June 19, 2006

「ベルゲン貿易事務所」と「ハンザ同盟」

ロシア・北欧の旅(第15回)

ベルゲンとハンザ同盟については、「ロシア・北欧の旅(第6回)世界遺産・ブリッゲン地区」で簡単に触れた。今回は更に詳しく述べることにする。

1. 「ハンザ同盟」について

「ハンザ同盟」とは、北ドイツのブレーメン、ハンブルク、リューベックなどを中心に、バルト海周辺の経済圏を支配した都市同盟のことを指す。13世紀から17世紀頃まで存続し、14世紀が最盛期であった。この頃には加盟都市は200を超え、加えてブルージュ(現ベルギー)、ロンドン、ノブゴロド(現ロシア)、ベルゲン(現ノルウェー)の4箇所に常駐の貿易事務所(「外地ハンザ」とも言われていた)を設け、北方の海産物、木材、毛皮などを取り扱い、ヨーロッパの定期市で毛織物や東方の商品との交換を行った。

「ハンザ同盟」は商業活動のための団体、つまり商人集団であったが、商圏確保のためには戦争をすることもあった。例えば1370年、1435年の2度にわたってデンマークと戦い、勝利して諸特権をデンマークに認めさせている。反対に、15世紀には「カルマル同盟」を結んだデンマーク(ノルウェー、スウェーデンとの同君連合)に敗れ、バルト海での覇権を弱めたこともある。

15世紀に入ると「ハンザ同盟」は、衰えを見せ始めた。これは「カルマル同盟」のデンマークに敗北したことだけでなく、大航海時代が到来し、かつ近代的集権国家が発展したためである。つまり、ドイツは小独立国家が分立しており、貿易など海外利権を守る中央政府が存在しなかったが、イギリス、オランダは政府の後ろ盾で、自国商品を自国船で運び、商圏をバルト海経済圏にまで広げていったのである。「ハンザ同盟」は1618年に起きた「三十年戦争」(1618~1648)で、ドイツ諸侯と都市に完全な主権が認められた(領邦国家)ことから、事実上消滅することになった。

2. 「ハンザ同盟」の「ベルゲン貿易事務所」について

(1)先に見たとおり、「ハンザ同盟」の最盛期には200以上の都市が加盟し、4つの常駐事務所も設けられていた。その一つがノルウェーの「ベルゲン」だ。4つの事務所はどれも重要な役割を果たしたが、現在でも当時の面影を留めているのは「ベルゲン」だけである。これは次の3つの理由によると言われている。
第一に、「ベルゲン貿易事務所」は他に比べて規模が小さく、ハンザの影響をより強烈に受けている。
第二に、ハンザ事務所が閉鎖された後も、建築様式や商業運営がほとんど変わらず受け継がれた。
第三に、ブルージェやロンドンの事務所が解体されてからなお150年から200年もの間、ベルゲンの事務所は存続した。
これらの理由により当時の姿を残す建物群を持つ「ブリッゲン地区」は、1979年に「世界遺産(文化遺産)」として登録された。

(2)「ベルゲン貿易事務所」が開設される以前の様子について「ハンザ博物館」で入手した「ハンザ博物館と集会所」(マルコ・トレッビ著)には「ベルゲンには当時大量の干し魚があり、それを買うためドイツ人が到来した。ベルゲンから干し魚を輸出し、かわりに欲しいものを買い付けるわけだが、1100年代には、小麦の大部分がイギリスから入ってきた。ドイツ商人、特にライン地方の商人が多かったようだ。彼らはドイツからのワインとイギリスで仕入れた麦をノルウェーに持ち込んだものと思われる。1200年代前半から、バルト海沿岸のドイツ商人たちがやって来た形跡がある。この商人たちが小麦や小麦粉、麦芽をこの地にもたらせ、減少するイギリスからの輸入を補った。」と書かれている。

(3) 「ベルゲン貿易事務所」は1360年頃に設置され、ハンザ商人は各種特権を得てブリッゲン地区に居住した。彼らは、ノルウェーが輸入に頼らざるを得なかった小麦の流通を握る一方、ノルウェーの干し魚をヨーロッパ市場で効率よく売り捌いた。より具体的に見ると、干し魚のメインは鱈(タラ)で、1月下旬から3月中旬までロフォーテンで獲れた鱈を吊るし干しにしたものである。またハンザ商人は北部の人から肝油、革、毛皮、バター、獣脂などを買いつけ、穀物、小麦、塩、ビール、ホップ、麻、布地、鉄製品、ガラス器などを売り物にした。

ハンザ商人と北ノルウェー人の交易は主に「物々交換」で行われ、現金が使われることは少なかったようだ。この取引の中で興味を惹くのが「親父借り」(おやじがり)である。魚という自然相手の商品なので、漁獲量は毎年変動する。そのためハンザ商人は顧客と特別な取引関係を持った。つまりハンザ商人は、漁獲量の悪い年でもノルウェー人顧客が1年間生活できる食料資材を貸し与えたのである。これが「親父借り」だ。このクレジットにより、ノルウェー人顧客は不漁のため苦しい年でも生活が保証された。クレジットを受けたノルウェー人顧客は、貸主たる商人と取引する義務が生じるので、他に有利な価格を提示する商人が現れても取引出来ないので、貸主たるハンザ商人にとってもメリットは大きかったようだ。しかし、実際は北ノルウェーでもこっそり取引したり、ベルゲンに向かう途中でも横流しがあったと言う。

ところで、ハンザ商人と北ノルウェー人の交易は主に「物々交換」であったが、ハンザ商人の間の決済は現金で行われた。総勘定元帳とは別に顧客毎の元帳を作り、差額を現金で清算するやり方のようだ。

(4) 「ハンザ同盟」について述べた箇所でお話したとおり、大航海時代の幕開けと近代国家の発展により「ハンザ同盟」は衰えていった。世界貿易の重心が移り、国家権力が強く通商に関与するようになったからである。このような傾向は「ベルゲン貿易事務所」でも見られたが、他の事務所ほど顕著ではなかった。しかし1630年、遂に凋落の兆しが現れた。ベルゲンの市民がハンザ商店を買収したのである。この傾向は年々強まり、1740年にはハンザ商店はたったの9件になってしまった。そのため1754年、ハンザ同盟による「ベルゲン・ドイツ貿易事務所」は、ベルゲン市民によって運営される「ベルゲン・ノルウェー貿易事務所」に取って代わられた。公式には、この時をもって約400年続いたドイツ主導の時代は終わりを告げた。
但しベルゲン市民といっても、ベルゲン市民権を取得したドイツ人達だったので、従来の運営システム、大部分の厳格な規則、事務所内自治権などほとんどが踏襲され、1899年に事務所が解散されるまで、ほぼ「ハンザ同盟」時代と変わらずに存続した。このためブルージェやロンドンなど他の事務所が解体されてから、なお150~200年もの間「ベルゲン・ノルウェー貿易事務所」は化石のように残ったのである。

ブリッゲン地区(ユネスコ)のHP
http://whc.unesco.org/pg.cfm?cid=31&id_site=59
ハンザ博物館のHP
http://www.hanseatisk.museum.no

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 18, 2006

ロシア・北欧で得た貨幣に関する情報

貨幣ぶらり旅(第82回)、ロシア・北欧の旅(第14回)

今回の「ロシア・北欧の旅」で得た、貨幣に関する情報を整理した。貨幣に興味を持っており、こちら方面に旅される方の参考になれば幸いである。

1. ロシア
(1)「エルミタージュ国立美術館」
 4Fにコインを展示している部屋はあるが、ここ数年閉鎖されているため、展示物を見ることは出来ない。美術館のショップでも、貨幣に関する資料は入手できなかった。

(2)「アングレテーレ・ホテル」内のみやげ物店
旧ソ連時代のコインを売っている。
(同店で入手したもの)
旧ソ連時代のコイン(18枚・購入価格:250ルーブル、( )内表示以下同じ)

エルミタージュ国立美術館のHP
http://www.hermitagemuseum.org/html_En/index.html
アングレテーレ・ホテル
http://www.angleterrehotel.com/
ロシア中央銀行
http://www.cbr.ru/eng/main.asp

2. フィンランド
(1) 「国立博物館」
地下にコインを展示している部屋はあるが、ここ数年閉鎖されており、見ることは出来ない。
(博物館のショップで入手したもの)
書籍・「RAHA SUOMESSA ENNEN EUROA」(18ユーロ)

(2) 「CAFÉ NEUHAUS」(UNIONINKATU 32 00100 HELSINKI)
現行コインやミントセットを販売する、チョコレート屋さんで、コーヒーショップも併営している。元老院広場南西端の道を南に10mぐらいの所にある。
(同店で入手したもの)
フィンランドでは流通していない、ユーロの1セントコインと2セントコイン(3ユーロ)

