July 22, 2008

ロンドン経由で関空へ

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(最終回)

8日目・6月8日(日)[くもり]~9日目・6月9日(月)

午前7:00起床
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※部屋から窓の外を眺めると、「最高裁判所」(写真左)や「ノートルダム・デュ・サブロン教会」(写真右)が見える。昨日、街中を歩いたおかげで、窓からの景色が、立体地図のように思えた。

午前7:10~8:05朝食
午前9:20部屋出る
午前9:30バスでブリュッセル空港に向け出発(バスの運転手 : ガリンさん・ガイド : ネギシさん)
午前10:00空港到着
午後12:04搭乗
午後12:50離陸
午後1:00軽食

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午後1:35(ロンドン時間午後12:35・以下ロンドン時間)ロンドン・ヒースロー空港に着陸
※空港到着直前に、「ウインザー城」が見える(写真)

午後2:00~3:35さくらラウンジで過ごす
午後4:10搭乗
午後5:22(日本時間午前1:22・以下日本時間)離陸

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午後7:00頃夕食
メニューは、次の通り。
・ 前菜「スモークサーモンテリーヌ」、「鴨胸肉の燻製リンゴ添え」、「赤ピーマンのクリームチーズ詰め」(写真左)
・ スープ「ほうれん草とキャベツのコンソメスープ」
・ メイン「牛フィレステーキ・エシャロット風味の赤ワインソース添え」(写真中)
・ フレッシュサラダ
・ デザート「パッションフルーツシブーストタルト」、「コーヒー」(写真右)
・ チョコレート

関空からロンドンへの飛行中に頂いた機内食が美味しかったので、帰りも同じ洋食の牛フィレステーキをオーダーしたのだが、まったくの間違いであった。他の航空会社で出されるステーキ同様、フィレ肉にもかかわらず硬めで、味も淡白なのである。この食感が嫌で、最近は和食ばかり食べていたのだが、大失敗。後でメニューを見比べると、ロンドン行きのメニューには「国産牛フィレステーキ」、一方、関空行きのものには「牛フィレステーキ」と書かれていた。必ずしも国産牛が良いとは言わないが、私の好みなので仕方がない。以前、ドイツやオランダに行った時に聞いた話だが、日本人と異なり、ドイツ人やオランダ人は歯ごたえのある肉を好むとの事。私が好まなかった、帰りの飛行機で頂いたステーキも、彼らの口には合うものなのかもしれない。食後は、グッスリ眠っていた。旅の疲れもあったのであろう。もう一度出される食事もパスしてしまった。目を覚ました後、メニューにあったアイスクリームを注文するが、既に品切れとの事。帰りの飛行機では、食に恵まれていなかったようだ。

午前1:56アムステルダム上空を飛行
午前6:21ヤマル半島上空を飛行
午前8:50レナ川上空を飛行
午前10:34アムール川上空を飛行
午後12:45関西国際空港に着陸

これで楽しかった今回の旅も終わりである。ドイツとフランスの国境近くの地域を回ることで、大国に翻弄される国々の歴史を学び、また交易について知ることが出来たことは非常に有益であった。次回は、ハンザ同盟研究の一環として、ドイツを訪れたいと考えている。

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July 21, 2008

ベルギー国立銀行貨幣博物館

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第25回)
貨幣ぶらり旅(第138回)

前回ベルギーを訪れた際も、この「ベルギー国立貨幣博物館」には立ち寄った。しかし、十分に時間がなく、展示内容をジックリ見ることができなかった。そこで今回は、落ち着いて鑑賞できるよう、時間に余裕を持って訪ねた。

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貨幣博物館の建物(写真左)入り口(写真中左)、そして受付まで続く通路など(写真中右)、前回と変わりはない。受付のある建物(写真右)に入り、案内書をもらい、館内に進む。入館料は無料。しかもイヤホンガイドも貸してくれるのだ。日本語のイヤホンガイドは無かったので、私はこれを借りなかった。

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この博物館は、貨幣だけでなく、ベルギー国立銀行の歴史や役割、通貨ユーロなどについても展示している。館内は14の部屋に分かれており、最初の3部屋は、1953年まで使われていた国立銀行の頭取室(写真左)、役員室(写真中左)、役員会議室(写真中右)だ。これらの部屋を通り、廊下に出ると階段がある。そしてその先にある4番目の部屋が、貨幣展示室(写真右)だ。

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貨幣展示室(写真)には、4000年前に貨幣として使われたであろう子安貝や、動物の歯などに始まり、世界初のコインと言われているエレクトラム貨、アテネのフクロウコイン、続いて古代ローマコイン、そして中世、近世から現在使われているユーロに至るまでのコインや紙幣が展示されている。また、ベルギーやヨーロッパのコインだけでなく、日本や中国、シャムやインドなど、世界中のコインも展示されているのだ。展示を見ながら、解説文を読もうとすると、英語の解説は無い。仕方ないので、受付まで戻り、英語のイヤホンガイドを借り、再び貨幣鑑賞を始めた。

以下、展示品の中から、面白いと思ったもの数点をご紹介する。

①「羽の貨幣」(写真)
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この貨幣は、小さな赤い羽根を糊付けにして、10mもの長さの植物の繊維の輪に縛り付けたもの。太平洋のサンタ・クルス島民が結婚式での支払いや、海上カヌーを買うのに使った。羽根の色が鮮やかなほど値が高い。

②「石の貨幣」(写真)
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太平洋のヤップ島の人々が、社会的な支払いや、争いごとの解決に使った「石の円盤」の小さいもの。直径4mにもなる大きなものもあった。

③「カタンガ・クロス」(写真)
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中央アフリカの十字型銅インゴット。この形のインゴットは産銅地帯で採掘された金属から造られた。このようなインゴットは、ベルギー領コンゴのカタンガ地方で広く支払いに使われていた。

④「斧の貨幣」(写真 : 写真奥)
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スペインのメキシコ征服者たちがメキシコに侵入したとき、メキシコ人たちはカカオ豆と小さな銅製の斧を貨幣として使っていた。この斧は壊れ易く、道具としては使えなかった。

⑤「塩の貨幣」(写真 : 写真右奥)
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エチオピアでは1920年代まで、岩塩の棒が、料理と貨幣の両方に広く使われていた。壊れないように、葦で縁取りされているものもある。

⑥「アテネ・フクロウ銀貨」(写真左 : コイン・写真右 : 解説文)
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アテネの銀貨は、女神アテナがいつも従えていたというフクロウを描いた図柄から、「フクロウ」と呼ばれていた。当時アテネは、古代ギリシャで最も裕福な都市で、世界中のどの土地でもアテネの銀貨で取り引き出来たという。この図柄は極めてポピュラーになったため、イタリア、エジプト、トルコなどの地中海周辺諸国のみならず、イラクやイランなどの中東諸国でも、似たような図柄のコインを発行している。

これら以外にも、貴重かつ希少なコインが多数展示されている。貨幣コレクターには、何時間見ていても楽しいのだが、時間には限りがあるので、次の部屋に向かった。5番目から14番目の部屋では、中央銀行や金融の仕組み、ユーロについてなど、金融全般に関する展示がなされている。約1時間の見学を終え、受付で冊子類を購入し、博物館を出た。

今回は十分に時間を取ることが出来たので、落ち着いて鑑賞することが出来た。ここで収集した資料や知識は、今後の貨幣金融史研究に役立てて行きたいと考えている。

(ご参考)
・ 当ブログ・平成19年4月29日付「これが本物の小便小僧だ!」(オランダ・ベルギーの旅第9回)
・ 当ブログ・平成19年4月30日付「いよいよ最終日になってしまった」(オランダ・ベルギーの旅第10回)

