September 14, 2006

今回2度目の「ルーブル美術館」

フランス・パリの旅(第12回)

遂に帰国の日を迎えた。午前10:15に空港へ行く専用車が迎えに来てくれる予定だ。それまで少しだけ時間があるので、2回目になるが「ルーブル美術館」に行くことにした。美術館は午前9:00から開くので、午前7:00に起床、レストランで朝食を済ませ、午前8:30頃外出した。散歩を兼ねて「チュィルリー公園」から「コンコルド広場」を廻り、再び「チュィルリー公園」を通って「ルーブル美術館」に向かった。秋晴れの朝。雲ひとつ無い青空に、澄み切った空気。公園を散歩する人もあちらこちらにいる。公園内の運動場ではサッカーの練習をしていた。「セーヌ川」側を歩いて、午前9:00に美術館の「ドノン翼」にある入り口に到着した。

チケットを購入しようと窓口に行くと、コンピューターの調子が悪いらしく、しばらく待って欲しいとの事。発券できる様になるまで約10分。昨日の「グランド・アルシュ」に続いてのトラブル。今日は時間が無いので、少々苛立った。今回は「ミュージアム・パス」が無いので、チケット代8.5ユーロを支払う。入館後2Fに上がり、もう一度「モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」、「サモトラケのニケ」を見た。その後前回時間が足りなくて十分に見ることが出来なかった1Fと半地下を見るため、階段を下りて行った。

ここでは主に彫刻を見ることになる。まずは館内案内図に載っている名品を見ることにした。「ドノン翼」の1Fイタリア彫刻のコーナーでは、ミケランジェロ作「囚われの身/瀕死の奴隷」とカノーヴァ作「エロスの接吻で目覚めるブシュケ」を鑑賞、前古典期のギリシャ美術のコーナーでは、作者不詳「ボルゲーズの闘士」を見た。X196image_52727_v2_m56577569830557532_1
また「コプト美術」コーナーでは作者不詳「キリストとメナ師」(写真 : ルーブル美術館のHP)というタイトルの板絵を見ることが出来た。まだまだ見たいところはあるのだが、午前9:45には美術館を出ないと、専用車がホテルに迎えに来る時間に間に合わなくなる。仕方ないので美術館の正面口から出て、「チュィルリー公園」を抜けてホテルに戻った。公園の移動遊園地は解体作業の真最中であった。8月31日で夏休みが終わるからなのだろうか。

ホテルには午前10:05に到着。荷造りは昨晩済ませていたのだが、忘れ物などが無いか部屋を細かくチェックしていると電話が掛かってきた。迎えが来たとの事。急いで部屋を出て、チェックアウトの手続きを済ませた。ロビーには、空港に迎えに来ていたときと同じ英語の話せない運転手が来ていた。フランス語で挨拶すると、にこやかに返事をくれた。空港は広いので、どのホールに行くのか確認されたのだか、全く記憶に無かったので、急いで航空券をチェックし、到着時と同じ「ド・ゴール空港」のホールFだと回答した。滑走路が多いので気をつけなければならない。これに比べ、関空は1本しか滑走路が無いので楽だ。しかしこれでは国際空港と言えないのではないかとも思った。

空港まで約45分。その間来る時と同じ様に、フランス語でガイドしてくれた。途中渋滞もあったが、それほど長くは続かず、午前11:00に空港に到着した。チェックインの手続きを済ませ、空港内の売店でお土産を購入した。店員は日本人の女性。妊娠7~8ヶ月ぐらいで、大きなお腹をしていた。フランスに住んで10年以上になるそうだ。お客が少なかったので、今回集められなかったユーロコインの両替をお願いした所、快く引き受けてくれた。ユーロコインガイドを見せて、未所有のチェックが付いているコインを探してもらった。手間が掛かるのに、レジにあるコインを一枚一枚みてくれた。スペインやポルトガルのコインは見つかったが、残念ながらルクセンブルグのコインは無かった。しかしコレクション出来ていなかった数枚を得られた事で、十分に満足し、お礼を言ってお店を出た。

午後12:50頃ラウンジに入った。搭乗時間までまだ1時間近くある。大変混雑しており、やっと席を見つけることが出来た。クッキーと紅茶を楽しんだ後、隣に座っていた老夫婦に話しかけた。私と同じくパリに滞在していたとの事。途中ベルギーの「ブリュージュ」に日帰りで行ってきたらしい。この老夫婦の向うには、髭を生やしたアラブ系の男性が座っていた。こちらの話を聞いていたようなので話しかけると、嬉しそうに会話に参加してきた。ヨルダンの方で、日本に2度来たことがあると言っていた。私が飲んでいた「日本茶」に関心を示していたので、飲んでみないかと尋ねると迷っている様子。そこでカップに粉末のお茶とお湯を入れて勧めると、一口飲み始めた。美味しいとは言っていたが、本当のところはどうなのか・・・。アラブの「チャイ」と日本の「茶(チャ)」の語源が同じであることなどを説明してあげると、妙に納得していた。

午後1:00搭乗のアナウンスがあったので、搭乗口へ向かった。チケットを機械に通し、通路を歩いていくと、飛行機への入り口が閉鎖されている。良く見るとこの飛行機ではなく、1Fに下りてからバスで移動するのだ。バスでの移動は「ロンドン・ヒースロー空港」以来ではないかと考えながら指定のバスに乗車した。バスは5分ほどで飛行機に。午後1:20頃機内の座席に着いた。私の座席の前がファーストクラスで、全部で8席あるのだが、2席しか乗客はいない。座席はビジネスクラスよりもかなり広く、木目調の雰囲気で落ち着いている。リクライニングも180度だ。エコノミーでのツアー料金の2.5~3倍の料金を出せば良いのだろうが、少し贅沢過ぎるようにも思える。無理をせず、身分相応が大切なのだと自分に言い聞かせた。

帰りの機内食も2回。1回目はオードブルとして「鴨フォアグラのテリーヌ」と「イチジクのチャツネ」、メインは「牛すき焼き」、「ご飯」と「味噌汁」、デザートに「シャーベットとクッキー」をオーダーした。また朝食に当たる2回目は、「フルーツジュース」に「コーヒー」、「クレープシュゼット」と「ダブルクリーム」、「スイカとオレンジのジャム」を頂いた。どれも美味しく楽しむことが出来た。フランスは世界三大料理の国であるにもかかわらず、パリ滞在中は全くフランス料理を食べなかった。世界三大料理の一つである中国料理、特にチャーハンばかり食べていた。その他は日本でも食べられる、いやむしろ日本と同じ味だから食べに行ったマクドナルドのハンバーガーである。今回の旅行では、機内食が一番豪華だったのではないだろうか。

飛行機は約11時間のフライトの後、午前8:05、無事関空に到着した。今回の旅はこれで終わりだ。トータル8日間の旅は非常に短く感じられたが、見たいところ、知りたいことなど、自分の好奇心を満たすには十分なものであった。これから更に深く、歴史、貨幣、芸術などを勉強して、また近いうちに新たな旅に出たいと思う。

ルーブル美術館のHP
http://www.louvre.fr

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September 13, 2006

グランド・アルシュ、ポンピドゥー芸術文化センター

フランス・パリの旅(第11回)

「ラ・デファンス・グランド・アルシュ」駅のホームは広い。この駅には「RER高速郊外鉄道」の駅もあり、「サン・ジェルマン・アン・レー」行きのA1路線と、「セルジー・ルオー」行きのA3路線、「ボワシー」行きのA5路線の計3本が出ている。「グランド・アルシュ」を目指して駅構内を歩き、エスカレーターで表に出ると、考えていたのとは全く反対方向に出てしまった。「グランド・アルシュ」から一番遠い出口だったのである。しかしここからの眺めは良い。全体が入るので、それをバックに写真を2~3枚撮ってもらった。

広場を歩いて、「グランド・アルシュ」(写真 : 展望台で購入した絵葉書より)の展望台に上がるエレベーター乗り場を目指した。Grand_arche
お昼時と言うこともあり、ベンチや階段に腰掛けてサンドイッチやハンバーガーを食べるビジネスマン、ビジネスレディらしき人達が大勢いた。日本の観光ガイドブックでは「グランド・アルシュ」のことを「新凱旋門」書いているが、凱旋門風の形をしているだけで、実はオフィスビルなのである。高さ110m、幅106m、屋上には展望台があり、ビルの間にあるガラス張りのエレベーターで上がる。展望台に昇るため、チケットを7.5ユーロで購入し、エレベーターが来るのを待っていると、観光でやってきたイタリア人家族数人も並んだ。エレベーターが来たので、私を含め6~7人の客が乗り込み、オペレーターがドア・クローズのボタンを押した。このまま扉が閉まり、上昇すると思っていたら、まったく動かない。どうも扉の調子が悪く、キッチリ閉まらないようだ。数分間色々と試していたが全く反応しないため、客を全員降ろして再点検することになった。客は少しずつ増えている。30分しても動かないので、イタリア人家族はチケットを払い戻して出て行ってしまった。どうしようか迷ったが、もう少し待つことにした。

それから約15分、やっとエレベーターに乗って屋上展望台に上がることが出来た。最上階はアートの展示場と売店がある。その間にある扉から外に出て、階段を昇ると屋上だ。周りには高さ2mぐらいの柵があるだけ。風通しは良い。Grandtop
「グランド・アルシュ」が「ルーブル宮」から「シャルル・ドゴール広場」の「凱旋門」に至る延長線上に建っているだけのことはあり、真正面に一直線に伸びる道路の先には「凱旋門」が見えている。そして少し右手には「エッフェル塔」の姿もある。手前には高層ビルが並んでおり、パリの中心部とは違う景色を見ることが出来た(写真)。

