May 29, 2005

EURO紙幣と建築様式

貨幣ぶらり旅(第27回)

今回中欧を旅するまで、建築物についてほとんど関心を持っていなかった。しかし、先日も投稿したように、帰国後、建築様式などについて簡単に学習したところ、興味が一段と湧いてきた。人というのは関心・興味のあることが増えると、理解力も深まると言われるが、本当のことである。これまでも新たな関心・興味が理解を深めてくれるという経験をしてきたが、今回は意外にも趣味のコインに対する関心と理解を深めてくれた。
簡単な例を挙げると、ユーロ紙幣のデザインについてである。欧州の先史時代から今日までの典型的な建築様式を用いており、表面には、古代、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネッサンス様式など各時代を代表する建築物を、そして裏面には、具体的なモデルになる建築物ではないが、概念的な図柄として橋梁が描かれている。
具体的な建築物を描かなかったのは、ユーロ加盟12カ国の何処にも偏らないようにするための配慮の結果である。個別に見てみよう。

5ユーロ
5front
表面 : 古代アーチ状の柱を持つ建物を描いている。ギリシャ中期、イオニア式の優雅な建築物がモデル。
5back
裏面 : 石造りの水道橋が描かれている。

10ユーロ
10front
表面 : ロマネスク時代のアーチ状の回廊を描いている。キリスト教建築として10世紀頃から欧州に広まった建築様式である。
10back
裏面 : ロマネスク様式で建築されたレンガ造りの丈夫な橋が描かれている。

20ユーロ
20front
表面 : ゴシック様式の建造物の窓を描いている。この絵には無いが、ステンドグラスが盛んになった時期である。
20back
裏面 : 中世末期、ルネッサンス直前頃のゴシック様式を用いた、端正でスリムな橋が描かれている。

50ユーロ
50front
表面 : 14世紀から16世紀初頭にかけて欧州に広まったルネッサンス様式の建物の回廊と窓を描いている。
50back
裏面 : ルネッサンス様式の飾りが特徴となっている橋が描かれている。

100ユーロ
100front
表面 : 16世紀から18世紀にかけて欧州で流行した華麗な芸術様式であるバロック様式の回廊を描いている。


100back
裏面 : 繊細で華麗な曲線を持ち、欄干に彫像を置いたロココ様式の橋を描いている。

200ユーロ
200front
表面 : 19世紀の鉄とガラスを用いた建築様式で、装飾性の高いアール・ヌーボウ様式の建物の入り口が描かれている。

200back
裏面 : 鉄を用いた軽やかで、繊細な感じを持つ19世紀時代に建造された鉄橋を描いている。

500ユーロ
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表面 : ガラスとアルミの軽い素材を生かした20世紀の近代的で機能的な建物を描いている。
500back
裏面 : 放射状に美しくワイヤーが広がる現代的な大型の吊り橋を描いている。

これまで以上に紙幣のデザインに関心を持てたのは旅のおかげかも知れない。
なお、紙幣の写真はECBのサイトから持ってきた。
ECBユーロのHP
http://www.ecb.int/bc/html/hires.en.html

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May 25, 2005

旅で見つけた記念コイン

貨幣ぶらり旅(第25回)

中欧の旅行から戻り1ヶ月近くなる。興奮も冷めて少し落ち着き始めていたのだが、また思い出すことになった。と言うのも、オーストリアのコイン商で予約注文していたコイン2枚が届いたからである。(5月1日付投稿ご参照)
1つはオーストリアが第二次世界大戦後、第二共和制国家となって60年になることを記念して発行された銀貨、もう1つはオーストリアが国家条約で独立し、永世中立国宣言をしてから50年になることを記念するバイ・メタル貨である。
旅行中に終戦60周年記念式典を行っていたので、記念コインの発行がないのか、偶然立ち寄ったコイン商で問い合わせた結果、今回の購入になったのである。
5月11日に発行されるため、4月28日に同店を訪れた際、購入予約して帰国した。発行日から丁度2週間で手元に届いたことになる。
以下、今回購入したコインについて簡単に解説する。
File0005
まず、60年を記念する銀貨から。
額面 : 10ユーロ
直径 : 32mm
重量 : 16g
材質 : 銀・925/1,000、銅・75/1,000
発行枚数 : プルーフ 60,000枚(コインの表面を鏡状に仕上げている)
       ブックレット 40,000枚(通常貨を解説書にパックした状態)
      通常貨 130,000枚
File0007
デザイン : 表面・ウィーンの国会議事堂前にある“アテナの女神像”と、独立の契約書に調印したオーストリアの9つの州の各紋章が並び、10EUROの表示がされている。
      裏面・ウィーンにある国会議事堂と独立を喜ぶ人々の図を囲むように第二共和制60年の文字が書かれている。


次は50年を記念するバイ・メタル貨(2種類の金属に分かれている)について
額面 : 2ユーロ
直径 : 25.75mm
重量 : 8.5g
材質 : 外周は銅とニッケル、内側は黄銅とニッケル
デザイン : 表面・欧州大陸と2ユーロの表示(通常貨と同じデザイン)
      File0006
裏面・外周は12個の星、内側は1955年の独立に際して為された9州の署名とシールが描かれている。

これらのコインに関連して歴史を振り返ると、オーストリアは、第一次世界大戦で敗北し、ハンガリー、チェコスロバキアなどと分離され、国土・人口とも大戦前の四分の一に減少した。また、第二次世界大戦前の1938年にはドイツに吸収された。戦後はドイツと切り離され、英・米・仏・露の共同管理下に置かれたが、ドイツと異なり、ウィーンの中央政府には大幅な自治権が与えられていた。また、ソ連圏に吸収されず、東西に分裂することも無く、さらに4占領国との粘り強い交渉の結果、1955年5月に国家条約で独立を回復し、同年10月には永世中立国として宣言、同国の憲法に定めた。この時から50年、終戦から60年になるのだ。
ハプスブルグ家の全盛期に比べ小さな国になったが、当時の芸術や文化は今に引き継がれている。

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May 20, 2005

作曲家ヘンデルもバブルの被害者?

芸術も経済次第?

音楽の街オーストリア・ウィーンに行ったのだが、もう少し音楽についても知っておけば良かったと反省し、自分なりに整理してみた。私同様、初心者の参考になればと思う。
まず、中・近世・近代の音楽の流れをみると、概ね次の通り。
「中世音楽→ルネッサンス→バロック→古典派→ロマン派」
そして、中世音楽はグレゴリオ聖歌に代表される教会音楽、ルネッサンスは脱教会を目指す音楽、続くバロックは器楽伴奏を伴う大規模音楽、そして古典派・ロマン派は管弦楽付きの大作の時代と言えよう。
① 中世音楽
 6世紀頃から15世紀にかけての音楽のことをいい、キリスト教を中心とする聖歌などが代表的である。西洋美術と対比させると、やはりキリスト教美術と言われるロマネスクや大聖堂が建てられたゴシックの時代に相当する。
② ルネッサンス
 15~16世紀のルネサンス期に作られた音楽の総称。イタリアを中心に14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ全域に広がった美術・文芸・文化上の革新運動をルネッサンスと言うが、それまでの中世が完全に“神の支配下の世界”であったのに対し、ルネッサンスは“人間を中心とした世界観”で、人間性の回復を目指した。西洋美術の場合、ルネッサンスの風潮は、古代ギリシャ・ローマの世界観を見直し、その芸術を賛美する形をとっているが、音楽については、古代ギリシャ・ローマの音楽の復興ではなく、ルネッサンス時代に作られた音楽という意味でこのように呼ばれている。
また、西洋美術のルネッサンスはイタリア中心で始まったが、音楽は現在のベルギー・フランドル地方から栄えた。
③ バロック
 17世紀初頭から18世紀中頃までの、ヨーロッパ音楽をいう。J.S.バッハの死去した1750年代までとすることが多いようだ。ヨハン・セバスチャン・バッハ以外にジョージ・フレデリック・ヘンデルも有名である。(小中学校レベルでは・・・)
西洋美術と同様、激しい動勢、燃え立つ情念、躍動ある生命力といった激しい感情の表現が特徴の様である。
④ 古典派
 18世紀後半を中心とする音楽。フランス革命や人権宣言など、その影響はヨーロッパに広がった。音楽もこれまでとは異なり、貴族や教会中心のものから一般市民のものへと移っていった。
古典派の特徴は器楽曲という点にある。それまでは、声楽が中心で、器楽はオペラなどを盛り上げる役割を果たすに過ぎなかったが、この時代にはシンフォニーなど音楽芸術として器楽を楽しむようになったと言われている。
この時代にはフランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンなど多数の音楽家が活躍した。
⑤ ロマン派
 ロマン主義の精神によって古典派を発展させた音楽で、概ね19世紀のヨーロッパを中心として栄えた。ヨハン・シュトラウス父子ともこの時代に活躍した。
ロマン派音楽はベートーヴェン、ウェーバー、シューベルトを筆頭に、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、ベルリオーズらが続いた。 彼らの多くは、交響曲、協奏曲等の管弦楽を中心とするが、歌曲、ピアノ曲においても特徴的な作品を発表している。
ロマン派音楽は、19世紀を半ばで前期と後期に分けられ、後者は後期ロマン派と言われる。 後期ロマン派としては、リスト、ブルックナー、ワーグナーなどを揚げることができる。
さらに「新古典派」としてブラームス、チャイコフスキーがいる。19世紀末から20世紀初頭にかけての時期は多様なスタイルが共存した時代でもある

以上が、中・近世・近代の音楽についての概略であるが、先日投稿した西洋美術とあわせて考えると、建築・彫刻・絵画などとともに音楽も、当初はキリスト教をベースにしており、布教や教会の権威付け、神秘さの保持のためにスタートしたと言えるのではないか。勿論、古代に遡れば、自然への恐れに対抗するために、また喜びを表現するために自然発生的に生まれたものだとは思う。しかし、神の教えが人々の行動を規律するようになると、重厚な建築物は威厳を表し、彫刻は崇拝の対象になり、絵画は字を読めない人に対しても教えを説き、音楽は神秘性を持たせるといったことに十分に役立ったであろう。これは当時、領主でもあった教会が荘園制封建社会のなかで、経済的基盤を守るのにも貢献したのではないだろうか。
やがて王政からルネッサンスを経て、市民革命が起きる。これまで芸術家のパトロンであった教会や封建領主は没落し、貨幣経済が発達する中で蓄積を増やしてきた富豪たちが次のパトロンになった。絵画なども、それまではいわゆる“おかかえ”だったのが、市場原理にさらされることになったが、音楽も大衆の支持により新しく生まれ変わってきたように思える。
多様な芸術が生まれるには、自由で豊かな社会が求められると共に、芸術家個人の豊かさも求められる。現代でも芸術で生きていくのは大変である。こぐ少数の認められた者だけが豊かな生活ができるのである。才能を発揮する前に、生活に追われてしまうのだ。
話は少々ズレルが、わが国でも色々な人の才能を引き出すため、映画、絵画、ゲームソフトなどへ、投資ファンドを通じての出資が検討されている。可能性のある人に、広く薄く大衆からお金を集めて作品を作らせる。アメリカなどではかなり前から行われている手法だ。新しい芸術が生まれるためには、実はファイナンスの発達が重要なのではないだろうか。西洋美術や音楽の概説的な書物と歴史書を数冊読んだに過ぎないのだか、そのように思えて仕方がない。
ところで、色々な音楽に関する本を読んでみたのだが、その中で音楽以外に関心を引いた記述があった。引用・紹介して終わることにする。
バロック期、イギリス・ロンドンで作曲したジョージ・フレデリック・ヘンデル関連である。
「大陸諸国と異なり交易中心に経済を活性化させたイギリスでは、貴族たちも金儲けに夢中になった。この国では、貴族は資産にあぐらをかく遊び人ではなく、株式投資で富を増やす実業家だった。ヘンデルのオペラを上演すべく設立されたロイヤル音楽アカデミーも、出資額に応じて配当を支払う株式投資会社なのである。その背景には異常な投機ブームがあった。象徴的なのが貿易会社“南海会社”(南海泡沫事件はオランダ・チューリップバブルと並んで有名―注釈筆者)株で、1720年に100ポンドだった株価は半年で10倍に跳ね上がった。ところがこれが文字とおりのバブルで、年末には株券が紙切れ同然。同社に500ポンド投資したヘンデルも被害を被った。(中略)再起を図ったヘンデルはイギリスに帰化すると持ち株を手放し、その利益で新ロイヤルアカデミーを立ち上げる。ところがヘンデルを嫌う投資家たちがこれに対抗して“貴族オペラ”を設立、人気絶頂のカストラーネ、ファリネッリを招聘して泥試合になった。数年後、この二つの株式オペラ会社は両者共倒れで終わった。多額の負債を抱えたヘンデルを救ったのがオラトリオの成功だった。多額の収益を上げ続けた“メサイヤ”こそ、作曲者にとっての救世主になったのである。」[一冊でわかるクラシック音楽ガイド(後藤真理子監修)成美堂出版 : 2005年1月1日発行・1,300円+税]より。


