クロアチア・スロベニアの旅(第14回)
第5日目(9月1日[木] : 晴れ)
6:20 起床
6:30~7:05 朝食
7:00~7:15 ホテル内散歩
7:15~7:45 部屋で出発の準備
8:00 出発
9:16~9:34 「グルービネ(GRUBINE)」でトイレ休憩
9:46~9:50 クロアチア税関
9:50~9:52 出国手続き
9:52~10:00 ボスニア・ヘルツェゴヴイナ入国手続き
10:55モスタルの街見える
11:04~14:50 「モスタル」観光(ツアーを離れて自由行動)
14:58 出発
15:25 オスマントルコ時代の遺跡見える
15:40~15:49 ボスニア・ヘルツェゴヴイナ出国手続き、クロアチア入国手続き
16:20~16:21 ボスニア・ヘルツェゴヴイナ入国、クロアチア出国(ネウム)
16:26~17:10 ネウムのスーパーマーケットでトイレ休憩
17:20 ボスニア・ヘルツェゴヴイナ出国、クロアチア入国(ネウム)
17:30~18:35 レストラン「VILA KORUNA(ヴィラ・コルナ)」で夕食
19:30 ホテル「グランド・ヴィラ・アルジェンティーナ」到着
20:00 入室
0:00 入室
20:00~23:00 入浴、荷物・資料整理
23:00 就寝


本日も、特に出かけたい場所は無かったので、レストランが開くのに合わせて目覚める。午前6:30にレストランに行くと、これからオープンするところであった。本日は一番乗りである。部屋同様、少しお洒落な今風のレストランだ。メニューも豊富で、色々と選ぶことができる(写真左)。本日はパンケーキにベーコン、スクランブルエッグなどを頂く。もちろんスイカは忘れていない(写真右)。


30分ほどで食事を終え、ホテル内を散歩することにした。階段で1Fに降り、外に出て20~30m歩くとプールがある。その先には海も見える。今回ぐらい日差しが強く、気温も高いのであれば、水着を持ってくるべきであった。プールは海と一体に見えるように作られており、なかなか感じが良い(写真左)。海の向こうに見えるのは、「ブラチ島」であろうか。古くから良質の大理石を産することで知られてきた島だ。建物が密集しているので、島の最大都市「スペルタ」であろう(写真右)。街全体が朝日に照らされ、美しく浮かび上がっている。プールの脇にある階段を下りて、海岸に出る。日中に見る海の色はコバルトブルーで、サンゴ礁の海と変わらないぐらいの美しさだが、海岸の砂は荒目で、サンゴ礁の島の海岸で見られるようなパウダーサンドではない。


しばらく海岸を散歩した後、ゆっくり部屋に戻る。荷物の再チェックを済ませ、ほんのひと時、部屋のバルコニーで海を眺めてノンビリ過ごす(写真)。午前7:45になったので、ロビーに向かう。午前8:00、予定通りにバスは出発、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの「モスタル」に向け走り出した。

バスは海岸沿いを走る。右手には、先ほどホテルの海岸から見えた「ブラチ島」が続く(写真)。先ほども少し触れたが、この島は良質の大理石の産地で、昨日訪れた「デイオクレテイアヌス宮殿」は、ここの石を使って造られている。その他にも、トルコの「アヤソフィア」やUSAの「国会議事堂」に「ペンタゴン」、ハンガリーの「国会議事堂」やイタリアの「ドゥカーレ宮殿」などもここの石を切り出して使っているのだ。


バスは海岸沿いの道路を走り、「オミシュ」や「マカルスカ」の街を通り過ぎる。「オミシュ」(写真左)は、今でこそアウトドア派に人気のリゾート地だが、中世の時代にはアドリア海で暴れた海賊の根拠地であった。16~17世紀には、ヴェネチアがこの地を支配したが、その時に使われていた要塞が絶壁の上に残っている。厳しい地形を利用して造られた要塞なのだ。「マカルスカ」(写真右)は、ビオコヴォ山を背景にした美しいビーチリゾートである。しかし、冬になると強い北東風「ブラ」が吹くので、このあたりの道路はしばしば閉鎖されるという。
ウィキペディア・フリー百科事典(オミシュ[Omis : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Omi%C5%A1
ウィキペディア・フリー百科事典(マカルスカ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AB