国立博物館のHP
http://www.nba.fi/en/nmf
同コインキャビネットのHP
http://www.nba.fi/en/collections_coin_cabinet
フィンランド中央銀行
http://www.bof.fi/eng/
フィンランド造幣局
http://www.mint.fi/en/

3. スウェーデン
「スウェーデン王立貨幣館」
全館で貨幣の展示をしている。入館料は無料。
1Fは「世界のお金」、「スウェーデンの硬貨」、「欧州通貨同盟」がテーマ
2Fは「秘蔵物や財宝のマジック」、「金融界」、「貯金と貯金箱」の3つのテーマ
3Fは「メダルの芸術」というテーマ
1Fの「スウェーデンの硬貨」は、ジックリと見る価値あり。但し解説がスウェーデン語であるところが難点。

(博物館のショップで入手したもの)
書籍・「OLOF OCH ANUND JAKOB」(25スウェーデン・クローナ)
書籍・「Kann Ditt Land Nr17.Svenska penger」(15スウェーデン・クローナ)
リーフレット・「Europeiska valuator som upphorde vid inforandet av euron」(KUNGL MYNTKABINETTET)(無料)
リーフレット・「Svenska sedlar cch mynt」(RIKSBANKEN) (無料)
リーフレット・「Fran arsskiftet blir vissa alder sedlar och mynt ogiltiga」(SVERIGES RIKSBANK) (無料)
(その他入手出来るもの)
現行スウェーデンコインのミントセット
籠に入れられたコイン(世界の現行コイン)から欲しいものを選べる。

スウェーデン王立貨幣館
http://www.myntkabinettet.se/engl.htm
スウェーデン中央銀行
http://www.riksbank.com/

4. ノルウェー
(1)「ノルウェー歴史博物館」
1Fにコインを展示している部屋はあるが、普段は閉鎖されており、見ることは出来ない。
しかし、特別に見せて欲しい旨お願いしたところ、学術員(「マーティン」さん)の方の案内で見ることが出来た。誰でも同じ対応をしてもらえるのか否かは不明。ノルウェー語の解説だが、案内してくれた学術員に質問すれば、英語で答えてくれる。

(博物館のショップで入手したもの)
書籍・「SOLVSKATTEN FRA BRUSSEL」(150ノルウェー・クローネ)
書籍・「KELTISKE MYNTER」(20ノルウェー・クローネ)
書籍・「NORSK MYNT I 1000 AR」(20ノルウェー・クローネ)
書籍・「BYSANTINSKE MTNTER」(30ノルウェー・クローネ)

(2)コインショップ「NUMISMA MYNTHANDEL」
北欧の貨幣を多数取り扱っている。スウェーデン発行の世界初の銀行券や、同じくスウェーデンで使われた銅板貨幣などには注目。その他、古代ギリシャ・ローマのコイン、ユーロコイン他、ヨーロッパ各国のコインも販売している。また書籍も多数置いているのだが、ノルウェー語で書かれていることをお忘れなく。

(同店で入手したもの)
書籍・「NORGES MYNTER」(2006) (80ノルウェー・クローネ)
書籍・「NORGES PENGESEDLER」(395ノルウェー・クローネ)

ノルウェー歴史博物館のHP
http://www.khm.uio.no/english/
NUMISMA MYNTHANDELのHP
http://www.numisma.no
ノルウェー中央銀行
http://www.norges-bank.no/english/
ノルウェー造幣局
http://www2.dkm.no/

5. デンマーク
「デンマーク国立博物館」
2Fにコイン・メダルコレクションのコーナーがある。ヴァイキング時代以降のデンマークコインが多数展示されている。15~6世紀頃のコインの製造過程や、商取引のやり方なども解説されており面白い。その他世界中のコインも並んでいる。なおここは英語の解説も付いているので有難い。

(博物館で入手したもの---無料配布物)
書籍・「METALDETEKTORER-fund og fotidsminder」(無料)
書籍・「Et Myntcabinet til Nytte AEre」(無料)
書籍・「En hilsen til Niels-Knud Liebgott」(無料)
書籍・「DANSKE PROVEMONTER」(無料)
書籍・「Den kgl.Mont-og Medaillesamling」(無料)

デンマーク国立博物館
http://www.nationalmuseet.dk/sw20374.asp
デンマーク中央銀行
http://www.nationalbanken.dk/dnuk/specialdocuments.nsf

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 16, 2006

ヘルシンキから帰国する

北欧・ロシアの旅(第13回)

Charlotten
本日で北欧・ロシアの旅も最終日だ。飛行機に乗って帰国するだけである。しかし、もう一度コペンハーゲンの街を見ておきたかったので、午前5:30分頃から外出し、街中を歩き廻った。ホテルを出て、「コペンハーゲン市役所」→「国立博物館」→「クリスチャンボー城」→「王立図書館(ブラック・ダイヤモンド)」→「旧証券取引所」→「デンマーク国立銀行」→「王立劇場」→「シャーロッテンボー宮殿」(写真)→「王様の新広場」→「ラウンド・タワー」→「ストロイエ通り」を抜けて、午前7:00過ぎにホテルに戻った。約1時間半歩き続けていたことになる。天気は良く、気温も適度だったので気分爽快だ。

ところで、街を歩いていて道路に街路樹が無いことに気付いた。その代わりに歩道と自転車専用道が車道とは別に作られている。日本では歩道は狭く、自転車と歩行者は一緒の場所を通る。電柱があると更に狭くなる。日本では、歩行者の安全についてあまり配慮されていないように思える。環境のため、景観のために緑化しているのかも知れないが、歩行者には全く優しくない。またコペンハーゲンの道路はセンター部分に分離帯やガードレールは無い。日本に比べて人口が少なく、何処ででもUターンする悪質ドライバーが少ないからだろうか。センター部分に分離帯を造れば、その分だけ余分なスペースが必要になり、歩道に余裕がなくなる。分離帯や街路樹を植えなければコストも安く済むし、メンテナンス費用も不要だ。財政負担も軽減できるのではないだろうか。街を歩きながら、そのようなことを考えていた。

Copen
ホテルで朝食を取った後、少し眠くなったので、部屋でしばらく眠っていた。ホテル出発は午前10:00。コペンハーゲン・カストロップ国際空港に行くだけだが、ガイドが付いていた。名前は「ワカバヤシ」(男性)さん、運転手は「ボー」(男性)さんだ。午前10:30分過ぎ、空港に到着。個人チェックインを済ませた後、残っていたデーマーククローネをユーロに両替した。飛行機は12:30分発と、まだ1時間程あったのでラウンジでパンと紅茶を採りながら過ごした。12:15分に搭乗すると、隣に外国人の男性が座った。夫婦別の席になったとの事だったので座席を代わってあげると非常に感謝された。移った席の横には中年の外国人女性がいた。観光客かと思い話しかけてみると、ビジネスだという。外見は「おばちゃんの旅行」に見えたのだが、コペンハーゲンとヘルシンキとを頻繁に行き交っているとの事。機内で株式・債券に関する新聞記事を読んでいる時、フィンランド人は福祉が充実しているので老後の心配をしなくても良く、投資には興味がないかも知れないと思い、隣の女性に尋ねてみた。すると考えていたのとは反対で、非常に興味があるとの事。贅沢でなくても豊かな暮らしをするにはお金があった方が良いのだ。投資するのは老後の為だけではない。当たり前か・・・・。(写真はコペンハーゲン上空より)

ヘルシンキには15:00頃到着。時差が1時間あるので、飛行機に乗っていたのは1時間半ぐらいである。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港で出国手続きを済ませ、関西空港行きの飛行機の搭乗時間までラウンジで過ごした。16:40分、搭乗時間になったがエコノミーの客から先に乗せ始めた。このようなパターンは初めてだ。再びラウンジ戻り、ビジネス客呼び出しの案内があるまで待った。他のお客は中欧方面の旅行をしてきたグループのようだ。一人の日本人女性が「あんた、取りすぎやで~」と大声で言うのが聞こえたので振り返ると、無料でもらえるチョコレートを大きな袋一杯に詰めて持っているではないか。透明な袋なので分かるのだが、4~50個入っている。いくら「ご自由にお取りください」と書いてあっても、普通は多くても2~3個位しか取らないだろうと思いつつ、私も一つそのチョコを口に入れてみた。非常に美味しい。これなら持って帰りたくなるのも止むを得ないかとも思ったが、同じ日本人としては、もう少し控えめにして欲しいとも感じた。