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May 18, 2005

音楽の街ウィーンとヨハン・シュトラウスⅡ世

金ピカのヨハン・シュトラウス

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先日(16日深夜、正確には17日)TVのスイッチを入れると、NHK教育で名曲アルバム選を放送していた。画面には、金色に輝く立像が映っている。「あれは!」と思わず小声を上げた。オーストリア・ウィーンの市立公園で見た“ヨハン・シュトラウス”の像である。
音楽を聴くのは好きだが、音楽に関する知識はほとんど無い。“ヨハン・シュトラウス”の名前ぐらいは知っているが、それ以上は何も知らない。ウィーンでこの像を見た時も、「金ピカで綺麗だナ」思いながら、「何でバイオリンを持っているのだろう」程度の疑問を抱いたに過ぎなかった。
しかし、TVで放送している音楽と解説を見ていると、音楽の街“ウィーン”と、“ヨハン・シュトラウス”のことが、少し分かったように思えた。
放送された曲は、すべて“ヨハン・シュトラウス”作曲、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏である。曲目は①ワルツ「酒、女、歌」、② 「こうもり」のカドリール、③ ワルツ「ウィーンかたぎ」である。“ヨハン・シュトラウス”は父・子とも音楽家で、これら三曲のほか、「皇帝円舞曲」や「ウィーンの森の物語」なども息子のヨハン・シュトラウスⅡ世の作品なのだ。
金ピカの像もⅡ世である。バイオリンを持っているのは、彼が作曲家・指揮者でかつバイオリニストであったこと、またバイオリンを演奏しながら指揮していたからだということを知り、驚いた。指揮者は指揮棒しか持たないと思っていたので・・・。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の父は、息子が音楽家になることに反対し、経済学の勉強をさせたようだ。しかし、父が愛人をつくり、家出した後、息子は音楽家になった。父の生存中はお互いライバル関係にあったようだが、父が亡くなった後は、息子のヨハン・シュトラウスⅡ世が名実ともに“ワルツ王”になり、一世を風靡した。
ところで、ウィーンは音楽の中心地の一つ。他にも多数の優れた音楽家を輩出している。モーツアルト(お土産に買ったチョコレートではない?)、ベートーベン、シューベルトなど、小・中学校で習った有名音楽家達である。あらためて彼らの作品を聴いてみると、昔とは違った良さを感じる。
実は今、「皇帝円舞曲」を聴きながら、この文章を書いている。目を閉じると、ハプズルグ家の人たちや皇族・貴族が優雅に、また流れるように踊っている様子が目に浮かぶ。
この文も流れるように書ければ良いのだが、なかなか上手くは行かない。心だけが躍っている?

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May 17, 2005

チェスキー・クルムロフ城はゴシック?バロック?それとも・・・

初歩の初歩、入門者が見た中・近世の西洋美術

今回の旅行で新たに興味を持ったのが、西洋の美術である。
これまでほとんど関心を持っていなかったのだが、この度、中・近世の建築・絵画・彫刻などを見て、その美しさや素晴らしさに魅かれた。単に素晴らしいと思うだけでも、心にとって良いことであろうが、理解出来ればさらに良い。西洋の美術と言っても、時代によって異なる。つまり、政治・宗教・市民の意識・そして経済的背景が異なることにより、表現される芸術も異なるのだ。
そこで西洋美術を見るにしても、これら諸要素をベースにした、自分なりの“ものさし”が必要だと思い、簡単に纏めて見た。詳しい方にとっては、「なんだそんなことか」と言う内容であろうが、入門者が、興味を深めていく第一歩として役に立つのではないかと考えている。題して、「初歩の初歩、入門者が見た中・近世の西洋美術」である。
まず全体の流れから。中世・近世の西洋美術の流れを大きく捉えると、「ロマネスク→ゴシック→ルネッサンス→バロック→ロココ」の順である。
①ロマネスク
歴史的に見ると、ゲルマン民族の大移動の後、ヨーロッパ各地にゲルマン民族の独立国家ができ、各国は主にキリスト教を国教にした。諸国の中ではフランク族が勢力を伸ばし、さらにその中でもメロヴィング朝が栄え、独特の装飾文様を持つメロヴィング朝美術が生まれた。次いで同じフランク族のカロリング王朝が栄えた。この時代は古代ギリシャ・ローマの芸術の復興を目指していたのだ。その後カロリング朝の分裂、ノルマン人の侵入などでヨーロッパは混乱したが、やがて封建制度が確立され、キリスト教文化が全ヨーロッパに広まると共に、メロヴィング朝以来の美術も統合され、一つの様式を生み出すことになった。これがいわゆる「ロマネスク美術」である。10世紀から13世紀のキリスト教美術と言える。この時代には、各地に教会が建てられ、この教会を中心に浮彫や壁画、写本芸術が盛んになった。
ロマネスク建築は石造りで、その重い屋根を支えるため、壁も分厚く、重々しい構造になっている。天井のアーチは特徴的である。
②ゴシック
12世紀ころのフランスが起源。政治・経済の中央集権化が進み、都市が発達、大聖堂などが次々に建てられた。ゴシックはこの建築から始まり、その特徴は尖った屋根、それを支える無数のアーチ、そして高窓である。垂直線が強調され、建物内部にふんだんに外光が取り入れられているのも魅力。壁を窓で埋めるゴシック建築ではステンド・グラスが全盛となった。円柱に人物像を刻むゴシックの彫刻も面白い。
ところで、「ゴシック」という言葉は、16世紀のイタリア人が用いたもので、「ゴート人の粗野な建築様式」という意味のようだ。
③ルネッサンス
イタリアを中心に14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ全域に広がった美術・文芸・文化上の革新運動をルネッサンスと言うが、それまでの中世が完全に“神の支配下の世界”であったのに対し、ルネッサンスは人間を中心とした世界観、人間性の回復を目指した。ルネッサンスの風潮は、古代ギリシャ・ローマの世界観を見直し、その芸術を賛美する形をとっている。
建築では、豪華な宮殿や私邸が多く、世俗的な市民の建造物が次々に建てられた。彫刻も中世のように建築の付随的芸術としてではなく、独立した芸術として造られるようになった。
人間性回復と言う点は、絵画に最も良く表われており、礼拝堂の壁画などにも数々の作品が残されている。ルネッサンス期は、一般に初期、前期、盛期、後期に分けられているが、ここでは触れない。
④バロック
ルネッサンスの近代精神の波は、16世紀後半、全ヨーロッパに広がり、17世紀にはドイツ・オランダが新教国として出発し、国内の統一も果たした。このような時代に広まった美術様式がバロックである。理知と均衡を特徴とするルネッサンスに対し、バロックは不規則で、激しい動勢、燃え立つ情念、躍動ある生命力といった激しい感情の表現が特徴である。建築では、静かで秩序正しいルネッサンス様式に対し、バロック様式は不均衡で力強い動感を有している。また、周囲の空間を構想に入れた彫刻にも特徴が見られる。
⑤ロココ
貴族社会から生まれたこともあり、軽快、優美、典雅さが特徴である。フランス・パリを中心とした自由奔放な貴族趣味と、富豪たちの享楽主義という当時の時代背景から生まれた。しかし、18世紀末の人権宣言をはじめとするフランス革命の勃発によりブルボン王朝と貴族階級は衰え、それと共に貴族的趣味であるロココに対する反発も強まり、やがて衰退していったのである。
さて、以上を予備知識として、今回の旅行で見た芸術、特に教会、礼拝堂、お城などの建築物を中心に見てみると、これまでとは違った感じで鑑賞できる。
まず中・近世の建築物が混在して残るチェコのプラハ市内からみる。
旧市街広場の真ん中に立ち、グルリと一回転すると、ゴシック、ルネッサンス、バロックを見ることができる。
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「ティーン教会」、先の尖った屋根。まさにゴシック。そしてルネッサンス様式の美しい飾り屋根と案内書に書いてあるのだが、どの部分か私には分からない。
「旧市庁舎塔」、これもゴシック。これにもルネッサンス期の装飾が施されているという。
「聖ミクラージュ教会」はバロック。ゴシック様式とは明らかに違う。たまねぎ型の大きなドーム状屋根、丸みのある塔が特徴的である。ただ、不均衡で力強い動感というのが分からない。この建物のような感じがそうなのであろう。
「ゴルツ・キンスキー宮殿」、これはロココ。優雅さを感じることが出来る。波打ち際の波が丸くなったようなソフトな感じ、ロココの特徴が出ている。
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旧市街広場から少し東に行ったところにある「火薬塔」。これは疑いなくゴシック。屋根の尖り、垂直な線、高窓とゴシックの特徴を備えている。
今度は旧市街広場から少し西に行くと、「カレル橋」がある。橋の旧市街側橋塔はゴシック。これも典型的なゴシック建築だ。
次は「カレル橋」を渡った向こうにあるプラハ城。城内にある「聖ヴィート大聖堂」もゴシック。ここは中に入ったが、ステンド・グラスが美しい。このステンド・グラスの中には、ミュシャの作品もある。余談であるが、先日(5月15日)、TVでミュシャがチェコの独立、スラブ民族の統一に尽力したと言う内容の番組と、チェコのユダヤ人地区について解説する番組を放送していた。これまでであれば見なかったと思うが、先日は興味を持って見てしまった。
同じく城内にある「聖イジー教会」はロマネスク。2本の白い尖塔を持っているので、お城の高いところから見ても良く分かる。しかし、ロマネスクの重量感を感じることはできなかった。どこかロマネスクの特徴とは違うように感じたので、解説書を読むと、17世紀に初期バロック様式のファサード(家屋の正面の外観)が造られているという。様式が混在しているので、初心者の私にも違和感があったのだ。
最後にチェスキー・クルムロフ城をみる。ここは、ガイドの話だと、「それぞれの時代の様式が見事に調和した複合建築物」と言うことである。領主が変わる毎に増改築が行われたため、複合建築物になったようだ。
案内書を見ると、13世紀にヴィートコヴィツ家の分家の居城としてゴシック様式で建てられ、16世紀にロジェンベルク家がルネッサンス様式で、18世紀初頭にエッゲンベルク家がバロック様式で、さらに18世紀後半にはシュヴァルツェンベルグ家がロココ様式でお城に手を加えていったという解説がされていた。
写真で振り返ると、多分この当たりがバロックで、ここがロココではないかといった推測は出来る。旅立つ前に、今回まとめた程度の知識を得ておけば、当日はもっと楽しかったのではないかと考えると残念である。絵画や彫刻についても同じである。
本稿では中・近世の西洋美術について概観したが、古代ギリシャやローマ、エジプトやメソポタミアの美術もあるし、新しいところでは新古典主義やロマン主義、印象主義など様々なスタイルが見られる。今後の旅の楽しみを増やすためにも、政治・経済などの背景と共に美術についての知識を増やしていく必要性を感じた。

