May 09, 2009

パリから関空へ

ロンドン・パリの旅(第26回・最終回)

今日で、ロンドン・パリの旅も終りである。ロンドンでは寒く雨の日もあったが、パリに来てからは天候にも恵まれ、穏やかな気候の中で観光することが出来た。ツアーに組み込まれていた「ストーンヘンジ」や「モン・サン・ミツシェル」には行かず、ロンドン・パリの街を自由に歩き回った今回の旅。自分の行きたい所へ行き、見たいものを見ることが出来たので、これ以上楽しい旅は無かった。唯一難点と言えば、成田経由で帰らなければならず、その成田で4時間ほど待たなければならなかったことだ。JALの不採算路線閉鎖の影響で、「関空―ロンドン」便がなくなったためである。ヨーロッパの空港で待たされるのは、諦められるのだが、日本国内で待たされるのは我慢が出来ない。どこで待っても変わりはないのだろうが、私の気持ちの中では大いに異なる。不思議だ。

第六日目 [3月31日(火)]
・午前7:00 : 起床
・午前7:40 : 朝食
・午前10:00 : ホテル出発
・午前10:30頃 : 「シャルル・ド・ゴール空港(CDG)」に到着
・午前11:00 : チェック・イン手続き終了
・午前11:45 : セキュリティ・チェックを受ける
・午前11:55~12:10 : 空港内のお店を見ながら搭乗口まで歩く
・午後12:15~1:30 : 搭乗口「A37」で待つ
・午後1:30 : 搭乗
・午後1:50~2:55 : パリ→ロンドン飛行
・午後2:00~3:00(ロンドン時間) : バス等で空港内移動、セキュリティ・チェックを受ける
・午後3:00~3:50 : ラウンジで待つ
・午後4:00 : 搭乗口「27」から塔乗
・午後4:35離陸

最終日[4月1日(水)]
・午後12:00過ぎ(日本時間) : 成田空港に到着
・午後12:30~4:00 : ラウンジで待つ
・午後4:35 : 成田を出発
・午後6:00 : 関空に到着


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本日は帰国の日。朝早くから観光するつもりもなかったので、午前7:00頃、ゆっくり目覚める。午前7:40頃、朝食のためレストランに向かう。他のメンバーも朝早くから食事に来ていた。彼らと一緒のテーブルで食事(写真)をしていると、他のテーブルに着いている女性の方から名前を呼ばれた。そのテーブルまで行って彼女達と顔を合わすのだが、どこでお会いしたのか分からない。すると、スペインで一緒のツアーだったとの事。お顔は記憶にあるのだが、どこでお会いしたのかは全く思い出せなかった。食後、部屋に戻る時に色々と考えていると、一緒にモンセラットに昇ったことなど、少しずつ思い出した。せっかく声をかけて頂いたのに、思い出せなくて申し訳ないことをしてしまった。彼女達は私と同じパターンのツアーに参加しており、出発日が一日遅れ。従って、本日の彼女達はフリータイムである。どこを訪れる予定なのだろうか。

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午前10:00、ホテルのロビーに集合し、バスで「シャルル・ド・ゴール空港(CDG)」に向け出発した。途中渋滞もなく、30分ほどで空港に到着。チェック・インの手続きが午前11:00からだったので、チェック・イン機の前に並んで待つ(写真左・中左)。チェック・イン後、セキュリティ・チェックを受け、搭乗口である「A37」まで、途中にあるお店を見ながらブラブラと歩く(写真中右)。この空港ではラウンジは使えないとの事だったので、「A37」のシートに座り(写真右)、ツアーの人達とお話しをして過ごす。その中の一人の女性は、アイススケートのプロであった。金メダルを獲った、荒川静香選手とも友達との事。アイスショーに出演するため、国内各地を回っていることなど、色々とお話を聞かせてもらう。

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午後1:30搭乗。座席はビジネスクラス仕様ではないが、3列ある席のうち真ん中の席には「Elbow room」と表示し(写真左)、人が座れないようにして座席に余裕を持たせ、エコノミークラスと区別していた。1時間ほどのフライトだが、軽食が出る。チキンとサラダの味付けが良く、美味しく頂いた(写真中左)。飛行機は「ドーバー海峡」を渡り、イギリスの上空に出る(写真中右・右・中段)。ロンドン・ヒースロー空港に着陸する前、空からは「タワー・ブリッジ」(写真下段左)や「ウェツトミンスター宮殿」(写真下段中左)、「バッキンガム宮殿」(写真下段中右)、「ケンジントン・パーク」(写真下段右)などが見える。自分の足で歩いて観光した場所なので、どこに何があるのかハッキリと分かる。立体ミニチュアマップを見ているようであった。

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着陸後、成田行きの飛行機が出る「ターミナル5」にバスで移動し、買い物を済ませてからラウンジで休息する(写真左・中左)。搭乗予定時間が近づいたので「ゲート27」に行くと、すぐに塔乗出来た(写真中右)。これから12時間弱のフライトが始まる。機内では、シートベルト着用サインが消えると、飲み物とおつまみ(写真右)が出た。その後しばらくして夕食である。今回は和食を選択。

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メニューは次の通り。

・八つの肴「旬味彩菜」(蟹豆腐春かすみ、すずきの御造り、鮪山かけ、小魚の南蛮漬け、五色素麺、若鶏の若狭焼、六角芋の含め煮、バイ貝の旨煮)(写真左)
・イベリコ豚の鍋仕立て(写真右)
・ご飯、香の物、味噌汁(写真右)
・洋梨のコンポ―ト、チョコレートとクリームのアングレーズソース添え
・緑茶

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朝食は和定食(写真)を頂く。メニューは次の通り。

・白粥
・鯖の塩焼き
・玉子焼き
・金平牛蒡
・フレッシュフルーツ

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食事以外の時間は、ほとんど寝て過ごす。よく遊んだので、疲れが溜まっていたのであろう。日本時間の午後12:00過ぎ、成田空港に到着。東京や九州などから参加した人達は、ここで入国手続きをするのだが、関空に向かう人達の入国は関空で行うため、成田空港に着いたとはいえ、私はまだ日本に入っていないのだ。10年ほど前、成田空港は頻繁に利用していたが、最近全く利用していなかったので、しばらく空港内を見て廻り(写真左・中左)、その後モノレールでラウンジに向かう。ラウンジでは、関空行きに乗るまでの約4時間、雑誌を読んだり、軽食を頂いたりして時間を過ごす(写真中右・右)。

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午後4:00過ぎに塔乗(写真左)。座席はビジネスクラス仕様で、ゆったりしたシートであった(写真中左)。午後4:30過ぎに離陸、1時間半ほどで関空に到着。飛行機を降りると、丁度夕日が沈みかけていた(写真中右)。急いで入国手続きをして、税関を通り、向かった先は関空内にある「とんかつ屋」。日本を離れてわずか1週間のことなのだが、「とんかつ」(写真右)が食べたくて仕方がなかったのだ。「とんかつ」を食べながら、無事に帰国できたことに感謝。

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May 08, 2009

ルーブル美術館

ロンドン・パリの旅(第25回)

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午後3:30、「サント・シヤペル」の見学を終え、「ノートル・ダム大聖堂」から来る時に通った道を引き返した。「警視庁」の前を通ると、行列が出来ていた(写真左)。先を急いでいたので、何の行列かは尋ねなかったが、少々気になるところだ。広場の突き当りを左に曲がると、有名な「シテ島の花市」である。多くの人々が訪れ、鉢植えを探している(写真中左・中右)。部屋の中や窓辺に飾るのであろうか。右岸(北側)に通じる「ノートル・ダム橋」を渡る。ここからは、再び「コンシェルジユリー」の姿を見ることが出来る(写真右)。「シャンジュ橋」の方に向かい西に150mほど歩くと、地下鉄「シャトレ駅」だ。ここから「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」まで2駅、約5分で到着した。

