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September 28, 2011

城塞都市「トロギール」

クロアチア・スロベニアの旅(第12回)

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レストランを出て最初に向かったのは、旧市街の中心である「イヴァナパヴラ広場」である。建物の高い壁に挟まれた路地を歩く(写真)。おおよその方向だけを頼りに進むのだが、まるで迷路にはまったような気分だ。しかし何とかなるもの。2~3分歩くと、広場に出ることができた。

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「イヴァン・パヴァオ・ドゥルギ広場」の周りには、「聖ロヴロ大聖堂」(写真左)や「市庁舎」(写真中)、「時計塔」と「ロッジア」(写真右)などが建っている。中でも「聖ロヴロ大聖堂」は、トロギールを代表する建築物だ。

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「聖ロヴロ大聖堂」(写真)の建築は、13世紀初頭に始められたが、完成は17世紀である。この場所には、初期キリスト教時代の教会が建っていたが、1123年、サラセン人により征服された際に破壊された。しかしその後短期間で復興し、この大聖堂も建設されることになったのである。当初ロマネスク・ゴシック様式で建てられたが、15~16世紀にかけて、ヴエネチア風ゴシック様式の鐘楼が増築された。

ウィキペディア・フリー百科事典(聖ロヴロ大聖堂 [Trogir Cathedral : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Cathedral_of_St._Lawrence,_Trogir

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この大聖堂で最も注目されるのが、西側にある正面入り口のロマネスク様式の門である(写真)。1240年、ダルマチア出身の巨匠で、ヴェネチアのサン・マルコ寺院の玄関のレリーフにも携わった、当時トップクラスの彫刻家「ラドヴァン」により制作されたのだ。

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「門は上部と下部の二つの部分に分けられ、下部にはヴェネチアのシンボルであるライオン(写真左)の上にアダム(写真右)とイブ(写真下左)の彫刻、諸聖人や季節の移り変わりを表現したレリーフなどが施され、上部の半円形のレリーフにはキリストの誕生や東方三博士の礼拝などキリストの生涯が表現されている(写真下右)」(「旅名人ブックス クロアチア」より)。これは、クロアチアの中世美術の傑作だといわれている。

ウィキペディア・フリー百科事典(巨匠ラドヴァン [Radovan(master) : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Radovan_(master)

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教会の中に入ると、正面に天蓋付きの「主祭壇」がある(写真)。四隅の柱に支えられ、八角形の二重屋根を被り、天蓋の上には受胎告知を表すゴシック像が立っている。彫刻家「マヴァル」の作品で、1331年頃に造られたものだ。

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主祭壇の両脇には「聖歌席」が並んでおり、その手前左側には「説教壇」が見える。
「聖歌席」(写真)はクルミの木で出来ており、豪華な彫刻が施されている。木彫師「イヴァン・ブディスラヴィチ」の作品だ。上下に列の座席が設けられており、上席は参事会員席、下席は聖職者席である。

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「説教壇」(写真)は、14世紀初めに造られたもので、イタリア・ピサの工匠作だが、名前は分からないとの事。多色大理石の八角周壁に囲まれ、八本の大理石柱によって支えられている。

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「説教壇」の奥に目をやると、新礼拝所である「イヴァン礼拝所」(写真左)がある。この礼拝堂は、ダルマチア初期ルネッサンスの代表作と言われており、「聖ロヴロ大聖堂」の中で最も有名だ。正面には、初代トロギール司教であった町の守護聖人「イヴァン・ウルスィニ」の石棺が置かれている(写真右)。

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正面上部のルネットには、「ニコラ・フィレンティナツ」作、浅浮彫の「聖マリアの戴冠」が見られる(写真左)。見上げると、格子天井になっており、四角い枠の中には「熾天使(してんし)」の浮き彫りが続く(写真中)。中央から顔を出しているのは「父なる神」である(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(ルネット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
ウィキペディア・フリー百科事典(熾天使)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%BE%E5%A4%A9%E4%BD%BF

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北側廊の東の端には、「聖十字架祭壇」がある。ここにはヴェネツィアの彫刻家「レオナルド・テデスコ」作、「木の磔刑像」が見られる(写真左)。「聖ロヴロ大聖堂」には、「宝物室」(聖具保管室)もある。ここには教会が所有する数々の聖具や宗教美術品が展示されている(写真右)。

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続いて「鐘楼」に昇ることにした。鐘楼を上る階段は、教会の外にある(写真左)。狭い石の階段を上るとバルコニーに出た(写真中)。ここから更に石の階段を上ると、途中から鉄製の階段に代わる。鐘の近くまで来ると、怖いぐらい急な階段になる(写真右)。これを上ると、鐘楼の最上階だ。

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鐘も手で届く高さにある(写真左)。頑張って昇っただけのことはあり、ここからの見晴らしは素晴らしい(写真右・下左)。お天気が良かったので、すべてが美しく輝いている。これまでのところ、今回の旅は天候に恵まれている。
南側の下を見ると、「時計塔」と「ロッジア」が建っている(写真下右)。「ロッジア」を見ると、ツアーメンバーが揃っていた。丁度ガイドの説明を受けているところのようだ。北側には、本土の街が見える。青空に赤い屋根、緑の山々にブルーの海、降り注ぐ太陽の光。とにかくどの方角を見ても感動の連続である。約15分の短い時間ではあったが、十分に「トロギール」の景色を楽しむことができた。

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鐘楼を降りて「大聖堂」を出た後は、その向かい側に建つ「ロッジア」と「時計塔」を訪れた。「ロッジア」(写真)は、ローマ風の柱廊に囲まれ、屋根の付いたバルコニーのような建物(涼み廊下)のことで、アドリア海の沿岸の街では多いようだ。「町の中心広場に建てられていることが多く、使い方は町によって違うものの裁判所、税関などのほかに集会場としても使われた」(「旅名人ブックス クロアチア」より)。

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この「ロッジア」の正面の壁には、騎馬像のレリーフが彫られている(写真左)。トロギール出身で、祖国を守るためにオスマントルコと戦い、1520年に戦死した郷土の英雄「ベリスラヴィッチ総督」の像だ。彫刻家「イヴァン・メシュトロヴィッチ」の作品である。壁の左手にもいくつかのレリーフがある。その中央上部には、天秤を持って正義を計る像が見られる(写真右)。これは、「このロッジアはかつて裁判所として使われたため、その象徴となるテーマがレリーフとして施されたのであろう」(前掲書より)との事。こちらは、「ニコラ・フィレンティナッツ」の作品だ。

ところで、この「ロッジア」にもたくさんの子供達がいた。彼らも夏休み最後の日を楽しんでいるのだ。しかし彼らはどのようにして集まったグループなのだろうか?
引率者はいるのだろうか? 今考えると不思議だ。現地で彼らに訊ねてみれば良かったのだが、今となってはもう遅い。

ウィキペディア・フリー百科事典(ロッジア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%A2

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次は「チオヴォ島」だ。「チヴォ橋」(写真)を渡り、対岸から「トロギール」の旧市街全体を眺めるためである。橋は50mほどしかないのだが、橋の真ん中辺りに来ると、車が通るたびに橋は上下に大きく揺れるのだ。橋が落ちてしまうのではないかと思い、急ぎ足で渡る。

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お天気が良く、海の青さも増しており、太陽の光を反射して白く輝く「トロギール」の街は、何とも言えない良い雰囲気を見せている(写真上)。ここから眺めると、確かに街全体が城壁で囲まれていたのだということが分かる。少し西に移動すると、正面に「南門」(写真下左)が見える。その先には、「ドミニコ会修道院」(写真下中)や「カメルレンゴの砦」(写真下右)も建っている。

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しばらく眺めを楽しんだ後、再び「トロギール」の街に戻る。今度は、先ほど「チオヴォ島」から見ていた海沿いの通りを歩いてみた(写真)。

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100mほど西に進むと、「南門」(写真)だ。「北の門」が「陸の門」と呼ばれていたのに対し、こちらは「海の門」とも呼ばれている。ヴェネチア船などが寄港すると、「南門」をくぐって街に入っていったのであろう。

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この門のそばにも「ロッジア」(写真)がある。ここはかつて税関として使われていたという。寄港した船の通関手続きをしたのであろう。ちなみに、現在はジュエリーなどを売るお店になっている。

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次は「ドミニコ会修道院」(写真左)である。海沿いの道を西に進み、ネオゴシック様式で建てられた小学校(写真中)の前を通り過ぎると、修道院が見えた。修道院の教会の前には、トロギール生まれでザグレブの司教である「オーガスティン・カゾティク」の像が立っている(写真右)。残念ながら修道院の教会の扉は閉まっており、内部を見ることはできなかった。

ウィキペディア・フリー百科事典(オーガスティン・カゾティク[Augustin Kazotic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Augustin_Ka%C5%BEoti%C4%87

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その後さらに西に進むと、「カメルレンゴ要塞」(写真)だ。先ほど対岸からも見えた、旧市街の西の端に位置する。「15世紀、ヴェネツィア人によってそれまであった塔を改築して建てられたもの。1420年に始まるヴエネツィアのダルマチア支配に対して、トロギールの市民はしばしば反乱を起こしており、ヴエネツィア人にとってこの砦は外敵からだけでなく、市民から身を守ることも目的とされていた」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より)との事。

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時計を見ると、午後2:20。集合時間までまだ40分ほどあったので、この要塞の展望塔へ上ることにした(写真)。入場料は20クーナだ。ノンビリしているだけの時間は無かったので、狭く急な階段を駆け上っていると、前をゆっくり歩く男性がいたので、声をかけて横を通らせてもらった。すると彼は、「どうしてそんなに急ぐのか?」と問いかけて来たので、「時間がないから・・・」と応えて先を急いだ。

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先ほど「聖ロヴロ大聖堂」の塔に昇って「トロギール」の街を眺めたが、海のそばに建つ要塞の展望塔から見た景色は、また少し違った感じだ(写真)。「チォヴォ島」の丘の周りに赤い屋根の家が並び、その上には青い空、手前にはブルーの海、そしてヨットハーバーには白いヨツトが何隻も係留されている。お天気に恵まれたことで、最高の景色を楽しめたのではないだろうか。ちなみに、東側には先ほど訪ねた「聖ロヴロ大聖堂」が、また北側には「聖マルコの砦」が見える。

ウィキペディア・フリー百科事典(カメルレンゴの要塞 [Kamerlengo Castle : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Kamerlengo_Castle

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10分ほどの短い時間ではあったが、十分に楽しむことができた。ここから北側に進み、「聖マルコの塔」(写真)を見た後、集合場所である「北門」に向かうことにした。「聖マルコの塔」へは150mほど歩くと到着。階段はあるが、鍵がかかっており、上まで昇ることはできない。この塔は、「ヴェネチアが支配した時代に、オスマントルコ帝国の攻撃に備え建てられたもので、カメルレンゴ要塞は海の側の、聖マルコの塔は陸の守りとして使われた」(「旅名人ブックス クロアチア」より)との事。

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「聖マルコの塔」を離れ、運河沿いに「北門」へと続く公園の中を歩いて東に向かった。200mほど進むと、運河に架かるアーチが見えた(写真)。この橋を渡ると、「旧市街」を訪れる車のために用意されたパーキングがあるのだ。我々がバスを降りた場所は、長距離バスのターミナルなので、長時間バスを止めておくことはできない。「北門」に近かったので、バスは我々をターミナルで降ろした後、このパーキングまで移動しているのであろう。

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この橋のトップから見る運河の眺めもなかなか良い(写真)。日本は海に囲まれた国なのに、意外にヨットハーバーなどは少ない。漁業や港湾のための設備にはお金が架けられているが、レジャーにはお金がかけられていないように思える。漁業権などが邪魔をしているのであろうが、いわゆるバブルの時代にもっと整備されていれば、日本人も老後の楽しみが増えていたのではないだろうか。

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さらに東へ100mほど進んだところで、再び旧市街に入る。路地を歩いていると、貝を並べた子供のお店屋さんがあった(写真)。本当に売っているのか、遊びなのかは分からなかったが、写真を撮らせてもらう。さらに路地を50~60m歩くと、「北門」の前に出た。ツアーメンバーも数人集まっている。全員が集まるまでの間、門の周囲の写真を撮る。

全員が集まったところで、バスを降りた「長距離バスターミナル」に向かう。午後3:00、バスに乗車し、次の目的地である「スプリット」へ出発した。


ウィキペディア・フリー百科事典(トロギル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%AE%E3%83%AB
ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチアの世界遺産)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「週刊世界遺産 ドゥブロヴニクの旧市街」(菅家洋也編)[講談社]
・「トロギル大聖堂(日本語版)」(Ana Ivelja-Dalmatin他編)[Turisticka naklada d.o.o. Zagreb刊]



September 26, 2011

「プリトヴィッツェ」から「トロギール」へ

クロアチア・スロベニアの旅(第11回)

第4日目(8月31日[水] : 晴れ)

6:25 起床
6:30~7:00 朝食
7:00~7:30 散歩
7:30~8:00 荷物・資料整理
8:15 ロビーへ・外貨両替
8:32 出発
9:20 泥炭岩の山「エレビット山」見える
9:45 ダルマチア地方に入る
10:27 「スクラディンスキ・ブク(湖)」見える
10:33~11:00 クルカ国立公園内の展望台でトイレ休憩
11:02 出発
11:50 「トロギール」のに到着
11:57~13:05 レストラン「モニカ(Monika)」で昼食
13:05~15:00 「トロギール」観光(ツアーを離れて自由行動)
15:00 バス出発
15:15 「マリアンヌ公園」見える
15:21 ソリンの街に入る
15:24 「サロナ遺跡」見える
15:35~17:55 「スプリット」 観光(ツアーを離れて自由行動)
18:00~19:22 レストラン「KONOBA Nevera」で夕食
19:35 ホテル「ル・メリディアン」到着
20:00 入室
20:00~22:30 入浴、荷物・資料整理
22:30 就寝


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この日は、「トロギール」、「スプリット」の観光をした後、「ポドストラナ」に向かう予定だ。「リュブリャーナ」や「ザグレブ」の時とは異なり、どうしても観光したいという場所があったわけではないので、朝食のレストランが開く時間に合わせ、午前6:25に目覚め、6:30にレストランに入る。一番乗りだと思ったのだが、すでに別のツアーの日本人グループで賑わっていた。いつものようにシリアルやベーコン・エッグにスイカを頂く。出かける予定もなかったので、久しぶりにのんびりした朝食であった(写真)。

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30分ほどで食事を終え、ホテルのまわりを散歩することにした。空気は少し冷たいが、オゾンがたっぷりと言った感じだ(写真左)。昨日船を降りてからホテルまで上って来た道に出ると、「プリトヴィッツェ湖群国立公園」の案内図があったので、あらためて昨日歩いた経路を辿ってみた。長い距離を歩いたようにも思えたが、まだ「下湖」だけをハイキングしたに過ぎず、「上湖」を見て廻るには、もう半日必要であることが分かった(写真中・右)。

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のんびり、ゆっくり歩いていると、どこからともなく犬が現れ、私の後をついてくる。全く相手にしないと、もう一人散歩をしていた日本人観光客の方に行ってしまった。餌でも貰えると思ったのだろうか。痩せた犬だったが、野良犬なのか?(写真左・中)
それはともかく、ここではリスや色々な種類の小鳥も見ることができる。そういえば、ホテルのロビーに体長2mほどの熊の剥製が置いてあったが、このあたりで捕獲したクマなのだろうか?(写真右)

30分ほど散歩をした後、部屋に戻って出発の準備をする。午前8:15、少し早目だったがロビーに行き、フロントで外貨両替の手続きをする。コレクション用の紙幣・コインは手に入れていたが、買い物用の現金が乏しかったのだ。午前8:30、バスに乗り、最初の目的地である「トロギール」に向かった。

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緑の中を走り、やがて周囲は草原になる。羊の群れも見ることができた。高速道路に乗ってしばらく走ると、正面に「エレビット山」が現れた。山の所々が白く見えるので、雪で積もっているのかと思ったが、実は雪ではなく、石灰岩の山なので白く見えるところがあるのだという(写真)。

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午前9:45頃、「ダルマチア地方」に入った。「ダルマチア」とは、クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯のことを指しており、このあたりでは海岸線に平行な細長い島が数多く見られる(写真)。「ダルマチア式海岸」と呼ばれているが、起伏の激しい山間部が沈降して出来るのだ。この点では「リアス式海岸」と同じだが、「リアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地によって形成されるのに対して、ダルマチア式海岸は、元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降する事によって形成されたと考えられている」(ウィキペディア・フリー百科事典(ダルマチア式海岸)より)のである。