夕食は機内で採った。メニューは「さつまいもとココナッツミルクのスープ」、「寿司の盛り合わせ」、「鰻の蒲焼」、「銀鱈ソースかけ」、「シャンパントリュフケーキ」である。翌日の朝食はあまりお腹が減っていなかったので、サンドイッチにした。飛行機は予定より10分ほど早い午前8:30分に関西国際空港に到着。今回の楽しい旅もこれで終わりだ。暫くは、今回の旅で仕入れてきた資料の整理をするつもりだ。整理が出来れば、このブログに投稿したいと考えている。

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 15, 2006

クロンボー城とフレデリクスボー城

北欧・ロシアの旅(第12回)

Site_696
本日の午前中は、オプショナルツアーで「クロンボー城」(写真 : クロンボー城のHPより)と「フレデリクスボー城」に行く。コペンハーゲンから北へ45km程離れている。「クロンボー城」は、先日オスロからコペンハーゲンに来る途中に船から見た城で、ここヘルシンオアと対岸のヘルシンボリ(スウェーデン)とは3.5kmしか離れておらず、現在フェリーで約20分との事である。

前回お話したように、ここはエリークⅦ世王が通行税を徴収するために建てた城であり、シェークスピアの「ハムレット」の舞台になったことでも有名だ。また、この城は北欧の歴史に大きな足跡を遺したこと、さらに建築様式が北欧ルネッサンス様式であることなどから、2000年にユネスコ世界遺産に指定された。城は1585年に完成、土台はレンガ造り、壁は砂岩、屋根は銅板出てきており、城の高い塔は現在灯台として使われている。地下は大きく、当時多くの兵士が隠れ住んでいたそうだ。

ところで以前「通行税」を支払わない場合、両岸から大砲の弾が飛んできたことをお話したが、大砲の弾は約1kmの距離飛んだようで、威嚇には十分だったらしい。また、海峡にはヴァイキングが出没していたので、通行税を支払うことでデンマークに守ってもらえた事から、バルト海まで無事航行するために脱税は少なかったようだ。毎日通行税収入が入ったので、国王は国民に対して増税を強いることなく豪華な城を建てることも出来た。対岸をノルウェーに奪われた後も、1800年アメリカが国際裁判所に提訴して廃止されるまで税をとり続けていたという。

00000429_arnemagnussen
約30分、城の外からの見学を終え、午前10:45分に「フレデリクスボー城」(写真 : フレデリクスボー城のHPより)を目指してバスは出発した。「フレデリクスボー城」は「クロンボー城」が建てられた35年後の1620年に「通行税」で造られた。クリスチャンⅣ世の父、フレデリックⅡ世王が地方貴族からこの城を入手したが、クリスチャンⅣ世はルネッサンス様式を取り入れて造り直した。しかし、1859年12月に暖炉の割れ目から火が漏れて火災となり、城の大部分を消失した。その頃の王室は経済力を失っていたので、自力再建は出来なかったが、ビール王と呼ばれたカールスバーグビール社の社長ヤコブセンが尽力し、約100年前に「国立歴史博物館」として蘇った。現在城の博物館部分は民間所有となっているが、庭園など他の部分は国有である。日本のように皇室財産というわけではない。

博物館にはデンマークの歴史を現す絵画、宝物、装飾品などが展示されている。17世紀のデンマークは西欧諸国に比べ、技術・文化などで遅れていたことから、当時進んでいたオランダの影響を受けているのが目に付く。「教会堂」、「謁見の間」、「大広間」などを見て廻り、13:00前に城を後にした。
13:30頃ホテルに戻り、後は自由行動だ。デンマークの鉄道に乗りたかったので、ホテルから西へ2~3分歩いた所にある「Vesterport」駅に行った。乗車券を買うために券売機の前に立って説明書を読んでいたら、17~8才の可愛らしい女性が声をかけてきた。そして切符の買い方を教えてくれたのだ。その後教えてくれた通りに乗車券を買おうとしたが小銭が無かったので、結局駅車内で人のいる乗車券売り場に並んでいた。すると先ほどの女性が来て、どうしたのかと尋ねてくれた。小銭が無い旨説明すると、自分のお金で乗車券を買って私に渡してくれた。18デンマーククローネである。手元にあった10デンマーククローネだけ渡し、後はお世話になる事にした。デンマークの人は困っている人に対して施しすると聞いていたが、実際に受けてみて驚いた。しかし今冷静に考えると、売店で何か買ってお釣りをもらいお金を返すか、住所・名前を聞いて、日本からお礼の手紙を書くなどすれば良かったかなと考えたりする。また逆に10デンマーククローネを渡したことが失礼になったのではないかとも思ったりした。

Rosenborg4
そのような体験をした後、列車に乗り一駅目の「Norreport」駅で下車、「ローゼンボー離宮」(写真 : ローゼンボー宮殿のHPより)に向かった。ここはクリスチャンⅣ世によって建てられたオランダ・ルネッサンス様式の建物で、1634年に完成した。最初に地下にある「宝物館」に行った。ここには数々の財宝、刀剣、王冠などが展示されている。中でもクリスチャンⅣ世とクリスチャンⅤ世の各王が戴冠式で用いた王冠は素晴らしいの一言に尽きる。それぞれ四方ガラス張りのケースに納められており、ケースの横には3段の階段が付いている。真上から見ることが出来るようにとの配慮からだ。しかし残念ながらデンマーク人の平均身長で作られているのだろうか、私の身長では真上から見ることは出来なかった。

次に城の中を見学した。「クリスチャンⅣ世の書斎」、「寝室」、「大理石の間」、「漆塗りの間」など素晴らしい部屋が続く。そして注目すべきは最上階にある「大広間」だ。別名「騎士の間」とも言う。ここには銀製の家具が並べられており、戴冠式で用いた椅子も展示されていた。ここで写真を撮ろうと思い、ストロボ使用の可否を係員に尋ねると、写真撮影のためのフィーを払ったかとの事。払っていないことを告げると、唇に指を当て、目を瞑るジェスチャー。見ない振りをしてくれるとのサインだ。1枚撮ることが出来た。

内部の見学を終えて庭を見るために外に出ると雨。傘をさして歩いていると、素晴らしい景色を見つけた。歩いてきた若いデンマーク人女性に写真のシャッターを押してくれるようにお願いした所、傘を投げ捨て濡れながら、あちらが良い、こちらも良いと一生懸命に写真を撮ってくれた。改めてデンマーク人の親切さに驚いた次第である。感謝。

Rundtower
次に向かったのは、「ローゼンボー宮殿」から南へ300mくらい離れた所にある「ラウンド・タワー」(写真)だ。この塔はクリスチャンⅣ世によって1642年に天文観測所として建てられた。内部は”らせん状”の廊下になっており、ヨーロッパの建築では珍しい。塔の吹き抜けた中心部を209mの道程で7回転半しており、この坂道が建物の個々の部分を繋ぐ唯一の通路となつている。地上34.8mにある屋上の展望台からは、四方にコペンハーゲンの古い街並みを見渡すことが出来る。

Guldfallosirum
続いて街のメイン通りである「ストロイエ通り」に向かって歩いていくと、「性博物館」がある。デンマークは世界で最初に性の開放に踏み切った国で、このような博物館も世界初である。入り口は赤と金で飾られた怪しい雰囲気、館内に入ると受付横に金色巨大な男性のシンボル(写真 : 性博物館のHPより)が展示されていた。見学者は男性が多いのではないかと思っていたが、意外に外国人女性の集団が何組も入ってきた。展示内容は性の歴史で、前半部分は古代ギリシャ時代の壺などに描かれていた性に関する画や、イスラムのハーレム、日本の「春画」など、歴史的、体系的に並べられている。また東南アジアなどでは男女の性器が神様として祭られている様子も解説されていた。しかし後半部分はマリリンモンローをはじめセクシーアイドルの写真展示や日本では放映出来ないフィルムが流れていた。日本人女性には抵抗があるかもしれない。

ところで、本日は夕食もフリーだ。ホテルの隣が「マクドナルド」だったので、夕食はハンバーガーに決めた。店は混雑しており、20分ほど並ぶことに。ここも値段が高いのかと思っていたが、チーズバーガーやチキンバーガーは1つ10デンマーククローネと、ノルウェーでの価格に比べ遥かに安い。数個買ってホテルで食べることにした。明日は帰国の途に。早朝、街をもう一度周ってみたかったので21:00頃寝ることにした。