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地上に出ると、正面に「パレ・ロワイヤル」(写真左)が建っていた。「ルーブル美術館」は反対側にあるので、道路を渡り通路を進む(写真中左)。100mほど歩くと「ピラミッド」が見えた。お天気が良く、気温も穏やかだったため、「ピラミッド」の周りには多くの人がくつろいでいる(写真中右)。西に目を向けると「ガルーゼル凱旋門」(写真右)だ。「ピラミツト」とその周囲の写真を撮り(写真下段)、館内に入る。

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セキュリティー・チェックを受け(写真左)、エスカレータで地階へ進む(写真中左)。ガラス張りの「ピラミッド」の真下なので、非常に明るい(写真中右)。インフォメーション(写真右)で館内案内地図を貰って、「ミロのビーナス」や「モナ・リザ」、「サモトラケのニケ」などが展示されている「ドゥノン翼」の入り口に向かうが、こちら側からは入れないとの事。仕方ないので、「リシュリュウ翼」側の入り口から展示室に入る。ここでも「ミュージアム・パス」が使えたので、チケットを買うために並ぶ必要はなかった。

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3Fから2F、1Fと下りながら見ることにしたので、最初に3Fまで上る。このフロアには、「フランス絵画」や「ドイツ・フランドル・オランダ」の絵画が展示されていた(写真左・中左・中右 : コローの作品が展示されている部屋)。前回訪れた時と比べ、展示方法が変わっているように思えた。しばらく改修工事をしていたようなので、展示の仕方も変えたのであろうか。とりあえずフェルメールやコロー、アングルの作品が見たかったので、大急ぎで廻る。しかし、有名な作品であるフェルメールの「レースを編む女」や、コローの「モルトフォンテーヌの思い出」、アングルの「トルコの浴場」など、すべて見ることが出来なかった。スタッフに尋ねると、ニコニコしながら「今、日本に貸し出しているので、日本に帰ってから見てください」との言葉が返って来た。私のことが日本人と分かったからであろう。そういえば、現在東京の2つの美術館でルーブル展が開催されていた。6月には大阪と京都に巡回するはずなので、その時、見に行かなければならない。展示室を見ていて面白いと思ったのは、絵画の前で数人の人が模写していたことだ(写真右)。講師らしき女性が指導していたので、当然、美術館の許可をもらってのことだろうが、日本では考えられないシーンではないだろうか。


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次は2F。「ドゥノン翼」に向かう。まず、階段のところで「サモトラケのニケ」(写真左)を見る。続いて「絵画部」に進み、「フランス絵画」と「イタリア絵画」が展示されている通路(写真中左)に挟まれた部屋に入る。広い部屋だが、人で混雑している(写真中右)。非常に人気がある作品が展示されているのだ。レオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」(写真右)である。絵画の写真を撮るだけでなく、絵画と一緒に記念撮影しようとする人たちが多いため、混雑しているのだ。自分と作品だけが写った写真を撮ろうとすると、他の人が邪魔になる。みんなが、邪魔になる人のいない場所、瞬間を狙って撮ろうとするため、なかなか動かない。「モナ・リザ」だけを見たい人にとっては迷惑だが、彼らにとってはこのような人も邪魔になるのだろう。悪循環を避けるため、場所を決めて順番に撮らせればよいようにも思うのだが、如何であろう。「モナ・リザ」と同じ部屋では、677×994cmと巨大なバオロ・カリアーネの「カナの婚宴」(写真下左)を、またイタリア絵画が展示されている通路にはラファエロの「聖母子と幼児聖ヨハネ」(写真下右)を見ることが出来た。

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ここまで見たところで、既に午後5:00を過ぎていた。閉館時間が午後6:00なので、午後5:30には追い出されてしまう。まだ「ミロのビーナス」を見ていなかったので、急いで1Fに降りる。しかし午後5:00を過ぎると、出口に最も遠い部屋から順番に閉鎖して行くようで、すでに「ミロのビーナス」を展示している部屋には行くことが出来なくなっていた。仕方がないので、ミケランジェロの「囚われの身瀕死の奴隷」(写真左)やカノーヴァの「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」(写真右)などの彫刻を見て、美術館を出た。前回パリを訪れた時は、「ルーブル美術館」でジックリと鑑賞し、「オルセー美術館」がタイム・アウトになったのだが、今回は逆になってしまった。前回見ているとはいえ、「ミロのビーナス」はもう一度見たかったので、少々残念であった。

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「ルーブル美術館」を出た後、「ピラミッド」周辺で再び写真撮影を行い(写真左・中左)、夕食のため、徒歩で昨日訪れたレストラン「ひぐま」(写真中右)に向かった。昨日同様「チャーハン」(写真右)を注文し、美味しく頂く。午後6:20、地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」へ。午後7:00頃、ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」に到着した。本日で観光は終わり。足に疲れが蓄積されてきたので、早めに入浴して疲れを取る。いつものように資料整理を済ませ、午後9:30頃ベッドに入った。

[作品の詳細]
・「サモトラケのニケ」(サモトラケ島、ヘレニズム時代、紀元前190年頃、大理石 : 328cm)
・「リザ・ゲラルディーニ・デル・ジョコンドの肖像(通称「モナ・リザ」)」(レオナルド・ダ・ビンチ作、フィレンツェ、1503~1506年頃、木に油彩 : 77×53cm)
・「カナの婚宴」(バオロ・カリアーネ作、ヴェネツィア、1562~1563年、カンヴァスに油彩 : 677×994cm)
・「聖母子と幼児聖ヨハネ(別名「美しき女庭師」)」(ラファエロ作、フィレンツェ、1507年、木に油彩 : 122×80cm)
・「囚われの身瀕死の奴隷」(ミケランジェロ作、ローマ、1513~1515年、大理石 : 高さ228cm)
・「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」(アントニオ・カノーヴァ作、ローマ、1793年、大理石 : 高さ155cm)

ルーブル美術館(日本語)
http://www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp?bmLocale=ja_JP
日本で開催されているルーブル展
http://www.louvre2009.jp/index.html
日本で開催されているルーブル展[ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画](国立西洋美術館→京都市美術館巡回)
http://www.ntv.co.jp/louvre/
日本で開催されているルーブル展[ルーブル美術館展 美の宮殿の子どもたち](国立新美術館→国立国際美術館・大阪巡回)
http://www.asahi.com/louvre09/
平成18年9月3日付・当ブログ「ルーブル美術館、ノートルダム寺院・・・」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/09/post_30c6.html
平成18年9月14日付・当ブログ「今回2度目の「ルーブル美術館」」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/09/2_d0b6.html

(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ルーブル・ポケツトガイド(日本語版)」(デニス・キリアン監修)[ルーブル美術館]

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May 07, 2009

シテ島観光(その3 : サント・シャペル)

ロンドン・パリの旅(第24回)

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「コンシェルジュリー」を出た後、その外観を見るため、右岸(北側)と繋がる「シャンジュ橋」を渡った。ここからの眺めは、ガイドブックなどにも紹介されるアングルだったので、数枚写真を撮る(写真)。再び橋を通って「シテ島」に渡り、「サント・シャペル」を目指した。先ほど「最高裁判所」に入る時に通ったのと同じ入口に行き、セキュリティ・チェックを受けるため腕時計などの金属製品を外していると、先ほどと同じ係官が、「はずさなくてもいいヨ。通りなさい」と言ってくれたので、今度は簡単に通ることが出来た。先ほどは間違えて裁判所の建物の中には入ってしまったが、今度は案内板が示している通りに進むと、無事に「サント・シャペル」の入り口の前に出た。

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ここは比較的空いており、直ぐに入ることが出来た(写真)。もちろん「ミュージアム・パス」が使えるので、ここでもチケットを買う必要はない。礼拝堂は1Fと2Fの2か所あり、入口は1Fの礼拝堂にある。「サント・シャペル」は、「コンスタンチノープルの皇帝から譲り受けたキリストの荊の冠と磔刑の十字架の断片を安置するため、ルイ9世が造らせたもので、1239年から1248年にかけて建造された。王はこの建設工事に莫大な費用を投じたが、それは聖遺物を手に入れるために支払った金額の三分の一に過ぎなかったと言われている。莫大な金額を費やして手に入れた聖遺物は、現在、ノートル・ダム大聖堂の宝物殿に収められている。礼拝堂は現在裁判所の敷地内に建っているが、この裁判所の建物は、14世紀までは王宮として使われていたものだった。創建当時は、王の居室から礼拝堂へ直接つながる廊下があったと言う」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)。