(参考文献)
・ 「Museum of the National Bank of Belgium」(National Bank of Belgium編・刊)
・ 知のビジュアル百科「コインと紙幣の事典」(ジョー・クリブ著)[あすなろ書房]
・ 「図説 お金の歴史全書」(ジョナサン・ウィリアムズ著)[東洋書林刊]


ベルギー国立銀行のHP
http://www.nbb.be/pub/Home.htm?l=en&t=ho
ベルギー国立銀行・貨幣博物館のHP
http://www.nbb.be/pub/07_00_00_00_00/07_07_00_00_00/?l=en&t=ho

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July 20, 2008

ブリュッセル散策(後編)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第24回)

①「王立モネ劇場」(写真)
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中心地にあり、モネ(マネー・お金の意)の名は、かつて正面に造幣局(オルテ・ドゥ・モネ)があったことに由来する。現在の劇場は、建築家ダメスムの作であり、新古典様式の建物。1819年5月25日グレートリの代表作の一つ「カイロの隊商」上演で落成式を挙げた。1830年8月25日「ポルティシーの唖娘」上演中に、ここでベルギー独立の火の手が上がったことは良く知られているお話。

② 「聖カトリーヌ教会」(写真左・写真右は内部)
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この教会は、1854年に再建されたもので、建築家プラールトの作(前回ご案内した「最高裁判所」も彼の作)。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス様式が混じり合っているため、建物の釣合いはあまり良くないと言われている。

③ 「聖ジャン・バプティスト・オ・ベギナージュ教会」(写真左)
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この教会は、1657年に着工し、1676年に完成した。この建物の建築家は判っていないようだ。建物正面の装飾は豊かで、ベルギーで一番美しい教会の一つである(写真中左)。内部は大変釣り合いの取れた建物で、豊かな装飾は大きな窓の明かりに照らし出されている。ところで、この教会の入り口付近には、ホームレスのような方達がウロウロしていた。普通の物乞いの方かと思いながら教会の中に入ると、汗臭い空気が充満し、ホームレスと思ってしまうような人達が、毛布などを身にまとって歩いている。この教会の裏に大きなホスピスがあるのだが、それと関係があるのだろうか。疑問は解消されないまま、教会を出た。

地下鉄「サン・カトリーヌ駅」→地下鉄「セントラル駅」(写真中右 : 地下鉄列車内・写真右 : 地下鉄ホーム)

④ 「国立銀行貨幣博物館」
これについては、次回お話しする。

⑤ 「サン・ミッシェル大聖堂」(写真左)
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市内で最古の聖堂。13世紀に内陣が造られてから、15世紀に鐘楼が出来るまで、約300年の歳月がかかっている。このため、ローマ・ゴシック、中期ゴシック、後期ゴシック、ルネッサンスなど、様々な様式が見られる。2つの塔は、高さ69mで、フランボワイヤン・ゴシック様式の最高傑作といわれている。内部は、長さ110m、幅50m、高さ26mあり、12聖人の像で飾られたローマ支柱に支えられている(写真中)。窓のステンドグラスも、光を通して美しい(写真右)。この大聖堂を訪れるのは2回目だが、前回よりも感動が大きかったのは、あちらこちらの大聖堂を見たことで、比較することが出来るようになったからだろうか。

⑥ 「コングレ記念塔」(写真左)
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「1831年の憲法発布を記念して、1859年に造られた。高さ25mの塔の上には、最初の国王レオポルド一世の像が置かれ、下は無名戦士の墓を永遠の炎とともに2匹のライオン像が守っている」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)。

トラム「コングレ駅」→トラム「ジャンソン駅」(写真右 : 途中トラムから見えた「王宮」)

⑦ 「オルタ美術館」(写真左 : 外観・写真中 : 3Fゲストルーム)
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「アールヌーヴォーの父、ヴィクトール・オルタが、1898年~1919年の間、妻子とともに住んだ家。らせん状の階段、美しいシャンデリア、や家具。直線を排したアールヌーヴォーの見本のような邸宅」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)。1969年より、美術館として一般に公開された。世界遺産にも登録されているとの事。なお、入館料は7ユーロ。

トラム「ジャンソン」→トラム「メロード」(写真右)

⑧ 「サンカントネール公園」(写真)
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独立50周年を記念して、1880年に開催された博覧会の会場として造られた。アーチ状のサンカントネール凱旋門は、1905年にレオポルド2世の命により、建築家ジローが建てたもの。

⑨ 「サンカントネール博物館」(写真左・写真中左 : 博物館内部)
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サンカントネール凱旋門の南側にある(北側には「王立軍事歴史博物館」(写真中右)があるが、未訪問)。この博物館には、先史時代、古代エジプト、ギリシャ、ローマ、アジア、アメリカなどのコレクションに加え、人類学、民俗学、東洋美術などの素晴らしい作品も展示されている(写真右 : 陶磁器の展示室)。なお、入館料は7ユーロ。

⑩ EU理事会
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「サンカントネール公園」のすぐ西側に、EU委員会本部の建物(写真左)とEU理事会の建物(写真中左)が、道路を挟んで向かい合うように建っている。EU理事会の建物を見ると、多くの一般市民が出入りしていた。何かイベントが行われていたようだったので、私も入ってみると、EUポリスを中心とした、EUの活動を知ってもらうための催しであった。これまで、EU加盟各国の警察官がEUポリスとして活躍していることについて、まったく知らなかったので、資料をもらいながら色々と教えてもらった。各自出身国の警察官がEUポリスとして派遣され、EUの警察組織の一員として活躍すると言うものらしい。ちなみに、米国のFBIのような組織ではないとの事。このようなイベントが行われている場合、私が必ず探すのは、ユーロに関する展示がないかである。会場をウロウロしていると、狙い通りユーロについてPRするコーナーがあった。ユーロ紙幣やユーロコインが展示されており、またそこでは、ユーロコインのポスターや、裁断されたユーロ紙幣のパック、ユーロのバッジ、ボールペン、メモ帳など、貨幣コレクターには嬉しい様々なグッズを手に入れることが出来た(写真中右)。暫くすると、音楽演奏と踊りが始まった。スロベニア観光PRのための、デモンストレーションだ。軽快な音楽にあわせて、会場内に来場者の手拍子が響く(写真右)。ちょっとだけ立ち寄るつもりだったが、約30分、楽しく過ごすことが出来た。

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地下鉄「シューマン駅」→地下鉄「パーク駅」→トラム「パーク駅」→トラム「ルイーズ駅」→ヒルトンホテル(写真左 : トラムから見た「ロワイヤル広場」の「聖ヤコブ教会」・写真右 : プチ・サブロン広場あたりで、トラムから見えるヒルトンホテル)

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ホテルには、午後6:20に到着。部屋に資料類を置き、再び外出した。本日は夕食が無いので、マクドナルドでハンバーガーを買うためである。マクドナルドからの帰り、ホテルの北側にある「エグモン公園」を通ってみた。公園の緑と、その奥にあるピンク色のエグモン宮とのバランスが美しい(写真)。午後7:20頃ホテルに戻り、食事、資料整理を済ませ、入浴し、午後11:00頃ベッドに入った。

(ご参考)
・ 当ブログ・平成19年4月29日付「これが本物の小便小僧だ!」(オランダ・ベルギーの旅第9回)
・ 当ブログ・平成19年4月30日付「いよいよ最終日になってしまった」(オランダ・ベルギーの旅第10回)

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・るるぶ情報版「オランダ・ベルギー07~08」(小川由美子編)[JTBパブリッシング刊]
・ 「ブリュッセル(日本語版)」(THILL S.A.編)
・ 「オルタ美術館(日本語版)」(オルタ美術館編)[LUDION GUIDES]