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May 16, 2005

カタカナドイツ語・チェコ語

関空からウィーンへ向けての飛行機の中で


海外旅行に行く場合、いつも現地の言葉を勉強して行く。と言っても、ほんの僅かなフレーズを覚えていくだけなのだ。
今回はドイツ語とチェコ語、私にはどちらも初めての外国語である。無理をしなくても、旅先では英語で十分。しかし現地の言葉を話すと、その後の会話が楽しく弾むような気がするのだ。僅かでも日本語を話す外人に好感を持ってしまうのは私だけか?
ドイツとオーストリア・ウィーンはドイツ語、チェコはチェコ語。まず滞在日数の多いドイツ語を重点的に覚えた。珍しく頑張って十数のフレーズと食べ物や観光に使えそうな名詞を幾つか記憶した。カタカナで書かれている本だけが頼りである。
普段は全く頭に入らないのだが、旅先で使うつもりになると、何故か覚えられる。帰国後、テレビやラジオでドイツ語講座を聞くが、全く頭に入らないのは使う当てが無いからであろう。
実践はウィーン行きの飛行機から始まった。客室乗務員に話しかける。5~6人の乗務員がやって来たが、そのうち若い男性のアテンダントが私に関心を持ってくれた。まず知っている飲み物や食べ物の名前をフルに使ってみた。赤ワイン、白ワイン、水、ビール、オレンジジュース、りんごジュース、日本茶、コーヒー、紅茶、砂糖2つ、ミルク付き、氷を入れてなどなど注文の嵐。そのうち面白がって乗務員の方から話しかけてくれる。チョコレート、ケーキ、チーズ、パン、チキンラーメンなど次々と持ってくる。他のお客に比べ、明らかに私に話しかけてくれる回数は多い。その都度飲み食いしていると、お腹が一杯になった。
「お腹が一杯」とドイツ語で言うと、笑いながら「よかったネ」と言っていた。
色々話しているうちに、カタカナで覚えただけのドイツ語の発音の感じが分かってきた。飛行機の中の数時間だけでこれだけの効果。驚くばかりである。
ウィーン空港に着いた頃には変な自信が湧いてきた。両替所で「こんにちは」と「両替お願いします」をドイツ語で言うと、飛び切りの笑顔をもらった。変な外人と思ったのだろうか? 後は英語で話すのだが、私の願いを一生懸命に聞いてくれた。願いとは、既に別の投稿で述べたように、各国のユーロコインを入れて両替して欲しいというもので、面倒なことなのだが、手元の両替用コインを1枚1枚見て、探してくれたのである。
レストラン、デパート、土産物屋、両替店などあらゆる所でこの調子。カタカナドイツ語でも通じるものだと思い楽しい旅を続けていた。
チェコ語は、ほとんど教材も無く、滞在日数も少ないので、数フレーズと僅かな名詞を覚えただけである。しかし、一人の人にチェコ語で挨拶するだけで、周りの人も振り向いてくれた。日本人がチェコ語を話すのが珍しいのか。ガイドをしてくれたチェコ人の女性も、「こんなにチェコ語を話す日本人はいない」と言いながら、会話の相手になってくれた。短期の観光客で、私のようにノー天気に、知っている僅かなチェコ語を話して自己満足している人はいなかったのかも知れない。
日本人旅行客が少ない地域で、マイナーな言葉を話すと面白いので、もう少しチェコ語を覚えてくれば良かったと思いつつホテルに戻った後、次の日に使うため、少しずつ新しい単語を覚えていった。
ドイツ・オーストリア・チェコ共に、私が接した若い人(40歳代ぐらいまで)は皆、英語が話せたが、年配者は話せない人が多かったように思う。しかし、それでも道などを尋ねると、親切に一生懸命ドイツ語で説明してくれた。感謝である。
ベルリンからチェコを廻ってウィーンに戻ってきた頃には、ドイツ語にも慣れてきたので、知っているフレーズを流暢に(?)話すと、スピーディーなドイツ語で話しかけられて困惑、一瞬「ポカ~ン」としてしまった。何事も調子に乗りすぎると良くない。
ヨーロッパの旅は今回が初めてだったが、ドイツ語圏だけでなく、イタリア語、スペイン語、フランス語を話す国からも多数観光に来ていたので、これらの言葉も復習して行けば、もっと楽しさが広がったのではないかと思った。
帰国後は、頭に入らないながらも、NHKの各ラジオ講座の初級編を聴いている。次の旅行はもっともっと楽しく過ごせるのではないだろうか。

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May 14, 2005

昭和天皇より長い在位期間の王様の金貨

貨幣ぶらり旅(第22回)

今回はフランツ・ヨーゼフⅠ世の金貨について。
関空から飛行機に乗りウィーン空港に到着。入国審査を済ませ、ベルリン行きの飛行機を待っている間、ウィーン空港内をウロウロしていた。目的は、コインの収集である。色々な国のユーロコインを両替しようと思っていたのである。
最初に目にした両替所。両替のレート表の横に金貨の写真が掲示されていた。ウィーンのハーモニー金貨とフランツ・ヨーゼフⅠ世の金貨である。
どちらも地金型金貨であるが、ハーモニー金貨は日本でも田中貴金属などで購入できるのに対し、フランツ・ヨーゼフⅠ世の金貨はコイン商からでないと入手できない。普通、地金型コインは世界の金相場と円・ドル為替で決まるが、コイン商を通じて購入する金貨は、かなりの手数料が上乗せされる。チャンスと思い早速フランツ・ヨーゼフⅠ世の金貨を購入した。1枚157.5ユーロ、純度98.60とほぼ純金である。(純金は99.99)
以下このコインについて述べる。

フランツ・ヨーゼフⅠ世(1848-1916)について
フランツ・ヨーゼフ皇帝は、1848年18歳でオーストリアの王位を継承した。以後68年間王位にあった。この在位期間は現在のところ、史上最長である。彼は第一次世界大戦中の1916年に亡くなった。彼が統治している間のオーストリアは政治、産業、経済、技術、輸送・交通など、あらゆる面で著しい進歩を遂げた。
その時期は、”ゴールデンエイジ”と言われており、その良き時代が美しい金貨に表わされている。

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デュカット貨
 デュカット貨の発祥は、北イタリア、中世のベニスである。16世紀の初頭、オーストリアは様々な種類のデュカット貨を発行した。デュカット貨は、1858年までオーストリアの法定通貨であり、その後は貿易用通貨として発行された。
1デュカットと4デュカットは、第一次世界大戦時下、金本位制が廃止される1915年まで製造が続けられた。現在再鋳されているデュカット金貨のデザインは、1872年に新しくデザインして発行されたデュカット金貨と同じであり、年銘は1915年を使用している。

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グルデン貨
 19世紀のグルデン貨は、銀貨であった。1865年にフランス、ベルギー、イタリア、スイスはラテン同盟を結び、同じ重量、品位、サイズ、等価のコインを発行することを取り決めたことから、各国のコインは同盟国間で相互に流通した。オーストリアは1870年、同盟に加盟し、8グルデン金貨と4グルデン金貨を発行した。これらの金貨はコロナ金貨が発行される1892年まで造られた。

100krav

コロナ貨
 1892年に作り直された通貨はオーストリアの歴史上最初のコインとして紹介された。1コロナは銀貨であったが、基本通貨はコロナ金貨であり、10コロナと20コロナ金貨がグルデン金貨に替わって発行された。10コロナ金貨は1912年まで発行、20コロナ金貨は第一次世界大戦中の1915年まで発行された。また、1908年にはフランツ・ヨーゼフⅠ世の在位60年を記念して、100コロナコインも発行されている(通称 : 雲上の女神)。
さらに、1909年にはニューサイズのコインが出され、1915年まで製造された。

現在の再鋳貨
 1920年から1936年の間、第一次オーストリア共和国はフランツ・ヨーゼフⅠ世の亡くなった年である1915年銘で1デュカットと4デュカットコインを発行した。
さらに、1950年から始まる第二次オーストリア共和国は、グルデン金貨を1892年銘で、コロナ金貨を1915年銘で再鋳した。
これらの金貨は、現在も再鋳されており、贈り物に、また貯蔵用として非常に人気が高く、地金価格に僅かなプレミアムを乗せて販売されている。

* オーストリアで入手した資料(英語・ドイツ語)をベースに、世界史の参考書や貨幣カタログで確認しながら本稿を作成した。

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May 13, 2005

ウクライナ帰りの大工さん

楽しかった旅行も最終日

今日は最終日。午前11時まではフリータイム。6:30に朝食。7:30から外出する。
まず、昨日行けなかった証券取引所を目指す。朝早くても開いていると思ったからである。
ホテルからリンク内を横切るように進み、中ほどよりやや北に、昨日教えてもらった住所の表示が出ていた。しかし、肝心の証券取引所が分からない。ビジネスマンの通勤時間帯になったのであろう。地下鉄の駅から大量の人が出てきた。と言っても東京・大阪のビジネス街に比べれば遥かに少ない。行き交う人々に色々尋ねた結果、最も証券取引所らしくない建物の中にあった。神戸の港町にある、古い石造りの建物に似た感じである。
中に入って受付嬢に見学したい旨伝えると、見学コースは無いとのこと。日本の証券取引所の見学コースについて説明し、同じように見ることが出来ないか聞くが、ダメであった。
ウィーンの証券取引所も現在はコンピュータ化されており、立会いは無いようだ。また、メインの取引はドイツに移っており、日本の地方の証券取引所と同じく、寂れてきている様子である。
その後、以前投稿したが、ウィーンのコイン商の店と銀行を廻り、街中でお土産のチョコレートを追加購入してホテルに戻った。
出発まであと1時間。荷物が増えたが、カバンは手荷物の1つだけ。購入した本やコインが入りそうにないので仕方なく、日本から持っていった幾つかの物を捨てることにした。
カバンの半分以上がコイン・コイン関連の本、コイン関連の小冊子・チラシである。
他人から見ると紙くずの山であろうが、私にとっては宝の山である。
出発時間にホテルを出て、ウィーン空港へ行く。空港には30分ほどで着いた。
チケットをもらった後、免税等税関手続きの必要な方たちと別れ、ラウンジへ行くと、ウクライナから帰るところの大工2名と出会った。
金持ちのウクライナ人が日本式の家を建てるため、請負契約を結び、現地で建築しているとのこと。当初簡単に出来ると思っていたらしいが、使用する木の材質は違う、日本の工具が使えない、現地にある日本の工具会社に調達に行くが、日本人仕様ではなく使い勝手が非常に悪い、現地で使う人が思ったように動かない、などなど想定外のことが一杯起きているとの事。
しかも、日本式の家とは言うものの、畳部屋は1部屋だけで、後は竹を敷いて土足で入れるようにしている様子。そう言えば地盤も柔らかく、基礎固めが日本以上に必要なのだが、肝心のコンクリートの質が悪く、上手く固まらないとも言っていた。
追加工事で工期も延びている模様。甘く見積もった大工のおかげで、注文主のウクライナ人は幾らぐらい追加投資を余儀なくされたのだろうかと思いつつ、話を聞いていた。
出発の時間、関空目指し13:55にウィーンの空港を発つ。翌日8:00ごろ無事に帰国した。
色々と、本当に楽しく、有意義な旅であった。

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May 12, 2005

子供の頃マリー・アントワネットも過ごした宮殿

豪華絢爛シェーンブルン宮殿

今日はオーストリアのウィーンである。今回の旅の実質最終日。楽しみにしていたことが沢山ある。
午前中はツアー仲間と一緒に観光、午後からは自由行動である。
まず、リンクから南西に約3km離れたところにあるシェーンブルン宮殿である。ウィーンに来たからには、絶対に見落とせないポイントのようだ。
本日のガイドは日本人。遠目には若く見えるが、近くで見ると、「ん~ 」年齢不詳 ?
内部の見学は順路が定められており、係員が順番に部屋の鍵を開けて通してくれる。
宮殿内部は豪華絢爛。ブルボン家のベルサイユ宮殿に対抗して建てられたというシェーンブルン宮殿だけのことはある。ハプスプルグ家の威信をかけた作品か。
ここで、有名なマリア・テレジア、フランツ・ヨーゼフⅡ世が生活していたのだ。さらに、ベルバラで有名なマリー・アントワネットも子供の頃をここで過ごしたのである。
素晴らしい、ということは分かっても、それ以上が理解出来ない。建築や美術に興味を持つ人にとっては、何時間いても飽きないのではないだろうか。
約1時間、一通り見学を終え、外に出る。
次は庭園である。宮殿を出て、左へ左へと行くと、広場に出た。そこから見えたグロリエッテはまた美しい。当初宮殿を作る予定であったのを変更して、対プロイセン戦勝記念かつ戦没者慰霊のため建てられたものらしい。時間がなかったので、側まで行くことは出来なかったが、記念写真を撮る。

シェーンブルン宮殿のHP
http://www.schoenbrunn.at

さて、次はシュテファン寺院である。ガイドに連れられて中に入る。ウィーンのシンボル的なカトリック系の寺院だそうだ。高さ72mの監視塔に上ることが出来るとのことだったが、時間がなかったので諦める。地下にはペストの犠牲者とハプズルグ家王族の内臓が納められているという。そう言えば、中世ヨーロッパはペストで人口の三分の一を失ったのだ。
モンゴルが大陸を支配したことにより、文化や人の交流が盛んになったが、病気もアジアからヨーロッパに伝染したのである。ペスト菌はもともと、アジア原産の野生のクマネズミ類が保菌していた。ネズミに寄生するノミに噛まれることで、人間にも感染したそうだ。
現代も世界の隅々まで人が行き交う時代。エイズ・エボラ熱などなど恐ろしい病気が蔓延しなければ良いのだがと思わずにはいられなかった。
中を見終わって外に出ようとした頃、ミサの時間と言うことで、その間新たに来た観光客は中に入れないようだ。良い時間に連れてきてもらった。

シュテファン寺院のHP
http://www.stephanskirche.at

その後、ショッピングに最適であるリンクのメイン、ケルントナー通りを歩き、国立歌劇場近くにあるお土産物屋に行く。ここには日本人スタッフがいる。一通り説明を聞いた後、解散・自由行動である。
ここから私の好きなところに行けるということで、昼食も採らずに動き始める。
まずは美術史美術館でコインの展示をみる。コインのポスターを買い、次はトラムに乗ってウィーン大学の前で下車、ヴォティーフ教会の前を通りオーストリア国立銀行の貨幣博物館を見学。ここでの詳細は既に投稿済みなので省略する。