海岸沿いの道路から、美しい海の景色を眺めながら約1時間15分、トイレ休憩のため「グルービネ(GRUBINE)」のGSでバスは停まる(写真左)。約15分休憩し、再びバスは「モスタル」へと走り出した。ところでツアーメンバーの一人が、このGSで「green tea」を購入した。名前もそうだし、色も緑なので、誰もが「お茶(緑茶)」だと思っていたのだが、彼がそれを飲むと、変な顔つきになった。彼曰く、「フルーツの香りがする」と。ペットボトルのラベルを見ると、「green tea」と書かれた下に、イチゴの絵が描かれているではないか。正体不明だが、日本人が思う「green tea」とは全く別物ということだけは分かった(写真右)。
バスで10分ほど走ると、クロアチアの「税関」、「出国審査」と続く。そして次はボスニア・ヘルツェゴヴイナの「入国審査」だ。その間約15分かかった。

バスは海岸沿いを離れ、今度はブドウやトウモロコシ畑を見ながら走る。このあたりには、糸杉も多いようだ。約1時間走った午前10:55、モスタルの街が見えた(写真)。街に近づくと、壁に銃弾の跡の残る建物が数多く見られた。このあたりはボスニア内戦(地元の人は独立戦争という)の激戦地だったのだ。これから観光する地域も、どこから手をつければ良いのか分からないほど破壊されていたという。
ウィキペディア・フリー百科事典(モスタル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB
午前11:00「モスタル」の街に到着。ここでも自由に歩き回りたかったので、午後2:50までにここに戻る約束でツアーを離れることにした。ここからメインの観光ポイントまで300mほど離れている。


駐車場から東に向かう。現在建設中の教会(写真左)がある一方、多数の弾痕が残る廃墟(写真右)も点在している。「Bulevar」通りを渡ると、「チャルシャ」(旧市街)に入る。ここではユーロが使えるのだが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの紙幣とコインが欲しかったので、旧市街に入ってすぐのところに建っている郵便局を訪ねた。ここで外貨両替をしてもらうが、すべての種類を手に入れることはできず、かつ紙幣のコンディションは良くなかった。しかしとりあえず確保したかったので、ここにある種類のものだけ換えてもらった。



郵便局を出て50mほど東に進むと、急に雰囲気が変わった。石畳の狭い道の両側に、みやげもの店やカフェが並ぶ。ここからが観光のメインストリートなのである(写真左)。20~30mほど歩くと、インフォメーションセンターの案内板を見つけた。左折して路地に入った奥にある(写真右)。地図などを手に入れるため、ここも訪れた。店内には可愛い女性が一人いる(写真下)。無料の地図などをもらい、モスタルに関する2冊のガイドブックを購入する。残念ながら日本語のものはない。ついでにボスニア・ヘルツェゴヴィナのコインを揃えることができないか尋ねると、彼女は現金箱の中を見て、各種類のコインを探し、机に並べはじめた。全種類あったので、両替してもらう。


インフオメーションセンターを出て、メイン通りに戻ると、急に人通りが多くなっていた(写真左)。団体客が来ていたのだ。混雑する路を歩いていると、日本語版のガイドブックを売るお店を見つけた(写真右)。クロアチア・スロベニアへの観光は、近年日本人に人気なので、やはりここモスタルのガイドブックも日本語版が作られていたのだ。早速店に入り、ガイドブックを購入する。1冊50マルカである。先ほど郵便局で両替した100マルカ紙幣を出すと、お釣りがないという。このあたりは観光地なので、ほとんどユーロで決済されているのだ。ユーロも持っていたので、これで支払うこともできたのだが、郵便局で手に入れることのできなかった少額の紙幣も欲しかったので迷っていると、ユーロとマルカの2つの通貨で支払うとの提案があった。10マルカ紙幣が手に入れば良いと思ったので、これに応じることにした。1ユーロが2マルカで計算されていたので、お釣りは20ユーロ+10マルカである。
ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの通貨単位は「コンベルティビルナ・マルカ」で、補助通貨は「フェニンガ」だ。単位名が長いので、通常は「マルカ」と呼んでいるが、「KM」と表記されるのは「Konvertibilna Marka(コンベルティビルナ・マルカ)」の頭文字をとっているためである。
このモスタルでは、最初に訪ねた郵便局のほか、銀行など3か所で外貨両替したが、概ね1ユーロ=1.9マルカだったので、1ユーロ=2マルカということを考えるとユーロで支払った方が得だったのだろうが、誤差の範囲として割り切った。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ中央銀行の公式HP(英語版)
http://cbbh.ba/?id=1a?c=en&lang=en