王立モネ劇場のHP
http://www.lamonnaie.be
ベルギー国立銀行のHP
http://www.nbb.be/pub/Home.htm?l=en&t=ho
ベルギー国立銀行・貨幣博物館のHP
http://www.nbb.be/pub/07_00_00_00_00/07_07_00_00_00/?l=en&t=ho
聖ミッシェル・エ・ギュデュル大聖堂のHP
http://www.kathedraalstmichiel.be/
サン・ミッシェル大聖堂のHP
http://www.cathedralestmichel.be
オルタ美術館のHP
http://www.hortamuseum.be
サンカントネール博物館のHP
http://www.kmkg-mrah.be

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July 18, 2008

ブリュッセル散策(前編)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第23回)

7日目・6月7日(土)[雨時々くもり]

午前6:50起床
午前7:00~7:50朝食
午前8:20ホテルを出てブリュッセル市内散策へ

最高裁判所前→プラール広場展望台→聖ジャン&聖エティエンヌ教会→プチ・サブロン広場→◎ノートルダム・デュ・サブロン教会→グラン・サブロン広場→◎ノートルダム・ド・ラシャペル教会→州庁舎→小便小僧→セラクラースの像→グラン・プラス→◎聖ニコラス教会→証券取引所→◎市立博物館→◎ビール博物館→王立モネ劇場→モネ・センター→黒い塔→◎聖カトリーヌ教会→◎聖ジャン・バプティスト・オ・ベギナージュ教会→地下鉄「サン・カトリーヌ駅」→地下鉄「セントラル駅」→◎国立銀行貨幣博物館→◎サン・ミッシェル大聖堂→コングレ広場→トラム「コングレ駅」→トラム「ジャンソン駅」→◎オルタ美術館→トラム「ジャンソン」→トラム「メロード」→サンカントネール公園→凱旋門→◎サンカントネール博物館→◎EU理事会→地下鉄「シューマン駅」→地下鉄「パーク駅」→トラム「パーク駅」→トラム「ルイーズ駅」→ヒルトンホテル
◎は入場観光

午後6:20ホテル到着
午後7:00~7:20マクドナルドで夕食のハンバーガーを購入
午後7:20~11:00夕食、入浴、資料整理
午後11:00就寝

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本日のツアーの予定では、午前中ブリュッセル観光、午後から自由時間となっていたが、私にとってブリュッセルは2度目なので、前回訪れることが出来なかった所を回るため、1日自由行動にさせてもらった。朝食(写真)を済ませ、午前8:20にホテルを出発。外は小雨が降っており、傘は手放せない。以下、訪れた順にご紹介する。

①「最高裁判所」(写真左 : 広場から・写真右 : リージェンス通りから)
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グレコロマン風の建物で、19世紀最大の建築物だ。1866~1883年にかけて、建築家プラークによって作られた。階段は、建築家ファン・マンスフィールドが創造した青銅の扉に向かい、広さ3,600平方メートルのロビーへと入って行く。建物全体には、20の審問室、245部屋、居住用アパートメント、監房などがある。広大なホールの装飾は、デルヴィーユが手掛けた。ドームは広場からの高さが103mあり、建築家ベノアが建設したもの。このモニュメントの4隅には、正義、慈悲、権力、法を象徴する4つの彫像が飾られているらしいが、霧が出ている上、工事中のため、残念ながら確認することが出来なかった。

②「プラール広場と展望台」(写真左 : 広場・写真右 : 展望台)
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裁判所前のこの広場は、かつて「絞首刑台の丘」と呼ばれ、絞首刑台が置かれていたという。広場の北西側に展望台があり、ここからはブリュッセルの街が見渡せる。

③「プチ・サブロン広場」
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1890年に造られたこの広場の周りには、48本の柱が立ち、その上にはブリュッセルの各種職業を表わしたブロンズ像が載っている(写真左)。この広場の中央には、アルブ公により有罪を言い渡され、首を斬られた、愛国者で殉教者のエグモント侯とオルヌ候の像がある。そしてその周りを、10の立像が取り囲む。これら立像は、16世紀のベルギーで活躍した人々を讃えたものだ(写真右)。

⑤「ノートルダム・デュ・サブロン教会」(写真左)
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石造りのこの建物は、ベルギーで一番美しいゴシックの教会と言われている。1304年に射出組合(ギルド)によって造られ、15世紀にゴシック・フランボワイヤン様式に修復された。伝説によると、1348年にバート・ソトッキンスという女性が、この教会に奇跡の彫像を持ってきたといわれている。ところでこの教会を訪ねたのが、午前9:00前と早い時間ということもあり、私以外には誰もいなかった。内部を拝観していると、奥から男性が出てきた。小声で挨拶し、日本から来た観光客であることを伝えると、少し待てとのこと。何があるのか思ったら、一つの輪にまとめられた十数個の大きな鍵の束を持ってきて、扉を開け、小祭壇を見せてくれた。一つは、石で造られているように見えるのだが、すべて木で造られた祭壇(写真中左)。もう一つは、サン・サクレマンを祭るために造られた祭壇で、こちらはすべて石造り(写真中右)。これらを見せてもらった後、主祭壇に戻ると、高さ15mのステンドグラスが美しく輝いていた(写真右)。

⑤「グラン・サブロン広場」(写真)
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17世紀頃、この広場の周辺は、品の良い貴族的な地区であった。現在は、骨董屋街になっている。広場の中央には、腰掛けたミネルヴァの噴水がある。彫刻家ジャック・ベルジェの作で、エレブリーのロルド・ブルース伯爵が、ブリュッセルに亡命中に受けた親切に対する感謝の気持ちを表明する記念として贈ったものだ。

⑥「ノートルダム・ド・ラシャペル教会」(写真左)
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この教会は、ブラバン公のゴッドフロワらよって建てられた。13世紀に建設された翼廊はロマネスク様式、15世紀に再建された内陣はゴシック様式で、尖塔は16世紀に完成した。ステンドグラスは古いものではないようだが、1890年にブリュージュのドヴァーラによって作られた「聖母被昇天」・「キリスト昇天」など(写真右)、美しいものが多い。またこの教会には多くの有名人が眠っており、良く知られているは1569年に埋葬されたブリューゲル(父)である。

⑦「小便小僧」(写真)
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“ブリュッセルの最長老市民”のキャッチフレーズで、世界的に有名な「小便小僧」は、別名”ジュリアン君”としても親しまれている。この像が造られた由来については、色々あるようだ。一説によると、「ある金持ちの市民が、一人の息子を祭りの日に人ごみの中で見失って5日後、彼をエテューブ通りの角で、このおちびさんが、今でもしている姿でいるところを見つけた」からだとか。また、「一人の男の子が、敵が町に火をつけようとした導火線の火を自分の出来る方法で消し、町を救った」からという説もある。ところでこの像は、世界一の衣装持ちといわれている。現在、貴族、軍隊、民族、カーニバルの衣装の他、数多くの各種職業衣装をあわせて、250着以上。1698年5月に、オランダの総督であるマキシミリアン・エマニュエルよりヴァビエールの選挙候の衣装をもらったことが始まりとの事。これらの衣装は、「王の家」と呼ばれている「市立博物館」で見ることが出来る。

⑧「グラン・プラス」
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ギルドハウスに囲まれた、約110m×70mの方形広場である。「17世紀に建てられた大部分の建物は木造建築であった。1695年、フランスのルイ14世の命令によるヴィルロワ将軍の砲撃で、ほとんどが破壊されてしまう。しかし各同業組合(ギルド)は、集会場として使用する目的で、驚くべき早さで現在の石造りの建物を再建してしまった」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)との事。広場の周囲には、「市庁舎」(写真左)、「王の家」、「ブラバン公爵の館」(写真中)など、素晴らしい建物が並ぶ。広場の西側に建つゴシック・フランボワイヤン様式の建物が「市庁舎」。本日は結婚式が行われており、幸せそうな花婿・花嫁の姿を見ることが出来た(写真右)。