クロンボー城
http://www.kronborgcastle.com
ユネスコ・クロンボー城
http://whc.unesco.org/en/list/696
フレデリクスボー城
http://www.frederiksborgmuseet.dk
ローゼンボー宮殿
http://www.rosenborgslot.dk
ラウンド・タワー
http://www.rundetaarn.dk
性博物館
http://www.museumerotica.dk
デンマーク政府観光局
http://www.tabiken.com/euro/denmark/dk/denmark.dt.html

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 14, 2006

人魚姫とチボリ公園

北欧・ロシアの旅(第11回)

午前4:30分前、日の出と共に目が覚めた。私の部屋は東側なので、日の出による光で目が覚めたのである。水平線にかかる太陽。しばらく日の出を眺め、再び寝ることにした。午前6:00前に起きて朝食のためレストランに行くと、誰も居ない。オープンは6:30分からで、添乗員の案内が間違っていたのだ。仕方ないのでレストランの前にあるベンチに腰掛けて、海を眺めていた。

午前6:30分、レストランオープンだ。最初に西側が見える座席を確保した。午前7:00頃に「クロンボー城」が見えると聞いていたからだ。「クロンボー城」は明日のオプショナルツアーで行く予定にしているのだが、15世紀に通行税徴収のために建てられた城なのだ。当時は対岸もデンマーク(現在はスウェーデン)であったので、この海峡を通る船から税金を徴収していたのである。この税収は大きく、デンマーク王室をかなり潤したと言われている。ツアーでは城に入るが、船からはどのような感じに見えるのかは、この時しか分からない。税金を払わずに通り抜けようとすると、両岸から大砲の弾が飛んでくる。海峡の幅なども実感できるのだ。

実際に海峡を通過すると、思っていたほど狭くない。本当に当時の大砲の弾が届いたのだろうかと疑問が湧いてきた。音だけで怯えていたのか。それとも多数のヴァイキング船でも押し寄せたのであろうか。明日のツアーが益々楽しみになった。

午前7:10分頃、スウェーデンのヘルシンボリに寄航し、午前9:30頃コペンハーゲンの港に着いた。港に入る直前、風力発電用のウイングが25基以上並んでいた。この地域は風が強いのであろう。これだけのウイングが並んでいるのを見たのは、沖縄・宮古島の「平安岬」以来だ。

Amarienbo
午前9:30分にバスはスタート、途中現地のガイドを拾って観光に出かけた。本日のガイドは「ヤシロ チカコ」(女性)さんだ。最初に訪れたのは「ニューハウン」である。運河沿いに赤・青・黄色とカラフルな色の建物が並ぶコペンハーゲンならではの景観をもつ街だ。河には帆を降ろしたヨットや小型帆船が係留されている。テーマパークに来ているような感じがする。ここで写真を撮り、「アマリエンボー宮殿」(写真 : デンマーク政府観光局HPより)に向かった。

「アマリエンボー宮殿」は、18世紀末に当時の宮殿であった「クリスチャンボー城」が火災に遭ったため、春~秋にかけて使う宮殿として建てられた。土地の所有者であった「フレデリコ」が土地の真ん中に自分の騎馬像を置き、それを中心に八角形になるように建物を建てることを条件に王家に売り渡したと言う。宮殿の周りには、黒い毛皮の帽子を被った衛兵が警備していた。当時建物の所有者のリッチ度は煙突の数で見分けがついたそうである。煙突の数だけ部屋数が多かったからだ。

30分ほど宮殿の外から見学した後、午前11:00に次の観光地である「ゲフィオンの泉」に向けて出発した。「ゲフィオンの泉」は「カステレツト要塞」の側にあり、「アマリエンボー宮殿」から北へ500mほど離れている。「カステレツト要塞」はコペンハーゲン港の入り口を守るために造られた星型の要塞で、日本の「五稜郭」を連想させる。「ゲフィオンの泉」には4頭の牛とそれを御する女神の像がある。これには物語がある。昔”ゲフィオン”は土地を持っていなかったので、”グリュフ”に土地を持つことを願った所、一晩で耕しただけ土地を貰える事になった。そこで4人の息子を牛に変えて耕したという話だ。

Ningyozou
ここから直ぐ近くには「人魚姫の像」」(写真 : デンマーク政府観光局HPより)がある。おとぎの国デンマークを象徴する像で、デンマークを訪れた人は必ずここに来ると言う場所だ。80cm程しかない愛らしい像だが、ペンキを塗られたり、爆破されたりなど色々な被害に遭っている。現在の「人魚姫」は2003年に修復された像である。

ここからバスで30分、本日のツアー最後の観光予定地である「コペンハーゲン市庁舎」に向かった。市庁舎の前には広場があり、広場の北には「アンデルセン」の銅像が建っている。道路の向こう側には「チボリ公園」も見えている。また、本日宿泊するホテルはここから歩いて1~2分のところにあり、何処に行くのにも非常に便利だ。チェックインの前に昼食である。「AD LIBITUM」でビッフェスタイルの食事を取る。ドイツ人の観光客と一緒になり大混雑だった。

Kokurituhaku
食後チェックインを済ませ、14:00前頃から自由行動である。最初に「国立博物館」(写真)を訪れた。ホテルから歩いて10分ぐらいの所にある。ここにはデンマークの氷河時代からヴァイキング時代、中世を経て現代に至るまでの数多くの品々が展示されている。しかし、私が最も楽しみにしていたのは、デンマーク国内外のコイン、メダルコレクションだ。ここは閉鎖されておらず、ゆっくり見学することが出来た。ここも警備が厳しいにもかかわらず見学者が少ないので、やがてこれまで訪れた他の国の博物館のようにコイン部門が閉鎖されるのではないかと少々心配になった。古代ギリシャ・ローマのコインを始め、アジア、イスラム、アフリカや南北アメリカのコインも展示されていたが、中でも興味を惹くのが北欧のコインである。別の機会に詳しく書きたいと思うが、北欧における中世のコインは薄い銀板に打刻しただけと言う感じの粗雑なコインが多い。丸いコインを切って使うことも多かったようなので、このようなコインの方が実用的だったのであろう。コインは作られていても、現在のように各種単位の通貨があったわけではなく、秤量して使われていたのだ。ここの展示は英語の解説も付いていたので分かり易かった。もう少し見ていたかったのだが、近くの「クリスチャンボー城」にも行きたかったので、博物館を後にした。

Chrischian
「クリスチャンボー城」(写真右尖塔の建物)の中を見学するにはガイドツアーに参加する必要がある。私の理解できる言語、英語でのツアーは1日3回、これから始まる15:00からのツアーが本日最後なのだ。15:00少し前に入り口付近に行くと、十人くらいの外国人が待っていた。「クリスチャンボー城」は1167年に建てられ、その後再建を繰り返し、現在の建物は1928年に完成したものである。かつては王宮として使用されていたが、現在は国会議事堂や女王謁見の間として利用されている。ダイニングルームをはじめ、「王様の間」や「キャサリンの間」、「ベルベットの間」など素晴らしい部屋を見て廻った。城の前の広場にはかつてのデンマーク王「クリスチャンⅨ世」の像が建っている。

Bank_1
約1時間の見学後、「デンマーク国立銀行」(写真)に行こうと思ったが、既に閉まっていたのでその近くを歩いていると、人の列を見つけた。運河ツアーのため船を待っているのだ。あと5分ほどで来る。面白そうなので並んでみると、直ぐに船が来た。船の名前は「NETTOⅤ」(KBH)。1周30デンマーククローネと比較的安い。人の良さそうな”おじいさん”が船長、孫のような可愛らしい女性は、乗船券の販売や観光ガイドを担当していた。Tosho
国立銀行と証券取引所の間ぐらいにある船着場から乗り、「ニューハウン」→「オペラハウス」→「アメリエンボー宮殿」→「人魚姫の像」→「救世主教会」→「クリスチャン教会」→「王立図書館」(写真左の黒い建物 : ブラックダイヤモンドとも呼ばれている)→「クリスチャンボー城」を見て、乗船した船着場に戻った。約1時間10分の船旅だ。天候にも恵まれ、気温も暖かだったので、船の上げる水しぶきを浴びても、さわやかな気分であった。

船を降りてから、メインストリートである「ストロイエ通り」に向かった。途中「ギネス・ワールド・オブ・レコーズ館」に寄るが、17:00で閉館。「逓信博物館」は営業していたので、中に入る事にした。郵便、電話の歴史を見ることが出来た。また特別展として飛行船「ツェッペリン号」の記念展示がされていた。特に飛行船の内部、そのフレームワークは素晴らしい。軽いアルミの素材を如何に強くするかをフレームの組み合わせで考えている点には魅かれた。

夕食の集合時間である18:45分が近づいたので、ホテルに戻ることにした。途中に書店「ガド」があったので立ち寄り、例によって北欧の経済やコインに関する本を探すが、ここでも見つけることは出来なかった。

