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December 31, 2011

台北市散策(その2 : 台湾中央銀行・中正紀念堂)

台湾の旅(第8回)

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「総統府」の写真撮影を終え、次の目的地である「台湾中央銀行」へと南に歩いた。「司法院」(写真左)や「法務部」(写真中)の前を通り、「愛国西路」に出たところで左折して東に進む。300mほど歩いたところで、左手に「南門(麗正門)」(写真右)が見えた。さらに「財務部」(写真下左)の前を過ぎると、「台湾中央銀行」(写真下中・下右)である。銀行の建物の前にいる警備の人に、貨幣博物館はないのかと尋ねると、東に100mほど行ったところに受付があるので、そこで聞いてほしいとの事。

指示された通り東に向かうとゲートがあり、左手に小さな建物があった。これが受付だろうと思い中に入ると、可愛らしい女性が座っていた。貨幣博物館はないのか、また現在使われている紙幣に関するリーフレットはないのかの2点について訊ねると、貨幣博物館についてはないとの事。現在検討中だとも言っていた。これまでに私が訪れた世界各国の貨幣博物館についてお話しすると、身を乗り出して聞いていた。リーフレットについては、担当のものにここまで持って来させるので、しばらく待ってほしいとの事であった。4~5分ほどすると、担当の方が部屋に入ってきたのだが、予想に反して非常に若い男性職員で、上手な日本語を話す。50元から2,000元までのリーフレット計6枚を頂戴した後、200元札が手に入らないことを話すと、台湾銀行に行けば必ずあるとの返事。しかし私が台湾銀行に行ったが無かったと言うと、絶対にそんなはずはないとの事。そのようなことをお話した後、お礼を言って部屋を出ると、彼もついて来て、私を門の前まで見送ってくれた。

台湾中央銀行
http://www.cbc.gov.tw/mp2.html

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「台湾中央銀行」を離れ、続いて道路を隔てた北側に建つ「中正紀念堂」(写真左)を訪ねた。この「紀念堂」は、故蒋介石総統を記念して建てられたモニュメントで、1980年3月(民国69年3月)に完成した。ここは植民地時代の日本軍軍用跡地で、敷地面積は25万㎡あり、敷地内には、本堂のほかに「国家戯劇院」(写真中)や「国家音楽院」(写真右)などが併設されている。私は正面からではなく、「国家戯劇院」の西側を通って敷地内に入った。左手には、「自由廣場門」(写真下左)が建っている。広場では何かの行事が行われており、一部立ち入ることができないエリアが設けられていた。アドバルーンを揚げるなど、何か楽しそうだ(写真下中、下右 : 航空写真はウィキペディア・フリー百科事典[中正紀念堂]より)。

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「自由廣場門」の対面、東側に建つのが「中正紀念堂」(写真)である。青い八角形の二重屋根に白い壁、中国の伝統的な宮殿陵墓式建築だ。「中正紀念堂公式HP(日本語版)」によると、「屋根が八角形なのは「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」の八德を象徴しているためです。また「人」の字が重なって天に達するように見える設計は「天人合一(天と人が一つになる)」という中国思想の反映です。二重のひさし(簷)は中国語で「複簷」と呼ばれますが、この『複』は『復』と同音で中華の復興と大陸の回復という目標を表わします。屋根は北京の天壇を模して造られ瑠璃瓦は青色。壁は白色の大理石。記念堂前の伝統図案による花壇。これらは「自由、平等、博愛」を象徴する青天白日と地に満ちる赤色と一致します」との事。

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色々な彫刻の並ぶ広場を東に進み、89段の階段を上って「中正紀念堂」に入る(写真左)。89段は、蒋介石が亡くなった年齢である89歳に合わせてあるという。「中正紀念堂公式HP(日本語版)」によると、「記念堂のメインフロアには故蒋介石総統の銅像が安置してあります(写真中・右)。台座には蒋介石の遺言が刻まれており、像の上方には倫理、民主、科学、すなわち三民主義の本質であり蒋介石の基本政治理念が記されています。また両側には蒋介石の名言である:「生活の目的とは人類全体の生活の向上にあり」、 左は「生命の意義は宇宙を継続する生命の創造にある」という言葉が刻まれています」との事である。

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しばらく見学した後、テラスを一回りして(写真左)、南門から出るため階段を降りた。1階に色々なお店が入っていたので、見て廻っていると、大きな足音が聞こえて来た。子供が遊んでいるのだろうと思い無視していたのだが、その後も規則正しく足音が聞こえて来たので、不思議に思い振り返ると、衛兵が2人歩いていた(写真中・右)。これから交代式があるのだ。彼らは1階から規律に従って歩き、メインフロアで交代するのだ。ところで、彼らは階段を上って行くのだろうか。否。エレベータで上がるのである。それに気が付いた私は、交代式を見るため、急いで階段を駆け上り、メインフロアに戻った。すると先ほどとは異なり、ロープが張られ、多くの人が見学のために集まっていた。しばらくすると、先ほどの衛兵が現れた。その後約15分、交代式は続いた(写真下段)。

ウィキペディア・フリー百科事典(中正紀念堂)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E7%B4%80%E5%BF%B5%E5%A0%82
中正紀念堂公式HP(日本語版)
http://www.cksmh.gov.tw/jp/index.php

「中正紀念堂駅」で衛兵の交代式を見た後、再び広場を通り、MRT「中正紀念堂駅」に向かった。次は「国父紀念館」に行くつもりだったのだが、その前に200元紙幣を手に入れたかったので、台湾銀行に立ち寄ることに予定を変更。MRTに乗り、「台北車站駅」で板南線に乗り換え、「忠孝敦化駅」で下車。「国父紀念館」に行くのであれば、次の「国父紀念館駅」で降りた方が便利なのだが、「台湾銀行(忠孝分行)」は「忠孝敦化駅」の方が近いのだ。

ウィキペディア・フリー百科事典(台北捷運[MRT] : たいぺいしょううん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E6%8D%B7%E9%81%8B
Metro Taipei(台北捷運公司)のHP(英語版)
http://english.trtc.com.tw/MP_122032.html
台北捷運[MRT]のルートマップ
http://english.trtc.com.tw/ct.asp?xItem=1056373&CtNode=27496&mp=122032

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地上に出ると、敦化南路一段の北側に「台湾銀行(忠孝分行)」(写真)が見えた。やはり本店とは違い、建物も普通の銀行と変わらない。店内に入ると、日本の銀行と同じような感じだ。しかし現金を出し入れするハイカウンターには、防弾と思われるガラスが張られていた。台湾元を崩したいのでどこに行けば良いのかと尋ねると、2Fに案内してくれた。窓口で200元札が欲しいと言うと、隣の席に座っていた若い男性職員が日本語で話しかけて来た。私が直ぐに日本人であることが分かったという。理由を聞いてみると、”おじぎ”をするからとの事。普段の仕草が自然に出るのであろう。以前、どこかの国でも同じような理由で日本人だと分かったと言われたことがある。

ところで、彼は私が200元札を求めた理由を直ぐに察し、ではなるべく新券をお渡しするようにしますと言ってくれた。先ほど台湾銀行の本店で200元札が手に入らなかったことを話すと、不思議だと言っていた。私の想像だが、外貨両替のセクションには無かったということなのかもしれない。彼のおかげで、200元札だけでなく、100元札など他の紙幣も新券を手に入れることができた。これで台湾の現行紙幣とコインは、全種類入手したことになる。お礼を言って支店を出る。

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ここから、次の目的地である「国父紀念館」へは、700~800mなので、敦化東路四段沿いに東に向かった。この通りが、このあたりのメイン道路になるのであろう。商業ビルが並び、多くの人で混み合っていた(写真左)。200mほど歩くと、「ユニクロ」の看板が見えたので、立ち寄ってみた(写真中)。店内の造りは、日本と変わらず、商品も同じような構成だが、日本よりも少し値段が高いように思えた。「ユニクロ」は、「明曜百貨」の1Fに出店している一店舗にすぎなかったので、他のフロアも見るため、エレベータで上の階に上がった(写真右)。店舗内を一回りしてみたのだが、日本の地方百貨店と言った雰囲気である。

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お店を出て、さらに東に進むと、「マクドナルド」(写真)があった。時計を見ると12:20を指しており、お腹も少しすいていたので、ここで昼食をとることにした。ハンバーガーとフィレオフィッシュ、コーラ(小)を注文。129元である。ほぼ日本と同じか、やや安いぐらいの値段だ。ツアーのメンバーは、今頃「故宮晶華」で点心を食べているのだろう。しかしそれを放棄してでも一人歩きする方が、私にとっては楽しいのだ。20分ほどで食事を終え、「国父紀念館」に向かった。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]


December 29, 2011

台北市散策(その1 : 二二八和平公園・台湾銀行・総統府)

台湾の旅(第7回)

第4日目(11月25日[金] : 晴れ)

6:25 起床
6:45~7:30 ホテルのレストランで朝食
8:15 台北市内散策に出かける
8:22~8:40 MRT「善導寺駅」乗車→「台北車站駅」乗り換え→「台大醫院駅」下車
8:45二二八和平公園
8:52国立台湾博物館
9:10台湾銀行本店
9:30中華民国総統府
9:41 司法院
9:43法務部
9:49南門(麗正門)
9:51財務部
9:52台湾中央銀行
10:12~11:21中正紀念堂
11:26~11:55 MRT「中正紀念堂駅」乗車→「台北車站駅」乗り換え→「忠孝敦化駅」下車
11:56台湾銀行(忠孝分行)
12:14明曜百貨(ユニクロ)
12:22~12:49マクドナルド
12:59~13:40国父記念館
13:45~14:34市政府
14:45~16:14TAIPEI101(展望台)
16:28~16:54誠品書店(信義店)
17:00~17:05統一阪急百貨
17:07~17:20 MRT「市政府駅」乗車→「善導寺駅」下車
17:23ホテルに戻る
17:27~19:25入浴、資料整理
19:30~21:00ホテルのレストランで夕食
21:07資料整理、荷物整理
22:30就寝


この日のツアーの予定は、九份地区を観光し、国立故宮博物館で展示物を鑑賞した後、忠烈祠で衛兵の交代式を見るというもの。しかし私は自由に街を散策したかったので、ツアーには参加せず、一人で行動することにした。

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6:25に目覚める。窓の外を見るが、街の中なので幾つかのビルが並んでいるという普通の眺め(写真左)。感動するような景色ではない。6:45、ホテルのレストランで朝食を頂く。レストランは部屋を出て吹き抜け部分の下にあるので、どの程度の客の入りかは直ぐに分かる(写真中)。このレストランもメニューは豊富で、洋食や中華だけでなく、僅かだが和食も置いている。本日も麺類を頂戴した(写真右)。

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ツアーは8:40にスタートとの事であったが、私は別行動なので8:15に台北市内散策へと出かけた。幸いな事に、ホテルの目の前に台湾地下鉄(MRT)の板南線「善導寺駅」(写真左)があったので、これを使うことにした。地下鉄の地下への入り口や路線案内板などは、日本のものに非常に似ている感じだ(写真中)。しかし、切符の自動販売機は雰囲気が異なる(写真右)。私はいつものように1日乗車カードを購入した。

実はこの時、私は1日カードの仕組みを知らなかったのである。ヨーロッパのように24時間乗り放題の使い切りだと思っていたのだが、それとは異なるシステムなのだ。1日乗車券は1枚200元だが、うち50元はデポジットになっている。使用日は自由に選択できるが、使い始めてから24時間ではなく、当日の運行終了まで有効であるにすぎない。カードはクレジットカードのようにハードなものだが、チャージ機能はない。私は記念にカードを手元に残しておきたかったので返却しなかったが、使用日から3日以内に返却すればデポジットの50元を返してくれるのだ。
ちなみに、MRT1回あたりの乗車が2割引きになるチャージ式のカードもあるので、滞在期間によってはこちらをうまく使った方が得になるかもしれない。

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改札を通り、エスカレータでホームに降りて行くと、まだ新しく、非常に綺麗なホームが現れた(写真左)。案内版も親切で分かりやすく、次の列車が来るまでの待ち時間まで細かく表示されている(写真中)。これらを見ていると、完成した時代が古いためであろうが、大阪の地下鉄のホームがレトロに思えてしまう。しばらくすると、列車が入ってきた。車両も新しく、日本の最新式のものと変わらない(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(台北捷運淡水線)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E6%8D%B7%E9%81%8B%E6%B7%A1%E6%B0%B4%E7%B7%9A

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列車に乗り、次の「台北車站駅」で下車し、淡水線に乗り換え、「台大醫院駅」で降りた。このあたりはオフィスが多いのであろう。ホテルの前に比べ、通勤客で混雑している(写真左)。地上にでると、そこは「二二八和平公園」(写真中・右)であった。この公園は、日本が統治していた1899年に造られたもので、当時は「台北公園」(通称 : 新公園)と呼ばれていた。現在は「台北二二八記念碑」が置かれ、「二二八和平公園」に改名されている。公園の面積は71,520m2。

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公園を歩くと、南国のムードが漂っているのを感じる(写真左)。沖縄よりもはるかに南に位置するのだから、当然と言えば当然か。公園の南側には、「台北二二八紀念碑」(写真中)が建っている。碑文も置かれていたが、中国語で書かれていたため、残念ながら読むことはできなかった(写真右)。同じ漢字で書かれているのだが、むしろ英語の方が良いと思ってしまうのは何か変な感じだが仕方がない。

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この公園には、中国風の東屋(写真左)や、池に架かる石橋と灯籠のある庭園(写真中)があり、この周囲で太極拳をする人たちの姿を見ることができる(写真右)。その他に「二二八紀念館」もあったようだが、見落としてしまった。

ウィキペディア・フリー百科事典(二二八和平公園)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%8C%E5%85%AB%E5%92%8C%E5%B9%B3%E5%85%AC%E5%9C%92
ウィキペディア・フリー百科事典(二二八事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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公園の北側には、新古典様式の建物がある。「国立台湾博物館」(写真)だ。日本統治時代の1908年、台湾総督府の博物館として設立されたもので、台湾では最も古い博物館である。台湾の動植物や原住民族に関する資料などが展示されているとの事だが、開館は午前10:00からなので、中に入ることはできなかった。

ウィキペディア・フリー百科事典(国立台湾博物館)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

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「二二八和平公園」を抜け(写真左 : 西出口)、次は公園の西側に位置する「台湾銀行本店」に向かった。目的は、まだ手に入れていない紙幣の入手である。途中、日本でもお馴染みの、セブンイレブン(写真中)やモスバーガー(写真右)のお店が出ていた。比較のためセブンイレブンに入ってみると、客導線や陳列方法など店舗の造りは同じであった。商品構成もほぼ同じで、菓子や飲料水のコーナには、日本のメーカーのものも数多く並んでいた。印象に残ったのは、暖かい台湾で「おでん」が売られていたことである。味を比較するため、一品でも食べてみれば良かったのだが、残念な事をしてしまった。

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公園を出てから、僅か7~8分で「台湾銀行本店」(写真)の前に到着。新古典様式のような建物だが、地方にある日銀の旧支店ほどの重厚感はない。扉をくぐり、建物の中に入ると、広々とした空間のなかに受付カウンターが並んでいた。外貨両替をしたい旨伝えると、奥の部屋に案内してくれた。日本の銀行と同じように、番号札を引く。「102」番である。私の前には客がいなかったので、すぐに呼び出された。受付けてくれたのは若い男性職員で、少しだけ日本語が話せるとの事。2,000元札と200元札が欲しかったので、日本円で6,000円を替えてもらうが、200元札はないとの事。あまり流通していないとは聞いていたが、台湾銀行の本店に無いとは少々驚いた。2,000元札もコンディションの良い物を渡してくれたが、新札ではない。残念だが仕方がない。

ところで、やはりここは銀行なので、街の外貨両替商とは異なり、きっちりパスポートを提示させられた上、宿泊しているホテルも申告させられた。その代り、銀行から貰う計算書も細かく書かれており面白い。中でも認証欄の「匯款人未分別」のところに「民間」、「匯款分類名稱及編號」には「観光収入」と印字されていたのが印象に残った。手続きを終えた後、店舗内を見て廻ると、日本と同じく数多くの投資信託のパンフレットが置かれていた。

台湾銀行
http://www.bot.com.tw/english/Pages/default.aspx

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「台湾銀行本店」の後は、すぐ南側に建つ「中華民国総統府」(写真)だ。日本統治時代の1919年に完成した赤レンガ造りの建物で、中央の塔の高さは60mある。かつては「台湾総督府」として使われていたが、現在は台湾の「総統府」として使用されている。建物の正面東側には、片道4車線の広い道路が一直線に伸びる。道路わきの広場は、多くの観光客でにぎわっていた。何台もの観光バスから、次々と観光客が下りてくる。皆さん、「総統府」をバックに記念写真を撮っていた。私も建物の写真を撮るため、色々な角度から試していると、大きな笛の音がした。無視して写真を撮り続けていると、再び笛が鳴った。私に向かって吹いているのだ。立ち入ってはいけないところに入っていたからと言うのが理由のようである。すぐに垣根の後ろに下がった。しかし私が立っていたのは歩道なのだが、なぜそこに立ってはいけなかったのか、未だにその理由が分からない。

ウィキペディア・フリー百科事典(中華民国総統府)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD%E7%B7%8F%E7%B5%B1%E5%BA%9C
ウィキペディア・フリー百科事典(台湾総督府)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C

(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]



