ラバト散策(王宮、霊廟、ハッサンの塔、ウダイヤのカスバ)
モロッコ一周の旅(第3回)
2日目 : 2月12日(金) 曇り時々晴れ
6:15 起床
6:30~7:15 ホテルのレストランで朝食
7:30~7:45 ホテル近隣を散策
8:00 バスで観光に出発
9:40 ラバトに到着
9:45~10:05 王宮
10:10~10:32 ハッサンの塔
10:44~10:50 ウダイヤのカスバ
12:30~12:40 メクネス近くのGSでトイレ休憩
13:47 フェズに到着
14:00~15:05 「パレス・タリアナ」で昼食
15:00~17:05 徒歩でフェズ・エル・バリ巡り
・ブー・イナニア・マドラサ
・真鍮細工の店「ネッカーズ」で見学
・ネジャーリン広場
・ムーレイ・イドリス廟
・カラウィン・モスク
・アッタリーン・マドラサ
・皮細工の店「シューワラ」で見学
17:05 バス乗車
17:10 「ル・メリニッド・フェズ」ホテル到着
17:30 入室・入浴
18:00~19:20 資料整理
19:30~21:15 ホテルのレストランで夕食
21:30 就寝
本日から、モロッコ観光が始まる。午前6:15、モーニングコールで目覚める。窓の外を見ると、ミナレットが見える。あれが「ハッサン二世モスク」だ(写真)。モスクなのだが、これまでに行ったイスラム圏の国々で見たモスクとは、また違った姿をしている。6日目、再びカサブランカに戻って来た時に観光する予定である。
6:30からホテルのレストランで朝食を採る。レストラン会場に向かうと、このブログでもお話しした「スイス・フランス・ルクランブルク・ベルギーの旅」で案内してくれた添乗員と出会った。今回は、我々と同じ日に出発した「モロッコ11日間コース」の添乗をしているとの事。当初私もこのコースを考えていたのだが、エミレーツ航空利用で、ビジネスクラスの追加料金が高かったため、エールフランスのビジネスクラスを使う今回のコースを選んだのである。エミレーツ航空のビジネスクラスは、座席が180度フラットになる良さはあるが、それ以外は私の求めるサービスではないので、コストパフォーマンスを考えると、利用する気にはなれなかったのだ。彼女とテーブルを一緒にし、これからのスケジュールなどを聞かせてもらう。廻り方はおおむね同じであるが、11日間のコースなので、比較的ゆとりがあり、我々が行かない場所も数か所訪れるという。
45分ほどで食事を終え、身支度を整え、7:30から15分ほど、ホテルの向かい側にあるメディナを散策した。メディナは目の前に見えているのだが、道路を横断することができない。地元の人々は走り抜ける自動車の間を、するりするりと通って向こう側に行くのだが、私は車が止まってくれるまで動きだせず、しばらく同じ場所にとどまっていた。しかし、これではいつまで経ってもメディナに行けないので、現地の人の真横に付いて渡ることにした。すると不思議。何の問題もなく、向こう側に行き着いてしまった。後から聞いた話だが、車が歩く人の方向とスピードを見切り、轢き殺さないように調節しているらしい。だから、急にスピードや方向を変えると、非常に危険なのである。日本では考えられないのではないだろうか。
朝早かったので、メディナ内のスークは閉まっており、通勤する人たちで賑わうだけであったが、午後からはお店も開き、買い物客でごった返すようだ。チュニジア、ウズベキスタン、シリア、ヨルダン、トルコ、エドプトなどのスークやバザールと比べてみたいのだが、最終日までお預けである。あまり時間がなかったので、店の開いていないスーク(写真上)やメディナの時計台(写真下)の写真を撮り、ホテルに戻った。もちろん道路を渡るとき、現地の人の真横に付いて行ったことは言うまでもない。
午前8:00、バスで観光に出発した。しばらくすると、左手に港湾施設が見え始めた。カサブランカからラバトまでは、大西洋を左手に走ることになるのだ。道路の両脇には、ユーカリの木が植えられている。現国王ムハンマド(モハメツド)六世の父であるハッサン(ハサン)二世の時代に植林されたものだという。ユーカリは成長が早いという理由で、シリアなどのイスラム国でも同様のケースがみられたのを思い出した。ちなみにその時の話では、これらの地域で植えられるユーカリは、コアラの餌には適さない種類なので、ここにコアラを連れて来ても、育てることはできないとの事。また油分を含んでいるので、火災には注意が必要だとも言っていた。ホテルを出て40分ほど走ると、空港への分岐点の表示が出ている。昨日は、ここからカサブランカに向かったのである。さらに30~40分走ると、白い建物が並ぶ街に入って来た。最初の目的地である「ラバト」の街である。
