タシケント(ウズベキスタン工芸博物館、ティムール広場、ナヴォイ劇場)
ウズベキスタンの旅(第17回)
サマルカンドの朝の散歩を終え、出発の準備をして、ホテルのロビーに向かう。午前10:00、バスで出発し、20分ほどでサマルカンドの駅に到着(写真左)。駅の外観は空港のような感じである。中に入ると天井は高い(写真中左・中右)。殺風景だが、シンプルで機能性を重視した造りだ。構内で約30分、乗車案内があるまで待ち、10:50、地下道を通りホームに入る。10:55、タシケント行きの特急列車「シャルク号」(写真右)に乗車。11:10、定刻通り列車はサマルカンドに向け走り出した。
車内は2列の座席、通路、2列の座席になっており(写真左)、座席の前にはテーブルと据え付け型のTVがある(写真中左)。リクライニングも150~160度ぐらいであろうか。ウズベキスタン航空のビジネスクラスよりも、座り心地は良い。窓からの眺めも、バスから見るものとは少し違うように思える。走る場所が違うからであろうか。列車が動き始めてから30分くらい過ぎた頃、昼食用に渡されたランチボックスを開け、食事にする。パン、ゆで卵、チーズ、ハンバーグなどが入っていた(写真中右)。30分ほどで食べ終え、再び車窓を楽しむ(写真右)。
朝から歩き廻ったことによる心地よい疲れと満腹感からか、いつの間にか30分程眠っていた。午後1:15頃目覚め、また窓の外の景色を眺める。約3時間半でウズベキスタンからタシケントに到着(写真左・中左 : 駅の外から)。午後2:45過ぎ、タシケント駅のホームに降り(写真中右・右 : 駅構内)、午後2:56、駅まで迎えに来てくれていたバスに乗った。このようにスムース゛に乗りかえられたのには、理由がある。実はウルゲンチからサマルカンドまで乗せてくれていたバスは、我々が列車で移動している間、我々の荷物だけを乗せて、タシケントまで運んでくれたのだ。おかげで、我々は手荷物だけで移動ができたのである。
タシケントで最初に訪ねたのは、「ウズベキスタン工芸博物館」だ(写真上段左・中左・中右)。15分ほどで到着。この博物館の建物は、1907年に建てられたロシア公使(ポーロクソフ大使)の元私邸で、ここには「陶器」(写真上段右)や「磁器」(写真中段左)、「ガラス製品」(写真中段中左)、「浮き彫り」(写真中段中右)、「楽器」(写真中段右)、「寄木細工」(写真下段左)、「壁掛け」(写真下段中左)、「宝飾品」(写真下段中右)、「ナイフ」(写真下段右)など、ウズベキスタンの工芸品が多数展示されている。
展示品の中でも、最も充実しているのが「スザニ」(写真左)で、サマルカンド(右上)やタシケント(写真右中)、ブハラやヌラタ(写真右下)など、ウズヘキスタン各地で作られたものが並ぶ。中には100年以上前、19世紀の作品もある。「ウズベキスタン滞在記」によると、「スザニの原点は十八世紀頃から広く中央アジアの民族、ウズベク人やタジク人の間で作られ、婚礼時の持参品として壁掛けや物掛け布として使われてきた。また、スザニは娘が生まれると作り始めるとも聞く。その続きを娘が引き継ぎ世代を超えて作って行く過程に、家族の安全や繁栄の祈りを見ることができる。ゆえにスザニは親から子へ代々伝えられる貴重なものなのだ。スザニの語源はペルシャ語の針を意味する「スザン」から来ていて、タジク語では「糸で刺繍をすること」を意味している。中央アジアの女性達の間で綿々と受け継がれてきたスザニは、芸術的価値も大変素晴らしいものだ。図案は地域によって特徴があり、タシケントの図案は比較的現代的な紋様であるが、タジク人の多いサマルカンドやブハラ地域では古典的な植物や花の紋様、組み紐紋様などであり、古典紋様の源流はケルト紋様にあるとも聞く」、「刺繍糸は基本的にはクルミやザクロ、桑の木など自然の素材で染色されたものが使用されている」との事。
約45分で「ウズベキスタン工芸博物館」の見学を終え、次は「ティムール広場」に向かった。サマルカンドでティムールの座像を見たが、この広場ではティムールの騎馬像をみることができる(写真左 : ウィキペディア・フリー百科事典(ティムール)[英語版]より)。5~6分で広場の前まで来るのだが、少々様子がおかしい。広場が全面改装のため工事されており、広場には入ることができないのだ。昨日、サマルカンドの「国立文化歴史博物館」が突然取り壊されていたのと同様、こちらの全面改装についても、ガイドにとっては突然の出来事だという。事前予告などはないらしい。仕方がないので、ガイドの誘導に従い、広場の東側に建つ「ホテル・ウズベキスタン」(写真中左)の、展望フロアに上ることとなった(写真中右)。夕陽で眩しかったが、そこからの眺めは抜群である(写真右)。改装工事のため、植木の抜かれた跡が残る「ティムール広場」(写真下左)。中央には「ティムールの騎馬像」の後ろ姿が見える。右手、北方向には、丸い建物の上にブルーのドームの建物がある。「ティムール博物館」だ(写真下中)。左手、南西方向には、初日に宿泊したホテル「タシケント・パレス」も見える(写真下右)。15分ほど展望フロアから街の景色を楽しみ、ホテルを出た。
ホテル・ウズベキスタン
http://www.hoteluzbekistan.uz
ウィキペディア・フリー百科事典(ティムール)[英語版]
http://en.wikipedia.org/wiki/Timur
サマルカンドからのバスとはここで会い、荷物の受け渡しは終わっていた。引き続きタシケントのバスに乗り、ティムール広場の周りをほぼ一周してから、次の目的地である「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」に向かった。劇場は、初日に宿泊したホテル「タシケント・パレス」の東側に建っていたので、ライトアップされた姿は記憶に残っている。バスに乗ってから、5~6分で到着した。「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」(写真左・中左・中右)は、1947年に完成した1500人収容の劇場で、バレエの学院も併設されている。内装は素晴らしく、6つの休憩ロビーでは、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ホレズム、フェルガナ、テルメズなど各地方のスタイルの装飾を見ることができる。かつて屋外にて音楽演奏がなされていたが、これを屋内で出来るようにするため、1930年に劇場づくりが始まった。1941年、第二次世界大戦のため建設工事は中断したが、1945~1946年頃に工事を再開した。このとき劇場建設に携わったのは、第二次大戦後タシケントに抑留されていた旧日本兵などの捕虜であった。約20,000人いた捕虜のうち、2,000人ほどがウズベキスタンで亡くなったと言う。現在日本人の墓が、800ほど残っているとの事。捕虜たちは、現在劇場前の噴水のある場所に柵が造られ、ここに捕らわれていたとの事。ちなみに、噴水の変わった形はウズベキスタンの作物である「綿花」を模っているという(写真右)。