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受付を通って1Fの礼拝堂に入ると、窓は小さく、天井も低いが、ステンドガラスは美しく輝き、柱や壁には細密な彫刻が施されていた(写真)。この礼拝堂は廷臣や庶民の祈りの場とされていたようだ。次に左手にある細い階段を上り、2Fの礼拝堂に向かった。「2階にある王家の礼拝堂に足を踏み入れた途端、誰もが息を呑む。そそり立つような細長い柱を挟んで15の窓が連なり、壁面のほとんどが多彩色のステンドグラスで埋め尽くされているのだ。そして、その窓は光の壁となって輝いている。さらにその上部には、満天の星空をイメージした天井が浮かぶ」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)のである。

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「04~05地球の歩き方 フランス」に「午後に行くと、丁度階段を上った正面から光が差し込んで、ため息が出るほど鮮やかなステンドグラスの透き通る青や赤が目に飛び込んでくる」とあったので午後に訪れたのだが、その内容に偽りはなかった。ただ美くしいの一言である(写真)。「12世紀からフランス各地に建立されたゴシック様式の聖堂の中でも、ステンドグラスの輝きにおいて、この礼拝堂の右に出るものはない。延べ面積が600㎡以上に及ぶガラス窓に描かれている情景は、キリスト受難の物語をはじめ、全部で1134にも上り、その緻密さ、色の豊富さは他の聖堂をはるかに凌いでいる。並はずれて敬虔なキリスト教徒であったルイ9世が、地上に神の国を実現しようとした熱い思いが、見る者の心にも伝わってくるようだ」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)。

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15分ほどの短い時間であったが、日本語の解説プレートを手に、ステンドグラスの前に並べられた椅子に座ってその美しさを堪能するとともに、いくつかの物語を楽しむことが出来た。まだまだ見ていたかったのだが、「ルーブル美術館」にも行きたかったので、已む無くここを離れることにした。


サント・シャペル
http://sainte-chapelle.monuments-nationaux.fr/en/
ウィキペディア・フリー百科事典(サント・シャペル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%AB


(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ヨーロッパものしり紀行・フランス」(紅山雪夫著)[新潮文庫]
・「ヨーロッパものしり紀行・建築・美術工芸編」(紅山雪夫著)[新潮文庫]
・「サント=シャペル・シテ王宮」(国立モニュメントセンター編刊)

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May 06, 2009

シテ島観光(その2 : 最高裁判所とコンシェルジュリー)

ロンドン・パリの旅(第23回)

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次に向かったのは、「サント・シャペル」と「コンシェルジュリー」だ。「ノートル・ダム大聖堂」から西へ300m程離れているのだが、同じ「シテ島」内なので近く感じる。「警視庁」のある広い通りに出ると、正面に「最高裁判所」が、またその左に「サント・シャペル」、右に「コンシェルジュリー」が見える(写真)。セキュリティ・チェックを受けて建物の中に入る。

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最初に「サント・シャペル」を訪れる予定だったのだが、どこから入るのかが分からない。廊下から窓の外を見ると、「サント・シャペル」(写真左)が見える。また黒い法衣を纏った人が何人も歩いている(写真中左)。どうやら間違えて、「最高裁判所」に入ってしまったようだ。せっかくここまで来たのだからと思い、「裁判所」内を見学することにした(写真中右・右)。少し歩くと、広間に出た(写真下左・下中左・下中右)。所内の案内ブースがあったので、所内案内地図をもらう。この地図は観光用ではなく、裁判に関係する人たちが、自分に関係のある裁判の行われている部屋を知るために作られたものであった。何号法廷を探しているのかと尋ねられたが、地図だけ欲しかったことを伝え、その場を離れた。所内をウロウロしながら、ある部屋の扉を開けると、中では裁判が行われていた。民事なのか刑事なのかは分からなかったが、傍聴人らしき人達が20人ほどいた。約20分、「裁判所」内を見学し、一旦外に出た(写真下右)。

先ほどセキュリティ・チェックを受けたのとは反対側に行列が出来ていたので、そちら側を見ると、「コンシェルジュリー」の入り口だったので、まずこちらを訪れることにした。ここも「ミュージアム・パス」が使えたおかげで、行列を横目に、並ばずに入場することが出来た。前回パリに来た時、ここは訪れなかったので、今回初めての見学になる。

「コンシェルジュリーとは旧王宮の管理者であった「門衛(コンシェルジュ)」がいた場所のこと。14世紀にフィリップ四世(美男王)が建てさせたもので、3つの塔と3つの大広間からなる」(「04~05地球の歩き方 フランス」から)。「しかし、革命の嵐が吹き荒れた時代、その建物は牢獄に転用され、”ギロチンの待合室”として、恐怖政治の象徴となった。収監され、断頭台行きの護送車に載せられた囚人は、1793年1月からわずか1年半で、約2,600人。その中には、フランス王妃マリー・アントワネット、ルイ十五世の愛人デュ・バリー夫人、革命家のダントンやロベスピエールの名も含まれている」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)との事。

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中に入って最初に通るのが、「衛兵の間」である。華やかな宮廷生活を偲ばせるゴシック様式の建築で、かつては廷臣たちが食事をする場所でもあったようだ(写真左・中左・中右)。奥に進むと「囚人の廊下」がある。その奥には「マリー・アントワネットの独房」(写真右)だ。ベルサイユ宮殿で贅沢三昧の日々を過ごした彼女は、一転、ここで約2ヶ月半幽閉され、最後は普通の囚人と同じように荷車で現在のコンコルド広場に送られ、ギロチンで首をはねられたのである。

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さらに進むと、「ジロンド党の礼拝堂」(写真左)がある。「フランス各地から連行されてきた囚人を留置する場所が不足したため、1793年から1794年にかけて留置房の一部として使われた。ジロンド党の礼拝堂という名は、革命法廷の判決を聞いて自決したデュフィリシュ・ヴァラゼの遺体の横で、仲間のジロンド党員たちが最後の晩餐を行ったことに由来する」(「コンシェルジュリー・シテ王宮」より)。その向かい側には、「聖歌隊壇と女囚用の格子席」(写真中左)だ。これらの部屋に接するように「女囚の庭」(写真中右・右)がある。高額な金品を提供すれば上層にある独房が与えられ、ベッドで眠ることも出来たようだが、貧しい囚人は1Fで家畜のように藁のなかで寝かされていたようだ。1F・2Fを一通り見て廻り、約20分で「コンシェルジュリー」の見学を終えた。

コンシェルジュリー
http://conciergerie.monuments-nationaux.fr/
ウィキペディア・フリー百科事典(コンシェルジュリー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC
ウィキペディア・フリー百科事典(Palais de Justice, Paris)
http://en.wikipedia.org/wiki/Palais_de_Justice,_Paris
ウィキペディア・フリー百科事典(サント・シャペル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%AB


(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ヨーロッパものしり紀行・フランス」(紅山雪夫著)[新潮文庫]
・「ヨーロッパものしり紀行・建築・美術工芸編」(紅山雪夫著)[新潮文庫]
・「コンシェルジュリー・シテ王宮」(国立モニュメントセンター編刊)

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May 05, 2009

シテ島観光(その1 : ノートル・ダム大聖堂)

ロンドン・パリの旅(第22回)

