場所で、軽くパンと紅茶、フルーツなどを頂く。午前5:30にバスでタシケント空港に向かう。外はまだ暗く、昨夜空港からホテルに向かった時と同じで、外の景色はハッキリ見えない。15分ほどで空港に到着。国内線に乗るため、昨夜とは違うターミナルである(写真左)。バスを降りて150~200mほど歩き、ターミナルに入る。チェックイン手続きを行い、すぐに搭乗ゲートに向かう。20~30分ほど雑談していると、搭乗時間になった。ウズベキスタン航空HY-1051便に乗り込む。85人乗りの機体で、ビジネスクラスの席も17席あるのだが、国内線はエコノミー席である。昨日の国際線とは異なり、ほぼ満席であった。タシケントを定時の7:00に出発。離陸後30分程すると軽食(パンとドライ・アプリコット、コーラ : 写真中左)が出された。タシケントを出て約1時間でウルゲンチに到着した。タラップを降りると、そこには何もなく、ターミナルまでの150~200mを歩かなければならない。空港の外でバスが来るのをしばらく待ち(写真中右・右)、午後8:45、本日宿泊するヒヴァのホテル「アジア・ヒヴァ」に向かった。
バスの中では、ガイドからウズベキスタンについて話があった。ウズベキスタンはどのような国で、どのような歴史を持っているのか。ガイドの話も参考に、簡単に整理してみた。
・正式国名 : ウズベキスタン共和国
・首都 : タシケント
・国土面積 : 447,400㎡
・人口 : 2,780万人(2008年:国連人口基金)
人口の40%が16歳未満、また人口の65%が33歳以下。男性48%、女性52%
・平均寿命 : 70歳
・民族構成 : ウズベク人(80%)、ロシア人(5.5%)、タジク人(5.0%)、カザフ人(3.0%)(2009年 CIA The World Factbook)
・宗教 : ウズベク人のほとんどがイスラム教スンニ派、その他ロシア正教など。
・GDP : 279億ドル(2008:IMF)
・一人当たりGDP : 1026.7ドル(2008年:IMF)
・実質GDP成長率 : 9.0%(2008年:IMF)
・物価上昇率 : 12.7%(2008年:IMF)
・主要産業 : 綿花栽培。天然資源にも恵まれ、天然ガス、ウラン、金などが豊富。一次産業が主体の経済
・時差 : 日本時間からマイナス4時間
・通貨単位 : スム(СЎМ)
・歴史 :
紀元前6世紀~紀元前5世紀 : アケメネス朝ペルシャによる支配
紀元前4世紀 : アレクサンドロス大王による制圧
紀元前4世紀 : セレウコス朝シリアによる支配
紀元前3世紀 : バクトリアによる支配
紀元前2世紀~紀元前1世紀 : 大月氏による支配
1~4世紀 : クシャナ朝による支配
4世紀 : 一部(サマルカンド周辺)粟弋(ぞくよく)による支配
5世紀 : エフタルによる支配
6~7世紀 : 西突厥による支配
7世紀 : 唐による支配
7世紀~8世紀 : イスラム帝国による支配(ウマイア朝・アッバース朝)
9世紀~10世紀 : サーマン朝による支配
10世紀 : トルコ系カラ・ハン朝による支配
12世紀 : カラキタイ(西遼)による支配
13世紀 : チンギス・ハンによる制圧。ブハラ、サマルカンド壊滅
13世紀 : チャガタイ・ハンによる支配
14~15世紀 : ティムール帝国による支配。サマルカンドの再建
16世紀から17世紀 : ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国による支配
17世紀~18世紀 : ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国(ウズベク3ハン国)の支配
19世紀 : 帝政ロシアによる支配
20世紀 : ウズベク・ソビエト社会主義共和国に(首都サマルカンド、後にタシケントへ移る)
1991年 : ウズベキスタン共和国として独立
今回観光したヒヴァ、ブハラ、サマルカンドを中心にした歴史を取り上げたが、ターニングポイントとして覚えておきたいのは、イスラム帝国による支配、チンギス・ハンによる制圧とブハラ、サマルカンドの破壊、ティムール帝国による支配とサマルカンドの再建の3点であろう。
ウィキペディア・フリー百科事典(ウズベキスタン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
ウズベキスタン
http://www.advantour.com/jp/uzbekistan/index.htm
日本ウズベキスタン協会
http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/
外務省・ウズベキスタン
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uzbekistan/index.html