夕食は「CASSIOPEIA」で、ポーク料理を頂く。夕食を終えたのは20:45分だが、外はまだ明るいので、「チボリ公園」に行くことにした。広さは岡山・倉敷にある「チボリ公園」と同じくらいの広さだろうか。しかしコペンハーゲンの方が遊園地のように乗り物が多いので、少し狭く感じられた。乗り物は急に落下したり、上下逆さまになったりと過激なものが多い。野外劇場ではパントマイムが演じられていた。なかなかコミカルで面白い。別の劇場ではバンドが演奏していた。「ロウ人形館」に行くが、残念ながら閉まっていた。
1時間ぐらい見物し、ホテルに戻った。宿泊しているホテル「ザ・スクエア」は便利なところに位置しているので、明日早朝の観光プランを練ることにした。

アメリエンボー宮殿
http://www.rosenborg-slot.dk
http://www.kongehuset.dk/artikel.php?dogtag=k_dk_slotte_amalien
コペンハーゲン市庁舎
http://www.copenhagencity.dk
クリスチャンスボー城
http://www.ses.dk/english.php
デンマーク中央銀行
http://www.nationalbanken.dk/dnuk/specialdocuments.nsf
デンマーク国立博物館
http://www.nationalmuseet.dk/sw20374.asp
ザ・スクエア
http://www.thesquarecopenhagen.com/
チボリ公園
http://www.tivoli.dk

| Comments (0) | TrackBack (1)

June 13, 2006

ヴァイキング船と豪華客船クルーズ

北欧・ロシアの旅(第10回)

Vshuset
午後の観光は13:00にホテルを出発した。本日のガイドは「あけみ」(女性)さんだ。最初に「ヴァイキング船博物館」(写真 : ヴァイキング船博物館HPより)へ行く。ホテルから南西へ6~7km離れた所にある。ホテルを出て15分くらいで到着。手前には「ノルウェー民族博物館」があり、ここは昨日ゴルで見た「スターブ教会」の本物が移設されている先である。残念ながら本日の観光予定には入っていない。

「ヴァイキング船博物館」の中には、3隻のヴァイキング船」」(写真 : ヴァイキング船博物館HPより)が展示されている。
① オーセバルク船(写真上)
② ゴークスタット遠洋航海船(写真中)
③ ツーネ船(写真下)
の3種類だ。Oseberg1_1
それぞれ発掘された場所である東ノルウェーの地名が付けられており、船はオーク材で造られている。①と②は粘土質の地面に埋もれていたので最高の状態で保存されたが、③に異なっていたため保蔵状態は悪い。①は西暦820年頃、②は834年、③は900年頃に埋葬船として建造された。「オーセバルク船」を見ると、長さ22m、幅5mぐらいで、船の先端には、龍に似た特殊な動物(想像上の動物)の頭が彫られている。また30人分のオールが付いていることから、監視員を含めて32~35人乗りであったと考えられている。
Gokstad1
「ゴークスタット遠洋航海船」は、北米大陸までの航海に利用された船と同タイプで、アメリカ大陸はコロンブスが発見する以前に、この船を使ったヴァイキング達によって見つけられていたのである。

ところで、ヴァイキング船建造の技術は「スターブ教会」を建てるのと同じであると言われている。ヴァイキング船を裏返すと、スターブ教会の屋根になるとの事だ。
Tuneその他ここにはヴァイキング船と一緒に埋められていた副葬品も展示されているが、さらに詳しく知りたい場合は、私が午前中に訪れた「国立歴史博物館」に行くと良い。

次に向かったのが1952年の冬季オリンピックで使用された「フォルメンコレン・ジャンプ台」である。海抜412mに建てられているので、遠く離れた所からでも見えた。札幌・大倉山のジャンプ台を遠くから見たことはあるが、すぐ側でジャンプ台を見るのは初めてだ。ジャンプ台の高さは121m、スタート直後とその先では傾斜角度が異なっている。最初47度、後半は38度といずれも急角度だ。こんな斜面を滑っていたのかと思うと恐ろしくなった。このジャンプ台は1852年に造られ、建替えられる毎に傾斜が急になっていったそうだ。
隣にある「スキー博物館」からはエレベーターでジャンプ台に昇ることが出来るのだが、時間の都合で断念した。その代わりではないが、ジャンプと回転を体験できるシュミレーターに乗ってみた。ジャンプについては訳が分からないうちに終了したが、回転は猛烈な速さに驚かされ、テレビで見ているだけでは分からない凄さを感じることが出来た。

Furokunerup
14:30分前、本日最後の観光スポットである「フログネル公園(ヴィーゲラン公園)」(写真 : ヴィーゲラン公園HPより)に向けて出発した。途中にフォルメンコレン・ジャンプ大会に参加していた前国王のオラフⅤ世の銅像前で写真撮影を行い、14:45分ころ公園に到着した。ジャンプ台から北へ5~6kmの処にある。公園の広さは32万㎡とオスロで持つとも広い。ここにはグスタヴ・ヴィーゲランの彫刻などが212点ある。ヴィーゲランは芸術家としては恵まれており、早くから認められ、市にアトリエなども建ててもらっていた。1900年前後、噴水の設計を手掛け始め、この公園はその集大成と言われている。彫刻については、生から死までや喜怒哀楽などを現していると感じさせるものなど、一つ一つ見ていると非常に面白い。ちなみに聖職者以外の彫刻すべてが裸像なのは、時代の流行に左右されないためとの事。

File0002
天候に恵まれた青空の下で公園を楽しんだ後、15:30分ころ、本日の宿泊先であり、デンマーク・コペンハーゲンへの移動手段でもある豪華客船「スカンジナビア・シーウェイズ」(写真 : 同社案内書より)乗船のため港に向かった。港には15:50分頃に到着、16:00から乗船開始だ。部屋は窓側で東側が見える。17:00に出向した。甲板に出て振り返るとオスロの街が見える。今朝歩いて廻った「アーケシュフース城」や「オスロ市庁舎」などだ。しばらくすると、景色は海だけになった。この船は、スウェーデンのヘルシンボリを経由してコペンハーゲンに入る。到着予定は明朝9:15分。それまでノンビリしていられる。夕食は船内8Fにある「SEVEN SEAS」でビッフェスタイルだ。料理の品数も多く、非常に美味しく頂いた。

20:00から船内で外貨両替が出来るので、食後直ぐに両替所に行くと、数人の列が出来ていた。下船後使う分とコレクション用の紙幣・コインを両替した。1,000クローネ紙幣が無かったので、500クローネ紙幣を2枚もらい、売店で1,000クローネ紙幣に換えてくれるようにお願いした所、そこの売店には無かったにもかかわらず、店員は親切にも他のお店を尋ねて両替してきてくれたのである。お礼を言って、最後にノルウェー語で挨拶を付け加えた所、反応が変だったので尋ねてみると、船はデンマーク籍で、スタッフもデンマーク人との事。改めてデンマーク語で挨拶をして分かれた。デンマーク語とノルウェー語は似ているのだが、違う言葉であることは間違いない。今回は5カ国を廻るため、入門程度の言葉しか覚えていない上、頭の中で混乱しているため、スムーズに言葉が出てこない。それでも現地の言葉を話すと相手から笑顔がこぼれてくるのは楽しい。但し使う言葉を間違えないようにしなければならない。

ノルウェー民族博物館
http://www.norskfolkemuseum.no
ヴァイキング船博物館
http://www.khm.uio.no/english/
フォルメンコレン・ジャンプ台
http://www.holmenkollen.com
ヴィーゲラン公園
http://www.oslosurf/innhold/00000161.shtml
スカンジナビァン・シーウェイズ
http://www.dfds.co.uk/dsw/en

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 12, 2006

歴史博物館のノルウェー貨幣

北欧・ロシアの旅(第9回)

本日の午前中は自由行動だ。午前7:00頃に起き、朝食を済ませ、8:30分頃に出かける。美術館や博物館は午前10:00からなので、それまでに色々な所を廻るつもりだ。まずホテルを出て、「国立歴史博物館」と「国立美術館」の場所を確認してから「王宮」に向かった。「王宮」はホテルから北西に500m位離れたところにある。広場には、当時ノルウェーを支配していたスウェーデンの王様「カール・ヨハン」が馬に乗った大きな銅像が建っている。「王宮」内には入れないが、裏の公園(ジロニング公園)は自由に見て廻ることが出来る。ゆっくり散歩するつもりだったが、通勤時間帯と重なったため、忙しそうに通勤する多くのビジネスマンが公園内を早足で駆け抜けていくのを見ると、のんびり散歩する気分ではなくなった。そこで公園を横切り、港の方に行くことにした。