December 28, 2011

日月潭観光(その2 : 玄光寺),そして台中から台北へ

台湾の旅(第6回)

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「文武廟」の観光を終え、次は湖上遊覧観光である。船乗り場である「水社碼頭」は、「文武廟」の西、約3kmに位置する。バスで10分ほど走ると、港近くの駐車場に到着した。ここから徒歩で船乗り場に向かう。港には多くのボートが係留されている(写真左・中)。桟橋を歩くと、突然めまいがした。どうしたのだろうと不安になるが、じつは桟橋が揺れていたのだ。桟橋の拡張と縮小を、簡単にできるようにするためであろう。船乗り場と桟橋は、フロート式なのである(写真右)。

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我々の乗るボートは20人乗りサイズのもので、船長は「ソウ」さん。女性である。全員が乗り込むと、エンジンがかかり出港だ。港を出て20分ぐらいすると、「拉魯島(ラル島)」の傍までやってきた(写真左)。先ほど、「玄奘寺」の展望台から見えていた島だ。この島は、日月潭の中央に浮かぶ小島で、サオの聖地。上陸はできないが、島の周囲を囲んだ人工の浮島から身近に観察できる。よく見ると、白い鹿の彫り物が置いてある(写真中)。これについては、前回、伝説としてお話しをした。さらに良く見ると、木の柱に木製のフクロウの姿が見えた(写真右)。実は、フクロウはサオ族にとって吉祥の象徴なので、ここに置かれているのである。フクロウは婦人の妊娠を予知し、安産の道標であると信じられていたようだ。

我々は「拉魯島」の前を通り過ぎ、湖の南東に位置する「玄光寺」に向かった。

ウィキペディア・フリー百科事典(日月譚)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%88%E6%BD%AD
日月譚國家風景區のHP(日本語版)
http://www.sunmoonlake.gov.tw/sun.aspx?Lang=JP
日月譚國家風景區のHP(日本語版 : 拉魯島)
http://www.sunmoonlake.gov.tw/JP/03000626.aspx


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11:05、我々はボートを降り、 「玄光寺」に行くため、参道の階段を上る(写真左・中)。階段の踊り場からは、桟橋に停まる数多くの白いボートと緑の「拉魯島」が、青い海に浮かび美しい景色を作り出している(写真右)。

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百数十段ある階段を上ると、「玄光寺」(写真)が姿を現した。「玄光寺」は、先ほど訪れた「玄奘寺」から0.8キロほど北に位置する寺院だ。「玄奘寺」から歩いた方が早かったのではないかと思ったが、船で来るのが定番の観光コースのようである。この寺院は、「玄奘寺」の所でもふれたが、1955年に建てられ、玄奘法師の遺骨を祀っている。

日月譚國家風景區のHP(日本語版 : 玄光寺)
http://www.sunmoonlake.gov.tw/JP/03000567.aspx

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約30分で「玄光寺」の観光を終え、再びボートに乗る。我々は湖の東から北を通り、ほぼ一周して、「水社碼頭」に戻った(写真左・中)。バスを停めた駐車場に戻る途中、ツアーメンバーの一人が、買い物をしたいとの事だったので、「台湾地方特色産品館」(写真右)に立ち寄り、その後昼食会場であるレストランに向かった。

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約30分でレストラン「金都餐廰」(写真左)に到着。ここで昼食を頂くのだ。広くて明るいレストランである(写真中)。我々が案内されたのは、2Fの個室だ(写真右)。メニューは次の通り。

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・紹興酒風味の前菜(写真左)
・ビーフン(写真中)
・海老の茹で物(写真右)
・メンマ入り角煮(写真中段左)
・蒸し魚(写真中段中)
・魚のスープ(写真中段右)
・空心菜の炒め物(写真下左)
・ピーマンの炒め物(写真下中)
・まんじゅう(写真下右)

約1時間で食事を終え、我々はバスで、次の観光予定地である台中に向かった。

「金都餐廰」
http://www.puli-eating.com.tw/

(「愛蘭」から有料道路に乗り、「中枝」で降りる)

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「台中駅」前から道路を北に進み、「孔子廟」(写真左)の前を通過して北西に向かうと直ぐ、金色に輝く大仏(写真右)が見えてきた。次の観光は、この大仏のある「宝覚寺」である。

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「宝覚寺」は、台湾三十三観音霊場の第十番で、1928年に創建されたお釈迦様を祀った古刹(こさつ)だ(写真左 : 入口の門)。面白いことに、本堂は建造物保護のため大きな屋根に覆われている(写真中・右)。

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しかし私の関心は、先ほど見た金の大仏に向いていた。台湾第2の大きさを誇る弥勒大仏像で、高さは30.1m(写真)。1969年に完成したという。大仏の内部は「台湾民族文物館」になっており、大仏のへそが窓との事。残念ながら、中に入ることはできなかった。

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またここには、戦時中に亡くなった日本人や、台湾出身で日本軍として戦った戦死者の霊を慰める「慰霊碑」(写真左)が建てられている。さらに赤い屋根の納骨堂(写真右)もあり、約14,000人の遺骨が納められているとの事。

30分ほどで観光を終え、我々はバスで台北に向かう。

ウィキペディア・フリー百科事典(台湾三十三観音霊場)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E9%9C%8A%E5%A0%B4


(「台中」から有料道路に乗り、「湖口」でトイレ休憩し、その後「台北」で降りる)

ウィキペディア・フリー百科事典(台北市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E5%B8%82

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16:20~16:30 「湖口」パーキングエリアでトイレ休憩。パーキングの建物にはお店屋さんが入っているのだが、日本の昭和を思わせるレトロな雰囲気で面白い(写真)。

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17:52、「華漾大飯店(中崙店)」に到着(写真左)。ここで夕食を頂く。かなり大きなレストランで、明るく清潔感のある良い雰囲気だ。奥の個室に案内され、丸テーブルを囲む。メニューは次の通り。ここでは一品一品、女性店員が取り分けてくれた(写真中左)。

・広東風前菜盛り合わせ(写真中右)
・アワビ・ナマコ・フカヒレと魚の腹のあんかけスープ(写真右)
・アワビと椎茸のオイスターソース煮込(写真中段左)
・海老と野菜炒め(写真中段中左)
・ケーパー味付けの魚蒸し焼き(写真中段中右)
・筍と豚ももの醤油煮(写真中段右)
・ホタテのブラックビーンソース蒸し(写真下左)
・桜海老入りのもち米ご飯(写真下中左)
・2種類の広東風点心(写真下中右)
・季節の果物(写真下右)

約1時間半で食事を終え、本日宿泊するホテルに向かう。ところで、このレストランはサービスが徹底しており、先ほど食事を取り分けてくれた店員が店の外に出て、我々のバスの前まで見送りにきてくれたのだ。素晴らしい!

「華漾大飯店(中崙店)」(日本語版)
http://www.enh.com.tw/zhonglun/japan/about01.htm

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バスで約10分走り、19:52、本日宿泊するホテル「台北喜来登大飯店(SHERATON HOTEL TAIPEI : 写真)」に到着した。高級ホテルと言われているだけのことはあり、設備もサービスもなかなか良い。

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私の部屋は7F。20:31 、部屋に入る。かなり広い部屋で落ち着いた雰囲気。書類整理用のデスクもあり、満足である。バスルームには、バスタブのほか、ガラス張りのシャワールームもある(写真)。

早速風呂に入り、その後いつものように荷物整理、資料整理を済ませ、10:30頃ベッドに入った。

台北喜来登大飯店(SHERATON HOTEL TAIPEI)
http://www.sheraton-taipei.com/japan/index.htm

(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・観光用パンフレット「日月潭に遊ぶ」(台湾交通部観光局)



December 27, 2011

平成23年度の貨幣の製造枚数[改定値]

平成23年度の貨幣の製造枚数[改定値]

本日27日、財務省は「平成23年度の貨幣製造枚数」の改定数値を発表した。これは年度ベースなので、現行コインコレクターにとって気になる平成23年銘の貨幣の製造枚数は、造幣局の「年銘別貨幣発行枚数」の発表を待つしかない。しかし年度ベースでも、どの貨幣の発行枚数が多いのか、もしくは少ないのかを知る目安にはなるであろう。

今年4月に発表された当初の製造枚数と、今回発表された製造枚数とを比較してみると、前年同様1円、5円、50円の減少が目立つ。いずれも当初は百万枚の発行であったが、今回の発表では約55万枚減の45万枚程と半分以下である。ミントセットに組み込まれている枚数も含まれていることを考えると、今年の年銘のコインも釣銭でコレクションすることは、ほとんど不可能に近い。
詳しくは財務省のHPを参照願いたい。

(御参考)
1円・・・1,000千枚(4月発表時点)→448千枚(12月発表 : 552千枚減)
5円・・・1,000千枚(同上)→448千枚(同上 : 552千枚減)
10円 ・・240,000千枚(同上)→240,000千枚(同上 : 変わらず)
50円 ・・1,000千枚(同上)→448千枚(同上 : 552千枚減)
100円・・250,000千枚(同上)→250,000千枚(同上 : 変わらず)
500円・・312,600千枚(同上)→310,740千枚(同上 : 1,860千枚減)


平成23年12月27日付財務省HP(平成23年度の貨幣製造枚数[改定値])
http://www.mof.go.jp/currency/coin/lot/2011kaheikeikaku-henkou.htm
平成23年4月4日付財務省HP(平成23年度の貨幣製造枚数)
http://www.mof.go.jp/currency/coin/lot/23kaheikeikaku.html
造幣局のHP(貨幣の発行枚数)
http://www.mint.go.jp/data/pdf/nenmeibetsu_22.pdf


December 24, 2011

復興応援国債と1万円金貨

復興応援国債と1万円金貨

ご存知の方も多いと思うが、12月6日、財務省は「復興応援国債」の募集を始めることを発表した。ちなみに、今月5日から募集を始めた「個人向け復興国債」とは別のものである。

東日本大震災復興事業に資金をあてるため、現行の変動10年の個人向け国債をベースに、当初の3年間は低い金利(個人向け国債の下限金利である0.05%)で募集するというもの。

そして「復興応援国債」発行日から3年目に当たる利払日を基準日として、基準日の保有残高に応じて、新たに発行する「東日本大震災復興事業記念貨幣」を、残高1,000万円毎に一万円金貨1枚、100万円毎に千円銀貨1枚を贈呈するというのだ。


財務省HP(個人向け復興応援国債及び東日本大震災復興事業記念貨幣(仮称)を発行します)
http://www.mof.go.jp/jgbs/individual/kojinmuke/houdouhappyou/231206fukkououen.pdf

今回はこの「復興応援国債」について、コインコレクターとして、また個人投資家として、さらに国民としての3つの立場から考えてみたい。

① コインコレクターとして

金貨、銀貨ともに、特に金貨については是非入手したい。以下、金貨を中心にお話しすると、復興応援国債の発行総額にもよるが、同一口座、同一回号で1,000万円以上と言うから、購入できる人たちの数(※)は限られ、発行枚数もかなり少なくなると思われるため、コイン商から手に入れる場合は、相当のプレミアムが付くと予想される。従って、コインの直接入手を考えたい。

それではどのようにして入手すれば良いのか。これらのコインを直接入手するには、2つの方法がある。ひとつは「復興応援国債」を購入すること。もう一つは造幣局による抽選販売が予定されているので、これに当選することだ。しかし金貨を確実に入手したいのであれば、造幣局による抽選販売よりも、「復興応援国債」を1,000万円分購入し、3年間保有することである。コインを入手するだけであれば、単純な話であるが、次に投資家としてこの国債について考えてみたい。

(※) 2011.10.8「週刊ダイヤモンド」(出所 : キャップジェミニ&メリルリンチ「ワールド・ウェルス・レポート」)によると、不動産を除く金融資産が1億円以上の富裕層は、日本に174万人いるとの事。富裕層の動きで、発行枚数がどの程度になるかは分からないが、それでもこれまでに出された金貨に比べればかなり少ない枚数の発行になるのではないだろうか。
参考までに、最近出た金貨の発行枚数を見ると、
・「2005年国際博覧会記念1万円金貨」→7万枚(造幣局での販売価格 : 40,000円・コイン商での販売参考価格 : 83,000円/日本貨幣カタログ2012より、以下同じ)
・「2002年FIFAワールドカップ記念1万円金貨」→10万枚(40,000円・83,000円)
・「天皇陛下御在位10年記念1万円金貨」→20万枚(41,000円・106,000円)
・「長野オリンピック冬季競技大会記念1万円金貨」→(第一次~第三次まで)各5.5万枚(第一次 : 38,000円・88,000円)などである。
発行枚数については、造幣局のHPをご参照。

造幣局(貨幣に関するデータ : 記念貨幣一覧)
http://www.mint.go.jp/data/kinen/index.html

② 個人投資家として

「復興応援国債」の発行条件を見ると、現行の変動10年の個人向け国債をベースに、当初の3年間は低い金利(個人向け国債の下限金利である0.05%)で募集するとの事。そして当初の3年間の金利が低い代わりに、先ほどお話しした金貨や銀貨が貰えるというのだ。復興応援のご褒美?

では損得を考えるとどうなのであろうか。計算上、利率を12月募集の個人向け復興国債の0.72%(利率は半年毎に見直される変動金利)とし、金利は3年間一定と仮定する。

金貨が欲しいので1000万円投資した場合
・復興応援国債の3年間の利息 : 1000万円×0.05%×3年=15,000円
・個人向け復興国債の3年間の利息 :1000万円×0.72%×3年=216,000円
と、その差は201,000円である(税引き前の計算)。

現在の金1グラム当たりの価格を4,400円とした場合、金貨の重量は15.6グラム(1/2オンス)なので、4,400円×15.6グラム=68,640円となり、結果132,360円(201,000円-68,640円)の損になるのだ。少しばかり金価格が上昇したとしてもこの穴は埋まらないので、やはり「復興応援国債」を購入する場合は、「応援」と言う点を重視し、損の分は寄付したと考えるしかないだろう。

ところで、便宜上金価格を使って損得の計算をしたが、記念貨幣も法定通貨なので鋳潰す事は法律で禁じられている。換金するのであれば、コイン商に買い取ってもらうか、オークションにかけるしかないのだが、金貨に201,000円以上のプレミアムが付くとは思えない。先ほど確実に入手するためには「復興応援国債」を1,000万円分購入し、3年間保有することだと言ったが、現時点では市場に出廻ってきたものをコイン商から買う方が良いのではないかと思う。
ただ、金貨をもらった人が手放さず、コレクターの需要が大きく上回った場合は相当のプレミアムが付くことも考えられるので、迷うところだ。


③ 国民として

以上、コレクターであり、投資家である立場からお話ししたが、もう一つ考えなければならないのは国民としてである。何故「復興応援国債」を発行しなければならないのだろうか。東日本大震災復興のために資金が必要だから、という点に間違いはない。今月募集の始まった「個人向け復興国債」も同じである。しかし国家財政の赤字額を勘案し、国債への投資をためらう個人からも資金を集めるため、「復興」や「応援」といった冠を付けているのではないかと疑いの目でも見ている。

というのも、本日(24日)財務省から発表された「わが国の財政事情」によると、平成24年度末には、国と地方の借金を合計した長期債務残高が、今年度末よりも34兆円ほど増え、937兆円程度に膨らみ、過去最大になる見通しだからである。GDP(国内総生産)比も195%に達し、現在騒がれているギリシャの152%やイタリアの120%に比べてもはるかに高く、引き続き先進国の中で最悪の水準である(GDP比については色々な数字が発表されているが、今回は「IMF World Economic Outlook, April 2011」を参照した)。

財務省(「わが国の財政事情」)
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2012/seifuan24/yosan004.pdf
IMF World Economic Outlook, April 2011 (General government gross debt , Percent of GDP : EU諸国)
http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2011/01/weodata/weorept.aspx?sy=2009&ey=2016&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=122%2C136%2C124%2C137%2C423%2C181%2C172%2C138%2C132%2C182%2C134%2C936%2C174%2C961%2C178%2C184&s=GGXWDG_NGDP&grp=0&a=&pr.x=64&pr.y=9
IMF World Economic Outlook, April 2011 (General government gross debt , Percent of GDP : G7)
http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2011/01/weodata/weorept.aspx?sy=2009&ey=2016&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=156%2C158%2C132%2C112%2C134%2C111%2C136&s=GGXWDG_NGDP&grp=0&a=&pr.x=41&pr.y=7

また同じく本日(24日)閣議決定された平成24年度予算案によると、一般会計総額90兆3339億円で、平成23年度当初(92兆4116億円)比2.2%減と、6年ぶりに前年度を下回ったというが、東日本大震災の復興予算を特別会計に計上したほか、基礎年金国庫負担の財源の一部を一般会計に計上しない「交付国債」(※)で賄っているため、実質的には過去最大である。
歳入の内訳をみると、税収が42兆3460億円であるのに対し、新規国債発行額が44兆2440億円。当初予算段階で3年連続して借金が税収を上回り、借金が歳入に占める割合は49.0%と、これも過去最悪だ。

財務省(平成24年度予算政府案)
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2012/seifuan24/index.htm

 (※)「交付国債とは、債券の発行による発行収入金を伴わず、出資金の払込、弔慰金の支払及び損失補償金等、国が金銭の給付に代えて交付するために発行する債券をいいます。平成16 年度末現在、残高のある交付国債には、(狭義の)交付国債(戦没者の遺族等に対し、弔慰金、給付金等の支払に代えて交付される国債)、及び、出資・拠出国債(日本国が国際通貨基金、世界銀行等の国際機関に対し、出資または拠出する現金に代えて、これらの機関に交付される国債)があります」(財務省)。