展望台から景色を見た後、展示されているアートを鑑賞した。そして帰るためにエレベーター乗り場に行くと、少し様子が変である。1人の客とオペレーターがエレベーターに閉じ込められているのだ。展望台のフロアまで来ているのだが、扉が開かない様子。困ったものである。しばらくすると係員が来て、オフィスで使用するエレベーターに案内してくれた。おかげで、今回は長い間待たされること無く、1Fに降りる事が出来た。閉じ込められていた人達がどのようになったのか、少し気になったが、次の目的地を目指すことにした。

「ラ・デファンス・グランド・アルシュ」駅から地下鉄C1路線に乗り、「シャトレ」駅で下車した。ここから北東に約300m、「ポンピドゥー芸術文化センター」(写真)がある。Ponpidou
1977年、当時の大統領である「ポンピドゥー氏」が、再開発の一環として「現代的芸術創造」をテーマにオープンさせた総合芸術センターである。地上6F、地下2F建てで、図書館、劇場、映画館の他、5~6Fには「国立近代美術館」がある。「オルセー美術館」がカバーしている1914年以降の美術品が展示されている。以前も述べたが、古代エジプト・ギリシャ時代から現代までの美術を鑑賞するためには、「ルーブル美術館」と「オルセー美術館」、そしてここ「国立近代美術館」の3箇所を訪れる必要がある。しかし今回は、かなり疲れていたので、「国立近代美術館」には入らなかった。

センターの2Fに展示されていた「風刺画」の展示を見た後、外に出た。建物の前には広場があり、大道芸が行われていた。水曜日の午後2:00頃であったが、多くの人で賑わっていた。あらためて建物を見ると、ガラス張りの壁、放置された足場のようなパイプと柱、透明のチューブ状のエスカレーター、どれをとってもユニークである。記念写真を撮って次に進んだ。

「ポンピドゥー芸術文化センター」から西へ300mほど行くと、ショッピングセンターのある「フォーロム・デ・アール」だ。更に西に進むと右手に「サントゥスタッシュ教会」、左手に円形の建物「商品取引所」が見える。さらに西へ約300m、「フランス銀行」だ。入り口でセキュリティー・チェックを受けて中に入る。高い屋根、広い空間、昔の日銀を思い出させる造りだ。窓口はほとんどが閉まっていた。現在はEUに加盟し、ユーロに参加しているので、「フランス銀行」の役割は「ECB(欧州中央銀行)」に取って代わられている。
どこまでの資料が得られるのか分からなかったが、受付に訪ねると、ユーロ紙幣やコインに関する小冊子を貰うことが出来た。

いよいよ疲れもピークに近づいたので、ホテルに戻ることにした。途中、昨日訪れた「パレ・ロワイヤル」の南側にある世界最古の国立劇場「コメディー・フランセーズ」の前を通り、「アンドレ・マルロー広場」に出た。すると「ラーメン」と書かれた提灯が目に飛び込んできた。午後3:30近かったのだが、昼食はまだである。日本食を食べることが出来ると思い、入店した。店の名前は「ラーメン・ひぐま」だ。メニューを見ると、ラーメン、チャーシュー麺、カツどん、中華丼、チャーハンなどが並んでいる。日本人のウエイターが注文を取りに来てくれた。”カツどん”を注文するが、この時間は受けていないとの事。ガックリである。仕方ないのでお薦めを尋ねると「チャーハン」との事。やはりお米の質が合っている様だ。結局またしてもチャーハンを注文することにした。チャーハンにはスープが付いており、お茶も出してくれた。このお店は広々としていて、雰囲気も良い。これまで行っていた中華レストランよりも良いかも知れないなどと思いながら、食事を済ませた。お店を出た後、ホテル手前にあるスーパーでジュースを買ってからホテルに戻った。まだ午後4:15である。ジュースを飲み、お菓子を食べてから少しベッドで横になった。ほんの少しのつもりだったが、気が付くと午後7:30だ。3時間も寝てしまった。まだ明るいが、夜景を見に行こうかとも思ったが、体を休めるため、風呂に入り、資料を整理して午後10:30頃寝ることにした。本日の風呂は「ひのきの湯」である。

グランド・アルシュのHP
http://www.grandearche.com/
ポンピドゥー芸術文化センターのHP
http://www.centrepompidou.fr
国立近代美術館のHP
http://www.centrepompidou.fr

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September 12, 2006

モンマルトルとモンパルナス

フランス・パリの旅(第10回)

明日は帰国。本日は丸一日使える最後の日である。計画では、モンマルトル、モンパルナスとグランド・アルシュを訪れる予定だ。ガイドブックによると、モンマルトルにある「サクレ・クール聖堂」のドームとクリプト(地下祭室)は、午前9:00オープンとの事。その時間に合わせて、午前8:35にホテルを出た。

いつものように、地下鉄C1路線の「チュイルリー」駅から乗車、「コンコルド」駅でC12路線に乗り換え、「アベス」駅に向かった。車内の路線駅案内図を見ていると、下車予定の「アベス」駅のところに何かコメントされていた。フランス語で書いてあるのだが、私の乏しいフランス語力で読むと、どうやらこの駅からは「サクレ・クール聖堂」には行けませんと書いてあるようなのだ。しかし地図では「アベス」駅が「サクレ・クール聖堂」に最も近いのだが、もう一度地図を見ると、「アンヴェール」駅も近かった。そこで少々自信は無かったのだが、自分のフランス語力を信じることにして、「アベス」駅の一つ手前の「ビガール」駅でC2路線に乗り換え「アンヴェール」駅に向かった。

Sakurekuru
C2路線の列車に乗り路線図を見ると、「アンヴェール」駅のところに「サクレ・クール聖堂」はこの駅で下車と書いてあった。ホッと一安心。「アンヴェール」駅で降りて、北方向に2~3分歩くと、快晴の青空の下、太陽の光を浴びた真っ白な「サクレ・クール聖堂」(写真 : サクレ・クール・モンマルトルのHPより)が現れた。聖堂までは階段を昇ることも出来るのだが、膝の調子がまだ悪かったため、聖堂に向かって左手にあるケーブルに乗ることにした。チケットを買いに行くと、地下鉄と同料金だ。ほんの少しの距離なのにバカバカしいと思いながらも、膝の調子を悪化させてもいけないので、ケーブルに乗った。時間が早かったおかげで、ケーブルには僅かな人しか乗っていない。ケーブルは約2分で聖堂の真下に到着した。ここからは階段しかない。幸い昇りは膝にあまり痛みを感じないので、数段だが階段を容易に上がることが出来た。

「サクレ・クール聖堂」は、普仏戦争(1870~71年)やパリ・コミューンの崩壊でガックリきている市民を鼓舞する目的で、1877年に着工、1914年に完成したロマネスク・ビザンチン様式の寺院である。中に入り、ガイドブックに書いてあった「キリストのモザイク」模様を見た後、聖堂横の階段を下りたところにある「クリプト」に向かうと、下から上がってきたオジサンたちが、本日は休みだと教えてくれた。膝が痛いので、無駄な階段を下りずに済んだのは幸いであったが、「クリプト」を見ることが出来ないのは残念である。

「サクレ・クール聖堂」横の道を進み、左手に曲がって回り込むと、「サン・ピエール・ド・モンマルトル教会」があった。その前を更に進むと「テルトル広場」だ。14世紀から続く広場で、現在は多くのカフェが並び、観光客目当ての似顔絵描きや切り絵師が沢山いる場所で、「シャンゼリゼ大通り」同様、パリの雰囲気を味あわせてくれる所である。一人の似顔絵師が声をかけてきたが、ボッタクリもいると聞いていたので、かわいそうだが無視し、広場を歩いて雰囲気を楽しんだ。

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観光を終えたので、ケーブルで下ることにした。丁度午前10:00であった。C2路線の「アンヴェール」駅から乗車、「ビガール」駅でC12路線に乗り換え、「モンパルナス・ビヤンヴニュ」駅まで行った。ここには「モンパルナス・タワー」(写真)がある。パリの中心部では珍しい高層ビルで、旧い町並みの中、ひときわ目立つ。「モンパルナス・タワー」と言ってもただの観光施設ではなく、高さ209m、59階建てのオフィスビルである。一万人近くの人が働いているらしい。展望台へは、オフィス行きとは別のエレベーターを利用する事になる。建物正面から中に入るとセキュリティーチェックがあった。セキュリティーガードの人に展望台への行き方を尋ねると、ここではなく、正面入り口に向かって左側に展望台専用のエレベーターがあると教えてくれた。

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展望台専用エレベーター入り口に行くと、チケットを販売していた。9ユーロだ。ガイドブックをつけるとプラス3ユーロとの事。合わせて12ユーロを支払いガイドブックも購入すると、何処の国の人かとの質問。日本人と答えると、日本語で解説したペーパーを一枚くれた。エレベーターに乗ると一気に59階まで上がる。天候に恵まれ、澄み切った青空。遠くの景色もはっきり見える。昨日まで廻ってきたところが一望できるのだ。地図を見て歩き廻ったおかげで、見るものすべてが瞬時に分かるような感じである。「エッフェル塔」(写真 : モンパルナス・タワーのHPより)、「凱旋門」、「ルーブル美術館」、「コンコルド広場」・・・・・、先程訪れた「サクレ・クール聖堂」も見える。そしてこれから行く予定の新都心「ラ・デファンス」にある「新凱旋門」と言われている「グランド・アルシュ」も小さく見えた。「エッフェル塔」3Fの展望台276mよりは低いが、これだけ見ることが出来れば十分である。