お店を出て更に東へ10~20m進むと、いよいよこの街を象徴する橋、「スターリ・モスト」(写真)だ。この街の名前「モスタル」は、ボスニア語で「橋の守り人」という意味。スラブ語の「モスト(橋)」が起源だと言われている。1566年、オスマントルコ時代に架けられた橋で、橋台を使わないアーチ状の姿は、当時の建築技術の高さを窺わせる。現在美しい姿を見せる「スターリ・モスト」だが、ボスニア内戦時の1993年、橋は砲撃を受けて破壊され、無残な姿をさらしていた。しかし、ユネスコや世界銀行の援助、民間の寄付などを受け、2004年7月に元の姿に復元されたのである。
ウィキペディア・フリー百科事典(スタリ・モスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%88






橋の両端には塔が建っている。西側の塔(写真左)では、内戦時の写真が展示されており、橋を渡った東側の塔(写真右)は、「スターリ・モスト博物館」として使われている。橋を上った中央、頂点からの眺めもなかなか良い。南北に流れる「ネレトバ川」に架かる「スターリ・モスト」(写真中段)。北側には、「コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミーヤ」が見える。川はコバルトブルーで、太陽の光を反射して眩しく輝いている(写真下段)。
ウィキペディア・フリー百科事典(ネレトバ川)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%B7%9D
橋を渡って「スターリ・モスト博物館」を訪ねるが、本日は休館日との事。後で知ったのだが、今年は8月31日から9月1日までがラマダン明けのお祭りで休日なのだ(シェケル・バイラム[砂糖祭])。残念だが仕方がない。諦めてその先に進む。50~60m歩いたところで振り返ると、「スターリ・モスト」の全体像を見ることができた。なかなか美しいシーンだったので、皆さんここから写真を撮っていた。


さらに少し歩くと、みやげ物店兼外貨両替所(写真左)があったので、まだ手に入れていない種類の紙幣を入手するため立ち寄った。しかし、ここでも全てを揃えることはできなかった。さらに角を間がって数メートル進むと、銀行(写真右)があった。壁に「Vakufska Banka」と書かれている。地元の銀行であろう。急いで中に入る。ここに銀行があるのを知っていたら、何箇所も廻る必要はなかったのだが、いろいろなお店に立ち寄るのも楽しみだと思えば大したことではない。また、見つけた時に即行動しないと、チャンスを逃すことも何度か経験しているので、無駄も仕方がないのだ。
ここは普通の銀行なので、外貨両替するのにもパスポートの提示を求められた。もちろん外貨両替の計算書も発行してくれる。新札があることを期待していたのだが、日本のようにどこの銀行でも新札を持っているわけではない。仕方がないので、出来るだけ良いコンディションの紙幣を選んでもらった。これで全種類を手に入れひと安心である。しかしこの時、10マルカ紙幣から100マルカ紙幣まで、それぞれ「共和国」発行のものと「連邦」発行のものがあることを知らなかったため、連邦発行の100マルカ紙幣が足りないことに気が付かなかった。結局、この紙幣だけ私のコレクションから抜けている。
Vakufska Bankaの公式HP(英語版)
http://www.vakuba.ba/indexeng.htm




この時は一通りの紙幣を手に入れと思っていたので満足し、次は先ほど「スターリ・モスト」から北に見えていた、「コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミーヤ」(写真左)を訪ねることにした。「コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミーヤ」は、1618年に建てられたイスラム寺院で、通りに面した入口から中に入ると、正面には六本の柱で囲まれた清めの泉、「シャドルヴァン」(写真右)が置かれていた。左手にはモスクが建っている。12m四方の四角い形をしており、屋根は丸型のドームだ(写真下左)。中に入ると、明るい雰囲気で、南側に「ミフラーブ」があった。こちらの方角が「メッカ」になる(写真下右)。

このモスクの西側、ネレトバ川沿いにテラスがある。ここからは、真正面に「スターリ・モスト」を見ることができるのだ(写真)。多くの人で賑わっていたのは、絶好の写真を撮影ポイントだったからである。