ウィキペディア・フリー百科事典(ダルマチア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%81%E3%82%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(ダルマチア式海岸)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%81%E3%82%A2%E5%BC%8F%E6%B5%B7%E5%B2%B8

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ダルマチアの海を見ながら45分ほど走った頃、右手に「スクラディンスキ・ブク湖」(写真)が見えて来た。このあたりは「クルカ国立公園」である。午前10:33、トイレ休憩のため、バスは国立公園内のパーキングに停車した。ここは国立公園の東の端に位置し、展望所もある。

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パーキングから整備された通路を歩いて行くと展望エリアがあり、「スクラディンスキ・ブク湖」が目の前に見える。お天気に恵まれていたこともあり、ここから眺める景色は非常に美しい。湖の狭くなった部分に架かる白いアーチも絵になる。「クルカ橋」だ。その下を何艘ものヨットが通る(写真左)。その先にヨツトハーバーがあるのだ(写真右)。

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我々以外にも多くの人が休憩していたが、なかでも現地の子供達が目立った。美しい景色の写真を撮っているその先で、女の子たちが写真を撮っていた(写真左)ので話しかけてみると、彼女達は中学4年生(現地の8年生 : 14歳)であった。クロアチアの学校制度は日本と異なり、義務教育は8年間で、前半の4年が日本の小学校、後半の4年が日本の中学校に該当するとの事。翌日の9月1日から新学年である8年生としての授業が始まるので、彼らは夏休みの最終日を楽しんでいたのである(写真右)。

14歳といっても私よりも背が高く、みんな美人で、かつ大人びた雰囲気なので、外見だけ見ていると、とても子供とは思えない。しかしお話ししてみるとやはり子供。可愛いものである。とはいうものの、綺麗な女の子に囲まれれば嬉しい。写真を撮ったり、お話ししたり、短い時間であったが、非常に楽しいひと時を過ごした。ちなみに彼女達は、流暢な英語を話す。外国人と話す機会、また必要性のない日本の中学生とは異なるようだ。

ウィキペディア・フリー百科事典(クルカ橋[Krka Bridge : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Krka_Bridge
ウィキペディア・フリー百科事典(スクラディン [Skradin : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Skradin
ウィキペディア・フリー百科事典(クルカ国立公園[Krka National Park : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Skradinski_buk#Skradinski_buk

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午前11:00、休憩を終え、「トロギール」に向け出発である。再びダルマチアの海を見ながら走る。海岸線に平行な細長い島が数多く続く(写真左)。1時間近く走った頃、右手に「トロギール」が見えてきた。「カメルレンゴの要塞」も分かる(写真中)。午前11:50、「トロギール」のバスターミナルに到着した(写真右)。ここから「トロギール」の旧市街へは、徒歩で5分ほど。観光の前に、我々は旧市街の中にあるレストランで昼食の予定だ。

「トロギール」は、東西に約500m、南北に約300mの小さな島で、クロアチア本土とチオヴォ島の間に位置し、両者と橋でつながっている。「もとは半島の一部だったが、中世、度重なる敵の侵入を防ぐため、周囲に水路を設けて半島と切り離して島」(「週刊世界遺産 ドゥブロヴニクの旧市街」より)にしたとの事。島全体が市街地になっており、かつては全体が城壁に囲まれていたという。

紀元前385年頃、ギリシャの植民都市として建設されたのが始まりで、「トロギール」の呼び名は、ギリシャ人が「トラグリオン」と名付けたのが起源。その後ローマ人に引き継がれ、ローマ軍が去った後はヴェネチア人などが支配を続けた。

ウィキペディア・フリー百科事典(トロギル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%AE%E3%83%AB

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バスの駐車場から橋を渡り、「北門」(写真左・中 : 城壁内から見たもの)の前に出る。この門はルネッサンス時代に建てられたもので、「陸の門」とも呼ばれている。門の上には、12世紀の司教で町の守護聖人の一人イヴァン・ウルスィニが立っている(写真右)。昼食会場であるレストランは、この「北門」から南へ100mほどのところにあるのだが、街全体が迷路のようになっているため、迷子になってしまいそうだ。

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午前11:57、レストラン「Monika」に到着(写真)。お店は、幅2m程しかない石畳の路地に面している。しかし店内は明るく、雰囲気も良い。中庭もある。

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昼食のメニューは次の通り。
・魚のパテとパン(写真左)
・魚のスープ(写真中)
・野菜サラダ(写真右)
・手長エビのグリル(写真下左)
・じゃがいもとホウレン草の煮物(写真下中)
・パイ(写真下右)

約1時間で昼食を終え、午後1:05、私はツアーから離れ、一人で旧市街観光に出かけた。

レストラン「Monika」
http://www.restoran-monika.com

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「週刊世界遺産 ドゥブロヴニクの旧市街」(菅家洋也編)[講談社]
・「トロギル大聖堂(日本語版)」(Ana Ivelja-Dalmatin他編)[Turisticka naklada d.o.o. Zagreb刊]


September 19, 2011

プリトヴィッツェ湖群国立公園をハイキング

クロアチア・スロベニアの旅(第10回)

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午前9:30、 バスで「プリトヴィッツェ湖群国立公園」に向かい出発する。15分ほど走ると、ドナウ川につながるという「サワ川」(写真左)を渡った。その向こうにはスポーツセンターが見える(写真右)。午前9:50 、高速道路に乗り、ザグレブの街を出て南に向かう。

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午前10:10過ぎ、「カルロヴァツ(KARLOVAC)」の街に入る。内戦(現地の人々は「独立戦争」と呼ぶ)当時、このあたりは激戦区だったこともあり、壁に多数の銃弾跡を残す民家が何軒も残っていた(写真左・中)。また近くには、速射砲などを置いた「軍事記念公園」がある(写真右)。

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午前10:27、カルロヴァツ(KARLOVAC)の料金所で高速道路を降り、5kmほど南に走ったところに建つレストラン「ZGANJER」(写真)でトイレ休憩を取る。レストランというだけのことはあり、GSとは違い、少し洒落た雰囲気の中で15分ほどを過ごす。

レストラン「ZGANJER」の公式HP
http://www.restoran-zganjer.hr

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午前10:45、休憩を終えてバスで出発。緑の中を30分ほど走ると、バスは道路の脇に一時停車した。小型版プリトヴィッツェと言われる「ラストケ村(RASTOKE)」を、遠くから見学するためである(写真)。ノンビリした雰囲気の民家と、白いしぶきをあげて流れる何本もの滝が印象に残る。10分ほどの短い時間ではあったが、ここからの眺めを楽しむことができた。我々がこの場を去ろうとした時にも、次々とバスがやって来て、多くの人達がここの景色をカメラに収めていた。

ウィキペディア・フリー百科事典(ラストケ [Rastoke : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Rastoke
ウィキペディア・フリー百科事典(スルーニ[Slunj : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Slunj

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さらに20分ほどバスは走り、午前11:44、本日の昼食会場である「 Hotel & Restaurant DEGENIJA」に到着した(写真左・中)。ここでの楽しみは、「ペカ」だ。「ペカ」は、ダルマチア地方の料理で、鉄釜を使って肉や野菜などを一緒に蒸して作る。席に着く前に、「ペカ」を作っているところを見学させてもらった。
普通の調理室とは別の部屋(写真右)が設けられており、ここで「ペカ」が作られている(写真下左)。レンガ造りの釜戸を見ると、炭火の上に黒い鉄鍋がかけられていた(写真下中)。鍋の中には、子牛肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなどの肉野菜に、塩、胡椒、オリーブオイルなどが入っている(写真下右)。水を入れずに、野菜などの自然の水分を利用するため「蒸す」という表現を使っているのであろうが、水分が出た後はシチューと同じで、煮込むことになるのだ。

ダルメシアン・ペカ(Dalmatian Peka)
http://www.croatia-expert.com/dalmatian-peka-croatian-recipes/

調理場を見学した後、レストランに戻る。窓が大きく、外の明かりが取り込まれるため、店内は明るい雰囲気だ。

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本日のメニューは次の通り。
・コンソメスープ(写真左)
・野菜サラダ(写真右)
・ペカ(写真下左)
・ケーキ(写真下右)

約1時間半かけて昼食を頂き、午後1:00、バスで「プリトヴィッツェ湖群国立公園」に向かう。

Hotel & Restaurant「DEGENIJA」(英語版)のHP
http://hotel-degenija.com/en.html

午後1:10 、レストランを出てわずか10分ほどで「プリトヴィッツェ湖群国立公園」の駐車場に到着した。「プリトヴィッツェ湖群国立公園」は、大小16の湖と92か所の滝を持つ国立公園で、クロアチアにある8つの国立公園の中では最も大きく(294.82㎡)、最も古い(1949年に指定される)。1979年にはユネスコの世界自然遺産に登録されたが、1990年代の戦争による被害のため、一時は「世界危機遺産リスト」に登録されたこともあった。しかし現在は美しい姿を取り戻し、危機遺産のリストからも外されている。

ウィキペディア・フリー百科事典(プリトヴィツェ湖群国立公園)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A7%E6%B9%96%E7%BE%A4%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92

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「プリトヴィッツェ湖群国立公園」の湖を鳥瞰すると、大きくは「上湖」と「下湖」に分けられ、標高637mにある「プロシチャンスコ湖」から標高483mある一番下の「サスタヴツィ湖」まで、標高差約150mの間にある湖を、川と滝とでつないでいるのだ(写真)。

ところで、本日どのようなコースを歩くのかというと、先ほども少しお話しした通り、「プリトヴィッツェ湖群国立公園」は「上湖」と「下湖」の二つに分けられるのだが、我々が観光するのは「下湖」である。北の入り口(No.1ゲート)から入場し、「ノヴァコヴィチャ・ブロド湖」の側を通って「ヴェリキ・スラップ(大滝)」に出る。その後「カルジエロヴァツ湖」、「ガヴァノヴァツ湖」、「ミラノヴッツ湖」の遊歩道を歩き、「P3ポイント」まで行く。ここから船で「コジャク湖」を横切り、「P1ポイント」に向かうのだ。本日のコースをみると、下から上に昇って行くことになるようである。

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午後1:32 、現地ガイドの「ミリアナ」嬢と一緒に、「No.1ゲート」(写真左)から「プリトヴィッツェ湖群国立公園」に入場する。入口から50mほど進むと(写真中)、右手に大きな滝が見えて来た。「ヴェリキ・スラップ」(写真右)だ。これからあの滝に向かって歩いて行くのである。

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入口あたりは標高600mぐらいになるのであろうか。我々は、緩やかな下りの遊歩道を進む。すると右手下に、コバルトブルーの湖が現れた。「ノヴァコヴィチャ・ブロド湖」(写真左)である。この湖は、「プリトヴィッツェ湖群国立公園」の遊歩道で訪れる一連の湖の中の最後の湖で、海抜503m、水深4m、長さ50m、幅90mある。美しい湖と大滝(写真右)を眺めながら、我々は遊歩道に従い、坂道を下り続ける。

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しばらくすると、「ノヴァコヴィチャ・ブロド湖」と「カルジエロヴァツ湖」の間を横切る木製の散策路が見えて来た。多くの人達がここを歩いていたが、我々もここを通って「大滝」に向かうのである(写真)。

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さらに数分歩くと、先ほど見えた木製の散策路の高さまで降りて来た。翡翠色した湖の美しさは、言葉では表せない(写真左・中)。湖の側に立って中を覗き込むと、湖底が見えている。それほどまでに透明度が高いのだ。岸辺には、多くのマスが泳いでいる(写真右)。手でつかめそうだ。

水がこれほどまでに透き通っているのは、次のような工程で浄化されているからである。すなわち、「湖一帯はカルスト地層で、ここに降った雨水は長い年月をかけて地下の石灰岩の間をくぐり抜け、一番下にある水を通さない粘土砂岩まで到達する。これ以上は下へ行けなくなった水は地下水脈となり、カルスト湖として地下に蓄えられる。この源泉から湧き出た泉が石灰岩層を通り浄化されて再び地表に現れる」(「旅名人ブックス クロアチア」より)のだ。

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続いて「ノヴァコヴィチャ・ブロド湖」と「カルジエロヴァツ湖」(写真左)の間を横切る木製の散策路を歩く(写真左)。どちらの湖もエメラルド色。とにかく美しい。湖の間に設けられた木製の散策路を通り抜け、岩壁沿いに続く遊歩道を進む。少し歩くと、少し離れた下の方に「サスタヴツィ湖」(写真右)が見えた。

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さらに進むと、「ヴェリキ・スラップ(大滝)」(写真)だ。ここで皆さん記念写真を撮っていた。我々もここで少し時間をとり、写真撮影を楽しむ。「ヴェリキ・スラップ(大滝)」は、高さが76~78mあり、50m幅の半円形の岩から水が轟音を立てて滝壺に流れ落ちている。これらの水が「プリトヴィツェ川」より流れ込んでいることため、「プリトヴィツェ滝」とも呼ばれている。この滝が最も美しい姿を見せるのは朝方で、朝日が水に映えて虹色の世界を見せるという。

迫力ある滝の眺めを楽しんだ後、先ほど来た路を戻り、次は「カルジエロヴァツ湖」に向かった。「カルジエロヴァツ湖」は、海抜50m、水深12mで、湖幅は場所によって70~100mほどある。「ノヴァコヴィチャ・ブロド湖」と「カルジエロヴァツ湖」の境目を左に進むと先ほど来た路に戻るのだが、ここから我々は右の路を進む。「カルジエロヴァツ湖」を左手に見ながら、遊歩道を南に歩いて行くが、どこから見ても湖面はエメラルド色に輝いていた(写真 大きい一枚で)。

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「カルジエロヴァツ湖」の南の端、「ガヴァノヴァツ湖」との境目まで来ると、小さな滝がいくつも流れている(写真上段)。2つの湖の境目を横切る木で出来た遊歩道を進むと、左手に大きな洞窟が見えた。「シュプリャラ洞窟」(写真下段)である。かつてはこの洞窟にボートで入ることができたようだが、現在は水没しており、ただの岩の割れ目にしか見えない。路は分かれており、左に行くとこの「シュプリャラ洞窟」の方に向かうのだが、我々は右の路を進んだ。

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「ガヴァノヴァツ湖」(写真)は、海抜514m、水深10mで、長さが100m、幅は60mある。この湖もエメラルドグリーンが美しいのだが、これまでの湖に比べ、特に透明度が高いように感じた。白い湖底の広がりが良く分かるのだ。

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「ガヴァノヴァツ湖」の南の端まで来ると、しばらく川と小さな滝が繰り返し幾つも続く(写真)。これら一連の滝も「大滝」と呼ばれており、「ミラノヴッツ湖」から続く最も南の滝は、「ミルカ・トルニナ滝」と名付けられている。「名前の由来はクロアチアのオペラ歌手にあり、彼女が1897年ザグレブ歌劇場に出演して、その出演料1,902クラウンをフリトヴィツェ湖保護整備協会に寄付した行為にちなんだもの」(「プリシヴィツェ湖」より)だという。

先ほど湖底が白く見えたのは、「石灰華」と呼ばれるものが広がっていたためである。「石灰華」は、石灰岩質を流れる湖に含まれる炭酸カルシウムが固まってできたもので、水を浄化する作用を持つ。また「石灰華」は長い時間をかけて堆積し、これが堰を築いていくことから、あちらこちらに小さな滝ができるのである。

ウィキペディア・フリー百科事典(炭酸カルシウム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E9%85%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0

ところで、ここ「プリトヴィッツェ湖群国立公園」とよく似た景観を持つ石灰岩地形の景勝地として、中国四川省の奥地にある湖「九寨溝」が挙げられる。「九寨溝」も、「石灰華」が長い時間をかけて堆積して出来たものだ。

ウィキペディア・フリー百科事典(九寨溝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%AF%A8%E6%BA%9D

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滝を通り過ぎると、「ミラノヴッツ湖」(写真)だ。「下湖」の中では最も高い位置にあり、海抜523m、最深部は18.4mある。長さは500mで、幅は50~90m。これまでに見て来たエメラルドグリーンの湖水はここから始まるので、これより先の「上湖」では見ることができないという。

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「ミラノヴッツ湖」の南の端、「上湖」になる「コジャク湖」との境には、「ミラノヴッツの滝」(写真左・中)がある。この滝の傍を通る遊歩道を歩き、湖を横切る木製の散策路(写真右)を渡ると、遊覧船乗り場のある「P3」ポイントだ。遊歩道を歩いていると、対面から多くの人達が歩いて来たが、彼らは「上湖」から下ってきた観光客だったのである。今日はまだ空いている方で、真夏のピークシーズンには、人が行き来するのも大変なくらい混雑するらしい。