展望台からのパノラマを楽しんだ後、建物の写真を撮るためにビルの周りを歩いた。良いアングルを見つけたのだが、シャッターを押してくれるように頼める人が来ない。仕方なくビルの写真だけを撮った。廻りを見ると、いつの間にか地下鉄一駅分ほど移動していた。最寄りのC6路線の「エドガーキネ」駅から地下鉄に乗り、「シャルル・ド・ゴール・エトワール」駅で乗り換え、C1路線の「ラ・デファンス・グランド・アルシュ」駅に向かった。C6路線の途中は地上を走っており、「ビル・アケム」駅からは、そびえ立つ「エッフェル塔」が目の前に見える。約15分後、「ラ・デファンス・グランド・アルシュ」駅に到着。ここは新都心、「ラ・デファンス」である。次の訪問予定は「グランド・アルシュ」だが、この続きは次回に。

サクレ・クール・モンマルトルのHP
http://www.sacre-coeur-montmartre.com/
モンパルナス・タワーのHP
http://www.tourmontparnasse56.com

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September 10, 2006

パリのコイン屋さんめぐり

フランス・パリの旅(第9回)
貨幣ぶらり旅(第96回)

午後3:30に、「旧国立図書館のコイン・メダル・アンティーク展示室」を目指して出発した。雨は漸く上がったようだ。ホテルから北東へ徒歩で約15分、「旧国立図書館」に到着する。
門のところで持ち物等セキュリティーチェックを受け、中庭を右手に進むと入り口がある。中に入ると正面に受付があり、左手には書籍や絵画などを売るショップがある。受付で「コイン・メダル・アンティーク展示室」を尋ねると、入り口左手にある階段を昇った所との事。ワクワクしながら2Fに上がった。

階段を上ったところの右手に中年のおばさんが座っており、その前には貨幣関連の書籍が数多く並んでいた。但し残念ながらすべてフランス語で書かれていた。その先は展示室である。かなり広い。2003年に書かれた「外国コイン研究」(NO.21)の記事によると、かなりの枚数のコインが展示されているとの事であったが、何か様子が違っていた。コインの展示が著しく少なく、ギリシャの壺やエジプトの像、その他古代の宝飾品の展示が目立つのである。よく考えると、記事の書かれた頃は「コイン・メダル展示室」であったが、現在は「コイン・メダル・アンティーク展示室」と「アンティーク」の文字が増えているではないか。コインの展示が少ないことを残念に思いながら、全展示を見て廻った。見学を終え、1Fの売店でコイン関連の本を探すが、私のニーズに合うものは無かったので、そのまま外に出た。

コインの展示が少なく非常に不満であったが、気を取り直して、次はコイン商廻りを始めることにした。この近辺には多くのコインショップがあると聞いていたので、楽しみにしていたのである。まず「旧国立図書館」の入り口の前を通る「リショリュー通り」を北に進んだ。最初に訪れた店は「JEAN VINCHON」だ。入り口のベルを鳴らすが、誰も出てきてはくれない。何度も鳴らして待っていると、開錠の音。中に入ると若い女の子が本日は休店日ですと言って出てきた。次に訪れたのは「O.G.N」。「OR GESTION NUMISMATIQUE」の略らしい。ベルを鳴らすと鍵を開けてくれたので中に入り、コインを見たい旨伝えると、コインの分かる店主がいないので日を改めて欲しいとのこと。何処も商売気が無いと思った。
こちらのコイン商は外貨両替のお店が、ショーウインドにコインを並べているといった感じで、店の人と客とはカウンターとアクリル板で仕切られており、日本のコイン商のように気楽にお話できる雰囲気ではない。

その後、「CLAUDE・BURGAN・NUMISMATIQUE」、「NUMISMARIA」、「AUX・MONNAIE・DE・LA・BOURSE」、「CB・COMPAGNIE・DE・LA・BOURSE」、「NUMISAISNE」、「GENERAL・DE・CHANGE」(以上リシュリュー通り)、「COMPAGNIE・GENERAL・DE・L’OR」、「OR&CHANGE」、「COMPTOIR・FRANCAIS・DE・L’OR」、「ACHAT・MONNAIE・MERSON・CHANGE」、「ACHAT・LIVGOTS・PIECES・OR」、「NUMISMATIQUE・ET・CHANGE・DE・PARIS」、「SAINT・MARC・COLLECTIONS」、「COMPAGNIE・GENERALE・DE・BOURSE」、「RICHELIEU・NUMISMATIQUE」、「iNUMIS」、「JOUBERT」、「ANTIC・WORLD・COLLECTIONS」、「SAINT・MARC・COLLECTIONS」、「CGF」、「GODOT&FILS」、「ACHAT・LIIVGOTS・PIECES・OR」、「MERSON」、「NUMISMATIQUE・ET・CHANGE・DE・PARIS」(以上ヴィヴィアンヌ通り)と20店以上を訪問した。ほとんどのお店が先程お話したように、外貨両替兼コインショップという店構えであり、呼び鈴を押して鍵を開けてもらい、アクリル板越しに話をするといったスタイルである。気に入ったものがあれば買うつもりだったので、とにかくあるものを見せて欲しいというのだが、どのお店も一見客には見せてくれない。セキュリティーの問題からであろうか。何度も言うが、日本とは随分違う。

営業で新規顧客を開拓しているような気分であったが、「CLAUDE・BURGAN・NUMISMATIQUE」では店主とじっくりお話することが出来た。私が興味を持っていたフランス革命の頃の貨幣事情について話してくれた。しかし残念ながら欲しいコインは無かった。このお店には「ダルマ」という日本のディーラーも来ているとの事。社長の大谷氏とは知り合いらしい。なおこのお店では、紙幣は扱っていない。

また「CGF」では、2000年版の「MONNAIES」というフランス貨幣カタログを無料で頂いた。ナポレオン・ボナパルトとナポレオンⅢ世のコインが扱われており、フランス語で書かれているのだが、写真は豊富なので、理解の助けになる。

これらのお店を廻っている途中、お腹が減ったので周りを見ると、海外に出ると必ず一度は食べるマクドナルドを発見、即入店した。「フィレオ・フィッシュ」と「チキンバーガー」、「コーラ小」を注文、7.2ユーロであった。やはり日本よりは少し高い。席に付くと嫌な気配を感じた。隣を見ると怪しいオッサンがいる。握り締めたつり銭を確認しようと思っていたのだが、手を開くことが出来ない。しばらく様子を見てからつり銭の確認を行い、ポケットに入れようと思ったら、つり銭をくれと言う。英語が分からない振りをして無視。しかし折角のハンバーガーが美味しく感じられない。しばらくすると、店員がやって来て、その男を追い出してくれた。おかげでその後美味しく頂くことが出来た。

ハンバーガーを食べ、コイン商廻りを終え、ホテルに戻ることにした。ホテルに戻る途中、「パレ・ロワイヤル」があったので立ち寄った。ここは元ルイ13世の宰相「リシュリュー」が自宅として建てたもので、その後ルイ13世に贈られ、ルイ14世の弟、オルレアン公の住まいになったところである。現在は庭園を囲んでブティックやカフェなどのお店が並んでいる。噴水と緑が大変美しく、印象に残った。ここから西へ徒歩で5~6分。午後7:00前にホテルに到着した。

本日の温泉は「ナチュラル・アロマ・クリアーローズ」。体をリラックスさせ、午後9:30頃に休むことにした。

旧国立図書館コイン・メダル・アンティーク展示室のHP
http://www.bnf.fr/pages/zNavigat/frame/collections.htm
フランスの貨幣商・Claud Burgan numismatiqueのHP
http://www.numisonline.com
フランスの貨幣商・C・G・F ACHAT&VENTEのHP
http://www.cgb.fr

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September 09, 2006

モネード・パリ貨幣博物館

フランス・パリの旅(第8回)
貨幣ぶらり旅(第95回)

「ヴェルサイユ宮殿」のツアーから戻り、次に目指すは待望の「モネード・パリ貨幣博物館」(モネード・パリ貨幣博物館のHPより)である。244
一度訪ねているので、場所は分かっている。バスを降りた場所から最寄りの地下鉄C7路線の「ショセ・ダンタン・ラファイエット」駅で乗車し、「ポン・ヌフ」駅で下車。セーヌ川に掛かる「ポン・ヌフ」を渡った角に「モネード・パリ貨幣博物館」がある。

アーチの門を潜り、雨が降っていたので回廊を歩いていくと、右手に博物館の入り口があった。中に入ると、年配の女性がチケットを見せてくださいとのこと。何処で買うのかと尋ねると、ブティックで販売しているとの回答。Entmusee
回廊に戻り、更に先に進むとブティックがあった(モネード・パリ貨幣博物館のHPより)。ここではコイン、メダル、コイン・メダルに関する各種書籍などが販売されていた。2人の女性が雑談していたので声をかけたところ、私のことが日本人と分かったのであろう。嬉しそうな笑顔で「こんにちは」と声をかけてきた。ほんの少しだけ日本語が話せるそうだ。私はフランス語で挨拶を返した。何となくお互い調子よく会話が進んだ。もちろん英語でだが。博物館のチケットを求めるとともに、受付横に日本語で書かれた「フランス国立貨幣博物館」というタイトルの本が並べてあったので、早速手にとって内容を見た。私のニーズにピッタリだったので、この本も購入することにした。まだ欲しいものがあるかもしれなので、博物館の見学を終えてからもう一度来ることにした。