財務省(国債 : 平成17年債務管理レポート2005)のHPより
http://www.mof.go.jp/jgbs/publication/debt_management_report/2005/saimu02b_01.pdf

基礎年金国庫負担の財源の一部を「交付国債」発行で賄うということについては、年金積立金に「交付国債」を渡し、それに相応する金額の年金積立金を取り崩して年金給付に充てるということである。「交付国債」を発行しても、政府はその段階で現金を支出しなくても良いため、12年度の一般会計予算では歳出に組み込まれないことから、基礎年金の国庫負担分が外れる結果、12年度予算の社会保障費は約26兆3000億円と、前年度の28兆7079億円を下回る見通しだ。また、交付国債は通常の国債と異なり、新規発行扱いされないため、12年度予算の新規国債発行も約44兆2000億円に抑えることが可能となった。

しかし、年金積立金を返却するときは一般会計の歳出となるのだから、形式だけを整えた、借金の先送りにしか思えない。ギリシャのような財政破たんを避けるためには、消費税増税は不可欠。3年以内に実行したいのであろう。だから金貨と銀貨が貰えるという餌で、3年間国債を保有させようとしているのかもしれない。金貨1枚貰うためにどうするかと言った低レベルの話はどうでもよくなった。それでも欲しい私は、コイン商から買う・・・・・。


December 23, 2011

日月潭観光(その1 : 玄奘寺・文武廟)

台湾の旅(第5回)

第3日目(11月24日[木] : 晴れ)

6:50 起床
7:00~7:55 朝食
8:00~8:45 部屋で休息
8:57 バスで「日月譚」観光に出発
9:18~9:40 「玄奘寺」見学
10:00~10:25 「文武廟」見学
10:33~11:05 「水社碼頭」から遊覧船で「玄光寺」へ
11:05~11:36 「玄光寺」観光
11:37~11:50 遊覧船で「水社碼頭」に戻る
11:55~12:02 「台湾地方特色産品館」に立ち寄る
12:05~12:35 バスで移動
12:36~13:35 レストラン「全都饗廰」で昼食

(「愛蘭」から有料道路に乗り、「中枝」で降りる)
14:34~14:52 「宝覚寺」観光

(「台中」から有料道路に乗り、「湖口」でトイレ休憩、「台北」で降りる)
16:20~16:30 「湖口」パーキングエリアでトイレ休憩
17:52~19:38 「華漾大飯店」で夕食
19:52 台北喜来登大飯店(SHERATON HOTEL TAIPEI)に到着
20:31 入室
20:31~10:30 入浴、荷物整理、資料整理
10:30 就寝

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6:50に目覚める。窓の外を見ると、なかなか綺麗な景色だ(写真左)。本日も、お天気は良さそうである。7:00に、2Fの朝食会場に向かう。今日も目の前で調理してくれるラーメンを注文する(写真中)。その他におかゆ、野菜炒めを頂き、デザートとしてドーナツやイチゴジュースを頂戴する(写真右)。8:00、部屋に戻る。大浴場に行くことも考えたのだが、本日の観光のことも考え、部屋で休息することにした。

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8:57 バスで「日月譚」(にちげつたん・リーユエタン)観光に出発。最初に向かったのは「玄奘寺」である。「日月潭」(写真 : 「文武廟」前の展望台から)は台湾最大で、かつ最も美しい湖と言われている。「日月潭」と呼ばれるようになったのは、湖の西側に浮かぶ拉魯(ラル)島を境に、東が太陽、西側が三日月の形に似ていたためである。ちなみに「拉魯(ラル)」とは、原住民サオの言葉で祖先の霊が眠る場所という意味だ。

この「日月潭」には伝説がある。千年以上の昔、原住民のサオ族が一頭の白鹿を追いかけて山奥に入って行くと、3日目に水をたたえた湖が現われ、その白鹿は一本の木になった。サオ族はこの湖の美しさと豊かさに魅了され、この地へ移り住むことを決めたというのである。

ところで台湾には、先住民が14部族、約50万人いるという。中でもこのサオ族は最も少なく、300人ほどしか残っていないようだ。かつては5,000人ほどいたサオ族だが、中国清朝の時代(嘉慶・道光年間)に漢民族が移住してきたことから、彼らが持ち込んだ伝染病に侵され、一気に人口が減ったとの事。

日本が統治していた時代には発電所が建設され、濁水溪の上流から日月潭に水が引き込まれ、湖の面積が現在のように拡大したという。日月潭の周囲に建つ「玄光寺」や「玄奘寺」、「慈恩塔」や「文武廟」などは、第二次大戦後に建設されたものだ。


ウィキペディア・フリー百科事典(日月譚)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%88%E6%BD%AD
日月譚國家風景區のHP(日本語版)
http://www.sunmoonlake.gov.tw/sun.aspx?Lang=JP

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「文武廟」の前を通り過ぎ、「日月譚」沿いに続く道を南東に進む。さらに南西に向かい、「日月譚ロープウェイ」の横を通り、9:18、「玄奘寺」(写真上段)に到着した。「玄奘寺」は、唐の建築様式を模し、1965年に建立されたお寺だ。二階建ての廟には、「玄奘舍利子」が祀られており、「国之環寶」と書かれた蒋介石元総統による扁額も掲げられている(写真下左)。また門前には二つの石像が、そして本殿前には太鼓(写真下右)と鐘が吊るされていた。

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ご存知の通り「玄奘法師」は唐の時代の高僧で、「三蔵法師」としても知られている。仏典を求めてインドへ赴き、17年あまりの歳月を経て、帰国したが、その間の旅の記録を『大唐西域記』として残している(写真 : 門前に描かれた玄奘の足跡)。当時の中央アジア・インド社会の様相を伝える貴重な歴史資料となっている。また、650部あまりのお経を入手し、その内の75部を弟子と共同で翻訳した。

日中戦争当時、日本軍は南京で玄奘法師の墓を発見。遺骨を運び出し、埼玉県の「慈恩寺」に奉納していた。1955年にこの遺骨を分骨し、一部を中華民国政府に返還。当初は日月潭湖畔の「玄光寺」に祀られたが、1965年11月に「玄奘寺」が完成した後は、この寺にも分骨して納められたのである。

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お寺の中に入ると、3人の尼さんが待っていた。ロウソクに火を灯し、住所と名前を名乗り、願い事を言えば叶うというので、ご利益にあやかるため、ロウソクを購入した(100元 : 写真左)。「玄奘法師」の像の前に立ち、お祈りをする。何を願ったかは秘密だ。その後お寺の境内に出て、「日月譚」の美しい景色を楽しむ。サオの聖地である拉魯島(ラル島)が、中央に浮かんでいた(写真右)。


ウィキペディア・フリー百科事典(玄奘三蔵)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%A5%98%E4%B8%89%E8%94%B5
ウィキペディア・フリー百科事典(大唐西域記)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%94%90%E8%A5%BF%E5%9F%9F%E8%A8%98
ウィキペディア・フリー百科事典(慈恩寺[さいたま市])
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E6%81%A9%E5%AF%BA_(%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82)

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続いてもと来た道を走り、ホテルの近くに位置する「文武廟」(ぶんぶびょう)を訪ねた(写真 : 入口の門)。「文武廟」は中国北朝宮殿式の建築で、「三進三殿、両馗両廊」の配置で建てられた大規模なものだ。

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一進は「拝殿」で、本殿の前殿である。「水雲宮」には開廟の神、すなわち「龍鳳宮」と「益化堂」の神である開基元祖や文昌帝君が祀られている(写真)。


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二進の中殿である「武聖殿」(写真左)には、関聖帝君(関羽)および岳武穆王(岳飛)が祀られている(写真中・右)。この他に、関平(関羽の息子)、周倉(関羽の部下)、都城隍爺(町の守護神)、福徳正神(土地の守護神)も見られる。

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三進の後殿である「大成殿」(写真左)は、台湾全土の孔子廟の中で唯一正門を開いている孔子廟で、殿内には青銅の孔子坐像が置かれており、台湾で唯一聖像を奉る孔子廟でもある(写真中・右)。なおこの像は、北京紫禁城国廟のものを複製したものだ。ちなみに、現地ガイドの説明によると、「廟」というのは道教の寺を意味し、それ以外の寺は「寺院」と呼ぶとの事。

ところでこの廟は、1934年に建てられた。日本統治時代、日月潭のそばには、一進の前殿のところで触れた、水社村の「龍鳳宮」と卜吉村の「益化堂」の二つの廟が建っていたのだが、水力発電所の工事のため撤去され、二つ合わせて再登場したのが「文武廟」なのである。なお現在の建物は、1999年の台湾中部大地震で倒壊した後に再建されたものだ。

ウィクペディア・フリー百科事典(道教)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]



December 22, 2011

高雄観光(その2 : 寿山公園)

台湾の旅(第4回)

我々はバスに乗り、次の目的地である「寿山公園」(じゅざんこうえん)に向かった。「寿山」は高雄市の西、台湾海峡に面して南北に走るサンゴ礁の上にできた丘陵地で、「柴山」(しばやま)とも呼ばれている。高さは362mで、野生の赤毛猿が生息している。古くは打狗山(たあかうやま)と称していたが、日本統治時代の1920年(大正9年)、「高雄山」(たかおさん)に改められた。しかし、1923年(大正12年)に皇太子(後の昭和天皇)が台湾を訪れたのを記念し、現在の「寿山」と呼ばれるようになったのである。

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「寿山」には、「寿山動物園」や「寿山公園」がある。公園の傍には、「高雄市忠烈祠」(写真)が建つ。この場所には日本統治時代に「高雄神社」が建てられたが、戦後新たに中国風宮殿風の社殿に建て変えられ、「高雄市忠烈祠」となり、中華民国軍で戦士した英霊が祀られた。数十段ある階段を上り、中華風の鳥居の前に立つ。さらに参道を200mほど進むと、「高雄市忠烈祠」である。ここで参拝を済ませ、外に出る。

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今度は参道の脇にある「健康歩道」を歩いてみた(写真)。50~60cmほどの幅しかない通路に、石が敷き詰められており、この上を裸足で歩くのだ。痛いの痛くないの良く分からない状態で進む。実はこの路を歩くことで、足の裏のツボが刺激され健康になるというのである。20mほどの路を我慢しながら歩き終えたが、他の病気になりそうであった。台湾の老人2人も歩き終えたところで、私に「良く効くだろう」と話しかけて来た。私が日本人だとわかると、ツボの絵が描かれた石碑を示しながら、日本語で効能を説明してくれた。

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再び中華風の鳥居をくぐって階段を降り、近くの展望台に向かった。ここは、高雄港や高雄市内を展望できる絶好のポイントで、しばらく景色を楽しんだ。


ウィキペディア・フリー百科事典(寿山)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%B1%B1
ウィキペディア・フリー百科事典(高雄神社)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9B%84%E7%A5%9E%E7%A4%BE


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「高雄市忠烈祠」の観光を終え、次に向かったのは「高雄藝品館」(写真左)だ。昨晩乗った、愛河遊覧船の乗り場(写真中)のすぐ目の前に位置する。ここでしばらくショッピングである。このお店は、我々が乗っている観光の「キリンバス」(写真右)と同じ資本らしい。そのため台湾をツアーで訪れた場合、大概はこのお店に連れて来られるという。

トイレを借りた後、店に並ぶ品々を見て廻るが、普通のお土産物屋さんに置かれているものと変わらなかったので、残り時間を利用して、近くに銀行がないか探す事にした。しかしこのお店でも外貨両替をしていることから、とりあえず私の欲しい金種の紙幣とコインがないかを訊ねることにした。するとコイン全種類と、手元になかった200元札を手に入れることができた。あとは2,000元札を入手すれば、すべてが揃う。

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ウキウキしながら店を出て、銀行を探すため、とりあえず銀行のありそうな雰囲気のメイン通りに向かった。しかし、10分ほど歩きまわるが見つからない。ホテルの前に立っていたボーイに訊ねるが、良く分からないとの事。仕方がないので、愛河遊覧船の乗り場に側に立つ、龍の像を見に行くことにした(写真)。昨晩は暗かったのでハッキリ見えなかったが、今度は間近からジックリ見ることができる。よく見ると、頭は龍だが、尻尾は魚の尾びれの形をしている。現地ガイドの話によると、これは「登龍門」を表しているのだという。ご存知の通り、「登龍門」は成功へ至るために乗り越えなければならない難しい関門のことで、「鯉の滝登り」とも言われている。つまりこの像は、鯉から龍に変身するところなのだ。そのため頭は龍だが、尻尾はまだ鯉のままと言うわけである。

ウィキペディア・フリー百科事典(登龍門)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E9%BE%8D%E9%96%80


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ショッピングを済ませた後、我々は昼食のため「翰品酒店(かんぴんしゅてん)」(CHATEAU de CHINE : 写真)に向かった。「高雄藝品館」の西300m、愛河を挟んだ対岸、「仁愛公園」の西に位置する。愛河に架かる「中正橋」を渡り、3分ほどで到着した。11階建ての高級ホテルで、我々は3Fにあるレストラン「港都茶楼」で食事を頂いた。メニューは次の通り。

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・チャーシューポー(写真上左)
・フカヒレギョウザ(写真上中左)
・ダイコンもち(写真上中右)
・春巻き(写真上右)
・シュウマイ(写真中段左)
・牛肉団子(写真中段中左)
・イカと野菜のスープ(写真中段中右)
・とうふう巻き(写真中段右)
・台湾のラーメン(写真下左)
・デザート(写真下右)

人気が高いと言われるだけのことはあり、美味しく頂くことができた。約1時間で食事を終え、いよいよ高雄ともお別れ。我々はバスで、台湾中西部に位置する「日月譚」へ向かった。


「翰品酒店」(CHATEAU de CHINE)
http://www.chateaudechine.com
「翰品酒店」(CHATEAU de CHINE : 高雄店)
http://kaohsiung.chateaudechine.com/zh-tw/


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「高雄インター」から自動車専用道路に入り、走ること約1時間半、「古坑収費站」パーキングでトイレ休憩を取る(写真)。15分ほど休んだ後、再び自動車専用道路を走り、16:35、ようやくホテル「日月譚雲品酒店」(にちげつたんうんぴんしゅてん)に到着した。

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ここは「日月譚」の東側丘陵地帯に立つ、10階建ての近代的高級ホテルである(写真左)。傾斜を利用して建てられているのであろう。ロビーは3Fで、ここからの眺めはなかなか良い(写真中)。添乗員とガイドがチェックインしている間、フロントで待っていると、ホテルのスタッフがウエルカムドリンクを持って来てくれた(写真右)。

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16:50 入室。私の部屋は6Fで、ここからの眺めも素晴らしい(写真左)。部屋は広く豪華で、資料整理するのに最適な照明付きのデスクもある(写真中)。そして驚いたのは、風呂場だ。湯船があるうえ、蛇口をひねると温泉が出る(写真右)。さらに備え付けの作務衣に着替え、スリッパを履いたままホテル内を歩いても良いというのだ。まるで日本の旅館ホテルである。そのうえ非常に嬉しいことに、1Fには大浴場があるという。旅の疲れを取るのには、ゆっくり温泉につかるのが一番なので、最高の環境である。

早速着替えて、大浴場に向かった。入口の所にスタッフがおり、ここで部屋番号を言うと、下駄箱の鍵をくれる。男女の入り口が分かれており、女湯の入口から入ろうとすると、慌ててスタッフが止めに来た。冗談だというと、嬉しそうに笑っていた。

中に入ると、先ほどもらった鍵にふられている番号の下駄箱にスリッパを入れ、ロックする。さらに奥に進むと脱衣場だ。ここのロッカーに衣類を入れ、鍵を閉めて浴場に入る。外の景色を見ることはできなかったが、あまり人がいなかったので、一番大きな湯につかってユッタリと過ごした。湯温は39~40℃くらいで、いつまで入っていても出たくない温度だったので、それぞれ湯温の異なる四角形の熱泉風呂、 円形熱泉風呂、冷泉風呂もあったが、ずっと同じ湯を楽しんだ。


1時間ほど風呂で過ごし、部屋に戻る。少しベッドで横になり、18:30、夕食のためホテルのレストランに向かう。メニューは「広東創作料理」で、次の通り。

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・前菜の盛り合わせ(写真左)
・紹興酒風味の海老(写真中左)
・蜂蜜ハムとトーストのパン包み(写真中右・右)
・黒胡椒ソースの鶏肉(写真中段左)
・椎茸入りのスープ(写真中段中左)
・蒸し魚(写真中段中右)
・野菜炒め(写真中段右)
・トマトソースの豚肉(写真下左)
・蒸し餃子(写真下中左)
・デザート(写真下中右)
・フルーツ(写真下右)


「日月譚雲品酒店」(Fleur de Chine)
http://www.fleurdechinehotel.com
「日月譚雲品酒店」(Fleur de Chine : 日本語版)
http://jp.fleurdechinehotel.com/

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約1時間で夕食を終え、部屋に戻る。再び大浴場に行こうかと思ったが、部屋の温泉も試してみたかったので、湯船にお湯を張った。西洋式バスタブとは異なり深さがあるうえ、広さも十分にあるので、こちらでもユッタリとつかることができた(写真)。また1時間ほど湯を楽しみ、その後いつものように、荷物整理、資料整理を済ませ、23:00頃ベッドに入った。