⑨「セラクラースの像」
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グラン・プラスで最も古い建物である「星の家」の下の壁にある。「この像に触れると幸せが訪れる」という言い伝えがあることから、再び訪ねたのだが、残念ながら現在工事中。工事用に張られたパネルの上にプリントされた、「セルクラースの像」の写真しか見ることが出来ない(写真)。ちなみに「セルクラース」は、1388年に暗殺された町の英雄だ。

⑩「市立博物館」(写真左)
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最初の建物は木造で、13世紀に建てられ、パン屋の倉庫として使用された。その後、臨時の監獄として使用されたこともある。1568年6月5日エグモント候とオルヌ候(先に見たとおり、プチ・サブロン広場に像が立っている)がグラン・プラスで処刑される最後の夜を過ごしたのも、この家であった。ブラバン公は、ここに税務のための事務所を置いたので、「公爵の家」と呼ばれたこともあるようだ。フランスによるベルギー征服後、この家は「市民の家」とされたが、外国の総督たちはこの家を王室の職務に使用したので、「王の家」という名称が付けられたが、実際に王様が住んだことはない。砲撃などにより傷んだため、何度も改造され、当初とはかなり違った外見となっていたが、1877~1895年にかけて、ヴィクトール・ジャマーにより、16世紀カール五世の命によって建てられた時のものに忠実に、後期ゴシック様式で再建された。現在は市立博物館として使用されている。先にお話した、「小便小僧」の衣装コレクションは、ここで見ることが出来る(写真中 : 桃太郎・写真右 : 鎧兜)。

⑪ビール博物館(写真左)
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「17世紀にビール醸造者のギルドとして使われていた「黄金の木」と呼ばれる建物の地下が小さな博物館になっている。階段を下りると、そこは18世紀の醸造所。発酵用の桶など、ビールの醸造に使われる色々な道具が置かれている(写真中)。その奥には一転して現代のハイテク装置が並びコンピューターでベルギービールに関する様々なデータが検索できる(写真右)」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)。入館料は5ユーロ(ビール代込み)。ガイドブックの投稿にあったとおり、展示内容には少々ガッカリ。私はアルコールを飲まないため、館内を一巡りした後、ビールは遠慮したので、5ユーロの入館料は非常に高いものとなった。

⑫「証券取引所」(写真)
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グラン・プラスの北西、約100mの所に位置するこの建物は、建築家スュイのプランにより造られたもので、新古典様式。6本のコリント式柱頭の上にある破風部分には、ベルギーが工業と商業を保護していることを象徴した薄肉彫り装飾がなされている。中央の部屋は、43mと37mの十字架の形をしており、28本の柱が丸屋根を支え構造だ。

⑬「聖ニコラス教会」(写真左)
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この教会は、商人の守護神に捧げられたもので、11~12世紀頃建てられた。その後何度も破壊、再建、修復が行われ、1954年に現在の姿をみせた。内陣は1381年、そして聖処女礼拝所は1480年に作られた。主祭壇は、ヴァン・ヘルモントの「カナンの人を治すイエス」の絵で飾られている(写真右)。

(ご参考)
・ 当ブログ・平成19年4月29日付「これが本物の小便小僧だ!」(オランダ・ベルギーの旅第9回)
・ 当ブログ・平成19年4月30日付「いよいよ最終日になってしまった」(オランダ・ベルギーの旅第10回)

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・るるぶ情報版「オランダ・ベルギー07~08」(小川由美子編)[JTBパブリッシング刊]
・ 「ブリュッセル(日本語版)」(THILL S.A.編)

グラン・プラスのHP
http://whc.unesco.org/pg.cfm?cid=31&id_site=857
小便小僧のHP
http://www.manneken-pis.com/intro.html
ビール博物館のHP
http://www.beerparadise.be


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July 16, 2008

アルデンヌの古城めぐり3(アンヌヴォア城)とジャンネケ・ピス

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第22回)

「モダーヴ城」の次は「アンヌヴォア城」である。この庭園は、18世紀にジャルル=アレクシ・モンペリエによって考案・整備され、2000年までその一族が管理してきた。時代の流れとともに、庭園にも各時代の流行に合わせ絶え間ない改修が施されたことから、次の3つの様式を見ることが出来るという。

①「フランス様式」
スローガンはシンメトリー(左右対称)。この様式は、曲線やうねりを避け、奥行きのある荘厳な眺望を作り出している。
②「イタリア様式」
この様式は、多様性や対比、偶然の効果を前面に打ち出す。
③「イギリス様式」
この様式は、自然の効果を人工的に創り出すことを追求したジャン=ジャック・ルソーや、英国ロマン主義に見られる、自然への回帰運動に準拠している。

そしてこの庭園は、①4つの水源、②28haの庭園、③50の噴水、④樹齢200年の樹木、⑤250年間絶え間なく流れ続ける水などを有する事から、ワロン地区の重要文化財に指定されている。

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我々は受付のある管理棟を通り、庭園に出た。ここではツアーから離れ、一人で見学することにした。最初は、管理棟の正面にある、左右対称が美しい庭だ(写真左)。受付でもらった「見学案内図」の解説によると、「花壇は1952年に整備されました。これも、庭園芸術の分野における趣向の変化の影響を受けています。今日では花自体が最も重要な要素となっていますが、18世紀には事情が違いました。当時は、建築学的要素(眺望、きれいに刈り込まれた植え込み、色の付いた砂利でかたどられた花壇など)に、より大きな比重が置かれていました」との事。振り返ると、池と石造りの建物が見える(写真右)。「アンヌヴォワ庭園宿舎」で、団体客が泊まることが出来るらしい。池には黒鳥が泳いでいる。

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次は、南側にある水路だ(写真)。「城から突き出る形をした大水路は、庭園の噴水のための貯水池として機能しており、管で繋がれた器の原理によって水圧を供給しています。ルイヨン谷の斜面の反対側にあるフォントニー水源の水が使われています。断面が1.6mの水道管は、谷を迂回し、大水路のレベルまで緩やかな勾配で水を導き下ろすために敷かれました。高さ約10mの堤防は、土地の起伏が異常に厳しかった時期に造られたもの」(前出「見学案内書」より)だという。

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続いて、17~18世紀のイタリア、フランス、イギリス庭園を飾る模造洞窟の典型である「海神ネプトゥヌスの岩」(写真左)。そして「鏡池」(写真中左)、「トリトン噴水」(写真中右)、1760年の建立以来機械に頼ることなく機能し続け、今も完璧な状態を保っているという「水棚」(写真右)を見る。その向かい側には「城」(写真下)がある。「城の周辺には、直線による奥行きのある荘厳な眺望が広がっています。いくつもの工程を経て完成したこの建造物は、当初ハロワ家が所有していましたが、1696年にジャン・ド・モンペリエの所有物となりました。城全体が、ルイヨン谷に沿って緩やかなカーブを描いていることが分かる」(前出「見学案内書」より)との事。

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その後、シャルル=アレクシによる最初の作品であり、厳密なシンメトリーへの配慮がなされた、フランス古典主義の典型である「フランス式滝」(写真左)、大水路の水を7m以上の高さまで噴き上げる「直上噴水」(写真中)などを見て、管理棟に戻った。管理棟の2Fからの眺めもなかなか良い(写真右)。午後4:45分、庭園の見学は終了。これで「アルデンヌの古城めぐり」は終わりだ。我々の乗ったバスは、最終目的地であるブリュッセルに向かって走り出した。