チケットなどを購入した後、女性の店員は親切に博物館への近道を案内してくれた。3日前、博物館が休み出なければ「パリ・ミュージアム・パス」が使えたのだが、期限が切れたためチケットを購入しなければならず、余分な出費になった。入場料は8.5ユーロと、約4年前に訪れた方の情報に比べて5ユーロほど高い。入り口で先程の女性にチケットを渡すと、音声ガイドも渡してくれた。日本語は無かったので英語のガイドを借りる。昔は別料金だったようなので、実質2ユーロほどの値上げか。

展示室は13の部屋に分かれており、そのうち一室は奥の方にある新しい部屋で、世界各地の現行コインが展示されていた。意外に世界の現行コインを一覧する機会は無かったので、ジックリ見ると面白いものだと感じた。もちろんユーロコインも展示されている。次に行ったのは、最も興味があったフランス革命期から近代のコーナーである。これらは2Fに展示されていたので、階段を昇った。

10番のボードはフランス革命とその後の時代だ。平成18年8月22日付ブログ「貨幣ぶらり旅(第94回)」でお話した、アッシニア紙幣などが展示されていた。音声ガイドでも言っていた。Asinia_1
アッシニア紙幣は紙屑になり、最後は現代のお土産品として残ったと(写真)。

11番は19世紀のフランスである。フランスの工業化が進められた時代だが、貨幣制度は従来のまま変わらなかった。Napoleon3gold_1
第三共和制の時代、1989年に「オスカル・ロティ」デザインの「種を蒔く女」のコインが印象に残った。その他19世紀のコインとしては有名な「ナポレオンⅢ世」(モネード・パリ貨幣博物館のHPより)の金貨が目立った。

12番はユーロコイン以前の最近のフランスコインが展示されていた。見覚えのある金貨、銀貨やバイメタル貨など、つい最近のコインだが、もう一時代昔のものになってしまっているのだ。

膝の調子はまだ完全ではないため、1Fに降りるときは一段一段丁寧に足を進めた。1Fには椅子があったので、しばらく休憩した。その間、音声ガイドで聞き取りにくかった所を何度も繰り返し聞いた。英会話のヒヤリングテープだと飽きてしまうのだが、この内容なら何度でも聞けた。これをテープにして売っていれば、私のヒヤリング力アップも間違いない。

足の疲れが取れてきたので、再び入り口付近に戻り、音声ガイドに合わせて周ることにした。フランク王国が出来る以前、ガリアとよばれていた時代から、フランク王国時代、ルイ14世による絶対王政の時代までの貨幣と貨幣制度が理解できる様に展示されている。2Fの展示も同じだが、アクリル板のパネルにコインが挟まれており、コインの流れと解説がアクリル板の上に書かれている。反対側に廻ればコインの裏面を見ることが出来るので、鏡の反射で見たりするのとは違い、ストレスはたまらない。1~9番までジックリ見た後、再び休憩し、気になる所だけもう一度見学した。Visite_img9hs
16~7世紀頃に使われた「天秤式打刻機」(モネード・パリ貨幣博物館のHPより)と「刻印」は印象に残った。「ハンマー打刻」から「天秤式打刻機」へ、そして「蒸気式のスクリュープレス機」、「電動式プレス機」へと機械が次々に進歩し、コインの出来栄えも格段に良くなって行く。コインそのものだけでなく、このような造幣機も面白い。

博物館の見学を終え、再びブティックに行った。先程の女性と目が会うと、嬉しそうに笑顔で近づいてきた。またカタコトの日本語で尋ねてくれた。日本語を使って楽しんでいるようだ。名前を尋ねると「カティ」との返事があった。雑談をした後、ショーウインドに入っている各種金銀貨などを見せてもらった。その中で興味を持ったのがモナコのユーロコインセットである。しかしこれはプルーフセット(貨幣の表面が鏡状に磨かれた収集家向けコインセット)だった。これまではすべて普通のコインセットだったので、これだけがプルーフなることに躊躇いがあった。しかしモナコのコインはフランスで作られているため、日本では勿論、他のヨーロッパの国でもなかなか手に入らないので購入することにした。
その他多数の書籍があったが、高額かつ重いものはパスし、ハンディな「THE COIN & MEDAL MUSEUM The history of a people」を1冊購入した。コンパクトな割に写真と解説が充実している。これらに加え、無料の印刷物を幾つかもらった。会計は別室にあるカウンターで行うため、その場所まで案内してくれた。コインはカードで、本はキャッシュで支払った。彼女は久しぶりの日本人が嬉しかったのか、”おまけ”を2品くれた。彼女と最後に握手をして別れた。大柄なので中年かと思ったが、直ぐ近くで見ると意外に若く、目のパッチリした可愛らしい女性であった。

外に出ると、まだ雨が降っていた。次に「国立図書館コイン・メダル展示室」に行こうと思ったが、高額の荷物が増えたので、一旦ホテルに戻ることにした。地下鉄C7路線に「ポン・ヌフ」駅から「ピラミッド」駅まで乗って、午後2:45ころホテルに着いた。ホテルでは昼食として、先日の朝食の時に持って帰って来たクロワッサンなどを食べ、少し休憩した。

モネード・パリ貨幣博物館のHP
http://www.monnaiedeparis.com/
旧国立図書館コイン・メダル・アンティーク展示室のHP
http://www.bnf.fr/pages/zNavigat/frame/collections.htm

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September 08, 2006

ヴェルサイユ宮殿

フランス・パリの旅(第7回)

本日の午前中は「ヴェルサイユ宮殿」(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)の観光だ。Versaille
昨日と同じツアー会社の営業所に午前8:15集合である。朝食を午前7:00頃ホテルのレストランで採り、部屋に戻って少し横になった。左膝の痛みはまだ残っている。午前8:00過ぎにホテルを出て、集合場所に向かった。

ツアー会社の営業所には20人くらいの人がいた。昨日の大学生のほか、「モン・サン・ミッシェル」のツアーで一緒だった中年女性3人組も来ていた。急遽申し込むことにしたそうだ。本日も朝から雨。昨日同様、現地で晴れてくれることを願った。

午前8:30にバスはスタート。本日のガイドは日本人の「サトウ」さん、バスの運転手は「アンドレ」である。「ヴェルサイユ宮殿」に行くから「アンドレ」と言うわけではないだろうが、偶然にしては面白い。バスは昨日同様、「コンコルド広場」から「凱旋門」、「フォシュ大通り」を抜けて環状高速に入った。「ヴェルサイユ」はパリから西南西に約22km離れている。人口は82,000人。「ヴェルサイユ宮殿」は1838年から修復作業が続けられており、現在は3年前からスタートした17ヵ年修復計画の最中である。

「ヴェルサイユ宮殿」の歴史を見ると、1661年にルイ14世の命で着工し、約50年かけて1710年に完成した。「ヴェルサイユ」の地は元々沼地の狩場で、ルイ13世はここに「狩の館」を建造した。ルイ14世は、パリで起きた反乱などの嫌な記憶から離れたいと考え、パリから適度に離れたこの地「ヴェルサイユ」に政治の中心地を移すことにした。今で言う「遷都」で、当時としては非常に珍しい事だったようである。ただ宮殿完成と同時に一度に遷したのではなく、少しずつ移転して行ったようだ。

ところで「ヴェルサイユ宮殿」は、贅沢品の文化を生み出したと言われている。宮殿では頻繁にパーティーが開かれ、ヨーロッパ各地の王侯貴族が集まった。彼らは毎回服装を変え、同じものを着て参加することは恥ずかしいこととされるようになった。この結果、ファッションに流行が出来、矢継ぎ早に移って行った。また王侯貴族が集まることから、演劇や音楽も盛んになり、芸術的な家具や調度品も発達したようだ。このため「ヴェルサイユ宮殿」は贅沢品産業を生み出したルーツとも言われている。また宮殿で使われる言語はフランス語であったため、王侯貴族の宮廷用語はフランス語となった。このため、第一次世界大戦時の講和条約が結ばれた20世紀初頭までは、フランス語が公用語とされていた。

次に「ヴェルサイユ宮殿」の着工を命じた「ルイ14世」についてみると、1638年9月に生まれ、僅か4歳8ヶ月で王位に就き、76歳で亡くなるまで約72年間在位した。これは世界一位の在位記録である。22歳の時に「マリー・テレーズ」と結婚。1661年に宰相の「マザラン」が亡くなった後、「親政」を始め、強大な権力を振るったことから「太陽王」とも呼ばれた。この呼び名については、「ルイ13世」と「アンヌ・ドートリッシュ」との間になかなか子供が出来ず、23年目にやっと「ルイ14世」が生まれたため、「アポロン」からの授かりものということで付けられたと言われている。

続く「ルイ15世」は政治的手腕を発揮することなく1774年に亡くなり、その後を継いだ「ルイ16世」は、米国の独立戦争への多大な援助もあり、財政を破綻状態に陥らせた。このため彼は「ヴェルサイユ宮殿」を出て、パリの「チュイルリー宮殿」(現ルーブル美術館)に戻ることになった。空家となった「ヴェルサイユ宮殿」は、その後7月王政の「ルイ・フィリップ」王時代、1837年に「フランス歴史美術館」として再登場した。