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午後2:40 遊覧船乗り場のある「P3ポイント」に到着。我々の予約している船の時間が午後3:15発だったので、それまでの間自由行動の時間になる。「P3ポイント」には、船を待つ人たちが楽しめるように、屋外に椅子とテーブルが据え付けられており、近くにはインフォメーションセンターや土産物店、飲食店などがある(写真)。バーべキューのお店から、広場一杯に美味しそうな匂いが漂っていた。

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午後3:10、船着き場に集合。我々の乗る船がやってきた。午後3:12、遊覧船に乗る(写真)。船は予定通り、午後3:15に「P3ポイント」の桟橋を離れる。

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「コジャク湖」(写真左)は、国立公園内最大の湖で、海抜534m、最深部は46mもある。長さは2.3km、幅は135~670mと場所によってかなり差だ。この湖には「シテファニヤ」という名前の小島がある(写真右)。島は長さ275m、幅60mの楕円形で、湖面からの高さは9.5m。島の名前の由来は、「オーストリアのシテファニヤ皇女が1888年にプリトヴィッツェ湖を訪れたのにちなんだもの」(「旅名人ブックス クロアチア」より)だという。

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船は電動ボートなので、音は静かだ。ブルーの湖面とその背景の緑が美しい(写真左)。ゆったりとした気持ちで湖面を進む。乗船してから約15分、午後3:32、遊覧船乗り場「P1ポイント」に到着した(写真中)。当初「P2ポイント」経由で「P1ポイント」に来る予定であったが、「P2ポイント」で待つ人員が多過ぎたため、直接こちらに来たようだ(写真右)。

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「P1ポイント」(写真左)からは、森林のなかを通る階段や坂道を上り(写真中)、本日宿泊する「ホテル・イェゼロ」に向かうのだ。15分ほどでホテルに着く。
「ホテル・イェゼロ」(写真)は三つ星だが、プリトヴィッツェでは最も高級なホテルで、部屋数も215と最大級だ。そのため、日本人観光客もこのホテルを良く利用するとの事。

ホテル・イェゼロ(National Park Plitvicka Jezera[Hotel Jezero(英語版)])
http://www.np-plitvicka-jezera.hr/en/index.php?option=com_content&view=article&id=46&Itemid=57

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午後4:15頃入室(写真)。街中であれば、この後すぐに観光に出かけるのだが、ここは国立公園の中。本日すでに十分自然を楽しんだので、夕食の時間まで部屋でノンビリ過ごす事にした。入浴、荷物整理、資料整理を済ませ、ベッドでゴロゴロする。

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午後7:00前、夕食会場であるホテルのレストラン(写真左)に向かう。本日のメニューは次の通り。
・ミネストローネ(写真中)
・野菜サラダ(写真右)
・ポークメダイヨン(写真下左)
・クルミのケーキ(写真下中)
・ノンアルコールビール(15クーナ : 写真下右)


約1時間半で夕食を終え、午後9:00頃から15分ほど、添乗員と明日のプランについて相談をする。単独行動を取りたかったので、どのようなスケジュールになるのかなども確認した。午後9:15、部屋に戻り、明日観光する場所の下調べを始めるが、すぐに眠くなったので、午後9:30ころベッドに入った。

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「週刊世界遺産 ドゥブロヴニクの旧市街」(菅家洋也編)[講談社]
・「プリシヴィツェ湖」(アナ・イヴェリャ・ダルマティン編)[観光出版社ザグレブ]



September 18, 2011

クロアチアの現行コイン

クロアチア・スロベニアの旅(番外編3)

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現在クロアチアで使われている通貨は、クロアチア・クーナ(Croatian Kuna)と補助通貨のリーパ(Lipa)である。前回、紙幣についてお話ししたが、今回は現在流通しているコインについてお話しする(写真左 : 表面、写真右 : 裏面)。


クロアチア中央銀行の公式HP(英語版 : 現在流通しているコイン)
http://www.hnb.hr/novcan/ekovanic.htm
クロアチア造幣局の公式HP(英語版)
http://www.hnz.hr/eng/index.asp
ウィキペディア・フリー百科事典(クーナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%8A


個別のコインについてみる前に、各コインに共通して見られる個所について簡単にご説明しておく。

第一は、コイン上の国名表示についてだが、「CROATIA(クロアチア)」の文字は一切使われておらず、クロアチア語で「REPUBLIKA HRVATSKA(フルヴァツカ)」と表示されている。

第二は、裏面に描かれた動植物の学名について、隔年でクロアチア語(奇数年)とラテン語(偶数年)を用いて表記している。

例) 「5クーナコイン」の場合
奇数年「MRKI MEDVJED(クロアチア語)」
偶数年「URSUS ARCTOS(ラテン語)」

第三は、「クーナ」コインの表面にデザインされた小動物「テン」について。「クーナ」はクロアチア語で「テン」を意味する単語だが、「中世ロシア、東ヨーロッパ地域ではテンなどの小動物の毛皮が貨幣の役割を果たしていたことに由来して貨幣単位になった」(「世界コイン図鑑」)との事。
なお、補助貨幣単位である「リーパ」については詳しく分からないのだが、前掲書には、「リーパ」コインの表面に「菩提樹の枝」をデザインしたことから、クロアチア語で「リンデン」(西洋菩提樹)を意味する「リーパ」を単位にしたのではないかということが紹介されている。


① 5クーナ

材質 : 白銅亜鉛(銅・ニッケル・亜鉛)
直径 : 26.5mm
重さ : 7.45g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「5 KUNA」の表示と「テン」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左側に「オーク」の、右側に「月桂樹」の枝

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「MRKI MEDVJED」の文字
※「URSUS ARCTOS」(偶数年)
中央に「ブラウンベア」のデザイン
下に年号を表す「2007」の数字


② 2クーナ

材質 : 白銅亜鉛
直径 : 24.5mm
重さ : 6.2g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「2 KUNE(クーネ)」(※)の表示と「テン」のデザイン
(※)2に対する複数形
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左側に「オーク」の、右側に「月桂樹」の枝

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「TUNJ」の文字
※「THUNNUS THYNNUS」(偶数年)
中央に「マグロ」のデザイン
下に年号を表す「2009」の数字


③ 1クーナ

材質 : 白銅亜鉛
直径 : 22.5mm
重さ : 5.0g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「1 KUNA」の表示と「テン」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左側に「オーク」の、右側に「月桂樹」の枝

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「SLAVUJ」の文字
※「LUSCINIA MEGARHYNCHOS」(偶数年)
中央に「ナイチンゲール」のデザイン
下に年号を表す「2009」の数字

ウィキペディア・フリー百科事典(サヨナキドリ[ナイチンゲール])
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%82%AD%E3%83%89%E3%83%AA

④ 50リーパ

材質 : ニッケル被覆スチール
直径 : 20.5mm
重さ : 3.65g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「50LIPA」の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左右に「編細工」

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「VELEBITSKA DEGENIJA」の文字
※「DEGENIA VELEBITICA」(偶数年)
中央に「デゲニア・ヴェレビティカ」のデザイン
下に年号を表す「2011」の数字

ウィキペディア・フリー百科事典(デゲニア[Degenia : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Degenia

⑤ 20リーパ

材質 : ニッケル被覆スチール
直径 : 18.5mm
重さ : 2.9g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「20LIPA」の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左右に「編細工」

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「MASLINA」の文字
※「OLEA EUROPAEA」(偶数年)
中央に「オリーブの枝」のデザイン
下に年号を表す「2009」の数字


⑥ 10リーパ

材質 : ブラス(銅・亜鉛)被服スチール
直径 : 20.0mm
重さ : 3.2g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「10LIPA」の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左右に「編細工」

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「DUHAN」の文字
※「NICOTIANA TABACUM」(偶数年)
中央に「タバコの葉」のデザイン
下に年号を表す「2011」の数字


⑦ 5リーパ

材質 : ブラス被服スチール
直径 : 18.00mm
重さ : 2.5g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「5LIPA」の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「HRAST LUŽNJAK」の文字
※「QUERCUS ROBUR」(偶数年)
中央に「樫の実と葉」のデザイン
下に年号を表す「2009」の数字


⑧ 2リーパ

材質 : アルミニュウム(アルミ・マグネシウム)
直径 : 17mm
重さ : 0.92g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「2LIPE(リーペ)」(※)の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
(※)2に対する複数形
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章を中心として、左右に「編細工」

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「VITIS VINIFERA」の文字
※「VINOVA LOZA」(奇数年)
中央に「ぶどうの実と葉」のデザイン
下に年号を表す「2008」の数字


⑨ 1リーパ

材質 : アルミニュウム
直径 : 17mm
重さ : 0.7g

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(表面 : 写真左)
中央に額面「1LIPA」の表示と「菩提樹の枝」のデザイン
コインの円周上半分に、クロアチア語での国名「REPUBLIKA HRVATSKA」(フルヴァツカ)の文字
下にクロアチアの国章

(裏面 : 写真右)
コインの円周に沿い、左上に「ZEA MAYS」の文字
※「KUKURUZ」(奇数年)
中央に「とうもろこしの実」のデザイン
下に年号を表す「2006」の数字


(参考文献)
・「世界コイン図鑑」(平石国雄他編・著)[日本専門図書出版刊]
・「2010 Standard Catalog of WORLD COINS」(George Cuhaj編)[Krause publications刊]


September 17, 2011

クロアチアの現行紙幣

クロアチア・スロベニアの旅(番外編2)

現在クロアチアで使われている通貨は、クロアチア・クーナ(Croatian Kuna)と補助通貨のリーパ(Lipa)である。今回は、この中から現在流通している紙幣をご紹介する。

クロアチア中央銀行
http://www.hnb.hr/eindex.htm


① 10クーナ紙幣

発行年月日 : 2001年3月7日
サイズ : 126mm×63mm

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(表面 : 写真左)
19世紀に活躍した司教「ユラ・ドブルイラ」(1812~1882)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(ユラ・ドブルイラ[Juraj Dobrila : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Juraj_Dobrila

(裏面 : 写真右)
イタリアに近いイストラ半島の町プーラにある「古代円形競技場」

ウィキペディア・フリー百科事典(プーラ・アリーナ[Pula Arena : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Pula_Arena


② 20クーナ紙幣

発行年月日 : 2001年3月7日
サイズ : 130mm×65mm

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(表面 : 写真左)
19世紀の領主「ヨセフ・エラチェック」(1801~1859)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(ヨセフ・エラチェック[Josip Jelacic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Josip_Jela%C4%8Di%C4%87

(裏面 : 写真右)
ドナウ河に面したブコバールの町にある「エルツ城」と鳩の陶器(ヴチェドルの鳩)

ウィキペディア・フリー百科事典(エルツ城[Jakob Eltz : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Jakob_Eltz
ウィキペディア・フリー百科事典(考古学博物館[Arheoloski muzej u Zagrebu : クロアチア語版])
http://hr.wikipedia.org/wiki/Arheolo%C5%A1ki_muzej_u_Zagrebu
考古学博物館の公式HP(英語版)
http://www.amz.hr/home.aspx


③ 50クーナ紙幣

発行年月日 : 2002年3月7日
サイズ : 134mm×67mm

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(表面 : 写真左)
16~17世紀に活躍した詩人「イワン・グンドゥリック候」(1589~1638)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典([Ivan Gundulic : 英語版])
http://en.wikipedia.og/wiki/Ivan_Gunduli%C4%87

(裏面 : 写真右)
アドリア海に面した中世からの城塞都市ドゥブロニクの俯瞰図と市庁舎

ウィキペディア・フリー百科事典(ドゥブロヴニク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%83%8B%E3%82%AF


④ 100クーナ紙幣

発行年月日 : 2002年3月7日
サイズ : 138mm×69mm

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(表面 : 写真左)
19世紀に活躍した政治家「イワン・マズラニク」(1814~1890)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(イワン・マズラニク[Ivan Mazuranic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Ma%C5%BEurani%C4%87

(裏面 : 写真右)
イストラ半島の付け根にある港町リエカにある「聖ビタス教会」とその見取り図

ウィキペディア・フリー百科事典(リエカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%AB
ウィキペディア・フリー百科事典(聖ビタス教会[Rijeka Cathedral : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Rijeka_Cathedral


⑤ 200クーナ紙幣

発行年月日 : 2002年3月7日
サイズ : 142mm×71mm

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(表面 : 写真左)
19~20世紀に活躍した政治家「ステファン・ラディック」(1871~1928)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(ステファン・ラディック[Stjepan Radic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Stjepan_Radi%C4%87

(裏面 : 写真右)
ハンガリーに近い「オシェク」の町の庁舎と町の見取り図

ウィキペディア・フリー百科事典(オシェク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%82%AF
ウィキペディア・フリー百科事典(オシェク[Osijek : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Osijek
ウィキペディア・フリー百科事典(トゥヴルジャ[Tvrda : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Tvr%C4%91a


⑥ 500クーナ紙幣

発行年月日 : 1993年10月31日
サイズ : 146mm×73mm

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(表面 : 写真左)
15~16世紀に活躍した詩人「マルケ・マリック」(1450~1524)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(マルケ・マリック[Marko Marulic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Marko_Maruli%C4%87

(裏面 : 写真右)
アドリア海に面した中世からの城塞都市スブリトにあるディオクレチアン宮殿の俯瞰図

ウィキペディア・フリー百科事典(ディオクレティアヌス宮殿)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9%E5%AE%AE%E6%AE%BF
ウィキペディア・フリー百科事典(スプリト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%88


⑦ 1,000クーナ紙幣

発行年月日 : 1993年10月31日
サイズ : 150mm×75mm

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(表面 : 写真左)
19世紀に活躍した政治家「アンテ・スタルチェビック」(1823~1896)の肖像

ウィキペディア・フリー百科事典(アンテ・スタルチェビック[Ante Starcevic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ante_Star%C4%8Devi%C4%87

(裏面 : 写真右)
10世紀最初のクロアチア王「トミスラフ」の騎馬像と13世紀に建築された「ザグレブ大聖堂」

ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチア王「トミスラフ」[Tomislav of Croatia : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Tomislav_of_Croatia
ウィキペディア・フリー百科事典(聖母被昇天大聖堂[Zagreb Cathedral : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Zagreb_cathedral

(参考文献)
・「世界紙幣図鑑」(植村峻編・著)[日本専門図書出版刊]
・「World Paper Money」(George s. CUhaj編)[Krause publications刊]



September 16, 2011

早朝のザグレブ(クロアチア)散策(その2 : 旧市街)

クロアチア・スロベニアの旅(第9回)

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午前6:56、これからいよいよ旧市街の観光である。最初に向かったのは、「青果市場」だ。「イェラチッチ広場」の北側に建つクリーム色の建物(写真左)の1階が通路になっているので、ここを通り抜ける。通路の両側には、宝飾品店などが並ぶ(写真中)。建物を出た右手には「聖母被昇天大聖堂」が見えた(写真右)。

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正面にある階段を上ると、そこは「青果市場」(写真)である。「ザグレブの胃袋」とも呼ばれており、1926年から現在まで続くザグレブの市場の中では最も古いものだという。既に野菜や果物を積み上げて商売を始めているお店もあり、買い物客も来ていたが、まだ時間が早いため、むしろ出店準備のため忙しく動き回っているお店の人達の方が目立った。お店の間を通り抜けると、市場の角にはお土産物を売るお店も出ていた。

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続いて、「青果市場」の東側に建つ「聖母被昇天大聖堂」に向かった。市場から20mほど歩くと大聖堂前の広場に出る「カプトル広場」だ。ここには「聖母マリアのモニュメント」(写真)が建っている。ポールの上に立つ、黄金の「聖母マリア」。ポールの周りにも黄金の天使たちの像が並ぶ。

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そして広場の東側にそびえるのが、「聖母被昇天大聖堂」(写真)。市街の至る所から見ることのできる、ザグレブのシンボルで、ネオ・ゴシック様式を取り入れた建物だ。13~18世紀にかけて、何度も再築、修築が繰り返された。現在の外観は、ドイツ人建築家ヘルマン・ボレーの設計で、1880年の地震後に修復されたものである。
高さ105mの鐘楼が2つ並ぶが、そのうちの一つが現在工事中のため、完全な姿を見ることはできなかった。

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大聖堂の中に入ると、正面のステンドグラスが美しく輝き、高い天井が荘厳な雰囲気を作り出している(写真左・中)。現在ミサが行われており、緑色の礼服を身につけた4人の司祭が、キリストを抱く聖母マリアの黄金像の置かれている祭壇の前でお話をしていた(写真右)。祭壇まで近づき、大司教ステピナッツの墓やバロック様式の説教壇などを見たかったのだが、諦めざるを得なかった。時間が許せば戻ってくることにして、大聖堂を離れた。

ウィキペディア・フリー百科事典(聖母被昇天大聖堂[Zagreb Cathedral : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Zagreb_cathedral

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「カプトル広場」から続く「カプトル通り」を北へ100mほど歩くと、左手に「コメディ劇場」(写真左)がある。さらに進むと、「聖フランシス教会」と「修道院」が見えた。クリーム色の建物に、一本の鐘楼が建つ(写真中)。壁には小さなキリストの礼拝堂がある(写真右)。

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教会の入り口は、この先を左折し、数十メートル歩いたところだ。この教会と修道院は、クロアチアでは最も古いものの一つで、1228年、ゴシック様式で建てられた。その後「聖母被昇天大聖堂」同様、何度も再築、修築が繰り返されており、現在の外観は、ドイツ人建築家ヘルマン・ボレーの設計で、1880年の地震後に修復されたもの。ネオ・ゴシック様式の建物だ(写真)。

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教会の中に入ると、正面に「聖フランシス礼拝堂」の祭壇が置かれている。それを取り囲むステンドグラスが美しい。ミサは行われていなかったが、多くの人々が祈りをささげていた(写真)。

ウィキペディア・フリー百科事典(「聖フランシス教会」と「修道院」[Franjevacki samostan I crkva na Kaptolu : クロアチア語版])
http://hr.wikipedia.org/wiki/Franjeva%C4%8Dki_samostan_i_crkva_na_Kaptolu

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次に「石の門」を訪ねるつもりで、「Opatovina通り」を南に向かう。この通りには、カフェや衣料品店などが続く。まだ朝が早いため、オープンしていないお店も多い。先ほど訪ねた「青果市場」の手前、花売りの出店(写真左)が並ぶ広場を右折して「トカルチチェヴァ通り」に入り、北に進む。この通りには、先ほど以上に多くのカフェが並んでいる(写真中)。
途中で、傘を持った女性の銅像を見つける。19世紀末から20世紀に活躍したクロアチアで初めての女性ジャーナリスト、「マリア・ユリッチ・ザゴルカ」(写真右)である。何故このような所に建っているのだろうか?