Radhuset2
「王宮」から南へ1kmほど進むと港に出る。国立劇場やオスロコンサートホールの横を通り、港の前に広がる広場に着いた。ここは「市庁舎前広場」と言われているところで、広場を挟んで海に向かい「オスロ市庁舎」(写真 : 市庁舎HPより)が建っている。市庁舎は、1050年にハーラル王がオスロの街を開いてから900年を記念して建てられた。1950年の完成だ。ちなみに、ノーベル賞の授賞式は、先日ご案内したとおりストックホルムで行われるが、ノーベル平和賞だけはオスロで行われる。

Ak_modul_a_slott_59077a
広場から港を眺めていると、左手に城が見える。「アーケシュフース城」(写真 : アーケシュフース城HPより)だ。丁度その時、午前9:30の鐘が鳴り響いた。2kmほど離れているが、時間もあるので城まで行ってみることにした。城の中は午前10:00からしか見ることが出来ないが、「ノルウェー・レジスタンスミュージアム」は午前9:00から開いていたので見学することにした。ここには第二次世界大戦中、ノルウェーを占領したドイツ軍に対するレジスタンス運動について展示されている。

Interif8r
その後、昨日見つけたコインショップにも行きたかったので、見学開始時刻の午前10:00を待たずに城を離れた。午前10:20分ころコインショップに到着、店の名前は「NUMISMA MYNTHANDEL」(写真 : NUMISMA MYNTHANDELのHPより)だ。中に入ると年配の男性が一人居た。店内には古代ギリシャ・ローマのコインも置いていたが、目当てはノルウェー他北欧のコインおよび関連書籍である。展示されている中で最も目を惹いたのが、スウェーデンの巨大な銅板の通貨である。17世紀中頃、スウェーデン王グスタヴにより発行された8ダーレル銅貨(銅板)で、銅のストックを増やすことにより、銅の国際価格を維持することが目的であったと言われている。巨大な銅板のため、使用するには不便であったことから、紙幣の普及を促すのに一役買ったようだ。日本円で約50万円の値が付いていた。日本では簡単には手に入らないし、資料的価値も高いので購入も検討したが、その価格と重量を考えると断念せざるを得なかった。結局ノルウェー最初の通貨から現代までを解説した本と、初期紙幣に関する書籍の2冊を購入するに留まった。それでも豪華本なので数キロの重さだ。まだまだお店の方とお話をしたり、商品を見ていたかったのだが、荷物を出す時間が迫ってきたので一旦ホテルに戻ることにした。

Historisk_mus1993
午前11:00にホテルに到着。他のメンバーはこれから昼食に出かけるのだが、私は見学時間が欲しかったので荷物をバスに預け、昼食には参加せず再び外出した。次は朝方場所だけ確認しておいた「国立歴史博物館」(写真 : 国立歴史博物館HPより)を訪れた。ここはオスロ大学に所属する博物館で、入館は無料だ。氷河期時代、石器・青銅器時代からヴァイキング時代を経て現在までの貴重な品々が展示されている。一周りした後、入館時に貰った館内案内用のペーパーを再度見ると、「Numismatic exhibitions」の文字が目に入った。ガイドブックにも載っていなかったし、何処にも展示されていなかったので、係員に尋ねると、現在閉鎖中だという。ここもダメかと思いつつ、是非見たいと粘り強くお願いすると、学術員を紹介してくれた。彼の名は「マーティン」。この方に興味の内容を話すと、展示物を見せてくれることになった。IDカードを使って何重ものロックをはずし、奥の部屋へ。そこにはノルウェーの歴史と、それに関連するコイン、紙幣などが展示されていた。残念ながら解説はすべてノルウェー語だ。しかし学術員の方が立会いなので、質問すると英語で丁寧に教えてくれた。午後の出発時間が迫ってきてので、3~40分ほどしか見ることが出来なかったが、一通り見終えてホテルに戻ることにした。時間があり、ずっと立ち会ってもらえるのであれば、まだまだ見ていたい気持ちである。
Sakebi
彼と、彼を紹介してくれた係員にお礼を言って博物館を出た。当初の計画では「国立美術館」にも寄って、有名なムンクの「叫び」(写真 : 国立美術館HPより)を見るつもりであったが、時間が無くなったので断念。しかし解説者付きでコインを見ることが出来たため、私は嬉しくて、満足感に浸りながらホテルに戻った。

オスロ市庁舎
http://www.rft.oslo.kommune.no
アーケシュフース城
http://www.mil.no/felles/ak/start/aktuelt/akslott/
NUMISMA MYNTHANDEL
http://www.numisma.no
ノルウェー情報公式サイト
http://www.norway.or.jp
ノルウェー歴史博物館
http://www.khm.uio.no/english/
ノルウェー国立美術館
http://www.nasjonalmuseet.no
ノルウェー中央銀行
http://www.norges-bank.no/english/

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 11, 2006

北極圏の雰囲気が味わえるハダンゲル台地

北欧・ロシアの旅(第8回)

本日はゴルを経由して、首都オスロに向かう。午前9:00にバスは出発した。昨日フェリーで渡ったハダンゲンフィヨルドの横を走る。天候に恵まれたこともあり、水の色は珊瑚礁の海のように青い。ハダンゲンフィヨルドは全長179kmとノルウェーで2番目に長い。出発してから40分ほどするとフィヨルドを離れ、山の中に入って行く。フィヨルドの水と異なり、山の中を流れる川の水は黒っぽい。泥炭層を通って来たためだ。汚れているわけではない。

Borinkuf
マーボダーレン渓谷に入り暫くすると「ボーリングフォッセン」(ボーリングの滝 : 写真)に着いた。滝の長さは182m、うち145mは水が激しく流れ落ちている。滝の横から見ることは出来るが、正面から見るには立ち入り禁止区域に入らなければならない。雨の日には石が濡れて、足下が危険だが、本日は晴天、リスクは低いと見て滝の正面まで行った。やはり横から見るのとは異なり、雄大さと美しさが増す。約30分自然を楽しみ、バスに戻った。

午前10:30に出発。ここからは標高がドンドン高くなる。途中シーセンダムが見えた。1980年に完成したダムで、高さ81m、幅1,157m、360万トンの水をせき止めており、ノルウェーで2番目に大きい。ノルウェーの電力の99.9%は水力発電のため、電力料金は安い。この安い電力を利用したアルミ精錬業が盛んである。国の産業としては海運や漁業(水産)も重要だ。また石油産業も大きく、北海で採れる石油から得られる収入は、国家収入の約4割を占める。

「ボーリングの滝」から10分ほど走ると、「ハダンゲルビッダ」(ハダンゲル台地)である。トナカイが1,300頭ほど生息しているらしい。この辺りは北極圏と同じ様な環境のため、北極にしか生息しない動植物を見ることが出来る。台地は続いており、周りの湖は凍っているため、何処が境目か良く分からない。2~3箇所、バスから降りて写真撮影したが、湖に落ちないように注意が必要だ。この台地の最も高い所は、海抜1,250mだ。遠くにはハダンゲル氷河が見えるのだが、雪に覆われていたため、我々には雪山との区別がつかなかった。

ここから先は下りである。海抜985mの「ウステ湖」の横を通り、更に進むと、昨日乗車した「ベルゲン鉄道」が道路と平行して走っていた。昨日は途中のミュールダールで下車したが、「ベルゲン鉄道」で”オスロ”まで行けるのだ。この辺りはかなり下ってきており、ノルウェー最大の別荘地帯(ウスタオセ地域)が広がる。ここで始めて野生のトナカイに遭遇した。バスの運転手の話では、日中トナカイに出会うのは珍しいとの事。ラッキーである。
その後北欧最大のスキーリゾート地「ヤイロ」を抜け、12:30分頃目的地の「ゴル」に入り昼食をとることになった。昼食は「Mathuset Fossegrimen」で鱒料理だ。

Stavkirke2
昼食後、13:30分頃レストランを出発し、木造建ての教会、「スターヴ教会」に向かった。数分で到着する。この「スターヴ教会」の正式名称は「スターヴ式ゴル教会」だ。最初は1250年頃に建てられ、1881年まで公用・私用共に利用された。教会の建築構造は簡単なもので、柱を地中に埋め、その柱に水平に板を打ち付けただけであった。そのため柱の地中に埋まっている部分が腐ってしまったので、以後地面より高く持ち上げる建築方式に改めたと言う。12~14世紀にかけて、2,000近くのスターヴ式教会が建てられたが、現在は29残っているに過ぎない。1882年に新方式で建てられた「スターヴ教会」(写真 : ノルウェー民族博物館のHP)はオスロにある民族博物館に丸ごと移転されており、我々が訪れたのは1994年に造られた複製である。複製とはいえ、当時の建築材料が簡単に入手できなかったため、建築には10年近い歳月を要したそうだ。