バスは午前9:20頃到着、予約時間は午前9:45なので、しばらく入り口付近で待つことになった。雨はまだ降っている。午前9:45になり、全員揃って中に入った。当然入り口でセキュリティー・チェックがある。例の大学生はケースに入ったバイオリンを背負っていた。大きな荷物は預けさせられるのだが、バイオリンである旨伝えると持ち込みOKの返事が返ってきた。やはり芸術に理解のある国だからか。

今回の宮殿内見学コースは2Fである。入り口受付でチケットを見せ、奥の階段を昇る。「ヘラクレスの間」→「王室礼拝堂控えの間」→「豊穣の間」→「ヴィーナスの間」→「ディアナ(月曜日)の間」→「マルス(兵隊)の間」→「メルクリウスの間」→「アポロンの間」→「戦争の間」→「鏡の回廊」→「牛眼の間」→「王の寝室」→「閣議の間」→「平和の間」→「王妃の寝室」→「貴人の間」→「大会食の間」→「衛兵の間」→「戴冠の間」→「大理石(王妃)の階段」の順に廻る。

印象に残ったものを幾つかお話しする。まず「ヘラクレスの間」の天井画、「ヘラクレスの神格化」(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)は素晴らしかった。Hercule1v
立体感があり、天に神々がいるように見える。この絵は1712年から1736年にかけて「フランソワ・ルモワンヌ」によって修復されたもの。

次は「王室礼拝堂控えの間」から見た「王室礼拝堂」」(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)だ。11412z
天井画は旧約聖書と新約聖書からテーマを得て、三位一体の神秘を表現している。また礼拝堂正面のパイプオルガンは大きくて金色に輝き美しい。現在も使われており、かつてはモーツアルトが音のチェックをしたとの事。

3つめは「ディアナ(月曜日)の間」である。ここはビリヤードの部屋として使われた。ルイ14世はビリヤードが得意だったとの事。ご婦人方を招いて観戦させていたそうだ。部屋の四隅にある青地に金で作られた「百合の紋章」が目を引いた。この紋章は「ルイ7世」の頃に定められた。

「アポロンの間」では、赤い壁に飾られた「ルイ14世の肖像画」(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)が目立つ。「イアサント・リゴー」作。220t
高校の教科書などにもよく用いられている絵だ。「ルイ14世」の時代に廷臣が全員カツラを着けるほど流行ったとか。火付け役は「ルイ14世」との事。この絵を見ると納得である。なおここは、当時宮廷で最も豪華な部屋であった。2m50cmの銀無垢の座もあった。しかし財政難のため、座を溶かして、当時のお金であったリーブル貨(銀貨)に作り変えられた。

「戴冠の間」には「ナポレオン一世の戴冠」の絵が飾られていることから、この部屋の名前が付いた。絵のオリジナルは「ルーブル美術館」で見ることが出来る。かつて宮廷人たちはこの部屋のことを「倉庫」と呼んでいたそうだが、現在の部屋の様相は「ルイ・フィリップ」時代のものらしい。

最後に「鏡の回廊」(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)。インテリアに鏡を使ったのは「ヴェルサイユ宮殿」のこの部屋が世界初と言われているそうだ。Glaces
大人数の結婚式はここで行われた。約3,200本のローソクを使ったとの事。どのくらいの明るさだったのだろうか。この回廊の天井には、「シャルル・ル・ブラン」によって、オランダ戦争とフランドル戦争に焦点を当てた「ルイ14世」の時世の歴史が描かれている。

その他「王の寝室」や「牛眼の間」等どれもが素晴らしい。キリがないのでこの辺りで止めておく。パリに行く機会がある時は、是非立ち寄られることをお薦めする。

宮殿内の見学を終えて、庭園(写真 : ヴェルサイユ宮殿のHPより)に出た。残念ながらまだ雨が降っている。傘を差して庭園を廻ることにした。Parterresudz
宮殿の北西、直ぐ目の前にある「水の前庭」だけ廻ることが出来た。階段のところからは「ラトナの花壇」、「ラトナの泉」が、また遠くには「アポロンの泉水」や「大運河」を見ることが出来た。時間が無いのでこれでヨシとしよう。

バスへの集合時間は午後11:35だ。出口に向かって歩き始めた。宮殿を出て、入り口の方を見ると大行列だ。予約のない個人観光客であろう。早い時間に来てよかった。そう言えば一昨日は通勤時間のJR新宿駅が3倍混んでいるようだった、という話を聞いて恐れていたのだが、本日はゆったりと出来た方ではないだろうか。

バスは午前11:35に出発し、来た道を戻った。環状高速を降りてからは、昨日「モン・サン・ミッシェル」からの帰り道と同じルートである。昨日案内されなかったが、セーヌ川に掛かる「ミラボー橋」の近くにアメリカから贈られた小型の「自由の女神像」がある。東京のお台場に立つ「自由の女神像」は、これのレプリカだそうである。バスは予定通りの12:15分に到着。朝方乗車した所と異なり、「オペラ・ガルニエ」の北側で下ろされた。

午後からはフリータイム。待望の「貨幣博物館」に行く予定である。

ヴェルサイユ宮殿のHP
http://www.chateauversailles.fr
ヴェルサイユ観光案内所のHP
http://www.versailles-tourisme.com

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September 07, 2006

モン・サン・ミッシェル

フランス・パリの旅(第6回)

今日はオプショナルツアーを利用して、「モン・サン・ミッシェル」(写真 : モン・サン・ミッシェル観光案内所のHPより)に行く予定だ。Monsanmichel
日曜日に放送されているクイズ番組の勝利者商品を紹介する中で、「モン・サン・ミッシェル」の名前が呼ばれていたので、一度行ってみたいと思っていた。一日がかりのツアーで、バスに乗っている時間の方が長いと思うのだが、仕方が無い。

近くにあるツアー会社の営業所へ、午前7:15までに集合しなければならない。ホテルの朝食は午前6:45からなので、オープンと同時にレストランに入り、大急ぎで朝食を採った。昨日までのウェイターは居らず、今日はロシアのプーチン大統領に似たウェイターであった。昨日までのウェイターは土日だけの勤務だったようだ。食事を終え、午前7:10頃にホテルを出た。外は雨。せっかく「モン・サン・ミッシェル」に行くのに雨とは残念。現地が晴れていることを願いながら、集合場所に向かった。

ツアー会社の営業所には客が5~60人程いる。「フォンテーヌブロー」に行くメンバーもいるようだ。午前7:30の出発時間まで時間があったので、他の客に話しかけた。その方は家族3人出来ており、昨日は「ベルサイユ宮殿」のツアーに参加したとの事。行って驚いたのは、通勤時間帯のJR新宿駅(東京)の混雑を3倍にした位に混んでいた事だとか。入り口は大行列。中は大混雑。スリに注意していたら、何を見たのか全く覚えていないと言っていた。ツアーガイドの話では、夏休み最後の日曜日だったので、海外だけでなく、フランス国内の観光客も集中したとの事。明日「ベルサイユ宮殿」に行く予定にしているので少々不安になったが、火曜日なので大丈夫だろうと自分を納得させた。

午前7:30、バスに乗り込み「モン・サン・ミッシェル」に向けて出発だ。バスには40名ほど乗っている。チョッと多めか。ガイドは日本人の「シンドウ」氏、運転手は「ブルーノ」と「ドミニック」の2名。「モン・サン・ミッシェル」はパリから西へ約360kmと長距離のため、運転手は2名になるとの事。高速道路を走るため、シートベルトは必ず締めるように指示があった。

バスは「コンコルド広場」から「シャンゼリゼ大通り」を通り、「凱旋門」から「フォシュ大通り」へと進む。「フォシュ大通り」は「シャンゼリゼ大通り」よりも40mほど道幅が広い。グリーンベルトや歩道でかなりの部分を占めている。この周りには高級アパートが立ち並び、アラブの石油王などの金持ちが保有しているとの事。この通りを抜けると「ブローニュの森」だ。この森は900haある。バスはこの森に沿って走る「環状高速」に乗った。13号線から12号線を走る。

ここからはバスに乗っている間に聞いたガイドの案内を中心にお話しする。
フランスの国土面積は55万k㎡と日本の国土面積38万k㎡の約1.5倍。それほど広くないように思えるが、日本の国土の70%は山であり、また国土面積には100を超える島も含まれているので、ほとんどが平地のフランスの方が日本の2倍以上広く感じられる。人口も日本の126百万人に対し、フランスは62百万人なので、1人当たり面積もフランスの方が広い。フランスの国土は六角形状で、22の地方に分かれている。パリは「イル・ド・フランス」地方に属する。パリを中心に楕円形をしており、国土の約4%に過ぎないが、国内人口の約半分がこの地区に住んでいる。そのうちパリに220万人、ベルサイユには11万人がいる。

「イル・ド・フランス」は農業で知られており、主に小麦、とうもろこし、ビートなどを栽培している。フランスの農業人口は約60万人で、一人当たり耕地面積は40haと広大だが、「イル・ド・フランス」だけに限ると、150ha/人となるから驚きである。とうもろこしは主に家畜のエサ用、ビートはエサと砂糖用だが、最近ではガソリンに代わるエネルギーを作るのに使われている。ビートの生産量は世界第一位、小麦は世界第五位で、農業全生産高は世界第一位との事。牛、豚、鳥の式苦も盛んである。