ウィキペディア・フリー百科事典(マリア・ユリッチ・ザゴルカ[Marija Juric Zagorka : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Marija_Juri%C4%87_Zagorka

このあたりから西に向かう通りに入れば「石の門」に出られるはずなのだが、その道が見つからない。注意しながら歩いていたのだが、いつの間にか500mほど歩いていた。私は歩くのが早いので、いつの間にか遠く離れた所まで行ってしまうことがある。目の前にショッピングセンターが見えたので行き過ぎたことに気づき、再び来た道を戻る。

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400mほど戻った処に、木で出来た階段の細い上り道があるのを見つけた(写真左)。先ほどもお話しした通り、このあたりにはカフェが多く、道路に椅子とテーブル、パラソルを出しているため小道が隠されてしまい、初めて来た者にとってはどこに道があるのか分からなくなっていたのだ。木で出来た階段を上ると、石畳の坂道に出た。100mほど上ると、左手に騎馬像の周りに赤い花の咲く花壇があった(写真中)。ここを通り過ぎようとした時、何気なく振り返ると「石の門」があるではないか。もう少しで通り過ぎてしまうところであった(写真右)。

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花壇の横の階段を上り、左手に進むと「石の門」(写真)だ。このあたり「ゴルニィ・グラード」は、中世にはグラデツという王国自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれていた。城壁には東西南北に4つの門があり、唯一現存する東の門がこの「石の門」なのである。
「旅名人ブックス クロアチア」によると、「18世紀半ばに当時は木製の門であった東門付近で火災が起きた。火の気はたちまち広がり辺りを焼き尽くした。伝承によると大火が収まった後にまだくすぶる灰の中から聖母子を描いたコインが拾い出された。そのイコンだけ無傷だったことに人々は驚き大切に保管した。火災発生後の1760年に門が石に造りかえられた時に、ここに礼拝堂を設け奇跡のイコンが納められた」との事。
ロウソクや花を捧げて祈る人の姿が絶えないと言われているが、私が訪れた時にも3人の人が入れ替わりお祈りをしていた。

ウィキペディア・フリー百科事典(ゴルニィ・グラード[Gornji Grad-Medvescak : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Gornji_Grad_-_Medve%C5%A1%C4%8Dak
ウィキペディア・フリー百科事典(グラデツ[Gradec,Zagreb : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Gradec,_Zagreb

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続いて、「石の門」から南西約100mに位置する「聖カタリナ教会」(写真左・中)に向かう。1632年に完成したイエズス会の教会で、バロック様式。非常にシンプルな外観だが、内部はピンクと白をベースにしており美しい(写真右)。教会の扉は開いていたのだが、中には入れなかったので、ガラス扉越しに写真を撮影する。撮影を終えて教会から離れる途中、神父らしき男性が教会の扉を閉めに来ていた。普段はいつも閉まっているのだろうか。それともミサが終わったからなのか?

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次は、どうしても見たいと思っていた「聖マルコ教会」(写真)である。この教会の屋根に、今年の6月に訪れたハンガリーのジョルナイ工房のセラミックが使われていると聞いていたからだ。ブダペストの「マーチャーシュ教会」や「中央市場」、またウィーンの「聖シュテファン寺院」の屋根などと比べてみたかったのである。

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「聖マルコ教会」は、「聖カタリナ教会」から北へ100mほど。「聖キリル&メトデイウス通り(sv. Cirila I Metoda)」通りの正面に見えて来た(写真)。屋根を見ると、一目でジョルナイ工房のセラミックを使っていることが分かった。ブダペストの「マーチャーシュ教会」(写真中)や「中央市場」、またウィーンの「聖シュテファン寺院」(写真右)の屋根と同じイメージなのだ。

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周囲には数人の警官が立っていた。実はこの教会の東側に「国会議事堂」(写真左)が、また西側には「クロアチア政府の官邸」(写真右)が建っているからなのだ。しかし、それにしては手薄な警備である。

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「聖マルコ教会」は、何といってもその美しい屋根が特徴だ。青・赤・白の三色で、2つの紋章がデザインされており、左側には、クロアチア王国とダルマチア地方、スラヴォニア地方の紋章の組み合わせが、右側にはザグレブ市の紋章が見られる。教会そのものは13世紀からあったようだが、現在見られるこの教会や屋根のデザインは、改修工事の行われた1880年からだという(写真浸り・中)。
屋根が目立つので見逃してしまいそうだが、南側には、この教会で最も古い部分とされている、ロマネスク様式の窓と14世紀のゴシック様式の扉を見ることが出来る(写真右)。

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残念ながら内扉が閉まっており、ガラス扉越しにしか教会の内部を見ることはできなかったが、「主祭壇に彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチの手がけたキリストの磔刑、その右には聖母子像が納められている」(「旅名人ブックス クロアチア」より)との事だったので、写真撮影してみた(写真)。

ウィキペディア・フリー百科事典(聖マルコ教会[St.Mark’s Church,Zagreb : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/St._Mark%27s_Church,_Zagreb

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続いて、「聖マルコ教会」北側にある「メシュトロヴィッチのアトリエ」(写真)の前まで行ってみた。クロアチアを代表する彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチのアトリエであった館を利用した美術館である。彼は1922年から1942年までの20年間をここで暮らしたという。「古い17世紀の屋敷の空間をうまく使い中庭を含む生活空間に彼の彫刻作品約300点が展示されている」(前掲書より)との事。

ウィキペディア・フリー百科事典(イヴァン・メシュトロヴィッチ[Ivan Mestrovic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ivan_Me%C5%A1trovi%C4%87
イヴァン・メシュトロヴィッチの公式HP(英語版)
http://www.mdc.hr/mestrovic/imestrovic-en.htm

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時計を見ると、午前8:00である。午前8:45にはホテルに戻りたいので、あまりノンビリしている時間はない。道に迷ったのがロスであった。「聖マルコ教会」を離れ、「聖キリル&メトデイウス通り」を南に歩く。途中に「ナイーヴアート美術館」(写真)があった。「ナイーヴアート」は、19世紀から20世紀にかけて存在した絵画の一傾向のことで、「素朴派」とも呼ばれている。クロアチア内陸部に伝わる伝統的なガラス絵のコレクションとして知られており、ここには世界的に有名なナイーヴアート・アーティストの作品が展示されている。

ナイーヴアート美術館の公式HP(英語版)
http://www.hmnu.org/en/default.asp
ウィキペディア・フリー百科事典(素朴派[ナイーヴアート])
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E6%B4%BE
ウィキペディア・フリー百科事典(ナイーヴアート[Naïve art : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Na%C3%AFve_art

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「ナイーヴアート美術館」を通り過ぎると、「ロトルシュチャク塔」(写真)の前に出た。この塔は、「13世紀にグラデッツを囲っていた城壁の南門に建てられた見張り塔である。塔の上を見上げると大砲がついている。毎日お昼の12時なると、この大砲が煙をあげすさまじい轟音をたてて撃ち鳴らされる。大砲は100年以上前から毎日撃たれている。これにはこんな伝承がある。15世紀オスマントルコが攻めてきてサヴァ川の向こうに陣を張った時、正午に撃った大砲がサヴァ川を越えてトルコ軍の雄鳥に命中し粉みじんに吹き飛ばした。それを見たトルコ軍は志気を失い、ザグレブを攻め落とす事ができなかった。今もそれを記念して町を守るための大砲を鳴らしている・・・・・」(前掲書より)との事。

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塔の南側からは、新市街を一望できる(写真左・中)。西側、右手にはケーブルカーの乗り場があった(写真右)。後から分かった事だが、「イェラチッチ広場」から「イリツァ通り」を西に200m歩と進むとケーブルカーの乗り場があるので、これを利用してここまで昇り、その後私が来たのとは逆に行く方が効率的に観光できるようだ。

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私はケーブルを利用せず、その隣に続くスロープと階段を降りることにした(写真)。どこに出るのかを確かめたかったからである。高低差は20mほどしかないので、なだらかな坂道であったが、最後の階段は少しキツメだ。結局、「イェラチッチ広場」の北西の道を20mほど北に進んだ辺りに出た。この道も、カフェの椅子とテーブル、パラソルに隠れていたので、地元の人でなければ見過ごしてしまうのではないだろうか。

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再び「イェラチッチ広場」に到着。時間は午前8:15だ。まだ、どうしても行きたいところが2カ所あったのだが、ここからホテルまでに要する時間を15分とすると、残り15分しかない。急いで最初の目的地である「ザグレブ銀行」(写真)左・中に向かった。昨日ホテルに到着したとき、クロアチアのお金を手に入れるため外貨両替をしたのだが、500クーナ札など一部の紙幣がなかったので、ここで手に入れようと思ったのである。外貨両替だけであれば、これからもチャンスはあるだろうが、希望の金種があるか否か分からないうえ、コンディションが良いかもわからないので、大手金融機関を利用することにしたのだ。番号札(写真右)を取り、待つこと数分で私の番が廻ってきた。新札はなかったが、それに近い状態のものを手に入れることができたので大満足。

「Zagrebacka banka」の公式HP(英語版)
http://www.zaba.hr/home/wps/wcm/connect/zaba_en/zabapublic/about_the_bank

銀行を出ると、その隣に「インフォメーションセンター」があった。地元の資料を手に入れたかったのだが、オープンは午前8:30から。あと10分もすれば開くのだが、待っていると帰りが遅くなるので、ここは諦めることにした。

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そして急ぎ足で向かったのが、「中央郵便局」(写真)である。クロアチアの通貨「クーナ」の補助貨幣に「リーパ」があるのだが、ホテルのフロントの話では、普段ほとんど使用することがないので、すべての種類を手に入れるのは難しいが、ザグレブの中央郵便局であれば可能かもしれないとの事であった。それに期待してここを訪ねるのである。

局内には日本でも見られるような受付窓口が並んでおり、その反対側には、切手やコインなどを売るお店が並んでいた。展示されているコインを見ると、記念硬貨ばかりで、現行流通貨はない。そこでお店の人に訊ねると、販売はしていなかったのだが、レジの中に残っていた「リーパ」コインと両替してくれた。ここですべての種類のコインが揃い、今度は大感激である。

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時計を見ると、午前8:39である。急ぎ足でホテルに戻る。この頃には全体の地図が頭に入っていたので、最短コースを選んで歩くと、午前8:46にホテルに到着した(写真左)。レストランで朝食を取り(写真中・右)、午前9:05に部屋へ戻る。荷物は出来上がっていたが、再度忘れ物がないかチェックし、10分ほどベッドで横になった。午前9:20、ロビーに向かい、フロントでクーナへの外貨両替をした。こちらはコレクションでなく、旅行中に使うためである。午前9:30、バスは予定通り、本日観光する「プリトヴィッツェ」に向け走り出した。

早朝から忙しく歩き廻ったが、時間があったので一通り見ることはできた。しかし、昨日同様、次に来る機会があった時は、美術館などもジックリ見学したいと思う。

ウィキペディア・フリー百科事典(ザグレブ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%96
ウィキペディア・フリー百科事典(ザグレブの歴史[History of Zagreb : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Zagreb
ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2
ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチアの歴史)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]



September 15, 2011

早朝のザグレブ(クロアチア)散策(その1 : 新市街)

クロアチア・スロベニアの旅(第8回)

第3日目(8月30日[火] : 晴れ)

5:00 起床
6:00 徒歩で外出(ザグレブ中心部観光)
8:45 ホテルに戻る
8:50~9:05 ホテルのレストランで朝食をとる
9:05~9:20 部屋で休息
9:20 ホテルのフロントで外貨両替する(ユーロ→クーナ)
9:30 バスで「プリトヴィッツェ湖群国立公園」に向かう
9:45 サワ川を渡る
9:50 ザグレブの街を出る
10:27~10:45 カルロヴァツ(KARLOVAC)でトイレ休憩
11:16~11:25 バスを下車し、小型プリトヴィッツェと言われるラストケ村(RASTOKE)の写真撮影
11:44~13:00 Hotel & Restaurant「DEGENIJA」で昼食
13:10 「プリトヴィッツェ湖群国立公園」の駐車場に到着
13:32 現地ガイドと一緒に「プリトヴィッツェ湖群国立公園」入場
14:40 遊覧船乗り場「P3」ポイントに到着
14:40~15:10 自由行動
15:12 遊覧船に乗る
15:32遊覧船乗り場「P1」ポイントに到着
15:32~15:45 徒歩でホテルに向かう
15:45 ホテル「イェゼロ」(Jezero)に到着
16:10 入室
16:10~19:00 入浴、荷物整理、資料整理
19:00~21:00 ホテルのレストランで夕食
21:00~21:15 添乗員と明日のプランについて相談
21:15 部屋に戻る
21:30 就寝


昨日同様、午前5時に起きる。まだ時差ボケのおかげで、早朝に目が覚めても頭は冴えている。クロアチアの首都「ザグレブ」で一泊したが、ツアーの予定ではこのまま「プリトヴィッツェ湖群国立公園」に向かうため、朝の時間を利用して「ザクレブ」の街を観光することにした。昨日と異なり、ホテルから街の中心部まで300~400mしか離れていないので、徒歩で十分に観光出来る距離である。また本日は午前9:30出発と時間にも余裕があるので、効率的に廻れば、かなり多くのものを見ることができる。

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ホテルを出て最初に向かったのは、「トミスラフ広場」(写真)だ。「Hatzova通り」を西に5~6分歩くと、広場の前に出た。ザグレブの街は、後ほど訪れる「イェラチッチ広場」を境に、北側が「旧市街」、南側が「新市街」になる。この「トミスラフ広場」は新市街に位置し、南北に400mほど伸びる。一面緑の芝生が敷き詰められており、その中に造られた色とりどりの花が咲く花壇と噴水が印象的だ。広場というよりも、公園と言った方が良いのではないだろうか。

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広場の南側には、銅像が建っている(写真左)。クロアチアの初代国王「トミスラフ」の騎馬像だ(写真中)。さらに南に目をやると、人で混雑していた。「ザグレブ中央駅」(写真右)である。その前にはトラムの駅もあるため、通勤客で賑わっているのだ。