美術史美術館のHP
http://www.khm.at

貨幣博物館を出た後、徒歩で約15分。日本大使館の前を通り、ウィーンの証券取引所に到着。中に入るが、取引所がある様子はない。1階のエントランスの壁には、多数の事務所の案内が掲示されていた。ジッと見ていると、日本経済新聞社のウィーン駐在事務所があった。ここなら事情がわかるかもしれないと思い、訪ねてみる。
ノックをして入ると、ブロンドの可愛い女性が1人座っている。突然の訪問で驚いた様子。事情を説明すると、駐在員は外出中だったが、証券取引所は移転していることを教えてくれた。さらに親切なことにネットで移転先を調べ、プリントアウトしてくれたのである。

ウィーン証券取引所のHP
http://www.wienerboerse.at/cms

移転先は近いので、探すが直ぐには見つからない。歩き回っていると、これも以前の投稿でお話したが、偶然コイン販売店を見つけ色々な資料をもらって来た。
しかし、肝心の証券取引所が見つからない。造幣局にも行きたかったので、証券取引所は諦めて、トラムに乗る。荷物も増えたので、一旦ホテルに戻り、荷物を置いて再度出かける。
余談になるが、トラムに乗っていると賑やかな老外国人のおばちゃんたち。何処から来たのか尋ねるとアメリカからとのこと。私は日本から来たというと、「電車の事故は大変ですネ」の一言。JR西日本の福知山線脱線事故のことだ。朝からCNNのニュースで流れていたからであろう。しかし、意外な反応にビックリした。
さて、ウィーンの造幣局は市立公園の裏にある。昨夜来た金色に輝くヨハン・シュトラウス像の前を通り、公園を抜けて造幣局に行く。これも以前の投稿でお話したように、金貨などを購入する。その後、またトラムに乗って王宮庭園の前で下車、ホーフブルグ宮殿に行く。残念ながら王宮の中には入らなかったが、庭園を歩き回る。芝の緑が非常に綺麗である。鮮やかな緑。我が家の庭の芝とは種類が違うのだろう。もっと手入れしなければダメなのか・・・。
市民庭園には沢山の人が芝の上に座ったり、寝転んだりしている。平和でのんびりした雰囲気である。一通り見て回った後、お店で賑やかなケルントナー通りに行く。留守番をお願いしたお向かいのおばさんにお土産を買わなくてはと思い、探し回る。かさ張らないものという事で、無難な”モーツアルト”のチョコレートを購入する。
お腹が減ったので、何か食べようと思い歩き回ると、マクドナルドを見つける。本当に世界中どこにでもある。ウィナー・シュニッツェルを挟んだようなハンバーガーとコーラを注文する。バーガーが2.75ユーロ、コーラ(Mサイズ)は1.8ユーロである。そう言えば、経済学の購買力平価の説明に際し、ハンバーガー購買力平価なるものを解説する先生方は多い。世界中同じものであれば、物価も比較しやすいと言うことである。昔、海外旅行を頻繁にしていた頃は、必ず現地のマクドナルドに行って、物価比べをしていたことを思い出した。
コーラで比較すると、1ユーロ=140円としても250円ぐらいになるので、日本の1杯150円に比べて割高であるように思う。
食後、ケルントナー通りにある両替屋で、ユーローコインセットというのを見つけたので購入する。14.99ユーロ。今考えると超高い。よく考えて購入すべきであった。
かなり疲れてきたので、またホテルに戻る。ホテルの入り口に着くと、ツアー仲間のうちオペラ観賞などに行く数人と出会う。皆さんドレスアップしていたのでビックリである。
ホテルのロビーに添乗員さんとツアー仲間の1人がいたので雑談する。
そのとき観覧車は行きましたかの質問。忘れていたのを思い出した。疲れは吹き飛んだ。そこでまたもや外出する。
ホテルの前からトラムに乗り、3つ目で下車、地下鉄カールスプラッツ駅からU1で4つ目のプラーターシュルテン駅で降りる。そこから徒歩で10分、目的地であるプラター公園に着いた。元々はハプスブルグ家のお狩り場だったところで、公園内の直径61mの観覧車は有名。「第3の男」では、この観覧車が重要なシーンを演出したそうだ。
technik_04

日本の観覧車を想像していると、大違い。1つの箱(?)に20人ぐらい乗れるのである。真ん中にテーブルのような大きな椅子がある。私以外に4組の老夫婦、計9名が乗車。2~3台毎に人を乗せていた。乗せる毎に観覧車は停車する。既に乗っている人は、その間ゆっくり展望できるのだ。観覧車のチケットは7.5ユーロ。既に日は沈み、周りは公園の遊園地のネオンで綺麗である。小雨が降り始めたので、見晴らしはイマイチであったが、それでもリンクの方の様子は良く分かる。
観覧車のHP
http://www.wienerriesenrad.com

観覧車を降りた後、地下鉄・トラムを乗り継いで帰る。
今日も目一杯遊んだ。また泡風呂を楽しんで寝る。
明日は帰国。午前中は11時まで自由時間。さてどのように過ごしたかは、次回の投稿で。


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May 11, 2005

チェスキー・クルムロフ城

お城から見た素晴らしい中世の姿

今日はチェスキー・クルムロフ、ここは1992年にユネスコの世界遺産に加えられた世界で最も美しい街の1つと言われている。
プラハからバスで約3時間。漸く到着する。本日のガイドはチェコ人で英語を話すが日本語は話せない。チェスキー・クルムロフ城の中に造幣局があったようなので、確認を取ると、現在は建物だけが残っているとのこと。少し残念。お城を見物し、帰る頃には出入り口付近で昔のコインの作り方でメタルを作るお店が出るとのこと。楽しみにする。
チェスキー・クルムロフ城の入場は人数制限があり、予約制である。時間が来るまで、開いていた売店を覗く。カレンダーや絵葉書を売っている。コインはない。
入場時間がきた。このお城は、チェコでプラハ城に次ぐ大きさ。城主が変わるごとに増築されたため、ルネッサンス様式、バロック様式、ロココ様式が混在した複合建築と言われている。
お城の中の見学は、ガイドブックに載っている城内見学コースのルートⅡに従っていた様に思う。あちこちで同じようなもの(よく分かっている人には違うのでしょうが・・・)を見た上、メモを取っていなかったので、記憶がハッキリしないのが残念。シュバルツェンベルグ家の肖像画や19世紀のインテリアなどを見学したように思う。
見学を終え、外に出ると、素晴らしい見晴らし。ヴルダヴァ川に囲まれた中世の町並みは感動である。ここで初めてツアー参加者全員の記念写真を取る。

チェスキー・クルムロフについてのHP
http://www.ckrumlov.cz/uk/zamek/oinf/i_sthrza.htm
その後旧市街に出て、スボォルノスティ広場で解散、ランチタイムまでの間暫く自由行動である。ここでは、両替店2つと、銀行1行を訪れる。50コルナコインが無かったことに気付いたので探すが、ない。ところが、1つの両替店を見ると、チェコのコインセットを販売しているではないか。早速購入した。プルーフではないが、未使用貨がパックされている。価格は458コルナ。中に入っているのは50・20・10・5・2・1の各コルナコインと50ハーレルコインの7枚である。やはり昨日苦労して手に入れた20・10の各ハーレルコインはない。ついでに紙幣も集めようと思い、高額紙幣を置いている別の両替店に行く。なるべく新しい紙幣でとお願いして、1,000・500・200・100・50コルナの各紙幣を両替した。5,000と2,000コルナは高額なので両替しなかったのだが、帰国してから両替しなかったことを後悔している。他のツアー仲間は、なるべくチェコの通貨を残さないようにしているのに、必死で集めている自分の姿を、客観的に見ると、少しおかしくなって笑ってしまった。コレクターとはこういうものなのか・・・。
昼食後バスに戻る。途中、朝方案内のあったメダルを作っているお店(露天)が出ていた。
溶かした金属を入れ、その上から刻印するようにして作る鍛造方式。中世のコインが作られる様子を簡単に再現している。面白いので2枚購入する。1枚60コルナであった。
さて、バスに乗り、チェコとはお別れ。次はウィーンである。ウィーンに入るには、チェコ出国とウィーンの入国が必要だが、運転手が日本人ツアーであることを告げるだけで、アッサリ通してくれた。
大分疲れが溜まってきたのか、バスで初めて居眠りをする。ウィーンの街近くになると、目が覚め、またワクワク状態になった。
ウィーン川沿いのナッシュマルクトを見ながら遂にウィーン中心部のリンク、そしてホテルに到着した。
食事については、別の機会に語りたいと思うが、この日の夕食は、名物ヴィーナーシュニッツェル。大きな薄いビフカツである。本当に美味しく思った。また食べたい気持ちである。
いつもなら、ここで話は終わるのだが、ツアーに一人で参加していた女性が、明日行く国立オペラ劇場の下見に行きたいという。予約券の引換え場所も確認したいとのこと。夜景も良いかなと思い、一緒に出かける。オペラ劇場まで歩いて10分程度。確認は終わり目的達成。しかし、このまま帰るのは勿体ないので、トラムでリンクを1周する。乗車券は1人2ユーロ。1周30分ぐらいであろう。途中小雨が降り出した。
東から北東方面へ進む。左手に宿泊先のホテル、右手には市立公園が見える。やがて曲がって西北方向へ。ドナウ川沿い。あまり見るものはない。また曲がり、今度は西南の方角へ進む。途中勤め帰りのサラリーマン風の人たちが多数乗車してくる。ビジネス街があるのか? 今度少し左手に曲がり南の方向へ行くと、急にライトアップされた建物が増えた。市庁舎、ホーフブルグ宮殿、自然史博物館、美術史美術館などが多数並んでいた。
そして1周を終え、ホテルに戻るつもりで下車したが、目の前の公園の中に、金色に輝く像が見えたので、行って見ることにした。金色のヨハンシュトラウス像がライトアップされていたのである。そして、近くにあるクアサロンも中を覗いてみた。毎日コンサートが行われている。1ヶ月ぐらいは毎日同じ催しをしているとのこと。この時一緒にいた女性の方はコンサートに行かれたそうで、後からお話を伺うと、ウィンナーワルツをやっていたそうである。
夜遅くまで良く遊びました。部屋に戻って泡風呂を楽しんで、本日は終わり。

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May 10, 2005

旧市庁舎塔からみるチェコの街

チェコの街を展望する

今日はチェコ観光である。午前中はツアー、午後は自由行動。
本日の現地ガイドはチェコ人女性である。5年間日本に留学していたそうで、かなり流暢な日本語を話す。時々おかしな日本語を使っていたがご愛嬌である。
まずはプラハ城観光から。入り口の両方の門柱にそれぞれ衛兵が立っている。ピクリとも動かない。普段は全く動かないそうだ。しかし、動いた! 大統領の乗った車が通過したからである。
毎正時には衛兵の交代式が行われる。この時は当然動く。9時の交代式を見ることが出来た。キビキビした動きである。噂どおり衛兵は美形が多い。今年は2人の女性衛兵も誕生したらしい。すると、偶然にも女性衛兵に出会った。ガイドさんも初めてとのこと。
次は聖ビート教会、旧王宮を見学する。ステンドグラスは見事。旧王宮には売店があり、英語で書かれたチェコの料理本を購入する。ここから私のチェコ・ハーレルコイン探しが始まる。売店の人に尋ねるが無いとのこと。残念。
プラハ城は高台に建っているため、見晴らしが良い。窓から見える景色は、昨日通ったカレル橋をはじめ、旧市街が一望できる。しかし、天候が曇りだったため、絶景とは言えなかった。
更に進むと黄金小路である。当初城内で使える召使が住んでいたそうだが、後に錬金術師も住むようになったため、この名前が付いたそうだ。今は土産物屋になっている。
更に少し歩くと、昨日ツアー仲間より一足先に訪れた、カレル橋である。昨日とは反対方向に歩くことになる。と言っても、昨日橋を往復しているので同じことか。
今日は、平日だからか、時間が早いからなのか、昨日に比べると混雑度合いが低い。橋の両側に出ている店の数も僅かに少ないような気がした。
prague-clock