その他にもチーズやリンゴの話など色々と聴くことが出来たのだが、それらは省略する。午前9:45頃、「ベウゼベル」にあるサービスエリアで休憩を取る。まだ小雨が降っていた。バスの中で、私の後ろに座っていた人とお話しすると、ドイツに音楽研修できていた学生さんであった。関東にある音楽関係の大学3年生。ヴァイオリンの勉強に来ており、帰国の前にパリに立ち寄ったとの事。現在横浜市内に住んでおり、以前私が住んでいたところの近くが住まいだと聞いて驚いた。最近の横浜事情についてお話を聞かせてもらった。

バスは10:00にサービスエリアを出発し、目的地「モン・サン・ミッシェル」に向けて走り出した。「モン・サン・ミッシェル」は「ノルマンディー地区」にある。「ノルマンディー」は現在のデンマーク地方にいたヴァイキングが占領し、911年に当時のフランス国王シャルルⅢ世と和平条約を結んでからフランスの一部として定着した。かつては「ノルスマン(北から来た人)ディー」と呼ばれていたのが「ノルマンディー」になった。サービスエリアを出てから約30分。「カン」の街に入った。ここは第二次世界大戦が終わった時、一面焼け野原だったという。1944年6月から行われたいわゆる「ノルマンディー大上陸作戦」により、街の四分の三を焼き尽くしたのである。サン・ピエール教会など修復された建物もあるが、ほとんどが戦後に建てられ新しい街になっている。

12:00過ぎに漸く「モン・サン・ミッシェル」に到着した。ここはフランス随一の巡礼地として年間約350万人が訪れる。8世紀のはじめ、聖オベール司教が、大天使ミカエル(龍を打ち倒した聖人)のお告げに従い建てたのが始まり。ロマネスク様式の修道院にゴシック様式の建物が加えられた。当時は満潮になると島全体が海に囲まれていた。海の干満差が激しいため、数多くの巡礼者が命を落としたそうである。現在は道が整備されており水没することがないため、24時間往来可能だ。私たちが到着したときは、丁度潮の引いた時であった。道路と間違えて、泥に足を突っ込まないようにとガイドが注意を促していた。なお、幸いにも雨は上がっていた。

ここでの最初の予定は昼食だ。時間通りに昼食を食べるのは久しぶりである。「テラス・プラール」という島内のレストランで、名物のオムレツ料理を食べる。プラールおばさんが考案したスフレ状のオムレツで、ホイップした卵を焼くため、フワフワでボリューム感がある。大皿に乗せられてきたオムレツ。4人前だ。切り分けて、それぞれの採り皿に配った。食感はフワフワで柔らかいのだが、何か物足りない感じだ。メインディツシュはポーク、デザートはシャーベット。最近昼食を採っていなかったのだが、食べると刺激になるのだろうか。軽すぎて益々お腹が減ってきた。残念ながらこれ以上ないので、おやつで誤魔化すしかない。

午後1:15頃レストランを出て、坂道を上り、午後1:25に建物の中に入った。まず西側のテラスに出て周りを見渡した。かなり遠くまで潮が引いている。何とも表現しがたい景色だ。その後内部を見学する。階段を下りると、昨日から調子の悪い膝が痛む。ゆっくり降りながら各部屋を見て廻った。しかし修道院の内部構造は何処もよく似ているので、何が特徴なのかが分からない。ただロマネスク様式の部屋に入ったとき、ゴシック様式とは違うことに気が付いた。これまでの勉強の成果か。途中回廊に中庭があった。花はそれほど咲いていなかったが、手入れされた緑は綺麗であった。「モン・サン・ミッシェル」は周囲約950m、尖塔の頂点は海抜150mある。当時ブルターニュとの戦いに備え、周囲の壁は3mの厚さで造られていると言う。あちらこちらを見学した後、出口に向かった。ここには観光案内所兼両替所があったので、フランス国デザインのユーロコインのうち、まだ入手できていないものを両替してもらった。20セント、5セントと1セントの3枚を入手し、全種類そろえることが出来た。Monsan
また郵便局で、記念スタンプを押した絵葉書を1枚購入した(写真)。島内の郵便局から手紙を出すと、「モン・サン・ミッシェル」の消印を押してもらえるので、ここからはがきを出すのが観光客の人気らしい。しかし局内が非常に混雑していたので、絵葉書購入で済ませてしまった。

午後3:15頃バスに戻った。また長時間バスに乗らなければならない。帰りは午後6:00頃「ブスケ」にある休憩所で20分ほど休んだ後、パリから来た道を戻った。環状高速を出たのが午後7:30を過ぎていた。今度は「凱旋門」の前ではなく、「セーヌ川」沿いの道を走り、「エッフェル塔」を横に見ながら帰るルートである。途中地下道を走っていると、ガイドから「ここがダイアナ妃の亡くなった場所です。」との案内があった。何となく暗い気持ちになった。

午後8:00、予定通りにツアー会社の営業所前に到着。横浜の大学生は私と一緒で、明日の「ベルサイユ宮殿」観光にも行くとの事。またお会いしましょうと言って別れた。ホテルまでの道中に中華レストラン「福禄寿酒家」がある。今晩もここで夕食だ。またしてもチャーハンをオーダーする。今回は卵スープを付けた。本日は大変美味しく頂けた。ホテルに戻ったときは既に午後9:00前。今日の温泉タイムは「へちまの湯」。湯船に浸かっていると寝てしまいそうになった。午後10:30頃休むことにした。

モン・サン・ミッシェル観光案内所のHP
http://www.ot-montsaintmichel.com
レ・テラス・プラールのHP
http://www.terrasses-poulard.com

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September 06, 2006

凱旋門・バスティーユ・ピカソ美術館・・・

フランス・パリの旅(第5回)

「ロダン美術館」を出て、先に訪れた「アンヴァリッド」の北側にある「アンヴァリッド広場」に向かった。この前には一面芝生の公園が6~700m続く。公園を抜けると、一昨日訪れた「アレクサンドルⅢ世橋」の前に出た。この橋を渡ると、これも一昨日通った「グラン・パレ」と「プチ・パレ」(写真)の前に出る。Petitpalais_1
国内で見た観光ガイドブックによると、「プチ・パレ」は工事中となっていたが、本日前を通ると開館していた。ここではシスレー、モネなどが常設されているはずだ。即座に入場を決めた。入り口受付に行くと、入館料は無料だ。係員が配布するチケットをもらい、館内に入った。入り口から真っ直ぐ進むと彫刻が沢山並べられていた。階段を上り2Fに出ると、数多くの大型絵画が展示されている。モネの「ラバクールの日没」、デュランの「エドガー婦人像」、クールベの「眠り」などの名作が目に付く。その他17~19世紀の歴史をイメージした絵画が多数あった。建物の中央には中庭があり、コーヒーなどを飲んでノンビリすることが出来る。再び1Fに降りて各展示室を廻ると、彫刻だけでなく、古代ギリシャ時代の「赤絵式」や「黒絵式」の壺などが展示されている。また18~19世紀頃の家具や宝石類も並べられていた。

約1時間鑑賞した後、美術館を出て、直ぐ側にある地下鉄C1路線の「シャンゼリゼ・クレマンソー」駅から地下鉄に乗車した。「バスティーユ」駅でC5路線に乗り換え、「シュマンベール」駅で下車した。気が付くと既に午後2:00だ。今日も昼食を採っていない。少し喉が渇いたので、駅構内の自動販売機でコーラを買って飲んだ。この自動販売機、日本のものとコインの投入口が異なっており面白い。日本の場合はコインを縦に入れるが、この販売機の場合はコインの形をした円の中にコインを置き、小さなレバーを上げるとコインが投入されるのである。色々なタイプがあるものだと、少々感心した。

地下鉄を降りて最初に訪れたのが「カルナヴァレ博物館」だ。「ピカソ美術館」に行くつもりだったが、途中にこの博物館があったので立ち寄ることにした。16世紀の貴族の館を改修して造られたパリの歴史博物館である。パリの街の発展を時代順に展示している所が分かり易い。また元貴族の館であっただけに、貴族の邸宅の雰囲気を残す部屋の展示も印象的である。入場料は無料だ。

次は当初目的のとおり、「ピカソ美術館」(写真 : ピカソ美術館のHPより)を訪れた。Picaso
ここでは「パリ・ミュージアム・パス」が使える。フランス国内には幾つか「ピカソ美術館」があるようだが、ここはその中でも最大規模との事。絵画や彫刻、版画など約3,500点を所蔵している。大半はピカソが最期まで手放さなかった貴重な作品ばかりで、ピカソの相続税代わりに納められた作品がコレクションの中心になっているそうだ。今回の展示物を見ていて、ピカソらしい作品が少なかったように思えたのは私の勉強不足だったのであろうか。そんな印象を持った。

続いて訪れたのは「コニャック・ジェ美術館」だ。ここはデパート「ラ・サマリテーヌ」を創業したエルネスト・コニャック夫妻のコレクションをベースに造られており、ロココを代表する画家たちの作品が数多くある。ここも入館は無料だ。

「バスティーユ広場」に行ってからホテルに戻る計画だったので、「コニャック・ジェ美術館」を出た後南東の方角へ進む。途中、先に訪れた「カルナヴァレ博物館」の正面入り口があった。先程入ったのは東口だったのである。正面の方が美しかったので、ここで写真を撮ってもらい、その後「ヴォージュ広場」に向かった。この広場では多くの人がベンチや芝生の上に座り、ジュースを飲んだり、おしゃべりをして楽しんでいた。晴れた日の日曜日の午後、この雰囲気はどこの国でも同じではないかと感じた。広場の周りは赤レンガの建物で囲まれている。これは元々アンリ14世によって造られた王宮の中庭であったからである。