1966年4月26日、この地で大地震が発生したが、この劇場はびくともせず、この辺りで唯一崩れずに残ったという。ちなみに、劇場の北側の壁には、「1945年から1946年にかけて、極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」との碑が残されている(写真)。
ウィキペディア・フリー百科事典(シベリア抑留)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99

20分ほどで「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」の見学を終え、次は皆さん小銭整理のため、近くのスーパーマーケットに行くという。私は書店に行きたかったので、ツアーを離れ、地図で確認していた近くの書店に急いだ。ガイドからは午後6:00まで開いているとの事であったが、店の前まで来るとすでに閉店されていた(写真)。まだ午後5:15頃なのに何故か分からない。店主がガラス越しに見えたので呼び出して確認すると、すでに閉店したとの事。添乗員によると、明日お祭りなので、その準備のために早く閉めたのではないかとの事であった。旅先の書店で本を探すことは、私の楽しみの一つだったので、非常に残念である。しかし、博物館などで見つけた本を、直ぐに購入しておいて良かったとも思った。重たいからとか、高いからと言って、後で買おうと思ってもダメである。本は見つけた時に買う。これは日本でも同じだが・・・。

書店が閉まっていたので、私もみなさんが行っているスーパーに向かった。今度は少額紙幣とコイン入手のためである。お店は、1Fが食料品や日用品などを売る一般的なスーパーで、2Fは衣料品や化粧品、美容院などのテナントが並ぶ(写真)。小型のショッピングセンターと言ったところか。一通り見て廻るが、買いたいものがない。お釣りで小銭を受け取るつもりだったのだが、困ったことになった。すると添乗員が、ガイドに両替してもらうように頼んでくれるとの事。これまで手確認したところ、入手できていない紙幣は3種類(1スム、3スム、10スム)であることが分かったので、コイン商に行って入手を試みるが、まだ1スム紙幣しか手に入れていない。
グループのうちの一部の人達だが、買い物に時間がかかり、予定より10分ほど遅れて店を出る。次は夕食だ。午後5:50「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」内のレストラン「ニュー・ワールド」に入る(写真左)。天井は高く、広々としたスペースに、贅沢な間隔でテーブルが並べられている(写真中左)。メニューは和食、中華、韓国料理。いわゆるヴァイキング方式なので、好きな物を好きなだけ食べることができる(写真中右)。昼食がランチボックスだったからなのか、それとも和食や中華が恋しかったからなのか。久しぶりに満腹になるまで頂いた(写真右)。これがこのツアー最後の食事。約1時間、楽しく過ごし、レストランを後にした。
ウィキペディア・フリー百科事典(タシュケント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88
タシケント
http://www.advantour.com/jp/uzbekistan/tashkent.htm
(参考文献)
・「地球の歩き方シルクロードと中央アジアの国々 09~10」(地球の歩き方編集室)[ダイヤモンド社刊]
・「ウズベキスタン滞在記」(矢島和江著)[早稲田出版]
・「文明の十字路=中央アジアの歴史」(岩村忍)[講談社学術文庫]
・「標準 世界史地図」(亀井高孝他編)[吉川弘文館]
・「最新世界史図説タペストリー」(川北稔他監修)[帝国書院]
・「新詳世界史図説」(浜島書店編集部)[浜島書店]



































































































































































































































































































