(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]



December 20, 2011

高雄観光(その1 : 澄清湖・蓮池潭)

台湾の旅(第3回)

第2日目(11月23日[水] : 晴れ)

6:20 起床
6:30~7:13 ホテルのレストランで朝食
7:13~8:00 ホテル内庭園散策
8:00~8:50 部屋で休息
9:00 バスで「澄清湖」へ出発
9:06~9:40 「澄清湖」観光
9:40~10:00 バスで「蓮池潭」に移動
10:00~10:22 「慈済宮龍虎の塔」見学
10:22~10:37 「慈済宮」見学
10:38~10:58バスで「寿山公園」に移動
10:58~11:18 「忠烈祠」観光
11:34~12:10 免税品店「高雄藝品館」でショッピング
12:13~13:19 「翰品酒店」(CHATEAU de CHINE)で昼食
15:02~15:15有料道路「古坑収費站」パーキングでトイレ休憩
16:35 ホテル「日月譚雲品酒店」に到着
16:50 入室
17:10~18:00 大浴場で入浴
18:30~19:48ホテルのレストランで夕食
19:50~23:00 入浴、荷物整理、資料整理
23:00 就寝


ウィキペディア・フリー百科事典(高雄市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9B%84%E5%B8%82

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朝目覚め、窓の外を見ると、湖と高層ビル群が見えた。この湖が、本日一番に観光する「澄清湖(ちょうせいこ)」だ(写真)。手前に見える変わった形の橋は何であろうか? 本日この橋も訪ねるのだろうか? など思いながら身支度を済ませ、朝食会場であるレストランに向かった。

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オープンと同時に入ったため、私が一番であった。ビッフェ方式なので、好きな食べ物を選ぶことができるのだが、ヨーロッパのように洋食類だけでなく、中華料理や和食に近いものもあり、メニューが豊富でどれを選べばよいのか迷ってしまう。結局、目の前で作ってくれるアツアツのラーメンと、肉まんなどの中華料理を選んだ。比較的薄味で、私の好みに合っていたことから、どれも美味しく頂くことができた(写真)。

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このホテル(写真左)は、高雄の中心部から少し離れているため、周囲には何もないことから、食後はホテルの敷地内を散策した。昨夜はホテルの本館しか見ることができなかったが、このほかにプール(写真中)やテニスコート、迎賓館(写真右)など、広大な敷地に色々な施設が設けられている。プールでは、朝から水泳教室が開かれており、数人の生徒達がコーチの指導を受けて泳いでいた。沖縄よりも南にある台湾南部は、当然日本よりも暖かいので、この時期でも屋外プールで泳げるのだ。

ホテルの敷地内での散策を終え、ツアー出発までまだ時間があったので、部屋に戻って台湾のテレビ番組を見ながら1時間ほどを過ごす。

高雄圓山大飯店(グランドホテル)
http://www.grand-hotel.org/main/Kaohsiung/default.aspx?lang=ja-JP

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午前9:00、いよいよ本日の観光開始である。最初に訪ねるのは、朝窓の外に見えていた「澄清湖」(写真左)である。この湖は、高雄市内から北東へ約7キロ、中国本土にある西湖八景を再現した人造湖で、市民の飲料水や工業用水に使われている。湖の広さは約100k㎡で、湖の周りを公園が取り囲む。公園を含めた広さは350 k㎡もある。また周囲には公園の中を通る遊歩道(写真中)が、約7km続く。湖畔には、核シェルターを改造した「海洋奇珍園」という水族館や、八角形の形をした「七重中興塔」などがあり、少し先には高層マンションが並んでいる(写真右)。

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我々が訪れたのは、湖の西側に造られた「九曲橋(きゅうきょくばし)」(写真)である。ホテルの部屋から見えていた、変わった形の橋だ。1960年に完成したもので、幅2.5m、長さ230m。直角に9回曲がっていることからこの名前が付けられたとの事。橋を曲げて作ったのには訳がある。悪魔は真っ直ぐにしか歩けないので、橋を曲げることで魔除けになるというのだ。ちなみにこの湖は、秋田県にある「田沢湖」と姉妹湖である。

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橋を渡った後、湖の西側を歩く。しばらく進むと、蜂蜜を売る店が出ていた(写真)。「澄清湖蜜蜂場」と書かれた看板が出ており、その後ろには蜜蜂の巣が幾つも置かれている。ローヤルゼリーが250~300ml入ったパック4つで1万円。女性の皆さんは我先にと買い求めていた。私がベトナム購入した50mlほどのパックが10ドルであったことを考えると、かなり割安だ。皆さん買い物を終え、再び湖畔を歩く。300~400m進んだところで、我々のバスが待つ駐車場に出た。トイレ休憩を取り、その後次の観光予定地である「蓮池潭(れんちたん)」に向かった。

ウィキペディア・フリー百科事典(澄清湖)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%84%E6%B8%85%E6%B9%96
ウィキペディア・フリー百科事典(澄清湖 [Chengcing Lake : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Chengcing_Lake
ウィキペディア・フリー百科事典(田沢湖)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96


「蓮池潭」には、20分ほどで到着。「蓮池潭」は、高雄市の中心から北約12kmに位置し、全長1.4Kmで、周囲約5km、水域面積は75ヘクタールもある左営区最大の淡水湖だ。かつては、池の中にたくさんの蓮の花が植えられ、夏になると蓮の花で満開になり、美しい景色を見ることが出来たことから、「蓮花潭」とも呼ばれたようだ。この湖の周囲には、「龍虎塔」や「孔子廟」、「五里亭」や「北極玄天上帝像」などの構造物が立ち並ぶ。

ウィキペディア・フリー百科事典(蓮池潭 [Lotus Lake : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Lotus_Lake

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最初に向かったのは、「慈済宮龍虎の塔」(写真)である。この塔は蓮池潭の最南端にあり、1976年に建てられたもの。大きな口をあけた龍と虎が出入り口で、それぞれの後ろには7階建ての塔が建つ。そしてこの入口にたどり着くには、曲がった橋を渡らなければならない。これは「九曲橋」のところでお話ししたように、魔よけの意味がある。七回曲がっているので「七曲橋」なのかと思ったが、橋の名前はないようだ。

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ところで、龍虎のどちらから入るのかと言うと、龍から入り虎から出るというのが決まりだとの事。なぜなら、台湾では十二支のうち龍が最もよい動物で、虎が最も悪い動物だとされているため、龍から入って虎から出ることで、これまでの悪戯が清められて善人になれるからだというのだ。

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曲がった橋を渡り、龍の口から入ると、壁にはカラフルな中国風の絵が描かれている。さらに進むと、お布施箱と一人のおじさんがいた。1お布施を払うと、ポストカードをくれる。10元しか入れなかったのに絵はがきを貰えるなんて、申し訳なく思った。

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螺旋状の階段を上り(写真左)、塔の上まで進む。ここからの見晴らしは良く、北の方を見ると、陸地から長い橋でつながる中華風の東屋が建っている。「五里亭」(写真中)と呼ばれており、1978年に建立された。その向こうには、カラフルな像が立っている。道教の神様である「北極玄天上帝像」(写真右)だ。ここから見ると小さなものだが、高さは21mもある。

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しばらく塔の上からの景色を楽しみ、下まで降りて行く。次は虎の後ろに建つ塔だが、こちらから見える景色も同じであろうということで、塔には上らず、そのまま虎の口から外に出た。これで私も善人に成れたかもしれない?

ウィキペディア・フリー百科事典(慈済宮龍虎の塔 [Dragon and Tiger Pagodas : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Dragon_and_Tiger_Pagodas

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続いて、「龍虎の塔」の向かいに建つ「慈済宮」(写真左・中)を訪れた。この寺院が、「龍虎の塔」の本殿である。この寺には、医術に優れ、沢山の人を救ったという「保生大帝」が祀られている。中に入ると鮮やかな朱色に塗られた柱と、金で装飾された祭壇が目に飛び込んできた。祭壇中央に「保正大帝」が、そしてその左右には「曹府千歳」と「朱府千歳」が祀られていた(写真右)。

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ところで、「慈済宮」に入って左側に、札束のように見える紙が大量に積み上げられていた(写真)。貨幣コレクターの私としては、当然、注意を引かれた。現地ガイドに訊ねると、やはりお金であった。ただしこの世の者に渡すお金ではない。あの世に行けず彷徨っている者に捧げるためのお金だという。これを購入して、祭壇のところで燃やすのだという。サンプルとして購入したいと申し出るが、持って帰るものではないと言って止められた。持って帰ると、これが欲しいと言って、彷徨える者がついて来ても困るので、ガイドの言う通り購入するのは諦めた。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]


December 19, 2011

関空からインド・デリーへ

インドの旅(第1回)

私はいつも、小さなカバン一つで旅に出かけている。パスポート、現金、クレジットカード、デジタルカメラ、予備メモリー、予備バッテリー、充電器があれば十分だと考えているからだ。ところが今回は、セキュリティーが厳しいとの事で、予備バッテリーと充電器を持っていくことができなかった。関空では、これらの物を持っていても問題ないのだが、インドのセキュリティーチェックではアウトとなり、没収されることもあるからだ。仕方がないので、今回はこれらの物を持っていくことを諦め、デジタルカメラを3台持参することにした。理屈は良く分からないのだが、デジタルカメラに入っているバッテリーは問題ないからである。いつもであれば1日に800~1,000枚撮影するのだが、今回はバッテリーの充電ができないため、その十分の一程度しか撮影できなかった。ポイントを逃さぬように写真撮影したつもりだか、それでもやはり物足りない。

そこで今回のブログは、これまでとは少しスタイルを変え、主たる観光ポイントに焦点を当て、また勉強不足ながら、現地で仕入れた知識とインドに関する文献を参考に、出来るだけ多角的に話を進めてみたいと思う。


初日(12月7日[水] : 晴れ)

本日のスケジュール : 関空からインド・デリーのホテルへ

・10:30 関空に到着

・10:40 団体ツアーデスクで受付
今回のツアー参加者は、私を含めて12名。ご夫婦が3組、親子が1組、一人参加の女性3名と私である。添乗員はベテランの男性で、「シリア・ヨルダンの旅」、「ポーランドの旅」に続き、今回で3回目。

・11:00 チェックイン

・11:30 手荷物検査

・11:35 出国

・11:50~12:45 ビジネスクラスラウンジへ(写真)
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初めて利用するラウンジ。窓もなく狭い。係りの女性の話では、キャセイパシフィックとエア・インディアの2社が使用しているので、時間によっては座るところが無くなってしまうとの事。

・12:50 搭乗口前で案内を待つ(写真)
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・12:55 搭乗
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搭乗ゲートをくぐり、飛行機までの通路を歩いて行くと、途中でもう一度セキュリティーチェックがあった。このような所で検査されたのは初めてだ。着席後ウェルカムドリンクが出され、続いてアメニティーグッズが配られた。スリッパは無。ヘッドフォンは、アテンダントに言えばもって来てくれる。座席は180度リクライニングで、肘掛も一緒にフラットになるため、ゆったり過ごす事ができる(写真)。

・13:46 離陸
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アナウンスは、ヒンドゥー語と英語のみ。日本人アテンダントは乗っていない。アテンダントのユニフォームは、「サリー」タイプ(写真左)と「パンジャビドレス」タイプ(写真右)の2種類。サリーは一般に既婚者が着るものだが、エアー・インディアでは、既婚、未婚にかかわらず、どちらの制服を着ても良いとの事。

・14:45~15:30 昼食(写真)
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メニューは配られず。和食を頂く。比較的美味しい食事であった。

・16:00~17:10 睡眠

・17:10 香港到着のアナウンス
着陸直前にトイレに入った乗客がいたため、アテンダント達が騒いでいた。着陸前のチェックが甘いように思えた。これがインド人らしいところかもしれないが・・・。

・17:18 香港到着
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約2時間、機内で待機。機内清掃の後、座席の上の棚に収めていたカバンに付けられたタグに、確認シールが貼られる。インド国内ではさらに厳しく、セキュリティーチェックの際、搭乗券とタグにスタンプが押され、これがないと再度セキュリティーチェックを受けさせられるのだ。アテンダントは総入れ替え。パイロットも同じか?

・19:27 離陸

・20:50~21:35 夕食(写真)
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早速カレーが出る。チキンと思っていたらブロッコリーであった。インドに多いベジェタリアン向けか?

・21:55~00:15 睡眠

・00:25 デリー到着のアナウンス

・00:47(現地21:17 以下現地時間) デリー到着
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Delhi Airport
http://www.newdelhiairport.in/traveller.aspx

・21:45 入国手続き

・22:15 税関通過

・22:25 迎えに来ていたバスに乗車
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ガイドの名前は「ジョシ(Joshi)」。2人の子供を持つ30代の男性。日本語はペラペラ。当然、ヒンドゥー語と英語も話す。最終日まで一緒に行動してくれるとの事。

・23:01 ホテル「ザ・グランド」に到着(写真)
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ゴミが散らかる街中に建つホテル。汚いホテルではないかと心配したが、中に入ると豪華5ツ星ホテルだ。外とは全く別世界。近くには、マルチ・スズキ・インディアの本社がある。

The Grand New Delhi
http://www.thegrandnewdelhi.com/

・23:25 入室(写真)
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広くて清潔感のある部屋。バスルームも余裕の広さだ。

・00:45 就寝



December 18, 2011

「ベトナム・カンボジアの旅」写真ダイジェスト

ベトナム・カンボジアの旅(最終回)

今回はこのシリーズの最終回として、写真ダイジェストを作製した。すでにこのブログのどこかで使用したものばかりだが、絵日記のつもりでご覧頂ければ幸いである

① 統一会堂(旧大統領官邸)
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② サイゴン大教会
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③ ホーチミン市人民委員会
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④ タ・プロームの巨大木
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⑤ アンコールワット
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⑥ 日の出のアンコールワット
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⑦ ハロン湾「闘鶏岩」
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⑧ ハロン湾クルーズ
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⑨ 一柱寺
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⑩ ホーチミン廟
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December 17, 2011

ハノイ観光の後、関空へ

ベトナム・カンボジアの旅(第15回)

第6日目(11月3日[木] : 晴れ)

6:50 起床
7:00~8:00 朝食
9:00 バスで出発
10:45~11:10 民芸品店「VIET TIEN SON」でショッピング
12:39~13:20 バッチャン村陶芸品店「ミン・ハイ・セラミック(MINH HAI CERAMIC)」で工場見学、ショッピング
13:50~14:35 レストラン「セン・サィン(Sen Xanh)」で昼食
15:12~15:40 「一柱寺」、「ホーチミン廟」見学
15:55~16:15 「ホアンキエム湖」見学
16:15~16:48 バスで「水上人形劇場」へ
16:48~17:48 「水上人形劇」鑑賞
17:48~18:15 バスで夕食会場へ
18:15~19:45 レストラン「オーデリス(AU DELICE)」で夕食
19:45~20:35バスでハノイの空港へ
20:35~21:30 チェックイン、手荷物検査、出国手続き、ショッピング
21:30~23:58 ビジネスクラス・ラウンジで休息

第7日目(11月4日[金] : 晴れ)

00:05 バス乗車
00:15 バスで飛行機へ
00:20 搭乗
00:30(02:30 : 以下日本時間) 離陸
6:18 着陸
6:18~6:30 入国手続き、税関、宅配便で手荷物を送付
6:52ラピートで自宅へ


本日は、ハノイに向かう途中でバッチャン村に寄り、その後ハノイで観光し、そのまま関空に向かう予定だ。

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午前6:50に目覚める。窓の外を見ると、太陽は昇っていたが、バッチャン湾を赤く照らし、美しい姿を見せている(写真左)。レストランがオープンする時間に合わせて部屋を出る。本日も朝食は「ホー」に「スイカ」、そして「オムレツ」を頂く(写真右)。

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午前9:00、 バスで「バッチャン村」へ出発。午前10:45、トイレ休憩を兼ね、民芸品店「VIET TIEN SON」(写真左)に立ち寄る。かなり大きな民芸品店で、人形やカバン、アオザイ(写真中)やサンダル、菓子類など、色々なものが並んでいる。その中で私が注目したのは刺繍画だ。中でも絹で作られたものは、非常に細かく丁寧に仕上がっており、美しい(写真右)。いくつかの作品を見せてもらっていると、昨日訪れた「闘鶏岩」をデザインしたものがあった。色合いも良く、面白いと思ったので、これを一品購入することにした。本日出来上がったばかりの品との事。そういえば入口側でデモンストレーションしていたなかの一人が、このデザインの刺繍画を制作していたのを思い出した(写真下左・中)。購入を決めたところで、お店に入ってからず~と私について来た女性店員と一緒に写真を撮り、支払いを済ませる。ちなみに彼女の名前は「トゥイー」さんだ。「可愛い!」。彼女が手に持っているのは、私の購入した作品である(写真下右)。


民芸品店「VIET TIEN SON」
http://viettienson.com/home/home.aspx
http://viettienson.com/other-units/tien-son-village-center/tien-son-village-center.aspx

約30分でトイレ休憩とショッピングを終え、バスでバッチャン村に向かった。12:30過ぎ、バッチャン村に到着。この村は焼き物で知られており、明朝時代の中国の陶器に影響を受けているという。素朴な味わいの陶器が魅力。16世紀の日本でも、安南焼として有名であったとの事。