橋を渡った後は、旧市街広場に向かい、旧市庁舎にある天文時計を見る。天文時計は旧市庁舎塔の下の方にあり、縦に2つの円が並んでいる。上は地球を中心に回る太陽と月を表し、年月日と時間を示しながら1年かけて1周するそうだ。下は、黄道12宮と農村における四季の作業が描かれた暦で、1日1メモリ動くとのこと。
12:00時になると仕掛け時計が動くので、人がドンドン集まってきた。ジャスト・オンタイム。仕掛け時計が可愛らしく動き始めた。先ほど紹介した円の上にある窓から色々な姿の人形が移り変わる。昔の”横浜そごう”や”大宮そごう”の仕掛け時計を思い出した。チョッと違うのだが。
時計が終わると見物人は皆散らばって行った。ガイドさんからスリに注意と言われていたのだか、他の日本人グループの一人がスリにやられたとのこと。油断大敵である。
その後、チェコガラスの専門店「ツェレトナー・クリスタル」に行き、解散となった。
朝食を十分過ぎるぐらい取ったので、まだお腹は減っていない。よし行くぞと、昼食も取らずに動き始めた。
別の投稿で既にお話したが、火薬塔に向かって歩き、まずチェコ国立銀行に行き、次に見学と両替のため、チェスカ・バンクに寄る。その後旧市街に戻るつもりで歩き続けた。しかし、どうもおかしい。道を間違えたようだ。元に戻れば良かったのだが、近道して戻るつもりで更に歩き続けた。完全に予定外のところに出てしまったのだ。後で振り返ると、放射状になっている道を間違えたようだ。西に行くつもりが、東に向かっていたのである。
片道2km、往復4kmは余分に歩いてしまった。全く普通の街を歩いていたのである。
当初ケーブルカーを使って展望台に上るつもりであったが、さすがに疲れたので、一休みしようと思っていたところ、目の前に観光用の汽車(先頭が汽車の形をした自動車で、客車を3両引いて街を案内してくれる)があった。これに乗ろうと決め、料金250コルナを支払うと、地図をくれた。案内してくれるコースは旧市街地、ユダヤ人地区、プラハ城周辺に及んでいた。約1時間で1周だ。小雨も降り始めたので丁度良かった。
「EKO EXPRES」と称していた。HPは無いが、E-mailアドレスが載っていたのでご紹介する。[ekoexpres@atlas.cz]
後ろの席に座っていた観光客も1人だったので、声をかけると、メキシコから来ているという。「遠くから来たのですネ」と言うと、日本も同じだと言われてしまった。私は、少しだけ話せるのでスペイン語で話しかけてみると、急に親しくなれた。彼の名は「マリオ」。観光のため1人出来ているそうだ。長期1人旅で、まだまだ旅は続く様子であった。
観光汽車が走り始めると車内に観光ガイドのアナウンスが流れる。チェコ語・英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語でのガイド。スペイン語圏からはあまり来ないのだろうか。
そういえば、今回の旅でもスペイン語を使ったのは「マリオ」が最初で最後であった。
1時間の周遊の旅(?)が終わり、「マリオ」とも分かれた。
次に目指すは旧市庁舎塔からの展望である。足の疲れも取れたので、また張り切って歩き始めた。旧市庁舎左横にピンクの建物がある。ここから入って、4階でチケットを購入し、展望台に昇るエレベータ前に行くと、何と一緒に来た兄と姉が並んでいた。偶然なので驚いた。3人で展望台から景色を眺め、写真を撮ったりして楽しんだ。雨上がりの曇り空だったのが残念ではあったが、意外と見晴らしは良い方ではなかったか。
塔を降りて、兄・姉と別れ、また1人でブラブラを始めた。
以前の投稿で書いたが、チェコには1コルナ以下の通貨として10ハーレル・20ハーレル・50ハーレルの3種類あった。しかし、10と20ハーレルは3~6ヶ月前に廃止されていたため、10と20を求めて、両替屋や商店に残っていないかと思い探し回ったのだが、何処にもなかった。
そこで思いついたのが、ツアーの皆さんと別れたチェコガラスの専門店「ツェレトナー・クリスタル」である。日本人スタッフもいたので、店員の誰かが持っていないか聞いてもらおうと思い急いで行った。すると入り口付近にツアーの皆さんが集まっている。一緒に帰りたい人のための集合時間だったのです。
店のスタッフにコインの所持を聞いてもらうが、結局誰も持っていないことが分かった。
そこへ姉が一緒に帰らないかと誘ってくれ、タクシーに同乗させてもらい、ホテルに戻った。もう少しコインを探そうと思ったのだが、道に迷った分、歩きすぎて疲れていたのでギブアップである。
部屋に戻って一休みした後、ホテルのスタッフが持っていないか聞いて見ようと思い、フロントに行く。丁度、暇な時間帯なのか客は1人もいない。フロントの可愛い女性に声をかけ、コインを集めているが探しているコインが見つからない旨説明する。当初無いかも知れないと言っていたが、わざわざ探しにフロントの奥に入っていった。そしてニコニコと戻ってきた。あったとの事。「ヤッタ!」と思い、嬉しくて仕方がなかった。すると、クロークにいた男性の方もコインを持ってきてくれた。何と、チェコ以外のコインである。帰国後、自宅に帰ってから調べると、クロアチア、チェコ・スロバキア、ハンガリー、ラトビア、ポーランド、スイス、タイ、カタールなど小額(日本円で1~5程度)ではあるが色々な国のコインがあった。
私はよほど嬉しそうな顔をしていたのであろう。「お客様の喜ぶ様子がホテルスタッフの最高の喜びです」と言っていたのが印象に残った。嬉しいことがあったときにプレゼントしようと思い、日本から持っていったお土産をお礼にあげた。
その後、兄・姉に夕食をご馳走になった。昼食抜きで走り回り、大変お腹が空いていたので、タップリ頂いた。
満腹感と心地よい疲れ、コインをゲットした喜び、満足感に浸りながら1日を終えた。
次回はチェスキー・クルムロフ観光について投稿予定。

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May 09, 2005

チェコの現行コイン

貨幣ぶらり旅(第21回)

今回は、旅日記はお休みして、チェコのコインについて一言。
チェコ共和国はご存知の通り、1993年にスロバキアとの連邦を解消して発足した。
チェコ・スロバキア時代の貨幣は、スロバキア領内のクレムニカ造幣局で製造されていたため、チェコ発足後は造幣局を失ってしまった。
そこで、チェコ北部ポーランドとの国境に近いヤブロネツ・ナト・ニソウに本拠を置く宝飾品製造会社ビジョテリー社に、新たなコイン製造設備を導入させてチェココインの製造を請け負わせた。
しかし、設備が整うのに時間がかかったため、1995年まではドイツのハンブルグ造幣局やカナダのロイアルカナディアンミント(ウィニペグ造幣局)の応援を仰いで、新しいチェココインの供給を間に合わせたという。
貨幣制度はチェコ・スロバキア時代の100ハーレル(HALER)=1コルナ(KORUNA)制を継承した。コルナ額面コインで貨幣単位が”KC”と略されているのは、チェコ・コルナであることを示すためである。
ハーレルとコルナは共にオーストリア・ハンガリー帝国時代のヘラー(HELLER)、クローネ(KRONE)を引き継いだもので、チェコ語の表記ということである。
これまで、私のHPでハーレルのことをハーレッシュと現地で聞いた単位で呼んでいたが、以後ハーレルに訂正する。

以下各種コインについて解説する。
plat_m5000
① 50コルナ 
1993年発行
表 : 国名、国章、額面
裏 : 首都プラハ市外風景
金属素材 : バイメタル リングは銅メッキスチール、コアはブラス(銅         
75・亜鉛25)、クラッドスチール
plat_m2000
② 20コルナ
1993年発行 13角形
 表 : 国名、国章
 裏 : 聖ウェンツェスラス騎乗像、額面
 金属素材 : ブラス(銅75・亜鉛25)、クラッドスチールにブラスメッキ
plat_m1000
③10コルナ
1993年発行 1995年に裏面のデザイナーイニシャルの位置を変更
 表 : 国名、国章
 裏 : ブルノのペトロフ教会、額面
 金属素材 : 銅メッキスチール
plat_m500
④5コルナ
1993年発行 
 表 : 国名、国章
 裏 : デザイン化したカレル橋、額面
 金属素材 : ニッケルメッキスチール
plat_m200
⑤2コルナ
1993年発行 11角形
 表 : 国名、国章
 裏 : 大モラヴィア時代のボタン型宝飾品、額面
 金属素材 : ニッケルメッキスチール
plat_m100
⑥1コルナ
1993年発行 
 表 : 国名、国章
 裏 : 王冠、額面
 金属素材 : ニッケルメッキスチール
plat_m50
⑦50ハーレル
1993年発行 
 表 : 国名、国章
 裏 : 額面
 金属素材 : アルミニュウム(アルミ99、マグネシウム1)
⑧20ハーレル
1993年発行 1998年裏面5角形デザインの頂点を逆転 2003年10月まで製造
 表 : 国名、国章
 裏 : 額面
 金属素材 : アルミニュウム(アルミ99、マグネシウム1)
⑨10ハーレル
1993年発行 2003年10月まで製造
 表 : 国名、国章
 裏 : 額面
 金属素材 : アルミニュウム(アルミ99、マグネシウム1)

チェコの現行コインに関する情報HP
http://www.cnb.cz/plat_mince.php

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May 08, 2005

ドイツからチェコへ

ドレスデンとプラハの塔からみた街

本日は、まずドレスデン観光から始まる。修復中のフラウエン教会からスタート。第二次世界大戦の空爆で破壊されてから、反戦の象徴としてそのままの状態で残されていたが、1994年から再建され始め、現在も修復中であった。そして昨日1人で行ったブリュールのテラス、君主の行列、ゼンパー・オペラを見た後、ツィンガー宮殿に入り、中にあるアルテ・マイスター絵画館に入る。ガイドの案内で1枚1枚絵画を見て廻る。歴史と美術に詳しければもっと面白いだろうと思いながら見ていた。
その後昼食まで自由時間だ。まず高いところへ。ドレスデン城のハウスマン塔に上る。ガイドの説明では365段の階段とのこと。一気に上ると息が切れた。あまりにも大きな声で「ヒィー・ヒィー」言っていたので、屋上で監視している人が声をかけてくれた。2分で上ったと言うと、それは大変だと言っていた。監視の人は私が日本人と知ると興味を持ったのか、色々と教えてくれた。ガイドの話とは異なり、この塔の階段は222段とのこと。塔の高さは55mで覚えやすいだろうと言っていた。
ここからは街が一望できる。ホテルの位置、これまで歩いてきたところ、ツゥィンガー宮殿、ブラウン教会、ドレスデン中央駅などロケーションがハッキリする。今日も快晴。高いところから見るには最適である。有り難い事である。
その後ツアー仲間と食事を済ませ、いよいよチェコに向かう。
ご存知のように、チェコは昨年(2004年)、EUに加盟したが、ユーロは導入されておらず、またシェンゲン条約も結んでいないので、入国審査が必要になる。バスでの国境越えは初めてなのでワクワクした。
しかし、アッサリ終わった。バスにやって来た入国審査官と警察官に全員のパスポートを集めて渡すだけ。入国のスタンプ押捺が終わるとパスポートを返してくれ、それで終わり。無事何もなく終わって良かったのだか、何かガッカリである。
そして国境を越えたところで、休憩と両替を行った。また、コインを揃えようと思い、僅か1,000円の両替を行う。チェコで現在使用されているすべての種類のコインを含めて両替して欲しいと言ったつもりなのだが、何故か、1コルナコインが100枚入った紙袋を1袋と端数のコインでの両替になった。英語が通じなかったのか? 次のバスのお客が並び始め、混雑したので交渉は打ち切り。しかし、こちらはロールではなく、100枚ずつ袋に入れるのか? まだ確認していないので、調べなければならない。
そしてホテルへ向け出発。予定より早く着いた。食事までかなりの時間があったので、早速外出する。ホテルで地下鉄の切符、15分券を2枚購入して出かける。(1枚8コルナ)
ホテルは地下鉄A号線の終点「Dejvicka」(何と発音するのか不明です)駅を上がったところに在るので、非常に分かり易い。私は地下鉄駅で3つめの「スタロムニェストスナー」駅で下車、美術工芸博物館の前を通り、ヴルタヴァ川の遊覧船乗り場に行ってみる。丁度5時発の船が出るところ。1時間コースで220コルナ。乗るか迷ったが、6時半までにホテルに戻らなければならない。もし船に何かトラブルがあって遅れることになっても連絡できないと思い、乗船を断念した。
ヴルタヴァ川の遊覧船クルーズHP
http://www.pstours.cz
その後、川沿いに戻り、ユダヤ人地区を抜け、カレル橋に着く。
明日訪問するコースだが、先に塔に上りたかったので来たのだ。
この橋はヴルタヴァ川に架けられた最古の石橋で、1357年にカレルⅠ世が27歳の建築家パルレーシュに命じ、60年の歳月をかけて完成させたという。全長516m、幅9.5m。往復すると1kmになる。この橋にはもう一つ見所がある。それは橋の両側欄干に建つ30に上る聖者の像である。橋を渡り始めたが、今日は日曜日。亀の歩みでしか前に進めない。橋の両脇には、露天や大道芸人が並んでいる。ジャズバンドを演奏する3人組み、似顔絵を書く絵師、オカリナを吹く笛売り、絵葉書の販売など賑やかである。橋を渡り終えた所にある、マラー・ストラナ橋塔に上ろうとして受付に行くと、本日は5時で終わりと言う。反対側にある旧市街橋塔は夜までやっているので、そちらに行けば上れるとのこと。已む無く橋を戻り、旧市街地橋塔に上る。入場料は50コルナである。ちなみに1コルナは5円程度と思えばよい。
細く暗い階段を上る。途中小さな覗き窓があるが、とにかく屋上目指して一直線に進んだ。
屋上には数人の観光客がいた。ここも日本人はいない。ここからみる景色で最高なのは、北西の方角、川に架かるカレル橋である。高さ30mぐらいから見るカレル橋は観光ガイドブックに出てくる写真そのままであった。上から見ると、橋が混雑しているのが良く分かる。夕方ではあるが、天気もよく、見晴らしも素晴らしい。その先には明日観光予定のプラハ城も見えている。中欧の中世の建物が美しく感じられた。
東の方には旧市街庁舎や火薬塔も見える。北東の方角には、先ほど行ったヴルタヴァ川遊覧の船着場も見える。どこを見ても、とにかく賑やかなのだ。
塔からの景色を満喫し、塔を降りた。まだ明るいので、もう少しウロウロしたかったが、6時前だったので帰ることにした。以前お話したが、この帰りの地下鉄で、切符の検札を受けたのである。約束の6:30分前にはホテルに戻れた。
短い時間であったが、結構面白かった。
次回はチェコ観光について投稿予定である。