ご存知の通り、ラバトはモロッコの首都であり、人口は約120万人(2005年現在)。人口ではカサブランカの350万人(2004年現在 : 最近は500万人を超えたとも言われている)に比べ少ないが、現国王の王宮や国会、各国の大使館や領事館などもあり、まさにモロッコの政治の中心地である。「ラバトの歴史は古く、チンギタニアの都市の1つとして古代歴史家のプトレマにサレの名で紹介されており、トラヤヌスの時代の古代ローマの領地だったと見られている。今日のラバトの名称が登場するのは8世紀のことで、ベルグダ種族のベルベル首長サリフがイスラム教へ改宗し、キリスト教勢力に対抗するためのリバトと呼ばれる要塞寺院を建造したことに発する」(モロッコの全て[日本語版]より)との事。ちなみに、この地が首都とされたのは、モロッコがフランスの保護国となった1912年からである。
ウィキペディア・フリー百科事典(ラバト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%88
かつて街を取り囲んでいた城壁沿いを走り、城門をくぐる。午前9:40、「王宮」のモスクの側でバスを降り、徒歩で「王宮」向かった。左右に整備された公園を見ながら、石畳の広場をまっ直ぐ進む。遠くに、緑色の屋根とクリーム色の壁が見える。あれが「王宮」(写真上)だ。ここには現在の国王であるムハンマド6世とその家族が住む。王宮は18世紀に建てられ、1864年に建て直されたもので、44haもある広大な敷地を有する。一般の入場を許された時期もあったようだが、現在は中に入ることはできない。イスラム調のデザインが施された門の傍には、衛兵らしき人達がいる(写真中上)。茶系の赤や灰色系の青など、色の異なる制服を着ているのだが、何か役割は異なるのだろうか? 白い衣装を着て、バブーシュというサンダルのようなものを履いているのは使用人のようだ。ちなみに金曜の礼拝日には、国王も白いジュドラに着替え、馬に乗って「アルファ・モスク」(写真中下)に行くとの事。「アルファ・モスク」は、先ほど我々がバスを降りた前に建っていた建物で、王宮からモスクまでのパレードが見られるという。残念ながら、礼拝の時間ではなかったので、パレードを見ることはできなかった。ところで、モスクのミナレットの先端を見ると、白い旗と方角を知らせる三角形の印が建てられている(写真下)。白い旗は金曜の礼拝日を知らせるために揚げられるもので、本日が金曜日だったことから見ることが出来たのである。また三角形の印は、「メッカ」のある方向を示しているとの事。約20分、王宮とそのモスクなどを見学し、次の目的地である「ムハンマド五世の霊廟」と「ハッサンの塔」にバスで向かった。
ウィキペディア・フリー百科事典(ムハンマド(モハメツド)六世)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%896%E4%B8%96_(%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E7%8E%8B)
「王宮」から北東へ4~5km、城壁を左手に見ながら走り、しばらくすると右手に白い街並みが見え始める。「サレの街」である。「ラバト」は大きく三つの地域から成り、ひとつはメディナの「旧市街」、後は大使館などが集まる「新市街」とベッドタウンの「サレ」だ。

目的地には、5分ほどで到着。バスを降りると、最初に見えてきたのは「ムハンマド五世の霊廟」だ。三角の緑色の屋根に白い壁。先ほど見た、「王宮」やそのモスクなどとも共通している。同じイスラム教圏だが、ウズベキスタンやチュニジア、シリアなどのモスクや霊廟と比べ、その建築スタイルは全く異なるように感じた。さらに進むと、「ハッサンの塔」が現れた。霊廟と同じ敷地内に建っているのだ。このエリアは塀で囲まれており、中には入るにはゲートを通らなければ何ない。門の両脇には、茶系の赤い制服を着てマントをまとい、馬に乗った兵士がいる(写真)。彼らは騎兵隊なのだろうか。先ほど訪ねた「王宮」にも同じ種類の制服を着た衛兵がいた。ここにいる兵士たちは、1時間半ごとに交代するという。門を通って敷地内に入ると、左手に「ムハンマド五世の霊廟」が、右手に「ハッサンの塔」がある。我々は最初に、「ムハンマド五世の霊廟」を訪ねた。