モスクを出て、次は「カラジョズ・ベゴヴァ・ジャーミー」(写真左)を訪ねた。このモスクは、1557年、トルコの建築家「コッジャ・ミマラ・シナン」の設計で建てられたもので、ヘルツェゴヴィナ全域で最も重要なイスラム寺院建築だと言われている。一辺13.4mの建物の上に、丸屋根が乗っている。外回廊の下の部分は鍾乳石で装飾が施されており(写真右)、モスクの奥には「シャドルヴァン」(写真下)が置かれている。この日はお休みだったのだろうか。誰もおらず、ヒッソリとしていた。









続いて訪れたのは、「トルコの家」だ。「ビシチェヴィチの家」、別名「トルコの家」は、18世紀に建てられた二階建ての民家で、オスマントルコ時代の伝統的な生活様式に触れることができる(写真上左・上中)。二階には大きな居間があり、内装はオリエント風だ。どの部屋にも絨毯が敷かれており、トルコを感じさせてくれる。テーブルに置かれたチャイのセットも雰囲気を作り出している(写真上右・中段)。この部屋は幾つかの支柱に支えられ、「ネレトバ川」の方にせり出している(写真下左)。また庭には、別棟の台所がある(写真下中)。その近くにはカメが数匹歩いていた(写真下右)。ここで飼っているのだろう。


「トルコの家」の見学を終え、次は「ヘルツェゴヴィナ博物館」(写真)に向かった。しかしこの博物館も本日は休館である。これらの博物館を見るのに必要な時間を確保するため、昼食もとらずに歩き廻っていたのだが、時間が余ってしまった。こんなことなら、皆と一緒に食事をすれば良かったと、少々反省した。



集合時間まで1時間ほどあったので、ブラブラとお店を見ながら来た道を戻ることにした。日差しが強く、喉が渇いていたこともあり、大型スーパーを見つけたので、ここでコーラの大ボトルを購入する。棚に並んでいる商品は日本のスーパーとあまり変わりはないが、店の奥に精肉コーナーがあり、お客と対面販売している点が面白い。特にハムの種類が豊富なのには驚いた(写真)。
スーパーを出た後、しばらくすると、紙幣を売っているお店があったので訪ねてみた。ユーゴスラビア時代の色々な古い紙幣が置かれていたのだが、その中に「5,000,000,000」額面の紙幣があった。1993年に発行されたインフレ紙幣である。面白いので記念に1枚購入した。
ウィキペディア・フリー百科事典(ユーゴスラビア・ディナール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB


ぶらぶら歩いていると、ツアーの添乗員に出会った。観光を終え、自由時間になったとの事。「スターリ・モスト」に集合してからバスに向かう予定のようだ。しばらく観光ガイドの駐在所で休憩し、集合場所に向かった(写真左)。まだメンバー全員が揃っていなかったので、橋の上から川を眺めていると、ジャンプ台から飛び込みをしている子供たちがいた(写真右)。かなりの高さから飛び込んでいたので、川もそれなりの深さがあるのだろう。そういえば、今見ていた飛び込み台よりも数倍高いこの橋から飛び込む「ジャンプ大会」が行われているというのだから、川の深さも10m以上あるのではないだろうか。暫くして、全員揃ったところでバスに戻り、午後2:58に 出発した。
ウィキペディア・フリー百科事典(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%82%B4%E3%83%93%E3%83%8A


バスは「ネレトバ川」沿いを走る。窓の外には、ブドウ畑が続く(写真左)。午後3:25 オスマントルコ時代の遺跡見える(写真右)。
午後3:40ボスニア・ヘルツェゴヴイナ出国、クロアチア入国の手続きを済ませ、今度は海沿いの道を走る。5~6kmほど東に進んだ午後4:20、再びボスニア・ヘルツェゴヴイナ入国、クロアチア出国の手続きをする。地図を見ると分かるのだが、クロアチアの領土を海側に突き出るように一部だけボスニア・ヘルツェゴヴイナの領土があるのだ。ボスニア・ヘルツェゴヴイナで唯一の海岸に面した街「ネウム」である。何故このような事になったのかというと、「1718年に結ばれたパッサロヴィッツ条約(ポジャレヴァツ条約)の結果ダルマチアのほぼ全域はヴェネツィア共和国領と定められたが、ヴェネツィアとオスマン帝国の保護国であったラグーザ(ドゥブロヴニク、都市国家状態)との紛争を防ぐため、ネウムは両者の緩衝地帯としてオスマン帝国領となった。この時引かれた国境線が、主体となる国家が変遷しつつも現在まで引き継がれている」(「ウィキペディア・フリー百科事典(ネウム)」より)との事。
ウィキペディア・フリー百科事典(ネウム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A6%E3%83%A0
午後4:26、ネウムのスーパーマーケットでトイレ休憩を取る(写真