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バスを降りると、陶器の店が何軒も続く(写真上段左・中)。我々は陶芸品店「ミン・ハイ・セラミック(MINH HAI CERAMIC)」(写真上段右)を訪ねた。最初に案内されたのは陶器の製作現場(写真中段)で、形成されたカップや皿を乾燥させ、絵付けを行い、釉薬に漬け、窯に入れるといった工程を見ることができた。約1,300度で10時間かけて焼くとの事。工場見学の後は、お店でショッピングだ(写真下段)。皆さん色々買い漁っていたが、私は手荷物だけで旅をしているため、かさ張るものは買わないことにしているので、色々な作品を見学するだけに留めた。約40分、ショッピングなどを楽しみ、その後昼食のため、バスでハノイにあるレストランに向かった。

ウィキペディア・フリー百科事典(バッチャン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3
陶芸品店「ミン・ハイ・セラミック(MINH HAI CERAMIC)」
http://www.minhhaiceramic.com

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13:50、昼食会場であるレストラン「セン・サィン(Sen Xanh)」(写真左)に到着。店内は外から見た雰囲気とは異なり、非常にお洒落な感じだ(写真右)。メニューは次の通り。

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・エビセン(写真左)
・海草スープ(写真中左)
・ポークと茄子のフライ(写真中右)
・海老とポークとパパイヤのサラダ(写真右)
・イカと野菜の炒めもの(写真下左)
・豚の角煮(写真下中左)
・ライス(写真下中右)
・ライスケーキ(写真下右)

セン・サィン(Sen Xanh)
http://www.vnnavi.com/restaurants/senxanh/jp_index.html

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約45分で昼食を終え、いよいよハノイ観光である。バスを降りて北に向かって歩く。「ホーチミン博物館」(写真左)を左手に見ながら北に進むと「一柱寺」(写真中、右、下段)が見えて来た。蓮の浮かぶ池の中、一本の柱の上に仏堂が乗っている。このユニークな形から「一柱寺」と呼ばれるようになったという。李朝の太宗が1049年に建てたもので、蓮の華をモチーフにしている。太宗が、蓮華の上で子供を抱く観音菩薩の夢をみた直後に子供を授かったことから、観音菩薩に感謝してこのような寺を建立したとの事。

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「一柱寺」を見学した後、我々は100~200m北に建つ「ホーチミン廟」(写真)を訪ねた。この廟は、1975年9月2日の建国記念日に完成、すべて大理石で出来ている。内部にはベトナム建国の父である「ホーチミン」の遺体が、ガラスケースの中に安置されている。廟の東側には、バーディン広場がある。ここは、1945年9月2日にホーチミンが独立宣言を読み上げた場所として有名。時間の都合、廟の中に入ることはできなかったが、毎日ベトナム全土から人々が参拝に訪れるという。

ウィキペディア・フリー百科事典(ホー・チ・ミン廟)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E5%BB%9F

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「ホーチミン廟」の次は、バスで「ホアンキエム湖」(写真)に向かった。「ホアンキエム」とは、「剣を還す」という意味で、次のような伝説からこのように呼ばれることになったようだ。その伝説とは、「1428年、黎朝の始祖、レ・ロイ(=レ・タイ・トー)は、湖に棲む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐し、ベトナムを中国支配から解放した。平和が訪れた頃、再び亀が姿を現し、剣を還すように啓示され、湖の中の小島で剣を返した。現在、湖の南に小さな亀の塔が建っている場所こそ、レ・ロイが剣を亀に奉還したと言い伝えられているところである」(「地球の歩き方 ‘11~’12 ベトナム」より)との事。

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我々は時間の都合から、湖の北側を歩いただけなので、残念ながら湖の南側にある「亀の塔」(写真左 : ウィキペディア・フリー百科事典[ホアンキエム湖]より)を見ることはできなかった。しかし湖の北側からは、「ゴックソン島」と岸から島に通じる朱色に塗られた「棲旭橋」が見える(写真中)。島には「玉山祠」(ぎょくさんじ)があり、13世紀に元の進撃を退けた英雄「チャン・フン・ダオ」と、文・武・医の三聖人が祀られている。この島に渡るため橋の入り口(写真右)まで行くが、人で混雑しておりタイムアウト。やむなくツアーに戻る。

ウィキペディア・フリー百科事典(ホアンキエム湖)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%A0%E6%B9%96

「ホアンキエム湖」での観光を終え、我々はバスで「水上人形劇場」に向かった。湖から南西に約5km、30分ほどでチュオンチン通りに面した所に位置する「NHA HAT MUA ROI VIET NAM」に到着した。「水上人形劇」は、一千年もの昔にハノイ周辺で生まれた伝統芸能である。収穫を祝う行事として屋外の水辺で演じられていたようだ。また11~15世紀頃には、娯楽として宮廷にまで広まったという。

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劇場に入り(写真上段 : 右は売店に並んでいた人形)、手洗いを済ませた後、そのまま観客席に入るのかと思っていたら、建物を出て別の場所に案内された。屋外の劇場だ。簡単な屋根のある席に座る。正面には舞台になるプール(写真下左)があり、右手には奏者と語り手の席が用意されている。しばらくするとベトナム民謡の演奏が始まり(写真下中)、正面のプールに人形が現れ(写真下右)、ベトナムの民話・伝説・神話などを題材とした水上劇が始まった。演じられた内容は、概ね次の通り。

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① 2匹の龍の火吹き踊り(写真左)
② 獅子のボール遊び(写真中左)
③ 鳳凰の舞(写真中右)
④ 簫(しょう)を吹く牛飼い(写真右)
⑤ 田植え(写真中段左)
⑥ カエル採り(写真中段中左)
⑦ 魚捕り(写真中段中右)
⑧ 子供の水遊び(写真中段右)
⑨ ホアンキエム湖の伝説(黎王、剣を返還す : 写真下段左)
⑩ 仙女の舞(写真下段中左)
⑪ 龍・獅子・鳳凰・亀の共演(写真下段中右)
⑫ 人形遣いの挨拶(写真下段右)

「水上人形劇」は約1時間で終了し、我々は劇場を後にした。

NHA HAT MUA ROI VIET NAM(The Vietnam Puppetry Theatre)
http://www.vietnampuppetry.com/?lang=2
ウィキペディア・フリー百科事典(水上人形劇[Water puppetry : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Water_puppetry

「水上人形劇」を見終え、これで今回の旅の観光はすべて終了である。あとは夕食を頂き、帰国するだけだ。約30分かけて、バスで夕食会場に向かう。道中はバイクで大混雑。しかし、幸いな事に渋滞しているわけではない。

18:15、フレンチレストラン「オーデリス(AU DELICE)」(写真左)に到着。ここで夕食を頂く。店内は明るく清潔な雰囲気である。メニューは次の通り。

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・ハム、サラミ、レタス、トマトの前菜(写真中)
・パンプキンポタージュスープ(写真右)
・ハンバーグ、ソースかけ、ポテトとサラダ添え(写真下左)
・サーモンのソテー、野菜添え(写真下中)
・コーヒー&チョコムース(写真下右)

レストラン「オーデリス(AU DELICE)」
http://www.au-delice.com

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約1時間半で夕食を終え、バスでハノイの空港に向かう。20:35、空港に到着(写真上段)。チェックイン、手荷物検査、出国手続きを終え、ショッピングの後、ビジネスクラス・ラウンジで休息する(写真下段)。00:20 に搭乗し、00:30(02:30 : 以下日本時間)、離陸。4時間足らずのフライトで、午前6:18無事関空に着陸。いつもであれば関空のレストラン街で「トンカツ」を食べるのだが、早朝のため店が開いていなかったので、今回は仕方がなくそのまま自宅に向かった。

以上で、ベトナム・カンボジアの旅は終了。久しぶりのアジアだったが、天候、ツアーメンバーにも恵まれ、大変楽しく過ごす事ができた。今回も無事に戻れたことに感謝!

(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 ベトナム」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ヴェトナム」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]


December 15, 2011

ハロン湾クルーズ(その2)

ベトナム・カンボジアの旅(第14回)

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養魚場を離れ、クルーズに出る。数々の奇岩が現れ、移りゆく景色は何とも言えない感動を与えてくれる。しばらくすると、何隻ものクルーズ船が集まっている岩が見えた。あれが有名な「闘鶏岩」である(写真上・下左・下中)。ハロン湾には、約2,000の島や奇岩があり、その約半分の奇岩に名前が付いているという。この奇岩もその一つで、まさに鶏が向き合い闘っている様子が伝わってくる。「闘鶏岩」だけの写真を撮りたいのだが、次から次へとクルーズ船がやって来るので、なかなか撮影できない。しばらく待っていると、ようやくチャンスが訪れたので、数回シャッターを押す。そのうち「闘鶏岩」の横を通り、裏側に回る。しかしこちらから見ると、全くただの岩に過ぎない(写真下右)。やはり見る角度が大切なのだ。

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その後も水墨画のようなシーンを楽しんでいると(写真)、いつの間にか船内のテーブルに昼食の準備ができていた。メニューは次の通り。

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・海老の塩ゆで(写真左)
・蟹(写真中左)
・揚げ春巻き(写真中右)
・イカと野菜の炒め物(写真右)
・豚とポテトのスープ(写真中段左)
・蒸し魚(写真中段中左)
・空心菜炒め(写真中段中右)
・おこわ(写真中段右)
・揚げ物(写真下左)
・ご飯(写真下中左)
・バナナ(写真下中右)

そして生け簀で魚類を購入した人には、それらを調理した品が加わる(写真下右は生け簀で買ったシャコ)。

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約50分で食事を終え、その後15分ほどすると「ティトップ島」に着いた。ここには展望台があるとの事だったので、とりあえず上ってみることにした。急な階段であるうえ、観光客で混んでいたため、なかなか上に進むことができない。せっかちな私は、隙間を見つけては駆け上った。しかしそれでも展望台に到着するのに15分ほどを要した。
展望台は、韓国人の観光客で一杯である。しばらく眺めを楽しみ、下に降りることにした。今度は階段が混雑していなかったこともあり、僅か5分で降りることができた。下まで降りた後、まだ時間があったので、海岸を散歩した。海水浴をしている人もいたが、十分に楽しむことができる気温である。汗が噴き出て来たので、ツアーのメンバーと一緒に木陰で雑談をして過ごす。

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13:15、クルーズ船に乗り、出港したハロン湾の港に向かって出発する(写真左・中)。約50分で港に到着(写真右)し、バスでホテルに戻る。これから夕食の時間までは、自由時間。ガイドがマッサージ希望のお客さんを、マッサージ店に連れて行ってくれるとの事だったので、私も参加することにした。私以外は女性で、約10名のメンバー。15:30、バスで出かける。場所は、「ROYAL INTERNATIONAL CORP」のスパだ。敷地で言えば隣、歩いても5分かからない所にある。

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「ROYAL INTERNATIONAL CORP」は中国系の資本で、この敷地にはホテル(写真左)、スパ(写真中左)、カジノ(写真中右)やクラブ(写真右)などがある。宿泊客は中国人がメインのようだ。ガイドがいつも紹介しているマッサージ店は、一度に10名もの客を受け入れることができないことから、このスパに来ることになった模様である。

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店内は広々としており、マッサージルームに案内される。個室もあるようだが、今回は全員が同じ部屋で向き合って座り、一斉にマッサージを受ける。私の担当は「チャウ」さんという名の丸顔で可愛い女の子だ。薬草入りの湯を張った桶に足を入れると、マッサージしながら足を洗ってくれる。その後、足の裏から背中、肩まで少しずつ揉み上がっていく。カンボジアで受けたマッサージとは異なり、揉み方も上手いし、左右バランスよくマッサージしてくれる。こちらは本格派か。約1時間で終了。時々眠ってしまうほど気持ちが良かった。受付でマッージ代400,000ドン(約2,000円)を支払い、バスでホテルに戻った。体はスッキリ、本当に軽くなったのだが、明日揉み返しが来ないか少々心配である(写真左 : スパの入口、写真右 : スパの受付)。

ROYAL INTERNATIONAL CORP
http://www.fnetravel.com/english/halonghotels/royal-international-corporation.html

17:05、部屋に入り、夕食までの時間を利用して入浴、資料整理、荷物整理を済ませる。集合時間にまだ少し時間があったので、先ほどマッサージを受けたホテルまで写真を撮りに行く。カメラなどの貴重品をすべてホテルに置いて行ったので、1枚も写真を残していなかったからである。


18:30、ホテルのレストランで夕食を頂く。メニューは次の通り。

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・チキンサラダ(写真左)
・フライドポテト(写真中左)
・空心菜の炒め物(写真中右)
・豆腐の煮物(写真右)
・海老と野菜の煮物(写真下左)
・海鮮なべ(写真下中左)
・ごはん(写真下中右)
・赤米のデザート(写真下右)


約1時間15分で食事を終え、19:45部屋に戻る。観光で良く歩き疲れていたことに加え、マッサージで体がほぐれたことから、サッサと寝支度を済ませ、20:10頃ベッドに入った。

サイゴン・ハロン・ホテル(Saigon Halong hotel)レストラン
http://www.saigonhalonghotel.com/?f=News&c=Restaurant&p=14&id=31


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 ベトナム」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ヴェトナム」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]



December 14, 2011

本日、インドの旅から戻る

本日、インドの旅から戻る

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本日昼ごろ、「インドの旅」から戻った。12月7日(水)~14日(水)までの8日間、天候に恵まれ、楽しく過ごす事ができた(写真左 : タージ・マハル)。旅の印象を一言で述べるのなら、「混沌」である。インドについて書かれているガイドブックなどを見ると、「多様性」という言葉を用いているものもあるが、私としては「混沌」と言う方がフィットする。

いつもであれば、帰りの飛行機の中で旅の印象を整理することができるのだが、今回は全くまとまらない。近代的なハイテクビルが建つ近くに、バラック状の家が並ぶ。野良犬は当然、良く知られている野良牛もいる。しかしそれだけではない。野良ヤギに野良イノシシも歩いているのだ。「野生」と言うよりも「野良」というのがピッタリくるのだから面白い。しかも田舎だけではなく、街中でもウロウロしている(写真右 : 野良牛)。

またキッチリした身なりの人がいる中、物貰いの人々も大勢いる。自動車やバイク、自転車が入り乱れているだけでなく、人を乗せた象や荷車を引くラクダもいる。一応交通ルールに従って走っているのだが、障害があれば分離帯を無視して反対車線を走る。車間距離を取って走るなど不可能。少しでも間が空いていれば我先にと車が入り込んでくる。しかもクラクションは鳴らし放題だ。日本であれば喧嘩になること間違いなし。

道路を走って州を越えると州税を支払わなければならないが、スムーズに通過しようと思えば賄賂を忘れてはいけない。いわゆる「袖の下」だ。しかし受け取る側の人は「チップ」と思っているような雰囲気である。これは観光地でも同じで、ケースに応じてガイドが手渡していたようだ。道路の周囲にはゴミがちらかっており、野良牛たちが残飯などを漁る一方、その道路沿いにある高級ホテルに一歩足を踏み入れると、そこは見違えるほど綺麗で豪華、かつクリーンな別世界。

この地を旅する前は、いわゆる「BRICs」の一角で、ITや医療、医薬品などのハイテクを中心として著しい成長を遂げる国、イギリス植民地時代に整備された法治国家というイメージを持っていたが、旅をした後はまさに「混沌」の国という印象に代わってしまった。北インドの一部を観光しただけなので、「群盲象を撫でる」的な印象に過ぎないであろうが、私にとっては非常に楽しく、かつ驚きの旅であった。旅については、明日以降書きつづりたいと思う。


December 12, 2011

ハロン湾クルーズ(その1)

ベトナム・カンボジアの旅(第13回)

第5日目(11月2日[水] : 晴れ)

6:40 起床
6:50~7:00 朝食
9:00 バスでハロン湾クルーズへ
9:04 クルーズ船乗り場に到着
9:12乗船
(9:12~15:04 ハロン湾クルーズ)
9:12~9:50 ハロン湾クルーズ
9:50~10:30 ダウゴー島で「ティエンクン洞」を見学
10:30~10:50 クルーズ
10:50~10:58 養魚場
10:58 乗船・クルーズ
11:25~12:15 船内で昼食
12:30~13:15 ティトップ島上陸、展望台とビーチで楽しむ
13:15~15:05 クルーズ
15:07 バスでホテルへ
15:09 ホテルに到着
15:30 バスでスパへ
15:40~16:50 「ROYAl INTERNATIONAL CORP」のスパでマッサージを受ける
17:05 ホテルに戻る
17:05~18:30 入浴、資料整理、荷物整理
18:30~19:45 ホテルのレストランで夕食
19:45~20:10 寝支度
20:10 就寝

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本日の予定は、ハロン湾クルーズである。6:40に目覚め、窓の外を見ると、ハロン湾が目の前に広がる。太陽が昇り、その光が湾上に伸びているのが美しい(写真左・中)。6:50、ホテルのレストランで朝食を頂く。出来たての「ホー」やビーフシチュー、好物のスイカに杏仁豆腐などを食べる(写真右)。食後、ホテル内を散歩し、部屋に戻って観光の準備をする。

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9:00、バスでハロン湾クルーズへ出かける。クルーズ船乗り場には、5分足らずで到着(写真左)。乗り場には数十隻のクルーズ船が押し合うように並んでいる(写真中・右)。クルーズ船と言っても、南の島でスキューバダイビングをする時に使うような船ではない。ジャンク船のようなタイプで、いかにも東南アジアと言った雰囲気である。