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予定に入れていなかったのだが、「ザグレブ中央駅」(写真)に行ってみることにした。ネオ・クラシツク様式の駅舎で、同国最大の鉄道の駅だ。1892年に開業、ハンガリー人の建築家「フェレンツ・プファッフ」によって造られたという。この駅は、1919年から1977年まで、オリエント急行の停車駅で、「1963年に公開された映画、ショーン・コネリー主演の007シリーズ『ロシアより愛をこめて』にも登場している」(「旅名人ブックス クロアチア」より)との事。駅舎内も歴史を感じさせるものがあっていい雰囲気だが、ホームをみると日本の地方の鉄道の駅と言った雰囲気である。


ウィキペディア・フリー百科事典(トミスラフ一世[Tomislav of Croatia : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Tomislav
ウィキペディア・フリー百科事典(ザグレブ中央駅)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%96%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%A7%85

駅をひと回りした後、再び広場に戻り、騎馬像の横を通って北に向かった。地図を見ると、「トミスラフ広場」の北には「ストロスマエル広場」があり、さらにその北に「ズリンスキー広場」が続き、少し離れた北側に新旧市街を分ける「イェラチッチ広場」がある。

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「トミスラフ広場」の北の端には、アールヌーボー様式の屋根を持つクリーム色の建物がみられた(写真 : 写真中・右は、「ストロスマエル広場」側から撮影したもの)。「展示場として使われているアートパピリオンで、中には高級レストランも入っている。「この建物はもともと19世紀末に開かれたブダペスト一千年祭の万博パビリオンであった。会期終了後に鉄骨をザグレブまで運び、同じようなデザインで完成させた」(前掲書より)ものである。

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続いて「ストロスマエル広場」に入る。この広場の北の端には「クロアチア美術科学アカデミー」の建物がある(写真左・中 : 写真中は「ズリンスキー広場」側から撮影したもの)。司教であり政治家でもあった「ストロスマエル」氏によって、19世紀末に設立された。建物の中には「ストロスマエル美術館」があり、ストロスマエル司教のコレクションをベースに、14世紀から19世紀のヨーロッパ絵画が展示されている。また建物の南側には、ストロスマエル司教の銅像が建つ(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(ストロスマエル[Josip Juraj Strossmayer : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Josip_Juraj_Strossmayer
ウィキペディア・フリー百科事典(クロアチア美術科学アカデミー[Croatian Academy of Sciences and arts : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Croatian_Academy_of_Sciences_and_Arts
クロアチア美術科学アカデミーの公式HP(英語版)
http://info.hazu.hr/home

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「クロアチア美術科学アカデミー」の建物から広場の外、西側に目を向けると「近現代美術館」(写真)が見える。クロアチアを代表する美術館で、「19世紀と20世紀の200年にわたるクロアチアの絵画を展示」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より)している。

ウィキペディア・フリー百科事典(近現代美術館[Modern Gallery,Zagreb : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Modern_Gallery,_Zagreb
近現代美術館の公式HP(英語版)
http://www.moderna-galerija.hr/

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次は「ズリンスキー広場」だ。この広場は、これまでの広場と少し趣が異なる。並木路になっており(写真左)、中央には屋根付きのテラスがある(写真中)。何となく知的な雰囲気を感じる。広場の外、北西側に面して建つクリーム色の建物は「考古学博物館」(写真右)だ。ザグレブを中心に、クロアチア各地で発掘された文物が収蔵されている。クロアチア東部ヴコヴァル近郊で見つかったハト型の土器(20クーナ紙幣の裏面デザインに使われている)や、「ザグレブのミイラ」と呼ばれる木棺に納められたエジプトの女性ミイラなどで知られているようだ。また、地中世界を網羅した膨大なコインのコレクションもあるようなので、次回チャンスがあれば、是非とも館内を見学したい。

ウィキペディア・フリー百科事典(考古学博物館[Arheoloski muzej u Zagrebu : クロアチア語版])
http://hr.wikipedia.org/wiki/Arheolo%C5%A1ki_muzej_u_Zagrebu
考古学博物館の公式HP(英語版)
http://www.amz.hr/home.aspx

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「ズリンスキー広場」を離れ、トラムの通る「プラシュカ(Praska)通り」(写真左)を北に進むと、新旧市街地の境になる「イェラチッチ広場」(写真中・右)に出た。サッカー場ほどの大きさがあるというこの広場は、周囲をカフェや銀行、デパートやホテルなどに囲まれており、また各路線のトラムが集まっていることから、いつも非常に賑わっているという。私が訪れたのは午前7:00少し前。この時間帯には多くの通勤客が慌ただしく行き交っていた。

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広場の中央には騎馬像が建つ(写真)。19世紀の軍人で、独立の闘志とされるクロアチアの英雄「イェラチッチ総督」の銅像である。抑圧者ハンガリーに抵抗してハプスブルク家に自治権を要求した民族独立運動の英雄として、彼の死後まもなくこの騎馬像が建てられた。しかし、「社会主義時代にはクロアチア民族主義は押さえられていたため、ここは共和国広場と名前を変え銅像も取り払われていた。1991年のクロアチアの独立後にイェラチッチ像は再び広場に戻され」(「旅名人ブックス クロアチア」より)たとの事。

ウィキペディア・フリー百科事典(イェラチッチ広場[Ban Jelacic Square : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ban_Jela%C4%8Di%C4%87_Square
ウィキペディア・フリー百科事典(イェラチッチ総督[Josip Jelacic : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Josip_Jela%C4%8Di%C4%87
ウィキペディア・フリー百科事典(ザグレブ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%96

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]


September 14, 2011

ヨーロッパ最大規模の「ポストイナ鍾乳洞」

クロアチア・スロベニアの旅(第7回)

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昼食を終え、午後12:40、バスに乗り、次の目的地である「ポストイナ鍾乳洞」に向かって出発する。ユリアンアルプスの山々を見ながら、我々は南に進む(写真)。「ポストイナ」は、ブレッドの南、約100kmに位置する。ちょうど中間地点に、昨日宿泊した「リュブリャーナ」があるイメージだ。1時間10分ほど走ると、ポストイナの街に入った。

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午後1:55、バスは「ポストイナ鍾乳洞」の駐車場に到着。ここから鍾乳洞の入り口まで、200~300m歩かなければならない。道路面には、鍾乳洞への案内表示の代わりに、「類人魚」の絵が描かれている(写真左)。川に架かる橋を渡り、スロープを上ると、レストランやお土産物屋で賑わう広場に出た。この広場の先の階段を上ると鍾乳洞の入口があるのだ(写真中)。鍾乳洞内の見学は予約制で、我々の予約時間である午後3:00には、まだ1時間ほどあったので、何軒かの店を見て廻った(写真右)。普通の土産物店以外に目立ったのは、ガラス製品を売るお店。カラフルで、色々な形をしたガラスの器などが並べられていた。珍しいと思ったのは、香水の量り売りだ。約50種類の違った香水が並んでいる。この中から、気に入った香のものを小分けしてもらうのである。

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お店を見るのも飽きて来たので、鍾乳洞の入り口に行ってみた(写真左)。入口の左手横には、洞窟があった(写真中)。鍾乳洞に通じているのだが、格子戸があって中には入れない。しかしこのそばまで行くと、中から冷気が流れ出てくるのを感じる。外が快晴で暑かったこともあり、ここにいると汗がひいた。入口を通りなかに進むと、両壁に鍾乳洞内でしてはいけないことが絵で示されていた(写真右)。また洞内の環境説明を見ると、気温は8℃、水が垂れてくるので雨合羽などを使用すると良いとの事である。そこから先はチェーンが張られており、予約の時間が来ないと、それ以上進めないようになっていた。ブラブラしているうちに1時間が過ぎ、集合時間の午後2:50になったので、鍾乳洞の入り口横に向かう。午後3:00、ゲートが開いたので改札を通って中に入り、待っていたトロッコ列車に乗り込んだ。

「ポストイナ鍾乳洞」は、ヨーロッパ最大の鍾乳洞で、地下空洞の中でも世界で3番目の規模である(世界一はアメリカ・ケンタッキー州にある「マンモス・ケーブ国立公園」の洞窟)。スロベニアには、5,000~6,000もの地下空洞があり、カルスト地方であるここ南西部には特に多いという。ここから南西約33kmのところには、世界遺産に登録された「シュコツィヤン鍾乳洞」がある。

ウィキペディア・フリー百科事典(マンモス・ケーブ国立公園)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%96%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
ウィキペディア・フリー百科事典(シュコツィアン洞窟群)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B3%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E7%BE%A4
ウィキペディア・フリー百科事典(洞窟)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F#.E4.B8.96.E7.95.8C.E3.81.AE.E6.B4.9E.E7.AA.9F

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「ポストイナ鍾乳洞」の長さは、約20kmあり、うち観光出来るのは5.2kmである。トロッコ列車に乗って移動するのは最初の約2kmで、その後約1kmをガイドに付いて歩いて見学するのだ。トロッコ列車(写真)を見ると、とんでもなく長い。2人掛けの椅子が一列につながっている感じだ。一度に200人以上乗れるのではないか。これが2両。一日に最高14,000人の観光客を運べるというのだから、もっと多くの人数が乗れるのかもしれない。合図とともに、列車は走りはじめた。すぐに異次元の世界に入り込む。自然が生み出した神秘の空間を走り抜けるのだ。

「ポストイナ鍾乳洞」は、白亜紀(およそ1億4550万年前から6550万年前)の間に、7,000万年前の海で生じた石灰岩で出来ているという。「カルスト台地に降った雨は地面から空洞の多い石灰岩質の地下に染み込み、洞窟の天井に達する。炭酸カルシウムを含んだ水滴が天井から床面に滴り落ち、天井からは氷柱のような鍾乳石が、床からはタケノコのような石筍が成長していった。長い歳月をかけてその二つがつながって柱になったものもある。鍾乳石や石筍は今も形成が続いている。だが百年かけて成長するのはわずか1センチほど。洞内の古い鍾乳石には五十万年もの歳月をかけて成長したものもある」(「旅名人ブックス クロアチア」より)という。

ウィキペディア・フリー百科事典(鍾乳洞)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%BE%E4%B9%B3%E6%B4%9E
ウィキペディア・フリー百科事典(カルスト地形)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E5%9C%B0%E5%BD%A2

午後3:07、トロッコ列車は停車した。ここからは徒歩観光である。英語、イタリア語、ドイツ語など、いくつかの言語に分かれてツアーは進む。我々は英語ガイドのグループだ。英語が分からなくても、添乗員が日本語に通訳してくれるので問題はない。残念なのは、ここから通称「コンサート・ホール」と呼ばれる洞の手前まで、写真撮影が禁じられていることだ。以下、洞内観光についてお話しするが、写真は「ポストイナ鍾乳洞の公式HP」から転載した。

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我々が観光するのは、「ポストイナ鍾乳洞」の中でも最も美しいと言われている「レーペ・ヤーメ」(美しい洞窟 : 写真左)だ。ここには「ロシア橋」(写真右)を渡って入る。この橋は、第一次世界大戦で捕虜なったロシア兵によって造られたもの。

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この橋を渡ると「スパゲッティ・ホール」(写真)である。天井から垂れ下がった管状の鍾乳石が沢山あり、スパゲッティのように見えることから、このように名付けられたという。

続いて、全長約100mの人工地下道を通り「ロシア回廊」を進む。これを抜けると、この観光コースで最も標高の低い地点に到着である。入口よりも20m標高が低く、地上より約100m深いという。ここは先ほど見た「スパゲッティ・ホール」の真下になるようだ。

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さらに進むと、「ブリリアント」と名付けられた最も美しい鍾乳石の前に出る。左隣で白く輝く鍾乳石は「ダイヤモンド」と呼ばれており、これらはこの鍾乳洞のシンボルマークに採用されている。

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これら以外にも、白や赤の鍾乳石の柱が並ぶ「白のホール」や「赤のホール」や、「カーテン」(写真)と呼ばれる薄く平らな鍾乳石、仏塔やラクダそっくりの形をした鍾乳石などを見ることが出来る。

ところで、徒歩観光の途中、突然洞内の照明が消えた。真っ暗である。周囲は小声でザワザワしている。どのように対応すべきか考えていたのだが、10秒ほどで明るくなった。このような時に備え、やはり懐中電灯は持ってこなければならないと、痛切に感じた。

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しばらく歩くと、水槽(写真左)のようなものが見えて来た。この中で「類人魚」(写真右)が飼われている。「類人魚」(ホライモリ)は、「プロテウス・アングイヌス(Proteus anguinus)」という両生類で、イモリの仲間だ。人間のような肌色をしていることから、このように呼ばれるようになったという。「目はすっかり退化して盲目となり、エラ呼吸と肺呼吸を使い分け、1年近く何も食べなくても生きていけるという珍しい生き物で、寿命が長く80~100年とも言われています。ディナール山脈のカルストを流れる地下水にしか生息していません」(「ようこそ、ポストイナ鍾乳洞へ」より)との事。
また、「生物学者によって行われた実験の結果によると、類人魚は卵で繁殖するそうですが、生息する環境で観察することが困難なため、確かな証拠はありません。類人魚は通常人間が近づくことの出来ない小さな水没した隙間から地下水脈に及んだところで捕獲できるのですが、研究目的以外の捕獲は許されていません。類人魚は極めて希少類ですので、特別に保護されています。この水槽の中に入れられた類人魚は、観察するために捕獲されたもので、二ヶ月後には自然の環境に戻され、新しく捕獲された類人魚と入れ替えられ」(前掲パンフレットより)るという。

ウィキペディア・フリー百科事典(ホライモリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%AA

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最後に訪れたのは、ポストイナ鍾乳洞で最も大きな空間「コンサート・ホール」(写真 : コンサートが開かれている様子)だ。高さが40mあり、面積も300平方メートルと広く、10,000人収容できるとの事。「洞窟は音の反響が良く、約6秒間の残響を取り込みます。コンサート・ホールでは時にはクラシックのコンサートが開催」(前掲パンフレットより)されるとの事。

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「コンサート・ホール」でしばらく写真撮影を楽しみ、その後再びトロッコ列車で鍾乳洞の出口に戻った(ホームに入ってくるトロッコ列車)。鍾乳洞の中は涼しかったのだが、外に出ると汗が滴る暑さである。そのままバスの待つ駐車場に行き、午後4:45、本日宿泊するクロアチアの「ザグレブ」へと、バスで向かった。


ポストイナ鍾乳洞の公式HP(英語版 : 仮想体験ツアー[Virtual tour])
http://www.postojnska-jama.si/eng/obisk_postojnske_jame/11
ポストイナ鍾乳洞の公式HP(英語版)
http://www.postojnska-jama.si/eng//
ウィキペディア・フリー百科事典(ポストイナ鍾乳洞[Postojna Cave : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Postojna_Cave

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バスは、両サイドをトウモロコシ畑に囲まれた道路を走る(写真左)。午後5:50頃、「ザグレブ」まで98kmの表示が見える。午後6:30、「ブレディッツェ(Brezice)」のGSでトイレ休憩を取り(写真中・右)、午後6:45、再びバスで走り出す。午後6:51、 スロベニアの国境だ。バスの運転手が手続きするだけで終わる。午後6:56、次はクロアチアの入国手続き。こちらも簡単に終了した。

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午後7:00頃になると、外の景色が変わってきた。都会の雰囲気が感じられるのだ。どうやら「ザグレブ」の街に入ったようである。内戦の傷跡も見られず、レトロな雰囲気の建物も残されているようだ(写真)。

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午後7:30、本日宿泊するホテル「シェラトン」に到着した(写真)。到着時間が遅かったこともあり、我々は直接ホテルのレストランに向かった。我々が食事をとっている間に、添乗員がチェックインの手続きをしてくれるのだ。

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夕食のメニューは次の通り。
・スープ(写真左)
・白身魚、イカと野菜のソテー(写真中)
・ナポレオンパイ(写真右)

食事の途中、急に我々の座っているテーブル付近の照明が消えた。本日2度目の停電(一度目は鍾乳洞の中)かと思っていると、ツアーメンバーの一人が本日誕生日だったので、特別にケーキが用意されていたのだ。私はいつも同じ会社のツアーを利用しており、今回で25回目の参加になるのだが、誕生日のお祝いを見たのはこれで5回目だ。残念ながら、私は一度も該当したことがない。

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食事が終わった頃を見計らい、添乗員が部屋の鍵を渡してくれた。約1時間半で夕食を終え、午後9:15、ホテルの部屋に入った。部屋は良くあるタイプの感じだが、白でまとめられており、清潔な雰囲気である。古さも感じられなく、気持ち良く過ごす事ができそうだ(写真)。