14:00前に「スターヴ教会」を発ち、オスロに向かった。森林道を走ると、もみの木、白樺、楓、菩提樹、ルピナス、柳ランなどを見ることが出来た。15:15分頃、クローデン湖畔にある「KRODEREN KRO」で20分程休憩し、再びオスロに向けて出発した。ステインスフィヨルド、テリリーフィヨルドなど淡水のフィヨルドを眺め、オスロフィヨルドの横を通り、17:00頃オスロの街に入った。本日宿泊する「グランド・リカ・ホテル」には17:30分ころ到着した。

夕食はホテルのレストランで19:00からと時間があったので、オスロの街を散策した。郵便博物館、ノルウェー中央銀行などを見て廻るが、既に閉まっていた。その後近くにあった「ステーン&ストロム」という百貨店に入った。ここは1797年創業のノルウェー最大の老舗デパートだ。1Fは化粧品や宝飾品売り場、2F紳士物売り場、3F婦人物売り場、4Fはオモチャと子供用品売り場だ。5Fは工事中。ノルウェー最大と言ってもそれほど大きくない。またこれまで行った欧州の百貨店に共通していることだが、日本のように「デパ地下食品売り場」はない。

百貨店を見た後、ホテルに戻ろうと思い歩いていると、コインショップを見つけた。既に閉店されているが、外から見る限りでは本格的なお店だ。開店は午前10:00なので明日訪問することを決め、地図に店の位置をチェックした。最後に「カール・ヨハン通り」にある書店「アーク」を訪ねた。ここでもコイン関連、経済史関連の書籍を求めるが、期待に沿うものを手にすることは出来なかった。

夕食のメニューはフルーツサラダ、ビーフの塩焼き、シャーベットだ。明日の午前中は自由時間。何処に行くか、プランを再度練り直して床についた。

ノルウェー民族博物館
http://www.norskfolkemuseum.no
グランド・リカ・ホテル
http://grand.no//en/introduksjon.asp
http://www.worldhotels.com/norway/oslo/hotel_oslgra.html

| Comments (0) | TrackBack (0)

June 10, 2006

雄大なフィヨルドを見ながらの船旅

北欧・ロシアの旅(第7回)

Hokon
本日の出発は午前9:45分と遅いので、朝食前に観光することにした。午前7:30分にホテルを出て、ホテルの北に向かって歩き始めた。殆んど人は居ないので非常に静かである。最初に昨日訪れた「ブリッゲン地区」を再度通り抜けた。昨日は人が多くて写真を撮るのに困ったのだが、今は誰も居ない。廃墟のように静寂に包まれている。次はさらに北に進み、「ホーコン王の館」(写真)だ。館の塀沿いに廻って行くと、北側に入り口があった。館の中には午前10:00からしか入れないが、中庭には入ることが出来た。石造りの建物で、ベルゲンの街を開いたホーコン王により政庁として建てられた。

続いて南に向かった。「ブリッゲン地区」、「ハンザ博物館」の前を通り過ぎ、「魚市場」に着いた。昨日とは異なり、まだ店を開く準備中だった。さらに南へ1kmほど歩くと、「ベルゲン駅」だ。今日はここから鉄道に乗ってフィヨルド観光に出かける予定である。駅の次は北西方向にある「フェスト広場」に入った。真ん中には池と噴水があり、その景色は美しい。この時間はまだ閉まっているが、広場の側には「ベルゲン美術館」の建物が見えた。午前9:00近くになったので、ホテルに戻り朝食を採る事にした。

この時間、ホテルのレストランは空いていると思っていたのだが、ドイツ人観光客のグループで一杯だった。座る席が無かったので、たまたま空いていた席に合席をお願いした。アメリカ人の夫婦だった。私とは逆のコースで、本日ストックホルムに向かう予定との事。色々雑談しているうちに、ブッシュ大統領についてどう思うかとの質問を受けた。政治と宗教ネタは避けた方が良いと思い、日本の小泉首相と仲が良さそうだとか、ブッシュ大統領の支持率が下がっていると言うことを新聞で読んだなどと誤魔化していると、彼はブッシュ大統領の政策に反対しているとの事。イラク戦争で数多くの若い兵士が亡くなったことに怒っているようであった。旅行中に飛行機などで席を同じくした外国人とお話していると、時々ビジネスの話になったりすることはあるが、政治関連の話は始めてである。

午前9:45分にホテルのロビーに集合。先ほど歩いて行った「ベルゲン駅」までバスで運んでもらった。短い区間だが、今日のバスの運転手は「フリッツ」(男性)さんだ。
午前9:55分に駅に到着。10:05分から乗車開始。10:28分に「ベルゲン駅」を出発する。ノルウェー国鉄(ベルゲン鉄道)のセカンドクラスである。19席予約されており、その中のどの座席でも良いとの事。隣はグループ以外の人が来るであろう1人だけの席を選んだ。列車は定刻に発車。次の駅までは殆んどトンネルだ。次の駅で隣の席にドイツ人男性が座った。ドュッセルドルフ出身で、夫婦でツアーに参加したとの事。奥さんは離れた別の席に座っているらしいが、他のメンバーとは一緒に居るらしい。英語が片言しか話せないので、あまり話は弾まなかった。

Db
列車は定刻の12:20分、「ミュールダール駅」に着いた。この後「フロム鉄道」(写真 : フロム鉄道HPより)に乗り換え、全長約20km、急勾配のフィヨルドの中を走る予定である。発車時刻の13:02分まで近くの売店や土産物屋を見て過ごす。港には大型クルーズ船が停泊していた。バルト海クルーズ船のようだ。

列車は定刻に出て、7~8分走った所で停車した。「ショースの滝」が流れており、数分下車して写真を撮ることも出来る。列車が止まっている間、2~3人の女性が妖精のような姿で舞を見せてくれた。サービス精神旺盛である。その後30分ほど走ると、「ブレークヴァム駅」で反対側から来た列車を待った。「フロム鉄道」は単線なので、この駅ですれ違うのだ。
乗車した「ミュールダール駅」は866mの高さにあったが、「ブレークヴァム駅」の高さは343m。雪景色も殆んど見られない。切り立った雄大な絶壁から緑豊かな平地に変わり始めるのもこの辺りからだ。14:00分、終点の「フロム駅」に到着した。ここは僅か2mの高さである。(写真地図 : フロム鉄道HPより)

Sogunef
ここからは船に乗り、フロムからグドヴァンゲンまでソグネフィヨルド(写真)を抜けて行く。14:40分に乗船、15:00分に出航だ。天候にも恵まれ、青空と太陽、ブルーに輝くフィヨルドの海、雪と新緑に彩られる絶壁、雪解け水が流れ落ちる滝、すべて最高の風景である。船室から、またデッキから景色を眺めながら約2時間のクルーズを楽しんだ。

17:15分、グドヴァンゲンの港に到着。下船後、先回りして待っていたバスに乗り、ロフトフースに向かう。途中スタルハイムの滝、シーベルの滝、ツゥインベルの滝、シェルベの滝などを見ながらバスは進み、7,530mの長いトンネルを抜けると、ハダンゲンフィヨルドに出た。このフィヨルドをフェリーで横切ることで、陸を走るのに比べて数時間の節約になる。フェリー乗り場のブルラビークから到着地のブリムネスまで、たったの10分だ。19:00にフェリーに乗り、19:10分には到着。そこから20分ほど走り、本日宿泊する「ホテル・ウーレンスヴァング」に着いた。部屋の窓からはフィヨルドが見える。日の沈むのが遅いので、22:00頃まで雄大なフィヨルドの景色を眺めて過ごした。

ところで、夕食はホテルでビッフェ形式だった。ここで念願のトナカイの肉を食べることができた。塩・胡椒でローストされている。色は少々黒いが、肉は柔らかい。味は淡白でアッサリしており、美味いか否かはソースで決まるように思えた。

ノルウェー国鉄
http://www.nsb.no
フロム鉄道
http://flaamsbana.no
フロムの観光案内所
http://www.alr.no
ソグネフィヨルドの情報サイト
http://www.sognefjord.no/en-GB/PortalObject/1/default.aspx
ハダンゲンフィヨルドの情報サイト
http://www.hardangerfjord.com
ホテル・ウレンスバン
http://www.hotel-ullensvang.no

| Comments (0) | TrackBack (1)