チェコ旅行に関する情報HP
http://www.czechtourism.com/index.php?lang=8&show=003011

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May 07, 2005

パノラマ展望台より見る

ライプツィヒの街を展望する

前回、次はチェコについて投稿すると書いたが、ベルリンから移動する途中立ち寄ったライプツィヒでも高いところに上ったのを忘れていた。今回はここでの出来事に付いて書く。
ベルリンのホテルを午前9時に出発し、ライプツィヒではまず昼食である。「アウアーバッハス・ケラー」という「ミシュラン」にも紹介されたレストランで食事をした。1525年創業の老舗で、ゲーテの「ファウスト」の一場面にも登場する観光の名所的レストランである。
食後、アウグストゥス広場、ニコライ教会、旧市庁舎を見て、トーマス教会に着く。ここで少年合唱団のコンサートを聴く予定だが、私パスして自由行動に移る。
まず、アウグストゥス広場に行った際、南側に見えた高いビル、開いた本を立てたような変わった形をした建物である(写真)。ここの屋上にパノラマ展望台がある。HPは次の通り。
http://cgi.panorama-leipzig.de/cgi-bin/start.php?res=1024&pf=w&bt=ie
start
エレベーターで昇り、残り2フロアー分を更に階段で上がる。屋上への出口で男の人がチケットを売っている。入場料は2ユーロ。屋上は満員である。先日の気球やテレビ塔も同じであるが、日本人は1人もいない。名所と異なり日本人に出会わない分、外国に来た気分が味わえる。中級英語と3週間ぐらいで覚えた十数フレーズのドイツ語を駆使して、周りの人に話しかけると結構面白い。
しかし、困ったこともあった。入場チケットを購入した際に一緒にくれた「食物券」と「飲み物券」である。勿論ドイツ語で書かれているのだ。当初厚かましい私は、この券を出せば売店の食べ物と飲み物がタダになると思っていた。売店でこのチケットを出してフランクフルトとコーラをオーダーすると、4ユーロを請求された。売店の売り子さんはドイツ語しかワカラナイ。色々と説明してくれるのだが、私にはよく分からない。やがて筆談になった。「2.5→2.0」と書かれた紙と「0.5ユーロ割引」との声を聞き取ることが出来た。「な~んだ! 割引券だったんだ」と気付き、4ユーロを支払い、フランクフルトとコーラを手に、ライプツィヒの街を眺めた。ここからは先ほど見たアウグストゥス広場周辺だけでなく、ライブツィヒ中央駅やロス広場、新市庁舎など多数の建物を見ることが出来た。本日も天候に恵まれ快晴である。この景色は、少年合唱団のコンサートを袖にして来るだけの価値はあると自己満足に浸っていた。
30~40分いた展望台を降りて、次は地元の百貨店に向かった。現地の生活・経済を知るには良い。ベルリンではスーパーマーケットにしか行けなかったので、今回は百貨店を選んだ。
日本の百貨店では、1階は宝飾品や輸入ブランド、化粧品売り場などが並んでいるが、ここは違う。宝飾品は共通だが、本売り場や文房具売り場がある。また、バッハのグッズがコーナーで売られている。カメラ屋もある。日本の大型スーパーか、ショッピングモールのようなイメージである。
文房具売り場を見ていると、何と大発見! 貨幣収集家の私には見逃せない品があった。
ユーロコインホルダーとカタログである。即購入した。ドイツ語で書かれているが、好きなことは問題ない。辞書を片手に読めばよいのだ。(嫌なものは絶対に読めないのだが・・・)
大満足のなか、地階に行く。日本の百貨店のようにデパ地下の食料品売り場はない。食器や日用雑貨を置いていた。2階は婦人服売り場。派手な女性下着が目に付く。本当にカラフルである。そういえばウィーンやベルリンの空港にもランジェリーショップが沢山あり、どの店もカラフルであったのを思い出した。日本は地味なのか?
3階は紳士もので、特に目に付くものはなかった。4階で面白かったのはオモチャ売り場。
等身大の人形や変わったゲームなど、よく分からないが、日本では見慣れないものがあったので、見ているだけで楽しかった。
もう少し見ていたかったのだが、コンサートが終わる時間が近づいたので店を出た。
少年合唱団のコンサートは少年ではなく、結構年配者だったとのこと。素敵であったのだろうが、私は自由行動に1人満足していた。
その後ドレスデンに向かう。予定より少し早くホテルに着き、夕食まで少し時間があったので、ホテルの周りをブラブラしてみた。
エルベ川沿いのブリュールのテラスから川向こうを見ると、河川敷で気球を上げている。商業用ではなく愛好家が集まっているようだ。対岸には州庁舎と州の大蔵省が入っている建物が見える。またそれよりも少し西側にはアウグストの像が金色に輝いていた。
ブリュールのテラスを川沿いに散歩するが、ベンチにはアベック、カップル、恋人たち? で溢れていた。
景色は違うが、横浜の山下公園を思い出した。港沿いのベンチは同じように一杯だったのを思い出す。
今日はここまで。明日はドレスデンを観光して、チェコに向け出発である。

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May 06, 2005

テレビ塔から見たベルリンの街

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旧東ドイツが威信をかけて築いたテレビ塔

気球を降りた後、目指すはテレビ塔である。(写真真ん中)
しかし、テレビ塔まで一直線に行ったわけではない。まず、ブランデンブルグ門の方向に歩き、そして途中東方向に折れ、フリードリッヒ通りに出る。この通りにはお店が並んでいる。私が探していたのは「アメリカン・エクスプレス」のオフィスである。
何故か? チョッと横道にそれるが、私は旅行に出る前、国内でアメリカン・エクスプレスのトラベラーズ・チェックを購入していた。1ユーロ当たりキャッシュが147円程度であったのに対しチェックは140円程度であった。現地のオフィスにチェックを持っていくと、手数料無しでキャッシュに替えてくれるので、チェックを購入したのである。今回同オフィスの近くに行くことを計画していたので、チェックをキャッシュに替えるために立ち寄ったのである。旅行代理店と同居する小さなオフィスであったが、看板が出ていたので直ぐにわかった。
キャッシュに替えた後、北に進みウンター・デン・リンデン通りに出て、道沿いに進んだ。
フンボルト大学を見つける。少し中に入ってみるが、若い学生が沢山いる。私が歩いていても違和感は無いようだ。留学生と思われているのか、それとも教授(?)と間違われたのか。いや、きっと観光客がよく紛れ込むのではないだろうか。そんなことを思いながら一周して外に出た。ついでだから授業の様子も見てみたかったが、やり過ぎか?
そして、少し東に行くと午前中ツアー仲間と訪れたペルガモン博物館の南側にある旧博物館に着いた。外から見ただけであるが、すごくゴージャスな建物である。1830年に開館されたベルリン初の公共博物館のようだ。そして、大聖堂、赤の市庁舎、マリエン教会の前で写真を取り、さらに進むと目的地であるテレビ塔に着いた。気球から約3kmである。
このテレビ塔は、旧東ドイツが西ドイツに自国の工業力を見せつけるために建てられたそうで、高さは365mあるという。展望台は203mの高さにある。早速入り口に行くと、そこはテレビ会社の入り口。同じように間違えてくる人たちが続々と続く。テレビ塔展望台入り口の案内版を大きく掲示した方が良いのではないかと思いながら、ぐるりと廻ると、裏手に入り口があった。
行列が出来ており、待つこと約30分、漸く入場券売り場に着く。なんだ! おじさんが1人でのんびり入場券を売っているではないか。これでは混雑するはずだ。入場料は7.5ユーロ。
入場者の中には結構クレジットカードでチケットを購入している者がいる。サインをするので時間がかかる。旧東ドイツ方式か・・・と思いながら、チケットを購入して展望台に上がるエレベーターに向かうと、途中に可愛い女性がにこやかに座っていた。単純な私は待たされた不満を忘れ、先に進んだ。
展望台に上ると、沢山の人がいた。もう一つ上がると展望レストランがあるのだが、満席。食事をしながら1周見渡せるように、席が窓に沿って廻るようになっているそうだ。
少し並んだが、待ち時間が長そうだったので、諦めて展望台を自分で廻ることにした。
テレビ塔はベルリン中心部の東端に建っているので、見るところは西側に集中している。
先ほど乗った気球も見える。意外に小さく見えたのは気のせいか。天候は変わりなく快晴なのだが、景色が見えにくい。西から夕日が当たり始めたためだ。
しかし、それでもブランデンブルグ門やポツダム広場あたりまでは良く見える。私にとってベルリンの総括である。大満足。30分ぐらい見た後、展望台を降りた。入り口付近は先ほど以上に混雑している。展望レストランで食事をしながら夜景を見るために来たのではないだろうか。
ホテルに戻ろうと歩き始めたが、ホテルまで6kmはある。さすがに疲れたと思っていたところ、まだ地下鉄(Uバーン)に乗っていなかったことを思い出した。直ぐ側に「アレキサンダー駅」がある。しかし、そこにはバスターミナルもあり、1番か2番でホテルまで行くことが出来る。また地上を走るSバーンもある。どれも乗りたいと思ったが、結局、Sバーンは駅だけを見学し、Uバーンでホテルに戻ることにした。
Sバーンの駅に行くと、入場券なしでホームまで行くことができた。ターミナルという感じで、人も多く乗り降りしていた。駅構内もウロウロした後、Uバーンの駅に行った。
駅構内の販売機から乗車券を買うのだ。1日券を買うつもりが、1時間券を買ってしまった。ドイツ語表記だったので、間違ってしまったのだ。しかし、結局は20分程度乗っただけだったので、これでよかったのだ。ポツダム広場で降りて、広場周辺をウロウロした後、また、歩き始めた。ホテルまであと2kmぐらいである。楽器博物館、ベルリン・フィルハーモニー、国立図書館、新ナショナルギャラリーの前を通り、ランドヴェール運河沿いに歩いた。途中、「シュプレー川・ランドヴェール運河遊覧船」に出会った。緑に囲まれ、人通りもあまり無い道をのんびりと散歩出来たのは感動である。
ホテルに着いたときには、私の足はクタクタであった。
次回はチェコでの高いところについて投稿するつもりである。