「ムハンマド五世の霊廟」(写真)は、1961年に亡くなったムハンマド五世のために建てられ、1973年に完成した霊廟である。ご存知の通りムハンマド五世は、モロッコのスルターン(在位1927年-1953年、1955年-1957年)及び国王(在位1957年 - 1961年)であり、フランスからモロッコの独立を勝ちとったモロッコの国民的英雄である。我々が最初に降り立った空港が「ムハンマド五世」と名付けられていたことも記憶に新しい。ところで、現地で購入したガイドブックによると、「ここは霊廟と呼ばれているが、モスクでもあり、博物館にもなっている」(「ゴールデンブックシリーズ・モロッコ(日本語版)」)とか、「モロッコの歴史を象徴する幾何学模様のモザイクや巨大な大理石の像、貴金属等ローマ時代の出土品が多数展示されているローマ古代美術館が見ものだ」(「モロッコの全て(日本語版)」)と書かれているので、かつては美術館として公開されていたのであろう。
「ムハンマド五世の霊廟」の正面には、それほど段差のない十数段の階段がある。両脇の柱には、モロッコの冠を表すブロンズ製の作品が飾られている。輝きが失われないように、定期的に磨かれるという。本日はその日に当たるようで、青い服を着た方が、一生懸命に磨いていた(写真上)。霊廟内には四方から入れるようだが、我々は正面から中に入る。入口脇には、先ほど馬上にいた兵士と同じ服装をした衛兵が立っている(写真下)。観光客と一緒に写真を取ることが許されているので、彼は大人気である。次から次へとツーショットを求めて人がやって来る。
霊廟内は非常に美しく、スペイン・モロッコ建築と、モロッコ伝統芸術とが見事に調和した傑作と言われている。回廊のような部分から下を覗くと、中央にムハンマド五世の石棺が置かれている(写真上)。その両角にも石棺が見られるが、これらは前国王ハッサン二世とその弟であるムーレイ・アブドゥラー王子のものである。そして正面右手奥の石棺の横には、開いたコーランが並ぶ(写真中上)。壁を見ると幾何学模様のタイルが貼られ(写真中下)、天井には金色に輝くドーム(写真下)と寄木細工で作られた幾何学文様が見られる。カリグラフィ(アラビア文字によるデザイン)はほとんど見られなかったが、それ以外はイスラムらしい美しいデザインで埋め尽くされているのが印象に残った。なお、廟内の四隅にも衛兵が立っていた。
ウィキペディア・フリー百科事典(ムハンマド(モハメツド)五世廟)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%895%E4%B8%96%E5%BB%9F
ウィキペディア・フリー百科事典(ムハンマド(モハメツド)五世)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%895%E4%B8%96_(%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3)
ウィキペディア・フリー百科事典(ハッサン(ハサン)二世)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B5%E3%83%B32%E4%B8%96_(%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%9B%BD%E7%8E%8B)
霊廟を出て、次は「ハッサンの塔」(写真上)である。1195年、ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールの時代に、この場所にモスクを建てることを計画、そして建設に着手した。しかし4年後、彼の死亡により工事は中断し、未完成のままで終わっている。「ハッサンの塔」は、このモスクのミナレットであり、当初の計画では80mの高さになる予定であったが、現在見られるように44mの高さしかなく、未完成の状態のままである。しかしそれでも、スペイン・セビリアの「ヒラルダの塔」やモロッコ・マラケシュの「クトゥビアの塔」と並び世界最大級の高さを誇っている。塔の一辺は16.2mの四角形。エジプトの多角形、トルコやペルシャの円筒形のミナレットと比べると、同じイスラムでも違いがあり面白い。塔には透かしのデザインなどが施されているが、これらはムーア様式またはマグレブ様式である(写真下)。