June 09, 2006

世界遺産・ブリッゲン地区

北欧・ロシアの旅(第6回)

今日は飛行機でノルウェーのベルゲン行きだ。ベルゲンは西ノルウェーのフィヨルドに位置し、ノルウェー第二の都市である。ホテルを午前7:45分に出発。バスの運転手は「サッツ」(男性)さんに代わっていた。アダムとイブの三男と同じ名前だそうだ。

空港に着くまでの間に、ガイドがしてくれた話の中から2~3紹介する。ガイドに私の趣味がコイン収集だと言うことを話していたため、私を意識して話してくれたようだ。
① 1クローネコインにはスウェーデン国王の顔が刻まれている。国王が買い物をしてクレジットカードを使おうとしたところ、本人確認書類の提示を求められた。そこで1クローネコインを出して、これが私の証明書だと言って見せたそうである。しかし皆もそのように言うといって店員に却下されたとの事。
20kurone② 20クローネ札の表には女性でノーベル文学賞を初めて取ったセルマの顔が使われている。紙幣の裏面は同氏の作品である「ニルスの不思議な旅」からガチョウに乗った少年の絵が描かれている。(写真 : 前者が表面)
20kuronerv_1
③ 「市庁舎」の屋根には3つの王冠のついた紋章が立っていることから、「市庁舎」のレストランは「アンダー ザ スリー クラウン」と呼ばれている。王冠の紋章の下にあることと、3クローネ以下と言う意味を掛けて使っているそうだ。スウェーデンで最も値段の高いレストランを、3クローネ以下と言って皮肉っているのだ。

このような話を聞いていると、アッという間にストックホルム・アーランダ国際空港に到着した。チゥックインカウンターは日本人で混雑している。別のツアー客のようで、窓口が頻繁に変更になり、右往左往させられていたようだ。最終的に決定した窓口に我々が先に並ぶと、ウロウロさせられていた日本人ツアーグループは不満をぶちまけていた。
また、飛行機の座席がオープンシートだったこともあり、我々のグループの一部の人達が、予想される両方の搭乗口にカバンを置いて順番を確保していた所、先の日本人グループが現れ、「やり方がおかしい」と言ってひと悶着。何処でも座れれば良いと思っていた私は、離れた待合席に座って彼らが揉めているのを見ていたのだが、何か哀れで滑稽な感じがした。結局座席は半分以上空いており、3人席を1人で使えた。機内では昼食のランチボックスを食べることにした。

飛行機は午前10:30分に飛び立ち、12:00にベルゲン空港に到着。添乗員の話では、本日は土曜日で銀行等が開いていないため、最低限のお金は空港で両替しておくようにとの事。しかし両替所は無く、自動両替機が置かれているだけだ。ツアーメンバーの一人が日本円からの両替を試みたが、1万円札が戻ってくるとの事。良く見ると旧札しか使えないとの表示がある。皆は新札しか持っていなかったのだが、私は旧札を2~30枚持っていたので交換してあげることに。私が両替所になった気分だ。ノルウェー第二の都市といっても、田舎なのだろうか。最初から不便を感じさせられた。

Bryggen
空港にはバスが迎えに来てくれており、ガイドは「ヨシハラ マチコ」(女性)さん、運転手は「ハラルド」(男性)さんだ。最初の観光は1980年に世界遺産に登録された「ブリッゲン地区」(写真 : ブリッゲン地区・ユネスコHPより)と「ハンザ博物館」である。ドイツのハンザ同盟は、ノルウェーで豊富に採れるタラに着目、この地に乾燥タラの倉庫を造り交易の拠点とした。香料、小麦、塩、反物などと交換していたようだ。これらの交易はハンザ同盟の特権(貿易特権)とされ、400年近く繁栄を続けていたという。

建物は13世紀頃から16世紀にかけて造られたものだが、地盤が弱い埋立地の上に建てられているため、傾いた建物が多い。建物の間を潜り抜けるとき、倒れてくるのではないかと少々不安になるほどだ。入り口も斜めになっているのだが、扉がピッタリ閉まるのには驚かされる。これらの建物は何度も火災に遭っているが、その都度同じ様に復元してきたそうだ。現在これらの建物はレストランやみやげ物屋になっている。

これらの建物から南へ100mほど離れた所にある木造の建物が「ハンザ博物館」である。1700年に建てられた建物で、当時事務所兼倉庫として利用されていた。倉庫部屋には秤に載せた本物の干しタラが展示されている。番頭部屋では秘密の隠し通路を見ることが出来る。密かに裏通りに並ぶ売春宿に通っていたのか。見習い部屋のベッドは小さく、カプセルホテルのベッドを思わせる感じで、狭いベッドには2人ずつで寝ることになっていた。しかもベッドには扉が付いており、外から閉めやすく、中からは開けにくい構造だ。見習いは辛い・・・。

ハンザ同盟は、当時のバルト海経済圏を牛耳っていたことから、非常に興味深い組織だ。航海上の安全確保と商圏拡大を目的とした組織だが、ここベルゲンは常駐の重要な貿易事務所ではあるが、ハンザ同盟都市ではない点に注意しなければならない。ベルゲン以外にロンドン、ブルージェ、ノブゴロドも同様だ。詳しくは別の機会に述べたい。

次に向かったのは、博物館から西へ約200mのところにある「魚市場」だ。ここでは魚だけでなく、果物や野菜、みやげ物も売られている。試食もさせてくれるので、自分の気に入った味が選べるのも良い。但し旅行日程の半ばなので、新鮮な魚介類はお土産には適さない。雨が降っていたが、市場は地元の人も含めて大賑わいであった。

Greeguh
そして本日最後の観光は音楽家「グリーグの館」(写真 : グリーグの館HPより)である。ベルゲンの中心から南東へバスで2~30分の所にある。ここにはノルウェーを代表する音楽家「エドワード・グリーグ」が住んでいた。ビクトリア風の可愛い建物である。窓からはフィヨルドが見える。この建物の横にある階段を下って行くと、作曲のために使われた小さな建物と「グリーグの銅像」も立っていた。隣にはミニコンサートホールがあり、現在も使われている。グリーグは貿易商の家に生まれ、母はピアニストで、本人も5歳からピアノを習っていた。名門出身で、お金にも困らなかったことから、売れない下積みの苦労はなかったと言う。

Furoirenkeiburu
15:30分頃観光を終え、16:00には本日宿泊する「ファースト・ホテル・マリン」に着いた。「ハンザ博物館」から50mも離れていない場所にある。本日は夕食無しなので、チェックインを済ませてからは自由行動だ。最初に「フロイエン山」に向かった。この山からはベルゲン中心部を見渡すことが出来る。ホテルから東へ約100m進むと、ケーブルカーの乗り場がある。ケーブルは往復で70クローネだ。車両は小型で2量編成(写真 : フロイエン山のケーブルHPより)。乗車時間は7~8分。山頂には展望台の他、売店とレストランがある。Furoiren
山頂からはベルゲン美術館のある「フェスト広場」から、先ほど訪れた「ハンザ博物館」や「ブリッゲン地区」、そして「ホーコン王の館」まで見える(写真)。しばらく景色を楽しんでいたら小雨が降り始めたが、直ぐに止んだ。ベルゲンは1年のうち300日ぐらい雨と言うだけあって、傘は必携だ。

3~40分景色を眺めた後ケーブルで山を降り、夕食のため「マクドナルド」に行くことにした。価格が比較できて面白いのと、味付けが日本とあまり変わらないので、外国の食事に飽きた頃食べたくなるためだ。ここで驚いたのは、フィレオフィッシュが40クローネ、チキンバーガーが32クローネ、そしてコーラの小が20クローネだったことである。1クローネ18~20円ぐらいなので、日本と比べ著しく高い。ちなみに日本ではフィレオフィッシュが240円、コーラ小は150円だ。消費税が日本の4倍位するとは言うものの、それを考えても高い。日本では1,000円亭主の味方だが、ノルウェーでは高級料理か?

食事を済ませ、19:00前にホテルに戻った。外はまだ明るいが、観光は明日朝早くすることにして、21:00頃には床に着いた。

ブリッゲン地区
http://whc.unesco.org/pg.cfm?cid=31&id_site=59
グリーグの館
http://www.troldhaugen.com/default.asp?sp=2
ハンザ博物館
http://www.hanseatisk.museum.no
魚市場
http://www.torgetibergen.no/default.asp?id=5.0.7.NO&lgc=EN
フロイエン山のケーブル
http://www.floibanen.no
ファースト・ホテル・マリン
http://www.firsthotels.com/Marin

| Comments (0) | TrackBack (0)