その後入浴し、いつもの事だが荷物整理と資料整理を済ませ、明日早朝の観光プランを立て、午後11:25 ころベッドに入った。

シェラトン・ザグレブ・ホテル(日本語版)
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/search/hotel_detail.html?propertyID=316

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「ようこそ、ポストイナ鍾乳洞へ」(ポストイナ鍾乳洞パンフレット)


September 13, 2011

「アルプスの瞳」ブレッド湖観光(その2 : ブレッド城)

クロアチア・スロベニアの旅(第6回)

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「ブレッド城」(写真)は湖の北側に建つ。約15分で、城の側にある駐車場に着いた。「ブレッド城」は、11世紀、ブリクソン司教によって造られた城で、湖面から約100mの高さの断崖に建つ。城の最も古い部分は鐘楼で、ロマネスク様式で建てられており、他の部分はルネッサンス様式の建築である。建物は2つの中庭を囲むように造られており、階段でつながっている。2階には16世紀に造られた礼拝堂と邸宅があり、現在は博物館や、造幣所、レストランなどとして使われている。城の展望台からは、ブレッド湖と周囲の山々を一望することが出来る。

ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド城 [Bled Castle : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Bled_Castle

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バスを降りて石畳の道を歩き(写真左)、跳ね橋(写真中)を渡って急な坂道を上ると、城内への入り口だ(写真右)。受付ゲートをくぐって城内に入ると、広場に出た。中央には井戸がある(写真下)。この井戸は屋根を流れる雨水をためるためのもので、岩盤深くまで彫られているという。どれほど良い立地の城でも、水源の確保は必要なのだ。

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井戸を通り過ぎると、その先には展望台がある。ここからは、「ブレッド湖」を一望することが出来るのだ。ブルーの湖に、先ほど渡った「ブレッド島」や「聖母被昇天教会」が浮かぶ。湖面から100m以上の高さの断崖に建つこの城。ここから見る湖は絶景で、言葉を失う(写真)。

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しかし湖面を良く見ると、左から右に、何かが一直線に動いていた。ボートである。実はこの日、世界選手権が開催されていたのだ。ブレッドのNo.1スポーツはボート。初のレガッタは100年前に遡るという。競技を見ていて気がついたのだが、競技ボートの後ろを追いかけている船や、テレビカメラを載せて競技ボートと並走する船は、すべてエンジンが付いているように見える。環境への配慮から湖ではモーターボートの使用が禁じられていたはずなのだが・・・。

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ところで、日本勢の結果はどうだったのであろうか。社団法人日本ボート協会の公式HPによると、「8月28日(日)~9月4日(日)の8日間、スロベニア・ブレドのブレッド湖ボートコースで 「2011年世界ボート選手権(2011 World Rowing Championships)」が行われました。この大会はロンドン五輪への出場資格獲得がかかっていましたが、 残念ながら日本代表チームはその資格枠を獲得できませんでした」との事(写真 : 同HPより)。残念!

社団法人日本ボート協会の公式HP
http://www.jara.or.jp/info/2011/2011worldrowing20110908.html

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私が展望台で景色を楽しんでいる間に、ツアーのメンバーたちは「印刷工房」に入っていた。ここでは、グーテンベルク時代のような印刷を実演してくれる。手すきの紙にブレッドの絵をプレス印刷し、それにシールする(写真左・中)。なかなか面白い。工房の2階には、スロベニア初の印刷された本などが展示されている(写真右)。

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「印刷工房」の後は、石畳の階段を上り、2階の広場に向かう。階段の途中、踊り場には、修道士の姿をした男性が立っていた(写真)。ここから右手に進むと「ワインセラー」があるのだ。ここではカルスト産ワインのボトル詰めが体験できるようだ。ちなみにブレッドでは、もう何百年もワインの生産は行われていないという。

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我々はこの場を通り過ぎ、2階の広場に出た。ここからはユリアンアルプスの最高峰、標高2,864mのトリグラフ山も見える(写真左)。お天気に恵まれたおかげで、何もかも最高の美しさだ。再び湖に目をやると、今度はレガッタの競技が行われていた(写真右)。漕ぎ手の人数が多い分船も長いので、遠くから見ていても迫力がある。

ウィキペディア・フリー百科事典(レガッタ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%83%E3%82%BF

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広場に戻って最初に向かったのは、もちろん「造幣所」である。中世の時代の造り方で、コインを打刻していた。刻印に挟むように円状の銅板を置く。大きなハンマーを振り上げ、力一杯「ガ~ン」と打ち込む。すると両面に綺麗なデザインが刻まれるのだ(写真上段)。銅板が1枚2ユーロ、黄銅板が1枚3ユーロだったので、両方刻印してもらった。
傍には、龍の形をした置物や鋼の製品が置かれていた(写真下)。看板を見ると「鍛冶屋」となっていたので、造幣だけをしていたのではなかったのだ。

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私がコインの打刻をしてもらっている間に、ツアーの皆さんはいなくなっていた。隣に建つ「礼拝堂」(写真左 : 外観、中・右 : 礼拝堂内部)の見学をしていたのだ。この城内礼拝堂には、「ババリア君主ヘンリック2世と、ルクセンブルクの王妃クニグンダの大公夫妻が描かれている。この2人の間には、2004年から地元彫刻家スラウコ・オブラックの聖母マリアが立」(「ブレッド城」より)っている(写真下)。

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次に向かったのは、「博物館」である。ここでは、青銅器時からのブレッドの歴史を見ることが出来る。古代ローマ時代のヘラジカの骨格(写真左)や、6世紀の孔雀のブローチ、中世の刀剣や銃器(写真中)などが展示されているが、私が最も興味を持ったのは、アーノルド・リクリの考案した浴槽だ(写真右)。当初ブレッドは、巡礼の地として栄えたが、後に自然の湯治場(ヒーリング)として世界的評判を得るようになった。そのきっかけを作ったのが「アーノルド・リクリ」である。彼は太陽と水、空気が最も大切と考え、また菜食主義と裸とマッサージがそれに次いで重要なものとした。そのため自然の中を裸で歩き、湖で泳ぐ。体一杯太陽を浴び、風呂に入ってマッサージを受ける。ヒーリングスポットとも言えるが、ヌーディスト村と言っても良いのではないだろうか。

ウィキペディア・フリー百科事典(アーノルド・リクリ[Arnold Rikli : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Arnold_Rikli

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博物館の見学を終え、20分ほどの自由時間になった。私はみやげ物店でガイドブックを購入し、その後城壁の上に作られた防衛廊に昇った(写真)。かつてはここから近郊の監視を行っていたのである。


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午前11:20、集合場所であるバスに戻り、午前11:25、バスで昼食会場であるレストランに向かった。昼食会場は、「ブレッド城」の北東約300mのところにあるレストラン「MURKA Bled」(写真左)だ。バスで移動したのだが、5分ほどで到着した。近くには、湖からも見えていた「聖マルティヌス教会」(写真中)が建っている。レストランの建物は、ブレッド湖の雰囲気にマッチしており、黄色でまとめた室内も落ち着いた雰囲気だ(写真右)。

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昼食のメニューは次の通り。
・野菜スープ(写真左)
・鱒のグリルと塩味のポテト(写真中)
・ミツクスサラダ(写真右)
・ブレッドケーキ(写真下左)
・ノンアルコールビール(写真下右 : 別料金2.5ユーロ)

鱒のグリルが少し薄味だったので醤油がないか訊ねると、棚にポン酢が置いてあるのを見つけた。これをかけると、非常に美味しく頂くことが出来た。このポン酢、どこかの日本人が置いて行ったのだろうか?
約1時間で昼食を終え、バスで次の目的地である「ポストイナ鍾乳洞」に向かった。

レストラン「MURKA Bled」(英語版)
http://www.gostilna-murka.com/index_eng.html
ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89
ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド [Bled : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Bled

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「BLEJSKI GRAD」(クロアチア・日・独・伊版)(Travel Media Productions)[ORBIVISION刊]
・「BLED CASTLE」(日本語版)パンフレット


September 12, 2011

写真家「清水徹」先生、「きらめく中欧旅行・ブダペスト編」公開中

ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコの旅(番外編)

以前このブログでご紹介したが、「ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコの旅」でご一緒した写真家「清水徹」先生が、今月9月1日から、自らのポームページで「きらめく中欧旅行・ブダペスト編」の公開を始めた。

Shimizu Photo Studio
http://www.shimizuphoto.com/

一緒のツアーだったので、掲載されている写真が何処なのかよく分かるため、見ていて非常楽しい。プロの写真家なので写真撮影の技術が高いのは当然なのだが、同じものを撮影した私の写真と比べると、これほどまでに差があるのかと痛感させられる。

また、被写体への目の付けどころ、目的のものを撮るための行動力と粘りにも感心させられる。私の場合は偶然に良い写真が撮れる程度だが、彼の場合は狙いを定めて当然のように素晴らしい写真を撮影している。

彼のホームページを見ると、「写真撮影セミナー」も実施している。場所(横浜)が離れていなければ、すぐにでもご教授願いたいところだ。

「ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコの旅」に関心をお持ちの方は、是非彼のホームページをご覧になることをお薦めする。
また写真が趣味で、彼の作品に共感される方は、「写真撮影セミナー」への参加も検討しては如何だろうか?



「順治帝」貨幣の真贋について

「順治帝」貨幣の真贋についてお問い合わせくださった方へ


「順治帝」貨幣の真贋についてお問い合わせ頂いたのに、お返事するのが遅れて申し訳ありません。コメント下さったことに気が付きませんでした。

ところでお問い合わせの件ですが、私にはわかりません。
コインを取り扱っているお店か、地元の古銭会を訪ねてみてはいかがでしょうか。

私は貨幣を資料とした経済について関心を抱いるだけで、貨幣そのものの真贋については詳しくありません。組合加盟のコイン商から購入しているため、すべて本物だと思っているので、一部のコインを除いて真贋判定をしたことがありません。

お役にたたず申し訳ありませんが、ご了解願います。

(御参考)

日本貨幣商協同組合組合員名簿(日本貨幣商協同組合のHPより)
http://www.jnda.or.jp/index_jp.html
各地古銭会紹介(月刊「収集」のHPより)
http://www.shushu.co.jp/kosenkai/kosenkaitop.html


September 11, 2011

「アルプスの瞳」ブレッド湖観光(その1 : ブレッド島)

クロアチア・スロベニアの旅(第5回)

午前7:50にチェックアウトして、バスに乗った。出発時間である午前8:00には、まだ余裕がある。午前8:05、バスはホテルを出て、最初の観光目的地である「ブレッド湖」に向かった。

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「ブレッド湖」(写真左)は、リュブリャーナから北西に約50km離れたところに位置する。氷河によりできた湖で、東西2,120m、南北1,380m、周囲約6kmで、最も深いところは30.6mある。ヨーロッパ・アルプスの東南端にあたるユリアン・アルプスに囲まれており、その最高峰である高さ2,864mのトリグラフ山が見える(写真右)。ちなみにこの山は、スロベニアの象徴として、国章や国旗のほか、50セントのユーロコインにもデザインされている。

ウィキペディア・フリー百科事典(トリグラウ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A6

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湖の真ん中には、スロベニアで唯一の自然の島である「ブレッド島」が浮かび、島には小さな教会が建つ。「聖母マリア(被昇天)教会」である(写真左)。また湖の北東には、湖面から100mほどの高さの断崖に城が見える。「ブレッド城」だ(写真右)。風光明媚なこの湖の景観は、「アルプスの瞳」と称されており、古くからハプスブルク家のリゾート地であったという。

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バスはトウモロコシ畑やブドウ畑の見える道路を走り、約45分で湖の東側にあるボート乗り場近くに到着した。ここから「ブレッド島」へは手漕ぎのボートで渡る。環境に配慮し、モーターボートの使用が禁じられているためだ。
このボートの船頭は、ムリノ村の出身者に限られており、世襲だという。現在船頭は23名いるが、年配の船頭は必ずしも毎日努めているわけではない。定年はないので、歳をとると自分のペースで勤務するようだ。それでも大きな櫂2本を操らなければならないので、かなりの体力を必要とするであろう(写真 : 我々のボートを漕いでくれた船頭)。

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屋根付きの木製の船(「プレトナ」と呼ばれている)に、我々ツアーメンバー20名と添乗員、ガイド、そして船頭の計23名が乗る(写真)。船の先頭の席には、最後に乗り込んだ人が座り、降りる時は逆に、ここに座っていたものが最初に降りる。船のバランスを崩さないためのようだ。船頭が漕ぎ始めると、ゆったりとした速度で船が動き始めた。

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天候に恵まれたうえ、他に観光客が来ていなかったので、湖は我々のグループの貸し切り状態である。これから上陸する「ブレッド島」の「聖母被昇天教会」(写真左)や、その後で行く「ブレッド城」(写真右)の写真を撮りながら、のんびりと手漕ぎボートでの航行を楽しんだ。

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ボートは約15分で「ブレッド島」に到着(写真左)。ボートを降りて、島の高台にある「聖母マリア教会」に向かう。船着場から教会まで、98段の階段を上る(写真右)。我々観光客にとっては何でもない階段だが、実は新郎にとっては試練の階段なのである。この教会は、クロアチア人にとって憧れの結婚式場なのだが、新郎は船着場から教会まで、新婦を抱きかかえてこの階段を上らなければならないのだ。途中で諦めたら、結婚式を挙げることが出来ないのである。新郎はパワ―アップを図り、新婦スリムにならなければならない?

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この教会が建てられたのは8~9世紀頃といわれているが、現在見られる白い塔を持つバロック様式の教会に改築されたのは17世紀である(写真、写真右は教会の入り口)。

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教会内部を見ると、「祭壇には聖母マリア像が鎮座し、両脇は11世紀のブレッド領主ヘンリック2世と、妻クニグンダの肖像画が飾られている」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より : 写真)。

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ところで、この教会には「望みの鐘」と呼ばれる鐘がある。鳴らすと願いがかなうと言われているが、なかなか鳴らすのは容易ではないという。もちろんツアーメンバー全員がチャレンジしたことは言うまでもない。ガイドの案内に従い、ロープをやや斜めに引くと鐘が鳴る(写真)。ちなみに、子供はチャレンジしてはいけないようだ。小さく軽いため、鐘を鳴らすロープにぶら下がることとなり、鐘が落ちてしまうことがあるからだという。
ちなみにこの鐘のサイズだが、直径66cm、高さ56cm、重さ178kgである。

この鐘は1534年に造られたのだが、次のような言い伝えがある。「その昔、愛する夫を失った若い女性が、夫が生き返ることを願い教会に鐘を寄付しようとした。しかし、鐘を乗せた船は、運ぶ途中で嵐に遭い湖に沈んでしまった。彼女は悲しみのあまり世を捨て修道女として一生神に捧げる道を選んだ。時のローマ法王がこの話を聞きすべての人の願いがかなうことを祈って教会に鐘楼を寄付した」(「旅名人ブックス クロアチア」より)。

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教会内部の見学を終え、約20分の自由行動の後、午前9:50、再びボートに乗って陸地の船着き場に向かった(写真左)。日差しが強く、暑くなり始めたことから、湖で泳ぐ人も見られる(写真右)。午後10:05、ボートは陸地側に到着。バスに乗り換え、「ブレッド城」に向かった。

ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド湖)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E6%B9%96
ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89
ウィキペディア・フリー百科事典(ブレッド [Bled : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Bled

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]


September 10, 2011

内外から見た日本経済

内外から見た日本経済

昨日、証券会社主催のセミナーに行って来た。講師は、テレビでもお馴染みの「リチャード・クー」氏だ。彼の考え方のペースになっている「バランスシート不況」論で、どのように日本経済を分析しているのか。これが聞きたくて参加したのだが、結果は不満の残るものであった。

理由は、日本経済そのものの問題点に切り込んでいなかったためだ。財政赤字、空洞化、高齢化などとの関係が、この講演を聞いているだけでは全く分からないのである。

私は経済学者ではないので誤解している点があるかもしれないが、彼の主張する「バランスシート不況」とは、概ね次のような考え方だ。
例えば、年収1,000万円の人が、頭金1,000万円と9,000万円の借金で、1億円の家を買った。ところがバブルがはじけ、家の価値が3,000万円になった。しかし借金はまだ8,000万円残っている。家を売っても借金を返す事が出来ないので、収入から返済するしかない。その間、別の消費に向かうお金は減り、借金の返済に向かう。不況で年収が減れば、この期間は延びる。