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雨の中を走ること約1時間半、ようやくブリュッセルに到着した。ご存知のとおり、ブリュッセルはベルギーの首都であり、ブラバン州の州都でもある。現在はEUやNATOなどの国際機関の本部が置かれ、欧州の中心都市として機能する一方、美食の街としても知られている。バスはブリュッセル中央駅の東側に停車。我々はバスを降り、夕食会場のレストランに向かって歩き始めた。傘は必用だが、雨は小降りになってきた。グランプラスの市庁舎の塔を目印に、7~8分歩くと、「ギャルリー・サン・チュベール」が見えた(写真左)。レストランはブッシェ通りに面しているのでもうすぐである。午後7:00、夕食時なので、お客で賑わっている。また軒を並べるレストランの客引きも凄い。気が付くと、目的地であるレストラン「Chez LEON」の前に来ていた(写真中)。店内は混雑している(写真右)。我々の席は2Fに準備されていた。私は、このレストランの裏にある「ジャンネケ・ピス」を見るため、外に出た。前回ブリュッセルに来た際、「ジャンネケ・ピス」の存在を知らず、見ていなかったのだ。せっかくすぐ近くまで来ているのに、今日見ないのは時間が勿体ないと思い、食事が出される前に見に行くことにしたのである。

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「ジャンネケ・ピス」は「1987年に突然お目見えした新名所。小便小僧の妹版というべき、女の子が小便している像」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)である。第一印象は、「こんな路地の奥にあり、しかも鉄格子の中に入れられている。マネケン・ピス(小便小僧)と比べて可哀想」というもの。マネケンはオープンな場所に立ち、衣装も身に付けている。しかも「ジュリアン君」という名前まである。一方ジャンネケは鉄格子の中で、しかも裸(写真左・中左 : ジャンネケ・ピス、写真中右・右 : マネケン・ピス)。パロディで作られたとはいうものの、もう少し待遇を改善してあげても良いのではないだろうか。しかし、それでも訪れる人が絶えなかったのは、人気がある証拠か。写真を数枚撮り、レストランに戻った。

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席に付くと、すぐに食事が運ばれてきた。本日のメニューはつぎの通り。
・ 「野菜スープ」(写真)
・ 「ムール貝白ワイン風味」(写真)
・ 「カラメルプリン」(写真)
貝類を好んで食べない私だが、今回のムール貝は非常に美味しかったので、一つ残らず頂いた。さすが美食の街?

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午後8:30頃食事を終え、バスに戻り、そこから10分ほどで、本日宿泊するヒルトン・ブリュッセルに到着した。部屋には午後9:00頃に入る(写真)。その後、入浴、資料と荷物の整理をして、午後10:30頃寝ることにした。

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・るるぶ情報版「オランダ・ベルギー07~08」(小川由美子編)[JTBパブリッシング刊]

アンヌヴォワ城のHP
http://www.jardins.dannevoie.be
レストラン「Chez LEON」のHP
http://www.chezleon.be
ヒルトンホテルのHP
http://www.hilton.com

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July 15, 2008

アルデンヌの古城めぐり2(モダーヴ城・アンヌヴォア城)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第21回)

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デュルビュイの街で昼食を済ませ、霧で見通しの悪い道路を走り、約20分で「モダーヴ城」前の広場に到着した(写真左)。この城は、オユー川沿いの岩山の山頂に建つ。大司教の居住用として13世紀頃に造られたが、現在見られるのは、17世紀にジャン・ガスパール・フェルディナン・マルシャン伯爵によって再建されたものだ。代々ヨーロッパ有数の貴族や大司教が居城として使っていたので、各室は豪華な調度で飾られている。正面の木戸を潜ると(写真中)、円形の噴水、そしてその奥が「モダーヴ城」だ(写真右)。

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堀にかかる石橋(写真)を渡って中に入ると、各自に音声ガイドが手渡された。これを聞きながら、場内を自由に見ることが出来るのである。私は最初にすべての部屋の写真を撮り、その後音声ガイドを聞きながら、もう一度すべての部屋を回ることにした。その中から、主だった部屋をご紹介する。なお解説は、概ね「Chateau de Modave」と「音声ガイド」による。

Ⅰ.「謁見の間」(写真 : モダーヴ城のHPより)
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この部屋は17世紀にマルシャン伯爵を称える為、一般的な謁見の間として造られた。天井のスタッコは五代32貴族の家系図で、J.C.ハンシュの作。騎士たちの丸彫りと約135㎡もあるこの作品は、この種のものとしてはユニークである。

Ⅱ.ヘラクレスのアパルトマン
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このアパルトマンの名前は、ヘラクレスの青春時代と生涯、その苦役を表わした高浮彫りに由来する。これは、北オランダの職人ジャン・クリスチャン・ハンシュが1667年に完成したもの。このアパルトマンは以下の三つのサロンから成っている。
①「青いサロン」
②「ゴブランの間」(写真左: モダーヴ城のHP)
③「ヘラクレスのサロン」(写真右: モダーヴ城のHP)

Ⅲ.モンモランシー公爵のアパルトマン
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南向きで谷を見下ろすテラス(写真左)があるため、城の主が特に好んだアパルトマンで、モンモランシー公爵の前には、マルシャン伯爵夫人、ド・フルステンベルグ枢機卿、ド・ヴィル男爵もこの部屋を選んだと言う。ここには以下の4部屋がある。
①「家族のサロン」(写真: モダーヴ城のHP中左)
②「寝室」(写真: モダーヴ城のHP中右)
③「キャビネット」(写真: モダーヴ城のHP右)
④「愛人の寝室」

Ⅳ. ルイ15世風サロン(写真: モダーヴ城のHP)
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「控えの間」ではないかと考えられている。前世紀には喫煙室または書斎で、城主とその客のみが使っていた。胡桃材の節目が彩りを加えている繊細な彫刻と金張りの装飾は、リエージュの工芸家の作品である。

ⅴ.ルイ14世風のサロン(写真左: モダーヴ城のHP)
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マルシャン伯爵が望んだギャラリーには四つの梁間があって、北側は四季のアパルトマンに、南側はマルシャン伯爵のアパルトマンに通じていた。しかし19世紀にこのギャラリーは一つの梁間を失い、ビリヤード室になった。現在の名前は、元々はヘラクレスのサロンのために作られたルイ14世風家具に由来する。壁にある二つのオーデナルド製タペストリー(写真右: モダーヴ城のHP)は、16世紀初期のもので、アフリカのスピキオと呼ばれる人物の挿話が描かれている。また壁の肖像画は「ド・ヴィル男爵」。

Ⅵ.図書室(写真: モダーヴ城のHP)
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元来は単なる廊下であったものを、19世紀に公爵夫人の部屋に通じるドアの両脇に、城の図書を整理するため、二つの大きな樫の戸棚を置いて図書室にした。

Ⅶ.チャペル(写真: モダーヴ城のHP)
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ジル・アントワーヌ・ラマルシュの依頼で作られた礼拝堂。これは個人所有のチャペルとしては珍しい、ネオクラシック造り。4人の福音伝道者(ヨハネ、ルカ、マタイ、マルコ)は、モダーヴ教会の中にあるジャン・ド・マルシャンの霊廟を作ったルカ・フェデルブの作と見なされている。

Ⅷ.モダーヴの水汲み上げ機(写真: モダーヴ城のHP)
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城の50m下を流れるホイユー川から、水を汲み上げるために作られた機械。

午後2:45、約1時間の見学を終えてバスに戻り、次に観光する「アンヌヴォア城」に向かった。

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・ 「Chateau de Modave」〔THILL-S.A.編〕

モダーヴ城のHP
http://www.modave-castle.be


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July 14, 2008

アルデンヌの古城めぐり(ヴェーヴ城・デュルビュイ)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第20回)

6日目・6月6日(金)[雨時々くもり]