ウィキペディア・フリー百科事典(ハッサンの塔 : 英語版[Hassan Tower])
http://en.wikipedia.org/wiki/Hassan_Tower
ウィキペディア・フリー百科事典(ムワッヒド朝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%89%E6%9C%9D
ウィキペディア・フリー百科事典(ヤアクーブ・マンスール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AB
塔の前には広場がある。縦180m、横140mほどで、200本ほどの柱が残っている(写真)。かつては385本あったという。添乗員の話によると、完成していればスペイン・コルドバのメスキータのようになっていたのではないかとの事。ちなみに、モスク建築が中断したのは、ヤアクーブ・マンスールが死亡したのが唯一の理由というわけではなく、その背後には財政破綻があったとも言われているようだ。観光を終え、「ハッサンの塔」のある広場を出ようとしたところ、塔に取り付けられたスピーカーからアザーン(イスラムの礼拝の時間を知らせる声)が聞こえてきた。未完成の塔ではあるが、現在ミナレットとして活躍しているのだ。なお、この塔に上ることはできない。
ところで、私がモロッコから帰国した日の翌日、モロッコ北部のメクネスで、ミナレットが倒壊し、40人以上の死者を出したという(※)。モロッコでの最終日、我々もカサブランカで豪雨に出会ったので、何となくメクネスの様子も想像できる。しかし、見晴らしが良いので、いつも気軽にミナレットに上っていたが、これからは良く考えなければならない。
※「モロッコ北部の町メクネスで19日、イスラム教の金曜礼拝の最中にモスクのミナレット(尖塔)が倒壊した事故で、フランス通信(AFP)によると、死者は少なくとも40人に達し、71人が負傷した。300人が礼拝中だった。モスクは約400年前に建てられたという。メクネスはこの数日、豪雨に見舞われていた」(2010年2月20日付産経ニユース : ネット版)
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/100220/mds1002201831005-n1.htm
ウィキペディア・フリー百科事典(メクネス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%82%B9
ラバトで最後に訪れたのは、「ウダイヤのカスバ」(写真上)である。「ハッサンの塔」から北西に3~4kmに位置する。ムワッヒド時代に築かれた城壁をベースとし、17世紀にムーレイ・ラシッドが南側の棟を増築した。18世紀にウダイヤ・アフブ族の軍隊をここに駐屯させたことから、この名が付いたという。城壁の高さは約10m、厚さ2.5mで、上部には巡警路が設けられている。城壁の内側は現在公園のようになっており、地元の人々がベンチに腰掛け、ノンビリお話ししている様子が伺えた(写真下)。もう少し私もノンビリしていたかったのだが、午後からフェズに向かうため10分ほどで切り上げ、午前10:50、バスに乗車した。
ウィキペディア・フリー百科事典(ウダイヤのカスバ : 英語版[Kasbah of the Udayas])
http://en.wikipedia.org/wiki/Kasbah_of_the_Udayas
(参考文献)
・「地球の歩き方08~09 モロッコ」(地球の歩き方編集室編)[ダイヤモンド・ビック社刊]
・「モロッコの全て(日本語版)」(Escudo de Oro,S.A)
・「ゴールデンブックシリーズ・モロッコ(日本語版)」(BONECHI)
・「モロッコを知るための65章」(私市正年・佐藤建太郎編著)[明石書房刊]
ウィキペディア・フリー百科事典(モロッコ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3
外務省 : モロッコ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MOROCCO/index.html





















Comments