「貨幣博物館」のブティックを出て、次に向かったのは「シテ島」である。ご存知の通り「シテ島」は、パリの中心部に位置するセーヌ川の中州で、パリ発祥の地だ。「紀元前300年頃、ケルト人のパリシイ族が、セーヌに浮かぶ今日のシテ島に定住したのは、そこが川を移動するのに恰好な基点となったからだ。ケルト人はこの地域をルテティアと呼んだ。ルテティアとはケルト語で「水に囲まれた住まい」と言う意味だ。そしてパリシィという言葉から、のちにパリという都市名が生まれるのである」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)。

その後ローマ人が「シテ島」とセーヌ左岸を支配し、ここに水道をひき、道路や劇場、共同浴場などが造られ、パリは河川交通の要衝として発展した。「シテ島を中心としたパリは、10世紀から14世紀のカペー朝時代に急成長した。王宮は6世紀からシテ島に置かれていたが、カペー朝以前の王は移動生活をし、定住しなかった。だが、フィリップ一世(在位1060~1108)以降、王はパリに定住する。この後、政治と宗教はシテ島、文化や学問はセーヌ左岸(南側)、商工業は右岸(北側)を中心に、目覚ましい発展を遂げていく。なかでも12~13世紀はパリがヨーロッパのキリスト教文化の中心として開花した時代だった。シテ島でノートル・ダム大聖堂が着工され、ステンドグラスを纏ったサント・シャペルが誕生。このゴシック様式の二大傑作は、パリのみならず国民の誇りとなった」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)との事。

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「貨幣博物館」のブティックから「ポン・ヌフ」の前に出て、「シテ島」には渡らず、左岸を東に向かって歩いた。左手にはセーヌ川越しに「サント・シャペル」や「警視庁」の建物が見える(写真左)。振り返ると「ポン・フヌ」だ(写真中左)。1607年に完成した橋で、これにより初めて右岸と左岸が結ばれたのである。「シテ島」の南側にはアーチが5つ、北側には7つあり、全長238m、幅22m。ちなみに「ポン・ヌフ」とは「新しい橋」を意味する(「ポン(Pont)」=「橋」、「ヌフ(Neuf)」=「新しい」)。しばらくすると、正面に「ノートル・ダムの大聖堂(以下「大聖堂」という)」が見えてきた(写真中右)。「ポン・ヌフ」から「シテ島」につながる3つ目の橋を渡ると、「大聖堂」の前に出た(写真右)。

「大聖堂」は、奥行き128m、幅40m、高さ33mある。「04~05地球の歩き方 フランス」によると、「4世紀頃キリスト教が国教となり、古代ローマ人たちの祭壇があった場所にサンテテイエンヌ聖堂が建てられた。この聖堂が現在の大聖堂の前身になっている。実際にノートル・ダム大聖堂として改築工事が始められたのは、ルイ7世の時代1163年だ。完成をみたのは1330年頃、起工から実に約170年を費やしている。それまでの教会とは違って窓が大きく、ステンドグラスの採用、巨大な内部、そして何よりも空へと伸びる塔の雄々しさは、中世の人々を驚かせた」との事。

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「大聖堂」まえの広場には、大勢の人たちがいる。正面には2つの塔があり、空に向かって垂直に伸びる(写真左・中左)。壁面には数多くの繊細な彫刻だ。正面扉口上部の「西のバラ窓」の前には、キリストを抱くマリア像(写真中右・右 : 聖堂内から見た「西のバラ窓」)が見られる。

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また西側正面には3つの扉口があり(写真左)、左端の扉口(写真中左)には「聖母マリアが死後、天上界に上り、天使から栄光の冠を授かる「聖母マリアの戴冠」の様子」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)が彫られており、中央の扉口(写真中右)にはキリストの「最後の審判」の彫刻が施されている。写真右は、右端の扉口。

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聖堂内に入ると、お天気が良かったことも幸いし、ステンドグラスの窓から色とりどりの光が差し込み、美しい姿を見せてくれている(写真)。

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中でも「バラ窓」は要注目だ。「北のバラ窓」(写真上)は、「地上21mの高さにあり、直径は13mに及ぶ。中央には聖母子、その周囲には旧約聖書に登場する聖人や王などが描かれ、総勢80人のドラマが展開する」(「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」より)。「南のバラ窓」(写真下)は、「13世紀の窓の一部が現在も残っている。地上からの高さは13m、キリスト像を中心に、聖母マリアや十二使徒が描かれている」(前掲書より)。

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ステンドグラス以外にも、高い天井構造を可能にした「尖塔アーチ」や「リブ・ヴオールト」なども見ものだ。建築に興味のある方であればなおさらである。教会を見上げれば、ロマネスク様式との違いがはっきり分かる(写真)。

15分ほどで「大聖堂」の見学を終え、前回訪れた時に上れなかった「大聖堂」の塔に上ろうと思い、北側の入り口に向かうが、大行列が出来ていたため、今回も塔に上ることを断念した。ところで、かつて私が誤解していたので、ここであえてコメントするが、「ノートル・ダム」とは「聖母マリア」のことで、「聖母マリア」に捧げられた寺院であることから「ノートル・ダム大聖堂」と呼ばれるのである。パリにあるのが「ノートル・ダム大聖堂」だと思っていたのだが、あちらこちらに「ノートル・ダム」と名付けられた聖堂があったため(アミアンやランスなど)、混乱していたことがあったのだ。一般的に「ノートル・ダム大聖堂」と言えば、今回訪ねたパリの「大聖堂」のことを言うようだが、念のため申し添えておく。


ウィキペディア・フリー百科事典(シテ島)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%86%E5%B3%B6
ウィキペディア・フリー百科事典(ポン・ヌフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%95
ノートル・ダム大聖堂
http://www.notredamedeparis.fr/
ウィキペディア・フリー百科事典(ノートル・ダム大聖堂)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82_(%E3%83%91%E3%83%AA)
ウィキペディア・フリー百科事典(サント・シャペル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%AB


(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ヨーロッパものしり紀行・フランス」(紅山雪夫著)[新潮文庫]
・「ヨーロッパものしり紀行・建築・美術工芸編」(紅山雪夫著)[新潮文庫]

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May 04, 2009

ポン・ヌフ駅のコインのオブジェ

ロンドン・パリの旅(第21回)
貨幣ぶらり旅(第157回)

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「マクドナルド」で昼食を済ませ、午後1時前、地下鉄「ジョージⅤ駅」から「パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デユ・ルーブル駅」経由で「ポン・ヌフ駅」に向かった。平成21年4月23日付の当ブログ「ロンドン・パリの旅(第16回)」でお話ししたように、パリの地下鉄にはユニークな駅がいくつかある。「ポン・ヌフ駅」もその一つで、ホームにコインのオブジェなどがデザインされているのだ。「ポン・ヌフ駅」(写真)に到着すると、すぐに列車を降り、他の乗客がいなくなるのを待ってから、ホームの写真撮影を始めた。

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私が降りた場所の壁には、百科全書による打刻機の機能説明に添えられた図がタイルで描かれ、その前に貨幣を製造する打刻機が置かれている(写真左・中左)。ホームを3~4m「ルーブル・リヴォリ駅」側に行くと、コインのオブジェが並んでいる(写真中右)。どれもが実際に使われたコインのデザインである。そして壁に飾られているだけでなく、ホームの天井から反対側のホームにまでつながっているのだ(写真右)。

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列車を降りたホームの壁に掲げられているオブジェを見ると、「第一共和制・英雄ヘラクレスと女神達5フラン銀貨」や「第三共和制・種を蒔く女2フラン銀貨」、「第三共和制・20フラン銀貨」など(写真上)が、また反対側のホームの壁には、「ケルト人・パリシィ族のスタテル金貨」や「ルイ9世トゥールの大ドゥニエ銀貨」、「シャルルマーニュのモノグラム銀貨」など(写真中)有名なフランスコインのオン・パレードである。しかも天井にも続いている(写真下)のだから、コインコレクターの私としては、見ているだけで楽しくて仕方がない。日本の地下鉄にも、このような駅があっても良いのではないだろうか。