)。ここのスーパーもモスタルで買い物をしたスーパーと同じ様な構造で、店の奥にはショーケースが置かれ、中には肉やチーズが並べられている。ここも対面販売方式で、自分の希望する量を計り売りしてくれるのだ。面白いと思ったのは、ここが観光客の休憩所として良く利用されているということもあり、アドリア海の塩など色々な種類のお土産物が置かれていることだ。そういえばスーパーの入り口で、おみやげ用のチョコレートを試食用に配っていた。我々のグループのオバちゃんたちが、我先にと手を出していたので、すぐに一箱が空になっていた。恐るべし、オバちゃんパワー。
Supermarket Jadranpromet
http://www.jadranpromet.com/index.php?option=com_content&view=article&id=92&Itemid=161&lang=en




40分ほど休憩してから、バスに戻る。10分ほど走ると再び国境である。午後5:20、 ボスニア・ヘルツェゴヴイナ出国、クロアチア入国の手続きを済ませ、午後5:30 、「ペリェシャツ半島」の「マリ・ストン(Mali Ston)」の街にあるレストラン「VILA KORUNA(ヴィラ・コルナ)」で夕食を頂く(写真左・右)。このレストランは海に面して建っており、窓からの眺めもなかなか良い(写真下左)。地元で捕れた新鮮な魚介類を提供する人気店のようだ。活け簀があるというのでレストランの裏に見に行ったが、魚はおらず、貝が置かれていただけであった(写真下右)。





メニューは次の通り。
・ムール貝の白ワイン蒸し(写真左)
・レッドフィッシュのグリル(写真右)
・プリン(写真中左)
・ノンアルコールビール(写真中右)
ちなみに、ムール貝は非常に大きいのだが、中身は非常に小さく、全部取り出してもほんの僅かにしかならなかった(写真下)。
レストラン「VILA KORUNA(ヴィラ・コルナ)」
http://www.vila-koruna.hr



約1時間で食事を終え、レストランの外に出ると、傍には城壁が続いていた(写真)。この城壁は、ここ「マリ・ストン」から隣町「ストン(Ston)」まで続く長大なもので、イギリスにある「ハドリアヌスの城壁」に次ぎ、ヨーロッパ第二の長さを誇るという。「ストンを囲む城壁が造られたのは、14世紀から16世紀にかけてのこと。当時この地を所有していたラグーサ共和国(ドブロヴニク)にとって、本土とペリシャツ半島とをつなぐ要衝であったのに加え、この町にある塩田産の塩が貴重な輸出品だったため」(「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」より)との事。


午後6:35、本日宿泊するホテルに向かってバスで出発した。ここからは海沿いを走る。ちょうど夕日が沈む時(写真)だったので、バスの中では日の入りの写真を撮るため、ずっとカメラを構えていた。そのような事をしていると、時間が経つのは早い。午後7:30、ホテル「グランド・ヴィラ・アルジェンティーナ」に到着した。




午後8:00 、部屋に入る。海に面したリゾートホテルにしては、少し狭い感じがする。しかし全体的に落ち着いた雰囲気で、2日間滞在するのには丁度良い(写真)。早速、風呂に入り、その後いつものように荷物と資料の整理を行い、午後11:00 頃ベッドに入った。
グランド・ヴィラ・アルジェンティーナ[Grand Villa Argentina(英語版)]
http://www.gva.hr/
(参考文献)
・「地球の歩き方 クロアチア・スロヴェニア ‘08~’09」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社]
・「旅名人ブックス クロアチア」(旅名人編集室編)[日経BP社]
・「週刊世界遺産 ドゥブロヴニクの旧市街」(菅家洋也編)[講談社]
・「モスタル(日本語版)」(Mato Njavro他編)[Turisticka naklada d.o.o.刊]
・「モスタルー観光ガイド・地域紹介―(日本語版)」(Mato Njavro他編)[Turisticka naklada d.o.o.刊]
・「Mostar Old town(英語版)」
・「OLD BRIDGE MOSTAR(英語版)」