このような行動を取る人が多い場合、日本経済全体で見ると消費が落ちて景気が悪くなる。そのため金利を下げるのだが、負債が多過ぎるので新たな借金をするものが現れない。またお金を貸す銀行も、貸したお金を返してくれない人が増えているため、いわゆる不良資産が増え、新たに貸し出す事が出来ない。このままでは景気がどんどん落ち込むので、国が代わりに消費して景気下支えする。いわゆる財政出動だ。

彼の考え方は、このように個人や企業のバランスシートが傷んでいるときは、それが修復されるまで、国が財政出動して景気を支えるべきというものである。
彼の説明資料によると、1990年代のバブルがはじけた後も、日本の名目GDPがプラスを維持できたのは、財政出動を続けたおかげだという。具体的には、1990年から2005年の間に累計460兆円の財政出動することで、2,000兆円のGDPが維持されたというのである。

ところで、これからの日本経済はどうなのかというと、単純に言えば海外の景気次第ということだが、その海外が現在バランスシート不況の真最中にあるというのだ。リーマンショック以後、ドイツを除く欧米各国のバブルがはじけ、資産価格の下落が起こっているため、いくら金利を下げても、金融緩和しても景気回復しないのである。これは、かつて日本が経験したのと同じ状況に陥っているのだ。
これを解決するためには、バランスシートが修復し、景気回復の動きが見えるまで、財政出動しなければならないというのが彼の考え方である。

最近、財政赤字の拡大を恐れ、財政再建を目指すべきという意見も出ているが、まだまだ早いようだ。日本でも、橋本政権時代、また小泉政権時代に財政の健全化を図ることが試みられたが、景気は悪化し、税収は落ち込んだ過去がある。このような事を考えると、今の時点で財政再建を打ち出す事は誤った政策なのだと彼は言う。

土俵が違うと、彼の考え方も素直に受け入れられないだろうが、仮に彼のバランスシート不況論に乗るとしても、どうしてもわからない点がある。それは、財政出動するために国債を発行しているわけだが、この先いつまでもこの国債を引き受けてくれる人はいるのかという問題だ。この点について彼の説明はまったくなかった。

日本の個人金融資産は約1,400兆円と言われている。ローンなどを差し引いたネットでは1,000兆円ぐらいだという。一方、地方の借金を含めた国の借金は1,000兆円に近づいているようだ。国債の買い手は、銀行や郵貯、生保や年金で、これらは間接的に国民が国債を買っているのと同じである。つまり、国債の大部分を引き受けていた資金にも、余裕がなくなっているといっても過言ではない。

これでも財政出動すべきだというのか。また、国債の引き受け手はまだあるというのか。実質日銀引き受けのようなことをするのか、政府紙幣でも発行するのか。インフレを心配する必要はないのかなど、疑問は次々に出てくる。私としては、是非ともこれらの点についての説明が欲しかった。どのように考えているのかが知りたかった。

講演時間は予定を15分過ぎていたこともあり、質問する時間はとられなかったので、かれが退出した後を追いかけ、質問したい旨伝えたが、次の予定があると断られてしまった。事実忙しかったのだろうと思うが、このような態度をとられると、十分に詰めた分析をしていないのではないかと疑いたくなってしまう。
人のことを悪く言いたくないが、不満の残る講演だったので、ついグチってしまった。お許しを。


September 09, 2011

早朝のリュブリャーナ(スロベニア)散策(その2)

クロアチア・スロベニアの旅(第4回)

「フランシスコ会教会」の横で待たせていたタクシーに乗り、「プレシェーレノフ広場」から西に400mほど離れた所に位置する「国会議事堂」前まで移動する。地図を見ると、広場の周辺は歩行者ゾーンになっていたので、タクシーは走れないのだが、それでも少し遠回りされているような気がした。地図の上には一方通行の表示があるので、最短ルートを走っているようにも思えるのだが、何となく不安である。

車は「RTV Slovenija」の前を通り、5分ほどで「国会議事堂」の前に到着。ここでタクシーを降りる。タクシーの運転手は、ガソリンを入れて10分後に戻ると言って立ち去った。距離稼ぎかと疑ったが、私も時間がなかったので、急いで各建物を回ることにした。

「RTV Slovenija」の公式HP
http://www.rtvslo.si/

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まず目の前の「国会議事堂」だが、先進各国のものとは違い、こじんまりした質素な感じである(写真左)。しかし、議員定数が上院40名、下院90名であることを考えると、それ相応の大きさなのかもしれない。1954年から1959年にかけて建てられたもので、スロベニアの建築家「Vinko Glanz」の設計だ。
目立つのは正面にデザインされた彫刻群である(写真右)。4つの出入り口を支える5本の柱とファサード。オプロトニッア地方でとられた緑の御影石に、庶民の働く様子や生活する姿が彫られている。スロベニアの彫刻家「Karel Putrih」と「Zdenko Kalin」の作品だ。

ウィキペディア・フリー百科事典(国会議事堂[Slovenian Parliament])
http://en.wikipedia.org/wiki/Slovenian_Parliament

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国会議事堂の南側には、「共和国広場」(写真左)がある。現在民間の駐車場として使用されており、広場の西側には「革命の記念碑」(写真右)が建っている。国会議事堂の対面、広場の南側には2棟の高層ビルが並ぶ。どちらも金融関係の会社が入るビルのようだが、良く分からない。

ウィキペディア・フリー百科事典(共和国広場[Trg republike : スロベニア語版])
http://sl.wikipedia.org/wiki/Trg_republike,_Ljubljana

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広場の東側を見ると、「三位一体教会」(写真左)が見えた。その手前の建物は「歴史博物館」(写真右)のようだ。日本語のガイドブックにも書かれておらず、また現地のガイドブックを手に入れることが出来なかったので、詳しいことは分からないが、現地の地図を見るとそのように書いてある。

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続いて「国会議事堂」の南側にある「オペラ座」(写真)に向かった。立派な建物はあったが、周囲を鉄板で囲まれていた。現在使われていないのだろうか。それとも改装中なのか。

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「オペラ座」から20~30m西に歩くと、右手に「国立美術館」(写真は1896年に建てられた「旧館」)がある。スロヴェニアで最も重要な美術品を所蔵している美術館で、「14世紀に作られたマリア像や、カリンゲルのロマン主義風景画からヤコピッチ、グロハールなどの印象派まで幅広い絵画作品を展示している」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より)という。

「国立美術館」の公式HP(英語版)
http://www.ng-slo.si/en/
ウィキペディア・フリー百科事典(国立美術館[National Gallery of Slovenia : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Gallery_of_Slovenia

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「国立美術館」の西側には公園があり、その中には教会が建っている。「セルビア正教会」の教会(写真)である。スロベニアのなかでセルビア正教会の占める割合は数パーセントと低いが、ローマカトリック教会の約60%の次になるようだ。

ウィキペディア・フリー百科事典(スロベニアのセルビア正教会[Srbska pravoslavna cerkev v Sloveniji : スロベニア語版])
http://sl.wikipedia.org/wiki/Srbska_pravoslavna_cerkev_v_Sloveniji

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続いて、公園の南側に建つ近代的な建物は「近代美術館」(写真)だ。「1945年にエド・ラヴニカルにより建設された。スロヴェニア人芸術家による現代アートを中心に展示している」(前掲書より)との事。

「近代美術館」の公式HP(英語版)
http://www.mg-lj.si/node
ウィキペディア・フリー百科事典(近代美術館[Moderna galerija Ljubljana : スロベニア語版])
http://sl.wikipedia.org/wiki/Moderna_galerija_Ljubljana

「近代美術館」の写真を撮影した後、南に歩いて行くと面白い建物に出会ったので写真を撮っていると、突然大きな指笛が響いた。よく分からなかったので無視をして写真を撮り続けようとすると、もう一度大きな指笛が鳴り、大きな声で「No Photo !」という声が聞こえた。警備員らしき男が、私に対して言っているのだ。仕方がないので写真撮影を諦め、先に進むことにした。後でタクシーの運転手の説明で分かったのだが、ロシア大使館との事。思わず納得した。


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おかげで、その斜め向かいに建つ「国立博物館&自然史展示館」(写真 : 正面からの写真はウィキペディア・フリー百科事典より転載)の写真を正面から撮ることが出来なかった。1885年に建てられたもので、スロベニア有史以来の遺物が展示されているという。

国立博物館&自然史展示館の公式HP(英語版)
http://www.nms.si/english/01_informations/welcome.html
ウィキペディア・フリー百科事典(国立博物館[National Museum of Slovenia : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Museum_of_Slovenia

ここで時計を見ると、すでに午前7:00を過ぎていた。午前7:30までにはホテルに戻りたかったので、あまり時間は残っていない。タクシーの待つ「国会議事堂」に戻ることにした。

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最後に訪れたのは、「国会議事堂」の西側に隣接する、「国民的英雄広場」(写真左)である。「国会議事堂」や「オペラ座」、「国立博物館」に囲まれた公園のような広場で、スロベニア行政評議会議長を務めた「スタネ・カフチッチ(Stane Kavcic)」の胸像(写真右)などが建てられている。

ウィキペディア・フリー百科事典(スロベニアの首相)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%A6%96%E7%9B%B8

「国会議事堂」の前に戻ると、タクシーは戻っていた。急いでタクシーに乗り、「ローマ時代の城壁跡」に向かうことにした。時間的にはこれが最後の見学になる。「国会議事堂」から南へ400~500m。「ズヴェズダ公園」(写真左)や「三位一体聖堂」の前を通り、左手に「リュブリャーナ城」(写真右)を見ながら、約3分で目的地に到着した。

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時計を見ると、午前7:12である。急がなくてはならない。タクシーを降りて写真を撮り始めるが、城壁の長さは300~350mほどあるので、小走りで見て廻る。するとタクシーも付いて来てくれた。降りた場所まで戻らなくても良いので、これは助かる。言葉が通じなくても気がきくと思った。
ところでこの城壁(写真)だが、紀元14~15年ごろに造られたもので、厚さ約3m、高さは約4mある。リュブリャーナの歴史は古く、この城壁が造られた古代ローマ時代には、「エモナ」と呼ばれていたようだ。

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城壁の写真を撮り終え、タクシーに乗り、ホテルに戻るよう指示した。車は「Askerceva通り」から「Tivolska通り」に入り、メインの「Dunajska通り」に出て、北に向かう(写真 : セントラル・スタジアム)。約15分、午前7:30頃ホテルに到着した。タクシーのメーターを見ると、31.5ユーロとなっていた。しかし短い時間で色々と観光でき、非常に有難かったことから、チップを含めて40ユーロ渡すと、10ユーロを返してきた。ホテルのスタッフから、片道10ユーロぐらいと聞いていたので、30ユーロでもボッたくられた金額なのかもしれないが、待ち時間などを考えるとそれほど高くはない。トルコでタクシーともめて以来、タクシーに乗る時はいつも警戒しているのだが、今回は良い方だと思った。

2006年4月13日付当ブログ「地下鉄とボッたくりタクシー」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/04/post_189c.html

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タクシーを降りてから、ロビーのトイレで手洗いを済ませ、そのまま朝食会場であるレストランに向かった(写真)。ケーキ一切れと果物2切れにコーヒーを頂き、部屋に戻る。すぐに荷物をまとめて、再びロビーに向かった。
1時間半ほどの短い時間であったが、リブリャーナの中心部を観光出来たことは、私にとって非常に有益な時間であったと思う。

ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%8A


(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]



September 08, 2011

早朝のリュブリャーナ(スロベニア)散策(その1)

クロアチア・スロベニアの旅(第3回)

第2日目(8月29日[月] : 晴れ)

5:00 起床
5:15 部屋で食事
5:50 部屋を出る
6:10 ホテルからタクシーで街へ観光に出かける
7:30 ホテルに戻る
7:35 レストランで朝食
7:40 部屋に戻る
7:50 チェックアウト
8:05 バスでブレッド湖に向かう
8:45 ブレッドの街に入る
8:50 ブレッド湖のボート乗り場に到着
8:53 乗船、ブレッド島へ
9:08 島へ到着
9:17~9:33 「聖母被昇天教会」を見学
9:50 船着場に集合
9:53 乗船、陸地へ
10:09 バスで「ブレッド城」へ
10:23 ブレッド城の駐車場に到着
10:25~11:20 「ブレッド城」見学
11:25 バスで昼食会場であるレストランに向かう
11:30 レストラン「MURKA Bled」に到着
11:35~12:35 昼食
12:40 バスで「ポストイナ鍾乳洞」に向かう
13:55 ポストイナの駐車場に到着
14:05 「ポストイナ鍾乳洞」の前に到着
14:05~14:50 自由行動
14:50 鍾乳洞入口に集合
15:00~16:30 鍾乳洞内見学
16:40 バス乗車
16:45 バス出発
18:30~18:45 「ブレディッツェ」でトイレ休憩
18:51 スロベニアの国境を出る
18:56~19:02 クロアチア入国手続き
19:30 ホテル「シェラトン」に到着
19:35~21:00 ホテルのレストランで夕食
21:15 入室
21:20~23:20 入浴、資料整理
23:25 就寝

午前5時に起きる。昨日深夜にホテルに到着したので十分に睡眠はとれていないが、時差ボケのおかげで早朝に目が覚めても頭は冴えていた。スロベニアの首都「リュブリャーナ」で一泊したが、ツアーの予定ではこのまま「ブレッド湖」に向かうため、朝の時間を利用して「リュブリャーナ」の街を観光することにした。

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昨日、ラウンジでもらった「おにぎり」2個を部屋で食べ、出発の準備を済ませ、午前5:50に部屋を出る。外はまだ薄暗かったが、20~30分もすれば明るくなるので心配する必要はない。ホテルから街の中心部まで4~5kmあったので、タクシーを利用することにした。いくら歩くのが早い私でも、片道30分近くはかかるからだ。いつもであればホテルの前に数台のタクシーが停まっているとの事であったが、この時は一台もいなかったので、フロントからタクシーを呼んでもらう(写真: ホテルの全面と入り口付近)。

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午前6:10頃タクシーが来たので、街の中心部まで移動する。運転手はクロアチア人で、ほとんど英語が話せない。このような時は単語とボディーランゲージが有効である。ホテルのフロントでもらった現地語で書かれた地図を見せ、「三本橋」に向かうよう指示した。ホテルを出ると、目的地と反対方向に走り出したので、一瞬不安になったが、一方通行だったのである。その後、彼は英語が話せないにもかかわらず、何か施設が見えるとスロベニア語で説明してくれた。それでも「フットボール競技場」(写真左)や「テレビ局」(写真右)などは分かったので、有難かった。

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10分ほど走ると、目的地である「三本橋」の側に建つ「フランシスコ会教会」(写真)が見えて来た。教会の横に車を止めてもらい、写真を撮ったら戻ってくるので待っていてほしいとボディーランゲージで伝えると、了解したようで、車を角に移動しエンジンを切っていた。タクシーでここまで来たとは言うものの、ノンビリしている時間は無かったので、駆け足で観光ポイントを廻らなければならない。最初は「プレシェーレノフ広場」とその北側に建つ「フランシスコ会教会」、そして南側に架かる「三本橋」である。

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「プレシェーレノフ広場」(写真左)はリュブリャーナ市の中心に位置しており、ここには19世紀の詩人「フランツェ・プレシェーレン」(1800~1849年)の銅像が建てられている(写真右)。彼はスロベニアの旧1,000トラール紙幣にデザインされていたほどの国民的詩人で、彼の書いた詩「陽が昇るところ、戦いはこの夜から消え、誰もが自由な同胞となり、境を共にするものは、鬼ではなく、隣人となる。その日を待つ民、すべて久しかれ」は、1991年の独立戦争後、スロベニアの国家の歌詞に採用された。ちなみに彼の肖像は、現在使われている2ユーロコインのデザインにもなっている。

ウィキペディア・フリー百科事典(プレシェーレン広場)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E5%BA%83%E5%A0%B4
ウィキペディア・フリー百科事典(フランツェ・プレシェーレン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3
ウィキペディア・フリー百科事典(祝杯[スロベニアの国歌])
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9D%E6%9D%AF_(%E5%9B%BD%E6%AD%8C)

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広場の北側に建つのは、「フランシスコ会教会」(写真)だ。鮮やかなピンク色の外壁が目立つバロック様式の教会で、1646年~1660年の間に建てられた。残念ながら内部の見学をする時間はなかったのだが、「1736年には彫刻家のフランチェスコ・ロッバによって祭壇が造られ、19世紀半ばには画家のマテイ・ラングスがアーチ型の天井に彩色施し」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より)ているとの事。