午前6:00起床
午前6:30ルクセンブルク駅構内散策
午前7:15~7:50朝食
午前8:30バスでホテルを出発
午前8:52ベルギーに入る
午前9:35エニシダの花で、道路の両脇が黄色に染まる。霧が濃くなり視界が悪くなる。
午前9:50~10:05「Wanlin」でトイレ休憩
午前10:26~10:32ウェーブ城写真撮影
午前11:15~12:00デュルビュイ到着・散策
午前12:00~午後1:15レストラン「La Parc」で昼食
午後1:21バスでモダーブ城に向け出発
午後1:40~2:45モダーブ城見学
午後3:45~4:45アンヌヴォア城庭園散策
午後4:47バス乗車
午後4:54バスでブリュッセルに向け出発
午後6:40ブリュッセルに到着、バス下車、徒歩でレストランへ
午後7:00~8:30レストラン「Chez LEON」で夕食、レストランに入る前に「小便少女」像を見る
午後8:30~8:40レストランからバスでホテルへ
午後8:40ホテル「ヒルトン・ブリュッセル」到着
午後9:00部屋に入る
午後9:00~10:30入浴・資料整理
午後10:30就寝

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午前6:00に目覚めたので、もう一度旧市街まで出かけようかと思ったのだが、外は雨。しかも本日の出発時間は午前8:30と、いつもより少し早かったので、ルクセンブルク中央駅(写真左)にだけいくことにした。朝が早かったこともあるだろうが、駅構内を見ると乗客は少ない(写真中)。昨日はここだけで済ませたが、今日はホームにまで足を伸ばした。わが国と異なり、ヨーロッパの鉄道は入場券なしでもホームに入れるのが良い。鉄道ファンにとっては、何時間でも楽しめる場所なのではないだろうか。ホームの様子は日本と変わらないが、列車は外国の雰囲気を感じさせてくれる(写真右)。暫く出入りする列車を眺め、写真を撮って楽しんだ後、駅構内の本屋に立ち寄り、ホテルに戻った。朝食を済ませ、午前8:35分にバスでベルギーに向かった。

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本日は「アルデンヌ地方」の古城めぐりである。相変わらずの雨。視界は悪い。午前8:52、国境の旧検問所(写真左)を通り過ぎ、ベルギーに入った。そのままバスは高速道路を走る。暫くすると、道路の脇には、黄色に咲くエニシダ(写真中左)や牛などが見える。さらに進むと、急に霧が濃くなり、見通しが一段と悪くなった(写真中右)。午前9:50、「Wanlin」でトイレ休憩を取る(写真右)。ここでツアーメンバーの1人の女性が、滑って転んだ。暫くうつ伏せになったまま動かないので、骨折でもしたのではないかと心配したが、無事に立ち上がってくれ、ホッとした。休憩所の中は、ガラス張りの明るい建物(写真下)。インフォメーションセンターがあったので、地図などをもらうことが出来た。15分ほどの休憩の後、再び「アルデンヌ地方」を目指し、バスは走り出した。「アルデンヌ」とは「森」の意味で、9月末から10月には狩場になっていたという。この地域は、北海に抜けるための重要な場所だったので、100を越える古城が点在しているとの事。シェークスピアの「真夏の夜の夢」の舞台にもなっている。また、この地域はワイン造りに適していないため、ビール醸造に力を入れていたことから、「トラピスト」や「アヴェイ」などの修道院ビールが有名なのだ。ちなみに、ベルギーのビールは、ほとんどが瓶ビールだという。ベルギー人が、缶ビールを受け入れなかったからだとか。

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午前10:30頃、最初の目的地である「ヴェーヴ城」に到着(写真)。このあたりは、「ファーフォーズ国立公園」の一角で、このお城のある周囲は「ボンハー伯爵領」だ。現在も住み続けているようだが、一部は博物館になっているとの事。18世紀の調度類で飾られた部屋や刀剣類のコレクションも見ることが出来るという。今回は、残念ながら中には入らない。外から見るだけである。

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次に向かったのは、「デュルビュイ」の街だ。「ヴェーヴ城」から、30分ほどで到着。ここにあるレストランで昼食の予定だが、予約時間まで45分ほどあったので、その間自由行動になる。インフォメーションセンター(写真左)でもらった地図を頼りに、街の散策を始めた。「定期市広場」から「Ursel伯通り」を北に歩き、「Liege橋」を渡ると、大きなお城の全景が見えた(写真中左)。もらった地図に書かれていなかったので、何という名前のお城かは不明だが、個人所有のものらしい。橋を戻ると、左手に教会があった(写真中右)。中に入ってみると、現代風の教会である(写真右)。次は街の中心部。「世界で一番小さな町」といわれるだけのことはあり、コンパクトにまとまった街だ。「石畳の小道、石造りのかわいらしい家々、窓辺を飾る色とりどりの花・・・・・・絵本の世界から抜け出したような町並み」(地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」より)である(写真下左・下中)。街を一周して戻ってくると、ちょうど午後12:00になろうとしていたので、昼食会場のレストラン「Le Parc」に入る(写真下右)。ツアーの人達は、既に席に付いていた。

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メニューはつぎの通り。
・ 前菜「アルデンヌ・ハムのサラダ」(写真左)
・ メイン「鮎の塩焼き」(写真中)
・ デザート「ケーキ」(写真右)

約1時間15分で昼食終え、次の目的地である「モダーブ城」に向け、バスで出発した。

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)

ヴェーヴ城のHP
http://www.chateau-de-veves.be
デュルビュイ観光案内書のHP
http://www.durbuyinfo.be
レストラン「Le Parc」のHP
http://www.leparc-durbuy.be

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July 13, 2008

ルクセンブルク旧市街散策(後編)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第19回)

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次に訪れたのは、「国立歴史・美術博物館」である(写真左)。ここでは、ルクセンブルクの歴史と美術の両方を知ることが出来る。美術については、絵画や彫刻、タペストリーなどが展示されていた。印象に残ったものとしては、古代ギリシャの赤絵式や黒絵式で魚が描かれた壺と一緒に展示されていた、ホルマリン漬けの魚を挙げることが出来る。描かれている魚の実物を見れるようにしているのだが、これまでにこのような展示を見たことがなかったので、非常に印象的であった。歴史に関しては、先史時代から中世に至るまでの品々が、テーマ毎に並べられている。中でも予想外で嬉しかったのは、貨幣コレクションがあったことである(写真中)。古代ギリシャ、ローマ、ビザンチンなどの発掘されたコイン(写真右)や中世から現代までのコインが多数展示されていた。「国立銀行貨幣博物館」と合わせてみれば、ルクセンブルクにおいて使われていたコインを一通り見ることが出来る。ちなみにこれらは、「+1階」(日本では2階)に展示されていた。

ところで、入館料は5ユーロなのだが、受付でチケットを購入する際、10ユーロでお釣りをもらうことにした。受付の男性に、ルクセンブルクのデザインのユーロコインでお釣りが欲しい旨伝えると、面倒がらずにレジからコインを出し、1枚1枚見て選び、全種類を揃えてくれた。銀行での両替に失敗し、どこでゲットしようか考えていたところだったので、嬉しい気持ちがこみ上げてきた。受付の男性に、この気持ちを伝え、お礼を言うと、彼も非常に喜んでくれた。

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約1時間見学し、午後5:30頃博物館を出た。外は雨が強く降っていたが、「トリアー門」を確認したかったので、もう一度「ボック」に戻った。先程「トリアー門」だと思っていた壁はただの防壁で、「トリアー門」はその南側にあることが分かった(写真左)。塔の下が門になっているのだ。ここを通る道が、ドイツのトリアーに続いていたことから、「トリアー門」と呼ばれるようになったという。サントル(旧市街)から見ると、深い谷が堀の役目を果たすので、十分な防御になるのだが、低地のグルントに谷町が出来ていたことから、これらを守るため、「トリアー門」とそれに続く城壁が造られたようだ。再び眺めを楽しんだ後、ホテルに戻ることにした。雨が一段と強く降る中、「ギョーム広場」→「憲法広場」→「アドルフ橋」→「国立銀行貨幣博物館」と来た道を歩く。来る時には気がつかなかったのだが、ホテルに向かう途中に、世界的に有名な製鉄会社「アルセロール・ミタル社」の本社建物がある(写真中)。その向かいには、「マルティリス広場」だ(写真右)。街中ウロウロしたこともあり、街の地図が頭の中にインプットされていたので、迷うことなくホテルに戻ることが出来た。