ウィキペディア・フリー百科事典(ハロン湾)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%B9%BE
ウィキペディア・フリー百科事典(ハロン湾[Ha Long Bay : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Ha_Long_Bay

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150mほどある桟橋を歩いて乗船し、ハロン湾クルーズに出かける。本日利用するクルーズ会社は「Ban Quan Ly Binh Ha Long」。船内は豪華で、床はフローリングだ。我々のツアーがチャーターした船なので、船内を自由に使うことができる(写真上段)。船で出港を待っていると、物売りのおばさんが船で近付いて来た。そして船から船へと乗り移り、窓からバナナやランブータンなどの果物を販売するのだ。しばらくセールスしていたが、誰も買ってくれないことが分かると、サッサと次のお客を求めて移動して行った(写真下段)。9:15、いよいよ出港である。

Ban Quan Ly Binh Ha Long
http://halongbay.com.vn/index.php?option=com_contact&view=contact&id=1&Itemid=63&lang=vi
http://www.halongbay.com.vn/index.php?lang=en

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船はひしめきあう他の船の間を抜け、湾内に進む。ご存知の通り、ハロン湾はベトナムきっての景勝地だ。海面から突き出る大小の奇岩が作り出す幻想的に光景は、「海の桂林」とも呼ばれている。ところでこのハロン湾には、伝説がある。「まだ国の形が整う前のずっと昔のことであった。この地に侵入者が現れる。平和に暮らしていた村人を襲い、傍若無人の限りを尽くした。それを見ていた龍の母子が怒り、ハロン湾に舞い降りた。そして侵入者を攻撃する。怒りに燃えた龍の母子は暴れまわる。振りかざした尾が山を二つに砕き、龍の通った跡は深い谷となった。侵入者は海に逃げる。龍の母子は海まで追いかけ、侵入者を追放した。谷に海の水が流れ込み、切り裂かれた山の頂が海の上に顔を出し、島となった。以来、この地には侵入者は現れなくなった」(「旅名人ブックス ヴェトナム」より)。「ハ」は「降りる」、「ロン」は「龍」を意味し、この伝説からこの湾は「ハロン」湾と呼ばれるようになったのである。

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港を出て30分ほど航行すると、「ダウゴー島」に到着(写真左)。ここで「ティエンクン洞」を見学する予定だ。「ダウゴー島」は、港から南西約4kmに位置し、まさに奇岩が突き出したような島で、周囲は深い森に囲まれている。船着場には十数隻のクルーズ船が停まっており、多くの客がここに立ち寄っていることが分かる(写真右)。我々は、桟橋を歩いて島に上陸(写真下左)。数十段の階段を上り、「ティエンクン洞」に向かう(写真下右)。


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狭い入り口をくぐり中に入ると、巨大な空間が現れた。しかもブルーやグリーンにライトアップされているため、幻想的な雰囲気だ(写真)。鍾乳洞の高さは約20m、幅は10mほどなので、それほど大きな鍾乳洞というわけではないのだが、ライトアップ効果なのだろうか。かなり大きなものに感じられた。


ティエンクン洞
http://www.halongtravelguide.com/thien-cung-grotto.htm
HALONG TRAVEL GUIDE.COM (Thien Cung Grotto)
http://www.halongtravelguide.com/thien-cung-grotto.htm


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約40分、「ティエンクン洞」など「ダウゴー島」での見学を終え、船に戻ってクルーズ再開である。しばらくすると、奇岩の数々が現れた。霞んでいることもあり、水墨画を見ているような感じである(写真)。奇岩と奇岩の間を行き交う船。いつまで眺めていても飽きない。

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20分ほどすると、近くに家のような構造物があちらこちらに浮かんでいる。水上生活者と思っていたら、実は養魚場の「生け簀(いけす)」であった(写真)。我々は、そのうちの一軒に立ち寄った。そこには「クエ」や「シャコ」、「タイ」に「貝類」など、色々な海の生き物が見られる。ここで魚などを買うと、クルーズ船で調理して昼食の時に出してくれるとの事。女性の皆さんは急に元気になった。どうやら「シャコ」が一番人気のようである。私はノンビリ景色を楽しんでいたのだが、皆さん買い物を済ませるとサッサと船に戻ったので、私一人取り残されてしまった。急いで船に戻る。ほんの10分ほどであったが、楽しい一時であった。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 ベトナム」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス ヴェトナム」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]


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December 10, 2011

シェムリアップからハノイへ

ベトナム・カンボジアの旅(第12回)

ゆっくり休憩し、チェックアウトを済ませ、16:00、バスでシェムリアップ観光へ出かける。16:10、オールドマーケットに到着した。このマーケットは、「現地では「プサー・チャー(旧市場)」と呼ばれ、市内に数カ所ある大きな市場の中でも最も外国人旅行者に人気の市場」(「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」より)との事。


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我々は「ポコンボー通り」に面した南側中央から市場に入った。北に向かって歩いて行くと、土産物店、金や宝石を売る店(写真左)、衣料品店(写真中左)が続く。そしてマーケットの中央辺りに、魚などの生鮮食品を売る店(写真中右)があった。さらに進むと、靴屋があり、ネイルアートの店(写真右)やビューティーサロン(写真中段左)もある。左に曲がり、西方向に向かうと、化粧品や雑貨を売る店(写真中段中左)が並び、さらに進むと、野菜や果物を売る店(写真中段中右)が出ていた。隣には肉屋(写真中段右)が続く。ここで左折して、南に進む。調味料やスパイスを売る店(写真下段左・中左)、そしてその隣は仕立屋だ(写真下段中右)。最後は衣料品店の前を通り、「ポコンボー通り」に出た。しかし市場に入った中央よりもやや西側だったので、そこには強烈な臭いを発する大量の干魚がぶら下がっていた(写真下段右)。


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ほぼ一周したので、添乗員の了解を得てマーケットから離れることにした。この市場に来る途中、バスの中から見えていた「アンコール・トレード・センター」(写真)のことが気になったからである。ガイドにセンターのある場所を確認してから出掛けたのだが、私は全く関係のない方向に向かって歩き出していた。西に行くべきところを、北に向かって進んでいたのだ。当然目指すべき建物はない。HISの入る「カナディア・ビル」をみて、「シヴォタ通り」に出たところで誤りに気が付き、「シヴォタ通り」を南に歩いてオールドマーケットの前に戻った。既に1kmは歩いている。もう一度ガイドに訊ねると、先ほどとは違う方向を教えてくれた。「???」と思いながら、西に300mほど進むと、今度は目的の「アンコール・トレード・センター」の前に出た。

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店内に入ると、冷房が効いていて心地よい。1Fにはスーパーマーケット(写真左)やアイスクリームの店(写真中)、ピザの店が入っている。しかし時間帯が良くないのか、客はほとんどいない。エスカレータで2Fに上がると(写真右)、靴屋(写真下左)や衣料品店、携帯電話のショップ(写真下中)が出店していたが、このフロアにもほとんど客はいない。3Fはゲームセンターと3~4軒のお店が出ているだけ。ゲームセンターで遊ぶ子供達がいたので、ここが一番賑わっている(写真下右)。一通り見た後、センターを後にした。しかしこれでは全く儲かっていないのではないだろうか。オールドマーケットの賑わいを考えると、あまりにも整い過ぎていて、カンボジアの人々の嗜好に合っていないのではないだろうか。そんなことを考えながら、集合場所である市場の前に向かった。

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「ポコンボー通り」に面した南側中央に戻るが、まだ皆さん買い物をしている様子。特に買うものもないのだが、近くのお店を眺めていると、店の壁にお土産物用にアレンジした紙幣が数枚ぶら下がっているのを見つけた(写真 : このお店の店員さん)。コンディションは良くない感じだが、面白そうなので2組購入することにした。実はこの紙幣、この時は気が付かなかったのだが、ホテルの部屋で袋から出すと、強烈な魚の臭いがするのである。長い間売れずに置いてあったので、近くに吊り下げられている干物の臭いがうつったのであろうか。臭いが消えるまで、しばらく苦労したことをつけ加えておく。

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約1時間でオールドマーケットの見学を終え、次に土産物を買うため、民芸品店「サラ(SARA)」に向かった。昨晩夕食を頂いたショーレストラン「アマゾンアンコール」の近くで、国道6号線沿いにあるお店だ。清潔な雰囲気で、店員の応対も良い(写真)。民芸品や菓子、酒類などが置かれていたが、私はTシャツを購入した。1枚14,000リエル(500~600円)である。

民芸品店「サラ(SARA)」(日本語版)
http://souvenirshopsara.jimdo.com/

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約15分でショッピングを終え、17:30、バスでシェムリアップ空港に向かった。17:45、空港に到着(写真上段)。これで楽しかったカンボジアともお別れである。チェックイン、手荷物検査、出国手続きを済ませ、18:00にビジネスクラス・ラウンジに入る(写真下段)。ミートパイやコーヒー、紅茶、コーラなどを頂き1時間20分を過ごす。

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19:20にラウンジを出て、19:25搭乗(写真左)。ビジネスクラスの座席は16席あるのだが、お客は私一人だけ。貸し切り状態である(写真中)。19:42に離陸。10分もしないうちに夕食が出された。メニューは次の通り(写真右)。

・イカのケチャップ煮、パスタ、インゲン、ニンジン添え
・野菜サラダとドレッシング
・プディング
・パン
・コーラ

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40分ほどで食事を終え、20分程ウトウトしていると、21:05、ベトナム・ハノイの空港に到着した(写真)。私一人、ビジネスクラス用のバスでターミナルへ移動し、入国手続きを済ませ、他のツアー客の荷物が出てくるのを待った。ここからのガイドは「ハンさん」である。30代のなかなかハンサムな男性である。彼の案内で、迎えに来ていたバスに乗り、本日宿泊するホテルに向かう。明日予定しているハロン湾クルーズに便利なように、本日宿泊するホテルは遠く、バスで4時間ほどかかるとの事。夜も遅かったので、バスの中でウトウトする。幸い道路事情も良く、約3時間、00:40に「サイゴン・ハロン・ホテル」に到着した。

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00:50入室。部屋は広く、クリーム系でまとめられており、落ち着いた雰囲気だ(写真)。床はフローリング。すぐに風呂に入り、資料整理をする。そのまま寝ようかとも思ったのだが、シェムリアップのオールドマーケットで購入した紙幣のことが気になり、封を開けたことが失敗であった。先ほどもお話しした通り、臭いが気になり、色々手入れをしているうちに2:00を過ぎてしまった。結局2:30頃ベッドに入った。

サイゴン・ハロン・ホテル(Saigon Halong hotel)
http://www.saigonhalonghotel.com/
ウィキペディア・フリー百科事典(ノイバイ国際空港)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%A4%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
ベトナムエアーライン(ノイバイ国際空港)
http://www.vietnamairlines.com/wps/portal/jp/site/before_you_fly/at_the_airport/airport_guide/NBA_Airport

(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス アンコール・ワット」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]
・「カンボジア情報ガイドブック2011-2012」(西村清志郎プロデュース)[Krorma刊]



December 08, 2011

朝日に映えるアンコールワット

ベトナム・カンボジアの旅(第11回)

第4日目(11月1日[火] : 晴れ)

4:45 起床
5:10 バスでアンコールワットへ
5:25~6:20 アンコールワットで日の出観賞
6:40 ホテルに戻る
6:45~7:00 朝食
8:00 バスで遺跡観光へ
8:20 電気自動車に乗り換えて遺跡観光
8:27~8:58「プラサット・クラヴァン遺跡」
8:59~9:10 「スラ・スラン人工池」
9:15~9:20 トイレ休憩
9:30 バスに乗り換えて遺跡観光
9:52~10:50「バンティアイ・スレイ遺跡」
10:55~11:40 バスで昼食会場へ
11:40~12:35 レストラン「アハ(AHA)」で昼食
12:50 ホテルに戻る
12:50~16:00 ホテルで休憩(入浴、荷物整理、昼寝)
16:00 バスでシェムリアップ観光へ
16:10~17:00 オールドマーケット見学
17:15~17:30 民芸品店「サラ(SARA)」でショッピング
17:30 バスでシェムリアップ空港へ
17:45 空港に到着
17:45~18:00 チェックイン、手荷物検査、出国手続き
18:00~19:20 ビジネスクラス・ラウンジで休息
19:25 搭乗
19:42 離陸
19:50~20:30夕食
20:30~20:50 睡眠
21:05 ベトナム・ハノイの空港に到着
21:10~21:15 貸し切りバスでターミナルへ
21:15~21:45 入国手続き、他のツアー客の荷物待ち
21:50~00:40 バスでホテルへ
00:40 「サイゴン・ハロン・ホテル」に到着
00:50 入室
00:50~2:30 入浴、紙幣・コイン整理
2:30 就寝


本日は、アンコール遺跡見学の後、シェムリアップの街を観光し、夕方からベトナムのハノイに向かう予定だ。

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4:45に目覚める。本日は希望者だけだが、朝日に映えるアンコールワットを見に連れて行ってくれるとの事だったので、私も参加することにした。5:10バスでアンコールワットへ向かい、約15分で到着。昨日と同じルートで寺院へと進むが、辺りは薄暗く、足元に注意しなければ危険だ(写真左)。しかし、周囲は昨日以上に多くの人で賑わっていた。環濠を越え、西塔門の前まで来ると、急に前に進まなくなった。西塔門を抜けた所から、寺院の浮かび上がるシーンが見えるため、皆さん写真を撮影していたのだ。写真を撮った人から順に前に進む。1~2分待つと、私の番だ。まだ空はほとんど赤くなっていなかったが、この後もっと素晴らしいシーンを見ることができると知らない私は、この場でシャッターを何度も切った(写真右)。

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西塔門をくぐり、寺院まで一直線に伸びる参道を歩いていると、空が少しずつ赤味を帯びて来た。その時、昨日教えてもらった撮影ポイントのことを思い出し、急いで聖池の手前まで行くと、そこは人で一杯である。もう立錐の余地もないと思ったが、わずかな隙間を見つけ、そこで写真を撮るために日の出を待った。すると間もなく、空は真っ赤に染まり、時間の経過と共に青空が見え始め、今度は雲の部分が赤くなり、アンコール寺院が浮かび上がってきた。そしてその姿はすべて水面に映し出され、上下対称の幻想的なシーン現れた。私はこの素晴らしい眺めを記憶にとどめるとともに、カメラにも収めた(写真上・下左)。しかしこのような素晴らしい景色は、長く見ることはできなかった。ほんの4~5分で空は青くなり、それまでとは全く違う雰囲気になってしまったのだ(写真下右)。

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まだまだ聖池の西側の撮影ポイントは人で混雑していたが(写真上段)、私はその場を離れ、再び西塔門まで戻り、西壁面の南側で空が赤くなるのを待った。予想通り、2~3分すると太陽が昇り、空は赤く染まった。先ほどのような幻想的な雰囲気はないが、それでもアンコール寺院の影が浮かび上がり、なかなか美しいシーンを見ることができた(写真下段)。

約1時間、アンコールワットで日の出を楽しみ、ホテルに戻った。6:45朝食のためレストランに向かう。本日はフライドエッグにクロワッサン、春巻きなどを頂いた。

ウィキペディア・フリー百科事典(アンコールワット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88


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8:00 バスで遺跡観光に出かける。約20分走り、遺跡の入り口で電気自動車に乗り換え、「プラサット・クラヴァン遺跡」(写真上段)に向かう。6~7分で、遺跡の前に到着。この遺跡は、921年にハルシャヴァルマン一世により建てられた。基壇上の上に、レンガ造りの5つの祠堂が、東に向かって横一列に並ぶ。この形は、これまでに見たアンコール寺院の形とは異なり、珍しいタイプだ。中央の祠堂の正面にはヴィシュヌ神と礼讃者たち(写真下左)が、正面右の壁面にはガルーダに乗る四臂のヴイシュヌ神(写真下中)、そして正面左には天地空を三跨ぎするヴィシュヌ神(写真下右)のレリーフが残されている。
ちなみに、「プラサット」は「寺院」を意味するカンボジア語で、「クラヴァン」は木の名前(カルダモンの木)なので、「プラサット・クラヴァン」は「カルダモンの木のお寺」と言うことになる。

ウィキペディア・フリー百科事典(プラサット・クラヴァン [Prasat Kravan : 英語版])
http://en.wikipedia.org/wiki/Prasat_Kravan

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続いて訪れたのは、「スラ・スラン」(写真)だ。「プラサット・クラヴァン」の北に位置する。東西700m、南北350mの人工池で、東向きに臨むテラスとで構成された神聖な空間。王が沐浴するための池であったようだ。10世紀後半、ラジェンドラヴァルマン一世によって造られ、200年後にジャヤヴァルマン七世が全面改修して美しいテラスを加えたとの事。「護岸のため岸辺を砂で固めたので、最初より小さくなった。テラスをクメールの獅子とナーガが守り、ラテライトの階段が水中に降りている。小さな島が池のほぼ中央にある。かつて祠堂があった。池の底には石が敷き詰められている」(「旅名人ブックス アンコール・ワット」より)との事。池の中央には祠堂跡が残っており、乾季には土台が現れるという。残された碑文には、「象の水浴びを禁ず」と記されているとの事。朝日と夕日観賞の人気スポットのようだ。