ベルリンの観光情報に関するHP
http://www.berlin-tourist-information.de/japanisch/index.html


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May 05, 2005

中欧の旅・気球からみたベルリン

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ベルリンの街を気球から見ると

帰国してから1週間近くになるが、まだ時差ボケと旅行ボケが抜けない。
食事を済ませると眠くなる。無理して起きているのだが、どうしても1度はウトウトしてしまう。そして、夜は眠れない。一度は寝付くのだか夜中の2時ごろに目が開く。そしてまたウトウトしていると6時頃に目が覚める。
でも、気にせずに楽しかった旅行の余韻に浸ろうと思っている。
ところで、私は高いところから街を見るのが好きだ。全体を把握できるからである。地図で十分の方もいるだろうが、私は生を見ないとどうも良くない。そして、地図を見ながら街を歩くと良く理解できる。
街だけでなく、何かを始める時もまず全体を見る。鳥瞰するのである。
まず個別に興味のある点を見たり調べたりする。本当に興味が湧いてきたら全体像を見る。そして次に一つ一つ詳しく見ていくのである。しかし、この場合自分にとっての重要度に従って優先順位を付ける為、世間の常識(?)とは異なることがある。
さて、今回も高いところには何箇所か上った。
まず、ドイツ・ベルリンから。
ベルリンに宿泊し、旅行の2日目、午前中添乗員さんと地元ガイドさんの案内で
① ブランデンブルグ門
② ベルリンの壁跡
③ ペルガモン博物館
に行く。バスで移動するのだが、ブランデンブルグ門に行くまでに、
① カイザー・ウィルヘルム記念教会
② 動物園駅
③ ジーゲスゾレイ(戦勝記念塔)
④ ポツダム広場
⑤ ソニー・センター
⑥ ダイムラー・クライスラー・アリアール
などを通ったので、街の概略は掴めた。
昼食はジーゲスゾレイ(戦勝記念塔)に近いレストラン(?)でとる。午後からは自由行動。
ツアーの他のメンバーは全員ポツダムに観光に行ったので、本当のフリーは私だけ。
しかし、1人で行動するのが大好きな私にとっては、この時間が一番楽しみであった。
レストランで皆と別れ、歩き始める。ベルヴュー宮殿の前からティーア・ガーデンを突き抜けるベルヴュー通りを進み、ソニー・センターの前に出る。そこには楽しみにしていた「気球」があるのだ。ガイドの話では一定の人数が集まるまで、気球は上がらないとの話であったが、実際行ってみると、人数が数名であっても10~15分ごとに上がっていた。
20名ぐらい乗れるのだが、私を含め8名で気球は上がった。地面とワイヤーロープで固定されているため、最高150mの高さまでしか上がらない。それでも上がり始めるときは、気球特有の不安定さがあり、非常に面白い。
天候にも恵まれ雲ひとつない。150mの高さに達した所から見る景色は絶景である。少し言い過ぎか。でも私にはそのように感じられた。
北側にはブランデンブルグ門が小さく見える。先ほど観光した時に大きく見えたのとは対照的である。そしてベルリンの壁があったであろうラインを辿って見る。終わって見れば何でもないことなのに、冷戦中はものすごい厚さを感じさせる壁だったのであろう。
門の向こうには連邦議会議事堂の屋根がシルバーに輝いている。これはガラスのドームで、見学も可能であるが、朝の9時には行列が出来る人気のスポットだそうだ。今回はパス。
西を見ると先ほど歩いてきたティーア・ガーデンが見える。ここから見るとすごく歩いたように思える(実際は2kmぐらいか)。
南側には、ポツダム広場、ソニー・センター、ダイムラー・クライスラー・アリアールが見える。近代化されたビルが並んでいるので、ベルリンではなくフランクフルトのように思わせる。ミラーガラスの窓でキラキラと輝くビルが印象的である。
東側は、これから行く予定のテレビ塔がある。先ほど行ったペルガモン博物館、フンボルト大学、大聖堂、マリエン教会、赤の市庁舎、そしてテレビ塔などが見える。こちら側は旧東ドイツ側である。やはり建物が少し旧西側とは違う感じだ。
この気球は19ユーロで乗れる。ここは「エヤー・サービス・ベルリン」という会社が経営しており、会社案内を見ると私が希望していたヘリコプター遊覧や水上飛行機による観光も行っている。今回の旅に出る前にヘリコプター観光について問い合わせたが、よく分からないので地元のガイドに聞いて欲しいとのことであった。そして、地元のガイドも良く分からないとの回答。普通の観光客は名所しか廻らないからであろうか。思ったほど情報はもっていないのだなと感じた。
もし、詳しく知りたい方はつぎのHPをご参照願いたい。
http://commander-frank.de
大分長くなったので、気球を降りてからについては、次回に投稿する。


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May 04, 2005

マリア・テレジア銀貨

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貨幣ぶらり旅(第20話)

今回は、オーストリア旅行で手にした、「マリア・テレジア銀貨」について。
ウィーンのオーストリア造幣局に行った際、併設の売店でブックレット型の「マリア・テレジア銀貨」を購入した。
私は既に「マリア・テレジア銀貨」を、数枚保有している。オリジナルと再鋳貨である。
「マリア・テレジア銀貨」は後ほど述べるが、1980年代まで北アフリカや中東で流通していたと言う、寿命の長いコインなので、法貨として流通した後も1780年銘で何度となく再鋳されているのである。
以下、このコインについて簡単に触れる。

マリア・テレジア女王について
マリア・テレジアは1740年、23歳でハプスブルグ家を継承した。
彼女の父チャールズⅥ世には、男子の相続者が絶えていたので、彼は女性も王位が継承できるように王位継承法を改正した結果である。
マリア・テレジアはハンガリーとボヘミアの女王として、またオーストリア王妃として、国を守るため、プロシアのフレデリックⅡ世やその同盟国と戦った。
内政では、彼女の治世は医療、裁判、財政、教育、農業を大改革し、発展をもたらし国力の増大に全力を尽くした。
マリア・テレジアは、現在のオーストリアの基礎を築いたといえる。
ロートリンゲのフランツ・ステファンとの結婚は皆から祝福され、彼女は16人の子供を生み子宝に恵まれた。このため「マリア・テレジア銀貨」は、現在も安産のお守りとして使われているようである。
1765年に夫のフランツが亡くなった後、マリア・テレジアハ息子のジョセフⅡ世と共同統治を行った。

1780年銘の「マリア・テレジア銀貨」ついて
この銀貨はオーストリア帝国の通貨であったが、レヴァンテ (トルコの一部、レバノン・シリア)では、貿易に無くてはならない通貨でもあった。やがて「マリア・テレジア銀貨」はアラブ世界で最もよく知られ、かつ信用できる通貨にまでなった。中東でこのコインに対し膨大な需要があったためであるが、ジョセフⅡ世はマリア・テレジアの死後、彼女が亡くなった年である1780年銘のコインをギュンツブルグで製造することを決めた。これらはレヴァンテ地方で広く流通したことから、通称「レヴァンテ・ターレル」と呼ばれている。
「マリア・テレジア・ターレル」は、北アフリカでは最も信頼できるコインとして、1780年銘のまま20世紀の半ばまで法貨のように使用されていたという。
ギュンツブルグ発行と同じパターンの「マリア・テレジア・ターレル」は貿易目的で、非公式にロンドン、ボンベイ、パリで、またライセンスを得てローマで製造され、200年にわたり流通し続けた。このコインは、今でもアラブのバザーで見うけられるようだ。

デザインについて
コインの表は「マリア・テレジア女王」の晩年の肖像が示されている。彼女は未亡人のベールを纏い、9つのパールのブローチを着けている。
コインに書かれている「M・THERESIA・D・G・R・IMP・HU・BO・REG・」は、「マリア・テレジアは神聖ローマ帝国の王妃で、ハンガリーとボヘミアの女王」の意味。
また、胸像の下にある「S. F.」は1780年のギュンツブルグ造幣所長「トヴィアス・シェーブル」と貨幣検定官「ヨーゼフ・ファビィ」の頭文字である。
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コインの裏面は楯紋章を胸に掲げた双頭の鷲が表されている。
コインに書かれている「ARCHID・AVST・DUX・BURG・CO・TYR・」は「オーストリアの女公、ブルグント公、チロル伯」の意味。

このコインが何故他の通貨を寄せ付けないぐらい好まれ、利用されたかは色々な角度から検討されているが、完全に納得のゆく理由は分からないといって良いようである。
この点については、別の機会に述べたいと思う。

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May 03, 2005

日本の常識、自動改札?

海外で地下鉄やバスに乗って思ったこと

JRに乗車する場合、関東では「スイカ」、関西では「イコカ」というICチップ入り乗車券が使える。
ICチップ搭載の新型乗車券で、情報量も多く持つことが出来るため、銀行からお金を移して、駅構内のお店などで購入した物の支払いにも使えるという。
大変便利な機能であると感心し、ICチップに関連する会社を調べ、投資も考えたりした。
電車に乗る場合、自動改札で非接触型カードを使い入出場できる。さすがハイテクの国、日本とも思ったりしていた。
ところで、今回ドイツ、チェコ・オーストリアで地下鉄やバスなどを利用したが、システムは日本と全く違う。3カ国とも同じようなシステムなのでエピソードのあるチェコの場合について述べる。
観光で利用するため、私は24時間券というのを購入した。最初に利用するとき、改札機にチケットを入れ、スタート時間を印字するのである。その後は検札が無い限りチケットを使うことはない。改札機は文庫本を一回り大きくした程度のサイズで、タイムカードに刻印するのと変わらない。非常にシンプルである。
昼の12:00に印字すれば、次の日の12:00まで利用できる。午後からフリータイムで、出発日の朝、少し時間が有る場合には使い出がする。
その他1回券、3日券、7日券、15日券などもあり、最初に印字するだけでよい点は変わらない。従って、検札が無い限りチケットを持っていなくても誰にも分からず、無賃乗車も可能なのである。
さて、ここで思うのは日本のシステムとの違いである。もし、このシステムを日本に導入した場合、どのようになるだろうか? 興味深い。
日本人は真面目で礼儀正しいと言われており、私も信じたいところである。しかし、チェコと同じシステムを取り入れると、無賃乗車が著しく増えそうに思う。そうなると、車内検札を頻繁に行う必要がある上、満員電車ではとても出来ない。結局コストがかかるため、自動改札がよく、更にそれに機能を付加しようと言う方向に行かざるをえないように考えてしまう。
チェコでの不正乗車の実態は分からないので、はっきりと比較は出来ない(不正乗車が見つかった際の罰金が異常に高いのが不正乗車をふせいでいるのか)。総人口、人の集中度など色々な条件も異なるが、1人当たり月平均賃金が日本の五分の一程度であることを考えると(地下鉄料金は三分の一程度か)、それほど豊かでもないように思える。
そのような中で問題なく機能している(ように見える?)のは、凄い事だと思った。
3カ国で地下鉄・トラムなどに乗ったが、検札に会ったのはチェコの地下鉄で1回だけ。
私の2倍くらいある男の駅員が話しかけてきた。英語・チェコ語・ドイツ語・フランス語・スペイン語で声をかけてきたように思う。チケットを見せると、OK。地図を見ながら行き先の駅を探していたので、ついでに聞くと英語で丁寧に説明してくれた。
チェコ語でお礼を言うと、私が日本人であることに気付いたようで、「ありがとう」、「こんにちは」、「さよなら」と言って笑顔で送ってくれたのが印象に残った。
この駅員以外、駅で鉄道関係者には1人も会わなかった。
人件費削減、設備投資コスト削減などと考えながら目的地に向かった。
日本でも田舎に行くと、籠に野菜が盛ってあり、1盛り100円とか書いて、無人の料金箱が設置してあるのを目にする。
あれと同じ感覚なのだろうか? 地下鉄やトラムに乗っただけで色々と考えてしまった。
本当に面白い。
みなさんは、どのように思われますか?