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午後6:30頃、ホテルに到着。部屋で濡れたズボンなどを乾かし、午後7:00からの夕食に間に合うように部屋を出た。夕食会場は、ホテルのレストランだ。メニューは、次の通り。
・ 前菜(ベーコンサラダ・写真左)
・ メイン(ローストポーク・写真中)
・ デザート(アップルパイ・写真右)

約1時間半、食事を楽しみ、午後8:30頃部屋に戻る。本日もよく歩き、少々疲れていたので、資料整理と入浴を済ませ、午後10:00頃ベッドに入った。

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・ 旅名人ブックス「ルクセンブルク」(沖島博美著)[旅名人編集室編]
・ 週間世界遺産NO.71「ベネルクス3国」[講談社編・刊]
・ 「City of LUXEMBOURG」(Guy Binsfeld編)[Tourist Guide刊]

ルクセンブルク市シティツーリストのHP
http://www.lcto.lu/
ルクセンブルク観光案内のHP
http://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/luxembourg/
国立歴史・美術博物館のHP
http://www.mnha.public.lu/
国立歴史・美術博物館(コイン)のHP
http://www.mnha.public.lu/collections/cabinet_medailles/monnaies_celtiques_romaines/index.html
メルキュール・グランド・ホテル・アルファのHP
http://www.mercure.com
http://www.accorhotels.com

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July 12, 2008

ルクセンブルク旧市街散策(前編)

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第18回)

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「ルクセンブルク中央銀行」のショップを出た後、「憲法広場」に向かった。ここには、先程「アドルフ橋」から見えた「黄金の女神像(ゲレ・フラ)」(写真左)が立っている。これは第一次世界大戦の戦没者慰霊碑で、第二次世界大戦中ナチスによって破壊されたが、1985年、2つの戦争犠牲者のために再建された。40mのポールの上に立つ女神は、月桂樹の冠を掲げている(写真中左)。ここからの眺めもよい。先程とは逆に、橋と国立銀行が見える(写真中右)。私は、ここからグルント地区を巡る観光用の「ミニ・トレイン」(写真右)に乗ることにした。ルクセンブルク市は現在、概ねサントル(旧市街)、ガレ(中央駅地区)、グルント(谷地区)、キルシュベルクの丘の4地区からなる。サントル地区は平地なので歩いて回わっても苦にならないが、グルント地区は谷にあるので、坂道も多く、歩くには辛いと思ったので、「ミニ・トレイン」を利用する事にしたのである。

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乗車券は8.5ユーロ。広場の隅に置かれた車で販売している(写真)。「ミニ・トレイン」の発車まで30分ほどあったので、チケットを購入した後、列車の座席に座ってノンビリしようと思っていたのだが、先に乗っていた外国人のおばあさんが、突然、自分の食べたヨーグルトの空箱をゴミ入れに捨ててきてほしいと、私にゴミを差し出した。ゴミ箱がどこにあるのか分からないし、足が悪いので歩き回れないとの事。内心、「何だ!こいつは。日本人をなめているのか」と思いながらも、顔を見ているとかわいそうになったので、ゴミを受け取り、ゴミを捨てに行った。雨に濡れながらゴミ捨てから戻ると、今度は寒いので列車の窓をすべて閉めてほしいとの事。「いい加減にしろ!」と思いながらも、日本人は不親切だと思われたくなかったので、言われるとおりに窓を閉めてあげた。すると、カバンからクロワツサンを取り出し、食べろという。明らかに、ホテルの朝食バイキングからもってきたパンである。先程のヨーグルトも同じだろう。断ったのだが、どうしても受け取れとの事。お礼のつもりなのだろうか? 何人かと思い尋ねると、イングランドであった。イギリス人はこんな年寄りばかりなのだろうか。

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やっとノンビリできると思っていたら、今度は幼稚園児の団体がやって来た。20人ぐらいだろうか。すると、係りの人から「同じ席に座らせたいので、別の座席に移ってほしい」との依頼だ。仕方ないので後ろの座席に移動する。先程のおばあさんも一緒である。子供たちが乗り込んでくると、すぐに窓を開け始めた。おばあさんは何も言わずに座っている。待ち時間の間に地図やガイドブックを見ようと思っていたのだが、おばあさんに翻弄され、予定は全く狂ってしまった(写真 : 車内の様子・前の座席に座る赤い髪の人が、イギリス人のおばあさん)。

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午後1:40頃、「ミニ・トレイン」は出発。トレインは「アドルフ橋」の前を通り過ぎ、「マリア・テレーズ通り」から左脇の道に入り、坂を下った。すぐに「アドルフ橋」の下を潜る(写真左)。真っ直ぐ進むと「ヴィヤドック・パッセージュ橋」(写真中左)が見え、その下を通り抜けると、左手上に「聖霊の高台」だ(写真中右)。そして次は有名な「ボック」。この断崖絶壁には巨大な要塞があり、穴の空いた所には大砲が備え付けられていた。これが「ボックの砲台」である(写真右)。ボックの橋を潜り、1kmほど進むと、「シャルロット橋」と「ヴァウバン塔」が見えた(写真下左)。グルント地区の北端になる。ここでUターンし、来た道を戻る。今度は反対側の景色を見ることが出来る。先程は絶壁が多かったが、今度は眺めの良い景色だ。「ボック」の対面に「聖ジーン洗礼堂」(写真下中左)が見える。もとはベネディクト会修道院だった建物で、1984年まで刑務所として使われ、1995年からは芸術・文化センターになっている。隣には「国立自然史博物館」(写真下中右)だ。再び「ヴィヤドック・パッセージュ橋」の下を通ると、対面から別の「観光トレイン」がやって来た。乗車している子供たちは大喜び。車内は歓声で溢れた(写真下右)。約1時間でグルント地区を一周し、午後2:40、「憲法広場」に戻った。ここでもう一度「黄金の女神像(ゲレ・フラ)」の写真を撮り、すぐ東にある「ノートルダム大聖堂」に向かった。

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「ノートルダム大聖堂」(写真左)は、1613年に建てられたイエズス会の教会で、1935~38年に再建された。ゴシック様式の尖塔(写真中左)と、ルネツサンス様式の扉口(写真中右)に特徴がある。現在も国の重要儀式が執り行われる聖堂で、先代大公ジャンとベルギーの王女ジョセフィーヌ・シャルロットの婚礼もここで行われたという。大聖堂内部は主として後期ゴシック様式で、高さの等しい3つの外陣からなる(写真右)。また祭壇背後のステンドグラスには、十字架に架けられたキリスト像が描かれている(写真下)。

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次は「大聖堂」の北東側にある「大公宮殿」だ(写真左)。1574年に、市庁舎として建設された。1895年から「大公宮殿」となり、現在は迎賓館、大公執務室として利用されている。宮殿の前には、衛兵がいる(写真中)。午前10:00から2時間ごとに、1日5回、衛兵の交代式が行われるようだ。宮殿の南には「商工会議所」が並んで建っている(写真右)。

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続いて「ギョーム広場」だ(写真左)。広場の中央には、「ギョーム2世の騎馬像」(写真右)が立っている。ここで「S-BANK」というディスプレイを見つけたので、ルクセンブルクのユーロコインに両替するため中に入った。比較的空いていたので、すぐに私の順番になった。ハイカウンターで、ルクセンブルクのユーロコイン全種類を集めたいので両替したい旨伝えるが、「NO」の返事。先程訪れた「ルクセンブルク中央銀行」のショップに行くようにとの事であった。多くの観光客がこのような要件で訪れるのではないだろうか。手間がかかる上、儲からないのだから、このような要求に応じないのも仕方がない。