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約40分で「プラサット・クラヴァン」と「スラ・スラン」の見学を終え、トイレ休憩をとった後、バスに乗り換え、アンコールワットから20kmほど離れた郊外にある「バンティアイ・スレイ遺跡」に向かった。約20分で到着。バスを降りると、これまでとは全く違った雰囲気だ。というのも、アプローチエリアと前庭が設けられていたからである。このような施設を造った理由は、現地のディスプレイによると、混雑時にも訪問者がスムーズに見学できるようにするためとの事(写真)。

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アプローチエリアと前庭を通り、赤土の路を2~3分歩くと、紅い色をした遺跡が現れた(写真)。「バンティアイ・スレイ」である。「バンティアイ」は「砦」、「スレイ」は「女」で、「女の砦」という意味を持つ寺院。967年頃、ジャヤヴァルマン五世に仕えていたアンコール王朝摂政役の王師ヤジュニャヴァラーハにより建立された。「シヴァ神とヴイシュヌ神に捧げられた、周囲が約400mの小寺院で、外壁は赤色砂岩とラテライト、屋根の一部にはレンガも使用された美しい遺跡である。東正面から入ると赤い絨毯が敷き詰められているかのようなラテライトの参道が延び、その両側にはリンガを模した石柱が立ち並ぶ」(「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」より)。

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参道を60~70m歩くと(写真左)、左右にゲートが建っている。左手ゲートの破風を見ると、そこにはナンディンに乗ったジヴァ神とその妻ウマのレリーフが残されている(写真右)。精緻かつ洗練された彫刻の美しさには驚かされた。次に右手ゲートの破風を見ると、こちらはヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ」が阿修羅王を組み伏し、殺そうとしているところが描かれている(写真下左)。これも、精緻さ、美しさと言う点で、先ほどの作品と甲乙付け難い素晴らしさだ。さらに20~30m東に進むと、右手に精密な彫刻が施された置石があった。これにはラーマーヤナの一場面である、魔王ラーヴァナがシータ姫を誘拐するシーンが彫られている(写真下右)。

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第一周璧の門をくぐると、中央祠堂とそれを取り囲む環濠が現れた。ガイドの話によると、正面に向かって左手の環濠手前が写真ポイントとの事だったので、その地点から数枚、中央祠堂と環濠の撮影をした後(写真上左)、参道を渡り、第二周璧の門の前まで歩いた(写真上中)。この門の破風には、カーラの上に座るヴィシュヌ神が彫られている(写真上右)。これは、塔門のレリーフの中で最も美しいものだと言われているとの事。第二周璧の塔門に入ると、そこには「リンガ(男根)」の台座がある(写真下左)。またその先には、「ナンディン像」が置かれている(写真下中)。第二周璧の塔門を通ると、すぐに第三周璧の塔門だ。この門の破風には、踊るシヴァ神が彫られている(写真下右)。「左側に座っているのはカリーカラミヤという女性。大変美しい王妃であったが、王が亡くなったのち、あちこちの王がこの女性を奪い合い争った。憂いたカリーカラミヤは自分の魅力、美貌を破壊してくれとシヴァ神に頼み、シヴァ神は望みを聞き入れ美を破壊してしまった。右側では雷神インドラ神が太鼓をたたいている」(前掲書より)。

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第三周璧の中には入ることが禁じられているので、その周りから見学することになる。塔門の奥に中央祠堂が建ち、その両脇には経蔵が並ぶ(写真左)。最初に北側の経蔵の破風を見ると、雨を降らすインドラ神と、慈雨を喜ぶ人々や動物たちが描かれていた(写真中)。次に南側の経蔵を見ると、この破風にも、精緻かつ美しい彫刻が施されていた。カイラス山で迷走するシヴァ神が描かれているのだ(写真右)。「抱きついているのは妻のパールヴアティー。下方では20本の腕と10の頭を持つ魔王ラーヴァナが、瞑想のジャマをするためカイラス山を動かそうとしている。シヴァ神はカイラス山で瞑想し阿修羅をやっつけようとしていた。怖がるバラモン僧やトラ、ライオン、ゾウ、シカなどの様子も描かれている」(前掲書より)。

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さらに南西に向かい、角を右折して北へ進む。すると北西側の第三周璧に小さな覗き窓があった(写真左)。ここから「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバターの像を見ることができるのである(写真中)。約1時間かけて「バンテアイ・スレイ遺跡」の見学を終え、第一周璧の西門から出る。ここから見た姿もなかなか良かったので、数枚カメラに収めた(写真右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(バンテアイ・スレイ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4
ウィキペディア・フリー百科事典(ラテライト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
ウィキペディア・フリー百科事典(ナンディン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3

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10:55、我々は昼食をとるため、バスでレストランに向かった。約50分で昼食会場のレストラン「アハ(AHA)」に到着。オールドマーケットの道を隔てた北側に位置するレストランで、カンボジア料理を中心としたアジアンフュージョン料理店だ。店内は明るくお洒落な感じである(写真)。メニューは次の通り。

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・青マンゴとチキンのサラダ(写真左の左)
・フライドポテト(写真左の右)
・豚肉とタマネギ炒め(写真中)
・ライス(写真中)
・はちみつアイスクリーム(写真右)

レストラン「アハ(AHA)」
http://www.hoteldelapaixangkor.com

約1時間で食事を終え、ホテルに戻ることにした。当初、隣にあるオールドマーケットを見学し、その後ホテルに荷物を取りに帰って空港に向かう予定であったが、それではあまりにも空港で過ごす時間が長くなってしまうため、一度ホテルに戻って一休みしてから、オールドマーケットを訪ね、その後空港に向かうことにしたのである。
添乗員とガイドのナイス判断!

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ホテルには12:50頃到着。出発時間である16:00まで、部屋で休憩することになった。私は入浴、荷物整理を済ませた後、少しベッドでウトウトして過ごした。ところで、ベッドの上にデザインされていた彫刻が「東洋のモナリザ」であることに、この時始めて気が付いた(写真)。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス アンコール・ワット」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]
・「アンコール・ワットへの道」(石澤良昭著)[JTBパブリッシング刊]
・「アンコールージャングルの中の宝石―(日本語版)」[United Media Groupe刊]
・「アジアの至宝 アンコール遺跡」(石澤良昭監修)[NDN Books刊]
・「アンコール」(ブーイ文子訳)[リバー・ブックス社刊]
・「カンボジア情報ガイドブック2011-2012」(西村清志郎プロデュース)[Krorma刊]


December 06, 2011

アンコールワット(その2 : 「天国と地獄」と「乳海攪拌」)

ベトナム・カンボジアの旅(第10回)

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第二回廊は、西側の回廊を北に向かって歩く(写真左)。左手には先ほど見た沐浴場の跡(写真中)が、また右手には経蔵が建つ。経蔵の先には、中央祠堂に上る階段がある(写真右)。我々はその前を通り過ぎ、北側に建つ経蔵のそばの階段を降りて、第二回廊と第三回廊の間のテラスに出た。しばらく歩き続けていたこともあり、皆さん少々疲れていたようで、木陰に適当な高さの石が置かれていたので、それが椅子の代わりになり、いつの間にか休憩タイムになっていた(写真下段)。

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10分ほど休んだ後、テラスを東に進んだ(写真左)。北東の角近くまで来ると、行列が続いていた。東側に中央祠堂に上る階段があるからだ。幅の狭い急な階段なので、ゆっくり上らなければならないため、行列ができているのである(写真中・右)。このような場所があるのを知っていれば、先ほど皆さんが休憩している間に上ったのだが、今となっては時間がないので断念せざるを得ない。その前を通り過ぎ、南面を西に歩いて中央まで来たところで、第二回廊の階段を通り抜け、再び第一回廊に戻り、壁面レリーフを鑑賞する(写真下段)。

次は寺院の南面東側に描かれた、「天国と地獄」の浮き彫りだ。「上段が天国、下段が地獄。上段の天国では輿に乗った王族が日傘や団扇、蠅を追う扇を持つ従者を従え整然と行進をしている。下段の地獄では、痩せ衰えた亡者が首に縄をかけられて数珠繋ぎになり、地獄の獄吏に棍棒で追いたてられている。象の鼻で逆さ吊りされている亡者など、責め苦の数々が描かれている」(「旅名人ブックス アンコール・ワット」より)。
以下、主だった壁面レリーフ(浮き彫り)をご紹介する。なお解説文については、「ラーマーヤナ」同様、かなりの部分を「アンコール・ワットへの道」から引用している。

① 中層では従者たちの毅然とした行列の中にも不安を隠しきれない緊張感が感じられる(写真左)。下層では逆さ吊りにされた罪人、たたかれたり、打たれたりしている(写真右)。

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② 首を数珠つなぎにされた罪人たち

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③ 王は王妃と別れ、天国へ向かうお迎えの輿に乗り動き始めている(写真上段)。下層では、獄卒が首をつないだ罪人たちに大きな棒を振り回す(写真下段)。

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④ 王の輿と王妃の輿が別々に進み、王妃が王の輿の方を振り向く(写真左)。下層では罪人がたたかれている(写真右)。

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⑤ 輿に乗った王がしずしずと夜摩天に近づいていく(写真左)。下層では首に輪をつけられた罪人、地獄にいる奇獣にかみつかれている(写真中・右)。

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⑥ 18本の腕を持つ夜摩天は、牡牛ナンディンに乗り人々に審判を下している(写真左)。下層では、夜摩天からの指示を待っている(写真右)。

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⑦ 天蓋をかけているところから、夜摩天にかしずく陪審判事のダルマとチトラグプタが尋問をしている(写真上段)。
下層では既に審判が下されて刑罰の執行が始まっている(写真下段)。

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⑧ 地獄へ落される場面(写真左)。この地獄はアヴィーチ地獄といわれ、山の重さに押しつぶされる刑罰の場面(写真中)。その次に虫塚地獄が続く(写真右)。

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⑨ 鋭い剃刀の刃地獄で苦しむ罪人たち(写真左)。長い棒を口に差し込まれている2罪人が見られる(写真右)。

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⑩ 上層では王と王妃の静かな生活が描かれている(写真上段)。下層ではとげの出ている樹木にはりつけられる罪人(写真下段左)。続いて窒息地獄。1人の囚人が縄で木に縛り付けられ、獄卒がその罪人の口をふさぎ窒息させる(写真下段中・右)

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⑪ ムチでしごかれる罪人(写真左)。獄卒の指示で囚人が長い棒きれを口に入れられる串刺しの刑(写真中)。その右側では、骨砕きの刑の執行中(写真右)。

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⑫ 血膿の湖の中へ投げ入れられた罪人(写真)。

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⑬ いよいよ凄惨をきわめ、煮えたぎる熱湯に投げ込まれる(写真)。

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⑭ 2人の罪人が投げ込まれようとしている炭火地獄(写真)。

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⑮ 燃え盛る炎の煮鍋の中に、頭から投げ入れられる熱湯地獄(写真)。

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⑯ 体を逆さにされ棒で打たれている(写真左)。鋭い小刀の地獄(写真中)。続いて灼熱地獄(写真右)。

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⑰ 体を長い棒に縛り付けられ打たれている(写真左)。続いて針地獄(写真中・右)。

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⑱ 地獄の光景が連綿と続く(写真)。

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⑲ 寒さのため胸に両手をあて震えている罪人。大寒地獄(写真)。

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⑳ 罪人の頭を持ち上げて、舌抜きの刑(写真左)。3罪人のはりつけ釘打ち刑(写真中)。下層では首締めの刑が行われる一方で、上層では王たちが天空の王宮内で音楽を奏で楽しんでいる(写真右)。


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約10分で「天国と地獄」の鑑賞を終え、続いて第一回廊東面南側に描かれた「乳海攪拌」を見学した。アンコールワットの壁面浮き彫りの中で、最も有名で、全長50m。神々と阿修羅たちが不老不死の薬アムリタを造り出すため、マンダラ山を棒として、大蛇ヴァスキ(アンタナ)を綱代わりに海をかき混ぜるという、ヒンドゥー教の天地創造の物語が描かれている。面白いのは、敵対する神々と阿修羅が、秘薬を造り出すために協力し合っている点だ。しかし、阿修羅たちは神々に騙されたことに気付いて彼らと一戦を交えるが、最後は戦いに敗れて地獄に追い落とされたのだという。神様と言えども、悪い奴には嘘をつくのだ。ところでこのレリーフだが、現在修復工事中のため、南側の半分だけ(阿修羅側)しか見ることが出来なかった。

以下、「乳海攪拌」のレリーフをご紹介する。

① 阿修羅たちが綱引き戦を通じて神々への戦いを挑む。見物に来た人たちがたくさん並ぶ(写真左)。

② 五つ頭の大蛇ヴァースキの胴体を綱に見立て、神々と阿修羅が綱引きの一本勝負をするところ。阿修羅王が出てきて頑張っている(写真右)。

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③ 綱引きをする阿修羅たち(写真左)。

④ 単調な綱引きにカツを入れるため大身の阿修羅王の腹心が位置につき、阿修羅たちを激励(写真右)。

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⑤ 綱引き最高潮の場面。大亀クールマ(ヴィシュヌ神の化身)の背に大マンダラを載せ、これを心棒に大綱引き。山を回転させ大海をかき回す。大海は乳色の海となり、海中から天女ランバーが飛び出し、神妃ラクシュミーが誕生。最後にヴィシュヌ神の手に不老不死の薬アムリタ(甘露)が掲げられた(「アンコール・ワットへの道」より : 写真左)

⑥ 蛇胴体の後半分では、神々の引き手が位置につく(写真右)。

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ウィキペディア・フリー百科事典(乳海攪拌)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E6%B5%B7%E6%94%AA%E6%8B%8C
ウィキペディア・フリー百科事典(アムリタ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%BF
ウィキペディア・フリー百科事典(アンコールワット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88

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約2時間でアンコールワットの見学を終え、東門から寺院を出る(写真左)。次は夕日を観賞するため、電気自動車で「プレ・ループ遺跡」に移動した。16:55、遺跡に到着(写真中)。夕陽観賞の名所の一つとして知られているだけのことはあり、多くの人々が続々と集まっている(写真右)。

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この遺跡は、三層基壇の重なるピラミッド型寺院で、最上段にはアンコールワットと同様に五基の塔を備えており、東西127m、南北117mの広さだ。944年に国内統一を果たしたラージェンドラヴァルマン一世が、国家鎮護を願い961年に建立した。しかし、環濠が設けられていないことから、アンコール遺跡では異例の建築物と言われているようだ。

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我々は東塔門から入り、中央祠堂の前にあるテラスに出た。ここには、死体を処理する槽(石組の桶)がある(写真左)。底に砂利を敷き詰め、その上に薪を積んで死体を茶毘(だび)に伏したとの事。この横を通り、我々は中央祠堂に続く急階段を上った(写真中)。三層目のテラスに出ると、四方に4基の祠堂が置かれ、その中央に二段の小さな基壇の上に建てられた祠堂がある(写真右)。これら5基の祠堂群は、東側の開口部を除きすべて砂岩で出来た偽扉になっている(写真下左・中)。また東南側の祠堂の破風には、象に乗るインドラ神(雷神)のモチーフが見られる(写真下右)。

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このテラスにも多くの人々が夕日を待っていたが、中央祠堂を見ると、そこにはさらに多くの人がいた(写真)。より高い所から見ようというのだ。私もわずかなスペースを見つけ、より高い所から日が沈み始めるのを待った。

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17:15頃になると、空が赤くなり始めた。夕陽が沈むのは早い。ここからが本番である。17:35頃に日が沈むまでの約20分間、シャッターを切り続けた(写真)。日が沈んだ後も、しばらく余韻を楽しんでいたのだが、周りを見ると誰もいなくなっていた。ほんの数分の事だが、皆さん、蜘蛛の子を散らすように去っていったのである。

ウィキペディア・フリー百科事典(プレループ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

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「プレ・ループ遺跡」で夕日鑑賞を終え、次は「アンコール・クッキー(Angkor Cookies)」でショッピングだ(写真)。バスで約30分、お店の前に到着。入口に立つと、何故か日本のお店に来たような雰囲気だ。実はこの店の経営者は日本人なのである。「小島幸子」、彼女がこのお店のオーナーだ。日経ウーマン2008年1月号に掲載された彼女の記事のコピーが置いてあったので、それを参考にご紹介すると、1996年に横浜市立大学卒業後、1999年シェムリアップに行き、観光ガイド、日本語教師として働くが、30歳で帰国し、1年間の準備期間を経て、04年シェムリアップで起業というキャリア。現地で3年間働いた時に、観光客向きのお土産がないということに気付き、この事業を始めたという。記事によると、年間1億5千万円の売上で、約60人のスタッフを雇う、現地では大手外資ホテルと並ぶ有数の事業規模との事。

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店内は明るく清潔感が溢れている。遺跡を模ったアンコール・クッキー以外にも、色々なオリジナルの菓子類が並んでいる(写真左・中)。店員も日本式の教育を受けているようで、接客態度も良い。流暢な日本語で、試食を勧めてくれた。彼女は研修生だというが、すでに合格点だ(写真右)。

何か面白いものはないかと店内を見ていると、棚に「カンボジア情報ガイドブック2011-2012」が置かれていた。手に取ってみると、観光案内だけでなく、生活、医療、交通、ビジネスなど多岐にわたる情報が詰め込まれている。面白いので、1冊購入することにした。中国の賃金が上昇する中、さらに低賃金のベトナムに進出している日本企業だが、近年さらなるコスト低減を求めて、ミャンマーやビルマに目が向けられている。政治的不安定や地雷の存在などから、ほとんど関心を持たれていなかったカンボジアだが、最近は注目されるようになってきたという。そのようなニーズに応えるため、本書は作られたとの事。情報量の少ないアジア各国でも、このような書籍を出版してくれると有難いのだが、なかなか出会うことはない。本書も発行部数が僅か3,000部なので、カンボジアに関心を持つ人にとっては貴重な資料と言えるのではないだろうか。