JETRO[ジェトロ](ウズベキスタン)
http://www.jetro.go.jp/world/russia_cis/uz/
ウズベキスタン観光情報[英語版]
http://www.tourism.uz/
ホテルには45分ほどで到着(写真左・中左・中右)。ホテルは、ユネスコの世界遺産に登録されている「イチャンカラ」の目の前と好立地である。添乗員がチェックイン手続きをしてくれている間、ホテルの中庭を散歩する。植木の入れ替えであろうか。おじさんやおばさん達が鍬やスコップを持って土を掘り返していた(写真右)。小雨が降ったり止んだりと、天候は少々不安定。添乗員から部屋の鍵を受け取る。私の部屋は38号室。フロントの裏側の部屋だ。出かけるのには便利である。部屋はクリーム色とブラウンでコーディネートされており、リラックスできる雰囲気(写真下左・下中)。田舎のホテルなのでシャワーだけかもしれないとの事だったが、バスタブもありお湯も出る(写真下右)。快適に過ごせそうだ。
アジア・ヒヴァ
http://asiahotels.marcopolo.uz/khiva/


朝が早かったので、ここで2時間ほど休憩し、午前11:40から観光に出かけることになったが、私はジッとしていられなかったので、早速「イチャンカラ」観光へ出かけることにした。先ほどもお話しした通り、ホテルの目の前、約100mの所に「イチャンカラ」があるので、非常に便利だ。ホテルからは「タシュ・ダルヴァザー門(南門)」(写真上)が最も近かったので、ここから「イチャンカラ」に入った。「イチャンカラ」とは、内城(イチャン =内、カラ=城)のことで、高さ8~10m、厚さ約6m、長さ2250mの城壁に囲まれ、中にはハーンの宮殿やハーレム、モスク、メドレセ、廟などが建てられている。城壁は日干しレンガで造られているという。かつては外側に「ディシャン・カラ」という全長約6kmの城壁があったようだが、現在はその一部しか見ることができない。私が入場した「タシュ・ダルヴァザー門(南門)」は、「イチャンカラ」の城壁にある4つの門のうち最も高くそびえる門で、古来よりカラクム砂漠の玄関口になってきたと言う。タシュとは「石」という意味だが、その名前の通り、城壁は頑丈に造られている。城壁は半円で強化され、壁の上端に沿って尖り型銃眼が見られる(写真下)。難攻不落のように思えるが、18世紀の中頃、イランのナディール王が侵入したと言うから驚きである。
「タシュ・ダルヴァザー門(南門)」をくぐり、城壁の中に入る。門には木彫りのデザインが施された扉が付けられているが(写真左)、現在でも閉門することはあるのだろうか。城門の天井には、日干しレンガが積み上げられて出来た、見事なドームとアーチが見られる(写真中左)。先に進むと、日干しレンガで造られた民家が並ぶ(写真中右)。レンガで出来た壁の上には、藁を混ぜた泥が塗られている。少し先にミナレットが見えているので、ここが観光ポイントであることは間違いないのだろうが、ただの田舎の村に紛れ込んだような気分である(写真右)。
2~30mほど先にある小さなアーチをくぐると、そこから少し雰囲気が変わった。青いタイルに飾られたメドレセと、先ほどから見えていたミナレットがそびえている。これらは、「イスラーム・ホジャ・メドレセ」とその「ミナレット」だ(写真左)。ちなみに「メドレセ」とは、イスラム世界の高等教育機関のことである。建物内部の見学は、後ほどガイドに連れられた時に見ることができると思ったので、とりあえず先に進んだ。すると左手にお墓らしきものが見えた(写真右上)。さらに進むと、別の大きなミナレットの前に出た。「ジュマ・モスク」とその「ミナレット」である(写真右中)。そして左に曲がり、「ジュマ・モスク」の前の広い通りを真っ直ぐに行くと、正面に中途半端な高さのミナレットらしき塔が見えた。どうやら「オタ・ダルヴァザ門(西門)」の手前に建つ「カルタ・ミナル」(写真右下)のようである。「オタ・ダルヴァザ門(西門)」の方に歩いて行く。この道は東西を貫く「イチャンカラ」のメイン通りだ。「カズィ・カラーン・メドレセ」の前を通り、現在レストランとして使われている「マトニャズ・ディヴァンベギ・メドレセ」の前で立ち止まる。この辺りには数多くのお店が出ており、また一緒に写真を撮らせるためのラクダが繋がれていた。もちろん有料である。
ウィキペディア・フリー百科事典(マドラサ)[=メドレセ]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B5