広場を囲む建物の南東角に「ヴィクトル・ユゴー記念館」がある。ここは1832年からユゴーが約15年過ごした邸宅である。名作「レ・ミゼラブル」もここで執筆されたのだ。館内では、亡命前、亡命中、亡命後の3つに分け、遺品や原稿などを展示している。

記念館を出て、南東に約3分歩くと「バスティーユ広場」に出た。世界史の授業でも習った「バスティーユの牢獄」があった場所である。ご存知のとおり、1789年7月に市民が牢獄を襲い、これを陥落した事からフランス革命が始まったと言っても良い。現在中央には7月革命で犠牲になった市民を追悼するために造られた「7月革命記念柱」が建てられている。また広場の南東には、1989年に建造された「オペラ・バスティーユ」(新オペラ座)がある。壁面がガラスで出来ているため、光を反射して美しく輝いて見えた。

「バスティーユ広場」の見学を済ませ、ホテルに戻ることにした。丁度写真のフィルムも無くなったところである。地下鉄C1路線「バスティーユ」駅から乗車、ホテル最寄りの「チュイルリー」駅で降り、ホテルまで歩いて帰った。ホテルのベッドで一休みする。既に午後5:00前と、夕食タイムが近づいていた。歩き過ぎたためか、左ひざが少々おかしい。踏ん張ると痛いのである。しかし本日中に「凱旋門」に行きたかったので、午後5:00過ぎ、再び外出した。

「凱旋門」(写真 : 凱旋門のHPより)までは地下鉄で一直線だ。C1路線の「チュイルリー」駅から西方向、「シャルル・ド・ゴール・エトワール」駅で下車。地上に出るが、「凱旋門」の廻りの道路を渡ることが出来ない。ロータリーになっており、人は地下道を潜らないと「凱旋門」には行けないのだ。Fd_photo
「シャンゼリゼ大通り」側の地下道を通り、「凱旋門」の柱にある展望台入り口に行った。高さ約50mで、階段を昇らなくてはならない。膝の調子が悪かったので、スタッフにエレベータ利用を願い出た所OKの返事。丁度他にもエレベータ利用希望者がいたのである。反対側の柱にあるエレベータに乗ると、お年寄りが数人乗っていた。博物館のあるフロアーで降ろしてくれた。ここから展望台に行くには階段しかない。数十段の細い階段を昇ると展望台だ。南に「エッフェル塔」や「モン・パルナスタワー」、東南に「ルーブル美術館」に「シャンゼリゼ大通り」、西には「グランド・アルシュ(新凱旋門)」、そして北には「サクレ・クール教会」がはっきりと見える。しばらく眺めた後、階段を下りて先程の博物館を見学する。「凱旋門」の歴史などが良く分かる。この「凱旋門」は、ナポレオンがオーストリア・ロシア連合に勝利した記念として着工を命じ、30年後の1836年に完成した。ナポレオンの死後から15年経過して完成したので、着工を命じた本人は、この「凱旋門」を見ることは出来なかったそうだ。

「凱旋門」を出る時はエレベータが使えなかったので、仕方なく階段で下りたのだが、下りは膝への負担が大きい。後ろから誰も来なかったので、自分のペースでゆっくりと降りることが出来た。外に出ると、何か式典が始まると言う。兵隊が数十人、バンドに合わせて「無名戦士の墓」の前まで行進し、敬礼していた。8月25日にはドイツに占領されていたパリをナチスから奪還した記念の行事をしていたようだが、本日は何の式典をしていたのか分からなかった。式典の見学は途中で切り上げ、「シャンゼリゼ大通り」を少し歩いた。通りに並ぶショップやカフェが、私が思う「シャンゼリゼ大通り」のイメージにピッタリであったので、非常に嬉しかった。一駅分を歩き、「ジョルジュ・サンク」駅から地下鉄に乗り、ホテルに向かった。

「チュイルリー」駅で下車、ホテルに帰る途中、昨日と同じ中華料理レストラン「福禄寿酒家」に立ち寄った。フランス料理を食べれば良いのだが、どうしてもお米が食べたいのだ。しかし昨日のチャーハンは美味しかったが、本日の白飯はマズイ。水分の少ない外米はチャーハンなど水分を飛ばす方が美味い料理には合うのだが、白飯だけではパサパサしておりマズイ。他に注文した餃子とワンタンスープは美味しかったので、イーブンパーと言うところか。

本日は日曜日なので、昨日ミネラルウォーターを買ったスーパーは閉まっていた。午後8:00前にホテルに戻り、温泉タイムである。本日は松の香りの入浴剤「バーデザルツ」だ。膝の調子を心配しながら、足の筋肉を揉みほぐした。疲れから眠気が治まらなかったので、午後9:30には床に着いた。

ピカソ美術館のHP
http://www.musee-picasso.fr
ヴィクトル・ユゴー記念館のHP
http://www.paris.fr/portail/Culture/Portal.lut?page_id=5852
バスティーユのHP
http://www.discoverfrance.net/France/Paris/Monuments-Paris/Bastille.shtml
凱旋門のHP
http://www.monum.fr

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September 05, 2006

エッフェル塔・ロダン美術館・・・・

フランス・パリの旅(第4回)

朝起きたとき、足の筋肉が張っていた。昨日歩き過ぎたため、少々足に疲れが残っているようだ。今日は地下鉄を使う予定なので、昨日ほど疲れないであろうと思い、計画は変更しなかった。午前7:00頃レストランに行くと、今日もフセイン元大統領に似たウエイターがいる。挨拶をすると、昨日とは異なりすごく愛想が良い。昨日と同じ席をオーダーすると、「ノー」と言うので、何故かと問いかけると、冗談だと言って両腕を持って席に案内してくれた。席に付くと直ぐに、昨日と同じだねと言いながらコーヒーとミルクを入れてくれる手際よさ。バイキングのメニューは昨日と変わらなかったので、ハム、クロワッサン、フレーク、ヨーグルトなどを頂く。日本と異なり、トマトやキュウリ、レタスなど生野菜類が無いのが淋しい。ヨーロッパのホテルは、ラグジュアリークラスのホテルを除けば、生野菜の無いケースが通常だ。朝から食べる習慣が無いと聞いたこともあるが、本当だろうか。食事を終えて席を立とうかと考えていると、ウエイターがコーヒーのおかわりを尋ねてくれた。結構であると言うと、何故か非常に残念そうに振舞っていた。

今日から地下鉄に乗るので、路線図を持っているかを確認し、午前8:30前にホテルを出た。「エッフェル塔」がオープンする午前9:00にあわせての出発である。ホテルから徒歩2分、地下鉄C1路線の「チュウルリー」駅で乗車、3つ先にある「フランクラン・デ・ローズヴェルト」駅でC3路線に乗り換え、2つ先にある「トロカデロ」駅で下車した。面白いのは自動券売機だ。朝早い時間帯で混雑していなかったこともあり、色々と試してみた。ディスプレーの下に銀色の横に長いローラー状のものがある。これを上に回すと、ディスプレーのチョイスが上に、下に回すと下に動く。切符1枚、切符10枚の回数券、高速鉄道RERに乗り換えるケースなどが表示されていたので、切符1枚を選択した。決定の時は、ディスプレーの右下にあるグリーンのボタンを押す。取り消しの場合は左下の赤いボタンを押せば良い。順番に枚数や領収書の有無を聞いてくるので、順次選択、決定するだけである。Ticket
最後にお金を入れると切符(写真)が出てくるのだ。地下鉄は一律1.4ユーロ。日本のように行き先を探し、該当の料金を入れて切符を買うシステムとは全く異なる。入場するときは自動改札機に切符を入れ、出てきた切符を取って、金属の回転バーを押すと中に入れる。駅によっては扉のようなものが付いていることもあるが、この場合はそれも押せば良いのである。ちなみに出口は自動扉方式で、扉の前に立つと出口が開く。日本のように切符は不要だ。だからと言って切符は最後まで持っておかないと、検札に引っかかる可能性もあるので注意が必要である。これを書いていて気が付いたのだが、子供料金と言うのは無かったように思うが、どうであったのか・・・・・。

地下鉄の話が長くなるが、もう一つ日本と違っていたのは、扉の開閉が手動のところもあるということである。ヨーロッパの地下鉄では珍しくないが、日本ではローカル線でしかお目にかかれない。C1路線はメインだからであろう。私が乗った列車はすべて自動であったが、それ以外の路線は手動であった。乗下車する時にハンドルを上げるタイプと、緑色のボタンを押すタイプがあった。乗下車する人がいない時に扉が開くのを待っていると、乗下車できなくなるので、これも注意が必要だ。

ついでに地下鉄を上手く使うノウハウを一つ。ホームの電光掲示板には、その路線の進む方向の終点駅が表示されるので、自分の行きたい駅の方向の終点駅をチェックしておけば、反対方向に行く地下鉄に間違って乗ってしまうという失敗が防げる。ついでに掲示板には後何分で次の列車と次々発の列車が来るのかが表示されるので、初めての路線でもイライラさせられることが無い。まるで関西の歩行者用信号みたいである。

