ハンザ同盟のコイン
北ヨーロッパ商業圏とハンザ同盟(第1回)
写真のコインは、1549年にドイツのリューネブルクで造られた「マルク銀貨」である。表面にリューベック、ヴィスマル、ハンブルク各都市の紋章(写真左 : 下・左・右)、裏面にはリューネブルクの紋章(写真右)がデザインされている。当時、貨幣は各都市独自に造られていたが、商取引を円滑に進めるため、四都市共通の貨幣として発行されたのである。
ところで、この四都市名を聞いて思い出す単語はないだろうか。それはご推察のとおり「ハンザ同盟」である。「ハンザ同盟」については、高校の世界史の教科書にも出てくるので、聞いたことのない方は少ないと思うが、どのような組織であったのか等については、教科書でほとんど触れられていないため、知らないことも多い。そこで貨幣金融史の研究や、貨幣収集に役立つのではないかと考え、「ハンザ同盟」について整理を試みた。
最初に、「ハンザ同盟」が生まれてきた社会的背景について見る。ご存知のとおり西ヨーロッパでは5~7世紀頃に民族大移動などが起こり、その結果商業と都市は衰え、自給自足を基本とする農業社会に移行、貨幣経済も衰退した。この後封建社会となったが、このシステムが安定する10世紀頃になると、農業生産は増大、余剰生産物の交換が活発になり、再び商業と都市が復活した。商業が盛んになると、衰えていた貨幣経済も蘇った。加えて十字軍により交通が発達し、遠隔地貿易で栄える都市も現れるようになった。遠隔地貿易は「地中海商業圏」で復活し、続いて新たに「北ヨーロッパ商業圏」が生まれた。前者で栄えた都市としては、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサ、ミラノ、フィレンツェなどのイタリア諸都市があり、後者ではハンブルク、リューベック、ブレーメンなどの北ドイツ諸都市を挙げることが出来る。さらにこれら二つの商業圏を繋ぐフランスのシャンパーニュ地方も定期市で繁栄した。
これらの都市は、商業が発達するにつれて封建領主からの自由と自治を求めるようになり、諸侯の力を抑えようとする皇帝や国王から特許状を得て自治権(市場権、貨幣鋳造権、交易権など)を獲得し、自治都市になった。商人たちは、身の安全と自由に商売できる権利を守り利益を確保するため結びつきを強めていたが、これが都市同盟に発展して行った。このようにして北ドイツ諸都市を中心に生まれたのが「ハンザ同盟」で、最盛期の14世紀には、リューベックを盟主に200以上の都市が加盟していたと言われている。都市同盟だが、商圏を確保するためには共同で武力を用いることもあった。1370年のデンマーク海軍撃破などはその代表例である。(続く)