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「ポン・ヌフ駅」のコインオブジェの写真を撮った後、昨日訪れた「貨幣博物館」の「ブティック」に向かった。なぜ2日に分けて訪ねたのかと言うと、「貨幣博物館」は本日、月曜日が休館日で、「ブティック」は昨日、日曜日が休みだったからである。前回訪れた時、荷物になるため買うのを止めた書籍類が欲しかったので、再びここを訪ねたのだが、期待は裏切られた。店内に入ると、スペースは狭くなり、書籍類は並べられておらず、コインもフランスの現行記念コインが販売されているだけであった。特に前回購入できた「モナコ」のユーロコインが欲しかったのだが、現在は置いていないとの事。そしてショーケースに増えていたのは、コインを使ったネックレスやペンダントなどのアクセサリー類だ。また店員の数も減っており、前回親切にしてくれた、少しだけ日本語の話せるフランス人女性の「カティ」もいなかった。売り場面積は減り、人員も削減。そういえば、昨日訪れた「貨幣博物館」では、イヤホンガイドが廃止されていた。採算が悪いため、事業規模を縮小しているのだろうか。欲しいものが無かったので、「モネー・ド・パリ」の記念メダルだけを購入し、出口に展示されていた何点かのコイン(写真上段・下段左・中左)を見て、「ブティック」を出た(写真中右・右)。

モネー・ド・パリのブティック
http://boutique.monnaiedeparis.fr/is-bin/INTERSHOP.enfinity/eCS/Store/fr/-/EUR/BrowseCatalog-Storefront;sid=TdWcmpyVbdipSNVo4pqIoY85CUqdcxk8RDc=?Boutique=B2C

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May 03, 2009

フランス国立ギメ東洋美術館とバカラ・ギャラリー・ミユージアム

ロンドン・パリの旅(第20回)

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オープン5分ほど前に、「フランス国立ギメ東洋美術館(以下「ギメ美術館」という)」に到着(写真左)。入口付近には、十数人の人達が開館を待っている(写真中左)。建物の横に目をやると、大勢の子供達(写真中右)。美術館での学習なのだろうか。彼らも開館待ちのようだ。午前10:00になると、先に団体口から子供達を入館させ、その後正面入り口が開けられた。セキュリティー・チェックを受け、館内に進む(写真右)。受付でミュージアム・パスを見せ、展示室に向かった。

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この「ギメ美術館」は、実業家エミール・ギメがアジア各国から持ち帰った東洋美術のコレクションを収蔵している。0階(日本の1F)にはインドと東南アジア(写真左・中左)、1階(同2F)は古代中国、ネパール、チベット、パキスタンなど(写真中右・右)、2階(同3F)は日本、朝鮮など(写真下段左・中左)、そして3階(同4F)、4階(同5F)には古典中国の美術品が展示されている(写真中右・右)。これらの中から5点ご紹介したい。

① 「千手千眼観音立像」(中国・五代、漆金木彫)

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----------------------------------------「千手観音」には、「坐像、立像ともにあり、実際に千本の手を表現した作例もあるが、十一面四十二臂(※)とするものが一般的」(ウィキペディア・フリー百科事典(千手観音)より)と言われており、これまでに見た中で千本の手を持っていそうなのは「唐招提寺」の「千手観音立像」(※※)だけだったので、本立像を見た時は驚いた。しかも手で触れることが出来るくらい間近から見ることが出来るのだ。実際に何本の手があるのかについては、何も表示されていなかったので分からないが、千本ぐらいありそうな感じである。

(※)「四十二臂の意味については、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」であると説明されている。ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるという考えである(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。ちなみに「有頂天」とは二十五有の頂点にある天上界のことである」(ウィキペディア・フリー百科事典(千手観音)より)。
(※※) 「唐招提寺」の「千手観音立像」は、42本の大手と911本の小手の合計953本を持っている。

ウィキペディア・フリー百科事典(千手観音)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%89%8B%E8%A6%B3%E9%9F%B3

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----------------------------------------② 「銅象尊」(湖南長沙出土・商晩期 : 紀元前12~11世紀)(写真左)
③ 「毘沙門天像」(鎌倉時代 : 13世紀初・桧材寄木造・玉眼嵌入)(写真中左)
④ 「Le mahasiddha Saraha」(チベット、16~17世紀、真鍮製金メッキ)(写真中右)
⑤ 「Dakini dansante」(チベット、18世紀初頃、銅製彩色金メッキ)(写真右)


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約1時間、「ギメ美術館」での鑑賞を終え、次は「バカラ・クリスタル・ミュージアム(以下バカラ美術館)という」である。「ギメ美術館」から北へ250mくらいの所に位置する。公園(写真左)の南側にある建物(写真中)、入口に赤い幕が垂れ、白文字で「Baccarat」と書かれていた(写真右)。ここがバカラの本社であり、この建物の中にミュージアムがある。この建物は、ベル・エポックのパリで“社交界の女王”と謳われた画家で詩人のマリー=ロール・ド・ノアイユ子爵夫人(1902-1970)が暮らした邸宅であったとの事。

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赤い扉のある入口から建物に入ると、通路の周りに鏡が張り巡らされている(写真左)。赤い絨毯の敷かれた通路のなだらかな階段(写真中左)を上ると、クリスタル製のイスが展示されているスペースに出る(写真中右)。その右側にはまた階段がある。見上げると、重さが800kgもあるシャンデリアだ(写真右)。

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2Fにはミユージアムの受付がある。「ミュージアム・パス」を見せるが、ここはプライベートミュージアムのため、パスは使えないとの事。仕方ないので、入場料(5ユーロ)を支払う。ミュージアムは3部屋に分かれており、それぞれ《大きさに魅せられて》、《錬金術》、《透明の向こうに》と名付けられている。中でも《透明の向こうに》と名付けられた部屋は、私にとって最も興味をひく展示がなされている(写真)。4つのショーケースに分けて、過去に造られたバカラの名品を見ることが出来るのだ。部屋全体の照明は落とし、バカラ製品にスポットライトを当てているため、ガラスの輝きが見ている者を魅了する。無色透明なガラス製品の中にポツポツと置かれている色ガラスの製品のおかげで、高級感が増す。個別作品の写真撮影が許されていなかったので、バカラ・クリスタル・ミュージアムのHPから12点をご紹介する。

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----------------------------------------・HARCOURT SET(写真上段左)
・EMPIRE SET(写真上段中左)
・TSAR SET(写真上段中右)
・EMPIRE PITCHER(写真上段右)
・CONCORDE PITCHER(写真地中段左)
・VEGA MARTINI GLASS(写真中段中左)
・OENOLOGIE GLASS(写真中段中右)
・POETIC GARDEN TUMBLER(写真中段右)
・MOULIN ROUGE CHAMPAGNE BUCKET(写真下段左)
・ARABESQUE PLATE(写真下段中左)
・ARABESQUE SMALL BOWL(写真下段中右)
・ROSACE TABLE ACCESSORIES(写真下段右)

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ミュージアムの見学を終え、トイレに立ち寄ると、中は一面鏡張り(写真左・中左)。照明用に、バカラのシャンデリアが吊り下げられている。ディスコに来ているような感じがする。豪華なのだが、落ち着かない。1Fにショールームがあったので、こちらも見学させてもらう。展示品を見ていると、日本人の女性スタッフがやって来た。色々な製品について説明してくれるのだが、安いものでも25万円程度必要だった上、自宅には飾るところがないので、今回の購入は見送った(写真中右・右 : 商談ルーム)。
なおここには、すべてバカラ製の食器で食事をさせてくれるレストランがあるとの事だったが、今回はこれもパスした。

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正午頃「バカラ美術館」を出発し、「イエナ大通り」と「マルソー大通り」を横切り、北に6~700m歩くと、「シャンゼリゼ大通り」に出た(写真左)。ここからは「凱旋門」が大きく見える(写真中左・中右)。ご存知の方も多いと思うが、「凱旋門」は1806年初頭にナポレオンの命によって着工され、完成は30年後の1836年。ナポレオンの死から19年後の1940年12月15日に、セント・ヘレナ島から戻ったナポレオンの遺骸はこの門をくぐり、「アンヴァリッド」に運ばれたのである。お昼時でお腹も、減っていたので、「シャンゼリセ大通り」にある「マクドナルド」(写真右)で昼食をとった。