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話を戻すが、「トロカデロ」駅で降りると、「シャイヨー宮」の正面に出る。1937年、パリ万博の際に建築された建物で、「海洋博物館」や「人類博物館」などが入っている。「シャイヨー宮」の「トロカデロ庭園」を通り南東の方角を見ると、「エッフェル塔」が聳え立っていた。午前8:50頃だったので、塔のオープン午前9:00に丁度良い頃だと思い、急いでセーヌ川にかかる「イエナ橋」を渡ろうとしたところ、通行止めになっていた。馬に引かれたローマ時代の戦車のような乗り物が何台も走っていた(写真)。何かの撮影のようで、午前9:15まで通れないとの事。回り道しても2~30分掛かりそうだったので、諦めて見学しながら待つことにした。

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午前9:15に漸く開放され、橋を渡り「エッフェル塔」(写真 : エッフェル塔のHPより)に到着する。塔の4本の柱の下がそれぞれ入り口になっているのだが、長い行列のある所と、全く並んでいない所があった。係員に聞くと、北と東の入り口はエレベータで昇れるが、西と南は階段で上らなければならないとの事。「エッフェル塔」の一番上の展望台(地上276mにある第3展望台)に行く場合はエレベータに乗らなければならないので、東側の入り口に並んでいたのだか、なかなか前に進まない。他にも行きたいところが沢山あったので、階段で昇ることにした。最上階の第3展望台までは行けないが仕方ない。南側の入り口から上り始めた。何段あったのか数えていなかったので分からないのだか、結構キツイ。1階の展望台(第1展望台)で一休みした後、2階の展望台(地上123mにある第2展望台)を目指して昇った。昇り始めてから約15分、第2展望台に到着。本日は足を休めるつもりだったが、最初から酷使してしまった。展望台からは先ほど通った「シャイヨー宮」や昨日訪れた「ルーブル美術館」、その他「モンパルナス・タワー」などパリ全体を見渡すことが出来た。

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次に向かったのは、「エッフェル塔」の南東に続く「シャン・ド・マルス公園」である。緑が美しい広々とした公園だ。ゆっくり散歩気分で歩いた。時々振り返ると、大きく高い「エッフェル塔」を迫力大画面で見ることが出来る。ガイドブックなどで紹介される写真は、この方向から撮ったものが多いことを納得しながら進んだ。公園を出ると正面には「旧陸軍士官学校」が建っている。その前を通り、東の方向、「トゥールヴィル大通り」をしばらく進むと、左手に「ドーム教会」が見えた。ここが「アンヴァリッド(国立廃兵院)」(写真 : アンヴァリッド・軍事博物館のHPより)である。もともとはルイ14世が建てた退役兵士の看護センターである。現在「ドーム教会」の地下中央に、「ナポレオン・ボナパルト」の棺が安置されている。上からと横から見ることが出来、その他「ナポレオン」に関する展示がなされていた。

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ここの見学を終えた後、向かった先は「ロダン美術館」だ。「アンヴァリッド(国立廃兵院)」の東側すぐ横、徒歩3分ぐらいの所にある。ロダンが晩年を過ごしたロココ式の大邸宅が美術館になっている。広い庭には沢山の彫刻が並んでおり、有名な「考える人」(写真 : ロダン美術館のHPより)も、入り口の建物を出た右手の庭に、さりげなく置かれている。さすが人気者。見学者が絶えることは無い。数々の彫刻を見ながら庭を歩いていると、木枯らしのような風が吹いてきた。落ち葉が舞い散る。蒸し暑い日本と比べると嘘のようである。まだ8月なのに・・・。館内に展示されている胸像や小さな作品、作成工程を示す案内、デッサン図など、興味深く見ることが出来た。

今回は地下鉄の話が長すぎたようだ。観光はまだまだ続くのだが、続きは次回に。

エッフェル塔のHP
http://www.tour-eiffel.fr
アンヴァリッド・軍事博物館のHP
http://www.invalides.org
ロダン美術館のHP
http://www.musee-rodin.fr

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September 04, 2006

パンテオン・オルセー美術館・・・

フランス・パリの旅(第3回)

「中世(旧クリュニー)美術館」を出た後、フランスの一流大学である「パリ・ソルボンヌ大学」の横を抜け、「パンテオン」に向かった。「パンテオン」は、ルイ15世の病気回復を祝って18世紀に再建されたギリシャ・ゴシック様式の神殿である。ギリシャ語で万神殿を意味する「パンテオン」、イタリア・ローマにある「パンテオン」と比べると、形は異なるが規模は大きい。クリプト(地下祭室)には思想家のルソーやヴォルテール、科学者のキューリー夫人などが祀られている。

次は「パンテオン」から西へ3~400mの所にある「リュクサンブール公園」だ。折角の公園なのに小雨が降り始めたので、傘を差しての観光となった。公園は広いので、中心にある噴水周辺を歩いた。多くの人は傘を持っていないのであろう。雨に濡れながらベンチに座っていた。公園の北側には、現在上院として使われている「リュクサンブール宮」がある。その西側を通り、次の目的地「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」に向かった。その途中には「サン・シュルピス広場」と「サン・シュルピス教会」がある。更に北に進み、「サン・ジェルマン市場」の横を通り、漸く「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」に到着した。「漸く」と書いたのは、この頃から歩き疲れてきたのだ。どこかに座りたいのだが、座る所が無い辛さ。救いを求めて教会に入った。ここは542年にロマネスク様式で建てられた、パリ最古の教会。途中修復がなされたこともあり、現在ではゴシック様式の部分も混在している。中に入ることは出来たのだか、ミサの最中だったので、教会の奥まで行くことはできなかった。座ることも出来ず、次を目指して教会を出た。

次は教会の直ぐ裏、北側にある「ドラクロワ記念館」である。「こんな所にあるの?」と思いたくなるようなヒッソリとした広場に面した所に門がある。ゲートを潜り、小さな入り口を入ると、急な階段だ。階段を上ったところに受付がある。「パリ・ミュージアムパス」が使えるので、パスを見せて入場する。ここはドラクロワが晩年にアトリエ兼住居として使用されたところだ。昨日ルーブル美術館で見た「民衆を導く自由の女神」のような大作は無いのだが、「聖母の教育」、「砂漠のマドレーヌ」などの作品のほか、彼のデッサンや絵画作成に用いた道具なども見ることが出来る。見学していると、外から大きな鐘の音が聞こえてきた。スタッフに尋ねると、「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」でミサが行われたときに鳴らされる鐘との事。先程訪れた時、ミサが行われていたので、納得である。この時午後4:30を過ぎていたので、私が閉館前最後の客だったようである。私が出ると直ぐに入り口が閉められた。

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さて本日最後の訪問先は、「オルセー美術館」(写真 : オルセー美術館のHPより)だ。「ドラクロワ記念館」から西へ約1km。疲れているので足取りは重い。「ジャコブ通り」を直進し、「預金信託金庫」の前を通って「オルセー美術館」に到着。当然ここも「パリ・ミュージアムパス」が使えるので、パスを見せて入館。まず最上階まで上がった。このフロアーには、「ゴーギャン」、「セザンヌ」、「ルノワール」(写真・ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会 : オルセー美術館のHPより)、「ゴッホ」、「ドガ」など、見たい画家の作品が目白押しである。Runoaru
実は最近まで知らなかったのだが、3つの時代に区分し、ルーブル、オルセー、国立近代(ポンピドー・センター)の各美術館が夫々の時代を受け持っているのである。オルセー美術館の解説によると、「1977年、ジョルジュ・ボンピドゥー国立芸術文化センターの設立にともない、パリの国立美術館所蔵の近代美術品が再編成されました。その結果、ポンピドゥー・センター国立近代美術館にフォーヴィスム以降の20世紀美術が収蔵され、ルーブル美術館に古代からの美術品が収蔵されることになりました。そして、この2つの美術館のコレクションの間にあたる19世紀後半期の美術を収蔵する新たな美術館として誕生したのがオルセー美術館です。」との事。

Gare
中階では、テラスに置かれた彫刻が目を引く。「ロダン」や「ガレ」(写真・海藻と貝殻のついた手 : オルセー美術館のHPより)などの作品が展示されている。入館した時間が遅かった上、最上階での絵画鑑賞に時間を使いすぎたため、閉館時間が近づいてきた。そこで大急ぎで名作と気に入った作品だけを見ることにした。「ミレー」の「落ち穂拾い」や「マネ」の「オランビア」、「カバネル」の「ヴィーナスの誕生」(写真 : オルセー美術館のHPより)などを見たところで閉館の時間。Kabaneru
追われるように外に出された。時間があればもう一度来ることを考えながらホテルに戻ることにした。

「ソルフェリーノ橋」を渡り、「チュイルリー公園」を通り、「サンロック教会」の前の道を歩いていると、小さなスーパー・マーケットがあったので、そこでミネラルウォーターを買う。ホテルに戻ったのは午後6:20である。よく考えてみると、昼食を採るのを忘れていた。夕食のためホテルを出ることにした。近くに「福禄寿酒家」という中華料理レストランがあったので、そこに入り、漸く食事を採ることが出来た。夕食を終え、ホテルに戻ったのが午後7:40頃。その後は温泉タイムだ。本日は「ナチュラルアロマ・クリアージャスミン」の湯である。本日は大変疲れていたので、午後9:00に寝た。

パンテオンのHP
http://www.monum.fr
ドラクロワ記念館のHP
http://www.musee-delacroix.fr
オルセー美術館のHP
http://www.musee-orsay.fr

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