約20分でお店を出て、本日の夕食会場であるレストランに向かった。

アンコール・クッキー(Angkor Cookies)
http://www.facebook.com/angkorcookies
公立大学法人横浜市立大学公式HP(卒業生インタビュー : 小島幸子氏)
http://www.yokohama-cu.ac.jp/graduates/interview/09.html
日経ウーマン・オンライン(マダムサチコのカンボジア風)
http://blog.nikkeibp.co.jp/wol/kojima/2009/10/post.html

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バスで約10分。ショー・レストラン「アマゾン・アンコール(AMAZON ANGKOR)」に到着した(写真左)。レストランと言っても、かなり大きな建物だ。ショー・レストランと言うだけのことはあり、店内にはかなり大きな舞台がある。座席は700ほどあるようだが、我々は舞台のすぐそば、ほぼ正面に陣取った(写真中)。料理はビュッフェ形式で、カンボジア、ベトナム、中華料理など、色々な種類のものが並んでいる。麺類などは目の前で調理してくれるので、出来たての熱々だ。とりあえず私はラーメンを作ってもらった(写真右)。

席に戻ってしばらくするとショーが始まった。時計を見ると、ちょうど19:00である。本日は、約40名のダンサーや歌手、ミュージシャンが、カンボジアの文化遺産である伝統舞踊の中から、3種類の宮廷舞踊と2つの民族舞踊を見せてくれるという。

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最初に出て来たのは、「ピン・ピート」。伝統的クメールのオーケストラだ。と言ってもわずか5名の小型版である。中央には木琴「ロニー・エグ」、その右には一弦琴「ダン・バウ」、右端には太鼓「サムファー」の奏者が並ぶ。中央左隣りは良く見えないのだが、鐘「コントム」か? そして左端は五弦琴のようだ(写真左)。演奏が終わると、「歓迎の踊り」、「ココナッツダンス」、「メカラダンス」、「漁師の踊り」、「アプサラダンス」と続く。「歓迎の踊り(ウエルカムダンス)」(写真中)は、別名ブレッシングダンスと言われ、祝福の踊りという意味。人々の健康や幸せをお祈りするダンスであり、またカンボジアのアンコール時代の服装や性格などを表すダンスでもある。アンコール時代より王様など偉い人の前で踊り継がれてきたとの事。「アプサラダンス」(写真右)は、アンコール王朝時代に、儀式や宮廷の祝い事があった際に舞われたもの。アプサラは、女性の姿をした女神で素晴らしい踊り手であったとされており、彼女達の円を描くような動きと、時折静止した時の姿、そのしなやかな仕草は、アプサラ達が天界と地上の間を漂っている姿を現すとの事。

ショー・レストラン「アマゾン・アンコール(AMAZON ANGKOR)」
http://www.amazon-angkor.com

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約2時間、食事とショーを楽しんだ後、我々は宿泊しているホテルに戻った。20:40に入室。私はマッサージを受けるため、21:00に予約を入れていたので、大急ぎでシャワーを浴びた。21:00ジャスト、部屋のベルが鳴る。ホテルのスタッフとマッサージ師が訪ねて来た。料金は前払いで、25米ドルをホテルのスタッフに支払う。マッサージは一時間。ベッドに横になり、足と腰、背中を重点的に揉んでもらう。彼女の名前はスーンさん(写真)。23歳で、片言の英語を話す。週に数度、英語の学校に行っているとの事。マッサージは独学でマスターしたというから驚きである。現在マッサージ仲間は75名程いるらしい。私のマッサージが終わった後も、2件の予約があるとの事。住まいはシェムリアップから25kmほど離れた村で、ここまで1時間かけてバイクで来たという。日本のように舗装もされておらず、街灯もないであろう道を、夜間に1時間も走るとは、またしても驚いてしまった。年老いた両親と、15歳の妹を養っているらしい。

雑談していると時間が経つのは早い。1時間は直ぐに過ぎてしまった。しかし、本日はよく歩いたので、マッサージを受け、足の疲れがほぐれてスッキリした。彼女が帰った後、今度はバスタブに湯を張り、ゆっくり体を温める。その後、いつものように資料整理と荷物整理を済ませ、23:00頃ベッドに入った。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス アンコール・ワット」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]
・「アンコール・ワットへの道」(石澤良昭著)[JTBパブリッシング刊]
・「アンコールージャングルの中の宝石―(日本語版)」[United Media Groupe刊]
・「アジアの至宝 アンコール遺跡」(石澤良昭監修)[NDN Books刊]
・「アンコール」(ブーイ文子訳)[リバー・ブックス社刊]
・「カンボジア情報ガイドブック2011-2012」(西村清志郎プロデュース)[Krorma刊]



December 04, 2011

アンコールワット(その1 : ラーマーヤナ壁面レリーフ)

ベトナム・カンボジアの旅(第9回)

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ホテルで一休みした後、午後2:30、我々はバスでアンコールワット遺跡に向かった。バスが走り出すと大雨になった。すぐに、前が見えないくらいの豪雨になる(写真左)。雨の中を歩くのは嫌だと思っていると、やがて小降りになった。現地には7分ほどで到着。バスを降りると、雨はほとんど止んでいた。ここはアンコールワット西参道に面する広場だ(写真中)。我々は、環濠に架かる石畳の参道を歩いて遺跡の中央に向かう。この参道は、幅12m、長さが540mあり、山門から寺院の第一回廊までを一直線に結んでいる(写真右)。

アンコールワットについては、あまりにも有名でご存知の方も多く、また日本語の文献類も溢れていることから、あえて説明する必要はないであろうが、簡単に整理しておく。

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アンコールワットは、東西約1.5km、南北約1.3kmの環濠に囲まれた、幅約190m、長さ約600mもある大規模な寺院で、語意は「お寺の町」。「一時衰退していたクメール王朝が再び力を盛り返してきた12世紀に、時の国王スールヤヴァルマン二世(在位1113~50頃)が自らの王廟として建造した。東南アジアの寺院は東が正面になっている。これに対して、このアンコール・ワットは「西」を正面としているため、「王廟」として建てられたと見られている」(「旅名人ブックス アンコール・ワット」より)との事。中央伽藍は須弥山を表し、周囲の尖塔はヒマラヤ連峰、そこへと続く真っ直ぐな参道は、現世と天界を結ぶ虹で、外側の環濠は大海を意味するという。

ウィキペディア・フリー百科事典(アンコールワット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88

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幸いな事に雨はすっかりあがり、傘をささずに参道を歩くことができた(写真上段)。ガイドの説明を聴きながら、約15分で参道を渡り、「西塔門」の前まで来た。この「西塔門」は、中央に「王の門」、両側に「庶民の門」、最両端には「象の門」が並ぶ(写真中段)。南側の「庶民の門」には、8本腕のヴィシュヌ神像が立つ(写真下段左)。また、門を東に通り抜ける手前には、「歯を見せて笑うデバター像」が置かれている(写真下段中・右)。これはガイドが教えてくれたのだが、普通に歩いているだけでは気が付かない隠れ撮影ポイントと言える。

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西塔門を通り抜けると、アンコール寺院が姿を現した。アンコールワットの中心部へは、まだ300~350m歩かなければならない。我々は南側の「庶民の門」から出たので、「王の門」からまっすぐ伸びる参道に移り、中央の寺院に向かった。真正面にアンコールワットが見える。ここから見る姿は、ガイドブックや旅行のパンフレットによく掲載されているシーンの一つだ(写真)。

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参道を歩いていると、結婚式を終えたばかりの夫婦が記念写真の撮影をしていた。美男美女のコンビだったので、写真を撮らせてもらった(写真)。ついでに一緒に記念写真をお願いすると、「どうぞ」との事。遠慮して花婿側に立つが、花嫁側に立つことを勧められたのでそちらに移動すると、花嫁が私の手を握りしめて来た。そして記念撮影である。私のカメラだけでなく、新婚撮影のために来ているプロのカメラマンもシャッターを切っていた。この写真を見て、後で揉めなければ良いがと思う一方、何かのおまじないなのかもしれないと思いながら、祝福の言葉を述べて彼らと別れた。

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美人花嫁に手を握られたことで鼻の下を伸ばしていた私だが、250m歩くと左手に最高の写真ポイントがあるとの事。我に帰って、急いでそのポイントに向かう。その場所に到着して寺院を見ると、確かに最高のポイントであった。青空を背景にした寺院の姿が、「聖池」の水面に映し出されているのだ(写真)。何とも言えないその美しさに、数十回シャッターを押していた。

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写真を撮り終えた後、我々は「聖池」北側を廻って、寺院の北西の角から第一回廊に入った(写真)。最初に見たのは「ラーマーヤナ物語」(※)だ。インドの二大叙事詩の一つで、さらわれたシータ姫を取り戻すため、ラーマ王子兄弟と猿の軍団VS魔王ラーヴァナの率いる悪魔軍との戦いが描かれている。以下、主だった壁面レリーフ(浮き彫り)をご紹介する。なお解説文については、かなりの部分を「アンコール・ワットへの道」から引用している。

(※)ラーマ王子とシータ姫は結婚後旅に出たが、シータ姫は森の中で羅刹王ラーヴァナに誘拐されランカー島に監禁されたため、ラーマ王子と猿将ハヌマットがシータ姫を救出に向かうというストーリー。


① ラーマ王子を援ける猿軍と羅刹の軍との熾烈な戦いが始まる。
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② 猿軍と羅刹軍が入り乱れての白兵戦。手に槍、長剣、弓矢を持って戦う。猿軍はかみつき・ひっかきも武器。
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③ 戦闘がますます激しく長く長く続く。
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④ 空想上の獅子馬2頭が車輿を引いて戦場をあばれ回る。
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⑤ 生死の運命を分ける戦場。火花を散らす姿が伝わる。
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⑥ いよいよ最高潮の戦闘場面。ランカーの戦場で鬨(とき)の声があがる。
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⑦ 猿軍の武将ニーラと羅刹軍のプラハスタの決闘が始まる。
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⑧ 猿軍の武将アンガダと羅刹軍マホダラの決闘。
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⑨ 羅刹王ラーヴァナが乗った戦車が登場。獅子馬2頭が戦車を引く。
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⑩ 猿軍武将アンガダが羅刹軍のヴァジュラダムストラと対決。
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⑪ ランカーの戦場で繰り返す猿軍。これを迎え撃つ羅刹軍。
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⑫ 猿将ハヌマットと羅刹軍の強兵ニクンバの対決。
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⑬ 猿王スグリーヴァと羅刹の猛将クンバーとの決闘。両軍最高武人の対決は尽きることなく続く。
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⑭ 猿軍団は勇気百倍で押しまくる。
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⑮ 逃げようとする羅刹軍団の兵士を追って肩にかじりつく猿兵、押され気味の羅刹軍、屍が折り重なっている。ランカーの戦場は血の海と化す。
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ウィキペディア・フリー百科事典(ラーマーヤナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%83%8A


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「ラーマーヤナ物語」の壁面レリーフを見た後、寺院の西側に位置する「十字回廊」に入る。ここには、沐浴場と考えられている聖なる池が4つある(写真左)。北西に位置する沐浴場を右手に見ながら東に進むと、左手に小さな空き部屋があった。「エコーの間」と呼ばれており、壁側に立ち胸を叩くとエコーのように響くのだ。皆さん中に入って胸を叩いていた(写真中)。ここから南に曲がり、十字回廊の中央部に向かう。左右に沐浴場跡を見ながら中央部を越え、さらに南に進むと、森本右近太夫一房の墨書の落書きが見られる。かなりかすれており、はっきり読み取ることはできないが、寛永9年の日付が記されているという(写真右・下左)。彼の落書き以外に、その周りには有名無名の日本人たちが書いた落書きが14あるという。アンコールワットを、仏教の聖地「祇園精舎」と思い訪れた人々の手によるもののようだが、これもほとんど確認することができなかった。さらに南側正面には立仏像が見られる(写真下中)。我々は、ここから東側に向かい、階段を上って第二回廊に入った(写真下右)。

ウィキペディア・フリー百科事典(森本一房)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%AC%E5%8F%B3%E8%BF%91%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E4%B8%80%E6%88%BF
ウィキペディア・フリー百科事典(祇園精舎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%B2%BE%E8%88%8E


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 アンコールワットとカンボジア」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「旅名人ブックス アンコール・ワット」(旅名人編集室編)[日経BP社刊]
・「アンコール・ワットへの道」(石澤良昭著)[JTBパブリッシング刊]
・「アンコールージャングルの中の宝石―(日本語版)」[United Media Groupe刊]
・「アジアの至宝 アンコール遺跡」(石澤良昭監修)[NDN Books刊]
・「アンコール」(ブーイ文子訳)[リバー・ブックス社刊]
・「カンボジア情報ハンドブック2011-2012」(西村清志郎プロデュース)[Krorma刊]


December 01, 2011

地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(滋賀県、岩手県及び秋田県)の引換について

地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(滋賀県、岩手県及び秋田県)の引換について

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本日(12月1日)、財務省より地方自治法施行60周年記念5百円貨幣(滋賀県、岩手県及び秋田県 : 写真・左から順 : 財務省のHPより)の引換を、来年1月18日(水)に行う旨発表があった。詳しくは財務省のHPをご覧頂きたい。

財務省のHP(2011年12月1日付)
http://www.mof.go.jp/currency/coin/commemorative_coin/47_pref_coin_program/kk231201.htm


愛河遊覧と六合夜市

台湾の旅(第2回)

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台湾新幹線「左営駅」からバスで約30分、夕食会場であるレストラン「蟳之屋(かにのや)」に到着(写真左)。入口の上には、大阪道頓堀「かに道楽」にも負けないぐらい大きな蟹のディスプレイがある(写真中)。店内は広くて豪華だ。我々は個室に案内され、円卓を囲む(写真右)。しばらくするとお茶が出され、続いて料理が持ってこられた。メニューは次の通り。


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・カラスミ(写真左)
・シナチク(写真中左)
・海老の塩蒸し(写真中右)
・蟹の塩揚げ(写真右)
・イカの醤油炒め(写真二段目左)
・海鮮ラーメン(写真二段目中左)
・白身魚フライの酢あんかけ(写真二段目中右)
・揚げ魚(写真二段目右)
・野菜炒め(写真三段目左)
・チャーハン(写真三段目中左)
・芋団子(写真三段目中右)
・海草スープ(写真三段目右)
・デザート(メロン : 写真下)

約1時間10分で夕食を終え、我々は高雄の夜景を楽しむため、愛河の遊覧船乗り場に向かった。

「蟳之屋(かにのや)」
http://www.07052041.shopcool.com.tw/

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愛河の遊覧船乗り場は、「蟳之屋」の西約3kmに位置する。「愛河」は、日本統治時代に造られた運河で、当時は「高雄運河」と呼ばれていた。長さは約12kmで、25本の橋が架かっている。約10分バスで走り、乗船場に到着。
我々ともう一組の日本人ツアーグループが乗り、船は動き始めた。最初に北の方へ河を上り、「中正大橋」をくぐって「七賢橋」近くでUターン。再び「中正大橋」をくぐり、「高雄大橋」近くまで進んでUターン。そして船乗り場に戻るコースだ。乗船時間は約30分。青くライトアップされた橋や、高くそびえるツインタワー(高雄アンバサダーホテル)など、美しい夜景を楽しむことができた(写真)。

ウィキペディア・フリー百科事典(愛河)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%B2%B3
高雄市政府交通局(愛河の遊覧船[愛之船])
http://www.tbkc.gov.tw/focus.asp?main_id=58
高雄アンバサダーホテル
http://www.ambhotel.com.tw/index.htm?LC=JP

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21:07、遊覧船を降りて、バスと徒歩で「六合夜市」に向かう。我々は西側から「夜市」に入り、東側の「中山一路」に向かって歩いた。数多くの食べ物屋の屋台が並ぶ。海老や蛸、イカの丸焼きや熱帯のフルーツを売るお店もある。印象に残ったのは、蛇肉を食べさせてくれるお店だ。入口の上には、大蛇の看板が掲げられていた。その他には、土産物店や衣料品店、雑貨店なども見られる。20分ほどで通り抜け、我々はバスで本日宿泊する「高雄圓山大飯店(グランドホテル)」に向かった。

ウィキペディア・フリー百科事典(六合夜市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%90%88%E5%A4%9C%E5%B8%82

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バスで約20分、22:00に「高雄圓山大飯店」に到着(写真)。街の中心から東へ3kmほど離れた澄清湖畔に立つホテルだ。明朝観光する予定の場所には近くて便利だが、市街に出かけるのには不便である。ホテルの外観は中国宮殿風で、北京城をモデルにしているとの事。台北にある「圓山大飯店」とは同系列。

高雄圓山大飯店(グランドホテル)
http://www.grand-hotel.org/main/Kaohsiung/default.aspx?lang=ja-JP

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22:34に入室。部屋は広くて明るい。床はフローリングで、全体的に落ち着いた雰囲気だ(写真)。すぐに風呂に入り、その後いつものように資料整理を始める。しかし、何となく気合いが入らないためグズグズしていると、いつの間にか翌日の00:30になっていたので、寝ることにした。


(参考文献)
・「地球の歩き方 ‘11~’12 台湾」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]



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