ガイドブックによると、そばに「ヒヴァ観光案内所」があるとの事だったので、訪ねて見ることにした。室内は薄暗い。中には若い女性が2名いる。「イチャンカラ」の無料の地図が無いかを尋ねると、パソコンから打ち出してくれた。棚に並べられていたガイドブックを見るが、外国語のものばかりだ。かつてはフランス語版や現地の言葉で書かれた書籍も購入していたが、言語の壁が高くほとんど活用できなかったことから、最近は最悪英語版。出来れば日本語版を購入するようにしている。日本語版がないか探していると、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、そして日本語の5カ国語で書かれた冊子を見つける。値段を尋ねると10,000スムとの事。日本では4~500円程度出売られているような冊子だが、日本語版のものは貴重なので直ぐに購入を決めた。しかし現品限りで在庫が無いとの事だったので値引きを依頼すると、9,000スムで良いことになった。まだ少し高いと思ったが、そのようなことは言っていられない。女性のうちの一人は英語が話せたので、少し雑談をした後、センターを出て北側に向かった。2~30m歩くと、広場に出た。左に見えるのが「キョフナ・アルク」(写真左)、右手に建つのは「ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレセ」(写真右上)である。とりあえず「イチャンカラ」の全体像が掴みたかったので、先を急いだ。「ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレセ」のところで右折し、東に進む。「アラブ・ハーン・メドレセ」(写真右中)の手前の通りを右に曲がり、「マトパナヴァイ・メドレセ」(写真右下)を歩いて東西をつなぐメイン通りに戻った。
再び西に向かい、「カルタ・ミナル」(写真左)の前に出る。とてつもなく太いミナレットだ。その左には「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」(写真右上)がある。現在はホテルとして使用されているので、中には入れないようだ。階段を昇り、「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」の前を通って城壁の外に出る。そこには、像が見られる。ティムールの像かと思っていたのだが、実はホラズムで生まれた科学者「ムハンマド・アル・ホレズミ」(写真右中)との事。数枚写真を撮った後、「オタ・ダルヴァザ門(西門)」(写真右下)前の広場に出る。ここが「イチャンカラ」に入る正門と言うだけのことはあり、人で賑わっていた。「オタ・ダルヴァザ門(西門)」を通って再び「イチャンカラ」に入ろうとすると、門の下に立つおばさんに呼び止められた。入場するにはチケットが必要との事。この時、ガイドブックに「西門以外の門からは無料でイチャンカラ内を散策できる」と書かれていたのを思い出した。午後からグループで来る旨説明し、「ムハンマド・アル・ホレズミ」の横から戻り、再び「イチャンカラ」を散策することにした。


「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」(写真上)の裏側を抜け、「パフラヴァン・マフムド廟」(写真下)の前を歩いていると、小雨が降り始めた。雨具を持っていなかったので、まだ時間はあったが、急遽ホテルに戻ることにした。民家の中を通り、「タシュ・ダルヴァザー門(南門)」をくぐり、午前11:00頃ホテルに戻った。
(参考文献)
・「地球の歩き方シルクロードと中央アジアの国々 09~10」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド社刊]
・「文明の十字路=中央アジアの歴史」(岩村忍)[講談社学術文庫]
・「標準 世界史地図」(亀井高孝他編)[吉川弘文館]
・「最新世界史図説タペストリー」(川北稔他監修)[帝国書院]
・「新詳世界史図説」(浜島書店編集部)[浜島書店]






























































































































































































































































































































































































