フランス国立ギメ東洋美術館(日本語)
http://www.guimet.fr/-rubrique190-
フランス国立ギメ東洋美術館
http://www.guimet.fr/-Francais-
ウィキペディア・フリー百科事典(ギメ東洋美術館)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A1%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
バカラ・ギャラリー・ミュージアム(日本語)
http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/mont-back/0607/montalembert.html
バカラ・クリスタル・ミュージアム
http://www.baccarat.com/en/the-world-of-baccarat/musees/museum-opening-hours.htm
バカラ・クリスタルルーム
http://www.baccarat.com/en/the-world-of-baccarat/bars-restaurants/cristal-room.htm

(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO.4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「Guimet・Pockt guide」(Guimet musee刊)
・「天平の甍・唐招提寺」(唐招提寺刊)
・「Baccarat Galerie-musee(日本語版)」(Baccarat Galerie-musee刊)

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April 29, 2009

エッフェル塔

ロンドン・パリの旅(第19回)

今回のロンドン・パリの旅、本日が観光出来る最終日だ。前回訪ねたかったのに行けなかった処と、どうしてももう一度訪ねたかった所を廻る予定で迎えたこの日、私のテンションは朝から高かった。

第五日目[3月30日(月)]

・午前6:00 : 起床
・午前6:30 : 朝食
・午前8:00 : ホテル出発
・午前8:10 : 「クール・サンテミリオン駅」到着
・午前8:30~午前9:00 : 地下鉄「クール・サンテミリオン駅」から「マドレーヌ駅」経由で「エコル・ミリテール駅」へ
・午前9:10 : 「エコル・ミリテール駅」に到着。徒歩で「アンヴァリッド」前まで行き、引き返して「エッフェル塔」へ
・午前9:20 : 「エッフェル塔」に到着
・午前9:50 : 徒歩で「シャイヨー宮」の前を通り「ギメ美術館」へ
・午前10:00~11:10 : 「ギメ美術館」で美術品の鑑賞
・午前11:20 : 徒歩で「バカラ・ギャラリー・ミユージアム」へ
・午前11:20~午後12:05 : 「バカラ・ギャラリー・ミユージアム」でガラス製品を鑑賞
・午後12:20~午後12:45 :「シャンゼリゼ大通り」の「マクドナルド」で昼食を取る
・午後12:50~1:10 : 地下鉄「ジョージⅤ駅」から「パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デユ・ルーブル駅」経由で「ポン・ヌフ駅」へ
・午後1:10~1:15 :「ポン・ヌフ駅」構内を写真撮影
・午後1:25~午後1:45 : 「モネード・パリ貨幣博物館」のショップに立ち寄る
・午後2:00午後2:15 : 「ノートルダム大聖堂」を見学
・午後2:25~午後2:45 : 「最高裁判所」内を見学
・午後2:50~午後3:10 : 「コンシェルジュリー」を見学
・午後3:15~午後3:30 : 「サント・シヤペル」を見学
・午後3:40~午後3:50 :地下鉄「シャトレ駅」から「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」へ
・午後3:55~午後5:30 : 「ルーブル美術館」で美術品の鑑賞
午後5:30~午後5:40 : 「ルーブル美術館」の「ピラミッド」周辺で写真撮影
・午後5:45~午後6:25 : レストラン「ひぐま」で夕食
・午後6:30 : 地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」へ
・午後6:50 : 「クール・サンテミリオン駅」に到着。徒歩でホテル「プルマン・パリ・ベルシー」ヘ
・午後7:00 : ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」に到着
・午後9:30 : 入浴、資料整理を済ませてベッドに入る


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いつもどおり、午前6:00に目覚め、午前6:30、オープンと同時に朝食会場に入る(写真左 : 朝食・写真右 : レストラン)。今日はツアーも1日フリータイムのため、他のメンバーの人たちも朝早くからレストランに来ていた。クロワツサンにスクランブルエッグなど、軽く済ませて部屋に戻った。

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午前8:00、本日の観光のためホテルを出た。昨日、ホテルに着いてから散策した元倉庫街を歩く。朝早いため、誰もいない(写真左)。静かなものである。しかし、このエリアを抜けて「クール・サンテミリオン駅」近くまでに来ると、急に人が増えた。この近くにマンションでもあるのだろう。通勤の人々で混雑し始めた。私は1日乗車券を買おうと思い、自動販売機ではなく、窓口の方に行ったのだが、誰もいない(写真右)。しばらくすると、私の後ろには数人の列が出来ていた。待つこと約15分、ようやく駅員が戻って来た。乗車券(5.8ユーロ)を購入し、ホームに向かう。

地下鉄「クール・サンテミリオン駅」から「マドレーヌ駅」経由で「エコル・ミリテール駅」へ。当初、「コンコルド駅」で下車するつもりだったのだが、降りることが出来なかったため、仕方なく「エコル・ミリテール駅」まで行ったのである。フランスの地下鉄は、路線、車両にもよるが、下車する時は自ら扉を開けなければならないことが多い。ボタンを押して開ける方式やノブを倒す方式など色々なタイプがある。この時私が乗っていた列車の場合は、これまで経験したことがないドアの凹みの内側のボタンを押す方式だったのだが、丁度その場所を私の前に立っていた男性が抑えていたので分からなかったのだ。すぐに尋ねれば良かったのだが、自分で探しているうちに列車が発車してしまったのだ。「コンコルド駅」→「フランクラン・デ・ローズベルト駅」→「イエナ駅」のルートで「ギメ美術館」に行く予定だったが、急遽予定を変更し、「エコル・ミリテール駅」まで行くことにしたのである。下車する駅を変更するとともに、最初に訪ねる場所も変更した。最初の目的地は「エッフェル塔」になったのだ。

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「エコル・ミリテール駅」で降りて、地上に出る。地図を見れば良かったのだが、前回歩いていたので自信を持って南東方向に歩きだした。しかし、どうも景色が違う。すると「アンヴァリッド」(写真)が見えてきたので、全く反対方向に歩いたことに気が付いた。ここまで来たのだから久しぶりに内部も見学しようかと思ったのだが、オープンは午前10:00から。1時間近く待たなければならないのであきらめ、来た道を戻った。ちなみに「アンヴァリッド」は、ルイ14世が傷病兵を収容させるために建てたものだが、現在はナポレオンの墓があることで知られている。

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今度は「エコル・ミリテール駅」から南西方向に歩く。「旧陸軍士官学校」(写真左)の前を横切ると、「シャン・ド・マルス公園」だ。そしてその先には「エッフェル塔」が立っている(写真中左)。公園を北西方向に進む。「エッフェル塔」が段々大きく、近づいてくる(写真中右・右・下段)。前回は展望台まで昇っていなかったので、そこまで行くつもりでエレベータ乗り場の列に並んだのだが、まだ30分ほど待たなければいけないとの事だったので、列を離れて「ギメ美術館」に行くことにした。ちなみに「エッフェル塔」だが、1889年、フランス革命100周年を記念して開催されたパリ万博の時に建てられた。設計者は鉄骨橋の専門家として知られる「ギュスタヴ・エッフェル」である。高さは320.75m。当初は20年という期間限定の建造物だったが、無線通信のアンテナとして塔が有用であることが分かり、急遽取り壊しは中止され、1921年にラジオ放送が開始されてからは、必要不可欠なものとなったという。

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列を離れ、セーヌ川に架かる「イエナ橋」を渡り、「シャイヨー宮」の前に出る(写真左)。「シャイヨー宮」は、1937年に開催されたパリ万博の時に建設された。双翼の建物に特徴があり、現在、海洋博物館や映画博物館などが入っている。振り返ると、西側から見た「エッフェル塔」だ(写真中左・中右)。東側から見たのとは違った姿を見せてくれている。「シャイヨー宮」の前に広がる「トロカデロ庭園」を横切り、北東方向に300mほど進むと「ギメ美術館」(写真右)に到着だ。