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「ギョーム広場」には、「市庁舎」(写真左)と「インフォメーションセンター」があったので、それぞれを訪れ、その後「ボック」に向かって歩いた。しかし、暫く歩いても「ボック」は見えてこない。どうやら道に迷ったようである。バスを待っている男性に、地図を見せて現在位置を確認すると、全く違う場所にいることが分かった。東に進むつもりが、北に進んでいたのである。そばの建物は、「聖アルフォンス教会」(写真中左)だったのだ。一度「ギョーム広場」に戻り、今度は東に向かった。300mほど歩くと、「ボック」が見えてきた。先程は「ミニ・トレイン」でグルント地区から見上げた「ボック」。今度は下に見えるのだ。「ボックの砲台」(写真中右)までやってくると、ツアーの人達と出会った。添乗員、ガイドも一緒である。ガイドと握手を交わし、再び別れた。砲台からの眺めは素晴らしい。お天気が良ければと思うと、少々残念ではあったが、先ほど一回りしたグルント地区の全体像を把握するのには、何の問題もない。北には「シャルロット橋」と「ヴァウバン塔」(写真右)、南には「聖ジーン洗礼堂」(写真下左)と「トリアー門」(写真下中)が、また砲台の奥からは、「ボック」に架かる橋が見える(写真下右)。

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暫く景色を楽しんだ後、「ボック」の北西にある「3つの塔門」(写真左)に向かった。「塔門」は扉が閉まっており中に入ることが出来なかったので、写真だけ撮り、近くにある「サン・ミッシェル教会」(写真中左)に立ち寄った。この教会は、987年創建の市内で最も古い聖堂で、破壊と再建が繰り返されているため、ロマネスク、ゴシック、バロック様式が混在している(写真中右)。教会の入り口横には、龍を退治する「大天使ミシェルの像」が立つ(写真右)。5~6分拝観し、その後「国立歴史・美術博物館」に向かった。

(参考文献)
・地球の歩き方「オランダ・ベルギー・ルクセンブルク07~08」(地球の歩き方編集部編・刊)
・ 旅名人ブックス「ルクセンブルク」(沖島博美著)[旅名人編集室編]
・ 週間世界遺産NO.71「ベネルクス3国」[講談社編・刊]
・ 「City of LUXEMBOURG」(Guy Binsfeld編)[Tourist Guide刊]


ルクセンブルク市シティツーリストのHP
http://www.lcto.lu/
ルクセンブルク観光案内のHP
http://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/luxembourg/
国立歴史・美術博物館のHP
http://www.mnha.public.lu/
ノートルダム寺院のHP
http://www.cathedrale.lu/
ボックの砲台のHP
http://www.lcto.lu/html_en/conferences/venues/casemates.html


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July 04, 2008

ルクセンブルク国立銀行貨幣博物館

スイス・フランス・ルクセンブルク・ベルギーの旅(第16回)
貨幣ぶらり旅(第135回)

5日目・6月5日(木)[雨時々くもり]

午前6:00起床
午前6:30朝食
午前7:15部屋に戻る
午前9:00バスでルクセンブルクに向かう
午前9:22高速道路の料金所を通過
午前10:10高速道路の料金所を通過
午前10:25~10:40「SANEF」でトイレ休憩
午前11:05ライン川をわたる
午前11:29ルクセンブルクに入る
午前11:50「メルキュール・グランド・ホテル・アルファ」に到着
午前11:55ツアーを離団し、単独行動する

ホテル→ルクセンブルク中央駅インフォメーションセンター→リベルデ通り→ルクセンブルク国立銀行貨幣博物館→アドルフ橋→ルクセンブルク中央銀行貨幣コーナー→憲法広場→ミニトレインでグルントを往復→ノートルダム寺院→大公宮→ギョーム広場→市庁舎→インフォメーションセンター→ボック→3つの塔の門→聖ミッシェル教会→ボック(トリアー門確認のため)→国立歴史・美術博物館→ギョーム広場→憲法広場→アドルフ橋→ホテル

午後6:30頃ホテルに到着
午後7:00~8:30ホテルのレストランで夕食
午後8:30~10::00入浴・資料整理
午後10:00就寝


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午前6:00に目覚め、午前6:30に朝食会場に行く(写真)。レストランの入り口で、係りの人から「きゅうにん?」と問われたので、ツアーメンバーの総人数だと思い、「違います。18人です」と応えたのだが、どうも話がかみ合っていない様子。「午前6:30から朝食と聞いている」と言うと、「OK」との事。指定された席に付いて、バイキング形式の朝食を頂く。先程の質問が気になったので考えていると、「きゅうにん」ではなく「キォニィ(クオーニー)」といっていたことに気が付いた。「クオーニー」というのは、我々のグループ名だったのだ。レストラン側は朝食の時間帯を団体客毎に割り振っていたので、そのグループ名を尋ねていたのである。日本の旅行代理店の名前ではなかったため、私は勘違いしてしまったのだ。現地の人が日本語で「9人」と聞くわけが無いのにと思うと、1人で笑ってしまった。

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外は雨だったので、食後は部屋でノンビリし、午前9:00にバスに乗り、本日の目的地ルクセンブルクに向かって出発した。途中のトイレ休憩を含め約2時間半で、ルクセンブルクに入国。さらに20分ほど走り、ルクセンブルク駅前にある、本日宿泊する「メルキュール・グランド・ホテル・アルファ」に到着した(写真)。スケジュールによると、ホテルで昼食を取った後、ルクセンブルク旧市街観光に出掛ける予定になっていたが、私は昼食を放棄し、夕食の時間まで単独行動することにした。

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ホテルを出て最初に向かったのは、「ルクセンブルク中央駅」だ(写真左)。構内の天井は高く、そこには世界地図をデフォルメしたような絵が描かれていた(写真中)。構内にある「インフォメーションセンター」で地図などをもらい、楽しみにしていた「ルクセンブルク国立銀行貨幣博物館」(写真右)に向かった。貨幣博物館は、旧市街につながる「アドルフ橋」の手前、駅から北へ7~800mぐらいのところにある。徒歩15分ほどで到着した。

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正面の扉を開けて中に入ると、すぐに受付があり、すぐ左の部屋に貨幣が展示されている(写真左)。部屋に入ってディスプレイを見ると、フランス語の解説だ。これまで回った国の貨幣博物館でも同じだったのだが、解説文はその国での使用言語だけで書かれていることが多い。他国の観光客が訪れることが少ないからなのか。せめて英語の解説が付いていると良いのだが、ないものは仕方が無い。貨幣のコーナーでは、ルクセンブルクの歴史順にコインが並べられている。隣のコーナーには紙幣が展示され(写真中左)、その奥の三角錐のガラスケースでは、コインとメダル、刻印を見ることが出来る(写真中右)。次の部屋に進むと、金庫の扉がある(写真右)。それほど大きくは無いが、非常に重そうな感じだ。その奥には、かつての銀行の窓口(写真右下)と、現在の銀行の窓口(写真下左)が再現されていた。元の部屋に戻り、出口近くに進むと、透明なアクリル板にユーロが掲示されている(写真下右)。展示されているコインや紙幣の総枚数は、それほど多くない。ヨーロッパの小国の場合、歴史の始まりをどこに置くかは難しいので、ドイツやフランスなどの大国の貨幣博物館に比べ、規模が小さくなるのは已を得ないであろう。

ルクセンブルク国立銀行のHP
http://www.becc.lu/en/
ルクセンブルク国立銀行貨幣博物館のHP
http://www.bcee.lu/en/decouvrir_la_bcee/decouvrir_la_bcee/le_musee_de_la_banque
http://www.aluxembourgattraction.com/luxembourg-attractions/bank-museum.htm

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