ウィキペディア・フリー百科事典(フランシスコ会教会[Franciscan Church of the Annunciation : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Franciscan_Church_of_the_Annunciation

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広場の南側には、リュブリャニツァ川に架かる橋がある。街のシンボルになっている「三本橋」(写真)だ。この橋は、「旧市街」と「新市街」をつないでいる。かつて木造の橋が架けられていたのだが、1842年、プラハ城の修復でも活躍した建築家「ヨジェ・プレチニク」によって設計された。後に歩行者用として2本の橋が付け加えられたことから、現在の姿になったという。

(※) ウィキペディア・フリー百科事典によると、中央の橋はイタリア人の建築家ジョバンニ・ピッコによって設計され、後に付け加えられた歩行者専用の両側の橋は、スロベニア人の建築家ヨジェ・プレチュニック(1872 - 1957)によって設計されたとの事。


ウィキペディア・フリー百科事典(三本橋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%AC%E6%A9%8B
ウィキペディア・フリー百科事典(ヨジェ・プレチニク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF

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橋を渡って振り返ると、ピンク色の「フランシスコ会教会」と並木の緑とが調和し、美しい景色を造り出していた(写真左)。橋を渡った左手には、川沿いに回廊が続き(写真右)、正面には「市庁舎」、さらにその上には「リュブリャーナ城」(写真右)が見える。

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「リュブリャーナ城」(写真)は1144年に建設され、13世紀初頭、地元の領主である「スパンハイム」によって統治のシンボルとされた後、ハプスブルク家によって継承された。「フランス皇帝ナポレオンがヨーロッパを席巻した時代には兵舎や病院になり、その後は監獄として使われたこともあった」(「旅名人ブックス クロアチア」より)ようだ。現在はリュブリャーナ市の所有で、展示場などとして使われているという。

ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャーナ城[Ljubljana Castle : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ljubljana_Castle

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「市庁舎」(写真)は1584年に建てられ、その後1717年から1719年にかけて後期バロック様式と古典様式を組み合わせた建物に改装された。破風の上に突き出るように造られた時計塔が印象に残る。

ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャーナ市庁舎[Ljubljana Town Hall : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ljubljana_town_hall

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正面に建つ「市庁舎」を見ながら左折し、「Ciril-Metodov通り」を東に進むと、左手に「リュブリャーナ大聖堂」(写真)が現れた。「聖ニコラス大聖堂」とも呼ばれており、緑のドームと2本の塔を持つ建物は、街のランドマークとなっている。1262年に建てられたときはロマネスク様式で占められていたが、幾たびかの火災に遭い、現在の建物は1701~1706年にかけてバロック様式で建てられた。

ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャーナ大聖堂[Saint Nicholas’Cathedral,Ljubljana : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Nicholas_Cathedral,_Ljubljana

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「リュブリャーナ大聖堂」を通り過ぎ、さらに東に進むと、「ヴォードニコフ広場」(写真)に出た。ここでこれから青空市が開かれるのであろう。まだほとんど空きスペースだったが、あちらこちらから野菜や果物などの商品を持った人たちがやってきて、店開きの準備を始めていた。この広場は、スロベニアの司祭で、ジャーナリストでもあり、かつ詩人でもあった「ヴアレンティン・ヴォードニコフ」にちなんで名付けられたという。

ウィキペディア・フリー百科事典(ヴォードニコフ広場[Vodnikov trg : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Vodnik_Square
ウィキペディア・フリー百科事典(ヴォードニコフ[Valentin Vodnik : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Valentin_Vodnik

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「ヴォードニコフ広場」を横切り、北東側、リュブリャニツァ川に出ると、「竜の橋」(写真)である。この橋は、欄干にリュブリャーナ市の象徴である「竜」の像が建てられていることから、このように呼ばれており、「三本橋」と同じくヨジェ・プレチニクの作品だ。この橋は、「リュブリャーナ城」への途上口にあたる。

ウィキペディア・フリー百科事典(竜の橋[Dragon Bridge : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Dragon_Bridge

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橋を渡り、再び新市街側に戻る。左手、旧市街側の川沿いには、回廊が見えた。これは「リブリャース中央市場」(写真)だ。「三本橋」から「竜の橋」までの間、250mほど続いている。

ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャーナ中央市場[Ljubljana Central Market : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ljubljana_Central_Market

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新市街側の川沿いには、オープンカフェが並び、人々がテーブルに着いてカフェなどを飲んでいる(写真左)。その向こうには、「リュブリャーナ大聖堂」や「リュブリャーナ城」の姿が見える(写真右)。


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「竜の橋」から200mほど歩いたところに、新しい橋が架かっていた。日本のガイドブックの地図には掲載されていない橋だ。これは「肉屋の橋」(写真)と呼ばれるブリッジで、2009年に着工し、翌年2010年に完成した。「肉屋の橋」と呼ばれているのは、中央市場の肉屋が並ぶ回廊に繋がるからであろうか。詳しいことは分からない。

ウィキペディア・フリー百科事典(肉屋の橋[Butchers’ Bridge : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Butchers%27_Bridge

「肉屋の橋」で写真を撮った後、リュブリャニツァ川沿いの通りを西に進み、「プレシェーレノフ広場」に戻る。まだ見たいところもあったのだが、時間がないので、待たせていたタクシーに乗り、国会議事堂の前まで移動した。


ウィキペディア・フリー百科事典(リュブリャナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%8A

(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]


September 07, 2011

ボローニャ歌劇場(Teatro Comunale di Bologna)

クロアチア・スロベニアの旅(番外編1)

クロアチア・スロベニアの旅からの帰り、9月4日(日)にローマから搭乗したアリタリア航空792便でのことだ。いつものようにビジネスクラスの一番前、真ん中通路側の席(01H)に向かうと、私の席にイタリア人らしき男性が座っていた。他の座席番号の客であったが、私の隣に座っている男性と親しく話をしていたところを見ると、彼の友人ではないかと思った。

しかし他の座席を見ると、今回のツアーに参加した日本人以外、ほとんどが彼の仲間のようであった。離陸後、彼に話しかけてみると、彼らは「ボローニャ歌劇場(Teatro Comunale di Bologna)」のメンバーであることが分かった。

彼の名前は「マルツェロ」、バリトンを担当している。彼の話では、この飛行機に演者、演奏者、スタッフなど約150名が乗っており、主演者や監督などがビジネスクラスに座っているとの事。滋賀県の大津と東京でオペラ公演をするため、日本に向かっているのだ。大津公演は9月10日(土)から翌日11日(日)までの2日間で、初日は「カルメン」、2日目は「清教徒」を演じるとの事。その後9月13日(火)から25日(日)までの間に計9公演、「カルメン」、「清教徒」、「エルナーニ」を日替わりで行う予定だ。

彼はまだ若手のようで、これからビッグになると言っていた。大柄、髭もじゃ、カールのかかった黒い髪で、イタリア人のイメージにピツタリの、陽気な若者である。
日本は初めて。すべてを楽しみにしているが、あまり自由時間はないとの事。どこに行くかは決めておらず、他のメンバーについて行く考えのようだ。

これまでに海外公演は、ドイツ、フランス、ギリシャ、リビアなどを経験していると言っていた。練習は毎日2時間程度で、「ア・エ・イ・オ・ウ・オ」と発声練習するようだ。

他のメンバーとは一言二言お話ししただけだが、窓側の通路側に座っていたのはカルメンでドン・ホセ役を演じる「マルセロ・アルバレス」ではなかっただろうか。また私の3つ後の席にいた女性はカルメンでミカエラ役を演じる「ヴァレンティーナ・コッラデッティ」であったように思う。

オペラについては全く知識がなかったので、何とも思わずにお話ししていたが、オペラファンからみれば一流の演者とお話しすることの出来る大きなチャンスだったのかもしれない。

ボローニャ歌劇場日本公演については、下記HPに掲載されているので、詳しいことを知りたい方は、こちらをご覧頂きたい。


Teatro Comunale di Bologna
http://www.tcbo.it/
ボローニャ歌劇場日本公演2011公式ホームページ
http://www.bologna.jp/
ボローニャ歌劇場(びわ湖公演 : カルメン)
http://www.biwako-hall.or.jp/event/detail.php?c=10200143
ボローニャ歌劇場(びわ湖公演 : 清教徒)
http://www.biwako-hall.or.jp/event/detail.php?c=10200144
東京文化会館(大ホール公演カレンダー : 2011年9月)
http://www.t-bunka.jp/calendar/index.html



September 06, 2011

関空からスロベニアヘ

クロアチア・スロベニアの旅(第2回)

8月28日(日)から9月5日(月)までの9日間の日程で、クロアチア・スロベニアの旅に出かけた。ツアー参加の旅で、スケジュールは次の通り。

(初日)
関空→ローマ(イタリア)→トリエステ(イタリア)→リュブリヤーナ(スロベニア)

(2日目)
リュブリヤーナ→ブレッド湖(スロベニア)→ホストイナ鍾乳洞(スロベニア)→ザクレブ(クロアチア)

(3日目)
ザグレブ→プリトヴィッツェ湖群国立公園(クロアチア)→プリトヴィッツェ(クロアチア)

(4日目)
プリトヴィッツェ→トロギール(クロアチア)→スプリット(クロアチア)→ポドストラナ(クロアチア)

(5日目)
ポドストラナ→モスタル(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)→ドブロヴニク(クロアチア)

(6日目)
ドブロヴニク

(7日目)
ドブロヴニク→コトル(モンテネグロ)→ティラナ(アルバニア)

(8日目)
ティラナ→ローマ(イタリア)→関空へ

(9日目)
関空到着


初日(8月28日[日] : 晴れ)

10:00 関空到着
10:15 ツアーデスクで手続きする
10:20 チェックインを済ませ出国する
10:30 ビジネスクラスのラウンジへ
12:30 搭乗
13:05 離陸(現地時間18:15ローマ到着予定、12時間15分のフライト予定、時差7時間)
13:40 昼食
19:30 軽食
23:45(現地時間17:05、以下現地時間)夕食
18:15 ローマ空港に到着
18:45 入国審査
トリエステ行き、乗り継ぎ待ち
20:30 チェックイン手続き
20:45 バスで移動し、搭乗
21:10 離陸
22:05 トリエステ空港に到着、バス移動でターミナルへ
22:35 観光バスに乗車
23:07 国境越え(イタリア→スロベニア)
00:02 リュブリヤーナの街に入る
00:10 ホテルに到着
00:30 入室
01:45 入浴、資料整理などを済ませ就寝


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午前10:00、関空に到着。鉄道駅の広場は賑やかで、何かの催しが開かれていた。係員の人に訊ねてみると「関空夏まつり」で、27日・28日の2日間開催されているとの事。今年のテーマは、東日本大震災に元気を送ることだという。イベント広場では、大阪府警の音楽隊の演奏などが行われていた。また通路では、南海電鉄のグッズや地元泉州の特産物を販売するお店等が並び、多くの人が集まっていた(写真)。面白そうなものも売っていたが、これから外国に出かけるので残念だが購入は断念した。

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関空に入り団体受付窓口に行くと、今回のツアーでご一緒する添乗員が待っていた。彼女とは「スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅」で添乗してもらったので、今回で2回目になる。簡単な説明を受け、出国手続きを済ませ、ビジネスクラスのラウンジに向かう。今回は「Sakura Lounge」(写真)だったので、大きな窓もあり、明るく広い場所で搭乗時刻までの時間をゆったりと過ごす事が出来た。

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12:30頃に搭乗。今回利用するのは「アリタリア-イタリア航空」である。「シチリア南イタリアの旅」で搭乗して以来2度目だ。座席にコンパートメントがないのは不満だが、総じて良好と言えるのではないだろうか(写真左)。
離陸後30分ほどで食事が出された。今回は事前に予約していた日本食である。メニューがなかったので詳しいことは分からないのだが、写真を参考にご推察願いたい。

・前菜(しいたけ・人参・海老・肉巻)(写真中)
・茶蕎麦(写真右)
・メイン(サバの煮付、人参・しいたけ・やまいも・くり・ほうれん草の煮もの) (写真下左)
・まんじゅう(写真下右)と日本茶

洋食メニューに比べてかなり軽目だったので、次の食事までの間にラウンジデおにぎりを頂く。ところで、いつもであればこの時間をアテンダントと雑談して過ごすのだが、今回はアテンダントがいなかったので、お話しすることはできなかった。前回アリタリア航空を利用した時も同じであったように思う。これはアテンダントの待機場所の位置によるものではないだろうか。他の航空会社の機材では、ラウンジの横にアテンダントの席があるため話しかけやすいのだが、アリタリア航空の場合はわざわざアテンダントのいる場所まで行かなければならないのだ。ゆっくりお話しできなかったことは残念であるが、グッスリ長時間眠ることが出来たことは、現地到着後の時差ボケ解消のためには大いに有益であった。

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23:45、二度目の食事が出る。こちらもメニューがなかったので詳しいことは分からないのだが、写真を参考にご推察願いたい。

・メイン(ヒレステーキ、蟹の爪、卵巻き、ほうれん草ゴマ和え、かまぼこ、ごはん)(写真左)
・野菜サラダ(写真中)
・まんじゅう、日本茶(写真右)

18:15頃、ローマの空港に到着し、ここで入国審査を済ませ、約2時間後にイタリア・トリエステ行きの飛行機に乗り換える。22:05頃、トリエステの空港に到着し、空港まで迎えに来ていたバスでスロベニア・リュブリヤーナのホテルに向かう。バスの運転手はクロアチア人のネノさんだ。

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23:07、イタリアとクロアチアの国境を越え、翌日(8月29日[月])00:10に、本日宿泊するホテル「オーストリア・トレンド・リュブリヤーナ」に到着した。室内は落ち着いた雰囲気で、少し高級感が漂う(写真)。入室後すぐに入浴し、荷物整理、資料整理を済ませ、
01:45頃ベッドに入った。


Alitalia(日本語版)
http://www.alitalia.com/JP_JA/home/index.aspx
ウィキペディア・フリー百科事典(アリタリア-イタリア航空)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2-%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%88%AA%E7%A9%BA
Aeroporti di Roma(英語版)
http://www.adr.it/web/aeroporti-di-roma-en-/pax-fco-fiumicino
ウィキペディア・フリー百科事典(フィウミチーノ空港)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8E%E7%A9%BA%E6%B8%AF
Trieste No-Borders Airport(英語版)
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&tl=ja&u=http%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FFriuli_Venezia_Giulia_Airport&anno=2
ウィキペディア・フリー百科事典(フリウリ=ヴェネツィアジュリア空港)
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://en.wikipedia.org/wiki/Friuli_Venezia_Giulia_Airport
オーストリア・トレンドホテル・リュブリャナ[AUSTRIA TREND HOTEL LJUBLJANA(英語版)]
http://www.austria-trend.at/hotel-ljubljana/en/
ウィキペディア・フリー百科事典(スロベニア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%A2


September 05, 2011

クロアチア・スロベニアの旅から戻る

クロアチア・スロベニアの旅(第一回)

本日(5日)、「クロアチア・スロベニアの旅」から戻った。お天気やツアーメンバー、現地ガイドなどにも恵まれ、楽しい日々を過ごすことが出来た。

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私は自然の風景を見て歩くことよりも、都市や遺跡を廻る方が好きなのだが、今回はお天気が良かったこともあり、「ブレッド湖」(写真左 : ブレッド城から見たブレッド島と聖母被昇天教会)や「プリトヴィッツェ湖群国立公園」(写真右)などで自然の美しさに触れることができたおかげで、自然の良さを感じることが出来た。

また今回は北から南へ7カ国を移動したが、うち3カ国がユーロを使わない国だったので、色々な種類の紙幣やコインを手に入れることが出来た。旅行者にとって面倒な外貨両替だが、コレクターの私にとっては、銀行や外貨両替所に入り、コレクションになる紙幣やコインを手に入れることも、旅の楽しみの一つなのである。

さらに建築物や美術品などを通じて、バルカン半島の国々の複雑な歴史の一端を垣間見ることが出来たことも大きな収穫であった。しかし中でも弾痕の残る廃墟を見ると、1990年代の独立戦争時の痛ましさが伝わってきた。自分の知る年代に起きた戦争だけに生々しく感じるとともに、「バルカン半島はヨーロッパの火薬庫」という言葉をあらためて考えさせられた。

旅の詳しい内容については、明日以降お話ししたいと思う。まだ時差ボケが残っているので、本日はここまで。


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