エッフェル塔のHP
http://www.tour-eiffel.fr
ウィキペディア・フリー百科事典(エッフェル塔)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94
アンヴァリッド・軍事博物館のHP
http://www.invalides.org
ウィキペディア・フリー百科事典(オテル・デ・ザンヴァリッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89

(参考文献)
・「週刊・世界遺産NO.4・パリのセーヌ河岸1」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]


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April 28, 2009

オランジュリー美術館

ロンドン・パリの旅(第18回)

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約1時間45分、「オルセー美術館」での絵画鑑賞を終え、次に向かったのは「オランジュリー美術館」である。セーヌ川沿いを西に進み、「ソルフェリーノ橋」(写真左)を渡り、対岸のセーヌ川沿い、「チュイルリー公園」(写真中左)内を西に200mほど歩くと、「オランジュリー美術館」(写真中右・右)に到着だ。前回パリを訪れた時は、工事のため閉鎖されていたので、この美術館に入ることはできなかった。有名なモネの「睡蓮」は是非見たいと思っていたので、今回目的を果たす事が出来る。「オランジュリー美術館」は、皇帝ナポレオン三世が19世紀半ばに建てたオレンジの栽培温室が前身で、1927年に美術館としてオープン、2006年には現代的に改装され再オープンした。

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入口は西側、「コンコルド広場」のある方だ。入口前の広場からは、「コンコルド広場」の「オベリスク」(写真左)や「エッフェル塔」(写真中左)などが見える。ゲートをくぐり、セキュリティー・チェックを受ける。館内はガラス窓が大きくとってあり、外の光が差し込むので、明るくかつ気持ち良い(写真中右・右)。ここも「ミュージアム・パス」が使えるので、受付で見せるだけ。待たされることなく、展示室に入ることが出来た。

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受付から真っ直ぐ進んだところにある展示室(写真左)が、私の見たかったモネの「睡蓮」が展示されている「睡蓮の間」である。展示室は2部屋に分かれており、まず手前の部屋に入ると、楕円形の部屋の壁に、4枚の「睡蓮」の画 (写真中)が展示されている。さらに奥の部屋に進むと、こちらも楕円形の部屋の壁に、4枚の「睡蓮」の画 だ(写真右)。

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各部屋に展示されている作品名は、最初の部屋が「朝」(写真左 : 200×1275cm)、「雲」(写真中左 : 200×1275cm)、「緑の反映」(写真中右 : 200×850cm)、「日没」(写真右 : 200×600cm)の4点。、

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次の部屋が「樹々の反映」(写真下左 : 200×850cm)、「明るい朝、しだれ柳」(写真下中左 : 200×850cm)、「朝、しだれ柳」(写真下中右 : 200×1275cm)、「二本の柳」(写真下右 : 200×1700)の4点である。

これら8枚の画は連作で、この展示室に降り注ぐ自然光で見ることができる。先ほど少し触れたが、この美術館の前身はオレンジの栽培温室で、モネの設計に基づき改造された。当初、天井から外光が降り注ぎ、変化する光の中で「睡蓮」を鑑賞出来たと言う。しかし、寄贈されたヴァルター・ギョームのコレクションを展示するため2階に展示室が造られ、外光が入らなくなってしまった。前回訪れた際、工事中で閉鎖されていたとお話ししたが、この時に2階を取り壊して地下に展示室を造ると言う大改装を行い、再び外光を取り戻したのである。朝から何時間もいれば、光の変化とともに変わる「睡蓮」を見ることが出来るのであろう。

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次に、新しく出来た地下の展示室に向かった(写真)。ここには、ヴァルター・ギョームのコレクションが展示されている。美術館で入手した案内書によると、「このコレクションの大部分は、パリの大美術商ポール・ギョームによって収集され、彼の死後未亡人となったドメニカ・ヴアルターが後を継ぎ、1960年にフランス国に譲渡されました。1984年に一般公開されたこのコレクションには、フランス美術の2つの重要な時代が表現されているのを見ることが出来ます。印象派はとりわけルノワールとセザンヌの大変興味深い作品によって代表されます。近代美術の始まり、そして両大戦の時期を特徴づけるある種の古典主義への回帰は、モディリアニ、ルソー、ピカソ、マチス、ドラン、ユトリロ、スーチン等の傑作によって表されています」との事。

この美術館でも、フラッシュを使わなければ写真撮影が許されていたので、私が気になった作品を数点ご紹介する(作品名等は写真左から順)。


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・「Femme nue dans un paysage」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1883年]
・「Yuonne et Christine Lerolle au piano」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1897~1898年頃]
・「Portrait de deux fillettes」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1890~1892年]
・「Baigneuse assise s’essuyant une jambe」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1914年頃]

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・「Femme nue couchee(Gabrielle)」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1906~1907年]
・「セザンヌ夫人の肖像」(セザンヌ作)[1890年頃、油彩、カンヴァス、81×65cm]
・「Le Dejeuner sur l’herbe」(セザンヌ作)[1876~1877年]
・「La Barque et les baigneurs」(セザンヌ作)[1890年頃]

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・「ポール・ギョーム、ノヴォ・ピロタ」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年頃、油彩、カンヴァス、105×75cm]
・「赤毛の娘」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年、油彩、カンヴァス、40.5×36.5cm]
・「Femme au ruban de velours」(アメディオ・モディリアーニ作)[1915年頃]
・「Femme au chien」(マリー・ローランサン作)[1923年頃]

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・「Nu drape etendu」(アンリ・マティス作)[1923~1924年]
・「Nu sur fond rouge」(ピカソ作)[1925年]
・「Grande Nature morte」(ピカソ作)[1917~1918年]
・「タンバリンを持つ女」(ピカソ作)[1925年、油彩、カンヴァス、97×130cm]

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・「Eglise Saint-pierre」(モーリス・ユトリロ作)[1914年頃]
・「道化姿のクロード・ルノワール」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1909年、油彩、カンヴァス、120×77cm]
・「Arlequin a guitare」(アンドレ・ドラン作)[1924年]


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午後4:15 、「オランジュリー美術館」(写真左)での絵画鑑賞を十分に楽しみ、本日の予定はこれで終了である。まだ昼食を食べていなかったので、以前パリに来た時に気に入ったお店に行ってみることにした。「チュイルリー公園」(写真中左)の西側ゲート(写真中右)から「コンコルド広場」(写真右)に出る。北西の方向に「ブルボン宮」(写真下左)と「エッフェル塔」(写真下中左)が建つ。「オベリスク」(写真下中右)の間近まで行って写真を撮り、「シャンゼリゼ通り」の前に。ここからは「凱旋門」(写真下右)が見える。

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「旧海軍省」(写真左)の建物前を通って「コンコルド駅」から地下鉄に乗車。「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」で下車し、「アンドレ・マルロー広場」近くにある レストラン「ひぐま」(写真中左)に入る。久しぶりだったので、お店がなくなっているのではないかと心配したが、店内の雰囲気も全く変わっていない(写真中右)。ただ、前回非常に親切にしてくれた、日本人の男性店員はいなかった。当然のように海老チャーハン(8.5ユーロ・写真右)を注文、あわせて夕食用に中華丼をテイクアウトでオーダーする。3~40分で昼食を終えた後、 地下鉄「パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅」から「シャトレ駅」経由で「クール・サンテミリオン駅」に向かう。