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一部訂正します

貨幣ぶらり旅(訂正)

一部記述に誤りがあったことに気が付いたので訂正します。
4月29日付貨幣ぶらり旅(第16話)で、チェコの国立銀行に博物館が無いような記述をしたが、実は貨幣に関する展示館は銀行に併設されている。火曜日から金曜日の9:00~16:00まで開館している。私が訪れた日が月曜日で閉館のため見学できなかったのである。
また、5月1日付貨幣ぶらり旅(第18話)で、コインのロールが1ユーロ・2ユーロは25枚で、その他は50枚と述べたが、1セント・2セント・5セントは50枚であるが、10セント・20セント・50セントは40枚で1ロールが正しい。
チェコの国立銀行のHPは次のとおり。
http://www.cnb.cz
チェコ国立銀行の貨幣展示館のHP
http://wwwcnb.cz/en/exp.php

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May 01, 2005

ウィーンで見つけたコイン商

貨幣ぶらり旅(第18話)

本日は今回の旅行で偶然見つけたコイン商のお話です。
オーストリアのウィーン証券取引所に行くと、現在の取引所は移転しているとの事。
移転先を教えてもらい、地図を頼りにウロウロしていると、偶然にもコインのショーウインドが目に飛び込んできた。
金貨や時計、コインのブックレットなどが展示されている。とにかく中に入ると、50坪ぐらいの広さの店。奥には事務所があり、男女合わせて10人ぐらいのスタッフがいる。
変な外人が来たとでも思ったのか、いっせいに注目を浴びた。うち1人が出てきて、用件を問い合わせてきた。
オーストリア戦後60年記念だが、記念コインは発行されないのかと聞くと、5月11日に発行されると言う。間に合わないので購入は諦め、このお店の特徴などを質問した。どうやら現行の通貨や記念コインを中心に取り扱っており、いわゆる古銭の取り扱いは行ってはいるものの僅かとのことである。
店頭においてある資料を一通りもらい、オーストリアのコイン関係のカタログがあれば買いたいと伝えたが無いとの事。しかし、毎月価格が載る雑誌があるとのことでと無料でくれた。今月号(2005年4月号)で4.9ユーロと表示されていたが、有り難く頂く。「Munzen Revue」(international coin trend journal)というタイトルの雑誌である。
国内に居ては得られない情報誌である。ドイツ語で記述されているが、今回の旅行で少し自信を得たので少しずつ読み始めている。
そして、応接してくれた男性からお店のHP、Eメールアドレスを聞き、名刺を貰ってその日は帰ることにした。
一晩考えた末、戦後60年記念のコインを予約しようと思い、出発日の朝またそのお店へ出かけて行った。午前8時過ぎである。まだ開店していなかった。日本なら10時頃から開店だ。
ダメとも思ったが、もう少し粘ろうと思いながら向かいの建物を見ると銀行がオープンしているではないか。オーストリアの銀行は午前8時から午後3時までだそうである。
詳しい方は御存じかも知れないが、「Hypo Tirol Bank」という銀行である。コインを集めているので色々欲しいと説明のうえ、コインのロールで両替してもらう。1ユーロや2ユーロは25枚で1ロール、それ以外は50枚で1ロールになっていた。日本ではすべて50枚である。何故枚数が違うのかは銀行の方も分からなかったが、面白いと思った。
色々と話を聞いていると、投資信託の販売にも力を入れているようで、投資信託のパフォーマンスを書いたペーパーも何種類かもらってきた。
30分ぐらい話した後、銀行を出て先ほどのコイン商に目をやると、なんと開店しているのだ。中に入り、昨日の店員を呼んだ。
8時30分からオープンのようだ。こちらの人は良く働くのか?
まず、60年の記念コインを予約して、送付してもらえるように手続きした。
併せて、ユーロ12カ国分の未使用コインセットを購入する。カバンは手荷物だけで来たため一つしかない。既に一杯。入るかなと思いながらも買ってしまった。
価格は128ユーロとのこと。値切りをお願いすると120ユーロでOK。日本で買うよりも安いようにも思える。(ユーロへの両替レートが仲値でないことを考えると、よく分からないが・・・)
その他オーストリアのコイン収集家の事情などについて質問する。日本のようにコレクターが高齢化したり、減少したりしている様子は無いが、基本的に金持ちの趣味であることは間違いないようだ。しかし、ユーロコインの収集などは裾野が広く、子供達もコレクションしているようである。また、オーストリアに限らず、ヨーロッパやアメリカではニューミスマティク、いわゆる「貨幣学」として成り立っている点が日本と異なっているようである。
今後また欲しいコインが出たときにはネットでオーダーするので宜しくとお願いし、握手を交わして店を出た。
5月の中旬には送られてくる予定、楽しみである。

今回訪問したお店のHP
http://www.schoeller-muenzhandel.at
今後発行されるオーストリア記念コインの予定表
http://www.austrian-mint.com/website/pdf_dateien/Praegeprogramm2005englisch.pdf

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April 30, 2005

中欧コインの旅

貨幣ぶらり旅(第17話)

オーストリアのウイーンでは、ウィーン国立銀行の博物館と造幣局の博物館を訪問する。
ウィーン国立銀行の本店は新しいビルに移っており、地図の上で国立銀行となっているところに博物館があった。入り口付近で無料か否かキョロキョロと見回していると、守衛さんが何の用かと訊ねてきた。フリーかと聞くと勿論との答え。入場すると、ユーロー通貨のポスターが貼られて、応接セットが置いてある。プライベートバンクの客室を連想させる。
更に進むと、ユーロ以前のオーストリア紙幣が歴史の流れに沿って展示されており、それぞれの紙幣のデザインをした作者の紹介もされていた。
20世紀初頭からの紙幣が、歴史的事実の写真と並べて展示されていたので、発行された時代背景も分かりやすい。と言っても解説はドイツ語。雰囲気で納得したに過ぎない。
また、紙幣だけでなく国債など債券のも展示されていた。
ユーロになってからの展示では、紙幣の印刷原版と切り離していない印刷された紙幣も展示されていた。日本の紙幣が印刷される時よりも横の印刷枚数が少なかったように思った。
しかし、枚数までメモしてこなかったため、イメージしか残っていないので、不正確な情報かも知れない点ご注意願いたい。
ここも見ていると時間を忘れるが、まだ行きたい所もあるので次に進む。
次はオーストリアの造幣局である。
ここの展示館は小さく、併設されているショップとあわせて100坪ぐらいか?
オーストリア造幣局日本駐在の方から事前に紹介頂いていた通り、「ベートーベン」の展示がされていた。コインよりも楽譜の下書きやベートーベンが使っていたもの、また生家の写真などベートーベンを知りたい方にはもってこいである。
戦後60年を記念するコインが5月11日に3種類発行されるが、そのうちの1つがベートーベンの肖像を使用しているため、今回の展示になった模様。
造幣局も国立銀行の博物館も外国人観光客が来ることを意識していないのか、解説はドイツ語のみであった。読めないのが残念である。
造幣局のショップで、お土産の金貨2枚と自分用にマリアテレジアのプルーフ銀貨ブックレット型を1枚購入した。マリアテレジアの銀貨 のオリジナルは1780年に発行され、以後アフリカや西アジアで1980年代の後半まで使われた寿命の長いコインである。勿論随分昔にオーストリアの法定通貨ではなくなっていたのだが・・・。
これについては興味深いストーリーがあるので別の機会にお話する。
今回、ウイーンでのコイン関連はこの2箇所を予定していたのだが、嬉しいことにもう1箇所、是非とも訪問すべきところを見つけた。
道を歩いていると、「美術史美術館」で「コインの歴史展」を開催しているというポスターが掲示されていたのだ。大きくデカデカと貼ってあったのだが、ツアーのメンバーは誰も気付いていないという。やはり関心の有無が大きいのだろうか?
ここは、コインの展示だけでなく絵画や彫刻も展示されており、観光コースの一つである。当然入場料も必要、10ユーロであった。
2階に展示されていると聞き、一気に駆け上がるが、大理石の階段が長く、踊り場も広いので、何か4階まで上がったような気分になった。
展示室は広く、確か4部屋に渡って展示されていたように思う。ショーケースにはコインが、壁にはコインの肖像になった人物の肖像画が貼ってあり、それぞれに説明が付けられていた。
また、コインだけでなく、メダルも展示されており豪華絢爛な感じである。しかし、絵画・彫刻に比べて何故かお客さんが少ないのは気のせいか?
ヨーロッパコインの作り方も再現されていた。中国・日本など東洋の貨幣は鋳型に銅を流し込む鋳造方式が基本であるが、古代ギリシャ・ローマに始まり近世までヨーロッパでは鍛造が主である。型を金属に打ち込んだり、金属の板をロールの型に挟んだりしてコインを作る方法などが紹介されていた。ここでは数万枚のコインが展示されていたのではないだろうか?
ここも見ているだけで時の経つのを忘れてしまう。他にも行きたい所があったので絵画・彫刻は見ないで外に出た。
本日はここまで。次回は現地のコインを取り扱うお店などについて投稿する予定である。
その他、今回の旅ではマネー関連先として、銀行や証券取引所なども訪問した。「貨幣ぶらり旅」以外のテーマで投稿したいと思う。


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April 29, 2005

感動、中欧でゲットしたコイン

貨幣ぶらり旅(第16話)

4月21日から29日までドイツ・チェコ・オーストリアを旅行してきた。
何処も世界遺産に指定され、文化や芸術に溢れる国々である。
9日間の短い日程であったので、ドイツはベルリン、ライプチッヒ、ドレスデンの3箇所、
チェコはプラハ、チェスキー・クルムロフ、オーストリアはウィーンを訪れた。
色々と見るところも多くテーマも絞り難いが、貨幣収集家、ニューミスマティスト、経済研究家である私のテーマは「お金」である。ドイツ語で「GELD」と言う。
今回の旅行は添乗員さん付きなので気楽、主なところは連れて行ってくれる。
そして自由時間は一人でテーマを追求するのだ。これが楽しい。ただ、気分が浮かれており、メモを取っていなかったので、記憶に不鮮明なところがあるのが残念である。
まず、ベルリンではペルガモン博物館で貨幣の展示を行っていた。博物館の展示の3%程度に過ぎないのだが、世界初の貨幣、リディアのエレクトラム貨から古代ローマ・ギリシャの貨幣などジックリ見ていると時間が足りない。
博物館のショップで「GELD」と言う図鑑(ドイツ語版)と、参考品の古代貨幣14種類を購入した。1個2.95ユーロである。古代ギリシャの有名な「女神とふくろう」など色々と面白い。
次にプラハではチェコの国立銀行に行く。博物館のようなものは無く、何か案内書はないかと訊ねると、現行コインの一覧をくれた。写真入りで分かりやすい。ここで両替は出来ないとの事だったので、隣の商業銀行に行く。
チェコの通貨単位は”コルナ”で、補助単位は”ハーレッシュ”である。国立銀行でもらった案内には10・20・50の各ハーレッシュが掲載されているのだが、10と20のハーレッシュコインは3~6ヶ月ぐらい前に廃止になったとの事。
何処の銀行に行っても両替はできなかった。スーパーや売店で聞くが自宅にはあるが手元には無いと言った返事である。こうなると益々手に入れたくなる。かなりの数のお店に聞いて回るがない。最後の望みを託して宿泊先ホテルのフロントに聞くと、なんと有るではないか。チップなのか募金なのか分からないのだが、日本で言えば1円、5円程度の通貨。
数枚分けてもらう。「ヤッタ!」と思わず飛び上がりたくなるような気分であった。
コイン商で買えば簡単なのだろうが、折角現地に行っているのだから自分で集めることに価値があると思うと益々意欲が湧いてきた。
チェコは2004年にEUに加盟したが、EURO導入は出来ていない。財政基準をはじめ厳しい経済的基準のクリアーが必要なのだ。最近EUに加盟した国の中では経済状態が良好な国だけに、近いうちのEURO導入を期待したい。
まだまだ書きたいことは続くのだが、時差ボケなので続きは明日書くことにする。
次回はオーストリアの国立銀行や造幣局のお話である。

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April 19, 2005

海外のコイン博物館に期待して

貨幣ぶらり旅(第15話)

明後日より旅行に出ることにした。
行き先はドイツ・チェコ・オーストリアである。中世・近世の建築、美術、芸術など見たり、楽しんだりする所は多い。
しかし、私の最大の関心事はコインと金融である。今回滞在する地域で立ち寄ることができるコイン・金融関連の施設は、オーストリア造幣局とオーストリア国立銀行の各博物館である。
私はウィーン倶楽部の会員なので、オーストリア造幣局の日本支局に電話して現地の様子を尋ねたところ、親切かつ丁寧に教えてくれた。
オーストリア造幣局は立ち入れないとのこと。但し、併設の博物館とショップは午前9時から午後6時までオープンしており、現在は「ベートーベンのコイン」展を開催しているそうだ。
また、ウイーン国立銀行の博物館は午前9時30分から午後3時30分まで開館でオーストリアのコインの歴史を常設展示しているとのことであった。
これらの施設は、通常の観光コースに無いため、旅行会社に問い合わせても、あまり的確な回答は返ってこなかったので、オーストリア造幣局日本支局の方のアドバイスは非常に有難い。
向こうに行って見ないと分からないが、現地で色々見聞し、情報を仕入れることが出来たら、またこのサイトに投稿するつもりである。
マリアテレジア銀貨やフランツ・ヨーゼフ金貨をはじめ有名なコインも多いが、国内ではあまり見れない希少コインと巡り合えればと期待している。
ところで、先に述べたベートーベンをはじめ「音楽家」のコインに興味をお持ちの方には次の書をお薦めする。
「コインの中の音楽家たち」千葉一良(著) 水曜社刊 (2001年7月) 税抜き2,000円

また、今回訪問予定のオーストリアのコイン関連施設のHPは次の通り。

オーストリア造幣局・日本支局・ウィーン倶楽部
http://www.austrianmint-jp.com/mint.html
オーストリア造幣局
http://www.austrian-mint.com/e/menu.htm
オーストリア国立銀行
http://www.oenb.at/index.jsp
オーストリア国立銀行・マネーミュージアム
http://www.oenb.at/en/ueber_die_oenb/geldmuseum/money_museum.jsp


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