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午後5:50頃、 「クール・サンテミリオン駅」に到着。ホームを出ると、パリなのに新しく開けた街の雰囲気がする。「かつてブドウ畑が広がり、ワイン倉庫の並ぶ「パリの中のいなか」だった。そこが近年、シラク大統領がパリ市長時代に取り組んだ計画により、一躍再開発に湧いている。ベルシー多目的総合体育館を皮切りに、全長数100mに及ぶ細長くスリムな新大蔵省や国立図書館など、新しいランドマークが次々とできた」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)という新しい街だったのだ。駅からは「ベルシー公園」(写真左)の横を歩き、4~5分で本日宿泊するホテル「プルマン・パリ・ベルシー」(写真中左・中右・右)に到着した。添乗員から連絡を入れてもらっているとは言うものの、分かってもらえるだろうかと思いつつ、ホテルのフロントに向かう。現地で契約している旅行代理店名と私の名前、ツアー添乗員の名前と、私だけが先に到着した理由を述べると、パスポートのチェックだけで部屋の鍵を渡してくれた。部屋は「201号室」と低層階だったので、丁度良かった。高層にある部屋は、窓から見る眺めは良いが、万が一停電でエレベーターなどが動かなくなった時のことを考えると大変なので、私は低層フロアの方が好きなのだ。室内は木の香りが漂いそうな雰囲気で、落ち着きもある(写真下段)。まだ外は明るかったので、散歩に出かけた。

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ホテルから北西に100m程歩くと、シネコン(写真左)やお店が並んでいる。先にお話しした通り、ここは元ワイン倉庫街だったので、その倉庫を改装して店舗にしているのだ。飲食店や土産物店、お菓子のお店(写真中左・中右)や美容院などもある。かつてワインを運ぶ貨車が通っていたのだろうか。石畳の中にレールが2本走っている(写真右)。日曜日の夕方だからであろうか。通りもお店も人で賑わいを見せている。3~40分 ホテル近辺を散策し、午後7:00にホテルに戻る。午後8:00、ホテルの部屋で食事、その後いつものように入浴、資料整理を済ませ午後9:30頃ベッドに入った。


オランジュリー美術館
http://www.musee-orangerie.fr/
ホテル「プルマン・パリ・ベルシー」
http://www.pullman-hotels.com

(参考文献)
・「週刊・世界の美術館NO.23・オランジュリー美術館」(講談社刊)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]

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April 24, 2009

オルセー美術館

ロンドン・パリの旅(第17回)

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「フランス国立貨幣博物館」を出て、次に向かったのは「オルセー美術館」である。ここからセーヌ川沿いを西に7~800m進めば、「オルセー美術館」だ。川沿いには、「ポン・ヌフ」から古本などを売る店が、何軒も続いている(写真左)。これがパリ名物「ブキニスト」である。「16世紀後半、ポン・ヌフで露天商が古本を売ったのが始まり」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)との事。「国立美術学校」(写真中左)の前を通り、「カルーゼル橋」の前に出る。対岸には「ルーブル美術館」(写真中右)だ。さらに300mほど歩くと、「オルセー美術館」に到着した(写真右)。本日この美術館を訪れたのは、明日、月曜日が休館日だからである。前回パリを訪れた際、「ルーブル美術館」に時間をかけ過ぎ、「オルセー美術館」での美術鑑賞が時間切れとなり、十分満足いくまで見ることが出来なかったので、今回はジックリ時間をかけて鑑賞したいと思っていた。

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入口前の広場には、馬やサイ、像などのオブジェがある(写真左)。美術館の入口の所まで来ると、長い行列が出来ていた(写真中左)。しかし私はミュージアム・パスを持っていたので、別の入り口から直ぐに入場することが出来た。セキュリティ・チェックを済ませて館内に入ると、目の前には駅の造りがそのまま残るホールが広がった(写真中右)。階段を下りて後ろ側を見上げると、ガイドブックなどによく出てくる時計が、金色に輝いている(写真右)。この「オルセー美術館」は、ご存知のように「1900年にオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎の建築をそのまま利用した美術館。1848年から1914年までの作品を展示し、ルーブル(古代~1857年)、国立近代美術館(1915年~)とともに、各時代をカバーする3代美術館のひとつとなっている」(「04~05地球の歩き方 フランス」より)。展示は「0階(地上階)」と「2階(中階)」、「5階(上階)」の3フロア。「0階」から順番に上がっていくことにした。

この美術館では、フラッシュを使わなければ写真撮影が許されていたので、数多くの名画をカメラに収めてきた。皆さんご存知の作品ばかりなので、あえてコメントする必要はないであろう。私の気に入った作品をご紹介するので、お楽しみ頂ければと思う。


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① 「ヴィーナスの誕生」(アレクサンドル・カバネル作)[1863年、油彩、カンヴァス、130×225cm](左)
② 「泉」 (ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル作) [1820~1856年、油彩、カンヴァス、163×80cm](右)

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③ 「ルーアン大聖堂、正面から見た大扉、茶色のハーモニー」(クロード・モネ作) [1892年、油彩、カンヴァス、107×73cm](左・中左)
④ 「左向きの日傘の女」(クロード・モネ作)[1886年、油彩、カンヴァス、131×88cm](中右・右)

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⑤ 「落ち穂ひろい」(ジャン・フランソワ・ミレー作)[1863年、油彩、カンヴァス、130×225cm](左・中左)
⑥ 「母の肖像」(ジェームズ・アボツト・マクニール・ホイッスラー作)[1871年、油彩、カンヴァス、144.3×162.5cm](中右・右)

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⑦ 「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(エドゥアール・マネ作)[1872年、油彩、カンヴァス、55×38cm](左・中左・中右)
⑧ 「草上の昼食」(エドゥアール・マネ作)[1857年、油彩、カンヴァス、83.5×111cm](右)

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⑨ 「ムーラン・ド・ラギャレット」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1876年、油彩、カンヴァス、131×175cm](左・中左)
⑩ 「習作、日のあたる女の上半身」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作)[1875~1876年、油彩、カンヴァス、81×65cm](中右・右)

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⑪ 「巨大な裸女」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1907年、油彩、カンヴァス、70×155cm](左・中左)
⑫ 「浴女たち」(ピエール・オーギュスト・ルノワール作) [1918~1919年、油彩、カンヴァス、110×160cm](中右・右)


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⑬ 「アルルの寝室」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889年、油彩、カンヴァス、57.5×74cm](左・中左)
⑭ 「午睡(または「昼寝」)」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889~1890年、油彩、カンヴァス、73×91cm](中右・右)

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⑮ 「自画像」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1889年、油彩、カンヴァス、65×54.5cm](左・中左)
⑯ 「コートヴィルのわらぶきの家」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作)[1890年、油彩、カンヴァス、73×92cm](中右・右)

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⑰ 「オーヴェール・シュル・オワーズ教会、後陣」(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ作) [1890年、油彩、カンヴァス、94×74.5cm](左・中左)
⑱ 「黄色いキリストのある自画像」(ポール・ゴーギャン作)[1890~1891年、油彩、カンヴァス、38×46cm](中右・右)

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⑲ 「タヒチの女たち」(ポール・ゴーギャン作) [18891、油彩、カンヴァス、69×91.5cm](左・中左)
⑳ 「夕方のそよ風」(アンリ・エドモン・ドラクロワ作)[1893~1894年、油彩、カンヴァス、116×165cm](中右・右)

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今回は絵画ばかり紹介したが、ご存知の通り「オルセー美術館」には、絵画以外にも彫刻(写真左 : 弓を引くヘラクレス)や装飾的な美術品(写真中・右 : セーブル焼の壺)など、魅力的な展示で満ちている。もっと美術品についての勉強をした上で、もう一度ここを訪れたいと思う。


オルセー美術館
http://www.musee-orsay.fr/fr/accueil.html
平成18年9月4日付当ブログ「パンテオン・オルセー美術館・・・」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/09/post_9f48.html
平成18年11月2日付当ブログ「オルセー美術館展」
http://coinkun.cocolog-nifty.com/coin/2006/11/post_10b0.html

(参考文献)
・「04~05地球の歩き方 フランス」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド・ビッグ社刊]
・「ORSAY・オルセー見学ガイド(日本語版)」(フランソワ・ベイル編)
・「オルセー美術館展」(Weeklyぴあ編)[ぴあ刊]
・「西洋絵画の楽しみ方」(雪山行二監修)[池田書店刊]

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